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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 愛読している『JIN―仁―』テレビドラマ化、キャストについて脳内で想像中です(笑)。原作では、30台後半(作品の途中で16歳の咲ちゃんが仁先生は35歳だけど全然オッケーと思う場面があります)、長身、目鼻立ちがはっきりしてて、天然パーマ、脳外科医ということは結構体力あり(ではないかと・苦笑)、現代で婚約中の女性にエンゲージリングを返却されたりする仕事中毒の朴念仁というイメージですね。
 ちょっと端正過ぎるけど阿部寛さんが自分にはベストなんですが、阿部寛さんはNHKの時代劇『あっぱれ夜十郎』で現代から江戸時代にタイムスリップする役柄をもう演じられてるんですよね(苦笑)。
 阿部寛さんとは雰囲気違うけど、緒方直人さんがいいなぁ……『鞍馬天狗』で近藤勇を演じるほどの雰囲気がありつつ、年齢の割に若く見える(爆)ので、普段はどっちかといえばボケ役だけど医療現場にあっては神がかった活躍をする仁先生には似合うかと。
 現代ものドラマで医師を演じた江口洋介さんとか唐沢寿明さんとかは、今回の作品には思い浮かばなかったんですよね……^_^;。


北海道
国指定史跡の敷地焼ける 室蘭・陣屋跡
 7日午後4時35分ごろ、北海道室蘭市陣屋町の国指定史跡「東蝦夷地南部藩陣屋跡モロラン陣屋跡」敷地内の枯れ草や木が燃えているのを近くに住む男性が発見、119番通報した。室蘭署によると、焼失面積は約630平方メートルで、同署は放火の可能性は低いとみている。
 室蘭市のホームページによると、陣屋は幕末期の安政3年(1856)年、海岸警備のために建てられ、明治元年(1868)年に焼き払われるまで南部藩士が守備兵として駐留していたという。


茨城
「漫遊」するラーメン・・水戸開藩記
 茨城でもメジャーになりきれていない「水戸藩らーめん」だが、県外2カ所に「漫遊」している。
 京都市右京区の東映太秦映画村では、「時代劇を身近に感じられるように」と98年にメニューに加えた。見学者や俳優が食べにくる。東京・三鷹の中華料理店「杏(きょう)苑」では、水戸で食べた住人からのリクエストに応え、取り入れた。水戸藩らーめんは県内9店舗を含め、11店で提供されている。
 ラーメンを「日本で最初に食べた」とされる2代藩主徳川光圀は、めん類が好きだった。隠居所の西山荘では、「自分がうどんを打つ」といってはめんをござの上で踏み込み始め、部下に振る舞っていた。若いころ、浅草の町中でうどんを打っているのを見て覚えたらしい。
 平成に入り、水戸藩らーめんを再現したのは川崎製麺(めん)所(水戸市下大野町)の社長、川崎一男さん(57)だ。バブル崩壊後、ラーメンによる町おこしを目指していた。反応が悪いながらも水戸市の食堂や製めん所に声をかけていた折、水戸藩の料理を研究していた料亭経営者の故大塚子(ね)之(の)吉(きち)さんと出会った。これが93年に「水戸藩らーめん」が誕生したきっかけだったという。めんにレンコンが練り込まれているのが特徴だ。
 水戸にはほかに、「光圀ラーメン」というのもある。かつては福岡や岡山でも似た名前のラーメンが売り出されたり、エースコックが「幕末水戸しょうゆラーメン」というカップめんを作ったりしたこともあった。
 食文化評論家の故小菅桂子さんが87年、ラーメンの歴史をまとめた『にっぽんラーメン物語』を出版すると、「水戸黄門ラーメン説」は全国に広まった。小菅さんを知る「新横浜ラーメン博物館」経営の岩岡洋志さん(49)は、小菅さんが「水戸黄門が何百年も前に食べているのよ。ロマンがあるわ」と目をきらきらさせて話していたのが印象的だったという。
 岩岡さんも興味を持ち、有名料理店の中国人シェフに再現してもらい食べたことがある。「タイムマシンに乗っている夢を感じました」。水戸徳川家の家紋が入ったおわんで、博物館にレプリカで展示した。足を止めて注目する人は、いまだに多いという。(北崎礼子)

 「水戸黄門ラーメン」というのも気にはなりますが「幕末水戸しょうゆラーメン」というのも気になります。

栃木
二宮家支えた嫁の生涯描く 研究まとめ上下巻出版
【日光】今市の安西悠子さん(81)は、二宮金次郎の息子・弥太郎の妻●の研究を上下二巻にまとめた「耀く朝日を愛でるまでに-二宮●の生涯-」を下野新聞社から出版した。
 ●は近江大溝藩の武士の家に生まれ、真岡時代の二宮家に嫁いだ。今市では、金次郎の報徳仕法を間近で見つめながら二宮家を支え、子や孫にはその教えを伝えた。幕末の激動期の本県で生き、一九二〇(大正九)年、福島県南相馬市で八十五年の生涯を閉じた。
 安西さんは約十年前から、報徳仕法を研究する「いまいち一円会」や「今市報徳社」に所属。二年ほど前から●に強くひかれるようになり、本格的に研究を始めた。
 今市図書館に通い所蔵の「二宮尊徳全集」を読み込んだほか、●の実家がある滋賀県高島市を訪ねたり、関連文献や史跡が残る真岡市や神奈川県小田原市、福島県相馬市など、●ゆかりの地を訪ね歩き、調査を重ねた。
 本には関連する人々の記録や●が残した短歌や絵画などの写真も多数収録した。
 真岡生まれで今市に嫁いだ自身の姿と重なったこともあり、安西さんは「女性のお手本のような人。他人とは思えなかった」という。
 本は四六判、上巻四百九十四、下巻二百四十六ページ。上下巻とも千円(税別)。
 問い合わせは下野新聞社出版部電話028・625・1135。
 ※●は「こう」、かねへんに交


千葉
企画展:錦絵発祥に迫る 佐倉・国立歴史民俗博物館で /千葉
◇社会状況・技法などから分析
 佐倉市城内町の国立歴史民俗博物館で企画展「錦絵はいかにつくられたか」が開催中。5月6日まで。
 博物館は昨年度、富山県の民家で保存されていた歌川国芳、三代歌川豊国、歌川広重の錦絵の版木368枚を購入。質量ともに世界最大級のコレクションという。
 今回は、幕末の錦絵販売の様子を描いた三代歌川豊国の「今様見立(いまようみたて)士農工商 商人」などを例に、社会状況や世相を切り取りながら錦絵発祥の要因に迫る。彫摺技法や絵の具の科学的分析も。
 11日午後2時からは、国際浮世絵学会の岩切友里子編集委員が「伊勢市の版木に見る錦絵の彫と摺」をテーマに講演する。
 午前9時半~午後5時(入館は4時半まで)。13、20日は休館。一般830円▽高校・大学生450円▽小・中学生無料。電話043・486・0123。【倉田陶子】


版木にメモ 「錦絵はいかにつくられたか」展
 江戸の風俗を華やかに描き出した錦絵。その制作過程が、絵を刷り出す版木の大量発見で明らかになってきた。千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)で開催中の「錦絵はいかにつくられたか」展は、職人の技と美意識に支えられた錦絵の秘密に迫る展示だ。

    ◇

 「ちのいろよろしく」。江戸時代末期の人気絵師・歌川国芳が遊郭での殺人を描いた「鏗鏘手練鍛(さえたてのうちきたい)の名刃(わざもの) 佐野治郎左衛門」の版木に、残っていた墨書のメモだ。国芳から摺師(すりし)へ血の発色を託したもの。書いたのは彫師(ほりし)らしい。完成した錦絵には、行灯(あんどん)に鮮烈な血しぶきが飛び、男の足にはどす黒い血のりがべっとり。摺師がリアルな表現を心がけたことが伝わる。
 多色刷り浮世絵版画である錦絵は、絵師、彫師、摺師の分業で制作された。今回の企画展では、彼らの仕事ぶりを伝える版木が目玉だ。富山県の旧家で数年前に見つかった国芳、歌川広重らの版木368枚を歴博が購入、このたびのお披露目となった。
 「これほどまとまって版木が見つかったのは初めて」と、展示プロジェクト委員の岩切友里子・国際浮世絵学会編集委員。1枚の錦絵を刷るのに使われた版木は約6枚。裏表を使い、一つの面で複数色を刷ることもあった。だが、版木は、刷り終わるとかんなで削られて別の作品が彫られ、最後には捨てられた。そのため制作の詳細について、不明の点も多かった。
 岩切さんは「今回の発見で色やぼかしなど絵師の細かな指示が直接、板に書かれたことがわかった」と話す。歴博の大久保純一教授は「今後、刷りの詳細な手順もわかる可能性がある」と期待する。
 そうしてつくられた錦絵は江戸の流行や世相を伝える。会場には美人画や役者絵、名所絵などを多数展示。役者など著名人の訃報(ふほう)も兼ねた「死絵(しにえ)」は速報性が求められ、8代目市川団十郎が自殺した時は100種を超えたという。
 おもしろいのは幕末に向けてぐんと増える風刺画。大久保教授が「画期となった作品」と評するのが、国芳画の「源頼光公館土蜘作妖怪図(やかたつちぐもようかいをなすず)」。天保の改革の風刺と評判を呼ぶが、摘発を恐れた版元があわてて回収。国芳は9年後、「源頼朝公富士嶺牧狩之図」で、頼朝に見立てた徳川将軍の鹿狩りを描く。武士たちは追い立てているはずのキツネや猿にばかにされ、幕府の弱体化があらわに。
 このほか、版木は完成したものの、将軍家を描いたために出版されなかったとみられる錦絵のデジタル技術による復刻や、レーザー光による最先端の顔料分析の成果も紹介する。職人の技が織りなす錦の美を堪能し、権力をからかう庶民のしたたかさに笑う、盛りだくさんの展示だ。(小川雪)
    ◇
 5月6日まで。月曜休み。一般830円。(ハローダイヤル03・5777・8600)

 佐倉も近々行ってみたい場所です(佐藤泰然・松本良順など蘭学医を輩出した土地柄ですし、江戸時代の風情が残っているようですし)。


神奈川
横浜港最古の写真…中華街も元町も150年前は田んぼ
 横浜開港資料館(横浜市中区)は8日、幕末の1859年に開港した当時の横浜港の写真を発表した。
 イギリスの古写真研究家が見つけたもので、「確認された横浜港の写真では最古」(同館)という。同館では、22日から7月26日まで一般に公開する。
 同館によると、撮影者は開港直後に横浜を訪れたスイス人カメラマンのピエール・ジョセフ・ロシエ(1829~72年)で、ロシエの研究者でロンドン在住のテリー・ベネット氏が2007年に見つけた。発見先は明らかにされていない。
 写真は縦横約8センチの正方形で、ほぼ同じ構図の写真2枚が左右に並んで台紙に張り付けられていた。当時、欧州で普及していた「ステレオ写真」で、特殊な器具で写真2枚を見ると、立体的に見える。
 当時の横浜は「横浜村」と呼ばれ、約100戸の小さな村だった。撮影場所は現在、観光客でにぎわう中華街や、ブランド店が並ぶ元町などの一帯で、10戸余りの農家の周辺に田んぼが広がり、海上には船が10隻前後往来している。
 写真の台紙の裏には、「ヨーロッパの船とともに新しい横浜の光景を撮影した」と英語で記されていた。ロシエは1859年の開港直後に横浜に来ており、同年末から造られた川が写っていないことから、開港直後に撮影されたと確認できた。
 これまで最古とされていた横浜港の写真は、開港3年後の1862年にイギリス人カメラマンが撮影したもので、既に家が立ち並び市街地ができていた。
 同館の西川武臣主任調査研究員は「居留地が完成する前の写真が見つかったのは初めてで、当時の横浜の姿がわかる貴重な写真」と話している。
(2009年4月8日15時45分 読売新聞)

 「居留地が完成する前」の横浜の風景、インパクト大です。居留地ができるまでは、やはり、ひっそりした港町だったんですね。

横浜港最古の写真…中華街も元町も150年前は田んぼ
 横浜開港資料館(横浜市中区)は8日、幕末の1859年に開港した当時の横浜港の写真を発表した。
 イギリスの古写真研究家が見つけたもので、「確認された横浜港の写真では最古」(同館)という。同館では、22日から7月26日まで一般に公開する。
 同館によると、撮影者は開港直後に横浜を訪れたスイス人カメラマンのピエール・ジョセフ・ロシエ(1829~72年)で、ロシエの研究者でロンドン在住のテリー・ベネット氏が2007年に見つけた。発見先は明らかにされていない。
 写真は縦横約8センチの正方形で、ほぼ同じ構図の写真2枚が左右に並んで台紙に張り付けられていた。当時、欧州で普及していた「ステレオ写真」で、特殊な器具で写真2枚を見ると、立体的に見える。


京都
〈セレクト〉絵巻や軍服など100点公開――「よみがえる幕末維新」展
 戊辰戦争の最後の戦い、箱館戦争終結から今年で140年になるのを記念して、幕末期の資料を紹介する「よみがえる幕末維新」展が、京都市の霊山歴史館で5月6日まで開かれている。靖国神社・遊就館と京都国立博物館から借り受けた資料や初公開の絵巻を含め、約100点を公開。5月5日には「土方歳三と箱館戦争」と題した講演会も開く。
 展示作品は鳥羽伏見の戦いから箱館戦争までの旧幕府軍と新政府軍に関するものが中心。遊就館所蔵の徳川慶喜の兜(かぶと)や箱館戦争で着た榎本武揚の軍服、京都国立博物館所蔵の「伏見鳥羽戦争図草稿」が目を引く。このほか、初公開の「矢島戦争之図」(写真、部分)は、羽後国(秋田県)の矢島藩を攻める旧幕府側の庄内藩士らの姿を描いた珍しい絵巻。いずれも時代の変革期の世相を肌で知ることができる資料だ。

 5月5日の講演会、「土方歳三と箱館戦争」については霊山歴史館サイトに詳細が掲載されています。
◇特別講演会-「土方歳三と箱館戦争」
日時:2009年5月5日(火)午後1時半~
場所:霊山歴史館講堂
講演:霊山歴史館・木村幸比古学芸課長
対談:俳優 栗塚旭氏/木村幸比古学芸課長
会費:一般500円、友の会会員は無料(要会員証)
定員:先着150人(予約はできませんのでご了承ください)

 拙ブログの関係記事は以下の通りです。
4月7日の幕末ニュース
4月4日の幕末ニュース
4月3日の幕末ニュース

嵐電100年へ:/1 四条大宮駅 疾風怒濤の幕末史を彩る /京都
◇新選組ゆかりの壬生村
 京都の繁華街・四条大宮と嵐山を結ぶ京福電気鉄道(嵐電)の嵐山本線が開通して来年春で100年になる。明治から大正、昭和、平成と、人々の暮らしぶりや街並みは変わったが、時に家々に挟まれた狭い空間を窮屈そうに、時に三条通りの真ん中を堂々と走りながら立てるガタゴトゴトンという鉄輪の音は変わらない。今は京都で唯一の路面電車でもある。北野線も含めると全長約11キロ、21駅。各駅で途中下車し、ちょっとした歴史散歩に出ませんか? まずは四条大宮駅から出発進行!【広瀬登】
   ◇  ◇
 市内随一のメーンストリート「四条通」と「大宮通」が交わる四条大宮に嵐電の駅が誕生したのは1910年(明治43)年3月のこと。嵐山電車軌道が嵐山までの7・2キロを開通させ、起点の駅になった。18年4月からは合併により電力会社「京都電燈」が運行。第二次世界大戦中の42年3月、配電統制令で京都電燈が解散し、現在の京福電鉄が設立された。
 オフィスビルやホテルなどが立ち並びにぎやかな駅前だが、駅南側の小路に一歩足を踏み入れると、しっとりとした木の香りがする古い町家が点在する。小振りの大八車を引いた豆腐を売る自転車が、のんびりとラッパの音を響かせ走り去る。
 ぶらぶら歩くこと約10分。壬生寺や八木邸、前川邸に行き当たる。ここはかつての壬生村。幕末の歴史に名を残す「新選組」ゆかりの地だ。
 当時の壬生村はわき水も豊富で、京野菜の一つ、壬生菜の発祥の地ともされる。五山の送り火や花街・島原の明かりがチラチラと揺れる様子が見える農村だった。そんな村の郷士だった八木家や前川家に新選組は身を寄せ、「屯所」として活動拠点にした。
 市の有形指定文化財でもある八木家に入る。10畳の「奥の間」は豪胆な性格で知られた新選組初代筆頭局長、芹沢鴨の暗殺現場だ。深夜、愛人らと寝ているところを暗殺部隊に襲われた芹沢。あわてて跳び起き、縁側を伝って隣部屋に逃げ込んだが、文机につまずき転んだところを刺されて落命した、とされる。
 芹沢の足をすくった文机や追い太刀でできた鴨居(かもい)の刀傷も残る。事件は1863年。その約半世紀後に嵐電は走り出し、さらに100年。疾風怒濤(どとう)の時代の空気は、深緑色にこけむした庭から流れ込む清明な風に洗われ、今はただ静かである。

   ◇  ◇

 次は西院駅です。

 「五山の送り火や花街・島原の明かりがチラチラと揺れる様子が見える農村だった」というくだりで、御所方面だと思いこんで島原の灯に頭を下げてしまう近藤勇と土方歳三をすぐに思い出す自分は、大河ドラマ『新選組!』に、いまだどっぷりです^_^;。
 時代劇専門チャンネルで鶴田浩二さんが近藤勇を演じる『新選組』を再放送で見ています。NET『新選組血風録』で一世を風靡した栗塚旭さん演じる土方歳三、左右田一平さん演じる斎藤一、脚本・結束信二さんとか、音楽・渡辺岳夫さんとか、すごく好みなキャスト・スタッフが多いんだけど……どうも入り込めません(; ;)。
 主役を全面的にヒーロー的に描いて周りは引き立て役という時代劇にお約束なパターンが苦手らしいです。『新選組!』でも主人公である近藤勇の美化はあったけど、試衛館ズ9人の群像劇というところが、自分の好みに合っていたんだなぁと、今さらながら思います。 


龍馬に会いたい:/1 風頭公園 /長崎
龍馬に会いたい:/1 風頭公園 /長崎
◇志士の“魂”感じて
 <船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、「長崎は、わしの希望じゃ」と、陸奥陽之助にいった。>
 坂本龍馬(1836~67年)を国民的英雄に押し上げた、司馬遼太郎さん(1923~96年)の小説「竜馬がゆく」の一節だ。この龍馬をイメージして彫刻家の山崎和國さん(74)=長崎市=が89年、風頭公園(長崎市)に銅像を建立した。
 当時、山崎さんは高校の美術講師。「龍馬活躍の舞台なのに銅像がないのはおかしい」と市民有志が全国から浄財を集め、山崎さんに依頼。「若者たちの熱意に応えたい」と高校を退職して制作に打ち込んだ。以来、彫刻に専念し、03年に日展会員。龍馬は山崎さん自身の人生も変えた。
 高さ3メートル。剣豪をイメージした太い腕。さらに大きな特徴は台座からはみ出た左足のブーツ。型破りな龍馬を表現したのに加え、もう一つの狙いがある。「見た人がつま先に触れる。台座も低くしたので、上って一緒に写真を撮ってもいい。龍馬の魂を感じてほしい」と山崎さん。志士の「熱」を伝えたい。

    ◇   ◇

 09年は長崎開港150年。10年はNHK大河ドラマ「龍馬伝」放送。維新回天の舞台・長崎に残る、志士らの足跡をたどる。【錦織祐一】(月2回掲載します)











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