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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日のニュース検索では、11日に函館で行われた箱館戦争戦没者慰霊祭の記事がかかってきています。

北海道
箱館戦争の戦没者 市民らが供養
 旧幕府軍と明治新政府軍が戦った箱館戦争(一八六八-六九年)の戦没者の冥福を祈る供養祭が十一日、「箱館戦争供養塔」のある五稜郭タワー(函館市五稜郭町)で行われた。(上野香織)
 同タワーの主催。供養祭は、新政府軍による箱館総攻撃が行われ、新撰組副長の土方歳三が命を落とした旧暦五月十一日にちなみ、毎年開催している。今年で三十八回目。十六、十七の両日に開かれる箱館五稜郭祭の成功祈念も兼ねている。
 箱館五稜郭祭実行委員会や市内の企業、箱館戦争にゆかりのある市内の町会などから約六十人が参列した。冒頭、同タワーの中野豊社長が「両軍戦没者の御み霊(たま)安らかならんことを念じます」と祭文を読み上げた。続いて、観音寺(市内富岡町)の僧侶六人が読経する厳かな雰囲気の中、参列者が次々と焼香し、戦没者の霊を慰めた。
 一方、市内船見町の高龍寺でも同日、箱館戦争で亡くなった、旧幕府軍の会津藩士を弔う碑前祭が開かれ、函館福島県人会の会員ら約二十人が同郷の先人の霊に手を合わせた。


箱館戦争 戦没者の供養祭
 箱館戦争(1868―69年)で新政府軍による総攻撃が行われ、新撰組副長土方歳三や多くの兵士が戦死した11日、函館市内各地で戦没者の供養祭が行われた。参列者は無念の死を遂げた犠牲者に思いをはせながら、祭壇に手を合わせ冥福を祈った。

○…同戦争で亡くなった会津藩士を祭る「傷心惨目(しょうしんさんもく)の碑」がある高龍寺(船見町、永井康人住職)では、函館福島県人会(熊坂成剛会長)が藩士たちを供養する「碑前祭」を行い、参列した20人が戦没者のみ霊を慰めた。
 1869(明治2)年5月11日、箱館病院の分院となっていた同寺に新政府軍が乱入して傷病兵らを殺傷して放火し、多くの会津藩士が犠牲になった。80(明治13)年に旧会津藩有志がこの碑を建立。1962年に発足した同会が80年から毎年供養に訪れている。
 この日はあいにくの雨で急きょ社務所内に会場を移し、同寺の監寺日比優道老師ら僧侶4人が読経する中、参列者が焼香した。熊坂会長は「幕府軍の人たちの思いがどうだったか考えながら手を合わせた。碑前祭が何十年も続き、県人会の先輩たちの思いがつながってきたことに感謝している」と話していた。


福島
会津の心「流星雨」若松の石原さん作詞
 「越冬つばめ」などで知られる会津若松市出身の作詞家石原信一さん(60)が会津藩士の娘を題材に詞を書いた。
 戊辰戦争後に会津から斗南藩(現在の青森県むつ市など)に渡り、苦難を生きた女性を描いた「流星雨(りゅうせいう)」。
 堀内孝雄さんが作曲し、石川さゆりさんが歌う。
 「流星雨」は芥川賞作家津村節子さんの同名小説に触発され作った。
石原さんの祖先も斗南藩に移住しており、会津人としての思いを込めた。
 作曲した堀内さんは白虎隊をテーマにしたテレビドラマの主題歌「愛しき日々」を歌っており、会津で人気が高い。
加えて、石原さんが「りんとしたたたずまいと歌唱力」とたたえる石川さんが歌うことで、会津にふさわしい作品に仕上がったという。
石原さんは11日、会津若松市役所を訪れ、作品の完成を菅家一郎市長に報告した。
 「流星雨」は20日発売の石川さんのアルバム「さゆり4」に収録。
石原さんは会津若松市制110周年の記念の歌として活用することを快諾した。


東京
幕末から現代まで “旅”がテーマの写真展開催!
幕末から現代に至るまで、当時の写真家たちが撮り下ろした作品を“旅”をテーマに編纂&一挙公開!

 日本における写真の黎明期である幕末から現代に至るまで、当時活躍した写真家たちによる多くの作品を所蔵する「東京都写真美術館」。同美術館のコレクションから“旅”をテーマに作品を厳選し一挙公開する写真展が開催。
  展覧会は、約半年かけて3部作で展開される。第1部「東方へ 19世紀写真術の旅」では、幕末から明治半ばにかけ外国人のお土産としても重宝された、“神秘の国・日本”を捉えた手彩色写真などを紹介。第2部「異郷への旅」では、荒木経惟らによる日本の風景を。第3部「異邦への旅」では、福原信三によるパリの風景や、渡辺義雄による生き生きとした海外の街角スナップなどが披露される。
  写真ファンはもちろん、歴史好き&旅好きの好奇心も満たす充実のラインナップに注目!


長野
信州ゆかりの河鍋暁斎・暁翠 作品展
 須坂市穀町の田中本家博物館が、幕末から明治時代にかけて活躍した絵師、河鍋暁斎(1831-89年)と、娘の暁翠(1868-1935年)の作品展を開いている。長野市内の旧家で見つかった畳4畳分の大きさにもなる暁翠の大作を初公開するなど、計30点余が並ぶ。25日まで。火曜休館。


島根
松江誕生物語 : (28)雨森家の寄贈品
貴重な品々が物語る藩史

 今回紹介する雨森(あめのもり)家は、島原藩(長崎県)で起きた日本史上最も大規模なキリシタン一揆の島原・天草一揆(島原の乱、一六三七-三八年)で、キリシタンらが立てこもった原城本丸に、一番乗りした戦功で松平松江藩初代藩主・直政に召し抱えられた藩士の家。歴代藩主に仕えた雨森家には、戦国時代から幕末に至る史料が保存され昨年、同家の子孫・清矩氏(富山市在住)から松江市に五百二十一点の古文書と資料が寄贈された。

 その中には、戦場で松平家の存在を示す旗や陣羽織など、貴重な史料が多い。寄贈品が物語る同家と松江藩の歴史をひもとく。

(写真・文 本社報道部 伊藤英俊)

(中略)

レザノフ一行図

 幕末になると外国船の来航が頻繁になり、国内に緊張が走った。

 雨森家に伝わるロシア人図には、ロシア使節のレザノフ(一七六四-一八〇七年)とその一行が登場する。松江藩の軍備や防衛を担当した同家が、異国船に対する警備のため、情報収集する一環で入手したとみられる。国内でレザノフの絵が多数見つかっている中で、丹念に描かれている。

 レザノフは、文化元(一八〇四)年に日本と通商樹立を求めて長崎に来日するが、幕府から拒絶され、報復としてロシア軍艦が蝦夷地周辺を攻撃する。その後、生じたロシア艦長ゴローニン人質事件などで日ロ関係はさらに悪化していった。





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