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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
坂本龍馬 幕末最大のミステリー 暗殺?今井信郎の百回忌
 幕末の志士、坂本龍馬の暗殺に関与したとされる今井信郎(のぶお)(1841~1918年)が来年で没後100年になるのを前に11日、今井が後半生を過ごし、かつて墓があった静岡県島田市阪本の種月院で百回忌法要が営まれた。

 江戸幕府の治安維持を担う京都見廻組(みまわりぐみ)の一員だった今井は1867年、京都の近江屋で龍馬の暗殺に関与したとされる。だが、近江屋には行ったものの実際には手を下していないなどの諸説があり、龍馬暗殺は「幕末最大のミステリー」とも言われている。

 今井は戊辰戦争の後、新政府に捕らえられ禁錮刑になったが、恩赦を受けた。その後、知人を頼りに初倉村(現・島田市)に移り住んだ。村議や村長を務めたり、県立榛原高校(牧之原市)の前身となる学校の設立に尽力したりするなど地域の発展に貢献し、島田市で生涯を閉じた。

 かつて種月院にあった今井の墓は、子孫の移住に伴い東京都内に移されたが、境内には今井の碑が建てられており、市内には今井が過ごした屋敷跡も残されている。

 法要は地元住民や今井にゆかりのある人たち約100人が参列。ひ孫の今井晴彦さん(73)=東京都=も駆けつけ「1世紀がたつ今も、曽祖父の功績が語り継がれ、地域のためになるならうれしい」。法要を企画したNPO法人「初倉まほろばの会」の塚本昭一理事長(82)は「今井は経済、文化、教育など幅広く活躍した。地元の文化として伝えていきたい」と語った。【松岡大地】

第40回特別展『伊東甲子太郎と幕末の同志』のご案内 【歴史博物館】
歴史博物館では、『伊東甲子太郎と幕末の同志』と題し次のとおり新撰組に関する展示を行います。
今年は伊東甲子太郎没後150年ですので、ぜひ、この機会に足を運んでください。
『第40回特別展「伊東甲子太郎と幕末の同志」』の画像(新しいウインドウで開きます)

期間
平成29年11月11日(土曜日)~平成30年3月4日(日曜日)まで
休館日:月曜(祝日の場合は翌日)、12月28日(木曜日)~1月1日(月曜日)
※11月13日は、「茨城県民の日」のため臨時開館(入館料無料)
※平成30年1月3日は、「お城市」のため入館無料

入館料

一般:210円
小中学生:100円
記念講演会

日時
平成30年3月4日(日曜日)午後1時半~3時

場所
歴史博物館研修施設

講師
千葉隆司(歴史博物館学芸員)
ギャラリートーク

日時
平成30年3月4日(日曜日)1回目:午前10時半~/2回目:午後1時半~

内容
特別展示室にて、展示資料の解説を行います。

講師
千葉隆司(歴史博物館学芸員)
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茨城県
第40回特別展『伊東甲子太郎と幕末の同志』のご案内 【歴史博物館】
歴史博物館では、『伊東甲子太郎と幕末の同志』と題し次のとおり新撰組に関する展示を行います。

今年は伊東甲子太郎没後150年ですので、ぜひ、この機会に足を運んでください。

『第40回特別展「伊東甲子太郎と幕末の同志」』の画像(新しいウインドウで開きます)

期間

平成29年11月11日(土曜日)~平成30年3月4日(日曜日)まで

休館日:月曜(祝日の場合は翌日)、12月28日(木曜日)~1月1日(月曜日)

※11月13日は、「茨城県民の日」のため臨時開館(入館料無料)

※平成30年1月3日は、「お城市」のため入館無料

入館料

一般:210円
小中学生:100円
記念講演会

日時

平成30年3月4日(日曜日)午後1時半~3時

場所

歴史博物館研修施設

講師

千葉隆司(歴史博物館学芸員)

ギャラリートーク

日時

平成30年3月4日(日曜日)1回目:午前10時半~/2回目:午後1時半~

内容

特別展示室にて、展示資料の解説を行います。

講師

千葉隆司(歴史博物館学芸員)
 3月までならお互いに調整して行きたいですね、と、みつねさんとSNS上でつぶやき合っております。
文京区制70周年記念公演中村勘九郎 中村七之助 特別公演2017

第2回の公演を見ました。
芸談 (登壇 中村勘九郎 中村七之助)
「棒しばり」 中村勘九郎 中村鶴松
「藤娘」 中村七之助

 錦秋特別公演で全国各地の芝居小屋をツアー中のおふたり、小さな芝居小屋で公演することの魅力も話してくれました。相生座だったか、七之助さんが藤娘の出で立ちで暗転からパアッと灯りが入った時、目の前を大きな蝙蝠が……とか。
 赤目の思い出とか、家族に不幸があった頃だったので思い出すのが辛い。。
 桜の森とマハーバーラタ戦記の七さんの突き抜けた演技も話題になりました。お兄ちゃんは長男勘太郎くんと次男長三郎くんの話題。

 棒しばりは勘三郎さんと三津五郎さんの名演を何度も映像で見ているので、生でおふたりを観ることがかなわなかったのが遅れて来た歌舞伎ファンにはとてもとても残念なのだけど、勘九郎さんの踊り上手なところに伸び盛りの鶴松くんがいい感じ。

 七さんの藤娘は溜息しか出ない。
歌舞伎&落語ブログと化しているので、たまには幕末のお話を。今日は史実ねた限定で。

坂本龍馬、桂小五郎に敗れる 「幻の剣術大会」新史料か
 坂本龍馬と桂小五郎が対決――。幕末志士の両者が1857年(安政4年)3月1日、江戸・鍛冶橋の土佐藩上屋敷で催された剣術大会で対戦し、2対3で龍馬が敗れたと記録する史料が、前橋市の群馬県立文書館に保管されていることが30日、分かった。歴史研究家、あさくらゆうさん(48)が存在を確認した。

坂本龍馬が剣術大会で桂小五郎に敗れたことを記す史料(群馬県立文書館所蔵)=共同
 藩主、山内豊信(後の容堂)の上覧試合とされた大会を巡っては、これまでも複数の史料の存在が伝えられている。だが、開催された日が既に龍馬が江戸を去った後だったり、小五郎の名前が当時は使用していない「木戸準一」だったりするため、いずれも「偽書」というのが定説。山内家の日記などにも記録はなく、大会そのものが作り話とされている。

 文書館によると、今回の史料は前橋藩領だった上州・中箱田村(現群馬県渋川市北橘町箱田)で名主を務め、医院も営んだ「根井家」に伝わり、1994年に寄託された。

 折り畳んだ縦約16センチ、横約1メートルの和紙で、冒頭に「安政四三月朔日 松平土佐守様上屋敷ニ而御覧」と記載。龍馬らに加え、著名な剣客だった斎藤弥九郎(2代目)や石山孫六、海保帆平ら計43人が、一対一で戦った22試合の結果を毛筆で縦書きに記している。

 あさくらさんによると、この時期の龍馬は江戸遊学中で、土佐藩上屋敷近くにあった北辰一刀流の千葉道場(玄武館)で修行。小五郎も、盛んに対外試合をした神道無念流の斎藤道場(練兵館)で腕を磨いた。

 史料は各剣士の出身や流派も正確に記し、一部は別の史料に残る後日の足取りとも矛盾がない。大会には上州出身者も出場したため、試合結果の書き付けが根井家に残された可能性があるとみている。

 龍馬は今年で没後150年。あさくらさんは「この史料だけで断定はできないが、実際に大会があったのか、もう一度議論するきっかけになる。近年は龍馬の剣術が特に優れていたとする傾向もあるが、小五郎には負けたとある。イメージではなく、本当の姿はどうだったのか考えていくことが大切だ」と話す。〔共同〕
 あさくらゆうさん、またもお手柄。千葉道場の坂本龍馬と練兵館の桂小五郎が手合わせしたというのは史実だった。しかも練兵館の二代目斎藤弥九郎、江川英龍の大親友も史料に名前が見えるなんて嬉しい。

陸軍中将の書簡10通発見 日露の激戦を伝える
 日露戦争で陸軍中将として指揮を執った立見尚文(1845~1907年)が、戦地から同郷の豪商、諸戸清六(1846~1906年)に送った書簡計10通が見つかった。立見の出身地である三重県桑名市が発表した。激戦で知られる黒溝台会戦の様子などを伝えた貴重な史料だ。

 立見尚文が黒溝台会戦の様子をつづった手紙=共同
 桑名市博物館の杉本竜館長(43)によると、諸戸の子孫から寄贈を受けた史料の中に、便箋に書かれた手紙6通とはがき4通が含まれていた。うち9通は日露戦争中の04~05年、戦地から軍事郵便で出されていた。

 陣中見舞いへの返礼といった私的な内容が主だが「黒溝台附近に於る連日連夜の戦い中々激烈なり」「戦場へ遺棄したる死体約二千」などと激戦の様子が記されている。

 立見は幕末の戊辰戦争では「雷神隊」を率いて、新政府軍と対決。明治維新後は陸軍軍人となり、西南戦争、日清戦争にも参加した。日露戦争時は中将で、後に大将となった。

 杉本さんは「立見自らの手で戦場の生々しい様子を今に伝えており、貴重だ」としている。同博物館で開催中の企画展「幕末維新と桑名藩」で、26日まで一部が展示されている。〔共同〕
天皇皇后両陛下と同じ演劇空間を共有してしまった(汗)。

両陛下、歌舞伎を鑑賞
 天皇、皇后両陛下は25日午後、東京都千代田区の国立劇場を訪れ、文化庁芸術祭主催公演の歌舞伎「霊験亀山鉾」を鑑賞された。
 実際にあった敵討ちを題材にした作品で、両陛下は2幕目の第4場から大詰めまでを鑑賞。片岡仁左衛門さんらの熱のこもった演技に、何度も拍手を送っていた。 
席に向かわれる両陛下

 にざさま、色悪が似合う。敵討ちを返り討ちにしてトドメを刺すとか、おびき寄せて殺すとか、極悪非道な二枚目。悪の華、それもふたり違うタイプの悪。脇を固める役者さんたちもよく、花道が近くて低い国立劇場ならではの楽しさも花道近くで楽しんだ。

(評・舞台)国立劇場「霊験亀山鉾」 仁左衛門、冷酷な「悪」も見せ場
 四代目鶴屋南北作「霊験亀山鉾(れいげんかめやまほこ)」は国立劇場で3回目。15年前の上演を踏襲して、片岡仁左衛門が時代と世話の悪を演じ分けて、当たり役とした。

 南北作品で江戸時代から上演が続くものは実は少なく、近代に再発見、復活された作品の方が多い。ここ半世紀に限っても、女性主人公の可能性の拡張や、スペクタクルによる視野の拡大など、いくつかの視角があるが、男の強い欲望と悪を体現した主人公を甦(よみがえ)らせたという点では、仁左衛門主演による「絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)」と「霊験亀山鉾」の2作が、平成歌舞伎の成果だろう。

 本作は俗に「亀山の仇討(あだうち)」と呼ばれる作品世界だが、藤田水右衛門を敵と狙う石井一族が、次から次へと返り討ちに遭う。大胆にして細心、強悪非道の水右衛門を、仁左衛門が水際立った役者ぶりと重厚なせりふ術で造形する。八郎兵衛と早替(がわ)りする2幕目が眼目で、中でも「焼場(やきば)」で燃える棺桶(かんおけ)からの登場が最高の見せ場。冷酷無残な殺し場が続いても、それを悲惨と思わせず、お芝居の楽しみ、慰みに転換してみせる稀有(けう)な芸質である。

 江戸の錦絵を見れば、水右衛門は白塗りではなく砥(と)の粉の入ったリアルさが特長だったかもしれない。早替りの都合と芸風から、水右衛門を蒼白(そうはく)で色気ある敵役に、八郎兵衛も白塗りで闊達(かったつ)な愛嬌(あいきょう)ある役に変えたのは、仁左衛門ならではの成功。原作からは少し離れるが、現実的な処理というべきか。

 仁左衛門が圧倒的ではあるが、周囲も堅実。中村錦之助の石井源之丞は、ベテランらしい安定感を増した。中村又五郎の石井兵介と下部袖介も手堅く、上村吉弥も甲斐甲斐(かいがい)しい。中村雀右衛門の芸者おつまは、焼場での体当たりの立ち回りがよかった。

 (児玉竜一・早稲田大学教授)

 27日まで。

長谷部浩【劇評86】仁左衛門の実悪。水右衛門に色気。
 歌舞伎劇評 平成二十九年十月 国立劇場。

天皇の退位の時期が決まり、平成の世も遠からず終わることになった。平成歌舞伎の光芒を伝える舞台を目に焼き付けておきたい。そんな気持ちで国立劇場の『通し狂言 
霊験亀山鉾 ー亀山の仇討ー』を観た。
仁左衛門が座頭として藤田水右衛門と古手屋八郎兵衛を勤める。脇を固めるのは、播磨屋吉右衛門と同座することの多い雀右衛門、又五郎、歌六。そこに彌十郎、錦之助、孝太郎も加わるのだから、座組に不足はない。実力のある俳優で、四世鶴屋南北が仕組んだ台本を味わう。至福の体験である。
序幕第二場、石和河原仇討の場から、役者の魅力があふれでる。仁左衛門が演じると実悪の水右衛門に色悪の魅力が加わる。兵介の又五郎のきりりとした様子、官兵衛の彌十郎の捌き役の風格さえ漂わせる大きさ、三人が絵面に決まっただけで、歌舞伎は役者ぶりを観る演劇だと思い知らされる。役柄と役者の複雑な関係に、観客の想像力がからむとき、喜びが生まれる。
時代の幕ばかりではない。二幕目、世話となってからも、こうした役柄、役者、観客のせめぎあいが舞台を作る。仁左衛門が水右衛門から八郎兵衛に替わりるのが最大の見どころだ。加えて弥兵衛実ハ源之丞の錦之助をあいだに、芸者おつまの雀右衛門と丹波屋おりきの吉弥がやりとりする場面に陶然となる。ひとりのいい男に、ふたりの女。
また、この場では団扇の絵を手掛かりに、おつまが八郎兵衛と瓜二つの水右衛門と思い込む取り違えもまた見物になる。『鰻谷』を踏まえている。
近代の劇構造からすれば不自然な取り違えも、初演の五代目幸四郎の存在が前提にあり、今、大立者となって風格を漂わせる仁左衛門がいれば、十分に成り立つ。歌舞伎は役者を観るものとすれば、なんの不自然もない。
駿州中島村の場では、狼が出没してふたつの棺桶が取り違えられ、次の焼場の場で火に掛けられた棺桶のタガがはずれて、水右衛門が不敵に登場する趣向へと繋がっていく。
芝居になっているのは、三幕目機屋の場。ここでは秀太郎の貞林尼がみずから自害して肝の臓の生血を孫に与える件がみもの。息をつめた芝居を秀太郎が全体を締めつつ運んでいく。いささか身体が不自由に見えるもののさすがの芸力を見せつける場となった。秀太郎が品格を失わず、孝太郎が派手なところをのぞかせるのも対照の妙。
大詰は祭礼の雰囲気を、陰惨な敵討に取り入れるのが趣向。ここでも仁左衛門が実悪の大きさを見せつける。水右衛門をおびきよせる頼母一役を歌六が勤め舞台を引き締める。
母子に助太刀もあって水右衛門が敵討されると、直って「まずはこれぎり」と幕切れ。古典歌舞伎の醍醐味をもたつくことなく趣向で見せた好舞台。二十七日が千穐楽だが必見であろう。
10月22日(日)夜の部
一、沓手鳥孤城落月
 玉三郎の淀の方がとても美しかったのだけど、途中から正気を失ってしまって、感情移入しにくい。七之助の秀頼が美しくて賢いけど家康にしてやられてしまった感。米吉の千姫、児太郎の常盤木がちょっといいな。

二、漢人韓文手管始
 浪花もののせいか、男の嫉妬が実直な男を殺人に追い詰めるのだけど、何かねっちりした描かれ方ですっきり感がない。でも芝翫の悪役は憎々しさが豪華でよい。

三、秋の色種
 玉三郎、梅枝、児太郎の舞。夜の部はこれが一番よい出来だったと思う。

10月23日(月)昼の部
極付印度伝
マハーバーラタ戦記
 序章 神々の場所より
 大詰 戦場まで

 パーカッションが異国情緒溢れて印度歌舞伎っぽいところがよい。ステージの使い方や大道具も現代劇っぽいセンスだったけど、たとえば最終幕の戦いを表現する幕や柱、旗の使い方がとてもよい。衣装も、特に神々がきらきらしくて素敵。
 菊之助の迦楼奈にはうまく感情移入できなかったのは途中居眠りしてしまったからか(汗)。太陽神の子で非の打ち所がない性格なのになぜ戦いに巻き込まれてしまったのか、その辺りの葛藤が今いち。ライバル役、帝釈天の子の阿龍樹雷王子を演じた松也が位負けしてない演技で、今月新橋演舞場『ワンピース』で負傷した猿之助の代役に入った右近などと浅草歌舞伎を盛り上げているだけあって早くもこの世代が主役級を演じられるように育ってきたなぁと感じる。そして何と言っても七之助。新作でスケールの大きい、いっちゃってる王女を美しく演じられる七之助が素晴らしい。


「マハーバーラタ」歌舞伎化でインド神話と源平の無常感融合 歌舞伎座「芸術祭十月大歌舞伎」
 昼の部一杯を割いて、新作歌舞伎「極付印度伝 マハーバーラタ戦記」を上演。古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」からバラタ族の王位継承をめぐっていとこ同士の王族たちが争うさまに焦点をあてた。「マハー」とは“偉大な”の意。「マハーバーラタ」歌舞伎化への尾上(おのえ)菊之助の熱情で実現した。青木豪脚本、宮城聰演出。
 象の国(インド)で起こった戦争がついには世界を滅ぼすと憂えた神々は、慈愛に満ちた太陽神の子、迦楼奈(かるな)(菊之助)と武力を培った帝釈天の子、阿龍樹雷(あるじゅら)(尾上松也)を地上で誕生させ、慈愛と力のどちらが争いを止められるか、眺める。現在の世界情勢にも敷衍(ふえん)できるインドの叙事詩の描写は、そのまま源平時代に重なり、戦乱から生まれる無常感は歌舞伎の古典作と通じる。
 菊之助の着眼がそこにあり、本作が肚(はら)にインドの物語を据えつつ、展開はすべて古典歌舞伎の仕様であり意匠である。浄瑠璃、三味線が主導し、ガムラン音楽風な木琴の調べがエスニックな情感を湛(たた)える。両花道を使い、つらね、見得、くどきなど、万全な時代物風味。新作歌舞伎の方向性を指針したのではないか。尾上菊五郎、市川左團次、中村七之助らが出演。
夜。「沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)」。坂東玉三郎が初役で淀の方。和事のおかしみがたっぷりな「漢人韓文手管始(かんじんかんもんてくだのはじまり)」。中村鴈治郎(がんじろう)、中村芝翫(しかん)ら。打ち出しが、玉三郎他で長唄舞踊「秋の色種(いろくさ)」。25日まで、東京・銀座の歌舞伎座。(劇評家 石井啓夫)
渡辺保の劇評
2017年10月歌舞伎座

歌舞伎版「マハーバーラタ」

 
 インド神話の叙事詩「マハーバーラタ」が歌舞伎化された。
 序幕第一場、屏風絵風の極彩色の背景に高い壇上に黄金の仏像風の菊五郎の
那羅延天を中心に上手へ松也の梵天、下手に菊之助のシヴァ神、楽善の大黒点
が並んで「忠臣蔵」大序の竹本のオロシ、東西声で幕が開き、そこへ本花道か
ら左団次の太陽神、仮花道から鴈治郎の帝釈天が出揃ったその神々しさ、金色
まばゆい豪華絢爛さは目を奪うばかり、さすがにインドの大叙事詩が歌舞伎座
のスケールにはまって拍手喝采であった。
 青木豪脚本、宮城聡演出。
 まずは快調の滑り出しであり、あの長大にして難解複雑な物語が意外にわか
りやすく、むずかしいインドの人名もなんとかこなして、前後幕間をいれて五
時間弱。よくまとまったとは思うが、それでも三つの問題点がある。
 一つは、物語を通すのに急で、役者の仕どころ、観客の側からいえば芝居の
見どころがないこと。これではただの絵巻物であって、芝居としては組まれて
いない。
 二つ目は、人間の性根が描かれていない。
 この作品の主人公は、シヴァ神と菊之助二役の迦楼奈であるが、彼は太陽神
の子として生まれながら人間たちの戦争を止め、世界を救うという宿命を持っ
ている。しかしふとしたことから従兄弟の一人王位につくべき悪女鶴妖だ王女
と友情を結び、実の弟たちと敵対する。自分の運命からいえば、戦争を止めな
ければならない。これが彼の性根であるが、その戦争を止めるといっても大し
た苦労も見せる場がなく、なんでこの場にこの男がいるのかがわからないシー
ンが多い。つまり人間の行動が、モチべーションがきっちり描かれていない。
 三つ目は、せりふが乱暴すぎる。こういう原作である以上、現代人にもわか
りやすい言葉に書かれる必要があるし、現代語が時に入ってくるのはやむを得
ないにしても、その人物の行動や思想を表す言葉が貧しい。たとえば迦楼奈が
自分の運命を悟って、那羅延天に教えを授けられるところは、大詰の白眉であ
るはずだが、原作の哲学がむずかしい上に、せりふがうまく書けていないため
に、見ていてなんのことかよくわからない。
 以上三点。折角の大企画にもかかわらず絵巻物にとどまった理由である。
 菊五郎の那羅延天はさすがに座頭の貫禄。菊之助の二役迦楼奈は凛々しいが、
すでにふれた三点によってドラマとしては彫が浅い。対する松也の阿龍樹雷王
子は力演であるが、実の兄を殺してしまった悔悟と悲しみがうすい。しかしこ
れは台本のせい故、仕方がないか。
 時蔵の汲手姫は、これも性根がもう一つ鮮明でないが、これは時蔵のせいで
はない。梅枝の若き日の汲手も平凡。梅枝はそれよりも二役森鬼飛がいい。
 七之助の悪女鶴妖だは手強くていい。そのほかの役々のうちでは、亀蔵の風
い魔王子が目につく。
 夜の部第一は、玉三郎初役の淀君で「沓手鳥狐城落月」の奥殿、乱戦、糒庫
の三場。
 玉三郎の淀君を期待して行ったが、歌右衛門以来だれも坪内逍遥をうたわな
くなって玉三郎もしかり。きわめて心理的で奥殿など次の糒庫につなげるため
だろうか、後半半分気が狂っているように見えて面白くない。玉三郎ならば堂
々とせりふをうたって、この役の面白さを復活してくれるかと思ったがそうは
ならなかった。それのみならず今夜は二日目の故もあるだろうが滑舌あざやか
ならず、息つぎ、間の取り方も十分ではなかった。その点は日ならずしてなお
るだろうが。
 糒庫になると、さすがに「また来おったか」の第一声から凄味がついて奥殿
よりはいい。「わらはの化粧箱も同然」あたりのスケール、凄味はいいが、そ
の後は平凡である。
 万次郎の正栄尼と彦三郎の氏家内膳がしっかりとしている。児太郎の常盤木
は役に負けているが是非なし。梅枝の饗庭の局,鴈成の大蔵卿の局、松也の大
野修理、米吉の千姫。
 七之助の秀頼がキッパリしているが、母への情愛、豊臣家の崩壊を一身に背
負う悲劇の深さまでは出なかった。
 さて、今月一番の見ものは、次の芝翫、鴈治郎の「唐人殺し」。上方版で序
幕が長崎丸山千歳屋の門口と奥座敷、廻ってもとの門口。二幕目が国分寺客殿
と奥庭殺しの二幕五場。奈河彰輔補綴の台本をさらに整理して一時間半。短く
簡潔になったのはいいのだが、お宝内見の時刻、にわかの出船のいきさつがわ
かりにくい。その混乱はプログラムにも及んで、唐の使節の出船が「都へ向け
て出船」と書いた数行あとに、唐使が「自国へ帰る」とある。「都」といえば
当然京都(実は江戸)であり、「自国」といえば中国だろう。この船はどこへ
行くのか。これでは初心者は混乱する。
 今月これ一役の芝翫の大通辞幸才典蔵がいい。序幕の花道の出から、ごく普
通のいい人という解釈は、これはこれで面白く、なによりも世話の、地の芝居
が確かなのが芝居を盛り上げる。
 伝七に高尾のことを頼むために、フッと持っていた紅葉の扇子を渡しての引
込みの伝七への思い入れも芝居としては十分の出来である。
 もっともその普通の人が、伝七と高尾の仲を知って怒りに燃えるのはいいと
しても、ここでガラリと変わる凄味が少し足りない。「心の闇」という、その
闇が多少うすいからである。
 国分寺になってからも最初はやはり普通の人でいるのが、それはそれで一理
ある解釈だが、もう観客は典蔵の変心を知っているのだから敵役で行った方が、
あとの芝居が盛り上がるだろう。ここでも普通の人でいてガラリといじめにな
る方がいいという考え方だろうが、それでは序幕と同じになってつまらず、こ
こははじめから敵役に徹して奥庭までグイグイ押していくべきだろう。「忠臣
蔵」の師直とは違うのである。
 しかしその難点を差し引いても、芝翫は立派な大敵。線の太さ、スケールと
もにいい典蔵である。
 対する鴈治郎の伝七は、こういう役に色気が出て、ユーモラスなところが自
然に出ている具合がいい。まだまだこれからであるが、この珍しい作品を復活
したのはお手柄である。
 この二人の奥庭の殺しは、昼の「マハーラバタ」の大詰めの立ち廻りにうん
ざりしていた私には一服の清涼剤。歌舞伎はこれでなければならない。
 七之助の高尾は、まだこの役には無理。つい典蔵の情けにほだされて伝七と
の仲を口走ってしまう辺りの芝居の面白さ、女心のはかなさはまだ不十分。
 米吉の名山は、ほとんど飾りものの如く、さすがに高麗蔵の和泉之助が、又
五郎や秀太郎ほどではないが、こういう現代ばなれのしたつつころがしの役を
よくやっている。努力賞。
 下役須藤丹平は、この芝居では大事な役で若い福之助には無理。ワキの端敵
の腕達者がつとめるべきだ。
 亀蔵の呉才官、橘太郎の珍花慶。
 友右衛門の千歳屋の女房、松也の奴光平。
 奥庭の殺しは、今まで純日本風の渡り廊下であったように思うが、今度は朱
塗りの中国風で、序幕の千歳屋との対照を失ってよくない。
 夜の部の最後は、玉三郎の舞踊「秋の色種」。もとより長唄の素の曲として
有名なものだが今度花柳寿応・寿輔の振付で私ははじめて見た。
 踊りとしてはさして面白くはないが、玉三郎の持ち味のあでやかさ、背景の
月や星の美しさ、勝国の三味線の虫の音、それに今度は梅枝と児太郎の二人が
からんで、しかも琴を弾くという大サービス。キレイづくめのムード舞踊。玉
三郎が若い二人に入ってなおだれよりもきれいに見えるのは驚くほかない。二
人の琴がおわると黒の衣裳にかわって、今度は二人の娘の母親という景色もい
い具合である。 

Copyright 2017 Tamotsu Watanabe All rights reserved.
『渡辺保の歌舞伎劇評』http://homepage1.nifty.com/tamotu/
ちょっとだけ遅れたのですが無事に着席しました。白鳥さんが入院して点滴されていた時に輸液バッグを点滴箇所より低いところに置いて輸液に出血が混じったとか、病院の中で迷ったとか、白衣のお婆さんがエレベーターから出て来てぎゃぁだったとか、お婆さんは地下の風呂に行きたかったんだけどエレベーターで迷ってたとか、相変わらず実話が落語みたいに面白い。
 お腹回りが随分凹んでシュッとしてます。力が出ないそうで、一席目でくらくらしてるとか。でもやりきってくれてありがとう。

真夜中の襲名/白鳥
 私が落語デイズとかお台場とかネット配信でいろいろ聞きかじっていた頃、聴いたネタですね。白鳥さん(師匠と呼びにくい)が言うには、こぶ平の正蔵襲名の時につくってかけ、一平の三平襲名の時にもかけたネタで久しぶりだとか。作風的には「流れの豚次 任侠流山動物園」の原型で、私の頭の中では白鳥さんの動物イラストとともに白鳥どうぶつシリーズとして記憶されています。
 上野動物園のふれあい公園に連日子供たちに触られている(虐められている)パンダウサギのピョン吉が、大名席の「カンカン」に憧れるが、「カンカン」は生まれたばかりのジャイアントパンダの赤ちゃん「シャンシャン」がいずれ襲名する名前に決まっていた。生まれによって決まってしまう襲名に怒って動物舎に抗議に行くピョン吉だが、長老のあした順子インド象先生のとりなしで、「ラビット亭園長」の大名席を襲名することが決まり、まん丸お月様の下で襲名ご挨拶するというおめでたい一席。
 「任侠流山動物園」のパンダがすげーヤクザで笑えるんだけど、こちらは赤ちゃんパンダが母パンダの政治力によって笑点出演が決められていたりで親の七光りでいい思いもするけど実力不足にいじけているというキャラクター造型。
 そういえば三平はNHK『落語THE MOVIE』で「ざる屋」をかけていた。寄席では漫談以外『ざる屋』しか聴いたことがないのだけど、だいぶ聴けるようになった。まぁニンも米あげざる屋にとても合っているので、ネタ数は少なくても寄席で生きていける芸人でいてくださいね。

牡丹の怪/白鳥
 柳家ミミちゃんが主人公で、師匠の小三治も登場する。『牡丹灯籠』をパロディ化していて、練馬の飯島病院の院長先生が再婚して、後妻と折り合いのつかない令嬢お露さんが目白の別邸にお手伝いの米さんと一緒に暮らしている。身体が弱くて庭の草花を育て、落語を聴くのが趣味。師匠に紹介されたミミちゃんはお露さんといい仲になるのだが……。
 途中展開にちょっとエッチな場面あり、後半はB級ホラーじみた展開。けど、オチは白鳥作らしい駄洒落。高田馬場と目白の間に素敵な名所ができました(ネタ)。

仲入り

雪国たちきり/白鳥
 白鳥さんの故郷の高田のお隣の城下町で、商家の若旦那が津軽から来た芸者の小糸に惚れ……津軽三味線が鳴るラストがちょっともの悲しい白鳥版「たちきり」。
 こりゃ確かに十何年か一度にしかかけられないわ(汗)。
たまたま都合がよかっただけなのだが、初日に見に行った。

シネマ歌舞伎「四谷怪談」

 コクーン歌舞伎を生で観た時の感想は下記。
渋谷・コクーン歌舞伎「四谷怪談」

 舞台で見た時と印象あまり変わりないかも。現代と江戸時代の混ぜ方があまり効果的でないように思う。現代でもあり得る話というメッセージだけなら、モブを割り込ませなくても音楽だけでかなり効果があったと思う。『三人吉三』がすっきりした画面で効果上げていたので、こちらは過剰な気がした。

 業と強欲が殺人やらお家乗っ取りやら近親相姦やらに繋がる、物語の力は強い。民谷伊右衛門とお岩の因縁話だけでなく、お岩の妹お袖を巡るふたりの男を後半で際立たせ、忠臣蔵のサイドストーリーである設定。

 勘九郎さん七之助さん獅童さん扇雀さん笹野高史さんなど俳優陣の魅力はほんと素晴らしい。勘九郎さん演じる直助と獅童さん演じる民谷伊右衛門。殺人を含めて手段を問わず、欲を見たそうとするが決して報われない。強欲と業の物語。

 やっぱり大きなスクリーンといい音響、シネマ歌舞伎は生の歌舞伎とは違う魅力。ネットで何度か見ているのに『め組の喧嘩』予告編で勘三郎さんを見て、ぽろぽろ泣いてしまった。
9/22夜の部

・ひらかな盛衰記 逆櫓
前半は、平和な船頭一家が取り違えで預かった子の素性が知れ、人のいい入り婿の正体が実はという話。小さな第二場があって、遠景に主人公が若い船頭に逆櫓を教えている場面、子役で遠景に見せるという趣向が面白い。第三場は碇知盛の着想の元となった、船頭多数との戦闘シーンから大碇を投げつけるシーン、最後は畠山重忠が出て来て締め。でも主人公はお縄になり、守った主君の子の命と引き換えに切腹する運命。
 ……吉右衛門がもう少し若い時に見たかったなぁ(ぼそ)。

・再桜遇清水
 最初は北条の桜姫と千葉家の若侍の恋物語で始まり、ちょっとシェイクスピア『真夏の夜の夢』か『十二夜』あたりのテーストなんだけど、桜姫の美しさに魅せられて彼女のために殺生戒を破った僧清玄が破戒僧に墜ちてなお桜姫を求める展開はプッチーニ『トスカ』も真っ青。衆道あり強盗殺人あり、小姓ふたりの入水自殺あり、どうなるかと思ったら最後は『四谷怪談』ばりの怪談オチ。死して成仏できない清玄が化けてなお桜姫を求めるスリラー仕立ての幕は後味がよくはなかったけど、高潔な僧が恋に落ち、肉欲物欲に怪物化するあたりは結構好き。染五郎が陽気な奴と破戒僧清玄の両方を演じ、時には笑いを呼びつつ最後のスリラーまでよく化けてくれた。雀右衛門の桜姫はやはりハマリ役だし、米吉と児太郎の若衆コンビが可愛美しい。

9/23昼の部

・彦山権現誓助劔 毛谷村
仇討ちものの傑作。女武道の菊之助が美しい。染五郎&菊之助の美男美女でうっとり。

・仮名手本忠臣蔵 道行旅路の嫁入り
通しで踊りなので、ついうとうとと。

・極付幡随長兵衛 「公平法問諍」
やはり吉右衛門は似合うなぁ。

芝居も極付、感動の長兵衛 歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」
 初代中村吉右衛門の俳名を冠し、功績をたたえる「秀山祭」。孫の二代目吉右衛門が、初代ともどもの当たり役である2作品に主演した。

 昼の「極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)」が河竹黙阿弥の名ぜりふと呼応して感動的。江戸・花川戸の侠客(きょうかく)長兵衛(吉右衛門)と旗本水野十郎左衛門(市川染五郎)との男の意気地をかけた対決。「長兵衛内」の場がことにいい。吉右衛門が、死を覚悟して後事に思いをはせる「歎息なして…」の語りにつれ、顔を硬直させる。無言の容貌に宿る芝居の醍醐味(だいごみ)。竹本葵太夫の炎のような浄瑠璃も、名演に火をつける。染五郎初役の水野の作りも眼を射る。白塗りに映える憂愁。含みある面立ちに人間性の分の悪さをあらわにする。見事な水野像だ。

 夜に「ひらかな盛衰記」から名場面「逆櫓(さかろ)」。せりふ、見得と俳優の器量で見せる時代物。吉右衛門が軟から硬へ、町人の船頭松右衛門から実は武将樋口次郎へと鮮やかに変わる。漁師権四郎に中村歌六(かろく)。

 夜の最後に吉右衛門が松貫四(まつかんし)の筆名で書いた「再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)」。歌舞伎伝来の「清玄桜姫物」にアイデアを借りた。美しい桜姫(中村雀右衛門(じゃくえもん))に恋い焦がれてしまった僧侶清玄(染五郎)が破戒、堕落をものともせず、殺され幽霊になっても姫に付きまとう。人間の業を諧謔(かいぎゃく)味たっぷりに描く。吉右衛門が32年前に作、主演。歌舞伎座では初上演。昼はほかに「毛谷村(けやむら)」と舞踊「道行旅路の嫁入」。25日まで、東京・銀座の歌舞伎座。(劇評家 石井啓夫)
<評>吉右衛門、緩急自在 歌舞伎座「秀山祭大歌舞伎」
 歌舞伎座は初代中村吉右衛門の芸をしのぶ秀山祭。昼夜にゆかりの演目が並ぶ。
 昼の部「極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)」の吉右衛門が素晴らしい。緩急自在のしみ通るようなせりふで、「たかが町人風情」の自分の死に場所を見定めた男の覚悟を浮き彫りにする。その覚悟をあくまでも静かに受け止める中村魁春(かいしゅん)の女房お時も感動的。中村又五郎が劇中劇の坂田公平と出尻清兵衛で好演を見せ、中村錦之助の近藤登之助に悪が利いていい。中村歌六の唐犬権兵衛、市川染五郎の水野十郎左衛門。
 「彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち) 毛谷村」は染五郎の六助、尾上菊之助のお園が華やかにして爽やか。お園のクドキに悲哀がにじみ、六助は出立で義太夫にのるところがわくわくさせるおもしろさ。又五郎の微塵弾正(みじんだんじょう)実は京極内匠、上村吉弥の後室お幸。昼の部は他に坂田藤十郎の戸無瀬、中村壱太郎(かずたろう)の小浪、中村隼人の奴(やっこ)で「仮名手本忠臣蔵 道行旅路の嫁入(よめいり)」。
 夜の部は「ひらかな盛衰記 逆櫓(さかろ)」から。吉右衛門の松右衛門実は樋口次郎兼光は、カドカドの見得(みえ)が錦絵そのまま。中村歌六の権四郎は孫の死を聞いての衝撃と悲嘆、そして怒りと、胸の内が手に取るように伝わるきめ細かさ。中村東蔵の女房およしとともに、名もなき生活者のリアリティーに満ちている。中村雀右衛門のお筆、市川左団次の畠山重忠。
 「再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)」は吉右衛門が松貫四(まつかんし)の名で清玄桜姫物の古作を書き改めた作品。芝居の足取りがやや重いが、適役ぞろいで、埋もれた演目を甦(よみがえ)らせる意義ある試み。二十五日まで。
(矢内賢二=歌舞伎研究家)
渡辺保の歌舞伎評
2017年9月歌舞伎座新しい長兵衛
 今日、私は新しい長兵衛を見た。吉右衛門の「湯殿の長兵衛」である。別に

変った新演出があるわけではない。いつもの通り。しかし回を重ねて洗練され

て、今まで見えなかった一本の線がつながって、長兵衛という男の人生のドラ

マがはっきり浮かび上がった。これだから古典は同じものを何度見てもその度

に新しい発見があるのだ。

 むろん「湯殿の長兵衛」はいつ見ても江戸ッ子の男一匹、意地の張り合いか

ら殺される男の話であるが、今度はそうではなかった。死に場所を自ら発見す

る男の話であった。人間はいつか死ぬ。しかしいつ死ぬかはだれもわからない。

死を自ら求めるのは単なる自殺に過ぎない。長兵衛は自殺者ではない。自ら死

に場所を発見した。ここで死ななければならないと思い、そうすることが自分

の人生を全うすることだと思った。全てを終わらせようとしたのではない。そ

こが自殺と違う。

 たとえば二幕目の花川戸の長兵衛の内の長兵衛自身の告白を聞いているとよ

く分かる。今度の吉右衛門のそれは、自然な軽さのなかに実がこもっていて、

そのリァリティがこれまでにない深さである。すでに夫の覚悟を知っている魁

春の女房お時がせっかく仕立てた黒紋付がこんな役に立とうとは思わなかった

という。そうすると長兵衛はこれが一世の晴れ舞台だからこそ仕立て下ろしを

着るのだという。なぜ晴れ舞台なのか。実力があっても所詮しがない町奴にと

って士農工商の身分制度は鉄壁であった。その鉄壁に向かって長兵衛は革命を

起こしたわけではない。八千石の旗本と対等に死ぬのは晴れ舞台だと思った。

むろんたかが八千石である。八万石でも八十万石でもない。そこに長兵衛の勇

気と哀れさがある。

 彼が偉いのは彼がプライドを捨てなかったこと。体を張って血の涙を流しな

がら生きて来たからである。多くの人の難儀になることを知りながら、ここが

自分の人生の終末だと思った。そこにこの男の発見がある。今度の吉右衛門の

長兵衛はそういう男のドラマであった。

 序幕村山座の名調子もさることながら、それ以上に大事なのは坂田金左衛門

に対してあくまでお詫びに出たのでございますといっていることである。この

卑下した態度が一貫している。初代吉右衛門の長兵衛は愛嬌こぼれるばかりで

あったが、その愛嬌こそ士農工商の最下位にいる人間の被差別感覚とそれを超

えようとする方便から出る。当代またそれに近く初代の光彩につながっている

と同時に、次の幕の花川戸の内での述懐で爆発する。私が一本筋が通って男の

ドラマが浮かび上がったといい、新しいという所以である。

 大詰水野の屋敷では、風呂場へ誘われてよんどころなく立ち上がって向うを

見る思い入れが、夫婦、親子の別れの情が出てうまい。それに引きかえて湯殿

では満場を沸かせる、ここ一番の大タンカ、胸のすく出来である。

 魁春のお時は、あえてベタベタせずにサラリとしながら、夫の気持ちは底の

底まで知っている女房を描いて、しかも風格がある。

 又五郎が村山座の坂田金平の大荒事のあとすぐ引っ返しての三枚目の出尻清

兵衛で腕を見せる。ことに金平で舞台番に思わず「もう大丈夫なんだろうね」

というさり気なさ、可笑しさがうまい。橘三郎の慢容上人が手に入ってうまい。

 染五郎の水野は悪が効かないが、この年配では仕方がない。その分錦之助の

近藤登之助が悪を聞かせて水野を助けている。

 歌六の唐犬権兵衛が舞台を締めている。

 錦吾の渡辺綱九郎、吉三郎の保昌武者之助、吉兵衛の舞台番、蝶十郎の中間。

脇のなかでは吉之亟の坂田金左衛門がいい。

 児太郎の頼義、米吉の御台、松江、亀鶴、歌昇の子分。

 以上この芝居がこの興行一番の見ものである。

 昼の部はこの前に染五郎、菊之助の「毛谷村」と藤十郎、壱太郎の「八段目」

の道行がある。

 「毛谷村」は次代の歌舞伎を背負う二人。ことに染五郎の六助がいい出来で

ある。前半の「なんとでごんす、ぼろんじどの」の愛嬌から、太鼓を叩いてス

キを見せずにお園への物語がいい。お園と知れてからの居所が真中へ出過ぎて

せせこましいほかは、ニンも芝居もいい。後半、斧右衛門が出てからはやや力

不足。タッチが弱くなる。しかし「義の一字」と扇を開いた大見得で大分取り

返した。まずは上出来である。

 菊之助のお園は花道の出がよくない。女が男装しているという面白さがはっ

きりしない。男か女かわからぬ中途半端。相手が六助と知れてからは、尺八を

火吹き竹と取り違へたり、臼を持ち上げたりするのがとかく段取りめく。六助

への狂熱的な思いが出ていないからである。くどきはカラミを使って一通り。

型通りであるが、もう少し色気が欲しい。

 この一幕では又五郎の微塵弾正が、凄味、憎みともによく、今月昼の部の三

役、大当たり。

 吉弥のお幸は、人品卑しからず、立派な吉岡家の後室。ことに後半斧右衛門

が入ってから舞台にスピードが出たのはこの人のリードの力である。吉之亟の

斧右衛門は突っ込みが足りず不発。

 次の「八段目」は、私は藤十郎の戸無瀬をはじめて見た。九段目は再三見た

が八段目は東京では初役。小浪とともにせり上がったところはさすがに立派な

風格。しかし仕どころがあまりない役だから、それまでである。

 藤十郎とともにせり上がった壱太郎の小浪が十分藤十郎に対抗するだけの立

派さには一驚した。ここのところ大いに芸格が上がったからである。しかしと

かく顔を上げすぎるのはよくない。むろん小浪は力弥に会えて嬉しいだろうが、

同時に不安もあるはず。上を向いてばかりいては、その性根を失う。

 隼人の奴。

 夜の部は、吉右衛門の「逆櫓」と染五郎、雀右衛門の「清玄桜姫」。

 吉右衛門の樋口は、前半花道のはなやかさから、梶原に目通りしての物語の

うまさが、浮き立つようで面白い。後半は「権四郎、頭が高い」で門口の柱に

つかまって向こうを見込んでのキマリ、二重に上がりかけて振り返っての裏見

得、表になっての大見得まで錦絵の美しさ。これぞ歌舞伎という味わいで堪能

させる。物語はわずかな動きでありながら大波が波頭に砕ける如き面白さであ

る。「そめろの山、千尋の海」の情愛、遠見を挟んでの逆櫓の松の大立ち回り、

物見のカドカドの見得の立派さ。いずれも堪能させる。

 歌六の権四郎が秀逸。ことにお筆の話を聞いている間の、絶望に打ちひしが

れてジッと動かずしかもハラで芝居を受けている具合が印象的であった。今日

の権四郎である。

 東蔵のおよしは、お筆が帰るというのを聞いて引き留めるところに、わが子

可愛さからせめてこの人と話をして居たいという母親の情、女の気持ちが出て

ホロリとさせる。このあと権四郎に手を引かれてのれん口へ入る時、二重に上

がった歌六、東蔵がフッと立ち止まる。その二人の背中に親子の不運を思わず

にはいられなかった。結婚によって血族には他人が入ってくる。そして新しい

絆が生まれる。およしの再婚、樋口の入り婿。まして武士と船頭という身分の

差。その人間関係の複雑ななかから樋口はむろん、およしも権四郎も生きてい

かなければならない。そう思わずにはいられない親子の後姿であった。

 雀右衛門のお筆はベテランに囲まれてまずは神妙な出来。又五郎、錦之助、

松江の三人が船頭に出る顔揃い。

 左団次が重忠。

 次の「清玄桜姫」は南北の名作「桜姫東文章」の先行作。南北のネタは全部

ここに揃っていることがわかる。その「遇曽我中村」という古い脚本を吉右衛

門が三十年余り前に「松貫四」の筆名で脚色、四国と大阪で上演したが、私は

どちらも見なかったので今度はじめて見た。吉右衛門監修、戸部和久補綴。

 全三幕のうち、序幕新清水花見の場は、染五郎の清玄上人と奴波平の二役早

変わり、錦之助の千葉之助清玄、雀右衛門の桜姫、魁春の山路という適役揃い

なのに、いささか冗長な上に、演出がキッパリせず、役者が芝居に慣れぬとこ

ろもあって芝居がこなれていない。

 一つだけ例を挙げる。千葉之助と桜姫の不義が証拠の手紙で手詰めになった

時、山路がその手紙は「キヨハル」ではなく「セイゲン」だと主張するのを思

いつくところ、セイゲンが偶然石段の上に立っているのは、芝居としては面白

くない。なんのためにここへ清玄が出て来たのかがわからず、その分山路が思

いつく運命的な瞬間が立体的になっていない。

 桂三の荏柄の平太が手強くない上に、一味の吉之亟の大藤内が神職だといい

ながら雑色みたいな格好しているのも軽々しい。敵役陣が弱いので主役たちに

枷が掛からないのである。もっと整理して演出を面白くすればいい芝居になる

のに惜しいことである。

 二幕目雪ノ下桂庵宿の場は、原作の風俗描写をするには装置が原作と違って

ありきたりの店先であるのが不自由。原作が面白いだけに残念。

 大詰六浦庵室になってもまだ物語がごたつく。児太郎、米吉の寺小姓も、京

妙の富岡の後室もカットしてここまで来たらばもう清玄桜姫に筋を絞った方が

インパクトもあり、役者も仕甲斐があったろう。現に染五郎、雀右衛門、錦之

助の三人もここでグッとよくなる。

 再演に期待したい。

 

Copyright 2017 Tamotsu Watanabe All rights reserved.

『渡辺保の歌舞伎劇評』http://homepage1.nifty.com/tamotu/



8月から頸椎手術のため休養していた小三治師匠を心配していたのだが。

国宝・柳家小三治さん高座復帰 手術で療養、1カ月ぶり
 頸椎(けいつい)の手術で療養していた人間国宝の落語家柳家小三治さん(77)が13日夜、岐阜県多治見市で開いた落語会で、約1カ月ぶりに高座に復帰した。
 口座にちょっと上がってくれてお喋りしてくれたらいいなぁ、という思いで「柳家小三治独演会」のチケットを手に大田区区民ホールアプリコへ。
 「独演会」は「一門会」に変更。それでも大トリに師匠が上がってくださる。

元犬/小八
そば清/〆治

仲入

目薬/一琴

マ・ク・ラ
転宅/小三治
 京都で頸椎手術を受け、療養のため京都をあちこち見てきました、という話からいろいろ派生。東寺、大原三千院(永六輔の歌詞をくさす)、鞍馬、御所、二条城、十分行けなかった嵐山の渡月橋。ようかんの虎屋の本家は御所のそば。でも小三治さんにいろいろ廓の話を聞かせてくれた浅草の結髪さんのおすすめは先代の白松がヨウカンの栗羊羹。それぞれに派生する話がたくさんあった。
 口開けだけちょっと言葉が出て来なかった感じだったけど、後は滑らか。
 しかも「転宅」までかけてくれた。出来は療養前よりいいと思う。
 小三治師匠、寿命を延ばされたようだ。

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