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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
ほぼ一ヶ月ぶりの幕末ニュースです。
 2003年末に当ブログを開設し、干支で一回りしました。当初は大河ドラマ『新選組!』の感想と幕末関係ニュース中心にやってきました。最近は関心が落語と歌舞伎に移り、なかなか幕末関係ニュースをまとめられていませんが、細々ながらも十年以上続いているということが当ブログの特色と思い、引き続き細々とやっていきます。史実の土方歳三さまへの片想いは、16年続いておりますし。

埼玉
新選組「近藤勇」捕縛の古文書、熊谷では手控帳に 収集資料に同じ記載 郷土史家・佐藤さん /埼玉
 幕末期に反幕府勢力の取り締まりに活躍した新選組局長・近藤勇が千葉県流山市で捕らえられた状況を示す古文書が長野県佐久市の池田信二さん(76)宅で見つかったことを本紙埼玉版(11月17日付)が報じていたが、熊谷市でも同様の史実を記した文書が発見された。岩村田藩(佐久市)藩士らが、近藤ら「悪党共」を取り押さえたとする内容で、本紙記事を読んだ熊谷市新堀の郷土史家、佐藤繁さん(74)が自身の収集資料にも同様の記載があると、池田さんに連絡して判明した。【鴇沢哲雄】

 佐藤さんは江戸時代の武家社会の研究をしている。7年ほど前に前橋市の古書店で数百点の文書類を購入していたが、その中に含まれる大福帳型の「手控帳」に近藤が捕らわれた際の記述があった。

 手控帳は縦18センチ、横13センチ、厚さ2センチ。表紙には「慶応四年 辰二月」とあり、佐藤さんは、持ち主として記された「大林村(現越谷市)」の「弥五郎」は「名主」ではないかと推測する。内容は雑記帳で、日光・奥州街道を往来する大名や宿場間の連絡事項、人足への支払いなどさまざまな事項を記している。

 この中に「御官軍 池田権之助様 堀恭之進様」とあり、岩村田藩「家老代」と記されている「権之助」は、戊辰戦争の際に関東出兵した同藩の指揮官の一人。同藩の73人の行動として「辰四月一日夜千住宿御泊り 同二日当宿御通行粕壁宿御泊り 同三日当宿御通行にて流山ヘ来たり悪党共取り押さえ大沢町ヘ御立戻り 翌四日当宿御出立して粕壁宿へ」などと書かれ、近藤らを指す「悪党共」を取り押さえる前後の立ち寄り先として「当宿」(越谷宿)「粕壁宿」(春日部宿)「大沢町」(越谷)が登場する。

 佐藤さんは「手控帳は書状などの写しではなく、さまざまな情報の一部として官軍の動きを記録したものではないか」と分析。この内容は、佐久市の池田さん宅で見つかった古文書の内容と一致している。

 今月7日には、池田さんや、池田家文書を研究している川口市の郷土史家・伊澤隆男さん(74)、熊谷市で江戸時代から豪農として続いてきた根岸家第17代当主の友憲さん(72)が集まって文書の内容を確認。今回の新発見を喜び、今後も史実発掘で協力していくことを約束した。

北海道
新選組の歌冊子に 函館の湊さん、歳三の「辞世の句」含め32首
【函館】函館市美原2の「詩吟朗詠水月流賢心朗吟会」会長、湊賢心(みなとけんしん)=本名・賢一=さん(76)が、新選組副長で、箱館戦争で戦死した土方歳三の「辞世の句」とされる和歌を含め、新選組隊士の歌32首を詩歌構成吟「箱館新選組隊士たちの和歌集を詠む」として冊子にまとめた。

 詩歌構成吟は幾つかの漢詩や和歌をテーマに基づいて組み合わせ、吟じる方法。湊さんは毎年1冊、構成吟の冊子を作っており、今回で9作目となる。

 土方歳三の辞世の句はこれまで「たとひ身は蝦夷(えぞ)の島根に朽ちるとも魂は東(あずま)の君やまもらん」が広く知られており、湊さんも舞台でたびたびこの歌を吟じたことがあるという。

 しかし、知人から「別の辞世の句が見つかった」と聞かされて興味を持ち、幕末期の人物の書状などを展示している京都市の「霊山(りょうぜん)歴史館」から、その句が載った2013年発行の紀要を取り寄せた。

 紀要によると、土方の辞世の句は最後まで行動を共にした隊士島田魁がまとめたとする歌集の中にある。これには隊士32人の歌が収められ、このうち土方の歌は「鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照るかと」。箱館戦争の総攻撃の前夜、旧幕府軍の幹部が集まって開いた宴席で詠んだ可能性が高いとしている。

 「本当に土方の辞世の句かはわからないが、こちらの方が最後の戦に向かう心象が歌われているように思う」と湊さん。この1首のほか、隊士31人の31首についても苦心しながら現代語に解釈し、1冊にまとめた。「函館にゆかりのある土方に、こういう歌もあると知ってもらえたら」と話す。

 冊子はA4判、36ページ。希望者は湊さん(電)0138・47・8625へ。(内田晶子)

「幕末の三筆」貫名菘翁展 来年3月まで札幌で /北海道
「幕末の三筆」の一人、貫名菘翁(ぬきなすうおう)(1778〜1863年)の書画作品を集めた特別展が小原道城書道美術館(札幌市中央区北2西2セコム損保札幌ビル2階)で開かれている。

 貫名菘翁は、江戸時代後期を代表する文化人で、四国・徳島で生まれた。高野山に入り、空海の書を学び、30代に儒学(朱子学)を教える私塾を京都で開いた。書画をはじめ儒学、漢詩に通じ、特に書は同時代に江戸を拠点とした巻菱湖(まきりょうこ)、市河米庵(いちかわべいあん)とともに「幕末の三筆」と称揚される。晋唐風の中国古典を追究した書風は、明治時代に活躍した書家、日下部鳴鶴(くさかべめいかく)、さらに鳴鶴の門人の比田井天来(ひだいてんらい)へつながり、現代書道に大きな影響を与えた。

 今回の特別展は、美術館所蔵の作品群の中から計44点を公開。蘇軾(そしょく)作の漢詩「赤壁賦」を記した六曲屏風(びょうぶ)をはじめ、漢詩に山水画を添えた掛け軸、扁額(へんがく)など快作が一堂に展示されている。同館の宮田成生事務局長は「貫名菘翁の作品がこれほどまとまって鑑賞できる機会は少ない。江戸時代一流の教養人による温雅秀麗な書画をぜひ堪能していただきたい」と話している。

 会期は来年3月31日まで(火曜日、26日〜1月12日は休館)。入館料は300円(大学生以下無料)。問い合わせは日本書道評論社(011・552・2100)。【坂本智尚】

高知
以蔵の合祀巡る文書 県護国神社で発見
◇明治政府の却下裏付け
 幕末に土佐勤王党に所属し、敵対する人物を暗殺したことから、「人斬り」との異名で知られる岡田以蔵(1838~65年)。明治期、旧勤王党員らが、以蔵を靖国神社や大島岬神社(高知県護国神社)に合祀ごうしし、顕彰するよう求めていたことを裏付ける資料が県護国神社で見つかった。このとき、以蔵の合祀は実現しなかったが、合祀を巡る具体的なやりとりの記録の原本が見つかるのは初めてという。

(畑本明義)

 武市半平太ら維新を巡って亡くなった土佐藩の関係者80人は、1883年(明治16年)、戊辰戦争の戦死者以外では初めて、靖国神社と大島岬神社への合祀が決まった。しかし、以蔵は勤王党員だったにもかかわらず、合祀されなかった。

 今回見つかった資料は、85年(同18年)に、田中光顕や土方久元ら中央で活動していた旧土佐藩関係者らから地元の旧勤王党員らに宛てた手紙と、旧勤王党員で後に警視総監も務めた西山志澄らが86年(同19年)に、現在の県知事にあたる県令の田辺良顕に宛てた手紙の控え。県護国神社宝物管理学芸員の松岡司さんが、神社に保管された「南海忠烈碑建碑関連文書」の中から見つけた。

 資料によると、田中らは「合祀からもれた諸士について、県令からまだ上申がないが、どうなっているか」と県令を通じて政府に合祀を上申するよう催促。これを受け、西山らは、以蔵や近藤長次郎ら6人について「国事に殉じたが、不幸にして栄典にもれ、いまだに安らかな眠りにつけないでいる」と、合祀を上申するよう田辺に願い出ている。また、その後89年(同22年)に、高知県知事名で「岡田以蔵を除くの外」として、以蔵を除く5人に合祀の許しが出たことを伝える公文書の写しもあった。

 以蔵は、京都で捕らえられ、土佐勤王党を弾圧する土佐藩の拷問を受けて自白したことが、勤王党の同志の逮捕につながったとされる。以蔵は、1983年になって県護国神社に合祀が認められたが、近藤長次郎らも名を刻まれる同神社内の顕彰碑「南海忠烈碑」には、今も名がない。

 松岡さんは、今回の資料について「以蔵の顕彰を政府側が却下したことの裏付けとなる資料だ」とし、「政府での顕彰作業の中心人物だった田中光顕はかつて勤王党員だった。以蔵の自白が武市半平太や、ほかの勤王党員を苦しめたことから、顕彰は認めることはできなかったのだろう」と話している。
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ホラー苦手なんだけど、仮名手本忠臣蔵の外伝としての「東海道四谷怪談」に興味を持った。民谷伊右衛門は塩冶家の家臣だけど犯罪に手を染めてどんどん真っ黒になっていき、塩冶家元家臣で討ち入り四十七士のひとりに肉親の仇として討ち取られていく。単なる怪談話ではないんですね。

(評・舞台)国立劇場12月歌舞伎公演「東海道四谷怪談」 染五郎のお岩、髪梳きに迫力
東海道四谷怪談 不気味さ出す幸四郎=評・小玉祥子
松本幸四郎が「東海道四谷怪談」
雪が降る原点回帰の「四谷怪談」 松本幸四郎、23年ぶり伊右衛門 お岩は市川染五郎
松本幸四郎と市川染五郎が東海道四谷怪談 東京・国立劇場で
<歌舞伎>冬の「四谷怪談」 染五郎「お岩」に初挑戦
松本幸四郎、市川染五郎共演の12月歌舞伎『通し狂言 東海道四谷怪談』
染五郎お岩さんが宙舞う 戦後初 冬の「四谷怪談」

 仕事でテレカンが入って最初の一時間をスキップ(; ;)したが、二幕目には間に合った。

 仕掛けに工夫があり、お岩の宙乗りは下半身がないように見える吊り方、逆さに吊って関係者を吊り上げて取り殺すなど、なかなかスペクタクル。二階席にいたのだが、中央付近のお客様がいじられたようで悲鳴が(汗)。

 忠臣蔵の討ち入りで幕になり、大団円というか恐怖譚で縮み上がった気持ちを晴れやかにする演出(現実は集団で老人を闇討ちする事件なんだけどな……)。
18時30分開演、21時30分過ぎ終演でサービスてんこ盛り。

赤めだかトーク・蝦蟇の油/談春
 「赤めだかトーク」はツイートできない面白ネタ満載。
 そして、蝦蟇の油を談春さんがかけるというのもレアで私は初聴き。きゃー。

トーク
 立川談春
 濱田岳(志らく役)
 宮川大輔(関西役)
 北村有起哉(談々役)

 濱田岳さんが、落ち着いて座っていられない、人の話をあまり聴いてない、などなど困ったちゃんでそれが一層爆笑を引き起こしてました。

芝浜/談春
 中入前も長く引っ張って大丈夫かと思ったけど、さらにこってりたっぷりな「芝浜」。特に、大晦日の夫婦の場面が長くたっぷりで、望陀の涙。
心覚え程度に。

歌舞伎美人 十二月大歌舞伎 歌舞伎座

妹背山婦女庭訓

 「三笠山御殿」を今年の平成中村座で観ていましたので、初見の「杉酒屋」も「道行恋苧環」もす〜っと頭に入りました。

 「杉酒屋」「道行恋苧環」のお三輪は七之助さん。顔の小ささ、首の長さが際立って、凛とした姿。うーん、町娘よりも深川芸者が似合うわ。演劇に造詣の深い友人が「顔よし、姿よし、声よし」と言っていた(ついでに、勘九郎も声よし、海老蔵と染五郎は力むと声が割れる、とも言っていた)。

 児太郎さんの赤姫姿、松也さんの美男ぶりもよく、三人揃う道行の場面の素敵なこと。

 そして「三笠山御殿」のお三輪は玉三郎さん。純情一途な恋に燃える田舎娘のお三輪と、嫉妬に狂う一瞬、そして刺されて息絶える前にまた純な娘に戻るところ、さすがに素晴らしい。

 これは江戸歌舞伎の荒事ならではの特徴なんだろうけど、お三輪が息絶えた後の金輪五郎と警備兵の立ち回り、トンボ切って勇壮なんだけど……お三輪が死んだ後の余韻もなければ、命を捧げられた求女こと藤原淡海が感謝したり惜しんだりする場もなく、蘇我入鹿が滅ぶ場もなく、何だか「俺たちの闘いはこれからだ」的な幕なのは、私的には納得いかないなぁ。
志の輔さんトリの昼の部と談春さんトリの夜の部。かなり雰囲気の違う会でした。

談吉「孝行糖」
 ネタとしては知っていたが寄席でもあまり聞いてなかったので、楽しんだ。与太郎のおじさんの言い立てがすごい。与太郎は小石川の水戸様の屋敷前を通るのね。

志遊「四人ぐせ」
 これもネタとしては知っていた(朝ドラ「ちりとてちん」が流れた時に関西落語の知識が増えたので、たぶんその頃)が初めて聴いた。上方落語を江戸落語につくり直して演じるスタイルなのね。

生志「反対俥」
 私的にはつい先日亡くなった圓蔵師匠の十八番ネタだけど、生志さんのも好き。

談四楼「一文笛」
 なんと「米朝師匠追悼」ネタ。しんみり。

~仲入り~
口上(左寄り司会:生志、志の輔、錦魚改め小談志、龍志、談四楼)
 皆さん結構はじけてました。

龍志「駒長」
 なんと「志ん朝師匠追悼」ネタ。「庖丁」に似ている美人局のお噺。しっとり艶っぽい感じ。

志の輔「ディアファミリー」
 なんと「新作やります」。5年ぶりに聴いた。爆笑し、そして家族の葛藤と愛にほろり。

 誰も家元に習ったネタをかけない昼の部(爆)。

 夜の部

キウイ「寿限無」
談修「目黒のさんま」
 ……すみません、蕎麦屋で二合飲んじまったせいで、記憶が飛びました。。

雲水「犬の目」
 関西弁でさらにカリカチュアライズされた。

左談次「天災」
 やはり立川流創設前の師匠、寄席で聴いてもいいだろうなぁ。

〜中入り〜

口上(左寄り司会:雲水、談春、談奈改め左平次、左談次、談之助)
 家元が亡くなった後に左平次さんを預かる以前に弟子を取ったことがなかった左談次師匠が江戸前で照れてました。
 そして、談春さんが言うには、家元の直弟子たちを真打ちにするまでは、落語立川流は一緒にやっていこうという申し合わせ的なものがあるようです。そこから先は流れ解散的な??
 昼の部の爆笑編とは違う雰囲気でした。

談之助「とんちき」
 珍品。廓噺で、戦時中に禁演落語として自主規制されたネタのひとつ。「面白くない」から。「五人廻し」を面白くなくしたような……ネタ。

談春「三軒長屋」
 ドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」に続いて「下町ロケット」で演技力が話題となり、さらにエッセイ「赤めだか」のドラマ化が12月28日放映に決まって、とてもご機嫌な師匠。
 「三軒長屋」の序……ですかね。質屋の旦那が鳶頭と道場主を追い出そうと思っていることをお妾さんに匂わせたところでサゲ。たぶん熱が入って持ち時間が来てしまったからだと思います。
 でも活写ぶりが素晴らしかった。特に鳶頭のおかみさんと若い衆たちのやりとりが。

 夜の部のネタも、あまり家元とは関係なかったような。でもいいと思います、個性が発揮できれば。
今回、長野で新史料発見。「新政府軍が流山で近藤を捕らえ、『越谷』経由で『板橋本陣』に送り『彦根藩に引き渡した』」という内容。近藤勇が板橋本陣で処刑された時は彦根藩預かりだったのでしょうか??

長野
近藤勇:千葉で捕らえ彦根藩へ 佐久・池田家で文書発見 広大・久保田教授ら 旧岩村田藩士らの動き記録 /長野
 幕末期に反幕府勢力の取り締まりに活躍した新選組局長・近藤勇が千葉県流山市内で捕らえられた状況などを記した明治期の文書が佐久市塚原の池田信二さん(76)方で発見された。旧岩村田藩(現佐久市)の藩士を含めた新政府軍が流山で近藤を捕らえ、「越谷」経由で「板橋本陣」に送り「彦根藩に引き渡した」とする内容で、専門家も「貴重な資料」とお墨付きを与えている。

 池田さんは、岩村田藩に仕えた池田家の子孫。10代目当主の父信一郎さん(故人)が、新政府軍と旧幕府勢力が戦った戊辰(ぼしん)戦争での岩村田藩の動きを手書きしたノートを残しており、藩兵らが中山道を往来して「蕨」や「春日部」で活動したとの記載があったことから、池田さんと高校時代の同級生で埼玉県川口市芝の郷土史家、伊澤隆男さん(74)が興味を持ち、池田さん方で原本を探していた。

 今回の原本探しには江戸期の文学を専門とする広島大の久保田啓一教授(55)も協力。江戸初期から明治にかけた数多くの文書類を整理し、原本を見つけた。

 見つかった原本は明治政府が1872(明治5)年に全国に発した国史の編纂(へんさん)令により、池田家8代目当主の清兵衛善教(よしのり)が6年の歳月をかけて調査し、県に報告した記録だった。

 今回、原本で裏付けられた内容によると、岩村田藩の73人が1868(慶応4)年3月6日、岩倉具視総督の要請で関東に出兵。同11日に桶川、翌12日に蕨を経て、新政府軍の本陣があった板橋に至り、4月14日まで本陣の宿舎の警護にあたった。

 この間の4月1日、岩村田藩士らは宇都宮への出陣命令を受け、夕方に千住に到着。夜半に幕府方の彰義隊の残党を捕らえた。2日に春日部に移り、3日に「流山村に賊がいる」との報で流山の酒造家に向かうと、大勢の幕臣とみられる士を発見した。

 この一団の中に近藤がいた。古文書には「(岩村田藩士らが)首領と対面し、銃八十七丁を引き渡させた。大久保大和(近藤の偽名)を捕らえ、越谷に護送の上、翌4日板橋本陣に送り、彦根藩に引き渡した」との内容が記されていた。

 岩村田藩は1703(元禄16)年、徳川譜代大名の内藤家が国替えで移って創設され、わずか1万5000石の小藩だった。

 2002年から池田家の古文書の整理を進めてきた久保田教授はこれまでに約1500件の文献目録を作成している。文書は日記や手紙、民俗・軍事に関する記録など多岐にわたる。公家や書家による漢詩など貴重な資料も含まれていた。

 久保田教授は「18世紀以降の生活や文化、土地の支配状況などが分かる貴重な資料ばかり。池田家文書がなければ、佐久市の歴史は語れない」と評価している。文書を保管してきた池田さんは「今後の研究のために役立ててほしい」と今回の発見を喜んだ。【鴇沢哲雄】

北海道
「箱館戦争」を観光ルートに 乙部の協力隊員が考案
【乙部】町の地域おこし協力隊員今昭人さん(54)が、乙部、木古内、森町の3町を中心に、箱館戦争ゆかりの地を巡る広域観光ルートづくりに取り組んでいる。来春の北海道新幹線開業に向け渡島、檜山の連携を強め、道南全体の観光を盛り上げる狙い。今さんは「本州からの交流人口拡大につなげたい」と意気込んでいる。

 今さんは5月から、乙部町内の「官軍上陸の地」の観光ガイドを担当。約半年で300人以上を案内し、箱館戦争に関心を持つ観光客が多いことを実感したという。

 箱館戦争の舞台は、函館市内の国特別史跡「五稜郭跡」や新選組副長土方歳三の戦死地以外にも、旧幕府軍と新政府軍の足跡が道南各地に残る。今さんは、ゆかりの地を結ぶルートは観光素材になると確信し、10月から木古内、森町などの観光関係者に協力を呼び掛けた。

 現在考案中のルートは「木古内口の戦い」のあった木古内発着で、乙部の「官軍上陸の地」、森町の「榎本軍鷲ノ木上陸跡地」などを巡る内容。それぞれ現地で、ガイドによる説明が受けられるようにする。10月下旬には鹿部町職員らを「官軍上陸の地」に案内し、ガイド方法や観光ルートの趣旨を説明した。

 今後は広域的なパンフレットを制作してルートをPR。将来的には函館や江差、松前、鹿部などのスポットも組み込み、内容を拡充していく考えだ。今さんは「修学旅行コースとしても売り込んでいきたい」と話している。(後藤真)

京都
龍馬ファン 酢屋で献杯
 幕末の志士・坂本龍馬の命日に当たる15日、京都滞在中に身を寄せていたことで知られる「酢屋」(中京区)で、偉業をしのぶ「龍馬祭」があり、ファンら約200人が参加した。

 酢屋は1721年創業。材木商と運送業を営んでいたが、6代目・中川嘉兵衛が土佐藩邸に出入りしていたのが縁で龍馬を迎えたとされる。この日は10代目の中川敦子さんが「今年は龍馬生誕180年の節目。今も学ぶことは多く、この場で思い起こしてほしい」とあいさつ。参加者は献杯した後、店の前に設けられた祭壇で手を合わせた。

 酢屋では30日まで、龍馬の手紙(重要文化財)の写本や弁当箱などを陳列する追悼展を開催。遺品を見て回った愛知県西尾市の会社員榊原崇さん(37)は「若くして活躍した龍馬のすごさが実感できた」と話していた。

奈良
幕末ウオーク:梅田雲浜ゆかりの地散策 15日、夢咲塾 大和高田 /奈良
 大和高田市のまちづくり団体「夢咲(ゆめさき)塾」(水本一次代表)は15日、幕末に活躍した尊皇攘夷派の志士で、今年生誕200年を迎える梅田雲浜(うんぴん)(1815〜59)の足跡をたどる「幕末ウオーク」を開く。参加無料。

 雲浜は現在の福井県小浜市生まれ。大和高田市の豪商・村島内蔵進の娘千代子を後妻に迎え、村島宅などに仮住まいして高田と長州藩との物産交易を仲介。大老・井伊直弼による「安政の大獄」で獄死した。

 幕末ウオークは、大和高田と縁がある雲浜を広く知ってもらおうと企画。午前9時に大和高田さざんかホール(同市本郷町)に集合。市内にある雲浜の顕彰碑などゆかりの地を散策する。問い合わせは水本代表(080・5301・8286)。【山本和良】

岡山
元・気・人:幕末の新たな漂流記を見つけた倉敷市職員、山本太郎さん /岡山
◇史料発掘し地域の歴史に光を 山本太郎さん(54)

 鎖国中の19世紀半ば、乗っていた船が漂流し、米国の商船に助けられた後、サンフランシスコや上海などを巡って帰国した備中地域出身の船乗り「徳兵衛」の物語。帰郷後に徳兵衛が町民に語った体験が記された「漂流記」があった。倉敷市歴史資料整備室の責任者として、津山市史の編さんに協力して津山郷土博物館(津山市)で調査していた今春、所蔵品の中にA5判約40ページに及ぶ史料を発見。「本当にこんな偶然があるんだ」と、史料を手に取った時の驚きを振り返る。

 数奇な運命をたどった徳兵衛だが、漂流当時は徳兵衛含め17人おり、これまで他の漂流仲間への聞き書きなどを基に多くの書籍で描かれてきた。見つけた史料はその後、これまで知られていないものだったと判明。「幸運な偶然が、県内で徳兵衛の調査が進む契機になれば」と期待する。

 倉敷市出身で、東京大で日本史を学んだ。近世史が専門だったが、大学の講義にはあまり興味が湧かなかったという。レスリング部の活動に力を入れ、主将も務めた。「学生時代のトータルの成績は勝ち越しでした」と胸を張る。

 予備校時代の日本史の講師が岡山県史編集に携わっていたことから、学生時代の夏休みに誘われ、史料調査で県内を歩き回った。「生の資料に接し、史実を発見するおもしろさを実感した」という。

 市に就職後、「新修倉敷市史」の編集に携わり、2005年に完結させた。その後も歴史資料の調査・保管や展示、研究誌「倉敷の歴史」発行などを続ける。「近世の倉敷は地主制が発達し、旧家に史料が大量に保管され、読むたびに新しい発見がある。さらに史料を掘り起こし、地域の歴史に光を当てたい」と話す。【小林一彦】

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 「新修倉敷市史」は、旧3市合併(1967年)による新市発足20周年記念事業の一環として89年に編集作業が始まった。94〜2005年に計13巻が発刊された。編集には約50人の専門家が携わり、県内市町村史として突出した充実度を誇る。

高知
坂本龍馬:「長刀兵法目録」公開へ 北辰一刀流から授与
 幕末の志士・坂本龍馬(1835〜67年)が剣術の流派「北辰(ほくしん)一刀流」から授与されたなぎなたの免状「長刀兵法目録」が今月13日から、高知県香南市のテーマパーク「アクトランド」で一般公開される。個人所有だったが、入手した同ランドが幕末維新史に詳しい京都国立博物館の宮川禎一・列品管理室長に初めて本格的な調査を依頼した。宮川室長は「まだ無名だった龍馬の江戸での修行時代を伝える一級の史料だ」としている。

 長刀兵法目録は長さ270センチの巻物仕立てで、書かれた時期は安政五(1858)年と記されている。「駒返」「金剛剣」など、長刀の技と思われる21項目のほか、流派開祖の千葉周作や師匠で周作の弟、千葉定吉らの名が記されている。また、龍馬の婚約者と伝えられる定吉の娘の佐那(さな)の名もあった。剣術に関する皆伝は坂本家の子孫が火災に遭って焼失したとされる中で、貴重な現存史料となる。

 宮川室長は「定吉自らの筆で、先祖の系譜も丁寧に書かれている。龍馬の実力が認められたからこそ与えられたのだろう」と分析。定吉の子孫の稲岡麻衣さん(33)=東京都東村山市=は「祖先が龍馬さんに渡した目録がきれいな状態で残っていたとは大変光栄だ」と話している。【岡崎英遠】

日本酒「極印龍馬」発売 幕末の英雄・今年生誕180周年
 坂本龍馬生誕180周年となる今年、「龍馬」の名前を冠した日本酒「極印龍馬」が発売され、坂本家9代目当主の坂本登さんらが出席して銀座の高級サロン「一徳」で発表会が行われた。

 本商品は、ラベルの「龍馬」という字は登さん本人が手がけ、日本酒は京都で340年の歴史を持つ酒蔵「増田徳兵衛商店」が製造。やわらかい口当たりで、口の中で米の豊かな香りが広がる日本酒に仕上がった。

 増田徳兵衛商店14代目当主の増田徳兵衛さんは「万国共通で、食事や会話が楽しめるお酒をイメージしました」と商品をPR。登さんも「このお酒で日本の心を世界に発信できれば」と語った。本商品は「化粧箱入り」(3700円税別)ほか、計5種類で展開する。販売は公式サイト(http://www.ryoma-sake.com/gokuin/)などで展開する。

幕末〜明治期の古写真が無料ダウンロード!幕末の写真家 日下部金兵衛による美しい日本の姿
江戸時代後期〜明治期の日本の写真文化を語る上で外せない人物がいます。古写真ファンにとっては知られた存在なのが、日下部金兵衛。

日下部金兵衛は江戸時代末期から昭和初期にかけて活躍した写真家。横浜のフェリーチェ・ベアトの写真スタジオで着色技師として1863年まで働いた後、1881年には自身の写真スタジオを開きました。
ベアトの弟子、日下部金兵衛が撮影した着色写真はニューヨーク公共図書館のNew York Public Library Deigital Collectionに作品がストックされています。モノクロ写真に手作業で着色した写真は、独特の雰囲気で素敵。1880年ごろから1890年頃までの日本の風景を切り取った貴重な写真が102枚。現在も人気の観光スポットや、美しい日本の風景、当時の人々の様子を伝え、私たちの心を奪います。
当時、外国人の土産用に売られることも多かった着色写真は彩色写真、横浜写真とも呼ばれ、金兵衛の制作したアルバムは、表紙に蒔絵や螺鈿細工を施し、かなりの評判となり外国人に人気となりました。実は日本ではあまり知名度が高くなかった日下部金兵衛。多数の作品が海を渡っていたため、海外では「Kimbei」として広く知られていたそうです。

現在公開されているコレクションの中から幾つかの作品をピックアップしてご紹介します。ページ最後にはダウンロード方法もご紹介していますので是非チェックしてみてください。

New York Public Library Deigital Collectionで公開されている写真は無料でダウンロード可能です。こちらのページにアクセスし、写真のサムネイルをクリックして詳細ページの画像の下にある下向き矢印の箱の形のアイコンをクリック。DOWNLOAD OPTIONSから希望のサイズをクリックすると自動的にダウンロードがスタートします。

サイトにはご紹介した他にも魅力的な写真が多数。今も変わらない姿を残すもの、現在は失われてしまった風景、当時に思いを馳せつつご堪能ください。

Japan. – NYPL Digital Collections

日本の文化と「今」をつなぐ – Japaaan

幕末の偉人たちがジャンプ作家になった「幕末のジャンプ」が圧倒的な完成度
日本一の少年マンガ誌「週刊少年ジャンプ」。これがもし幕末にあったら? Twitterユーザーのスエヒロさんが考案した「幕末のジャンプ」がハイクオリティです。

【平安時代のジャンプほか】

 坂本龍馬から吉田松陰、ペリー、沖田総司に至るまで、江戸時代末期の偉人たちがジャンプ作家になったケースを想像。巻末コメントの1ページのみですが、それぞれの個性が生かされていて興味深いです。タイトル一覧は以下のとおり。

・坂本龍馬:「バクマツ。」

・吉田松陰:「獄中先生しょ〜いん」

・近藤勇:「幕末リーダー伝いさみ!」

・桂小五郎:「逃げる!お兄さん」

・ペリー:「くろふねっ」

・徳川慶喜:「バクフの王子様」

・西郷隆盛:「サイゴゴゴーゴ・ゴーゴゴ」

・土方歳三:「トシの奇妙な冒険」

・篤姫:「大奥ゾーン」

・勝海舟:「無血開城る」

・大久保利通:「トシミチの碁」

・岡田以蔵:「ピャーと斬る!イゾウ」

・沖田総司:「DEATH SWORD」(作者急病のため休載)

 どれも傑作の予感がヒシヒシとします。特に「トシの奇妙な冒険(土方歳三)」は絶対名作だろ! あらためて提示されると、土方歳三が荒木飛呂彦先生本人に見えてきます。この視点はなかった。

 なお、こうしたジャンプ×歴史ネタはスエヒロさんの18番。過去にも「平安時代のジャンプ」「徳川将軍だらけのジャンプ」などステキな妄想を披露しています。

『明治大正史 上・下』 中村隆英著
人物並べ克明に語る

 上下2巻、約800ページに及ぶ近代日本黎明れいめい史の大著だ。とはいえ講義録だけに言葉は平明、教室でそれを聴くようにすらすらと頭に入る。教壇に立つのは、統計学および数量経済史の大家として東京大学で長く教鞭きょうべんをとり、エコノミストとしても活躍した中村隆英氏。

 歴史の分野では大佛次郎賞をとった名著『昭和史』(東洋経済新報社、1993年)を残して一昨年に鬼籍に入られたが、実はそれにつながる『明治大正史』の口述筆記が存在していたことがわかった。本書はその公刊である。

 各巻末に置かれた主要登場人物の索引。西郷隆盛、渋沢栄一、福沢諭吉、島崎藤村、九代目市川団十郎……。幕末から大正にいたる政治家・思想家から実業家、芸術家や芸人まで、幅の広さに驚くとともに、これこそが本書の最大の特長を物語っていることに気づかされる。

 歴史叙述の話法として、従来二つの主流があった。一つは学者が書く歴史。マルクス主義などの歴史理論に当てはめて、たとえば日本の近代化は経済の後進性ゆえに歪ゆがんだなどと説く、分析的な叙述である。もう一つは物語としての歴史で、劇や小説の姿をとる。こちらは玉石混じるだろうが、日本の近代史に関していえば、司馬遼太郎『坂の上の雲』というマスターピースを私たちは持っている。

 あるいは前者に反発し、ときに後者に寄り添いつつ、だがどちらにも属さない第3の流れとして、驚くほど深く幅広い著者の知の泉からこんこんと湧き出したのがこの本の叙述だ。幕末から明治へ、日清・日露の戦争を経て大正へ。政治・経済・文化が相互不可分にからみあった歴史の流れを、さまざまな登場人物の生きかたを並べることによって克明に描き出す。良い意味での学者的な知に根ざしつつも、温かな共感をもって大正までの日本の歩みをつづった、もう一つの『坂の上の雲』といえる。過去から今を見据える1冊となるだろう。

 ◇なかむら・たかふさ=1925~2013年。著書に『日本経済―その成長と構造』など。

 東京大学出版会 各3000円
テレビ朝日系で放送中の「サムライせんせい」面白いです。錦戸亮が演じる、現代にタイムスリップしてきた武市半平太も面白いし、先に現代にタイムスリップしてすっかり現代人になりきっている坂本龍馬(演・神木隆之介)も面白い。特に龍馬のチャラさ軽さはいい感じ。

関ジャニ錦戸主演「サムライせんせい」、原作の幕末大好き女子・黒江S介が語る世界観
 現在テレビ朝日系で放送中の関ジャニ∞の錦戸亮演じる幕末の志士・武市半平太が現代にタイムスリップして現代を痛快に斬りまくる金曜ナイトドラマ「サムライせんせい」。その原作マンガを生み出した黒江S介先生に直撃インタビューを敢行!
 S介先生は、実は幕末が大好きな若手女性漫画家。そんなS介先生が、自身が生み出した「サムライせんせい」の独特な世界観や登場人物像などを語ってくれた。
■志半ばで死んだ頑固一徹な武市半平太に「現代でやりたい事を楽しくやらせてあげたい」

現代にタイムスリップする幕末の志士・武市半平太 (c)Esusuke Croe/Libre Publishing
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――幕末の志士が現代にタイムスリップしてくるという、ありそうでなかった設定はどういうきっかけで漫画にしようと思われたんですか?

【S介】そうですね、元々幕末という時代が好きで幕末のお話を漫画にしようと思ったのが最初なのですか、幕末の漫画ってもう世の中に沢山あるので、新しい設定にしたいと。

幕末の志士は頑固一徹のサムライ、しかも志半ばて亡くなった方ばかりなので、彼らが現代にタイムスリップして楽しくやりたかった事を成し遂げるようなお話を書こうと思いました。

――幕末の志士は、坂本龍馬や高杉晋作など、様々な人物がいる中で何故、ドラマで関ジャニ∞の錦戸さんが演じられている武市半平太を主人公にしようと思ったんですか?

【S介】西洋文化が取り入れられた激動の時代にあって、「異国文化を排除し、神国日本は我々武士の手で守らなければ」といった信念を持っていたのが武市半平太なんです。

尊王攘夷派の武市に傾倒していた中岡慎太郎も、(武市らが最終的に捕縛されてしまった事の影響もありますが)「このままではいけない」と最終的には思想を変えている。武市は最後まで絶対に信念を変えること無く、志半ばでなくなったという、幕末に一番そぐわない存在だと思ったので、その頑固一徹な武市に、現代でやりたい事を楽しくやらせてあげたいなと。
■龍馬のイメージは「自分がいかに楽しめるかと思って行動する人物」

ジャーナリスト・楢崎として活躍する、坂本龍馬 (c)Esusuke Croe/Libre Publishing
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――ドラマで神木隆之介さんが演じている、坂本龍馬の設定についてはどうですか?一般的なイメージより柔軟で、現代にめちゃくちゃ馴染んでいますが(笑)

【S介】今一般的に言われている「英雄・坂本龍馬」のイメージが苦手で、こんな完璧な超人は居るはずが無いと……(笑)一介の浪人である龍馬が殿様に会って大金を借りてきたエピソードなどありますが、それがすべて龍馬一人の手柄だと賞賛されているのもなんだかな…と(笑)

坂本龍馬について調べれば調べるほど、要領の良さが際立つエピソードが沢山あって、どちらかと言うと英雄というよりは、実際は口が達者で日本の為というより、自分がいかに楽しめるかと思って行動するような人物像だったのではと考えました。なので、現代にタイムスリップしてきても楽しんでいるという設定になりました(笑)

――ジャーナリストという設定についてはどうですか?

【S介】坂本龍馬という人物は、大量の手紙が遺っていて、非常に筆まめで、いろいろな所に行ってはメモを取って、家族や仲間に手紙を送っていたようです。なので現代で職に就くなら、これは文筆家かジャーナリストどちらかだろうと思いました。世界中色んな所に行ってみたいという気持ちはあったと思うので、情報収集にも便利なジャーナリストという設定にしました。
■武市は最初は小学校の先生だった?

佐伯真人の経営する学習塾で先生を務める武市半平太 (c)Esusuke Croe/Libre Publishing
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――あと、150年前から武士がタイムスリップしてきたのに、意外に落ち着いて冷静に対応している、佐伯家のお爺ちゃん・真人。ドラマでは森本レオさんが演じてらっしゃいますが、佐伯さんには何か意外な設定があったり?

【S介】いろいろ考えていますがこの後の漫画の展開をお待ちいただければと(笑) 佐伯さんみたいなキャラクターはいないと話が進まない設定なので、最初からお話に不可欠なキャラでした。

――その佐伯さんは、武市半平太に子どもたちの先生になってほしいという事で、結構そこがほっこりする設定だと思うのですが。

【S介】最初は小学校の先生にしようと思ったのですが、流石に戸籍も無いし無理があったので、個人経営の塾の先生という設定にしました。実際、武市半平太は幕末でも土佐勤王党で“先生”とも呼ばれていましたし。
■こだわりのキャラクターは「サチコ」
――半平太以外に黒江先生がこだわっている思い入れのあるキャラクターを選ぶとしたら誰ですか?

【S介】サチコですね。テンプレ通りのヒロインではなくて、男まさりでちょっとおバカで憎めないという、見ている人にとって絶妙にイライラさせずにいい子だと思えるような、キャラクター作りをしています。

――原作に出てくる、寅之助の説明を受けてのサチコの歴史解釈はすごく納得するものがありますね。

【S介】すごく吸収力があり、自分のことに置き換えて答えるという実はすごい子なんです(笑)細かい突っ込みどころは沢山あるのですが、大枠での捉え方は間違ってないと言う(笑)
■ドラマ版のサチコ的、寅之助的キャラは別人物
――黒島結菜さんがドラマでやっているサチコもそんな感じなのですか?

【S介】実はドラマでは、比嘉愛未さんの演じる佐伯晴香が原作の寅之助みたいな役どころで歴史の解説役を担っていて、スナックを経営している石田ニコルさん演じる篠原理央さんが原作のサチコ的な役割を担っているようですね。原作版とはちょっと変わっていますが、こちらも楽しめる設定だと思います。
■舞台は、武市の故郷・湯布院をイメージ
――ドラマでは物語の舞台は神里村ということになっていますが、原作ではどういう町のイメージですか?

【S介】マンガでは架空の町という設定です。イメージはいろんな田舎町や地方都市をイメージしたのですが、ベースは武市半平太の生まれ故郷・土佐国吹井村(現在の高知県高知市)で、街全体の様子は、大分県の湯布院から観光地を抜いた感じをイメージしています。

――湯布院は私の実家の近くですね(笑)昔の学校が荒れていた時代は、それこそドラマでジャニーズWESTの藤井さんが演じている佐伯寅之助みたいな人たちが沢山居ました(笑)
■最初のネームは「完全なギャグ漫画」

武市半平太と坂本龍馬 (c)Esusuke Croe/Libre Publishing
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――この作品、ドラマから入った方も多いと思うのですが、錦戸さんが侍を演じるので映画「ちょんまげぷりん」のイメージもあって、ギャグドラマかなと思ったら、ドラマも原作マンガもコメディ要素もありつつ、真面目な武市半平太のピュアな奮闘ぶりが描かれている感動作品だったのでビックリしたのですが、この設定は最初から考えたものなのですか?

【S介】実は一番最初に考えたネームは完全なギャグ漫画だったんですが、武市半平太を主人公に据えた時点でギャグにするには重いぞと(笑)しかも獄中からタイムスリップさせたりしたので…(笑)悲劇的な死を迎えた方なので、その辺りは丁寧に描いていきたいなと思ってこの設定にしました。
■この先のドラマ版とマンガ版の展開は?

サムライせんせい第一巻のカバーイラスト (c)Esusuke Croe/Libre Publishing
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――現在、ドラマの方では(インタビュー時点で)2話目まで終わり、原作の2巻までのエピソードも一通り登場しましたが、この先どういった展開になるのか楽しみです。

【S介】そうですね、ドラマ化のお話を頂いた時はまだ第2巻までしかお話ができていなかったので、ドラマの3話目以降は原作の設定を活かしつつオリジナルストーリーで楽しめるようになるようです。マンガの方はまたドラマと違った展開を考えているので、どちらも楽しんでいただけたらと思います。

――そろそろ第3巻をみなさん楽しみにしていると思いますが、次巻はいつごろ…?

【S介】2016年夏発売とアナウンスしてしまったので(笑)、頑張って『クロフネZERO』で発表して行きたいと思います。
今は番外編を掲載していますが、そろそろ本編の続きをと思っていますのでお楽しみにお待ち頂けると嬉しいです。

――最後に皆さんにメッセージをお願いします。

【S介】ドラマとは今後全く違った展開になりますが、元々原作を読んでくださっている方はもちろん、ドラマから原作も読んでみようかなとなった方にも楽しんで頂ける話作りを目指そうと思っております。どうぞもう少しお付き合い頂けましたら幸いです。
黒江S介先生の大いなる幕末愛から生み出された「サムライせんせい」(リブレ出版)は、現在第2巻まで発売中。

神木隆之介、“チャラい龍馬”を好演 過去の経験を肥やしに
 テレビ朝日系ドラマ『サムライせんせい』(毎週金曜 後11:15※一部地域を除く)に出演中の神木隆之介。今回の役どころは現代にタイムスリップしてしまった、坂本龍馬だ。ジャケットを着て、伊達メガネをかけ、教科書などでよく見る坂本龍馬の肖像とは全然違う。現代の生活に溶け込んで、「マジで~?」「~じゃん?」と言葉遣いも態度もチャラいけど…。「いわゆる史実上の龍馬をイメージして役づくりをしました」と神木はいう。

 「福山雅治さんの『龍馬伝』を見直したり、そのサウンドトラックを聴きながら龍馬の名言集を読んだり、どっぷりハマってしまいました(笑)。龍馬について調べたり、考えたりしているうちに、人望の厚かった龍馬は誰の懐にも入り込める、ちゃめっ気のある人間だったんじゃないかなと思いました。そこを重視して演じています」。

 同ドラマは、幕末の土佐藩で尊王攘夷論を唱え、志士たちを率いた武市半平太(錦戸亮)が、現代のとある村にタイムスリップ。学習塾の先生となり、村で巻き起こるさまざまな問題を、サムライにしかできない方法で解決していく和製SFコメディー。

 半平太より一足早く、現代にタイムスリップしていた龍馬。幕末の土佐藩では“親友”だった二人は、平成の日本で再会。「なぜ、二人がタイムスリップしてしまったのか。その謎がひも解かれていきます。ヒントは、『武市さんと龍馬と同じ志を持っていながら別の道を歩んでいった』という史実にあります」と後半の見どころを語る。

 子役時代からドラマ・映画で多彩な役柄を演じてきた。過去に組んだことがあるスタッフと再び現場をともにする機会も増え、「どのくらい成長したか、見定められる時期に入ってきました」と恥ずかしげに笑う。

 同ドラマの放送枠では、2011年10月期に宮藤官九郎脚本の『11人もいる!』に主演。その時、演出を担当した片山修氏(テレビ朝日)が本作にも参加している。「『11人もいる!』では波乱万丈を乗り越えて、コメディー作品を演じる楽しさを学びました。『サムライせんせい』では武市の存在そのもののギャップと違和感を面白がってもらえるように、龍馬としても立ち居振る舞いやちょっとした間(ま)を際立たせていきたいです」。

 神木の強みは、出演した作品すべてを経験として、演技の肥やしにしてしまうところだ。「いままで、いろんな作品で経験してきたことが、『サムライせんせい』の龍馬を演じる上でも役に立っています。殺陣は映画『るろうに剣心』、相手の心をつかむ話し方はドラマ『学校のカイダン』(日本テレビ)でスピーチライターを演じたことが役に立っているな、思いました」。

 一風変わった龍馬を演じた経験も、今後の俳優人生に少なからず影響を与えていくことは間違いないだろう。

本日放送のドラマ「サムライせんせい」で神木隆之介さんがメイド姿に! 神木「なんとコメントしていいのやら笑」
 言わずもがな似合ってます。

 11月13日放送予定のドラマ「サムライせんせい」第4話で、坂本龍馬を演じる俳優の神木隆之介さんがメイド姿になることが明らかとなりました。番組特設ページでは、その一場面を見ることができます。

メイド服姿の神木隆之介さん
特設ページに公開されたメイド服姿の神木隆之介さん(坂本龍馬役)

 「サムライせんせい」は、黒江S介さんによるマンガを原作とした作品で、Webコミックサイト「クロフネZERO」では数話が無料で公開されています。平成の時代にタイムスリップした錦戸亮さん演じる幕末の志士・武市半平太が、文化のギャップに戸惑いながらも、現代の学習塾で臨時講師をしながら生活し、現代社会が抱える問題を痛快に切っていくという作品で、神木さん演じる龍馬は現代で楢崎と名乗り、時代に溶け込んだ生活をしているというキャラクター。


 今回の女装について、神木さんはTwitterで「皆さま 今夜『サムライせんせい』第4話がオンエアです。なんと。坂本龍馬が。メイド姿に。なんとコメントしていいのやら笑 今宵も心温まる、そして感動する回になっています! 大事なものを守り抜く男の姿をぜひご覧下さい(^-^) りゅう」とコメント。ツイートには女性を中心としたファンたちから声援が送られていました。放送は23時15分からです(一部地域を除く)。
今月は昼の部と夜の部を分けて2日で見て、正解だった。どうしても集中力が途切れて居眠りしてしまうだけでなく、腰への負担が半端ないからだ。

一、江戸花成田面影(えどのはななりたのおもかげ)
◆十一世團十郎をたたえ、初お目見得を祝う一幕
 祭り囃子が賑わう中、芸者や鳶頭たちによる華やかな踊りが繰り広げられます。十一世市川團十郎五十年祭の顔見世で、市川海老蔵の長男であり、十一世團十郎の曾孫にあたる堀越勸玄が初お目見得いたします。豪華顔ぶれによる一幕です。
 豪華キャストも素晴らしかったですが、何と言っても「ほりこしかんげんともうしたてまつる」です。かわいい……(≧∀≦)。

二、元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら)◆静けさの中に信念を貫く大石内蔵助の姿
 宿敵吉良上野介の首を討ちとり、本懐を遂げた赤穂浪士たち。浪士大石内蔵助は、家臣を仙石伯耆守(ほうきのかみ)の屋敷へ向かわせ、敵討ちの始末を届け出ます。詳細を聞いた伯耆守はその労をねぎらい、老中たちに討ち入りの一件を報告すべく登城します。その日の夜、仙石屋敷に内蔵助をはじめ、浪士たちが集まり、伯耆守らの尋問に答えます。浪士たちは諸家へのお預けが決まり、内蔵助は別々の屋敷に預けられる息子主税との別れを惜しむのでした。
 真山青果による歴史劇『元禄忠臣蔵』より、思慮深い内蔵助の姿を描き出す名作をご覧いただきます。
 近代的な劇手法だと思いますが、主君の仇を討つという行動において、主君を切腹と決めた幕府の裁定に表立って異を唱えるわけではない(中央政権に刃向かうつもりはない)という意思を示しながら、主君を切腹に追いやった吉良上野介の首を取るという四十七士の理屈を、割と近代的に説明してると思います。
 途中うとうとしちゃったんだけど、仁左さまの台詞に望陀の涙。どうやら、私は仁左さまに無条件で惚れているらしい(汗)。

三、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)◆追い詰められた弁慶が見せる決死の覚悟
 兄頼朝と不和になり、都を逃れた源義経は、武蔵坊弁慶ら家来とともに姿を変えて奥州平泉を目指します。その道中、一行は加賀国安宅の関で、関守富樫左衛門の詮議を受けます。窮地に立たされた弁慶は、自分たちが東大寺勧進の山伏である証拠として、白紙の巻物を取り出すと、勧進帳と偽り読み始めます。さらに、主君を命懸けで守るため義経を打擲(ちょうちゃく)する弁慶。富樫はその心情に打たれ、一行が義経たちだと見破りながらも、関所の通行を許すのでした。
 歌舞伎十八番の中でも屈指の人気演目です。緊張感みなぎる舞台にご期待ください。
 橋之助の弁慶、勘九郎の富樫で最近見たばかりだけど……さすが、幸四郎の弁慶はハマリ役だし、堂に入っている。豪傑であり、主君思いで涙もろい弁慶が印象深い。また、頼朝の命を受けて義経を自分の守る関所から脱出させてはならないという至上のミッションをわかりすぎるほどわかっていながら、弁慶が主君である義経を思うあまりの行動に心打たれ、後で切腹を迫られることを覚悟しながら弁慶と義経を見逃すと決めた富樫の高潔さが素晴らしい。

四、河内山(こうちやま)◆大胆不敵な河内山が大名を懲らしめる痛快劇
 河内山宗俊は、上野寛永寺からの使僧と身分を偽り、松江出雲守の屋敷へ単身乗り込みます。出雲守は、腰元奉公をする質屋上州屋の娘浪路を我がものにしようとしましたが、なびかないことに立腹し、浪路を手討ちにしようとしていました。悪巧みに長けた河内山は上州屋からこの窮状を聞きつけ、金目当てに奪還を引き受けたのです。渋る出雲守を見事説得し、屋敷を引き揚げようとする河内山でしたが…。
 江戸城で茶道を務める坊主ながら、悪事をはたらく大胆不敵な河内山宗俊をいきいきと描いた世話物の舞台です。十一世市川團十郎の当り役の一つで、名せりふも聞きどころです。
 化けた高僧の上品さと、地の河内山宗俊の豪放磊落さと江戸っ子ぶりの対比が面白い。
今月も昼席と夜席を見に来ました。仁左さまと海老蔵と染五郎。

一、実盛物語(さねもりものがたり)
◆源氏の白旗をめぐり明かされる武将の本心 琵琶湖のほとりで暮らす百姓の九郎助夫婦の家に、侍の斎藤実盛と瀬尾十郎が詮議のために訪れます。実はこの家には、源氏再興の念願かなわず命を落とした木曽義賢の妻で、懐妊中の葵御前が匿われているのです。産まれてくる子の検分が目的の二人に、九郎助は、最前拾った白旗を掴んだ女の片腕を、葵御前が産んだと言って差し出します。憤った瀬尾が実盛に言いくるめられ去っていくと、残った実盛は、白旗を守るために小万と名のる女の片腕を斬り落としたと語り始め…。 斎藤実盛は、歌舞伎の代表的な捌き役の一つで、知勇を兼ね備えた武将として描かれています。時代物の名作にご期待ください。
 ひえー、もちょっと調べたら木曽義仲誕生エピソードという話だったことを後で知った。これだけ、事前に知っておけばよかった。
 白旗を握った腕が斬り落とされて見つかった時点でエグいのだけど、そこは歌舞伎。そこは受け容れられたのだけど、何がポイントだったのかがよくわからなかった(汗)。

二、若き日の信長(わかきひののぶなが)
◆信長の熱き青年時代を描いた新歌舞伎の傑作 駿河の大名今川義元が隣国尾張への勢力拡大を目指す中、尾張を治める織田信長は、傍若無人なふるまいから、うつけ者と呼ばれています。父の法要に顔を出さず、村の子どもたちと遊ぶ信長。責任を感じたお守り役の平手中務政秀は、死をもって信長を諫めようと自害します。その後、今川勢が尾張への進軍を始めますが、信長は軍議に耳を傾けません。実は今川と戦う機会を狙っていた信長は、家臣の木下藤吉郎を呼び寄せ…。 大佛次郎による新歌舞伎の傑作で、信長の青年時代を鮮やかに描き出しています。十一世市川團十郎が海老蔵を名のっていた昭和27(1952)年に歌舞伎座で初演されました。十一世團十郎から受け継がれた舞台です。
 途中ちょっと意識なくしたとこがあった(汗)けど、近代的な作品だからか、つかみやすかった。時代に先んじた感覚をもった信長が、数少ない味方である爺の死を持った諫言に情は動かされつつもミッションは変えず、桶狭間の戦いに臨む。海老蔵のちょっとワルな感じがやんちゃな信長のキャラに合ってた。

三、曽我綉俠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)
◆七五調の名せりふで聞かせる男伊達の意地と粋 御所五郎蔵は、もとは奥州の大名浅間家の家臣でしたが、腰元皐月との不義を星影土右衛門に密告され、皐月ともども追放の身となります。俠客になった五郎蔵は、京の五條坂仲之町で土右衛門と再会し、今は廓勤めをしている皐月をめぐり一触即発となりますが、その場を甲屋与五郎が収めます。旧主のための金策で苦心している五郎蔵の様子を見かねた皐月は、金の工面のため、土右衛門になびいたふりをして、偽りの愛想尽かしをしますが、皐月の本心を知らない五郎蔵は激怒し…。 河竹黙阿弥による名せりふのやりとり、歌舞伎の様式美など、みどころあふれる演目をお楽しみください。
 河竹黙阿弥の七五調とか様式美にはまりつつある。ストーリーはどこかで聞いたことあるような二番煎じ感がつきまとうのだけど、七五調の音階と台詞の巧みさ、オペラのアリアみたい。しかも、掛け合い。
 若い頃にオペラやミュージカルを多少聴き込んだせいか、今は歌舞伎が自然にしみ込んでくる。

福島
二本松の菊、長州の首相に
 二本松市で開催中の菊の祭典「二本松の菊人形」に合わせて、観光PR役の「菊むすめ」と「二本松少年隊」が29日、首相官邸で安倍首相を表敬訪問した。

 同行した新野洋市長は「観光客数も伸びており、明るく元気に情報発信したい」と意気込みを語り、菊の鉢植えを贈られた首相は「全国から観光客がたくさん来て、菊も売れるといいですね」と笑顔で応じた。

 新野市長は、戊辰ぼしん戦争で戦死した二本松少年隊の史実も安倍首相に説明したが、二本松藩を攻めた長州藩は現在の山口県。同県出身の首相が「(私は)長州だけどね」と苦笑いすると、市長は「今は逆にお世話になっています」と慌てて返す場面もあった。

京都
花魁に浪人に新撰組のバーも! 京都府で幻想的な「太秦江戸酒場 琳派の秋」
京都府京都市の東映太秦映画村で10月31日~11月1日、「太秦江戸酒場 琳派の秋」が開催される。


雰囲気漂う会場の様子

江戸時代にタイムスリップ

同イベントでは、江戸時代にタイムスリップしたかのように侍や町娘の行き交う舞台の中、京都の日本酒の飲み比べや食事などを楽しめる。今年で400年を迎える「琳派」と太秦ならではの「時代劇」をテーマに、伝統文化の趣と着物でそぞろ歩く楽しさを満喫できる。また、和装レンタルサービスも用意されている。

場内各所には呑み処が出現する。佐々木酒造「聚楽第」、羽田酒造「初日の出」、松井酒造「神蔵」、松本酒造「桃の滴」、玉乃光酒造「玉乃光」、月桂冠「月桂冠」、増田徳兵衞商店「月の桂」など多数の蔵元が来場し、実際に日本酒の作り手と直接語らいながら味わうことができる。

また、「京の日本酒きき酒セット」(専用きき猪口付きで小判3枚)、「京の名店の酒肴セット」(小判2枚)、「粕汁、おちょぼおでん5種盛り」(各小判1枚)、「わさびいなり、穴子棒寿司」(各小判1枚)などが用意され、飲食専用金券「太秦小判」3,000円(600円×5枚綴り)で利用できる。

さらに、まるで時代劇の登場人物のひとりとして浪人と酒を酌み交わす「浪人BAR」や、近藤勇・土方歳三・沖田総司ら新選組隊士と酒を飲んで倒幕派浪人の討伐に立ち会える「新選組BAR」、花魁と髪結師の恋物語をテーマにした「奇想の現代遊郭&花魁BAR」など、江戸時代を演出した酒処が多数用意されている。また、それぞれ東映役者陣が参加し、本格的な雰囲気の中で日本酒を味わえる。

フードゾーンでは、東福寺や泉涌寺、智積院など東山の数々の寺院御用達の「京料理 沖よし」や、室町期創業と伝えられる「中村楼」、京都の祭の名物料理、鯖寿司が自慢の「いづう」、京料理や懐石料理に欠かせない京湯葉の老舗「京湯葉 千丸屋」など、京都の名料理店が軒を連ねる。

そのほか、「職人処」と題して京都を代表するアーティストや伝統工芸の職人たちによる様々なワークショップを開催する。琳派の画法を体験できる「琳派月見宴の間」や、伝統の婚礼の装いと儀式を着付師と職人・アーティストで現代に再現する「江戸時代の花嫁道中」、江戸時代の隠切支丹を現代の職人に学ぶ「隠切支丹の間」など、多彩なテーマで行われる。

開催時間は18時から21時までとなる。料金は先払い制(申込先着順)で、各日5,000円(入場料のみ)。チケットはイベントサイトから購入できる。

京町家や戦国時代モチーフの個室居酒屋で「池田屋事件フェア」開催、「武将カクテル」の提供も!
 京都の町家をモチーフにした和食個室居酒屋「京町恋しぐれ」と系列店である動乱の戦国時代をモチーフにした和食個室居酒屋「乱世の個室 戦国武勇伝」では、「歴女」「刀女子」と呼ばれる歴史や刀が好きな女性に向けたイベントを開催します。

京の町屋をモチーフにした「和」の癒し空間、「京町恋しぐれ」

店内に一歩足を踏み入れると、そこは風情ある京の町が広がり、牛若丸と弁慶が出会ったという五条大橋や清水の舞台や川のせせらぎに癒される川床のような空間を演出する「京町恋しぐれ」。季節の食材を使用した限定メニュー、店内装飾で四季を演出。また様々なタイプの個室が揃い、デートから宴会まであらゆるシチュエーションに対応、人気を集めています。

幕末が好きな方へ、「池田屋事件」フェア開催!
京都の町家をモチーフに、風流な空間を演出する「京町恋しぐれ」では、和のハロウィンを開催中。店内には池田屋エリアが出現、幕末に起きた政変「池田屋事件」をモチーフにしたユニークなサービスやメニューなどを提供します。
女性に人気の高い新撰組隊員、沖田総司と土方歳三をイメージしたカクテルや幕末をイメージした食事メニューを用意。それだけではなく、限定商品を注文すると、新撰組隊士に扮したスタッフが池田屋事件さながらに席に乱入と、歴史好き、幕末好きには楽しいイベントとなっています。
また、池田屋エリアで飲食をした方に全10問のクイズを出題、全問正解するとスペシャルメニューがもらえます。

戦国時代をモチーフにした和食個室居酒屋「乱世の個室 戦国武勇伝」

武将の生き様が体感できる異空間溢れた「乱世の個室 戦国武勇伝」。エントランスには真田幸村を中心に甲冑が並び、カップルカウンター席「織田信長」をはじめ、「関ヶ原の大合戦」や「大阪の役」をテーマにした個室で武将の生きざまを体感できる和食個室居酒屋として人気を集めています。

「武将総選挙」フェア開催中!人気武将をイメージしたカクテルが登場!
「戦国武勇伝」に訪れた歴史好きの女性に好きな武将を伺うアンケートを実施、現在結果を発表中の同店では、選ばれた人気武将上位10名をイメージし、オリジナルカクテルを期間限定で提供しています。

堂々の1位に選ばれた伊達政宗をイメージした「梵天丸、蒼き竜への飛翔」は半月型の前立と眼帯で政宗を表現したラズベリーベースの爽やかなカクテル。

2位石田三成、3位には真田幸村と人気の武将がランクイン、オリジナルカクテルを飲んで戦国に想いを寄せましょう。


また、オリジナルカクテルに相性抜群の料理も充実。武将や合戦をモチーフにしたユニークなメニューは味も本格的で満足できること間違いありません。

この秋は、ぜひロマンあふれる2つの時代にタイムスリップして、非日常を味わってみてください。

■店舗詳細 
店舗名:京町恋しぐれ
住所:東京都新宿区新宿3-27-10 武蔵野会館6F
イベント名:「池田屋事件」フェア
開催期間:10月1日(木)〜31日(土) 
営業時間:【月、日】17:00~23:00 【火~土・祝前日】17:00~翌4:00
定休日:なし
Facebook:https://www.facebook.com/dd.kyomachikoisigure.sinjyuku

店舗名:乱世の個室 戦国武勇伝
住所:東京都新宿区歌舞伎町1-6-2 T-wingビル4F
イベント名:「武将総選挙」フェア
期間:2016年1月31日(日)まで
営業時間:【月~木】17:00~24:00 【金・土・祝前日】17:00~翌3:00
     【日・祝日】17:00~23:30
定休日:無し(施設に準ずる)
公式サイト:http://www.diamond-dining.jp/shop_info/sengoku-buyuden/
Facebook:https://www.facebook.com/sengokubuyuden?fref=ts

兵庫
幕末の出石舞台に時代劇 豊岡の市民劇団が公演へ
 兵庫県豊岡市出石町の市民劇団「憧憬(あこがれ)チャンプルー」の公演「出石でござる 夏の燕」が28日、豊岡市出石町柳の芝居小屋「出石永楽館」である。幕末の出石城下町を舞台に旅芸人一座と投宿先の番頭らが繰り広げる人情物語。中嶋勝己代表(52)は「2年ぶりだが気負わずに臨みたい。幅広い世代に楽しんでほしい」と意気込んでいる。

 同劇団は2005年の設立から毎年1回、オリジナル劇を披露してきたが、昨年はメンバーの交代などで休演。そのため今回が10回目の記念公演となる。

 現在、団員は30~50代の男女計10人。昨年から脚本を練り上げたり、けいこをしたりして本番に備えてきた。団員不足を補うため、今回の公演では出石高校の生徒や教員が役者や裏方として初参加することになった。

 「-夏の燕」は、出石弁のせりふ回しで展開する。時代劇だが、劇中の音楽は洋楽ポップスや歌謡曲を使い、モダンな雰囲気に仕上げ、幅広い世代が楽しめるように工夫した。

 旅芸人役の同校2年生の男子生徒(17)は今春からけいこを重ねてきた。「永楽館の広い舞台で演じるプレッシャーはあるけど、本番が楽しみ。観客に楽しかったと思ってもらえるように頑張りたい」と話している。

 開場は午後6時半で、開演が午後7時半。入場料一般1500円。同劇団TEL0796・52・5591

(斎藤雅志)

山口
タウンたうん:第二奇兵隊史跡めぐり小冊子 光 /山口
光市教育委員会(0833・74・3607)は、幕末維新に活躍した長州藩諸隊の一つ、第二奇兵隊ゆかりの市内の史跡を紹介するガイドマップ「第二奇兵隊 史跡めぐり」を発行した。5000部を印刷し、市内の小中…
 詳しくは有料登録して読んでください。

佐賀
直正公、国内戦争ためらい 戊辰戦争と会津と佐賀藩講演会
 戊辰戦争(1868~69年)で佐賀藩が鶴ケ城(会津城)に撃ち込んだアームストロング砲には空弾が混じっていた-。アームストロング砲を所有していた佐賀藩が、旧幕府軍に“手加減”したとする秘話を紹介する歴史講演会が、佐賀市の佐賀城本丸歴史館であった。会津と佐賀の歴史研究者が「破裂弾でない空弾が混じっていたので城内の女性や子どもの犠牲が少なくな ...
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オランダ
「開陽丸」建造150年 オランダで式典
江戸幕府が幕末にオランダに発注した軍艦、「開陽丸」の建造から150年になるのに合わせ、造船所のあったオランダ南西部の港で、当時の乗組員の子孫が出席して記念の式典が開かれました。
「開陽丸」は江戸幕府が海軍力の増強のため、高い造船技術を持っていたオランダに発注した当時としては最大級の軍艦で1865年11月、オランダ南西部のドルトレヒトで建造されました。その後、開陽丸は幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争のさなか、北海道の江差沖で座礁、沈没した「悲運の船」として知られています。
ドルトレヒトでは開陽丸の建造から150年になるのを記念して30日、造船所があった港で市が主催する式典が開かれ、乗組員として操船の技術や知識を学ぶためオランダに派遣された15人の若者の子孫にあたる20人余りが招かれました。このうち、戊辰戦争で幕府軍を率い、その後、明治時代の近代化に貢献した榎本武揚のひ孫にあたる榎本隆充さんは「開陽丸は沈没してしまったが、曽祖父たちがオランダで学んだ知識は、新たな時代に生かされたと思うと感慨深い」と話していました。
現地の博物館では、開陽丸を紹介する特別展も始まり、建造中の写真や、進水式の様子を描いた絵画などが展示されています。ドルトレヒトのブロック市長は「両国の絆の歴史を多くの人に知ってもらいたい」と話していました。

ビジネス
ACOS、新選組をイメージした浅葱色と白がさわやかな「だんだらパーカー」
コスプレショップ「ACOS(アコス)」より、新選組をイメージした「だんだらパーカー」が登場する。発売は2016年2月11日(木)ごろの予定で、価格は6,200円(税別)。

新選組といえばこの色と模様。浅葱色と白のさわやかなカラーが印象的で、だんだらのジグザグデザインがスタイリッシュなパーカーとなっている。さらっとした生地で、春先の羽織にもぴったり。全国13店舗を展開するブランド「ACOS」よりリリース予定で、現在全国のACOS・アニメイト各店にて予約受付中となっている。

予約およびそのほか詳細についてはACOS公式サイトにて。

(C)ACOS
科学と感性のBtoBマーケティング第21回:明治維新から学ぶマーケティングナレッジの獲得法
 私には、今の日本のBtoBマーケティングの状況は、明治維新の日本ととても似ているように見えています。新しい技術や兵器、それをベースにした戦い方のナレッジが勝敗を左右する決定的な要因になった時代に、それを取り入れた集団と、取り入れることを拒んだ集団の明暗がはっきり分かれたからです。

 歴史は繰り返す、とはよく言われる言葉ですが、150年前の日本と現代を対比させて考察してみましょう。

 徳川幕府が鎖国令を出して以降の260年間、大半の日本人は世界の科学技術、兵器やその運用を中心にした戦略・戦術の発展を知る術がありませんでした。幕府は「世界を覗く窓」として長崎の出島に限定したオランダとの交易だけを残しましたが、そのオランダがイングランドとの英蘭戦争の敗戦で欧州世界の中ですっかり没落してしまったことにも気付かないくらい情報に疎く、東の果てで孤立していたのです。

 そうして、大名も武士も町人も農民も、世界の情勢や発展など気にしないで、国内のことだけを見ていれば良かった時代が十数代も続いたのです。

 日本のBtoBも、戦後の復興の過程で1億人の国民が生み出す旺盛な消費を背景にした国内市場と、為替メリットに支えられて伸び続ける海外市場のお陰で、マーケティングなどしなくてもどんどん成長できる時代が戦後50年以上続きました。法人営業の世界で売り上げをつくるのは営業の足と汗であり、熱心な訪問こそが数字をつくる王道だったのです。

 この時代、企業内でマーケティングを学ぶ者は「変わり者」であり、「理屈屋」であり、欧米型のマーケティングなどは「現場を知らない人間が語る机上の空論」と片付けられていました。海外まで行って経営やマーケティングを学んできても、自分の会社では身につけた知識を活用するチャンスはないと諦めた人たちが、外資系企業やコンサルティングファームに流出し、日本企業の社内には相変わらず「足と汗派」が根を張っていました。

 幕末の頃に撮影された幕府方の侍の写真を見ると、戦国時代から伝わる先祖伝来の甲冑に陣羽織をまとい、持っているのは戦国時代に織田信長が敵を殲滅(せんめつ)したのと同じタイプの火縄銃でした。

 彼らは怠け者でも、愚か者でも、臆病者でもなく、それどころか、平安時代から続く武家の伝統を大切にしながらも、謙虚で情け深く、さらに高い教養を身につけた尊敬すべき人たちでした。侍は幼少から剣、槍、弓などを修行し、同時に素読を通して哲学や兵法を学んでいました。

 素晴らしいのですが時代錯誤なのです。当時多くの藩で採用されていた古典的な兵法は、「敵の遠くに在りては弓にて、近づかば槍、刀で合戦に及ぶべし」というものでした。人柄も素晴らしく、同時代の世界を見渡しても高い教養を備えた人たちが、自分たちが先祖伝来大切にしてきた方法で主君や藩を守れると信じていたのです。

 日本が鎖国している間に、欧州ではフランス革命によってブルボン王家が倒れ、その混乱の中からナポレオンが台頭しました。ナポレオンは、傭兵を中心に組織され王家の私兵だったそれまでの軍隊の概念を覆し、徴兵制を土台にしたフランス軍を組織し、砲兵を要とした師団に編成し、それを信頼する元帥に指揮させることで欧州を席捲する軍事国家を創り上げました。

 北のオランダから南のイタリア、スペインまでを勢力下に収め、無敵を誇ったナポレオンがワーテルローの戦いで敗れると、欧州ではプロイセンが台頭しました。ナポレオンとの長い戦いの経験から戦略・戦術、指揮命令、将校の教育などを徹底的に研究し、近代陸軍の父と言われるモルトケ率いる参謀本部を中心として再構築されたプロイセン軍は、普仏戦争でナポレオン三世率いるフランス軍に勝利し、やがてドイツを統一したのです。

 現代のBtoBマーケティングでもナポレオンの登場と同じレベルの変革が起きました。欧米に元々存在したマーケティングのフレームワークや、それらをベースに発展したダイレクトマーケティングなどが、1980年代にデジタルテクノロジーと出会ったことで化学反応を起こし、デジタルマーケティングへと急速に進化したのです。

 それまで「地域の中での売上構成比」だったシェアの概念が、個人や世帯の生涯価値(LTV:ライフタイムバリュー)へと変化し、それを獲得するツールとしてCRM(Customer Relationship Management)が発生しました。BtoBの世界でも営業案件を可視化して受注決定率を引き上げ、製造原価を適正化する目的でSFA(Sales Force Automation)が普及し始めました。

 そして1990年代になってインターネットの出現でこの流れは一気に加速します。大量のメールを配信するメール配信ツールや、Webをダイナミックに生成するCMS(Contents Management System)、キャンペーンを管理するためのキャンペーンマネジメントシステムなどが次々とリリースされ、1999年に初めてのMA(Marketing Automation)ベンダーとしてEloquaが産声を上げたのです。しかしこうした海外の動きはほとんど日本のマーケティングに影響を与えませんでした。興味本位にCRMやSFAを導入する企業はあっても、それが欧米のように経営戦略に組み込まれ、実運用に乗ることはなかったのです。
 鎖国の中で時間が止まっていた幕末の日本で、全国に大小合わせて約300存在した藩の中で他とは全く違う考え方の藩が2つだけ存在しました。薩摩と長州です。薩摩は生麦事件を発端とする薩英戦争で、長州は攘夷を発端とする下関戦争で、それぞれ欧米の戦艦と戦闘を交え、コテンパンに敗北したことで、今までの日本古来の戦い方や兵器では全く歯が立たないことを、身を持って知ったのです。

 この2つの藩が中心となった新政府と旧幕府勢力との戊辰戦争は、鳥羽・伏見から函館五稜郭まで続きましたが、結局、西洋式の軍制と武器を携えた新政府軍は一度も負けることなく明治国家を作りました。

 明治政府は、日本の300年間進化しなかった戦い方を徹底的に払拭し、ナポレオンやモルトケが創り上げた西洋式の軍制を貪欲に取り入れます。陸軍ではプロイセンの参謀本部を作り上げたモルトケの愛弟子メッケルを陸軍大学校教官に招聘し、海軍では当時世界の海軍を理論的に牽引していたアルフレッド・マハンのいる米国に秋山真之を留学させました。

 このメッケルの愛弟子たちが日露戦争で活躍した将官と、その中心人物の児玉源太郎であり、マハンに師事した秋山は日本海海戦でのバルチック艦隊との決戦の作戦を立て、歴史的な勝利を収めました。

 我々は今、幕末の日本と酷似した世界にいます。

 実際に海外に出かけ、自分の目や耳で欧米企業のマーケティングやセールスを観た者は、圧倒的な遅れを痛感し、何とか追いつこうと懸命に自社や業界に働きかけを行っています。しかし、多くの者はそれを信じようとしないで、「自分たちがそんなに遅れているはずがない」と言い、旧来のやり方を変えることに抵抗しています。抵抗勢力である自社の情報システム部門、法務部門などへの説得に疲弊し、せっかくマーケティングの知識や経験を持ち、自社の製品やサービスに対するプライドも持っている有能な人材が会社を去っていくのを私は何人見送ったか分からないほどです。

 その中で、既に海外売上比率が高い、つまり海外競合企業のマーケティングレベルを肌感覚で知っている日本の製造業がマーケティングに本気で取り組むようになりました。弊社のクライアントも今では60%以上が製造業なのです。

 幕末にも少数ながら佐久間象山のようにナポレオンやその戦術、兵器を研究していた学者はいましたし、長崎で西洋の銃や大砲を手に入れることは可能でした。しかし多くの藩は西洋兵学を学ばせようとはせず、流行に乗り遅れないために数丁の銃や、大砲を購入してお茶を濁しました。西洋式の軍制改革には手を付けず、財政難を理由にそれ以上の武器も購入しようとはしなかったのです。これが戊辰戦争で旧幕府勢力が常に新政府軍より多い軍勢を持ちながら、ついに一度も勝てなかった理由です。

 大切なことは「いかに戦うか?」という戦略であり、「どう戦うのか」という戦術です。そして兵器はそれを実現する道具です。戦闘教義とも呼ばれる軍制を改革しなくては最新の兵器も宝の持ち腐れです。

 マーケティングも同じで、「どういうマーケティングを行うか?」という基本設計が最も重要で、MAやCMSやSFAはそれを実現するための道具なのです。

 まず、マーケティングを学び、マーケティングのナレッジを蓄積する。社内に無ければ明治政府が行ったように外部から招聘するか、最も優秀な者を外部に留学させてでもナレッジを獲得する。そうして培ったナレッジのレベルが明日の戦いの勝敗を分けるのだと私は考えています。

 日本企業が再び世界で輝くために、そして今、自分の会社の中でもがいている人に心からエールを送ります。
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