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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
台風18号の余波で朝からかなり強い雨です。亀田八幡宮の例大祭ですが、御輿行列も雨に
降られていました。
 境内にたくさんの屋台が出ていましたが、雨で商売さっぱりといった感じです。

 箱館戦争降服の地碑。榎本武揚ご子孫の書。
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二股口から函館に戻る途中ではかなり強い通り雨もありましたが、函館に戻ってからは何とか降らずにすんでいる空です。



 五稜郭の周囲を散策しました。曇りがちですが、雲の間から見える空は秋の色で明るいです。



 箱館奉行所、再建されるまではとてもわくわくして楽しみにしていたんですが、建物の復元がメインテーマになってしまって、歴史ファンには物足りなくなってしまいました。歴史的な建物の復元のために空調を現代的にできず、冬の観覧は電気ストーブしかない冷たい床を歩かなければならない、とか、観光客に敬遠される要素があるし……。
 その上、歴史的な建物の復元のために、函館市博物館分館に展示されていた箱館戦争関連のものは引き揚げられ、函館市博物館本館にスペースの限りがあるせいか、展示も以前ほど熱心でなく、しかも閉館日が多くて……今回の旅行でも見るチャンスがなかったです。



 五稜郭タワーのマイダーリン土方さん像はいつ見ても凛々しいです。さりげなく立ってらっさるのはファンとして嬉しいのですが、土方さんが函館観光に一役買っているんだから、場の演出にもう少し工夫があってもいいと思います(落語『お菊の皿』みたいにショーアップされてしまうのは勘弁して欲しいですが^_^;)。



 五稜郭タワーの入り口に昔の錦絵を拡大して貼っているのは知っていたのですが、表側が箱館戦争決戦図で裏側が降服図だってこと、今さらのように知りました。降服図は榎本さんと大鳥さんが西郷隆盛さんに降服している図柄です……史実の描写ではないですが、箱館戦争当時の旧幕府軍幹部で誰が特に戦犯級と見られていたのか、参考になります。

 二股口散策、あっさりめな記事でしたので写真画像追加してアップします。

天狗岳の解説。


もーさんが見せてくれた一角。弾丸や食糧を置いたところでしょうか。

 ……えーと、『燃えよ剣』はいい小説だと思いますが、こういう碑を
ここに建てるのは、どう思いますか。フィクションと史実は区別すべきだと
私は思っております。

 ほとんど埋もれてますが慰霊碑です。合掌。

 塹壕跡。もーさんの数え方ではf10-f11です。もーさんは山歩きが得意なので16基の塹壕跡を
ご自分の足で上り下りして発見しました。足元に自信がない私は、この近くから塹壕全体の配置を
教えてもらいました。並び方がよくできていて、さすが不敗の二股口台場です。

もーさん、ありがとうございました。
去年の12月から久しぶりの函館、3泊4日です。
 雨女でことのほか函館とは雨雲と縁がある白牡丹です。台風18号が接近してきた日に東京に戻るという16日に飛行機が欠航しなかっただけで上出来と思います。

 14日に、も〜さんに車を出していただき、二股口の塹壕跡を歩きました。も〜さんのおかげで16箇所の塹壕が見つかっているのですが、山歩きになれてない&高所恐怖症の白牡丹は、一般によく知られいている塹壕(も〜さんによるF10&F11)だけで手一杯でした。

 写真が横になってますが、近くに慰霊碑がありました。



 も〜さんからいただいた二股台場の調査レポート、二股台場の塹壕がいかに地の利を活かしたものか伝わってきます。も〜さん、ありがとうございました。
海光房で遅めの昼食、というか昼から函館の海鮮で冷や酒をいただいて、散歩がてらに土方さん最期の地碑にご挨拶。



 ……いま思えば、真っ先にご挨拶しなかったのが悪かったのかも知れません。この旅は函館のお空のどこかにいるらしい土方さんのご機嫌を損ねたようで、翌日以降は雨に降られっ放しでした(汗)。

 

 

 9月7日~9日、2泊3日で函館に行ってました。通算で16回目の函館旅行です(笑)。

 旅行記は例によって本宅の方で後ほどアップします。

 一枚だけ写真画像を。



 五稜郭タワーの展望台から見た、箱館奉行所(復元)です。来年夏の公開が楽しみです。





 箱館戦争にいろいろと思い入れのある者としては、ちょっとドキドキするニュースを見つけました。

函館水天宮の大砲はベルギー製/オランダの博物館館長が調査

 リンク先の記事では「ベルギー製」が「ベルー製」になっちゃってます^_^;。格好悪いので、こちらでは直させてもらいました(爆)。

 函館市東雲町13の函館水天宮にある長さ1メートル36センチの鋳鉄製の大砲が、1830―60年ごろにベルギーで作られたものと分かった。12日に水天宮を訪れたオランダ・ブロンベーク博物館のポール・フェルフーフェン館長(43)が調査したもので、国内で現存するのは珍しいという。この大砲について研究していた函館産業遺産研究会の富岡由夫会長(82)は「歴史的資料として適した保存をしなければならないだろう」と話している。

 富岡さんは約2年前から大砲の水天宮奉納の経緯を調べた。箱館戦争(1868―69、慶応4/明治元―明治2)当時、旧幕府軍艦蟠竜が七重浜で撃沈させた新政府軍艦朝陽が積載していたものの一つと分かった。

 朝陽は1928(昭和3)年に引き上げられ、積載されていた一つの大砲は同市八幡町の亀田八幡宮に奉納。太平洋戦争当時、国の金属回収から隠され、現在は市立博物館五稜郭分館前に展示されている。このことは日本銃砲史学会で理事長を務めていた故所荘吉さんが明らかにしていた。

 ところが船の引き上げ当時、ほかにも2つの大砲が引き上げられていた。これらについて富岡さんが研究した結果、函館の運送店経営者が得意先から保管を頼まれ、一つは同市元町の船塊神社に、一つは水天宮に奉納された。船塊神社の大砲は戦争の金属回収で供出されたが、水天宮のものは隠され、55年に再び戻されたという。

 大砲にある刻印や、朝陽がオランダで造られていたことまでは調べたが、大砲の詳細は不明だった。富岡さんは親交を持つ、日本の鉄砲史に詳しい国立歴史民俗博物館(千葉)の宇田川武久教授(64)に相談。同博物館の研究員として今年10月から3カ月間の予定で来日していたフェルフーフェンさんと共に、本道の調査の一環で水天宮を訪れることになった。

 フェルフーフェンさんは大砲を触ったり大きさを測り、口径約8センチと比較的小さなサイズや形であり、製造番号が見当たらないことから、ベルギーで1830―60年ごろに大量生産されていたカロナーデ砲の一つであると話した。小型ではあるが射程距離は約1―1・5キロ、自分の船を守るために使っていたという。

 過去にも来日しているが、「19世紀のヨーロッパの海戦ではよく使われていたが、日本で現存するのは面白い発見」と話す。自ら撮影した写真で詳しく調査したレポートを富岡さんに送るという。。

 大砲は現在、やや上向きに設置され、野ざらし状態。砲口から水が入るなど良い保存状態では無く、宇田川教授は「室内などに保存した方が良いだろう」と話す。富岡さんも「歴史的価値が判明した以上、市が博物館など適した場所での保存をしてもらえれば」と望んでいる。


 何と、箱館戦争で旧幕府軍に沈められた、あの朝陽に搭載されていた大砲だったんですね……ここで『組!』ファンは『組!!』で山本耕史さん演じる土方歳三が指を差して「見ろ。敵の船が沈んでいく。あれは我が軍の勝利ののろしだ」と言うのを思い出すことでしょう(^^)。

 今後どのように保存するのか決まっていないようですが、次回の函館旅行(次に行くときは16回目になります)にでも水天宮に立ち寄ってみたいと思います。
本宅サイトのアップデート告知は、このブログでは余りしていないのですが、今回は2日目の箱館戦争史跡訪問記で頑張りましたのでこちらでも宣伝させて下さい^_^;。

その63 14回目の函館はやがて猛吹雪(汗) その1
その63 14回目の函館はやがて猛吹雪(汗) その2
その63 14回目の函館はやがて猛吹雪(汗) その3
その63 14回目の函館はやがて猛吹雪(汗) その4

も~さんの運転(多謝)で、道南のちょっとマイナー気味な箱館戦争史跡巡りをした記録は、その2にあります。
 暴風雪の合間を、三度目の着陸態勢から無事に着陸した関空からの折り返し便に乗って帰宅しました。

 昨日の夕方から降り続いた雪が本格的に積もり、朝は一面の銀世界でした。そして、天気は昨日以上に激しい吹雪と、断続的な晴れ間の繰り返し。

 観光もそこそこに早めに空港に向かったのですが、土方さん最期の地碑へのご挨拶と五稜郭訪問だけはこなしました。



 すっかり降り積もった雪のため、五稜郭の土手に上ったものの新雪が深く、土饅頭のある松の木までは近づけませんでした。残念です。

 帰宅便が欠航にならずに済んだのは土方さんのご加護があったからか、それとも到着初日にはまずまずの天気だったのに最期の地碑を訪れた時だけ雪が降った(汗)ことを思うと雨女の自分に土方さんが悪戯心を起こして大雪を降らせてくれたのか(爆)、今回の旅行はどちらだったんでしょう……。
 も~さんのドライブで、あちこち史跡を回ってきました。主だったものだけでも挙げておきますと、富川八幡宮、茂別館跡、夜不来天満宮、トラピスト修道院、サラキ岬(咸臨丸最期の地)、知内・建有川塞門跡、市の渡、福島・法界寺、福島大神宮、白神岬(道南最南端の地)、及部川、松前・招魂場、法華寺、松前奉行所跡、立石野刑場跡(別名・首斬沢)、折戸浜戦場跡、原口(イカ酢味噌和え事件の地)、大滝古戦場跡、館城跡です。

 こちらは、大滝古戦場跡。
ootaki

 松前城、江差、二股口は時間の関係で割愛しましたが、今まで近くを通ったことはあっても通り過ぎていた史跡を中心に見ることができて、とても有意義な一日でした。

 また、旧道について詳しいも~さんの解説もいろいろいただき、その点からも有益な一日でした。一日ドライブして下さったも~さん、ご自宅で夕食を出して下さった奥様、ありがとうございましたm(__)m。
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