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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
例年のことですが、和泉守兼定を拝観できるこの時期に日野をみつねさんと散策。

土方歳三資料館
 今回はTwitterだけで9時開館を告知していただいたため、早めに並ぶ客がやや少なめ。おかげさまで、第一陣に混じって兼定をじっくり拝見できました。ありがとうございます。

石田寺&とうかん森
 通常なら、必ず土方さんのお墓(空墓ですが)にご挨拶してから関連史跡を訪れるのですが、今回は順序が逆でも特に天候に異変は起こりませんでした(スーパー晴れ女のみつねさんパワーのおかげで、雨女な私がいても一日天気がもちました)。

佐藤彦五郎資料館
 モノレール万願寺駅から高畠不動に出て、バスで生活消費センター下車で徒歩2分。
 特別拝観で、あの、市村鉄之助が持参したという土方歳三の写真オリジナルを見ました。何度見ても、あの頃の貴重品、時と共に劣化するのを止められない、あと何度拝見できるでしょうか……これを伝えてくださる関係者の方々にお礼申し上げます。

新選組のふるさと歴史館
 「描かれた新選組Ⅲ 新選組創作温故知新」。去年に引き続き、新選組が創作作品にどう描かれたかを明治から現代にかけて。先頃亡くなった望月三起也さんの『俺の新選組』を見た時には、ちょっとしんみり。
 土方歳三にスポットを当てた『燃えよ剣』と新選組一連の群像劇『新選組血風録』によって歴史の日陰者だった新選組に注目させた司馬遼太郎の功績は大きいと思います。特に、明治維新以来、歴史的には敗者であったものの英雄だと描かれた近藤勇でなく土方歳三にスポットを当てたことの功績はあると思います……私も、この作品が入り口でしたので、否定はしません。
 でも、司馬史観で貶められた史実の人物もいるのですよね。この作品でいえば、土方歳三に祭り上げられて舞い上がる近藤勇、粛清される伊東甲子太郎、江戸から脱走した陸軍を連れて会津や箱館を連戦する大鳥圭介が割を食っています。
 それは別として、私的に好きな作品が多く取り上げられてました。『幕末Rock』はハイパーですがまだまだ面白くなりますよ。 

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 幕末ニュース、特別版というところで。

栃木
土方歳三に着目 「歴女呼び込め」
 新選組の土方歳三が宇都宮市内に残した足跡を巡る「うつのみやヒミツめぐりツアー」が23日、県内外から歴史好きの22人が参加して開かれた。宇都宮城址(じょうし)公園や簗瀬橋など、ゆかりの地をガイドつきで訪ねた。来月24日にも予定されている。(細見るい、樋口彩子)
 ツアーを企画したのは、地域の活性化や魅力発信に取り組む「街づくり大学」と「宇都宮プライド創造ボランティア歴史歩き隊」。今年2月、集客のためのアイデアを練るなかで、「宇都宮でけがを負った新選組の土方歳三ならば、『歴女』を呼び込めるのではないか」と歴史ブームに着目。ツアーを実現させた。
 土方歳三は1868(慶応4)年に起きた戊辰戦争で、旧幕府側の一軍を率いて宇都宮に入り、新政府軍の拠点だった宇都宮城を奪う攻防戦の先頭に立った。市内には複数の足跡が残るものの、現在では知る人が少なくなっているという。
 このほど、そんな市内の11カ所のスポットを写真と説明つきで紹介したマップ「まち歩き地図『新選組土方歳三と幕末の宇都宮へタイムスリップ』」を「歴史歩き隊」が作成、3千部を作った。
 この日、ガイドを務めたのも「歴史歩き隊」の荒瀬友栄(ともしげ)さん(31)。県内外から募った参加者は、新政府軍との激戦地となった宇都宮二荒山神社の大鳥居前に集合、宇都宮城址公園へ。その後、土方が指揮して戦った下河原門跡や簗瀬橋、土方が足を撃ち抜かれて重傷を負ったという松が峰門跡など約2キロのコースを2時間かけて巡った。
 城址公園では、宇都宮新選組同好会のメンバーらが土方歳三と新選組隊士の衣装を着て登場。参加者は説明を聞いたあと記念撮影を楽しんだ。
 参加者の一人、佐野市の高校生伊丹玲於奈さん(16)は「土方さんの登場には興奮した。歴史が好きという自分と同じ趣味の人が見つかるのもうれしい」。東京から来たという会社員高橋亜由さん(27)は「以前も宇都宮の街は歩いたが、説明を聞きながら歩けるのが楽しい」と笑顔で話した。
 また、市内の中心部「オリオン通り」では、街づくり大学のメンバーが説明役に。紅茶専門店「Y’s tea」では、新選組の「誠」の旗をランチに飾るなど趣向を凝らした。
 荒瀬さんは「歴史の初心者に向けたイベントとして、パワースポットなどの紹介も織り交ぜて親しみやすくした。県内外から人を呼んで、ギョーザだけにとどまらない宇都宮観光を楽しんでほしい」と話していた。
 ツアー第2弾は、10月24日の「宇都宮城址まつり」でも予定されている。問い合わせは市都市ブランド戦略室(028・632・2129)。「まち歩き地図」は城址公園とオリオン通りの宮カフェで手に入る。
◆     ◆     ◆
【キーワード:土方歳三と宇都宮】 土方歳三(1835~1869)は新選組の副長として幕末を生きた。旧幕府側と明治新政府軍とが戦った戊辰戦争では、一軍を率いて宇都宮へ。新政府軍の拠点だった宇都宮城を奪おうと攻防戦の先頭に立った。城を取り戻そうとした新政府軍に敗れて負傷。その後、今市(現日光市)から会津に逃れ、函館の五稜郭で戦死した。享年35歳だった。


土方歳三 宇都宮にたどる
歴史愛好家ら22人ツアー

 新選組の土方歳三とゆかりのある宇都宮市の歴史について知ってもらうイベント「うつのみやヒミツめぐりツアー」が23日、開かれた。歴史愛好家らが参加、幕末に思いをはせながら、「宇都宮城」などを見学した=写真=。
 イベントは、市内の自営業者や会社員らでつくる市民団体「宇都宮街づくり大学」と、市の魅力をPRする「宇都宮プライド創造ボランティア」の歴史歩き隊のメンバーが企画。歴史歩き隊のメンバーが今月、歴女などの誘客向けに作成した観光マップを元に、新選組の副長、土方歳三に関係が深い市内各所を巡るという内容になっている。
 雨にもかかわらず県内外から22人が参加。幕府軍を率い宇都宮に攻め上がった土方歳三が退却してきた兵士を切り捨てたとされる田川の「簗瀬橋」や、足を負傷したとされる宇都宮城の「松ヶ峯門」などを見学、宇都宮城では新選組にふんした市民との記念撮影も行われた。新選組が大好きで参加したという東京都板橋区、会社員横尾友香さん(27)は、「宇都宮観光は2度目だが、今回は、分かりやすく、詳しい説明があって良かった。しかも記念撮影も出来てすごく興奮している」と目を輝かせていた。


“土方歳三のヒミツ”に触れた 宇都宮でゆかりの場所めぐり
 新撰組の土方歳三が宇都宮で戦っていたなんて-。宇都宮市への理解を深めてもらおうと、宇都宮街づくり大学(根本泰昌代表)は23日、市内にある土方ゆかりの場所をめぐる「うつのみやヒミツめぐりツアー」を開催した。
 参加した歴史好きの市民ら22人は、ガイドの説明を受けながら、戊辰戦争で土方が攻撃した下河原門跡などを散策、幕末に思いをはせていた。宇都宮城址公園では土方ら新撰組に扮(ふん)した「宇都宮新撰組同好会」のメンバーらとの記念撮影も楽しんだ。宇都宮市竹林町、病院勤務、斎藤郁美さん(23)は「新撰組の小説を読んでも、宇都宮は出てこない。今まで知らなかったゆかりの地に行けて感激」と笑顔で話していた。


 自分は土方ファンなんで、宇都宮城が「土方歳三が足に負傷した場所」として知られるより、「土方歳三が一日で陥落させた城」として知られて欲しいなぁ(すぐ取り返されたけど^_^;)。



 この辺だろうなぁと思ってうろうろしたことが何度かあります。近くの京都ロイヤルホテルにも案内板があったと記憶しています。

 ハトヤ瑞鳳閣の角に、新選組不動堂村屯所(文中では「屋敷」とありますし、実際お屋敷だったと思いますが、自分的には「屯所」という言葉を使いたいですね)の石碑と案内板が建てられたそうです。

新撰組最後の本拠、不動堂村屋敷
石碑と解説板を新設

 新選組が最後に本拠を構えた「不動堂村屋敷」を紹介する石碑と解説板が、京都市下京区西洞院通塩小路の交差点にお目見えした。

 交差点の南西角にあるホテル「ハトヤ瑞鳳閣」が設置した。以前に瑞鳳閣が建てた解説板があるが、歴史的事実などを精査したうえで、新たに設けた。10月18日に除幕式を行い、関係者約30人が新たな建碑を祝った。

 解説の監修は歴史地理研究者の中村武生さん(42)=伏見区=が担当した。この付近に新選組の屋敷があったことは確実とした上で、当時は新選組の社会的地位が最も高かったなどと説明している。


 次回、上方を訪問する時には立ち寄りたいと思っております。





 画像付きのニュースが検索にかかってきましたので、早速ご紹介します。

京都
池田屋跡に「居酒屋」8日開店 新選組ちなみ大階段も
 幕末に新選組が討幕派浪士を襲撃した「池田屋事件」の舞台になった旅館池田屋の跡地(京都市中京区中島町)に8日開店する居酒屋「海鮮茶屋池田屋はなの舞」が6日、報道陣に公開された。
 3階建てビルの1、2階を、東映京都スタジオなどの協力で改装。旅館の帳場を再現し、映画などの「階段落ち」のシーンで知られる大階段も設置されている。
 随所に近藤勇や沖田総司らをかたどった切り絵の写しや映画のポスターを展示。宴会用に「幕末コース」と名付けたメニューも用意する。三条小橋商店街振興組合の小森一宏理事長は「観光スポットとして、跡地に注目を集めたいと思っていた」と開店を喜んでいた。


池田屋の大階段“復活” 旅籠跡地
 新選組が討幕派の志士たちを襲撃した「池田屋事件」(1864年)の舞台となった旅籠(はたご)・池田屋の跡地(中京区河原町通三条東入る)に飲食店「海鮮茶屋 池田屋はなの舞」が8日、開店する。
 池田屋は明治初期まで旅館業を営んだが、その後、経営者が替わり、テナントビルやパチンコ店などを経て空きビルに。
 居酒屋チェーンなどを展開するチムニー(東京)がビルへの入店を決め、東映京都撮影所(右京区)の協力を得て幕末時代を思わせる内装にし、当時の帳場を再現したり、壁面に近藤勇や土方歳三らの切り絵をあしらったりした。
 つかこうへい原作の喜劇映画「蒲田行進曲」で描かれるなどしたことで一躍有名になった「池田屋階段落ち」をイメージして作った高さ約8メートルの大階段もある。
 地元の三条小橋商店街振興組合や東映太秦映画村と連携し、幕末グッズを販売するなど観光振興にも取り組むという。
 6日、内見会があり、和泉学社長は「池田屋は約130年の時を経て、復活することになる。新たな観光スポットとして地元そして観光客の皆さんに愛される店に」と話した。
 昼はランチ、夜は牛鍋や天ぷらなどをセットにした幕末コース(3500円)などを用意する。
 問い合わせは池田屋(075・257・8122)へ。


 大階段は時代劇のお約束・様式であって、実際の池田屋にあったか……(以下略)ですが。

 京都に行く時には一度立ち寄りたいものです。

 ぐるなび、すでに掲載されています。

ぐるなび 海鮮茶屋 池田屋 はなの舞

 「幕末コース」の紹介もありました。

『 幕末コース 』 (税込3,500円コース)
池田屋自慢のご宴会コース。

 ●京漬物・生湯葉・九条ネギぬた
 ●鱧の落とし・まぐろ・さらし鯨
 ●牛鍋
 ●軍鶏のたたき
 ●野菜の煮びたし(茄子・万願寺とうがらし・湯葉揚げ)
 ●天ぷら(鱧・海老・みょうが)
 ●油茄子の赤だし
 ●アスパラ飯
 ●京味噌ぷりんぜんざい
 (全9品)


 なぜ、この組み合わせが「幕末」かは謎です……特に、なぜ「アスパラ飯」(爆)。

☆★☆★

7/8、以下記事を追加します。

「池田屋」跡に居酒屋がオープン 東映が監修、江戸時代イメージ
幕末の「池田屋騒動」の舞台となった京都市中京区の「池田屋」跡に2009年7月8日、居酒屋チェーン、チムニーが「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」をオープンする。店名に「池田屋」が冠されるとあって、約130年ぶりに池田屋が復活すると地元で話題になっている。
外観は地上2階、地下1階の現代的な建物だが、内装は東映が監修し、江戸時代をイメージした。入り口を入るとすぐに、映画に登場する「池田屋階段落ち」の高さ約7メートルの吹き抜けの階段がある。旅館の帳場や、壁面には新選組の近藤勇、土方歳三らの写真が飾られている。


池田屋跡:居酒屋に 幕末風情をそのままに、大階段も再現--中京 /京都
池田屋跡:居酒屋に 幕末風情をそのままに、大階段も再現--中京 /京都
掘り出しニュース:新選組最大の事件の池田屋跡が居酒屋に 幕末風情をそのままに、大階段も再現
<掘り出しニュース>新選組最大の事件の池田屋跡が居酒屋に 幕末風情をそのままに、大階段も再現
 幕末に起きた新選組最大の事件として知られる「池田屋事件」(1864年)の舞台となった旅館「池田屋」跡(中京区)で8日から居酒屋「海鮮茶屋 池田屋はなの舞」が開店するのを前に6日、関係者向けの内覧会が開かれた。
 居酒屋チェーンのチムニー(東京都)が経営。事件の十数年後に廃業した旅館の跡地にある空きビルを改装した。店内には映画やドラマで登場する「階段落ち」をイメージした高さ8メートルの大階段も再現。近藤勇や土方歳三ら隊士の写真や切り絵、新選組を題材にした東映映画のポスターなどがあり、幕末の風情も楽しめる。
 内覧会では、同社の和泉学社長が「地元の人に愛され、シンボル店の一つにしていきたい」とあいさつ。新選組がテーマの映画に出演した俳優の栗塚旭さん(72)は「お店をきっかけに若い人が歴史に興味を持ってもらえれば」と話していた。
 午前11時~午後2時はランチもあり、夜の営業は同4時からで、月~木曜日と祝日、日曜は午前0時、金・土曜日と祝前日は翌日の午前3時まで。【小川信】





 パチンコ屋が撤退して、その後どうなっているか気になっていた京都三条小橋池田屋の跡地について、居酒屋になるというニュースが入ってきました。

「池田屋」居酒屋で復活へ
新選組襲撃の地 130年ぶり

「池田屋」居酒屋で復活へ 新選組襲撃の地 130年ぶり
 幕末の大事件「池田屋騒動」の舞台となった京都市中京区の「池田屋」跡で、約130年ぶりに「池田屋」が復活する。7月に新たに開店する居酒屋の店名に「池田屋」が冠されるためで、地元の商店主なども「町おこしの起爆剤に」と期待を寄せている。
 「池田屋騒動」は1864(元治元)年7月8日に発生。旅館池田屋で会合していた尊王攘夷(じょうい)派の土佐、長州藩士らを新選組が襲撃し、新選組の名を世間に知らしめるきっかけとなった。主人の池田屋惣兵衛は反幕府勢力をかくまったとしてとらえられ獄死。池田屋も営業停止となった。その後、縁者らによって近くの三条木屋町付近で同じ屋号で営業していたが、やがて廃業した。
 三条通の池田屋跡地は戦後、別の経営者が旅館を経営後、ファストフード店の入るテナントビルやパチンコ店などになった後、昨年初めからは空きビルとなっていた。
 居酒屋チェーン「チムニー」(東京都)が新たに開く店名は「はなの舞 池田屋店」で、池田屋の名前が復活する。地上2階、地下1階の現代的な建物だが、内装は江戸時代をイメージし、騒動を題材にした映画やドラマなどに度々登場する「池田屋階段落ち」の高さ約7メートルの階段も設ける予定。
 同社は「旅行業者とタイアップするなど、地元の観光振興に役立ちたい。騒動の跡地ではあるが『癒やし』の場を提供していきたい」としている。
 地元の商店主でつくる三条小橋商店街振興組合の大西弘太郎理事長(55)は「新選組の法被を作り、跡地に案内板を建てるなどの取り組みをしてきだだけに、池田屋の名前の復活はうれしい。さまざまな面で、地域が盛り上がるように協力をしていければ」と期待を寄せている。


 よろしいんじゃないでしょうか、自分にはパチンコ屋よりよほど入りやすい(未成年には単独で入れませんが)ですし。

 「『池田屋階段落ち』の高さ約7メートルの階段も設ける予定」というところが、期待度大です。高さ約7メートルって、史実の池田屋の階段再現ではなくて、時代劇の階段を再現するんでしょうね(泣笑)?

チムニーグループ 海鮮居酒屋はなの舞
 まだ「池田屋店」の情報は反映されてません。

 関西を引き払ってからはなかなか行く機会がない京都ですが、次に訪問する時には「池田屋」で一杯やりたいものです。





 ゴールデンウィーク恒例、野間みつねさんと日野方面に出かけてきました。来週末の「ひの新選組まつり」になると混むので人混みを避けた日程です。また本宅にて旅行記を書くので、ここでは備忘録程度にしておきます。

 まず石田寺で土方さんのお墓の前で手を合わせるのはふたりのお約束。ちゃんとご挨拶しておかないと、かなり強力な雨女である私を上回るスーパー晴れ女のみつねさんと一緒でも日野周辺を訪問する時は雨の確率がけっこう高いのです。今日も、昼過ぎまでぐずつきました。そして、ぱらっと降ったり、西日がまぶしいくらいに陽が差したり、とても変わりやすい天気でしたが、これを私たちは日野の土方さんがお空でいろいろと悪戯していると冗談めかして、たびたび茶々を入れてました(笑)。

 土方歳三資料館では、この時期に展示される和泉守兼定の刀身と鞘に加えて、土方さん佩刀で会津藩の秋月種明(秋月登之助)に譲られたと伝わる大和守秀国もありました。ご存じの通り兼定は会津塗でダークレッド、黒で牡丹と鳳凰の意匠が描かれているのですが、大和国秀国は黒地に青の螺鈿がちりばめられた、対照的な色合いながら、やはりシックな拵えでした。人手に渡っているので、土方さんが持っていた当時の拵えかどうかはわかりませんが、素敵でした。

土方歳三資料館日記より
中山介山画 近藤勇像を初公開します
5月18日まで特別公開されている

土方歳三佩刀・大和守源秀国ですが、

4月6日より

拵えも併せて展示されることとなりました。

この秀国の拵えの展示は

過去にも例が少なく珍しい機会です。

兼定拵えの横に秀国拵えが並びます。

こちらもお見逃しなく


この他、特別展示に関連する記事
展示替えを行いました。
近藤周助使用の天然理心流木刀など
歳三さん刀談義

 昼食を経て、新選組のふるさと歴史館へ。第三回特別展「新選組 戊辰戦争のなかで」はすでに2月に見ていますが、展示替えされていることと、目録が発売されたということで、立ち寄りました。

 しかし、私たちふたりを絶句させたのは、史料関係ではなく、サイトからもpdfファイル形式で取り込める「新選組ぬりえ」でした。pdfファイルだと重いので、写真画像を少し加工した形で下に入れています……撮影したところが白熱電灯の下なので、白い紙がオレンジ色になってますがご容赦ください。


近藤勇の塗り絵です。







土方歳三の塗り絵です。







 絶句したとしか言いようがないです、東映か大映の時代劇のような、あるいは先ほど土方歳三資料館での特別展示にあった中山介山『大菩薩峠』のあるページに掲載されていた「切腹しようとする土方歳三を押しとどめる机竜之介の図」(爆)を斜め上行くタッチ……(苦笑)。

 宝泉寺で井上源さんのお墓にて手を合わせ、井上源三郎資料館へ。館長の雅雄さんがいらっしゃって、特に源さんの埋葬地がわかったという最新の出来事についていろいろとお話を伺いました。源さんが亡くなって140年目で、しかも埋葬地を訪問されたのは源さんの首級を埋葬した甥の泰助さんの月命日だったとか、埋葬地で食堂を経営される店主の夢枕にたびたび少年が立つそうで一緒に埋葬された戦死者っぽいとか、かなり因縁が巡り巡って今回の発見につながった感じがしました。淀城周辺の絵図を見ながら、去年駆け足で回った伏見・淀で妙教寺を訪問しそこねたことを思い出しました^_^;。次に訪問する機会があったら、ぜひ妙教寺と源さん埋葬地の近く(私有地なのでピンポイントというわけにはいかないでしょう)にお伺いしたいものだと思いました。

 源さん資料館には下記の劇のポスターが貼られてました。
女性劇団が新選組 日野で10日
「六番隊・井上の回想」

 ただ、決して完璧ではない私の記憶力では(だから自信がありません^_^;)、作品名は『斬心(ざんしん)』ではなく、『残心(ざんしん)』だったような気がします。ポスターを見ながら「残心の構え」と「心残り」を作品名に込めたのかなと思ったことが記憶に残っていますので。

 マイブログリストに入れている土方歳三資料館ブログの最新記事より。

源三郎さんの埋葬地~その後
井上源三郎の埋葬地跡地に記念碑を建てるべく、
実行委員会が立ち上がりました。


 詳しくはリンク先の記事をご覧ください。

 また、井上源三郎資料館がサイトを立ち上げたことも紹介しておられます。こちらのサイトでも確定された埋葬地がある程度わかるような情報が出ています(私有地で公開されていませんので、訪問する場合には所有者の許可が必要ですね)。

井上源三郎資料館サイト

 開館日・時間は毎月第1・第3日曜日の12時~16時とのことで、土方歳三資料館と同じですね。

 土方歳三資料館も展示替えをされたそうですので、井上源三郎資料館とともに近々また訪問致したいと思っています。
 昨年暮れに、関西から東京に引っ越しました。たまたま用事があったので、昨夜新大阪に一泊し、今日は帰りがてらに京都の新選組関係史跡を回りました。

京都の市バスの一日乗り放題券を利用し、なるべくバスで回ったルートは以下の通りです。半日より少しかかりましたが、モデルルートになるかと思いますので、ご紹介します。

JR京都駅
 ↓
京都リーガロイヤルホテル(不動堂村屯所跡の碑)、資生堂ビル(確か、この辺が屯所跡と聞いていたので)
 ↓
七条油小路周辺、本光寺
JR京都駅
 ↓
バスで壬生寺、八木邸壬生寺旧前川邸・光縁寺
 ↓
四条大宮よりバスで岡崎通り、金戒光明寺
 ↓
東山三条よりバスで河原町三条、池田屋跡を見て付近で昼食
 ↓
三条大橋を経て東山三条まで徒歩、バスで泉湧寺道で下車して戒光寺の御陵衛士たちのお墓前にて手を合わす(不心得者のため墓前に近寄れないのが悲しい……)
 ↓
バスで泉湧寺道から東山安井で下車、高台寺月真院で休憩↓

「通常非公開(事前予約あれば拝観可能)」と理解していた高台寺月真院の門に「拝観料 抹茶付き500円」という可愛い札がかかってました。これは、当然ながら(爆)拝観しなければなりません。



 御陵衛士が寝泊まりした2階にはご住職の事前の承認がないと上がれないそうで今日は上がれませんでしたが、久しぶりに月真院の庭に出られて庭から八坂の塔を眺められて満足です。

東山安井からバス
 ↓
JR京都駅

 朝8時半過ぎにJR京都に着いて、戻ったのは14時半頃でした。頑張れば御所も二条城も回れたかも知れませんが、寒かった上に、きつねのよめいり、日が差しているのに雨も降れば雪も降る(汗)という天気でしたので無理はしませんでした。
 今日はいろいろと回ってきましたが、これが一番訪れたかった場所です……源さんの亡くなった場所に限りなく近い史跡だと思いますし。



 地図の読み込みに失敗したため、辿り着くまでにちょっと苦労しました(^^ゞ。京阪の淀駅からこの場所にたどり着いて戻ってくるまでだけで、2.5キロはあったと思います。

 それも含めて、今日は歩きました。

鴨川銭取橋
 (歩)
伏見稲荷
 (歩)
藤森神社
 (歩)
墨染/丹波橋(旧尾張藩邸付近)
 (歩)
御香宮
 (歩)
伏見奉行所跡
 (歩)
魚三楼
 (歩)
大手筋商店街・とろろ家で昼食休憩
 (歩)
大黒寺(薩摩寺)
 (歩)
寺田屋
 (歩)
伏見土木事務所(長州藩邸跡?)
 (中書島駅から京阪で淀駅、その後歩)
愛宕茶屋東軍戦死者埋骨地碑
 (歩)
JRA京都競馬場前・光明寺跡・東軍戦死者埋骨地碑
 (歩)
大専寺
 (歩)
文相寺
 (歩)
東運寺
 (歩)
長円寺
 (歩)
東運寺
 (歩)
千両松・楳木戦場跡
 (歩)
京阪淀駅

 腰が痛い……歩いた距離は、たぶん9キロ超えていると思います^_^;。
 普段は非公開である月真院にて夕食を楽しむイベントがあります。野間みつねさんに教えてもらいました。

月真院 精進料理と法話の夕べ
新選組の伊東甲子太郎に縁の深い高台寺・月真院(げっしんいん)にて、お寺御用達の精進料理をゆったりとお召し上がりください。食後は、ご住職を囲んでの法話と語らいのひとときで、なごやかにお過ごしいただきます。


 2007年11月17日(土)、30名限定です。食事代込みで5,600円。問い合わせ・申し込みは「そうだ 京都、行こう。」デスクまで。

 そして、翌日18日は御陵衛士の命日。最近非公開になってしまった(涙)御陵衛士の墓所にお参りすることができます。

真言宗・準別格本山|丈六 戒光寺
「御陵衛士の墓所へ参拝したいお気持の方々に、 自由に参拝していただいておりましたが、 一部の不心得者のため、この度立入り禁止の措置を施しました」という事情で非公開になってます(怒)。11月18日だけは御陵衛士の命日ということで一般公開されるそうな。

☆★☆★

8/14追記。月真院イベントはJR「そうだ 京都、行こう。」エクスプレスカード会員向けですので、ご注意ください。
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