新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
もう何年も前のことになるが、白牡丹、毎日毎日通勤のたびに「このままどこかに逃げてしまいたい」とか「この電車の前に飛び込んだら……いや、それはまずいだろ〜」と思い詰める時期があった。
30代半ばでマネジャーに昇進したのはよかったが、それから仕事がうまく行かないこと続きで、無力感に苛まされる《さいなまされる》毎日、今から思えば鬱病寸前だった。
頭でっかちで、仕事も対人関係も経験不足なままマネジャーを任されて、あっぷあっぷ。あの当時は自分だけでなく部門全体が力不足だったから、本当に責任が重荷だった。まして、今よりも失敗への耐性が低くて、電話がかかってきては「また失敗したのではないか」とビクビクものだった。
組織再編で一旦マネジャーを外れた時は、逆にほっとしたくらいだった。そして、時が経つと共に、自分がマネジャー時代になぜうまく行かなかったのかを、冷静に振り返られるようになった。
自分の弱みや弱さを素直に認めること、それが全てのはじまりだった。マネジャーだって何もかも完璧にできるわけではないし、未知の仕事が入ってくればわからないことだって沢山ある。それをうまくやるためには、部下も含めた組織の力をどう引き出すか、上司や同僚の力にどう頼るか、そういう発想に立った時に、自分が楽になった。そして、さらに、失敗することを怖がっていてはダメで、失敗しないようにはするけど、失敗したら失敗したで、それで人生が終わるわけではない、失敗から何を学ぶかが大事なんだと考えられるようになった時に、もっと楽になった。
三年前から再びマネジャーに戻って仕事をしているが、以前と違って、自信を持って仕事ができるようになった。以前よりも仕事の場数を踏んだこともあるけど、失敗するのが怖かった自分から、成功するためにはどうすればいいのかをまず考えられるようになったからだと思う。
第30話から第33話までの山南さんに、どうしてこんなに関心を持つのか、ようやくわかった。「あなたは私です」……正確には、「あなたは、昔の私です」だが。何もかも放り出してどこかに逃げ出してしまいたいと思っていた私は、実際に新選組を脱走するほどまでに自分に絶望してしまった山南さんほどには追い詰められなかったけど、山南さんが脱走した心理もその人格的な弱みも、あの頃の自分自身を鏡で見るようだ。
☆★☆★
山南さんは、何から逃げたのか。白牡丹は、新選組から、ではなくて、状況を直視し立ち向かえない自分から逃げた、のだと思う。
文武両道でありながら、武の方では新選組が必要とする実戦に強い剣士になれない自分、文の方では強硬に新選組を組織化しようとする土方さんに押され、軍師の武田観柳斎や参謀の伊東先生など幹部の中でも存在感の小さくなっていく自分。
「歴史は動いても、我らは相変わらず蚊帳の外」
「時代は動いているのに、我々は何をやっているのか」
志とのギャップに嘆く山南さん。でも、修羅の道を行くと決めて強硬に突き進んでいく土方さんと違って、第30話以降の山南さんは土方さんに反対を唱える以外に、何か状況を変えるために行動しているだろうか。
建白書事件は、土方さんの言うように「唆した《そそのかした》」のではなく、土方さんと対立した永倉さんを引き留めるためにとっさに浮かんだ知恵。その時の山南さんは、まさか、自分が推薦した葛山武八郎さんが切腹を迫られることになるとは思っても見なかったに違いない。
だが、自分の言動が引き起こした悪い結果から、山南さんは何を学んだろう。
山南さんの欠点の中で、今回最も致命的だった欠点――これは、昔の自分にも通じるので、よくわかるのだが――自分の弱みや弱さを直視できないことだったと思う。自分のヘタレな部分がよくわかっているからこそ、見るに堪えられない。直視することに痛みが伴うから。でも、直視しないから、ますます、失敗や挫折を乗り越えられず、内に内にこもってしまう。
明里さんと出会って、ようやく自分の胸の挫折感を素直に口にできる山南さん……でも、山南さんの言葉の意味を理解できない相手にしか言えないほど、臆病なんだよな(汗)。そういう山南さんを天性の明るさで受け容れてくれた明里さんに、感謝。
明里さんを連れて京都を出ると決心した山南さん、では本当に明里さんとふたりで暮らすために脱走したのかと考えると、白牡丹はそうではないんじゃないかと思う。山南さんは、今の新選組の中にあって無力感に苛まされる自分から逃げたかっただけじゃないか、と。
芹沢さん一派を斃す《たおす》までには、自分が必要とされる場も、自分を必要としてくれる人(特に「同志」の土方さん)も、見えていた。でも、人を斬れない、強硬な土方さんに押し切られる、伊東先生にも知識と議論でかなわない、と、いくつも自分の弱さを実感させられる場面を経て、失敗に立ち向かう術もなく、自分の弱さを認められない自分に嫌気が差した。
この時の山南さんには、山南さんの多くの長所と少しの短所も知りながら、かけがえのない友として愛してくれている試衛館の皆や自分を慕ってくれている新入隊士の存在も眼に入らないほどに、ただもう自分から逃げたかったのだ。
そして、目指した先は、たぶん江戸でも富士山でもなくて、「ここじゃないどこか」だったのだと思う。
しかし、山南さんは、とりあえず草津を目指しながらも、明里さんに「お腹が空いた」と言われれば水茶屋に入ってしまう。伊東先生の言葉を借りれば「詰めが甘い」とか「情に流される」ということかも知れないが、自分の命覚悟で決断した脱走にしても、心の底で新選組を捨ててよかったのかという躊躇い《ためらい》が残っていたのが、無意識に出ているのではあるまいか。
馬に乗ってとろとろと進む総司君を見て、なぜ「沖田君、ここだ」と言ってしまったのか。いろいろな解釈が成り立つだろうが、白牡丹は「あぁ、この人はやはり新選組の皆が好きなんだなぁ」と思った。一度は新選組を脱すると決めて行動に出たけど、自分を見逃すつもりで総司君を追っ手に選んだ近藤さんの心情が理解できた瞬間に、このまま明里さんと逃げるのではなく、新選組の中で死にたいと思ってしまった自分に気づいた。そして、その瞬間に、状況を直視できずに逃げてきた自分の弱さを含めて、素の自分と向き合えたのだと思う。
総司君が口にしたように、誰も望んでいない死である。それどころか、近藤さんや土方さんを含めて関係者の全ての心に傷を負わせる死である。ブログ「水川青話」でYKさんが「今週の新選組! 友の死 ――改めて」で「でも、だとしたら、それは傲慢だ。身勝手だ」とお書きになっていることに、白牡丹も、その通りだと思う。ブログ「ろくでなしの日々」の記事「永遠の道連れ」で猫右衛門さんが「山南サン、1人での永旅は淋しかったのかな、やっぱり。だから旅のお供に連れてくのかな、歳三の“人”の心を」とお書きになっているように、山南さんを友と思う者たちにとっては脱走されるよりも苛酷な死である。自ら死を選ぶ人間は、残された者の悲嘆や心痛を思いやれないほどに視野狭窄しているものだけど。
「……私はあなたと出会い、そしてあなたに賭けた。近藤勇のため、新選組のためにこの身を捧げてきました。……しかしそれはもう、私の手の届かないところへ行ってしまった」
手の届かなくなった新選組に自分が存在するための唯一の方法が、自分の命を絶つこと。
組織の中にあって決して我が儘を言わなかった山南さんの、生涯最期にして最大の我が儘。
……山南さんの切腹に悲嘆に暮れる人たちが、山南さんの文武を愛していたんじゃなくて、弱さを含めた人柄を愛していたことを、山南さん、わかってくれただろうか。
合掌。
☆★☆★
第30話から第33話についての白牡丹の感想のうち、山南さんと土方さんを中心に状況分析したシリーズがだいぶ貯まったのでリストとして書きだしておく。
「組織編成と報酬 土方さんはなぜキレたのか」
「組織感覚と対人関係 土方・永倉・山南のケース」
「心の傷は、見えないところで、さらに深くえぐられる……土方さんと山南さんのケース その1」
「心の傷は、見えないところで、さらに深くえぐられる……土方さんと山南さんのケース その2」
「「謀反」と「造反有理」の差……建白書事件をめぐって」
「土方さんの「共犯幻想」が崩れた瞬間」
「山南さん、自縄自縛……」
「第32話の山南さん……人と人とのつながりを通じて何かをなすこと 」
「「願ふことあるかもしらず火取虫」……『新選組!』山南さんの軌跡」
30代半ばでマネジャーに昇進したのはよかったが、それから仕事がうまく行かないこと続きで、無力感に苛まされる《さいなまされる》毎日、今から思えば鬱病寸前だった。
頭でっかちで、仕事も対人関係も経験不足なままマネジャーを任されて、あっぷあっぷ。あの当時は自分だけでなく部門全体が力不足だったから、本当に責任が重荷だった。まして、今よりも失敗への耐性が低くて、電話がかかってきては「また失敗したのではないか」とビクビクものだった。
組織再編で一旦マネジャーを外れた時は、逆にほっとしたくらいだった。そして、時が経つと共に、自分がマネジャー時代になぜうまく行かなかったのかを、冷静に振り返られるようになった。
自分の弱みや弱さを素直に認めること、それが全てのはじまりだった。マネジャーだって何もかも完璧にできるわけではないし、未知の仕事が入ってくればわからないことだって沢山ある。それをうまくやるためには、部下も含めた組織の力をどう引き出すか、上司や同僚の力にどう頼るか、そういう発想に立った時に、自分が楽になった。そして、さらに、失敗することを怖がっていてはダメで、失敗しないようにはするけど、失敗したら失敗したで、それで人生が終わるわけではない、失敗から何を学ぶかが大事なんだと考えられるようになった時に、もっと楽になった。
三年前から再びマネジャーに戻って仕事をしているが、以前と違って、自信を持って仕事ができるようになった。以前よりも仕事の場数を踏んだこともあるけど、失敗するのが怖かった自分から、成功するためにはどうすればいいのかをまず考えられるようになったからだと思う。
第30話から第33話までの山南さんに、どうしてこんなに関心を持つのか、ようやくわかった。「あなたは私です」……正確には、「あなたは、昔の私です」だが。何もかも放り出してどこかに逃げ出してしまいたいと思っていた私は、実際に新選組を脱走するほどまでに自分に絶望してしまった山南さんほどには追い詰められなかったけど、山南さんが脱走した心理もその人格的な弱みも、あの頃の自分自身を鏡で見るようだ。
☆★☆★
山南さんは、何から逃げたのか。白牡丹は、新選組から、ではなくて、状況を直視し立ち向かえない自分から逃げた、のだと思う。
文武両道でありながら、武の方では新選組が必要とする実戦に強い剣士になれない自分、文の方では強硬に新選組を組織化しようとする土方さんに押され、軍師の武田観柳斎や参謀の伊東先生など幹部の中でも存在感の小さくなっていく自分。
「歴史は動いても、我らは相変わらず蚊帳の外」
「時代は動いているのに、我々は何をやっているのか」
志とのギャップに嘆く山南さん。でも、修羅の道を行くと決めて強硬に突き進んでいく土方さんと違って、第30話以降の山南さんは土方さんに反対を唱える以外に、何か状況を変えるために行動しているだろうか。
建白書事件は、土方さんの言うように「唆した《そそのかした》」のではなく、土方さんと対立した永倉さんを引き留めるためにとっさに浮かんだ知恵。その時の山南さんは、まさか、自分が推薦した葛山武八郎さんが切腹を迫られることになるとは思っても見なかったに違いない。
だが、自分の言動が引き起こした悪い結果から、山南さんは何を学んだろう。
山南さんの欠点の中で、今回最も致命的だった欠点――これは、昔の自分にも通じるので、よくわかるのだが――自分の弱みや弱さを直視できないことだったと思う。自分のヘタレな部分がよくわかっているからこそ、見るに堪えられない。直視することに痛みが伴うから。でも、直視しないから、ますます、失敗や挫折を乗り越えられず、内に内にこもってしまう。
明里さんと出会って、ようやく自分の胸の挫折感を素直に口にできる山南さん……でも、山南さんの言葉の意味を理解できない相手にしか言えないほど、臆病なんだよな(汗)。そういう山南さんを天性の明るさで受け容れてくれた明里さんに、感謝。
明里さんを連れて京都を出ると決心した山南さん、では本当に明里さんとふたりで暮らすために脱走したのかと考えると、白牡丹はそうではないんじゃないかと思う。山南さんは、今の新選組の中にあって無力感に苛まされる自分から逃げたかっただけじゃないか、と。
芹沢さん一派を斃す《たおす》までには、自分が必要とされる場も、自分を必要としてくれる人(特に「同志」の土方さん)も、見えていた。でも、人を斬れない、強硬な土方さんに押し切られる、伊東先生にも知識と議論でかなわない、と、いくつも自分の弱さを実感させられる場面を経て、失敗に立ち向かう術もなく、自分の弱さを認められない自分に嫌気が差した。
この時の山南さんには、山南さんの多くの長所と少しの短所も知りながら、かけがえのない友として愛してくれている試衛館の皆や自分を慕ってくれている新入隊士の存在も眼に入らないほどに、ただもう自分から逃げたかったのだ。
そして、目指した先は、たぶん江戸でも富士山でもなくて、「ここじゃないどこか」だったのだと思う。
しかし、山南さんは、とりあえず草津を目指しながらも、明里さんに「お腹が空いた」と言われれば水茶屋に入ってしまう。伊東先生の言葉を借りれば「詰めが甘い」とか「情に流される」ということかも知れないが、自分の命覚悟で決断した脱走にしても、心の底で新選組を捨ててよかったのかという躊躇い《ためらい》が残っていたのが、無意識に出ているのではあるまいか。
馬に乗ってとろとろと進む総司君を見て、なぜ「沖田君、ここだ」と言ってしまったのか。いろいろな解釈が成り立つだろうが、白牡丹は「あぁ、この人はやはり新選組の皆が好きなんだなぁ」と思った。一度は新選組を脱すると決めて行動に出たけど、自分を見逃すつもりで総司君を追っ手に選んだ近藤さんの心情が理解できた瞬間に、このまま明里さんと逃げるのではなく、新選組の中で死にたいと思ってしまった自分に気づいた。そして、その瞬間に、状況を直視できずに逃げてきた自分の弱さを含めて、素の自分と向き合えたのだと思う。
総司君が口にしたように、誰も望んでいない死である。それどころか、近藤さんや土方さんを含めて関係者の全ての心に傷を負わせる死である。ブログ「水川青話」でYKさんが「今週の新選組! 友の死 ――改めて」で「でも、だとしたら、それは傲慢だ。身勝手だ」とお書きになっていることに、白牡丹も、その通りだと思う。ブログ「ろくでなしの日々」の記事「永遠の道連れ」で猫右衛門さんが「山南サン、1人での永旅は淋しかったのかな、やっぱり。だから旅のお供に連れてくのかな、歳三の“人”の心を」とお書きになっているように、山南さんを友と思う者たちにとっては脱走されるよりも苛酷な死である。自ら死を選ぶ人間は、残された者の悲嘆や心痛を思いやれないほどに視野狭窄しているものだけど。
「……私はあなたと出会い、そしてあなたに賭けた。近藤勇のため、新選組のためにこの身を捧げてきました。……しかしそれはもう、私の手の届かないところへ行ってしまった」
手の届かなくなった新選組に自分が存在するための唯一の方法が、自分の命を絶つこと。
組織の中にあって決して我が儘を言わなかった山南さんの、生涯最期にして最大の我が儘。
……山南さんの切腹に悲嘆に暮れる人たちが、山南さんの文武を愛していたんじゃなくて、弱さを含めた人柄を愛していたことを、山南さん、わかってくれただろうか。
合掌。
☆★☆★
第30話から第33話についての白牡丹の感想のうち、山南さんと土方さんを中心に状況分析したシリーズがだいぶ貯まったのでリストとして書きだしておく。
「組織編成と報酬 土方さんはなぜキレたのか」
「組織感覚と対人関係 土方・永倉・山南のケース」
「心の傷は、見えないところで、さらに深くえぐられる……土方さんと山南さんのケース その1」
「心の傷は、見えないところで、さらに深くえぐられる……土方さんと山南さんのケース その2」
「「謀反」と「造反有理」の差……建白書事件をめぐって」
「土方さんの「共犯幻想」が崩れた瞬間」
「山南さん、自縄自縛……」
「第32話の山南さん……人と人とのつながりを通じて何かをなすこと 」
「「願ふことあるかもしらず火取虫」……『新選組!』山南さんの軌跡」
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