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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 冷房病がたまって肩凝りがきつくなってきたので、行きつけのマッサージ師にもみほぐしてもらった。1時間以上も世話になるので、マッサージ師さんとは共通の趣味であるサッカーやマンガの話をすることが多いが、白牡丹が新選組に関心があると知っているので今日は『新選組!』にも話題を振ってくれた。



 ドラマについて白牡丹が何を語ったかは、このブログの読者には想像がつくだろう(笑)。若者の群像劇としての面白さである。



 話が当時の時代背景に及んだ。白牡丹が幕末維新についてこういう視点も必要ではないか、と語ったことをマッサージ師さんが面白がってくれた。



 本宅の「まじめモード」で新選組マネジメント論も手をつけたばかりで当時の時代背景について論を進める余裕はないのだが、今日は「床屋談義」として白牡丹が語った幕末維新論をちょっと膨らませて、ここに書き留めておきたい。

 試論の段階なので不備は多々あることをご承知願いたい。また、本格的な論文ではないので、参考文献などの提示は控えさせていただく。



☆★☆★



 260年続いた幕藩体制が崩れた原因には政治システムの疲弊や外交問題を契機として突出した雄藩と幕府との対立など政治的な要因もあるが、白牡丹が着目しているのは経済的な要因である。



 幕藩体制の基本は米本位制である。農家が税金として幕府や藩に収めた米を、幕府や藩は米問屋に買い上げてもらい、換金して政策に使う。時代劇などではいかにも苛斂誅求な税制であるかのように描かれていることも多いが、税の対象外である野菜などの作物からの収入などを勘案すると、税率は全収入の4割程度。今のサラリーマンに対する税率とあまり変わらない。



 経済が藩などの単位で藩札を発行して流通させ、自給自足の閉鎖経済だった時は、それで賄えた。だが、元禄時代から文化文政時代を経て、商品経済が発達してくると、米以外の商品も藩を超えた流通システムに乗る。酒や味噌・醤油といった食品だけでなく、着物や織物、紙なども北前船などを通じて全国に回るようになる。閉鎖経済が崩れ、一大都市(当時は世界最大の人口を集めていた)江戸をはじめとする消費経済システムが生まれ、藩単位の閉鎖経済が次第に崩れていく。



 (ここはまだ勉強不足だが)農家からの米の税制に負っていた幕府と藩に属する武士たちは、消費経済の発達に伴い、米を換金するだけの収入からでは生活を賄いきれなくなってくる。当時の武家人口は妻子を含めて人口の1割程度で、現在の国家公務員と地方公務員の世帯を足した数と比べて多かったかどうかはまだ分析していないが、歳費を賄いきれずに商家から莫大な借金を背負う藩が続出する。

 その中で比較的に早い段階で借金棒引きを含む思い切った経済改革に成功するのが長州や薩摩といった雄藩で、その経済力が幕末の軍事力につながっていくわけだが、長州や薩摩には、朝鮮との対馬貿易、中国との琉球貿易という隠れ収入源があったことは幕末の経済を見る上で押さえておいた方がいいと思う。当時、薩摩はぎりぎりのところまで反幕府には踏み切らないのだが、幕府の開国政策に対抗する尊皇攘夷論には朝鮮との貿易を行うことを黙認されてきた長州藩の危機感が背景にあったと白牡丹は仮説立てしている。



 さて、幕府が開国貿易に踏み切ったことで、まず交易品として海外に流出したのは絹糸や絹織物。大河ドラマ『新選組!』ではそこまで描く余裕はないのだが、新選組の中核であった試衛館のメンバーの何人かは多摩の出身。多摩は、八王子を始めとする絹織物の産地であり、また、上州など他の絹織物を横浜に流通させる「絹の道」があったところである。ドラマでは多摩の富農のひとつ、滝本捨助の生家が強盗に狙われる場面があったが、多摩は欧米との通商で潤った家もあり、欧米との貿易で物価高騰となり苦しくなった家もあり、そういう意味では開国経済の縮図となった地でもある。

 そこから新選組が生まれてきたというのがどういう意味か、白牡丹はまだ分析できていないが、そういう経済圏に育ってなおかつ八王子千人同心など将軍家に対する忠誠心が厚い人々が暮らしていた多摩から新選組が生まれるのは、歴史的には必然かも知れないという感覚である……十分に言葉に落ちていないのだが。



 幕末から明治維新にかけての動乱はいろいろな切り口があるだろうが、白牡丹的には「経済破綻の収斂プロセス」としての政治体制の変化という側面を押さえておく必要があると思っている。

 税金としての米を中心とするシステムが米相場の高騰(3月に松前藩屋敷を訪れた時に当時の米相場のグラフを見たのだが、江戸時代を通じて、多少の上下をしていたものの260年間のほとんどを通じて一定していた米相場が、幕末になって急騰していた)によってどうなったか、これはもう少し分析しないとわからない。が、米相場の急騰によって、米からの収入に頼る幕府や各藩が潤ったということはなく、むしろ他の諸物価も高騰し、かつ社会情勢が不穏な時期にあって軍事費負担が増えた結果、もっと困窮したと見ておきたい。さらに幕府は、尊皇攘夷派の外国人暗殺や長州・薩摩の対外戦争の賠償金を抱え、経済的には破綻寸前となっている。



 明治維新への原動力にはいろいろな諸要因があったことは確かで、かつ、王制復古から鳥羽伏見の戦い・戊辰戦争を経る以外の決着もあり得ただろうと考える白牡丹だが、経済的には、閉鎖経済を前提とした経済システムがどうにも立ち行かなくなり、藩単位の経済システムを捨てて国家単位の経済システムに統合し、諸外国との交易を進める、いわば収斂のプロセスであったとも思う。

 方々に軋轢はあったし、その軋轢を軽く見るつもりはないが、近代的国家への変身の過程において、経済の近代化は避けられなかったし、そこに手をつけていなければ国家としては欧米列強には対抗できなかったろう。



☆★☆★



 90年代初期、白牡丹がアメリカに留学していた時に、日本の経済政策や貿易を批判していたリビジョニストが台頭していた。その論客のひとり、ジェームズ・ファローズの講演を聴きに行ったことがある。

 今でも印象的なことは、日本人は、明治維新と第二次世界大戦による敗戦を時代の大きな転換点として見ているのに対して、ファローズ氏は、日本の経済システムは江戸時代の延長線上にあるという見方、つまり経済の近代化のプロセスにおいては江戸時代からつながっているという見方をしていたことだ。

 その話を聞いて、欧米との貿易が始まり、欧米列強との経済戦争で日本が互していけたのは、欧米的な近代化ではなかったけれど手工業の産業基盤が江戸時代に確立されていたからではないかと、白牡丹は眼からウロコに感じた。

 まぁ、そんな個人的な体験もあって、とりあえず書いてみた「経済破綻の収斂プロセスとしての幕末維新」であるのだが……どんなもんでしょうかね。
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