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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
近年の新選組関係ニュースの中でもメガトン級ですね。特に三番組の長だった斎藤一、明治期に改名して藤田五郎は、本人と特定された肖像写真がなかった(西南戦争の集合写真で伝・藤田五郎はありましたが、このたび、否定されましたし)ので。

斎藤一の写真見つかる 新選組生き残り、53歳当時
 江戸時代末期に新選組の幹部として活動し、明治維新後も生き残った斎藤一について、明治30年の1897年に妻や息子2人と共に撮影した写真が残されていたことが15日、歴史研究家のあさくらゆうさん(47)や子孫らへの取材で分かった。

 斎藤は残された史料や写真が非常に少なく謎が多い人物とされており、これほど鮮明な写真が見つかるのは珍しい。

 維新後に藤田五郎と名乗った斎藤を巡っては、西南戦争で政府側に従軍し、警視庁にも勤務したことなどを示す恩給関係の史料が国立公文書館に保管されていたことが昨年判明している。

 撮影当時、斎藤は53歳で、東京高等師範学校(現筑波大)に勤務。家紋が入った羽織はかま姿で脚の上に帽子を置いて、同じく着物姿の妻、トキヲと並んで手前のいすに座り、その後ろには軍服姿の長男の勉と着物姿の次男の剛が立っている。

 斎藤が住んでいた東京・本郷にある「写真師 中黒実」のスタジオで撮影したとみられ、卵白を原料に使った縦約14センチ、横約10センチの鶏卵紙にプリントされている。

 台紙の表には、毛筆で「明治卅年十一月十四日写之」「藤田勉卒業ニ付一家写真」と記載。勉は約2週間後に陸軍士官学校を卒業しており、家族の記念写真だったことをうかがわせている。

 写真は昨年秋、斎藤につながる家系を持つ関係者宅の蔵を整理した際に発見され、斎藤のひ孫に当たる男性(69)に贈られた。男性は「関東大震災や戦災も逃れて、よく残っていてくれた。威厳のある姿を一人でも多くの人に見てもらい、斎藤一という人物をよく知るきっかけになってほしい」と話している。〔共同〕

新選組幹部で明治維新後も生き残った斎藤一 謎多き人物の貴重な写真をフルスクリーンで
江戸時代末期に反幕派を取り締まった新選組の幹部として活動し、明治維新後も生き残った斎藤一(はじめ)。1897(明治30)年に妻や息子2人と共に撮影した写真が残されていたことが15日、歴史研究家のあさくらゆうさん(47)や子孫らへの取材で分かりました。

 斎藤は残された史料や写真が非常に少なく謎が多い人物。これほど鮮明な写真が見つかるのは珍しいそうです。

 「産経フォト」では、斎藤の写真2枚と台紙を掲載しています。下記のリンクからフルスクリーンでご覧ください。

★斎藤一の写真見つかる 53歳当時、新選組生き残り
 江戸時代末期に反幕派を取り締まった新選組の幹部として活動し、明治維新後も生き残った斎藤一について、明治30年の1897年に妻や息子2人と共に撮影した写真が残されていたことが15日、歴史研究家のあさくらゆうさん(47)や子孫らへの取材で分かった。

 斎藤は残された史料や写真が非常に少なく謎が多い人物とされており、これほど鮮明な写真が見つかるのは珍しい。

 斎藤一の写真と共に残されていた台紙(提供写真)
 撮影当時、斎藤は53歳で、東京高等師範学校(現筑波大)に勤務。家紋が入った羽織はかま姿で脚の上に帽子を置いて、同じく着物姿の妻トキヲと並んで手前のいすに座り、その後ろには軍服姿の長男の勉と着物姿の次男の剛が立っている。

 斎藤が住んでいた東京・本郷にある「写真師 中黒実」のスタジオで撮影したとみられ、卵白を原料に使った縦約14センチ、横約10センチの鶏卵紙にプリントされている。

斎藤一の鮮明な写真見つかる「これが死線くぐった目だ」【新撰組幹部】
幕末に新撰組の幹部として活動した斎藤一(さいとう・はじめ)の鮮明な写真が、初めて発見された。2015年秋に斎藤の親族の蔵から出てきた2枚の写真を、次男の子孫である藤田家が7月15日に公表した。家族写真は明治30年(53歳当時)に撮影されたもので、単独の写真も同じ頃に撮られたものとみられる。

歴史研究家・あさくらゆうさんによると、これまで本人の写真は、次男の結婚式に出席した際の不鮮明なものしか見つかっていなかった。しかし、「斎藤一の写真」として、別人の写真がネット上に出回っており、真実の姿を世間に知らせるために藤田家が公表に踏み切ったという。

あさくらさんは、ハフポスト日本版の電話取材に対して「今回の写真を見て『なるほど』と納得した。息子の勉(つとむ)さんと比べて、キリっとした目つきで『これが死線をくぐって来た目だ』」と思った」とコメントしている。
■斎藤一とは?

知恵蔵miniなどによると、斎藤一は1844年、江戸の幕臣の家に生まれたとされる。1863年、新撰組の前身である壬生浪士組の結成に合わせて入隊。新選組では、沖田総司、永倉新八と並ぶ「最強の剣士」の一人といわれた。

勤王派浪士を襲撃した池田屋事件などに参加し、また新撰組隊士の粛清にも多く関わったという。幕末の戊辰戦争では幕府軍側として戦い、会津藩が降伏した後に投降、妻の姓をとり藤田五郎と改名した。1874年、明治政府の警視庁に採用される。1877年の西南戦争では警部補の役職で奮戦。1915年、胃潰瘍により72歳で死去した。

NHK大河ドラマ「新選組!」(2004年)では、斎藤をオダギリジョーが演じ、また人気マンガ『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―』(集英社)では主人公のライバル役として描かれた。

「悪・即・斬」「はじめくん!」「スポックじゃない」 新選組・斎藤一の写真発見に『るろ剣』『薄桜鬼』ファンも歓喜!
 江戸時代末期、反幕府勢力を取り締まった新選組の隊士と知られる「斎藤一」の写真が見つかったことが、15日わかった。人気アニメのキャラクターとしても人気を博す斎藤一の歴史的発見に、アニメオタクからも歓喜の声が上がっている。

 新選組でも一、二を争う剣客であると言われる斎藤一。戊辰戦争では、前線で活躍し、明治維新後も警察庁抜刀隊の一員として西南戦争に参加。大正時代まで生きた新選組隊士とも知られるが、現代までに残された史料や写真はほとんどなく、謎の多い人物とされてきた。

 そんな斎藤一は、オダギリジョーが斎藤一を演じた2004年の大河ドラマ『新選組!』(NHK)をはじめ、多くの作品に登場。“二次元キャラ”化もしており、中でも「牙突」や「悪・即・斬」でおなじみの『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』、寡黙なイケメンに描かれた『薄桜鬼』シリーズが有名で、作品をきっかけに斎藤一を好きになったというファンも多い。

 だが、これまで実際の斎藤一の姿を確認できるものといえば、『スタートレック』シリーズのミスター・スポックを彷彿とさせる、とんがった耳が特徴の肖像画のみ。お世辞にも「かっこいい」とは言えない姿であった……【注:なお、この肖像画のモデルは本人ではなく、斎藤の長男がモデル】。

 その中で今回見つかった写真だが、1897年、斎藤一が53歳の時に妻子と共に撮影したというもの。写真の中の斎藤一は家紋が入ったはかま姿で、顔立ちは“あの肖像画”と比べると、かなり凛々しい。ネットでも「予想よりかっこいい」「絶対若い頃イケメン」「スポックじゃない!」と評する声が続々と上がっている。

 写真の発見を報じた「共同通信」によると、この写真は当時斎藤一が住んでいた東京・本郷の「写真師 中黒実」のスタジオで撮影したものとみられており、写真の台紙の裏には毛筆で「明治卅年十一月十四日写之」「藤田勉卒業ニ付一家写真」とあることから【注:斎藤一は藤田五郎に改名している】、その後、陸軍士官学校を卒業した長男・勉を祝う、家族写真だったことうかがわせているという。

 今回の発見には、歴史ファンだけでなく、「この人が牙突使ってたのか」「悪・即・斬感がすごい」「はじめくん!」「薄桜鬼ファン的にはテンション爆発せざるを得ない」と、アニメオタクも反応しており、改めて斎藤一の人気を感じるところ。

 なお、新選組の天才剣士と言われる沖田総司の肖像画も“残念”なほうの部類なのだが【注:肖像画のモデルは姉のミツが「似ている」と称した孫の要】、斎藤一の写真が発見されたことを受けて、「沖田も見つけてあげて」「沖田も早く写真が見つかるといいね……」といった声が上がっている。

あさくらゆうさんのブログ「無二無三」より。
皆さまへお知らせ
15日朝に報じられた記事につきまして、あまりの反響に予想を超え、驚いております。多くの関心をお持ちいただき、誠にありがとうございます。

 それに伴い、他報道、および出版社等より問い合わせを多くいただくに及び、所蔵者と相談し、以下のように決めたことをご報告申し上げます。

1.当面は報道機関にのみ写真についての取次対応を行う
2.出版社系(雑誌・書籍)については後日設置された対応先で対応を行う
3.暫定的な取次対応は私(あさくらゆう)がメールで受け付ける
4.あくまでも私は暫定的な対応のため、1の取次対応以外の問い合わせがあったとしても1の取次対応しか行わない

 今回、ある出版社から問い合わせがあり、また、所蔵者ではない関係者に当該出版社の出版物執筆者と関係する者から無断使用を告知される事象が発生されるに至り、その情報を聴き及んだ所蔵者からお怒りの言葉を賜っております。詳細は申し上げられませんが、そのため、画像使用について制限が課される可能性が出てまいりました。

 ともあれ、私の暫定取次はおそらく来月までに解消されるとは推測しておりますが、出版社各位におかれましてはそれまでお待ちいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。おそらく私、および設置先より告知されるかと存じます。恐れ入りますが、よろしくご配慮方、重ねてお願い申し上げます。

あさくらゆう

謹告
本日、共同通信配信により拙名が掲載された記事が配信されました。

今回、写真を新聞記事化することは藤田家の要望でした。藤田家が違うと明言していた西南戦争の写真を駆逐するのがなによりも目的で、そうした意味で広く一般に本物の顔を知っていただきたかったと申されておりました(ちなみにもうひとつの肖像画は藤田實氏をモチーフとした想像画)。

 事の発端は先月にご子孫のひとりに相談を受けたことによります。それから日程を詰め、27日に子孫2名とお逢いいたしました。そこで現物を拝見し、藤田家特有の頭頂部に得心を得ました。

 ただし、写真師の「中黒實」をよく知らなかったため、日本カメラ博物館のAさまに相談し、写真の撮影年度等の目安をいただきました。

 それと、写真の保存について相談を受けました。現時点では申し上げることはできませんが、そう遠くないうちに広く一般の眼に触れる機会が出来ると思います。

 今回におかれましては公表できる内容がごく少なく申し訳ありませんが、少なくとも出所が戸籍上、藤田家から繋がる家より発見されており、トキヲさんの根拠は着ている着物の家紋が会津藩高木家の紋であることです(嫁いだ人は実家の紋を付けます)。

 とりあえず、本日の夕刊以降に紙媒体に掲載される予定で、写真現物におかれましても、見れる機会はあると思いますので、しばらく温かく見守っていただければ幸いです。
 ということで「藤田家が違うと明言していた西南戦争の写真」を駆逐するのが目的で、正しい「藤田五郎写真」が発表されたそうです。
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斎藤一の写真
by 伊藤哲也 2016/07/23 12:01 編集
こんにちは、伊藤哲也です。
斎藤一こと藤田五郎と特定された写真は、10年前に次男の結婚式の写真発表が最初となります。
    
伊藤さんありがとうございます。
by 白牡丹@管理人 URL 2016/07/23 12:16 編集
伊藤さん、お知らせいただきありがとうございます。

その時の写真画像はネット上で見られますか?
    
画像がみれるところ
by 伊藤哲也 2016/07/23 12:27 編集
この一族の肖像写真、現在だと『斎藤一の生涯』『新選組組長斎藤一』にのみ写真所有者から掲載許可がおりていました。展示の許可が会津の新選組記念館にのみです。そして、WEB上だと新選組記念館で撮影されたものが転載禁止であるものの・・載っているブログも見受けられます。 こちらの写真だと藤田五郎と確定できる資料があるのです。今回のは、藤田家家紋のみとなります。     
詳細なご回答ありがとうございます
by 白牡丹@管理人 URL 2016/07/23 12:46 編集
伊藤さま、詳細なご回答ありがとうございます。

今回の写真とも比較したく、図書館やネットで探してみます。
    
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