新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
『のだめカンタービレ最終楽章 前編』を見てきました。原作ファンでもあるのですが、実写でここまでよく映像化できたなぁと思います。新キャストの中では、千秋様の先輩格である指揮者の松田幸久に谷原章介さんをキャスティングしたのが一番ツボです……昨日NHKのドラマ『顔』でのシリアスな主演作を見たばかりでしたので、演じ分けにも感心しましたし(爆)。
昨日までは落語『芝浜』だったのが、今夜はクラシック音楽三昧です(^^ゞ。
福島
米沢藩の資料300点発見 部隊編成図など
戊辰戦争に関して新たな発見があるといいなぁ。
茨城
14代将軍家茂の形見分けだった 一橋家に伝わる2点県立歴史館調査で判明
家茂公の遺品が一橋家に伝わっていたと知ると、将軍家の歴史をしみじみと感じます(ほろ)。
東京
丸ビルで正月2日から龍馬展
長野
蚕都上田の父 来年150年祭
井上井月の映画、制作発表
福井
東本願寺至宝展 金沢でスタート
滋賀
やちにゃん香港デビュー せんとくんも
「やちにゃん」以上に「せんとくん」に対して香港の人たちがどう反応するのかに興味津々です(笑)。
広島
坂本竜馬知って 「土佐弁カルタ」大会 1月17日、新市図書館
高知
龍馬に年賀状を! 飛脚姿の局員、高知の龍馬像下に配達 ネット中継も
佐賀
文化関係者ら招き内覧会 特別展「近代との遭遇」
長崎
シュガーロード踏破ぜよ! 「長崎街道すごろく」発売
ドイツ
京の伝統、欧州に紹介=輸出で活気を-独
コラム
第22鉄 駅マンションに新撰組――“情報の秘境”流山線をゆく
「日本で唯一、公式Webサイトを持たない旅客鉄道会社」が流山鉄道だったとは……^_^;。
昨日までは落語『芝浜』だったのが、今夜はクラシック音楽三昧です(^^ゞ。
福島
米沢藩の資料300点発見 部隊編成図など
須賀川市の日大工学部講師で歴史研究家の松宮輝明さんは、29日までに、戊辰戦争などに関係する米沢藩の上杉家の資料約300点を発見した。
米沢藩は会津藩などと奥羽越列藩同盟を組んで戦った。
戦術、部隊編成などの実情を知る貴重な手掛かりになるとみられる。
今後、一般公開なども検討する。
今年の大河ドラマの舞台にもなった藩の関係資料とあって、注目を集めそうだ。
戊辰戦争に関して新たな発見があるといいなぁ。
茨城
14代将軍家茂の形見分けだった 一橋家に伝わる2点県立歴史館調査で判明
徳川将軍家の一族である御三卿の一つ、一橋徳川家に伝わる盥(たらい)と湯桶(ゆおけ)が、第十四代将軍徳川家茂の形見分けの品だったことが、県立歴史館の調べで分かった。徳川将軍家では歴代将軍が死去するたびに、御三家や御三卿などに将軍の形見を配分する慣習があったが、同歴史館主席研究員の永井博氏は「家茂関係の遺品は幕末動乱期ということもあって、徳川宗家以外にあまり伝わっておらず、極めて珍しい」と指摘している。 (吉原康和)
家茂の遺品と判明したのは、黒漆地葵紋入盥と湯桶の二点。家茂が生前、洗顔などに使用していたもので、来年一月十一日まで県立歴史館一橋記念室で開かれている「御三卿のくらし」に展示されている。
永井氏が展示品を整理中、盥などが入った箱の裏側に付いていた張り紙に「昭徳院様(家茂の戒名)御残品 慶応二年九月八日」などと書かれていたことから、家茂の死後に一橋家に拝領された遺品であることを突き止めた。
家茂は安政五(一八五八)年、十三代将軍家定の後継者として、幕府大老の井伊直弼らの支持を受け、一橋慶喜擁立派との抗争の末、紀州藩主から十三歳で第十四代将軍となった。文久二(六二)年に孝明天皇の妹、和宮と結婚し、公武合体を推進したが、慶応二年七月、第二次長州征伐の途上の大阪城で急死した。
遺品が配分されたのは、張り紙の拝領年月日から、家茂の遺体が江戸城に運ばれた後とみられる。一橋家の当時の当主は、後に家茂の後継として十五代将軍となる慶喜だった。
一橋家に伝わる古文書や美術、工芸品など約六千点に及ぶ史料は昭和五十九(一九八四)年、一橋家から県立歴史館に一括して寄贈された。家茂の遺品と分かった盥や湯桶は、今回が初めての展示という。
家茂公の遺品が一橋家に伝わっていたと知ると、将軍家の歴史をしみじみと感じます(ほろ)。
東京
丸ビルで正月2日から龍馬展
千代田区丸の内の丸ビル7階ホールで来年1月2日から、坂本龍馬ゆかりの品々を集めた企画展「龍馬と土佐の志士たち」が開かれる。11日まで。
展示されるのは高知県立坂本龍馬記念館所蔵の「海援隊約規」や、同志の武市半平太、中岡慎太郎の書簡など。岡田以蔵の所有とされるピストルの県外展示は初めてとなる。
1月からNHK大河ドラマ「龍馬伝」が始まるのに合わせた企画で、ドラマのメイキングビデオ上映や撮影に使用した衣装、小道具の展示も行われる。入場無料。午前11時~午後8時。11日は午後4時まで。
4~8日には1階「丸の内カフェイーズ」にウツボなど高知県の特産品を販売するコーナーが設けられ、店内では米ナスやユズなど同県産食材を使った特別メニューを準備する。
長野
蚕都上田の父 来年150年祭
3月に資料展 6月生誕イベント
小県蚕業学校(現上田東高校)の初代校長で、「蚕都上田」の発展に尽力した三吉米熊(よねくま)(1860~1927年)の生誕150年を祝うイベントが来年、1年間を通じて上田市内で行われる。
米熊は長府藩(現山口県)出身。駒場農学校(現東大農学部)卒業後、1881年(明治14年)に長野県の官員になり、蚕の病気や養蚕技術の研究を始め、国の調査員として渡欧した。帰国後、1892年に開校した小県蚕業学校の初代校長となり、亡くなるまで36年間務めた。当時の記録によると、同校は創立から25年間に青森県を除く全都道府県から学生が集まり、約1300人の卒業生を県内外に送り出した蚕業教育の一大拠点だったという。
米熊は上田蚕糸専門学校(現信州大繊維学部)の創立にもかかわり、1911年からは同校教授も務めた。これらの功績をたたえ、上田城跡公園(上田市二の丸)内に胸像が建てられている。
「三吉米熊生誕150年祭」は、米熊や、その父で坂本龍馬とも親交が深かった長府藩士・三吉慎蔵(1831~1901年)が残した幕末・明治維新の資料を保存、活用する市民団体「米熊・慎蔵・龍馬会」(島喜治会長)が中心となって企画。上田地域の各高校同窓会や、かつて製糸業を営んでいた電子部品・発泡スチロール製造会社「笠原工業」、現在も蚕種生産を続ける「上田蚕種」も加わって、今月、実行委員会を結成した。
150年祭では、3月3~7日にプロローグとして上田情報ライブラリー(上田市天神)で、小県蚕業学校と上田蚕糸専門学校の授業風景写真や講義用ノートなどの資料を展示。米熊の誕生日6月10日には胸像前で生誕を祝い、年間通じて米熊と慎蔵、龍馬に関連するイベントを行う。
また、上田東高校同窓会は、1930年に小県蚕業学校が米熊に関する資料を集めて発行した「三吉米熊先生」の復刻版を刊行する。
米熊の孫、治敬さん(71)は「祖父も私も代々上田市のお世話になっている。いい150周年になって、少しでも恩返しができれば」と話している。
(2009年12月30日 読売新聞)
井上井月の映画、制作発表
幕末から明治期にかけて伊那谷を放浪し、数多くの俳句を残した俳人、井上井月(せいげつ)(1822~87年)を題材にした映画「ほかいびと~伊那の井月~」の製作発表会が29日、伊那市内で開かれた。監督を務める同市美篶(みすず)出身の映像作家、北村皆雄さん(67)らが撮影への意気込みを語った。
福井
東本願寺至宝展 金沢でスタート
真宗大谷派が京都・東本願寺で所蔵している美術品などを展示する「東本願寺の至宝展―両堂再建の歴史」(真宗大谷派、朝日新聞社など主催)が29日、金沢市香林坊1丁目の百貨店、香林坊大和で始まった。訪れた人らは、普段は人々の目にほとんど触れることのない棟方志功らの作品など、約80点に見入っていた。1月12日まで。
2011年の宗祖親鸞聖人750回御遠忌(ご・えん・き)記念。現在のあわら市にあった大宗教都市・吉崎御坊の絵図や豪華な襖絵(ふすま・え)などの美術品、江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の書状など幕末の貴重な史料なども展示されている。真宗大谷派の江尻静哉・参務は「北陸の方々や東本願寺が伝えてきたものが目に見える形で展示されている。そんな背景をくみ取ってほしい」と話している。
兄妹3人で富山市から訪れた大学3年生の舘頌子さん(20)は「普段は見られない展示品から、日本の歴史と東本願寺の役割がわかるのが面白い」と話していた。
一般800円、大学・高校生600円。問い合わせは香林坊大和(076・220・1111)。
滋賀
やちにゃん香港デビュー せんとくんも
幕末の大老・井伊直弼の次女、弥千代姫をモデルに彦根市の商店街「四番町スクエア」のキャラクター「やちにゃん」が来年2月12~16日、香港に渡り、新年祝賀イベントに参加する。
彦根のゆるキャラで海外を訪れるのは、今年6月にハワイへ飛んだひこにゃんに続き、2体目。
やちにゃんのほかに、奈良県の平城遷都1300年祭の公式キャラクター「せんとくん」など関西2府4県のキャラクター計12体が参加。香港政府観光局主催の旧正月イベント「チャイニーズ・ニューイヤー・ナイト・パレード」などで関西への観光を呼び掛ける。
キャラクターを使った街おこしに取り組む彦根市の「ゆるキャラさみっと協会」の荒川深冊代表理事は「新たな日本文化としてゆるキャラを発信したい」と意気込みを話した。
(伊藤弘喜)
「やちにゃん」以上に「せんとくん」に対して香港の人たちがどう反応するのかに興味津々です(笑)。
広島
坂本竜馬知って 「土佐弁カルタ」大会 1月17日、新市図書館
来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の主人公・坂本竜馬を子どもたちに知ってもらおうと、福山市新市図書館(同市新市町新市)は1月17日、竜馬の故郷・土佐藩の方言を集めた「土佐弁カルタ」大会を開く。地元高知市でも開催された例がなく、同図書館は「福山になじみ深い竜馬が話した言葉に親しんで」と参加を呼び掛けている。
福山市鞆沖では幕末、竜馬ら海援隊を乗せたいろは丸が紀州藩船と衝突し沈没。竜馬は鞆に残り、藩を相手に談判を重ねた史実が残る。
かるたは44枚あり、縦約15センチ、横約10センチの大判サイズ。「あわてなや すんぐに行くき 待ちよって」などの土佐弁が書かれ、裏に標準語訳を記している。高知市の土産物店でも販売されているという。
大会では、参加者が2グループに分かれ、方言を読み上げるCDのアナウンスを聞き、取った札の数を競う。大会は午後2時から。要予約で先着20人。
高知
龍馬に年賀状を! 飛脚姿の局員、高知の龍馬像下に配達 ネット中継も
【高知】来年の元日、高知・桂浜の坂本龍馬像の下に、全国の龍馬ファンから送られた「龍馬あての年賀状」が届く--。福岡市の龍馬ファンでつくる「龍馬街道実行委員会」が、こんなイベントを企画した。当日は飛脚姿の郵便配達員が桂浜の町を走り、ファンの思いを届けるという。
実行委はインターネット上に数多く存在する龍馬のサイトを集約した情報サイト「龍馬街道」を運営。08年11月、福岡市のファンらが「龍馬に関する『情報の道』を作ろう」と設立した。
来年はNHK大河ドラマも始まる「龍馬イヤー」だけに、実行委は「不況を吹き飛ばすイベントを」と年賀状企画を発案。高知県立坂本龍馬記念館と共同で、10月に専用の年賀状セットを2000部販売したところ、2日間で完売。追加発売の1000部も1週間で売り切れた。
年賀状の筆者には龍馬や勝海舟、ジョン万次郎ら幕末の偉人の子孫、大河ドラマに出演する女優・広末涼子さんらも加わった。
1日は龍馬像前で配達式を予定。午前7時半、飛脚姿に扮(ふん)した地元郵便局の配達員が年賀状を龍馬像に届ける。当日の模様はネット中継され、年賀状の内容も龍馬街道のホームページなどで公開される。実行委の吉冨慎作さん(31)は「日本中の龍馬への熱い思いが集結する日にしたい」と意気込んでいる。【三木陽介】
佐賀
文化関係者ら招き内覧会 特別展「近代との遭遇」
幕末から明治にかけて海外を訪ねた佐賀人の足跡や功績を、歴史と美術の視点でたどる特別展「近代との遭遇―世界を見る・日本を創(つく)る―」の開場式が30日、会場の佐賀県立美術館で開かれた。文化関係者ら約100人が、海外に学んで日本近代化の礎を築いた人々を顕彰する展覧会の開催を祝った。1月1日に開幕する。
展覧会は県立佐賀城本丸歴史館の開館5周年を記念し、同館と県立美術館、佐賀新聞社でつくる実行委員会が主催。第1部「開かれた近代の扉」と第2部「描くことの近代」の2部構成で、歴史資料や絵画など計約150点を展示する。
開場式では志岐宣幸県副教育長や吉田茂佐賀新聞社専務、留守茂幸県議会議長が「展覧会を通して多くの人に郷土の先人たちの志の高さを感じてもらいたい」などとあいさつ。テープカットに続く内覧会では、全国各地から集められた貴重な歴史資料や、佐賀出身の久米桂一郎や岡田三郎助らが描いた名画が紹介され、会場から感嘆の声が上がっていた。
同展は1日に開幕し、会期は2月14日まで(1月12、25、2月8日は休館)。観覧料は一般1000円、大学生800円、高校生以下と障害者は無料となっている。
長崎
シュガーロード踏破ぜよ! 「長崎街道すごろく」発売
江戸時代に渡来した砂糖が運ばれ、現在はシュガーロードとも呼ばれる長崎街道(長崎-小倉)にちなんだすごろく「龍馬も歩いた長崎街道すごろくシュガーロード編」が今月、長崎市の企画・編集会社「ノンブル」(河村規子代表)から発売された。
長崎を振り出しに、各宿場町を通りながら小倉まで駒を進める。「カステラ」「こんぺいとう」など各地の銘菓を学び、そのカードの獲得を競い“お菓子の旅”を楽しむ。NHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、駒には坂本龍馬や勝海舟、シーボルト、お龍など幕末の人物のイラストを使用。すごろくは紙製で、手作りの雰囲気を大切にしている。
同社はこれまでに、長崎を題材にした塗り絵、かるたの子どもシリーズを発売しており、すごろくはその第3弾。河村代表は長崎街道沿いの自治体などでつくる「シュガーロード連絡協議会」の委員。昨年、その設立記念シンポジウムで、すごろく製作が提案され、同社が製作に乗り出した。
河村代表は「親子や子ども同士で、長崎の文化や歴史に触れ合いながら、昔ながらの遊びを楽しんでほしい」と話している。
長崎市内の書店などで発売。840円。問い合わせはノンブル(電095・829・0102)。
ドイツ
京の伝統、欧州に紹介=輸出で活気を-独
【フランクフルト時事】長い歴史と豊かな情緒を誇る京都。外国人にも人気の高い観光地だが、町の文化を支える伝統技術は衰退が著しい。そんな「匠(たくみ)の技」を欧州に紹介し、輸出などで活気を呼び戻そうと、有限会社「京都センター」が12月半ば、フランクフルトにオープンした。
センターでは、扇や焼き物といった伝統工芸品のほか、日本酒やお茶などさまざまな京都の地物を販売。社長の佐野惠子さん(38)は「テーマ性を持った企画や講習会を通じ、ドイツの生活様式に合うような提案を行いたい」と意気込む。
佐野さんは京都嵯峨芸術大学などで日本民俗学を専攻した元学芸員。職人を追った展覧会を数多く手掛けたが、伝統技術や固有の食材が消滅の危機に直面している現状を痛感。「展覧会を開催したり、論文を書いたりしているだけではだめ」と、学究の世界から独力での普及活動に飛び込んだ。
京都市の門川大作市長は、「友禅染は最盛期の30分の1に縮小するなど深刻な状況。何とか世界に発信したい」とセンターに期待する。
「幕末から昭和初期にかけて、京都から欧州へ扇の輸出が拡大した。絵柄を油絵風にするなど、かつて職人は外国の様式に合うよう努力していた」と佐野さん。19世紀、欧州の印象派などに大きく影響した「ジャポニズム(日本趣味)」をフランクフルトから再び興すのが夢だ。
コラム
第22鉄 駅マンションに新撰組――“情報の秘境”流山線をゆく
上野駅から常磐線で約30分の馬橋駅。ここから小さなローカル鉄道「流山線」が発車する。終点の流山まではわずか5.7km。地元の日常生活に密着した路線で、鉄道ファンからは、「日本で唯一、公式Webサイトを持たない旅客鉄道会社」としても知られている。そんな“情報の秘境”流山線を旅して、珍しい建物、史跡、夕暮れの風景に出会った。
(中略)
さて、流山と言えばもう1つ、忘れてはならない歴史の大舞台がある。新撰組の近藤勇が最後の陣を張ったところだ。電車に乗って流鉄の終着駅、流山へ行こう。駅前に観光案内の看板があるから、新撰組にゆかりの地を歩いてみたい。もっとも、+R Styleの主役は電車。流山駅には電車の車庫があるので、ホームからひとつひとつ撮影していく。もうすぐ走り出すという新車を見つけてうれしくなった。
肌寒い中、駅員さんが僕のきっぷを回収しようと待っている。申し訳ない。でも鉄道好きの気持ちを分かってくださるのか、何も言わずに事務室に戻られた。改札を出るときに駅員さんに声を掛けてきっぷを渡す。ちょっと意外そうな表情を向けられた。きっぷを記念にほしいという人が多いのかもしれない。僕は「普通のきっぷは売り上げ精算業務で使うだろうから、もらってはいけない」と思っている。もともとコレクションには関心が薄くて、思い出に必要ならデジカメで撮るか、記念きっぷを買うほうだ。
うっすら日暮れ時の流山を歩く。新撰組の陣屋跡はすぐに見つかった。鉄道ファンにとって流山は「流鉄が走り、つくばエクスプレスも開通した町。東武野田線や武蔵野線もあって便利だね」という認識だ。しかしここは、水運が盛んな江戸時代に大発展を遂げた土地。醤油や酒、みりんなど、重い荷物を出荷する醸造業で栄えた。商売で発展したから金持ちも多く、幕末は商人たちがさまざまな思惑で各陣営に軍資金を支援したかもしれない。
流山の金持ちといえば、流鉄の出自も珍しく、地元の名士たちがお金を出し合って作った軽便鉄道だ。政府や大資本がドンと作ったわけではない、地元資本でできた独立系鉄道会社。「鉄道作ろうや、お金を集めよう」というわけで、流山の旧家には流鉄の出資者がたくさんいるらしい。そんな経緯から、尊敬の念を込めて流鉄を「市民鉄道」と呼ぶファンも多い。
話を幕末に戻そう。甲州の戦いに敗れ、盟友とも袂を分かった近藤勇と土方歳三は、再起をかけて流山にやってくる。その噂を聞きつけて、賛同者が集まってくる。しかし、すでに大政奉還後のこと。その勢いは官軍も引き寄せてしまった。大久保大和を名乗った近藤の身柄は、ここで官軍に渡されてしまう。これ以上、流山の支持者に迷惑を掛けられぬと、自ら身を差しだしたという説もあるそうだ。
新撰組陣屋跡の道をさらに南へ。江戸川に沿い、三郷方向へ歩いていく。庚申塚がいくつかあって、キッコーマンの工場があって……。かつてこの道を近藤勇も歩いたのかな、と思いを馳せてみる。光明院、赤城神社も新撰組隊士が駐在したところだ。暗くなってしまったけれど、お参りだけさせていただく。
(以下略)
「日本で唯一、公式Webサイトを持たない旅客鉄道会社」が流山鉄道だったとは……^_^;。
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山本耕史さんの「伊勢多摩音頭」の検索から
こちらを拝見しております。
何が僕の琴線に触れるのか解らないのですが
あの唄を聞くと涙が出てしょうがないんです
歌詞の解明ありがとうございます。
『鴨を酔わすな』伊勢多摩音頭の場面、私も大好きですよ。
広沢様を歓迎する宴の席で絡む鴨をたしなめる仲間(手下)がいないのに対して、かっちゃんの窮地を助けようとするトシや源さんや永倉・原田の協力が対比されていた場面でしたね。
オリジナルの曲だそうですが、昔からある伊勢参りの歌などの系統を取り入れている懐かしい感じの節回しですね。山本さんもさすが歌いこなしてましたし。
歌い始めてだんだん乗ってくるトシ=山本耕史さんの表情がよかったです(^^)。
まだまだ『新選組!』ファンを続けておりますので、よろしかったらまたお寄りください。
「伊勢多摩音頭」→「多摩伊勢音頭」です(^^ゞ。