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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
落語をライブで聴き始めたのは2010年。「渋谷に福来たる」シリーズには2012年から。落語ブームなのだろう、チケットが取りにくくなった。殆どの会が売り切れ御免。神田松之亟が牽引している講談はもちろんのこと、新作祭りの回も売り切れ。

【S-1】春は新作で行こう! 渋谷春の新作祭り
さくらホール
トーク/全員

 新作をする人たちでもよくセッションをする人とそうでない人があるようで、談笑さん喬太郎さんはあまりコンビで見たことがない。そのせいか、どこかぎこちないところがニヤニヤできるトーク。
 途中、談笑さんがアンケート。新作落語初めてな人はパラパラ。この10年間に落語ファンになった人が(私を含めて)圧倒的に多い。つまり、落語は昭和の名人たちが亡くなっても伝統芸能として死ななかったばかりか、平成も終わりの10年間に新しいファンを獲得したということ。
 喬太郎さんが入門したのが平成元年、談笑さんが平成4年だそうだから、平成の30年間は古典落語とともに新作落語が産まれ続けた30年間といえる。

一、働き方改革/粋歌
 赤ちゃんを預けずに連れて行ける職場。介護のおじいちゃんを預けずに連れて行ける職場。ニートなダメ彼氏を預けずに連れて行ける職場。
 カオス(笑)。

一、猿の夢/談笑
 おお、久しぶり。調べてみたら実はライブで初視聴だった。たぶんネットか録画かで一度見たことはあったので初めて感がなかったけど、「猿の夢」とか「原発息子」とか時々かけて欲しい。

仲入り
一、配信息子/わさび
 おぉ、中学生のユーチューバーが落語の主人公になり得るんだなぁ。喋り方が落語のそれとはまったく違うけど、わさびさんよくできるなぁ。

一、結石移動症/喬太郎
 針医堀田とけんちゃんの石(結石)。初めて。確かどこかの三題噺の会で誕生した作品。

【S-2】林家彦いち 30周年記念落語会的な
一、口上/白酒・兼好・喬太郎・彦いち・白鳥・談春
 談春さんが並んで頭下げていたので会場がどよめいた。芸協の人はいなかったが、落語協会、円楽一門会、立川流からそれぞれお祝いに来るという中々の建て付け。
 しかし、内容はグダグダ(だからいい)。司会の白酒は慣れてなくて噛むし、白鳥が不適切発言しては談春に頭をはたかれる。まぁ面子が面子だから。でも彦いちさんの人徳。
 
一、新版三十石/白酒
 志ん輔さんの「夕立勘五郎」も好きなんだけど、白酒さんの「新版三十石」も好き。別に田舎者を馬鹿にしているわけではなく、コンテンツを伝えるべき話芸に起こるディスコミュニケーションが面白いの。

一、黄昏のライバル〜彦いち編〜/白鳥
 白鳥さんお馴染みの作品ではあるのだけど、なぜか白鳥さんと中のいい彦いちさんのファンが潮引くところが続く(笑)。

仲入り
一、桃太郎/兼好

 まるで教科書かお手本のような兼好さんの「桃太郎」。私は圓生を継ぐ落語家が円楽一門会から出るとしたら兼好しかいないんじゃないかと思う。

一、長島の満月/彦いち

 白鳥とのミクロネシア旅行における強盗事件、むちゃ面白い。白鳥さんがテンパると羽根を閉じる(笑)。また、マクラに話した足立工業高校における正楽師匠の紙切りが最高に可笑しかった。パンダ4枚って(笑)。
 長島の満月は2回目。ユニークすぎる長島の少年時代。
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 前月の古今亭菊之丞師ゲストの回に続け、柳亭市馬師匠の会なのでやって来ました。テーブルを一緒に囲ったのは、市馬ファンで初めてこの会にいらした初老のご夫婦、古典から現代の落語まで結構聴き込んでらっしゃる女性、私の4人。隣り合わせたその女性と落語談義しながら酒を酌み交わす。

酒の肴膳

先付け 亀戸大根の田楽

八寸 ぶり大根 玉子焼き
   法蓮草の白和え 柿なます
   豚ロース野菜巻き
   ポテトフライ オニオンリング
煮物 木の葉南瓜 焼き湯葉
   人参 蒟蒻 鴨ロース
   ブロッコリー

向付 鮪と鯛の演舞場風カルパッチョ

主菜 マトウ鯛のソテー トマトチリソース掛け

御飯 焼きおにぎり梅茶漬け

水菓子 抹茶大福生クリーム入り

 亀戸大根など野菜はOme Farmさん提供の有機野菜。なので亀戸大根とか美味しー。

 また、お酒も4種類振る舞われた。神奈川県海老名で「酒造りは米作りから」とう信念で、全国でも珍しい「栽培醸造蔵」である泉橋酒造さん提供。

いづみ橋 大雪にごり活性 純米酒
いづみ橋 青ラベル 恵 純米吟醸酒 ←好きかも
いづみ橋 秋とんぼ 楽風雅 純米吟醸酒
いづみ橋 黒とんぼ 生・純米酒 ←好きかも

 また、落語会は前座+二つ目+真打ち二本の大サービス。さすが市馬師匠。しかも三味線におそのさんを伴って、はめものは本物。

開口一番
手紙無筆/市松

武助馬/市童

掛け取り美智也/市馬
 この季節がやって参りました。今日は狂歌家主〜相撲〜芝居〜三橋の旦那とたっぷりの大サービス。観客やんやの手拍子。

中入り

味噌蔵/市馬
こちらは帳面をドガチャガしてくれる番頭さんのおかげで羽目外しまくりな豪華大宴会。その最中に赤西屋のご主人が帰宅してしまって大騒動。

 落語に詳しいお隣さんと落語談義できて楽しかったー。
幕末志士、江戸文化に光…維新150年
ゆかりの地巡り 子孫「サミット」
西郷隆盛の銅像(13日、上野公園で)
西郷隆盛の銅像(13日、上野公園で)
坂本龍馬と黒船をモチーフに品川区が作ったキャラクター(品川区提供)
坂本龍馬と黒船をモチーフに品川区が作ったキャラクター(品川区提供)

 明治維新から150年となる今年、幕末の志士や江戸の文化に光を当てる事業が都内の各自治体で計画されている。2020年東京五輪・パラリンピックを控えていることもあり、各自治体とも、国内外に「江戸」や「東京」を発信する好機と捉えているようだ。

 台東区と墨田区は、江戸城の無血開城(1868年)を決めた勝海舟と西郷隆盛を中心に、維新で活躍した人物ゆかりの場所を巡るツアーなどを企画している。

 勝海舟は現在の墨田区出身で、区役所前に銅像があるほか、台東区には、上野戦争で新政府軍側として彰義隊と戦った西郷隆盛の銅像や、勝とともに「幕末三舟」と呼ばれ、無血開城に尽くした山岡鉄舟と高橋泥舟の墓がある。

 両区は、こうした場所を巡るツアーのほか、今秋には、「江戸を守った男たち」をテーマにしたシンポジウムも開く予定。台東区は江戸時代から続く区内の商店を顕彰するなど江戸文化の継承にも力を入れる。


 品川区は、江戸時代に土佐藩の下屋敷があったことから、坂本龍馬に注目。また、土佐藩は1853年にペリー艦隊が浦賀に来航すると沿岸警備にあたった。

 こうした歴史から、区は龍馬と黒船をモチーフにしたキャラクターを案内人として、志士の活躍ぶりなどを紹介する動画を製作する。

 完成した動画は動画投稿サイト「ユーチューブ」に配信したり、イベントで公開したりする予定で、区は新年度予算案に530万円を盛り込んだ。

 一方、江戸時代に細川家や前田家といった大名屋敷があった文京区は、新年度予算案に148万円を計上し、区ゆかりの大名の子孫を招く「殿様サミット」を開催する。各大名家の地元自治体を招き、それぞれの大名家の研究発表などを行う予定だ。

 都も、江戸時代の代表的な大名庭園である浜離宮恩賜庭園(中央区)で今秋、映像を投影するプロジェクションマッピングを活用し、歴史ある庭園と最新の映像技術を融合させるイベントを開く。

 小池知事は「伝統と革新が共存する東京の魅力を、明治維新150年を機会に改めて再発見してもらいたい」と呼びかけている。

2018年02月22日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

いちばん好きな新撰組キャラは? アンケート〆切は2月25日まで【新撰組の日企画】
2月27日は新撰組の日。新撰組の前身である壬生組が結成された日であることから制定されました。アニメでも新撰組をモチーフとしたキャラクターは大人気です。史実に沿っていたり、大胆なアレンジが施されていたりと、作品によって多彩なキャラが登場します。

そこでアニメ!アニメ!では、「いちばん好きな新撰組キャラは?」と題した読者アンケートを実施します。自由回答形式で、これだと思うキャラクターと作品名をお答え下さい。

アンケートはこちら

〆切は2月25日(日)23時59分まで。アンケートの結果はまとまり次第公開します。お楽しみに。
 ヒジカタ君と答えてしまいました。『幕末Rock』の近藤勇・土方歳三・沖田総司も入れておくべきだったかな……いやそれ言うたら『銀魂』の真選組メンバーも……。
歴史学者の磯田道史さんのインタビューが東京新聞に掲載されていましたので、ご紹介します。明治維新というか維新を契機とする近代国家化はどう進んでいたのか、萌芽がどこにあったか、「戊辰百五十年」をむしろ言っている私も同意できるような内容です。

<変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く> (1)維新がもたらしたもの
 日本が近代国家として歩み始めた明治元年から、ちょうど百五十年。『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』などの著書で知られる歴史学者の磯田道史さん(47)に明治維新から大正、昭和、平成への時代のつながりを聞いた。(聞き手・中村陽子、清水俊郎)

 -はじめに、「明治百五十年」について、あるいは明治維新について、どうお考えですか。

 私は今年のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」の時代考証を担当しています。歴史家として逸話を出していくわけですが、引き受ける時から、明治をひたすら明るい側面からだけ描くつもりはありませんでした。

 明治維新が、日本の社会にとって大きな変化、断絶であったことは事実です。節目を祝う立場ももちろんあるでしょうが、考え直す立場もあってよい。この機に、今に至る歴史のきっかけを見つめたらいいのではないかと思います。

 -それではまず、明治という時代の「明るい側面」から伺いましょう。

 たとえばこんなことを考えてみます。明治維新によって、私の家系である「磯田家」は得したのだろうか、損したのだろうか。私は、小さい頃は、すごく損したと思っていたんです。そりゃそうでしょう。先祖の家は、岡山藩の百二十石取りのお侍さんで、領地がありました。自宅は保証され、自動的に参政権どころか、執政権まである。それが全部とられて、すっからかんになったんですから。

 でも、いや待てよ、と、もう少し考える。もし私が江戸時代に生まれて、歴史学者になりたかったら、家を出て廃嫡(はいちゃく)(※注1)してもらわないと、なれなかった。

 当時の人たちは、商売をして楽しく暮らそうとか、天下を取ろうと思っても、思ったようにはできなかったわけですよ。でも今は、何をやってもいいですよね。江戸時代の身分制がなくなり、そういう個人の生き方の自由度が格段にあがりました。

 -しかし、明治に起きた変化によって、消えていった文化があります。

 私から見ると、今年は明治から百五十年であるのと同時に、江戸消滅から百五十年だという感覚があります。「江戸百五十回忌」とでもいいましょうか。この側面も、忘れてはいけないと思いますね。江戸の中にあったいいもの、明治維新によって失われてしまったものをよく認識する必要がある。悪いところもいっぱいあった社会ですけれども、学ぶべきところはたくさんありますから。

 日本は、維新で多様性を失ったともいえるのです。江戸時代には、藩によって重視する政策が異なり、身分制度の中にあっても、特徴に応じたさまざまな人材を出していました。今でいうダイバーシティですね。

 軍隊をつくる際も、当初は陸軍はフランスに、海軍はイギリスに学ぶというような多様性がありましたが、やがて国家のモデルをプロイセン・ドイツ型に統一します。だって「富国強兵」という国家目標に沿ったものを上から注入するという形で、効率よく変えるわけですから。雑木林のように豊かだったものを、一回崩れたら倒れやすい杉林のようにして、一気に西洋化を進めていきました。

 -維新で失った文化がある一方、現代まで根強く残る旧弊もあります。

 敗戦で完全に破壊されて、さらに自由な社会にはなったわけですが、現代に至っても、日本人の根っこの部分には、世襲での経路依存の体質がありますね。経路は来し方という意味です。会社などの組織でも、長く居る人に絶大な信頼を置くでしょう。たとえば入って三日で社長になる、というような例はほとんど聞かない。本当は社の外に、もっと会社を発展させる人材がいるかもしれないのに。働く人も、長く勤めていれば、当然偉くさせてもらえるという考えが、頭から離れていないですよね。

 -ドラマ「西郷どん」では、どのような歴史認識をベースに監修を?

 西郷隆盛は、明治維新に理想を持っていたけれど、最後は下野して、西南戦争(※2)で死にます。維新の暗い面、良くなかった面でもって、彼の人生は完結しているわけです。ひょっとしたら、後になって「こんなはずではなかった」と思っていたかもしれません。明治維新で政府に入った人が世襲を始めて、利権を分け取りにする。新政府のメンバーは破格の年収。一部の華族には、貴族院の議席まで世襲させるというのです。

 「四民平等」を掲げていたはずなのに、自分たちはどうして、議会の議席が世襲されるような制度を作る結果になってしまったのか。日露戦争の後には、百人もの人が爵位を授けられました。そういう政府ですから、結局、軍部の暴走を抑えられず、華族という制度そのものがなくなります。

 明治維新は、効率よく近代化、西洋化を進めるという面では非常に「うまく」働いた。中には特権を維持し続ける人もいましたが、個々人の選択を増やすという面でもいいふうに働いた。一方でそれは、植民地を持つことにつながり、東アジア諸国から恨みを買う帰結を迎えました。

◇ことば
 ※1 廃嫡…家督の相続人の相続権を失わせること。

 ※2 西南戦争…1877年2~9月、鹿児島の士族らが起こした反政府の反乱。征韓論を巡る政変で下野した西郷隆盛が中心となった。

 <いそだ・みちふみ> 1970年、岡山市生まれ。国際日本文化研究センター准教授。慶応義塾大大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。専門は日本史、社会経済史。著書に『武士の家計簿』『無私の日本人』『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』など。
<変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く> (2)司馬作品と史実のズレ
 -現代の日本人が、明治維新と明治時代に抱く歴史認識は、国民作家である司馬遼太郎さんの作品が影響していそうです。小説が伝える歴史は、史実とは少しズレていると指摘されることもありますが、どう捉えればいいのでしょう。

 幕末の長州藩の吉田松陰や高杉晋作たちを描いた『世に棲(す)む日日』、薩摩藩から輩出した群像の物語『翔(と)ぶが如(ごと)く』…。これら司馬さんの作品から、歴史の流れを知る人も多いでしょう。史実に近いものもあれば、史実から遠めになっているものもあります。

 時代が早いほど、資料が少ないので想像の部分が多いですし、セリフの多くは架空のものです。読者は、それを歴史上の人物が実際に言ったと理解してしまうことがあるわけです。しかし、言ってもおかしくないことが書き込んであるから、分かりやすくなる。

 司馬文学は、地図に似ていると私は思っています。地形を表すものとしては、航空写真が一番正確なはずですが、われわれは、写真をそのまま渡されても、目的地までの道はよく分からない。略地図を持って歩くほうがよっぽど歩きやすい。つまり司馬作品は「歴史の略地図」なんです。

 実際は長い道が短く書いてあったり、逆もあったりする。現実を理解しやすくした「時代の略地図」だと知った上で読む必要がある。それが「司馬リテラシー(読解力)」だと思うんですよね。

 もう一つ言えるのは、司馬さんが『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』を書いたのは、今からだいたい五十年前。「明治百年」だった当時と今を比べると、歴史学の認識が進んでいます。さっきの例えで言えば、これまで航空写真が撮られていなかったところも撮影されて、新たな図面が出てきている。そういう部分も意識しておくといいですね。

 -研究によって歴史の空白が埋まり、新しい認識、見方ができているということですね。

 たとえば明治維新への動きは、司馬さんが小説で書いたよりずっと早くから、いろいろな藩で見られることが分かっています。

 司馬さんの時代には、ペリーの来航がきっかけで日本が変わったように語られていました。だからペリーがエイリアン(異星人)のように急に来たと認識している人が多いと思います。でもその後の研究でみると、それは違うんです。

 西洋の船は、一八〇〇年を過ぎるとしばしば日本近海へ現れるようになる。水戸、薩摩…。特に外洋に面している藩は、十分に外国の危機を感じていたはずです。

 一八二〇年代になると、三角マストの西洋帆船が普通に報告されるようになります。薩摩藩の場合、トカラ列島の宝島で、英国の捕鯨船と交戦状態になります。同時期に、水戸藩にも捕鯨船がやってきています。
<変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く> (3)維新はどう芽生えたか
 -いくつかの藩では、ペリー来航以前から、すでに外国の危機を感じる経験をしていたのですね。

 一七〇〇年代末に、ロシアで暮らした大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)(※注)もいました。帰国してロシア人の格好で徳川将軍に会うわけです。その後は今の靖国神社(東京都千代田区)の場所にあった薬草園に隔離して住まわされるのですが、自由に人とは面会する。好奇心が強い学者たちと交流して、ロシアや西洋の知識をたくさん語りました。

 そんなこともあって一八二〇年ごろには、分かる人たちは、もう十分に外国の危機を感じていた。洋学を初期に学んだ学者は、西洋列強が強大な海軍を持っていることを、数量も含めて示しています。

 列強は早晩やってくる。日本じゃかなわないような海軍力と、新式の武器も持っている。対処するには日本が藩でバラバラに分かれていたんじゃ話にならないから、オールジャパンで一致結束し、外国の侵略に対処しなければならない…。だから海軍をつくり、統一の指揮下に入れる。そういう意識が生まれてきます。明治維新への一本の道になっていくわけです。

 -そこから「他国を侵略する」という発想もでてきたのでしょうか。

 これは一八七〇年ごろに開発されたライフル銃とも関係があります。

 ここで皆さんに考えていただきたい。西洋人が火縄銃を発明したのは五百年以上前。フランシスコ・ザビエルが日本に来た時にはもう火縄銃があったのに、アジアが西洋の完全な植民地になったかというと、なっていません。他の国を支配することは、火縄銃では無理なんですね。

 それはなぜか。一分に二発しか発射できず、百五十メートル離れると、厚手の服を着ていればけがをしない武器だからです。けれどライフルは射程が五百メートルに伸び、さらに連発式が発明される。大砲に応用され、人間をなぎ倒すものになる。

 -武器の変化が、社会のありようを変えたのでしょうか。

 戦争のやり方が、大量に庶民を徴兵し、ライフル銃の訓練をして、戦場で相手を圧倒する方法になっていきます。国同士で争い、別の地域を植民地として支配する体制ができ上がります。

 日本もこれに加わるのか、やられる側に回るのかという二者択一が迫られるわけです。日本は、国民国家をつくって植民地を増やす方向に、かじを切ることになりました。

 ちなみに、庶民の参政権の歴史も、武器の変化がつくったといってもいいと私は思っています。徴兵された兵士は政治への参加を求めるようになるので、男性による「民主国家」ができあがります。やがて「銃後の守り」も重要になる物量の戦いになると、工場に徴用される女性も政治参加するようになっていきます。 *次回は9日に掲載します。

◇ことば
 ※ 大黒屋光太夫…1751~1828年。伊勢国(現在の三重県)生まれの船頭。江戸へ向かう回船が暴風で遭難。ロシア領に漂着し、10年近く過ごした後、帰国した。井上靖、吉村昭らの小説でも有名。
<変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く> (4)教育・行政 近代化の原点
 -明治維新により、日本は一気に近代化しました。急速な近代化はどのように始まったのでしょう。

 そもそも明治維新とは何か、という点から、もう一度考えてみましょう。達成されたことの一つは、江戸時代の身分制が壊れたこと。世襲制を廃止し、学校で勉強ができる人を官僚や軍人にして国家が運営されるようになりました。もう一つは徳川の「公儀」という武家の政府に替わり、新しく「天皇の政府」を作ったこと。その下で富国強兵、つまり工業化と軍事化を進めた。背景には、他国に植民地化されずに独立を保ち、うまくすれば植民地を持つ側に回る、という政治課題がありました。

 これらの要素で分けて、それぞれ出発点を説明しましょう。つまり、天皇がまつりあげられたのはいつからか、学校や官僚制度が形作られたのはいつごろか。そもそも西洋をモデルに国造りをするという発想はどのようにでてきたのか…。

 最初に全体的なことを言うと、だいたい一七八〇年ごろの「田沼時代(※注)」ぐらいから芽が見られます。司馬遼太郎さんが小説を書かれていたころの一般的な認識と比べると、かなり早くから息吹があったというのが、近年の歴史学の研究成果です。

 まず、天皇を日本の中心にまつりあげるという点では、田沼時代のさらに前から芽がある。一七〇〇年より前、だいたい元禄のころでしょう。水戸光圀の「大日本史」などの中で、日本の中心は天皇であると書かれ、「大陸の中国より自分たちの方が忠義・孝行においては尊いのだ」という考えが、頭をもたげてきます。

 田沼時代になると、浅草でつじ講釈師が、こうした内容を語って、庶民は喜んで聴いていました。将軍様の国ではあるけれど、本来は天皇の国で、これが長く続いているから自分たちの国は世界で一番優れているのだ、という考え方が、しだいに広がっていきます。

 -天皇が中心となる社会を受け入れる思想的な素地ができていたんですね。

 けれど現実には、江戸時代の幕府が無力で使い物にならないという認識がないと、明治維新の方向には変わりません。そのきっかけになったものは二つありました。一番大きなものが外国からの危機、もう一つは飢饉(ききん)のたびに財政力を悪化させていた国内政治。内憂外患、内への憂いと外への患いですね。

 そこで薩摩や長州、肥前藩では何を始めたかというと、自分の藩の学校です。従来、藩学自体がないか、自由登校であったのを、出席を藩士に義務化するところが出てきます。

 長州の場合は、学校の成績を月に数回、藩主に報告し、出世に関わるようにした。肥前などでは、成績が悪いと、親の禄(ろく)を相続する時に大幅に減らされる。そりゃあ必死で勉強しますよ。公職につけるかどうかも、藩校の成績が参考になる。やがて身分によらず、勉強のできる人が尊敬されるようになっていきます。

◇ことば
 ※ 田沼時代…江戸中期、田沼意次(おきつぐ)が十代将軍徳川家治の側用人・老中となって権勢をふるい、大きな影響力を持った時代。
<変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く> (5)税の概念、富国強兵の礎
-藩校開設などで各藩に一種の「実力主義」が導入されたのですね。

 その通り。それまでは先祖の勲功によって地位が決まっていました。けれど飢饉(ききん)は続くし財政難ですから、何とかそれを解消したいわけですよ。

 藩校でよりすぐった秀才を代官や郡奉行にして使うと、財政改革をやってくれる。それで成功していく。こうすると「富国強兵」が達成できる。

 富国強兵という言い方は、今は明治のこととして小中学校で教えられますが、今から二百年ちょっと前の藩政改革の中で生まれたものです。学校の秀才を官僚に登用し、藩の富国強兵を実現する。この要素に西洋化が加わればもう「明治維新」なわけです。

 最初にこのモデルを作ったのは、どうも肥後藩の宝暦改革だったらしいと近年分かってきて、私もそう主張しています。細川重賢(しげかた)という殿様が登場して、改革に成功する。取った年貢を農業投資に回して、もっと生産量を増やすということを、効率よく行ったのです。それと、住民からの陳情を細かく受け、それに対応して藩費を支出するという近代行政のもとを作った。

 -藩費からの公的な支出が、近世と近代を画する意味があるのですか。

 近世までの社会では、取った年貢は「地代」であって、武士の純然たる私生活に使うものだった。極論では、農民が飢えて死のうが、お金を出す理由はなかったわけです。それが地代ではなく「税」になる。出す代わりに、サービスがあるわけです。

 例えば港の整備や、用水工事を行うだとか。あるいは、住民の生活保護である「お救い(※注)」に回すということが、きめ細かに行われるようになる。お救いは、江戸時代初期は一部の藩にとどまっていました。農業用の牛を買うお金を貸し付ける藩も少数でした。後期になると、ほとんどの藩が行うようになる。

 お救いと同時に、肥後などの藩で始まったのが「殿様祭り」。君主崇拝です。殿様の誕生日に、お酒を飲んだり、祭壇に殿様をまつったりして武運長久を祈るんです。それまで殿様は、領民にとって特別な存在ではなかったのに、神格化されて、領民の心の中に植え込まれていきます。

 江戸時代的な身分制が、学校と官僚制で崩れていく一方で、忠義心を持てば「お救い」という形で福祉が与えられる。これを大々的に展開したのが長州藩でした。これが日本全土に広がれば、もう明治の天皇制そのものです。

 -近代化をもたらした維新は一夜にしてなったのではなく、明治と江戸との間には連続性があるのですね。初回から今回までで磯田さんによる「維新前後の略地図」の一端を伺いました。ありがとうございました。

◇ことば
 ※ お救い…飢饉や洪水、火災などで生活に困窮した人のために、領主が仮住まいの小屋を設けたり、食料を施したりすること。撫民(ぶみん)、救恤(きゅうじゅつ)ということもある。

<変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く> (6)高識字率で一気に浮上
日本の近代の歩みを、先月に続いて磯田道史さんに聞きます。(聞き手・中村陽子、清水俊郎)

 -これまでのインタビューでは、維新に至るまでのさまざまな変化、君主崇拝の芽生えや、身分制が廃止されて教育制度が充実した経緯などについてお聞きしました。

 明治維新は、江戸時代から各藩の中で一つずつできた「部品」を組み合わせ、西洋の国のかたちを参考に、日本型のものをつくり上げることで達成しました。一般的には、ペリー来航から大政奉還、榎本武揚らの「蝦夷(えぞ)共和国」の消滅のあたりまでがイメージされますが、これは卵の中で育ったひよこが殻を割る瞬間の話にすぎない。卵の殻の中で起きている変化を見ることが、実は大変重要です。それが分からないと、今後、日本が殻を破り、新しい環境に適応した姿に変わっていくための役には立たないからです。

 -明治維新の「明」と「暗」について、もう少し伺いたいと思います。

 明治は、急速な近代化を成し遂げた上り坂の時代として、明るい側面から語られることが多いですね。では、なぜそれほど「うまく」西洋近代化が進んだのか。要因の一つに、識字率があると考えられます。

 識字率が低すぎると、西洋近代化は難しい。飛行機が一定の速度を超えたら飛び上がるように、識字率がこれだけに達したら近代化が進めやすくなるという「浮上点」があるのです。

 -そもそも何をもって「識字」とするのでしょう。

 ヨーロッパならアルファベット、日本はひらがなを使い、人の名前や地名などを読み書きして、ある程度の意思疎通ができることを基準に置きましょう。近代化の浮上点は、識字者が成人男女の人口の30~40%に達する辺りにあるのではないかと、私は見ています。

 カルロ・チポラ(※注)というイタリアの経済学者が、一八五〇年代のヨーロッパの識字率を調べています。それによると、スウェーデンやノルウェーなど北欧諸国は、識字率がすでに七、八割あるんです。英、独、仏は六~八割。イタリアになると二、三割。ロシアは一割以下という数字です。

 同じ時期、日本はどのくらいの識字率だったかというと、おそらくイタリアの上、ベルギーの下で、四割程度という見積もりです。東アジアでは、日本ほどの識字率に達していた国は、ほかになかったと思われます。覚えやすい仮名文字の存在は大きかったでしょうね。

 -なぜ識字率と近代化が関係してくるのでしょう。

 工業化を進めようとすると、機械を作る知的な頭脳と、取扱説明書に従って機械を操作できるくらいの識字能力は、どうしても必要とされます。江戸時代の終わりに、識字率が四割に達していたことで、日本の近代化はスムーズに進み、多大な富をもたらしました。

 世界を見渡してみると、今の一人あたりのGDP(国内総生産)が高い国は、ことごとく百七十年前の日本よりも識字率が高かった国です。ギリシャなど、当時の識字率が三割なかった国の多くは、今なお苦しんでいます。

◇ことば
 ※ カルロ・チポラ…1922~2000年。イタリア生まれの経済・歴史学者。著書に『読み書きの社会史』『経済史への招待』など。本文中のベルギーの識字率は当時5割ほど。

<変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く> (7)武力に頼る集権国家に
-維新の後を「明るい時代」とばかりは言えません。

 日本は明治維新で、非常に強い中央集権国家をつくりました。実は、当時の状況を考えると、そんなかたちになる可能性は低かったんです。大政奉還の時点では、土佐藩ほか、ほとんどの藩は、徳川を新政府に参加させることに反対ではなかった。徳川が参加した形でのゆるやかな分権国家でもよかったんですよ。

 ところが西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允らは「それは承知ならん」と。徳川は、親藩・譜代・天領という形で全国の三分の一の地域に影響力を及ぼしていました。つぶさなければ、新しい国家はできない、と考えたんですね。

 -徳川を新政府に受け入れたらどうでしょう。

 大名が各地に点在し、幕府の官僚制が、そのまま日本に残ります。海軍ぐらいは統一し、やがてゆっくりと集権国家に向かうにしても、効率はよくなかったはずです。士族も残ったでしょう。西郷らには、それでは江戸時代と変わらない、という不安があった。だから、やはり武力討幕するという考えに至ります。

 結果として、出来上がったのは、「プロイセン型」の師団と参謀本部があり、いつでも侵略戦争ができるような強い中央集権国家でした。

 -明治維新のころ、その後を見据えていた人はいたのでしょうか。

 吉田松陰です。幕末に獄中でつづった思想書「幽囚録(ゆうしゅうろく)」は、日本のたどる道を示した予言の書とも言える内容です。<蝦夷(北海道)の地を開墾して、諸侯を封じ、隙に乗じてカムチャツカ、オホーツクを奪い、琉球を諭して内地の諸侯同様に参勤させ、朝鮮を攻めて質を取って朝貢させ、北は満州の地を割き取り、南は台湾・ルソンを収め、漸次進取の勢いを示せ>。さまざまな提言をしています。

 当初は、実際に動員計画があったわけではなく、現実味の薄い内容だったかもしれません。でも松下村塾で松陰に学んだ弟子たちは、頭のどこかに、遺言のようにこびり付いていたのだろうと思います。ここに書かれている思想は、明治以後の外交政策に大きく影響しました。北海道開発、琉球処分(※注)、台湾出兵、日韓併合、満州事変、フィリピン占領と、ほぼ予言の通りに進みました。

 -明治の新政府は、ほかにどんな特徴があったのでしょう。

 政権の核を担ったのは、廃藩置県を断行した薩摩と長州、土佐だけなんです。政府直属の軍隊として、一万人弱の御親兵というのを集めました。けれどその半分は、実は薩摩の兵士です。中身を見れば、革命を進めた「お友達」が集まった政府、という印象が否めないわけです。特定藩の出身者による「お友達政治」のことを、学術的には「有司(ゆうし)専制」と言います。

 この「お友達」すなわち「有司」は、自分たちが決定したことを天皇によって権威づけをし、あたかも天皇の命令であるがごとく実行できる体制をつくりました。新政府で一番問題だったのは、この部分です。

 *磯田道史さんに「明治百五十年」について聞くこのシリーズは、三月以降も掲載します。 

◇ことば
 ※ 琉球処分…明治政府が琉球王国を解体し、日本に併合した一連の政策。1872年に琉球藩を設置、79年には沖縄県とした。琉球の士族を中心に強い反対運動があったが、政府は軍隊と警察を派遣して強行した。



志の輔「牡丹灯籠」、2010年に一度見た直後に公演が途絶え、2013年に再演を見に行き、以後2014、2015、2016、2017と今年は6回目です。毎年チケットは大激戦なのですが、今年は前売りで2枚が確保できず1枚だけ買えました。チケットは別口で入手するから同じ公演を見た後に酒を呑もうと誘ってくれた友人がいて、下北沢で志の輔談義をしながら酒を酌み交わしました。

本当に、いつも暑い夏の盛りで、それも猛暑というほどの日で。牡丹灯籠で暑気払い、というのが習慣になってしまいました。

「前説」「さわり」の二段構成はいつもの通り。30時間にも及んだであろう三遊亭圓朝の口演を、プロの速記者ふたりが筆記していた。それが二葉亭四迷の明治の言文一致体運動に結びつき、テクストとして確立した。

今年は、弟と母を続けて亡くして、新盆だったんだけど、東京にいるとあまりその習慣がなくて(実家でも血の繋がってない祖母の新盆の記憶があまりなく、五年前に父が亡くなった時も新盆とてとりたててしなかった)。でも今月前半にお墓詣りには行っているので、八月の旧盆までちょっと待ってもらいましょうか。身近に死者が出ると、「さわり」の後に志の輔さんがオリジナルで付け加えたお盆の夜の場面がすごく心に沁みます。剣の師匠で父とも慕う(が実は実父の仇でもあった)殿様に「幸助、よくやってくれた、これからは幸せに暮らせ」涙する幸助。子供の頃から父の、そして師匠である殿の敵討ちに二十何年も生きてきた幸助は、やっと仇討ちから解放されて自分の人生を生きることができるのですね。師匠もそれを何より望んでいるでしょう。

そして、伴蔵おみね夫婦が悪党に転落していく様が、恋ゆえに萩原新三郎を取り殺すお露とお米の幽霊より怖い。また、もうひとりの悪党、お国もまた大悪女。






サイト「歌舞伎美人」より、みどころ。
第二部

一、吹雪峠(ふぶきとうげ)

極限に追いつめられた三人の心理ドラマ
 荒れ狂う吹雪の中、必死の思いで山小屋に辿り着いた助蔵とおえん。そこへ、助蔵の兄貴分だった直吉が現れます。おえんは昔、直吉の女房でしたが、助蔵と密通を重ね、駆け落ちをしたのでした。二人を許した筈の直吉でしたが、仲睦まじい様子に耐え切れず、二人に出て行くように命じます。しかし外は猛吹雪。固く結ばれていたはずの二人が、死への恐怖から互いに罵り合い、自らの命乞いをしはじめ…。
 心に潜む感情を剥き出しにする人間の本能を鮮やかに描き出した作品をご覧ください。

二、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

  寺子屋

忠義のはざまで苦悩する夫婦の姿
 武部源蔵は、妻戸浪とともに寺子屋を営みながら、菅丞相の子、菅秀才を匿っています。しかしそのことが時平方に知られてしまい、菅秀才を討つように命じられます。思い悩んだ源蔵は今日寺入りしたばかりの小太郎の首を検分役の松王丸の前に差し出し、なんとか窮地を切り抜けます。しかし、小太郎の母千代が迎えに来てしまい、源蔵が千代に斬りかかろうとしたところへ、松王丸が現れて…。
 時代物のなかでも屈指の名作で、今回は寺入りからの上演となります。重厚感のある一幕にご期待ください。
 落語でいえば新作と古典ぐらいの違いはある。あるいは、近代小説と古典小説の違いの方が近いかも知れない。近代小説は自我を持つ個人の欲望と関係性の中での葛藤で、古典小説は、親子、主従、忠義という建前と親子の情愛という本音の間で葛藤する。

 どちらも面白かった。「吹雪峠」は落語の「鰍沢」を思い出す、見延山詣りの帰り道で雪に降り込まれて小屋に逃げ込む駆け落ち者に、女の夫であり男の兄貴分である直吉が加わり、三人三様のドロドロに。何と言っても七之助のおえんが、不倫という蜜の味に触れて色艶の凄絶なこと。直吉に刀を突き付けられるとコロリと命乞いして助蔵を罵る浅はかさもいい。
 密室劇で自分可愛さに他人を売る本音が剥き出し合って、たまらない。松也も第一部のめいとはまったく違う、病気で気弱になり、女を裏切って兄貴に媚びる、ちゃらいイケメンがうまい。中車は、現代的な作風のこの作品によく合っているが、現代劇で見せている鬼気迫る快演ぶりは感じられず。

 「寺子屋」は今年五月の園菊祭で海老蔵の松王丸、松緑の源蔵、菊之助の千代を見ているのだけど、今日の勘九郎の松王丸、松也の源蔵、七之助の千代の方がずっといい。特に勘九郎は初役だそうだけど、松王丸が首実検して我が子の首を菅丞相の子と言わねばならない悲劇、そして後半は犠牲になった子の立派な死に際をあっぱれと褒めながら、ついにこらえきれず男泣きに泣く場面に武士らしさ漢らしさがある。第三部の玉三郎さんとの共演を見るのが楽しみ。
 七之助さん、松也さんも際だってて、新鮮ながら役に負けていない演技力が冴え、この作品の難しさをきちんと受けとめて消化していたと思う。

<評>歌舞伎座「十二月大歌舞伎」 絢爛豪華 芸の継承
(略)
 第二部の「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) 寺子屋」は「寺入り」のつく形で、市川寿猿の下男三助と市川弘太郎の涎(よだれ)くりがいい。中村勘九郎初役の松王丸は、正体不明の奇怪な役ではなくキッカリと描線の太いのが新鮮で、特に前半を敵役として明確に造形しているので後半の愁嘆が引き立つ。中村七之助の千代は母性もさることながらどこかクールな苦悩が際立つ独特の感触。市川猿弥の玄蕃、中村梅枝の戸浪(となみ)。他に市川中車、松也、七之助の「吹雪峠」。
(略)
『真田丸』で治部刑部ロスに加えてパッパロス、虎之助(清正)ロスと忙しく、でもいよいよ終盤なので奮い立ち、新国立劇場でとてもよかった舞台『真田十勇士』をもう一度見ておこうと神奈川県まで遠征することにしました(爆)。

福島
新選組ファン集う!斎藤一の実像解説 会津若松で全国サミット
 全国の新選組ファンや関係団体が一堂に会して意見を交わす「第17回全国新選組サミットin會津」は24日、会津若松市で開かれ、2018(平成30)年の戊辰150周年に向けて、各団体が会員制交流サイト(SNS)を活用して情報発信に取り組んでいくことを確認した。会津新選組まつり実行委員会(委員長・佐藤功武會津新選組同好会局長)の主催。

 新選組ゆかりの各地で開かれ、同市開催は09年以来3度目。新選組屈指の剣客として知られる斎藤一(藤田五郎)の墓がある阿弥陀寺が会場になった。各団体が戊辰150周年について意見を交わした。佐藤局長は「さらに新選組が注目されるよう取り組んでいきたい」と話した。

 同日は「会津新選組まつり」も阿弥陀寺で開かれ、「斎藤一忌法要」を墓前で行った。記念講演会では、斎藤一のひ孫藤田太郎さん=埼玉県=と佐藤局長が講師となり、残された写真を使って斎藤一の実像について解説した。藤田さんは幕末の会津藩主松平容保との深い関係を例に「斎藤一は会津とのつながりを大事にしていた」と語った。

全国の新選組関係団体団結 若松でサミット 情報発信強化へ
 新選組に関係する団体が一堂に集う全国新選組サミットin会津は24日、会津若松市の阿弥陀寺本堂で開かれた。情報発信の強化として、統一の会員制交流サイト(SNS)アカウントを作成し、それぞれのイベントや事業を紹介することを決めた。
 会津新選組まつり実行委員会の主催、七日町通りまちなみ協議会、会津新選組同好会の主管。ひの新選組同好会、宇都宮新選組同好会、宮古海戦組、戊辰白河新選組など全国の団体の代表ら約10人が参加した。今年で17回目で、県内での開催は4年ぶり。阿弥陀寺には新選組幹部だった斎藤一の墓がある。
 佐藤功武会津新選組まつり実行委員長が「戊辰戦争150年に向けて連携を深めていきたい」とあいさつした。渋川恵男七日町通りまちなみ協議会長が歓迎の言葉を述べた。サミットでは各団体が「新選組まつり」などの顕彰事業や取り組みを報告した。イベントに歴史好きな観光客だけではなく、高校生などの若い世代も参加しやすくする工夫が必要などの意見が出た。
 次回は東京都日野市で行われる。

静岡
ヘダ号
日本初の本格洋式帆船に思いはせ 幕末建造、沼津でシンポ 再建プロジェクト会 /静岡
 「ヘダ号再建プロジェクト会」による初のシンポジウムが沼津市のサンウェルぬまづで開かれ、約100人が出席。幕末に現在の沼津市戸田(へだ)で建造された日本初の本格洋式帆船「ヘダ号」に思いをはせた。

 元東海大海洋科学博物館主任学芸員の岡有作さん(69)は、船大工が1989〜91年にヘダ号の10分の1模型を造った模様を紹介。「ヘダ号オリジナルの4枚の設計図の他、(ヘダ号を元に造られた)君沢形帆船も参考に模型は造られたはず」などと説明した。

 また、江川文庫学芸員の橋本敬之さん(64)は、ヘダ号建造における江川英龍(坦庵)の役割について講演。お台場建設のため江戸へ向かう途中で韮山に引き返したこと、遭難したロシア人に鶏3000羽、アヒル500羽、卵1万5000個を提供したことなどを紹介。「君沢形帆船建造には6隻で1万772両かかっている。1両は現在の約5万円。6で割れば再建費用が算出できる」と話し、笑わせた。

 ヘダ号は日露国交樹立のため下田来訪中だったロシア提督プチャーチン乗船のディアナ号が1854年の安政東海地震の津波で損傷、その後沈没したため、ロシア帰国のため建造された代船。

 会は今年4月に発足した。【石川宏】

新潟
小林虎三郎 よみがえる顔立ち写真あり頭蓋骨から筋肉や皮膚再現
 戊辰戦争からの復興を担い、米百俵の故事で知られる小林虎三郎(1828~77年)の現存する頭蓋骨を基に、その頭部が精密に復元された。...
 ここから先は有料になります(苦笑)。

靖国「賊軍」合祀計画に会津出身者「戊辰戦争の総括が必要」
2019年に創立150周年を迎える靖国神社に祀られるのは「国のために殉じた人々」だけである。つまり神社がつくられた当時の「国=明治政府」に刃向かった幕府軍・会津軍や、西南戦争で敗れた西郷隆盛らは「賊軍」となるため、祀られる“資格”がない。

 だが、彼らの合祀を求める会を国会議員らが立ち上げ、靖国神社に申し入れをするというのだ。発起人を務めるのは保守派の重鎮、亀井静香・衆院議員。そのほか森喜朗氏や福田康夫氏ら首相経験者、二階俊博・自民党幹事長ら与党幹部、さらに、野党議員など70人を超える政治家の賛同を得ているという。

 政界重鎮たちによる申し入れは無視できない重みがありそうだが、そもそも靖国神社への合祀は可能なのか。靖国神社は、この動きについて「存じておりません」とした上で、「当神社は明治2年の御創建から終戦に至るまで、当時の国の合祀判断に基づき、その都度合祀が重ねられてまいりました。当時に遡り、その基準を変更することはございません」と否定的だ。

 だが戦後、靖国神社は国家機関から民間の宗教法人となった。そのため、合祀の可否は神社の最高責任者である宮司の判断に委ねられる部分が大きい。1978年10月には、当時の松平永芳宮司の判断で、A級戦犯14人が合祀されている。亀井氏は自信を見せる。

「A級戦犯とは異なり、中国も文句は言わないだろう。神社と一体となって事業を行なう靖国神社崇敬奉賛会の理解が必要なので、同会の扇千景会長(元国交相)にも根回しを進めている。ただし、最終的な権限は宮司にあるはずなので、徳川(康久)宮司の背中を押したい」

 今回の申し入れについて、当事者の受け止めは様々だ。明治維新後、司法卿として司法制度確立に尽力した江藤新平は征韓論を唱えた西郷隆盛に同調して下野した後、「佐賀の乱」を起こして敗れた「賊軍」だが、佐賀県選出の原口一博・衆院議員(民進党)は合祀に賛同し、提出者を買って出た。

「『乱』という表現は支配者サイドからの観点であり、佐賀県民は江藤の反乱を『佐賀の乱』ではなく、『佐賀の役』と言います。支配者側の一方的な見方ではなく、日本の夜明けのために命を失った方々を改めて評価するのは重要なことです。英霊を鎮魂する場である靖国に敗者を合祀することで、平和への祈りにもなるはずです」

 一方、戊辰戦争の「賊軍」代表、会津出身の小熊慎司・衆院議員(民進党)は、「合祀には賛成」としつつも、複雑な思いをのぞかせる。

「戊辰戦争では会津側の戦死者が長期間、放置されるなど非人道的行為もあった。1864年の蛤御門の変では、会津と薩摩が御所を守り、長州が御所に発砲した賊軍です。それなのに維新後、その長州で維新への功績もない人物までが祀られたのは明らかにおかしい。単なる官軍と賊軍の戦いという見方を改めるためにも、合祀の前に戊辰戦争の総括が必要です」

 会津藩が戊辰戦争で降伏した9月22日に会津で行なわれる会津戊辰戦争慰霊の集いでは、さっそくこの話題が上がったという。しかしながら、合祀は靖国神社の意義を揺るがしかねない問題を孕む。『靖国誕生 幕末動乱から生まれた招魂社』の著者で歴史家の堀雅昭氏が指摘する。

「靖国神社は紛れもなく、明治維新の官軍vs賊軍という戦いの延長線上にある神社です。西郷以下、西南戦争を戦った面々は鹿児島の照国神社に祀られている。それぞれの故郷で祀られ、語り継がれることで、賊軍として戦った意味や、維新の『負の側面』が語り継がれます。安易な合祀は、賊軍側の行為まで蔑ろにしかねない。なによりこれを認めたら、靖国神社が依って立つ歴史的基盤がおかしくなってしまいます」

 賛否両論が渦巻く靖国合祀。当の亀井氏も敗者側の複雑な思いを認める。

「新たに合祀する側の遺族の意向は聞きません。なかには、複雑な感情を抱えて、『もう触れないでくれ』という方もいるだろうが、これまでも合祀に遺族の了承は取っていない。われわれが崇敬の心をもってお祀りするということ。合祀については、あとは宮司の対応を待つのみです」

 折しも2018年の大河ドラマが「西郷隆盛」に決まり、賊軍側に注目が集まっている。靖国神社の歴史観と自らの信念の間で、宮司はどのような判断を下すのだろうか。

※週刊ポスト2016年10月14・21日号


エンターテインメント
食べて生きよ!『ゴールデンカムイ』作者・野田サトル
今年もっとも活躍した男たちを讃えるアワード「GQ Men of the Year」の季節がやってきた。本連載では小誌執筆陣が“極私的”に推薦する2016年の顔を紹介する。第2回は本誌シニア・ウェブ・エディターの冨田秀継が推薦する漫画家、野田サトル。

文・冨田秀継(GQ)

映画や文学がなぜ楽しいのかというと、そこに描かれているのが人の営みであり、そうした人々の生を想像の上で体験できるからだ。

そうした楽しさを甘受できる最良のメディアのひとつが漫画であることに、異論を挟む読者はいないだろう。

そして、さまざまな人の生を体験できる漫画として『GQ JAPAN』が2016年に最も推したいのが野田サトルの『ゴールデンカムイ』(集英社)である。

明治後期の北海道を舞台に、日露戦争を生き残った元兵士・杉元とアイヌの少女・アシㇼパが、網走監獄の死刑囚が秘匿している黄金を探し当てようとする物語。アイヌや軍だけでなく、新撰組の残党からヤクザまでが争奪戦に参入し、それぞれの信念を貫くため、時に非道に、時にコミカルに黄金の手がかりを奪い合う。

今年3月には「マンガ大賞2016」を受賞し、名実ともに現代の漫画文化を代表する作品となった。

群雄活劇とも言える本作品だが、コミカルな料理の描写も魅力的だ。アシㇼパが杉元たちにアイヌの伝統的な狩猟と料理を教える様子が頻繁に描かれており、本作で見られる野趣に溢れたジビエのファンも多い。『ゴールデンカムイ』がグルメ漫画とも言われる所以だ。

たとえば、鳥獣や魚のたたきを意味する「チタタㇷ゚」は、本作ではアシㇼパがリスやウサギをチタタㇷ゚(=つみれ)にし、それをオハウ(=汁)に入れて杉元に振る舞った。このほかにも、北海道生まれでもなかなか食べたことがないであろう「ルイベ」(鮭を冷凍した保存食)から、現在も多くの人に食されている「ニシン蕎麦」(本作では身欠きニシン蕎麦)まで、時々の状況を踏まえながら魅力的に描かれている。

9月下旬には、本作に登場する料理を食べられる「ゴールデンカムイ軒」が東京・渋谷にオープン。1日限りの体験とあって、応募が殺到したことでも話題となった。

──と、このように書いているだけでも楽しいのは、アイヌの言葉が魅力的に響くからだろう。作中でも現代の日本語にはないアイヌ独特の響きが効果的に使われており、軍人の話す規律正しい言葉、新撰組残党の緊張感に溢れた言葉、暴力を背景にしながらも人なつっこさを感じさせるヤクザの言葉とうまく対比している。

最後に、本作のもうひとつの魅力を紹介したい。それは作者・野田サトルのTwitterやブログでの活動だ。

とくに「野田サトルのブログ」では本作のための取材として、樺太アイヌ系のハンターとともに狩猟を体験し、鹿を撃って解体し、そして食する様子がリポートされている。

生きることと食べることの大切さを教えてくれる本作。未読の方には是非ともお勧めしたい。

新撰組とその刀たちが再会するとき ミュージカル『刀剣乱舞』が2作目で描く刀剣男士の心理描写
ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳~が、9月24日にAiiA 2.5 Theater Tokyo(東京都渋谷区)で初日を迎えました。2016年5~6月に上演された阿津賀志山異聞公演に続く2作目となった今作のテーマは幕末。新撰組にゆかりのある加州清光や大和守安定といった刀剣を中心に、彼らのかつての主との物語を描いていきます。刀剣男士の心の揺れ動きを、前作以上に繊細に描き出した今作。演出家が「フランス映画のような作りになっている」と表現するその内容とは。
ミュージカル『刀剣乱舞』は、パソコン・スマートフォン向けゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」を題材とした、ネルケプランニングが制作するミュージカル作品。2015年10~11月のトライアル公演を経て、本公演に当たる阿津賀志山異聞公演を2016年5~6月に上演。1部は舞台本編、2部はペンライトを持って観客が応援できるライブという斬新な構成が話題を呼び、人気を広げていきました。
今作は、熱狂のうちに幕を下ろした阿津賀志山異聞公演に続く2作目の本公演。前作からは加州清光のみ続投し、初登場となる大和守安定、和泉守兼定、堀川国広、蜂須賀虎徹、長曽祢虎徹の5振りを加え、新たな部隊として“刀の時代”が終わる幕末の世へと出陣します。
加州清光と大和守安定は沖田総司の刀。和泉守兼定と堀川国広は土方歳三の持ち刀として知られています。長曽祢虎徹と蜂須賀虎徹はともに江戸時代の刀工・虎徹によって打たれた刀剣で、いわば“兄弟”のような関係。しかし近藤 勇の愛刀として戦場で活躍した長曽祢虎徹は贋作(がんさく)で、名家の家宝として飾られていたとされる蜂須賀虎徹は真作。対局にいるこの2振りの複雑な関係性も、物語に大きな影響を与えていきます。
刀剣男士たちの使命は、歴史修正主義者によって過去に送られた時間遡行軍がもくろむ歴史の改ざんを防ぐこと。しかし、今回の敵の狙いは新撰組。戦いの場でかつての主を目撃することになる刀剣男士は、悲しい結末を知っているからこそ、歴史を守る立場にいながら「ここで主を救うことができれば」と心が揺らぎはじめます。
ゲネプロ前の囲み取材で「すごく泣ける作品になっています」と語るのは、前作に引き続き演出を担当した茅野イサムさん。短い動乱の時代を駆け抜けた新撰組の持ち刀たちが、再びかつての主たちのそばに行くことで、苦しい思いをする物語だと話します。
また、弁慶と義経の物語を軸に展開した前作を「アメリカの大作映画」とすると、今作は刀剣男士の心の部分に迫る「フランス映画のよう」と表現した茅野さん。前作とはまったく異なる作りのため、今作から見る観客にとっても楽しめる内容だと説明しました。
見た目も立ち位置も他の刀剣男士とは一線を画する蜂須賀虎徹役の高橋健介さんは、「新撰組の(持ち刀である)5人と異質な私。それがどう化学変化を起こしていくのか、楽しみにしてください」とコメント。6振りの中で唯一新撰組と関連せず、贋作である兄弟刀の長曽祢虎徹を疎んじている蜂須賀虎徹が、かつての主たちと再会した彼らを見てどのように心を動かしていくのかも見どころの一つです。
加州清光を演じる佐藤流司さんは「刀剣乱舞の面白さは、連れていく刀剣男士によってストーリーが変わるところ」と語り、前作とは違った雰囲気を楽しめると約束しました。
今作でも本編の後に用意されているライブは健在。6振りのコンビネーションが生み出すダンスナンバーやしっとりとしたデュエットなど、幅広い構成で“この時代ならではの戦い”を繰り広げていきます。
前作でも話題となったライブでしか見られないきらびやかな衣装も注目したいポイント。メディアの撮影はNG、物販ページでもライブ衣装をまとった写真だけは非公開という“プレミア感”は劇場でしか味わえません。前作とのつながりを感じさせられるMCでは、阿津賀志山異聞公演に出演していた刀剣男士のファンにとっても盛り上がること間違いなしです。
千秋楽に当たる11月27日(日)午後6時公演は、全国の映画館でライブビューイングを実施。ここでしか見られないヒストリー映像や開演前のコメント映像も上映されます。チケットの一般販売は11月19日(土)午前10時から。先行販売のスケジュールや上映劇場などは公演ページをどうぞ。


「これは迫力あるシーンが見られそう!」『ちるらん 新撰組鎮魂歌』アニメ化決定でファン大興奮
 天下最強を目指す男・土方歳三の人生を描いた大人気漫画『ちるらん 新撰組鎮魂歌』が2017年1月よりテレビアニメとして放送されることが決定した。新選組を舞台に描かれる骨太の歴史漫画のアニメ化に、ファンからは「マージーかぁああ!! めちゃくちゃ大きい楽しみ出来た!」「ちるらんアニメ化、ありがとうございます! メルシー! シェイシェイ! 超絶アツイぜ!」と大興奮の声が上がっている。

 原作を梅村真也、作画は橋本エイジが手掛けている同作。実はこの2人、以前もタッグを組んでおり、幕末を舞台にした漫画『天翔の龍馬』を2009年より『週刊コミックバンチ』にて連載していた。同作は“もしも坂本龍馬が死んでいなかったとしたら?”という斬新な切り口で多くの歴史漫画ファンをあっと言わせたのだが、掲載誌の休刊という不運に見舞われ、惜しまれながらも連載終了となった。

 しかしその後『コミックゼノン』にて再びタッグを組み、『ちるらん 新撰組鎮魂歌』を連載スタート。主人公は薬売りの行商をしながら、己の強さを極めようと道場破りを繰り返す若き青年・土方歳三。ある時、天然理心流・試衛館の門を叩いたのだが、近藤勇に挑みかかり圧倒的な強さでねじ伏せられる。このことにより、かえって奮起した土方はさらなる高みを目指す――。

 新聞記者が、かつて新選組で活躍した永倉新八に土方について話を聞くというスタイルで語られる同作。読者からは「泥臭い土方の姿が迫力満点のタッチで描かれていて面白い!」「打ちのめされてもめげることなく突っ込んでいく土方! 最高にグッとくる」「ちるらんは、キャラデザとストーリーぶっ飛んでてホント面白い」「沖田にボコボコにされたり、近藤に遊ばれたりしながらも最強を目指す姿に惚れた…」と絶賛の声が上がった。

 そして同作のアニメ化が決定。スタッフやキャストなどの詳細の発表はまだされていないが、原作ファンからは「これは無茶苦茶迫力あるアクションシーンが見られそう!」「ちるらんアニメ化とか鳥肌立ったわ! 録画するしかないっしょ」「ヤバい! アツイ! 動くトシさん達を見れるの楽しみすぎ…」と期待の声が。

 『天翔の龍馬』から幕末の動乱の時代を描いてきた梅村と橋本の渾身の作品『ちるらん 新撰組鎮魂歌』のアニメ化。放送までまだ少しあるが、読み応え抜群の原作を読み返しつつ続報を楽しみに待とう。

■アニメ「ちるらん 新撰組鎮魂歌」
放送開始:2017年1月
原作:梅村真也
作画:橋本エイジ
キャスト:未定
2010年以降、今年で5回目。2011と2012が抜けているようだけど、自分の身体には「今回で5回目」と感じるほど、何度も刻みつけたものがあるようだ。落語って同じものを繰り返し聴いても面白いのかと思う方もいるだろうが、心に刻み込まれた作品は、何度繰り返しても、その時その時に違う感じ方や聴き方をする自分がいて、飽きないようになっている。

 ただ、背後の座席で食べ物を入れたポリエチレンの袋をがさがさする人がいたせいで集中力を削がれたのか、今年の志の輔は去年までの志の輔と同じだろうか、違うのだろうか、何だか気になってしまった。ごくごく小さなエンジン音だけど、ノイズがあったことも、あれ、志の輔さんの会場でこんなことがあるかなあと感じた。

 そのせいでちょっと集中できなかったのだけど、前説はいつもの通り、落語口演の前半15時間分の人間関係を解説し、後半では「お札はがし」「栗橋宿」「関口屋強請」のさわりを語り、後は幸助の仇討ちのエピソードで全巻終了、最後に志の輔オリジナルの、お盆の夜に幸助が平左衛門の霊と対話するというもの。

 壮大なストーリーの中に人の欲望や業が絡み、幽霊にお札はがしを頼まれた伴蔵・おみね夫婦は、自分たちを養ってくれる浪人・萩原新三郎がお露とお米の霊に取り殺されるのを助けてしまい、百両という大金を得て、大金を得て築いた栗橋宿の荒物商を築いたものの、伴蔵の浮気に端を発する争いが引き金となって、伴蔵はおみねを幸手宿の土手で追い剥ぎにあったかのように殺してしまう。ところが店の使用人が次々とおみねの霊につかれたように、倒れては伴蔵の悪事を暴露するので、全員を里に帰す。その悪事を聞かされた医師、山本志丈は伴蔵が口封じに殺し、そこで伴蔵はお縄となる。ここからは幸助が師匠飯島平左衛門の敵であるお国・源治郎を討つ話。

 舞台の一部となる越後の村上の名産の話におよび、駅北口の○○水産に普通の荒巻鮭が三本と村上産の塩引き鮭(お殿様に献上するため、腹は開かれていない)が並んで下がっているとのことで、終演後見に行ったが、あいにく村上産のはなくなっており、普通の新巻鮭が三本下がっているだけだった……。
落語と歌舞伎で忙しく、ミュージカルを見たのは久しぶり。20年ぶりの公演だということと、音楽が服部隆之さんであることが興味を惹かれた。

 狸の国が舞台で、ストーリーはシンデレラと白雪姫がベース。日舞あり、オペラあり(翠さんの夜の女王は迫力あった)、島唄の声あり(城南海さん、十六夜姫を撃退する白木蓮様の声が素晴らしく、アンコール部分での「さくらさくら」もいい)、フレンチカンカンやジャズ風のレビューあり、宙乗りあり、殺陣あり、和洋五目で楽しかった。そして、効果音楽に服部隆之さんらしいテイストがあるのが、とても好き。最後のコーラス、アンコール部分の白木蓮様「さくらさくら」の後に尾上松也さん他全キャストによる和太鼓アンサンブルも楽しい。
 年齢問わず楽しめる作品。昭和14年にオペレッタ喜劇として映画化された(残ってないそうだ)のを皮切りに何度も映画や舞台にされているのだそうだ。

松竹 ミュージカル 『狸御殿』
ミュージカル『狸御殿』特設サイト
狸吉郎(狸御殿の若殿)/尾上松也
きぬた(黒造とその先妻の娘)/瀧本美織
餅月満太夫(家老)/小倉久寛
きららの方(狸吉郎の母)/渡辺えり
泥右衛門(山賊の頭目)/赤井英和
お蔦(きぬたの継母)/あめくみちこ
語り部/柳家花緑
そぼろ(腰元)/青木さやか
おくず(お蔦の連れ子)/土屋佑壱
おはぎ(お蔦の連れ子)/大地洋輔(ダイノジ)
白木蓮/城 南海
十六夜姫(隣国の姫)/翠 千賀

 自分的には十六夜姫の夜の女王と黒鳥オディールと白雪姫の継母を掛け合わせた様な魔女役と、白木蓮様の声対決が素晴らしく、特に城 南海さんにはどこかで改めて聴きに行きたいと思った。
台風7号が接近中で帰宅の足が心配ではあるけど、見に行った。

 八月納涼歌舞伎は故中村屋勘三郎が始めた会なので勘九郎・七之助は頑張るし、叔父の橋之助は芝翫襲名前の最後の興行。
「八月納涼歌舞伎」襲名目前に控えた中村橋之助が熱演「これも何かのご縁」

 そしてNHK「ブラタモリ」でタモリが新吉原で取材したエピソードを鶴瓶が新作落語にして、それを勘九郎が歌舞伎にすると2秒で決めた、とか。
<歌舞伎>鶴瓶の新作落語 伝説の花魁話に勘九郎、七之助が挑む
「八月納涼歌舞伎」新作はタモリ発案の落語から、笑福亭鶴瓶「勘三郎が操作」
鶴瓶の新作落語、歌舞伎化 勘九郎が直訴「心温まる友情の話」
タモリも故・勘三郎も大喜び!?笑福亭鶴瓶の新作落語が歌舞伎に!
 鶴瓶噺は聴いたことがないけど、これは期待していいだろうとチケットは先月早々に確保。でも人気があり過ぎて3階席でも花道が見切れる西席だった(; ;)。

 Togetterによるツイッター民の感想まとめ。
平成二十八年八月納涼歌舞伎「廓噺山名屋浦里(さとのうわさやまなやうらざと)」感想まとめ

サイト歌舞伎美人「八月納涼歌舞伎」みどころ
第三部

一、新古演劇十種の内 土蜘(つちぐも)

土蜘退治伝説をもとにした松羽目物の荘重な舞踊劇

 病の床に伏せる源頼光のもとへ、典薬頭の薬を届けに侍女の胡蝶がやって来ます。頼光の所望に従い胡蝶が紅葉の様子を物語ると、頼光は一時病のことを忘れます。その後、胡蝶が去り再び苦しむ頼光の前に、どこからともなく智籌と名のる僧が現れ、病平癒の祈念を申し出ます。しかし、灯下に映る智籌の怪しい影に気づき頼光が刀で斬りつけると、土蜘の精の本性を顕し消え失せます。そして館の庭では番卒たちが土蜘退治を祈願し、巫子は諫めの舞を舞い始めます。一方、土蜘退治に向かう保昌が四天王とともに智籌の血潮を辿り東寺の裏手に着くと…。
 智籌の漂わせる不気味さ、千筋の糸を投げかけての勇壮な立廻りをご堪能ください。

二、廓噺山名屋浦里(さとのうわさやまなやうらざと)

堅物の田舎侍と吉原随一の花魁が魅せる人情噺

 江戸留守居役の寄合で、江戸の流儀に馴染めぬ酒井は、次回は自分の役宅で国の行く末を語り合おうと提案します。しかし、次回は互いに馴染みの遊女を紹介する趣向だと告げられたうえ、国元の踊りを笑われ、主君の悪口まで言われた酒井は、次回は自分も馴染みの女を紹介すると言い切ります。その直後、吉原一の花魁、山名屋浦里と偶然に出会った酒井は、ある決意をして山名屋へ乗り込むと、主人の平兵衛に、浦里に会わせてもらいたいと懇願します。丁重に廓の掟を説く平兵衛らのもとに、意外な人物が姿を現し…。
 笑福亭鶴瓶の新作落語「山名屋浦里」を題材にした新作歌舞伎にご期待ください。


土蜘
・前半は立役の七之助と凛々しい獅童が素敵。團子ちゃんも子役にしては台詞や立ち回りが多い役を結構ちゃんとやった感じ。
・中盤はのりちゃんこと波野哲之くん初台詞。3才とは思えない落ち着きっぷり。猿之助さんと勘九郎さん、やっぱ踊りうまいわ。
・後半は、日本の戦隊もののはしりね。土蜘蛛怪人を取り囲む5人の戦士は、赤く塗った坂田金時以外は外見でキャラ分けされてないけど、橋之助さんのところの三兄弟も総出演。
・橋之助 高僧は美しいんだけど妖艶さは少ないかな。吉右衛門さんとか仁左衛門さんとかだったら、もう少し色気のある高僧になると思う。土蜘蛛は糸の演出素敵だけど、表情に妖怪らしさや破れていく少数民族の悲哀なりが欲しいんじゃないかと思う。

廓噺山名屋浦里
・中村兄弟のためにあるような作品。勘九郎は真面目で故郷の妻に誓いを捧げる堅物で信義に生きるピュアな某藩の新任留守居役(留守居役にこんな融通の利かない奴をアサインするとは、という部分はあるけれど)。七之助はThis is the star花魁という花魁中の花魁。美しく、また立ち居振る舞いも素晴らしく、でも酒井様の依頼を無事済ませて告白する様がとても子供の純粋さそのままで。
・山名屋主人の扇雀さん、友蔵の駿河太郎さんも好キャスティング。鶴瓶の息子、駿河太郎さんは発声が歌舞伎ではないので最初どうかと思ったのだけど、さすが地の関西弁での台詞回しは自然で無理なく作品に溶け込んでいた。
・悪役の亀蔵、彌十郎たちも憎々しくはあるが雄藩の留守居役としての立ち振る舞いは流石。他の花魁や芸者もきれい。
・何と言っても回り灯籠のような舞台装置がいい。廊下が出て来て人が動き、場面転換が切れない。そして最後の花魁行列の舞台も素晴らしい。

平成中村座で再演希望。

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