新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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ラッキーにも博物館主催のセミナーに参加することができ、解説つきで特別展を見学できました。定員は20人のところ、10名ちょっとぐらいでした。ほとんど函館か函館周辺の方という印象を受けました。
五稜郭分館には冷房が入っていないので(汗)、タオルと団扇を装備して参加したのですが、お話と見学に夢中になっていたので、暑いのも余り気にならずに2時間過ごせました。
配布されたレジュメが合計5枚。戊辰戦争の経緯と、特に敗者側の中で北海道に入植した旧会津藩と旧白石藩(仙台藩の支藩)を取り上げた特別展の背景が書かれたものでした。白牡丹、母方の祖母が白石出身なものですから、今回取り上げられた片倉小十郎ら片倉一族の北海道入植は非常に興味深いものでした。
展示物で印象に残ったものは……
泣血氈(きゅうけつせん)……会津藩降伏の時に西軍側は藩主容保公の席に敷物を用意していなかったため、会津藩側が用意したもの。色は、時代が経って色変わりしたのかも知れないのですが、サーモンピンクに近い色でした。ところどころに虫食いのような穴がありましたが、会津藩関係者に少しずつ分け与えた跡らしいです。
第十一代和泉守兼定……容保公が土方さんに与えた刀そのものではないのですが、同じ作者による刀が抜き身で展示されていました。博物館の方は「あっち(後述する土方さんの写真)の前に置きたかったんですが」と言ってました。スペースの関係でできなかったようですが、そのお気持ちが嬉しかったです。
京都守護職始末……ひょっとして山川大蔵さん直筆の原本? 和紙に綴られたのが一冊、何気なく置かれていました。
土方さんの写真……昨年発見された(驚)写真の拡大コピー。平家や佐藤家に伝わるのと同じ半身像なのですが、明治時代に函館に入植した元会津藩士の子孫宅で発見されたそうです。代々雑賀孫六郎を名乗る一瀬某としか記憶してなかったのですすが、ネットで調べると、この人のことらしいです↓。
http://aitouka.hp.infoseek.co.jp/aitou_shashinkan_ichinose.htm
一瀬重村、またの名を雑賀孫六郎。若き日の榎本が参加した蝦夷調査隊にも参加しており、箱館戦争でも榎本の元で戦った元会津藩士のひとり、維新後には開拓使として北海道に入植。
土方さんの写真の入手経緯はわからないのですが、後に函館で譲り受けたものでしょうか?
古写真……たぶん函館市博物館所蔵の原版だと思うのですが、榎本武揚が左手で刀を持っている半身像、フランス軍事顧問団の集合写真、右端に「和装の土方?」と噂されている人物が写っている(私は違うと思うのだが……サイト幕末京都より)榎本軍幹部たちの写真のオリジナルを直接見ることができました。
高松稜雲に徳川慶喜が送った扁額……「至誠一貫」の四文字。稜雲先生の生き方を称えるのにふさわしい言葉なのだけど、慶喜がこの四文字を書いたなんてなぁと、複雑な心境になりました……(汗)。
五稜郭分館には冷房が入っていないので(汗)、タオルと団扇を装備して参加したのですが、お話と見学に夢中になっていたので、暑いのも余り気にならずに2時間過ごせました。
配布されたレジュメが合計5枚。戊辰戦争の経緯と、特に敗者側の中で北海道に入植した旧会津藩と旧白石藩(仙台藩の支藩)を取り上げた特別展の背景が書かれたものでした。白牡丹、母方の祖母が白石出身なものですから、今回取り上げられた片倉小十郎ら片倉一族の北海道入植は非常に興味深いものでした。
展示物で印象に残ったものは……
泣血氈(きゅうけつせん)……会津藩降伏の時に西軍側は藩主容保公の席に敷物を用意していなかったため、会津藩側が用意したもの。色は、時代が経って色変わりしたのかも知れないのですが、サーモンピンクに近い色でした。ところどころに虫食いのような穴がありましたが、会津藩関係者に少しずつ分け与えた跡らしいです。
第十一代和泉守兼定……容保公が土方さんに与えた刀そのものではないのですが、同じ作者による刀が抜き身で展示されていました。博物館の方は「あっち(後述する土方さんの写真)の前に置きたかったんですが」と言ってました。スペースの関係でできなかったようですが、そのお気持ちが嬉しかったです。
京都守護職始末……ひょっとして山川大蔵さん直筆の原本? 和紙に綴られたのが一冊、何気なく置かれていました。
土方さんの写真……昨年発見された(驚)写真の拡大コピー。平家や佐藤家に伝わるのと同じ半身像なのですが、明治時代に函館に入植した元会津藩士の子孫宅で発見されたそうです。代々雑賀孫六郎を名乗る一瀬某としか記憶してなかったのですすが、ネットで調べると、この人のことらしいです↓。
http://aitouka.hp.infoseek.co.jp/aitou_shashinkan_ichinose.htm
一瀬重村、またの名を雑賀孫六郎。若き日の榎本が参加した蝦夷調査隊にも参加しており、箱館戦争でも榎本の元で戦った元会津藩士のひとり、維新後には開拓使として北海道に入植。
土方さんの写真の入手経緯はわからないのですが、後に函館で譲り受けたものでしょうか?
古写真……たぶん函館市博物館所蔵の原版だと思うのですが、榎本武揚が左手で刀を持っている半身像、フランス軍事顧問団の集合写真、右端に「和装の土方?」と噂されている人物が写っている(私は違うと思うのだが……サイト幕末京都より)榎本軍幹部たちの写真のオリジナルを直接見ることができました。
高松稜雲に徳川慶喜が送った扁額……「至誠一貫」の四文字。稜雲先生の生き方を称えるのにふさわしい言葉なのだけど、慶喜がこの四文字を書いたなんてなぁと、複雑な心境になりました……(汗)。
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