新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
今日見つけた新選組関係のニュースです。
近藤勇の写真、撮影地は京都…敷物が決め手 江戸説覆す
京都で撮影されたとのことですが、この時は一緒に撮影された人はいなかったんでしょうか(和装の土方さん写真がどこかに残されてないかと期待してしまう自分^_^;)。
近藤勇の写真、撮影地は京都…敷物が決め手 江戸説覆す
新撰組の局長・近藤勇(1834~68)の肖像として現存している写真が、新撰組の絶頂期の1865~67年に、京都の写真家によって撮影された可能性が高いことが、古写真研究家の森重和雄さん(東京都江東区)の調査でわかった。写っている敷物の模様が決め手となった。
近藤の肖像写真としては、腕を組んだポーズと両腕を下ろした2種類がある。刀が置かれた位置や服装などから、同時期に撮影されたとみられ、いずれも近藤はチョウや階段状の模様がある敷物の上に座っていた。
森重さんは、敷物の模様に着目。別の古写真を調べたところ、京都で写真館2店舗を経営する写真家の堀與(よ)兵衛(1826~80)が祇園支店で撮影したとされる写真3点に、同じ模様の敷物が写っていることを発見した。
ほかの写真も調査したところ、同じ敷物の写真がさらに5点あり、墨書きなどによると撮影は65~67年に限られていた。
これまでの説では、鳥羽伏見の戦い後の68年に、将軍の侍医・松本良順が頭取を務める江戸の医学所役宅で、写真家・内田九一が撮影したなどとされていた。
近藤は67年6月に幕臣に起用されており、木村幸比古・霊山歴史館学芸課長は「新撰組の力が増した頃で、写真撮影もできたのだろう。武蔵の国の農家出身の近藤が幕臣となり、誇らしい気持ちで写真を撮ったのではないか」と話している。
(2009年7月2日 読売新聞)
京都で撮影されたとのことですが、この時は一緒に撮影された人はいなかったんでしょうか(和装の土方さん写真がどこかに残されてないかと期待してしまう自分^_^;)。
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わ~、鳥羽伏見の戦い後よりも説得力のある説ですね。
一緒に撮影された人・・・見たいっ、見たいです~~。
遅くなりましたが、リンク&TBさせていただきました。
どうもありがとうございました。
> 一緒に撮影された人・・・見たいっ、見たいです~~。
あの洋装ご写真に一目惚れしたオナゴは数知れず(自分もそのひとり)でしょうが、和装も写真で残っていないかな~と思ってしまいますよね(^^ゞ。
やっぱり白の半襟に黒の着物で、赤い鞘の兼定がアクセント……あ、白黒写真では表現できないのね(爆)。
つい想像が先走ってしまいます(^^ゞ。