新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
相変わらず高所恐怖で、固まりながら(苦笑)上ってきました。
晴天なのに時々雪が降るのはなぜかといえば……山の方から雪雲が、海からの風に千切られて流れてくるのですね〜。晴天の中をロープウェイで上ってきましたが、また雪雲が市内に流れてきました。
晴天なのに時々雪が降るのはなぜかといえば……山の方から雪雲が、海からの風に千切られて流れてくるのですね〜。晴天の中をロープウェイで上ってきましたが、また雪雲が市内に流れてきました。
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箱館戦争関係ではなく、五稜郭築造時の死者のために建てられた塚であるが……カテゴリーを増やしても仕方がないので「箱館戦争 史跡」というカテゴリーに入れておく。
浄土宗大圓寺は箱館の称名寺の末寺。箱館戦争に参加した新選組隊士では蟻通勘吾の名が過去帳に記されている。
ここの二本松のうち一本に土方さんの遺体が葬られたという説がある。『新選組史跡事典』から引用すると「また歳三の馬丁吉田松三郎が大圓寺の穏亡《おんぼう》となっていたが、住職武藤龍真氏の伯母中田ミチエさんに二本松の下に歳三が埋葬されていると、よく語ったという」……また「当寺は箱館戦争において附近で戦死した新政府・旧幕軍兵士を埋葬しているが、ベッドタウン化した昭和30年代以降、土地造成のたびに夥しい《おびただしい》人骨が出てきたという」。
白牡丹は、五稜郭から少し離れているので、土方さんの遺体をここまで運ぶ余裕が旧幕府脱走軍にあったか疑問に思うのだが……。
場所は、バス停神山通から四稜郭の案内板に沿って歩く道なりにある。
浄土宗大圓寺は箱館の称名寺の末寺。箱館戦争に参加した新選組隊士では蟻通勘吾の名が過去帳に記されている。
ここの二本松のうち一本に土方さんの遺体が葬られたという説がある。『新選組史跡事典』から引用すると「また歳三の馬丁吉田松三郎が大圓寺の穏亡《おんぼう》となっていたが、住職武藤龍真氏の伯母中田ミチエさんに二本松の下に歳三が埋葬されていると、よく語ったという」……また「当寺は箱館戦争において附近で戦死した新政府・旧幕軍兵士を埋葬しているが、ベッドタウン化した昭和30年代以降、土地造成のたびに夥しい《おびただしい》人骨が出てきたという」。
白牡丹は、五稜郭から少し離れているので、土方さんの遺体をここまで運ぶ余裕が旧幕府脱走軍にあったか疑問に思うのだが……。
場所は、バス停神山通から四稜郭の案内板に沿って歩く道なりにある。
五稜郭タワー駐車場、土方さんブロンズ像の隣りに、供養塔が建っている。箱館戦争の死没者に捧げられたものである。
土方さんブロンズ像に加えて、このような碑を建てるところが、単なる観光客寄せのためでなく、函館の歴史を踏まえておられるのだなぁと敬意を持った。
土方さんブロンズ像が観光客の目を惹き、皆さんパチパチと記念写真を撮っておられたのは微笑ましい限りだが、どなたも供養塔には目を向けられなかったようで……白牡丹、ちょっと悲しかったので、傍に寄ってぺこりと頭を下げた。
土方さんブロンズ像に加えて、このような碑を建てるところが、単なる観光客寄せのためでなく、函館の歴史を踏まえておられるのだなぁと敬意を持った。
土方さんブロンズ像が観光客の目を惹き、皆さんパチパチと記念写真を撮っておられたのは微笑ましい限りだが、どなたも供養塔には目を向けられなかったようで……白牡丹、ちょっと悲しかったので、傍に寄ってぺこりと頭を下げた。
運転免許を持っていない白牡丹、バスで五稜郭の裏を通り抜け、神山通の停留所から歩いた。
地図で、直線距離にして2キロ……たぶん、道なりに進んで3キロ近く。市内地図だと比較的にわかりやすいように思えるが、実際のところはけっこう道が曲がりくねっていて、わかりにくかった。要所要所に「四稜郭」の案内板が出ているのだが、裏道みたいなところを歩くので不安になって引き返したり……上り坂を二回も上がってしまった、はひー。
五稜郭と同じように、土塁だけ残っている。ただ、五稜郭と違って突貫工事で築造されたこともあって「土塁が崩れますので上らないでください」の案内板がある。大きさも、びっくりするほど小さい^_^;。
振り返ると、小高い丘陵にあるため、正面に函館山と市内が灌木越しに見える。旧幕府脱走軍が函館山(または弁天台場)―千代岡陣屋―五稜郭―四稜郭を直線に結ぶ防衛ラインを敷いていたことがよくわかる……ただ、攻め込んできた新政府軍は、圧倒的な物量で五稜郭と四稜郭の間を分断したため、四稜郭守備隊は砦を放棄して五稜郭に逃げ込まざるを得なかった。
地図で、直線距離にして2キロ……たぶん、道なりに進んで3キロ近く。市内地図だと比較的にわかりやすいように思えるが、実際のところはけっこう道が曲がりくねっていて、わかりにくかった。要所要所に「四稜郭」の案内板が出ているのだが、裏道みたいなところを歩くので不安になって引き返したり……上り坂を二回も上がってしまった、はひー。
五稜郭と同じように、土塁だけ残っている。ただ、五稜郭と違って突貫工事で築造されたこともあって「土塁が崩れますので上らないでください」の案内板がある。大きさも、びっくりするほど小さい^_^;。
振り返ると、小高い丘陵にあるため、正面に函館山と市内が灌木越しに見える。旧幕府脱走軍が函館山(または弁天台場)―千代岡陣屋―五稜郭―四稜郭を直線に結ぶ防衛ラインを敷いていたことがよくわかる……ただ、攻め込んできた新政府軍は、圧倒的な物量で五稜郭と四稜郭の間を分断したため、四稜郭守備隊は砦を放棄して五稜郭に逃げ込まざるを得なかった。
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