新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
白牡丹は既に購入済の本だが、ブックレビューが出ていたのでご紹介。
[京を読む]壬生の八木一族の秘話 ひと味違う新選組描く
橋本隆「洛西壬生村八木一族と新選組」(日本文学館)1050円
久3(1863)年、将軍の上洛で、警護にあたる浪士たちの屯所が当時の洛西、山城国葛城郡壬生村の壬生寺かいわいに置かれることになった。八木家の人たちは、後の新選組隊士らとなる浪士組を自分の屋敷で世話することを余儀なくされ、重々しい空気に包まれる。当主らは突然の面倒な話に困惑しながらも、一族の存続のために、ある方策を思いつく――。
ある方策って、娘さんを男装させたことじゃありませんよね(。_・☆\ ベキバキ。
[京を読む]壬生の八木一族の秘話 ひと味違う新選組描く
橋本隆「洛西壬生村八木一族と新選組」(日本文学館)1050円
久3(1863)年、将軍の上洛で、警護にあたる浪士たちの屯所が当時の洛西、山城国葛城郡壬生村の壬生寺かいわいに置かれることになった。八木家の人たちは、後の新選組隊士らとなる浪士組を自分の屋敷で世話することを余儀なくされ、重々しい空気に包まれる。当主らは突然の面倒な話に困惑しながらも、一族の存続のために、ある方策を思いつく――。
ある方策って、娘さんを男装させたことじゃありませんよね(。_・☆\ ベキバキ。
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ちょっと古い記事だが、新選組が宿泊した、滋賀県草津市の草津本陣ゆかりの展示会についてのニュース。
「新撰組」の大福帳も
草津宿本陣の大福帳には、慶応元(1865)年5月9日、土方歳三、斎藤一、伊東甲子太郎、藤堂平助の4人の名前が残る。横には「計32人が(代金として)250文払い、ほかに24文のロウソク20丁を(現物で)払った」と書かれている。
大人数で泊まったので、ロウソクが沢山必要になったのですね。
石部町歴史民俗資料館が所蔵する「石部宿小島本陣」の宿帳も公開される。元治元(1864)年10月に近藤勇が宿泊したと記されている。
あ、これは初めて知ったかも^_^;。元治元年のこの時期の近藤さんといえば、江戸に下向して隊士を募集、伊東甲子太郎せんせらを連れて京都に戻る途中で宿泊した時の宿帳ではないかと。
「新撰組」の大福帳も
草津宿本陣の大福帳には、慶応元(1865)年5月9日、土方歳三、斎藤一、伊東甲子太郎、藤堂平助の4人の名前が残る。横には「計32人が(代金として)250文払い、ほかに24文のロウソク20丁を(現物で)払った」と書かれている。
大人数で泊まったので、ロウソクが沢山必要になったのですね。
石部町歴史民俗資料館が所蔵する「石部宿小島本陣」の宿帳も公開される。元治元(1864)年10月に近藤勇が宿泊したと記されている。
あ、これは初めて知ったかも^_^;。元治元年のこの時期の近藤さんといえば、江戸に下向して隊士を募集、伊東甲子太郎せんせらを連れて京都に戻る途中で宿泊した時の宿帳ではないかと。
これも野間みつねさん提供のニュース。内容的に「幕末よもやま話」に入れるかどうか迷ったのだが、一行でも新選組に言及しているところがあるので「新選組 史実」に分類した。
跡見学園創立者の日記、出版へ 激動の幕末、生き生きと
65年1月には、壬生浪人(新選組)が京都で取り逃がした勤王浪士を大阪・堂島で捕らえた話が出てくる。
元治二年一月の、谷万太郎・谷三十郎らによる、通称「ぜんざい屋事件」のことだろう。大坂市中焼き討ちを計画していた土佐の大利鼎吉を大坂松屋町のぜんざい屋石蔵屋にて襲撃、斬殺した事件。
激動の時代に青春期を過ごし、明治になって教育者となった女性……すごいなぁ。
跡見学園創立者の日記、出版へ 激動の幕末、生き生きと
65年1月には、壬生浪人(新選組)が京都で取り逃がした勤王浪士を大阪・堂島で捕らえた話が出てくる。
元治二年一月の、谷万太郎・谷三十郎らによる、通称「ぜんざい屋事件」のことだろう。大坂市中焼き討ちを計画していた土佐の大利鼎吉を大坂松屋町のぜんざい屋石蔵屋にて襲撃、斬殺した事件。
激動の時代に青春期を過ごし、明治になって教育者となった女性……すごいなぁ。
4月27日付「近藤勇の書簡の写し 発見?」にて紹介した近藤勇の書簡の写しが、早くも公開されることになった。野間みつねさん提供の記事。
近藤勇の書状の写し展示 日野宿本陣跡
市は調査・研究の成果を一般に広く公開するため、古文書などを解説する図録を作成。本陣跡と「新選組フェスタ」の万願寺メーン会場に置いている。1部500円。
解説者のコメントは何だかなぁと思うところがあるが、「新選組」の名前を得るきっかけになった禁門の変以前、浪士組の方向性について試行錯誤していた時期でもあり、ぜひ内容を拝見したい。
近藤勇の書状の写し展示 日野宿本陣跡
市は調査・研究の成果を一般に広く公開するため、古文書などを解説する図録を作成。本陣跡と「新選組フェスタ」の万願寺メーン会場に置いている。1部500円。
解説者のコメントは何だかなぁと思うところがあるが、「新選組」の名前を得るきっかけになった禁門の変以前、浪士組の方向性について試行錯誤していた時期でもあり、ぜひ内容を拝見したい。
そろそろ今日のブログねたは切れたかと思った頃に、大ニュース。
近藤勇の書簡の写し? 東京・日野で発見
近藤勇の書簡の写し? 東京・日野で発見
書簡そのものではなくて写しらしいが。
文久3年(1863年)8月ごろ、京都から故郷の「武蔵の国」(現東京・多摩地域)に住む複数の知人にあてたもの。手紙では親王の1人を攘夷(じょうい)派とみなして称賛。「われわれもお供を願い出ようと思案している。許されれば関東に下向し攘夷を決行したい」などと書かれている。
手紙は日野市にある土方歳三の義兄で、新選組の支援者だった佐藤彦五郎が住んでいた建物から発見された文書を同教委が調査して見つかった。署名はないが、文中の攘夷思想や佐藤との関係などから近藤の手紙の写しとみられるという。
彦五郎さん宅から見つかったのなら、近藤さんの手紙の写しである可能性は高いですね。文久3年8月頃の近藤さんなら攘夷思想が強かっただろうと思われるので、内容的に頷けるものがありますし。
近藤勇の書簡の写し? 東京・日野で発見
近藤勇の書簡の写し? 東京・日野で発見
書簡そのものではなくて写しらしいが。
文久3年(1863年)8月ごろ、京都から故郷の「武蔵の国」(現東京・多摩地域)に住む複数の知人にあてたもの。手紙では親王の1人を攘夷(じょうい)派とみなして称賛。「われわれもお供を願い出ようと思案している。許されれば関東に下向し攘夷を決行したい」などと書かれている。
手紙は日野市にある土方歳三の義兄で、新選組の支援者だった佐藤彦五郎が住んでいた建物から発見された文書を同教委が調査して見つかった。署名はないが、文中の攘夷思想や佐藤との関係などから近藤の手紙の写しとみられるという。
彦五郎さん宅から見つかったのなら、近藤さんの手紙の写しである可能性は高いですね。文久3年8月頃の近藤さんなら攘夷思想が強かっただろうと思われるので、内容的に頷けるものがありますし。
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