忍者ブログ
新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
シネマ歌舞伎『刺青奇偶』
 2017年8月歌舞伎座『刺青奇偶』は半太郎=中車、お仲=七之助、鮫の政五郎=七之助で、演出が玉三郎様だった。玉さまが次の世代に芸を残そうとした舞台で、まだこなれてないなと正直思ったけど中車さんが歌舞伎に馴染んできたことも感じた。
 でも勘三郎さんの半太郎は自然に望陀の涙が溢れ、玉三郎さまのお仲は男に騙された挙げ句に川に身投げする捨て鉢さと労咳に冒されながら命をかけて半太郎を思う気持ちが胸に迫る。そしてドスの利いた声を発する仁左衛門さまの政五郎が視線と声でバタバタと女性ファンを悩殺する。ああ、この頃の歌舞伎座を見たかったなぁ。。国宝級だったなぁ。。
 江戸深川で生まれ育った半太郎が、ばくち好きから前科者になって江戸所払いされて関八州を周りながら千葉行徳に流れ着いて、川の向こうを見ながら父母のいる深川を含めた江戸への恋しさを慰めるという場面が、少なくとも文化文政から幕末の江戸なんだなぁと思う。深川が江戸の内になってるから。そして、江戸に帰れない半太郎がお仲とともに居着いたのが品川の場末の長屋というのも、江戸の四宿である品川の位置づけを知らずして。
 またお仲も、酌婦として行徳近辺の宿から転売されるというところから、場末を転々とさせられる運命なんだよな。
 江戸深川の半太郎の父母が息子の行方を捜して巡礼の形であちこち旅して品川に立ち寄るけど、半太郎とはすれ違い。。
 
シネマ歌舞伎『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物控』
 そしてやじきたも同じ2017年8月パートBなので舞台で見たのと同じ展開だが、元ネタや役者さんをある程度わかって見直すと娯楽作品としてはまぁ面白いなと。劇中劇で『義経千本桜』の狐忠信の場があり、殺しのミステリー解明あり、パートAかパートBを観客が選ぶ観客参加型であり、役者さんたちもノリノリで喜劇仕立てにしているのが楽しい。
 でも『刺青奇偶』見た後ではインパクトが全然違う。
PR
3週間詰め詰めだった仕事が押してきたのでギリギリまでやっていたため、昼の部は「野晒悟助」のみ間に合った。

昼の部
野晒悟助

夜の部

夏祭浪花鑑
鳥居前
三婦内
長町裏

巷談宵宮雨

感想は後ほど追記。
10年続いているというACTシアター志の輔らくご。私は2010年、2014年から毎年来ています。今日は同業者の友人と。

大忠臣蔵 〜仮名手本忠臣蔵のすべて

中村仲蔵

 毎年同じ演目を見聞きしているのだけど、涙が出て仕方が無い。

 歌舞伎の歴史始まって以来、例がない、稲荷町から名題への出世を経験した初代中村仲蔵。名題になって初めての役が、仮名手本忠臣蔵のうち斧定九郎の一役のみ。彼の出世に対する嫌がらせであるこの役に仲蔵は一生懸命取り組み、柳島の妙見様への願掛けあってか蕎麦屋で見かけた浪人者の形を写し、色悪というジャンルを初めて開拓する。

 弁当幕と呼ばれる五段目、冷たい水を浴びて花道に注目した客が見たのは、雨に濡れた真っ白い肌の浪人者。。今まで見たことのない定九郎に、みな息を呑む。そして。。

 革新するまでの産みの苦しみの物語でもあり、革新的なものが理解されるまでに時間がかかるという物語でもあり、因習に囚われず仲蔵を名題にまで引き上げた四代目團十郎の目利きの話でもあり、命をかけて一役に取り組む役者魂の話でもあり。。

 まるでそこに花道ができたようなACTシアターの演出も好き。
昼の部夜の部通しで観た。

海老蔵五役: 早変わりといっても……うーん、元の作品が独立した別の作品だからと言ってしまっては元も子もないのだけど、バラバラと独立した章なので早変わりにあまり価値がないというか。鳴神上人と雲絶間姫のくだりは面白かったけど、海老蔵がどうこういう以前に作品として平板だった。

弁天娘女男白浪……菊五郎の弁天が南郷力丸と一緒に浜松屋で騙りゆすりをする場面が本当にドキドキした。これが芸の力だと感心するし、これが音羽屋さんなのだなーと唸る。


(評・舞台)歌舞伎座「団菊祭五月大歌舞伎」 海老蔵の鳴神に孤高の面影
 団菊祭は過ぎ去った日を思い出させる。昼の通し狂言「雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)」の高僧鳴神上人は、五年祭を迎える十二代目団十郎がおおらかだった。上人は龍神(りゅうじん)を滝壺(たきつぼ)に封じ込め、雨が降らない。雲の絶間(たえま)姫が高僧を破戒させ、龍神を解放して、雨をもたらす。

 海老蔵の鳴神は孤高の面影が濃い。菊之助の絶間姫が捨て身の誘惑を仕掛けると、一本気の性格がガラスのようにぽきりと折れる。この現代的センスが海老蔵である。他に粂寺弾正、早雲王子、安倍清行、不動明王を替わる。

 「女伊達」は、時蔵の女性の侠客(きょうかく)が、大きな間で見事な所作を見せる。

 夜「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」の幕が開き、武家娘に化けた菊五郎の弁天小僧が、左団次の南郷力丸を連れて浜松屋に現れると、懐かしさが胸にあふれる。

 屋敷風の奥ゆかしい黒の振り袖が、強請(ゆす)りがばれて片肌脱ぎになると、急によそよそしい借り物になる。娘の身体(からだ)が別人に変わり、「女装する男」が現れる。菊五郎の変幻自在さが、観客を江戸の夢に誘(いざな)う。

 「菊畑」は、団蔵の鬼一法眼の端正なたたずまいと、滋味を含んだせりふが、祖父八代目団蔵を彷彿(ほうふつ)させる。祖父は42年前この役を演じて引退し、孫に未来を託して四国巡礼に出た。その思いが実を結んでいる。

 「喜撰」は、六歌仙の喜撰法師が、江戸の風俗で廓(くるわ)通いをする。名品だった七代目三津五郎の瓢逸(ひょういつ)な味が、若い役者に出せるか。菊之助は正攻法で答えを出している。立役(たちやく)の外輪と女形の内輪の中間を行く難しい振りを正確に踊れば、そこに喜撰がいる。踊りの意味も味も振り付けの中にある。時蔵の祇園のお梶が七代目梅幸に似たスケールの大きさで、喜撰を包んでいる。(天野道映・評論家)

 26日まで。
歌舞伎團菊祭五月大歌舞伎 菊五郎 小悪党小気味よく=評・小玉祥子
 十二世團十郎の没後五年祭。夜の部に見応えがある。最初の菊五郎が弁天小僧を演じる「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」は、「浜松屋」から「滑川土橋」まで。菊五郎の時代と世話を使い分けた緩急自在なセリフ術が見事。女装して乗り込んだのが男と見破られ、「肝はふてえや」と居直ってすごむところなど、小悪党ぶりが小気味よく、左團次の南郷との息も合い、最期を遂げる「極楽寺屋根立腹(立ったままでの切腹)」までを運びよく見せる。橘太郎の番頭が軽妙で、梅玉の青砥藤綱がごちそう。海老蔵の駄右衛門、菊之助の赤星、松緑の忠信とそろう。

 中幕が「菊畑」。適材が配役された充実のひと幕。時蔵の虎蔵は、牛若丸らしいきびきびとしたところに加え、「色若衆」らしい色気がある。松緑の智恵内は線が太く、虎蔵への忠義心も感じられた。児太郎の皆鶴姫にいちずさと気性の激しさがうかがえ、坂東亀蔵の湛海が薄手な敵役ぶりを出した。団蔵の鬼一はセリフが明瞭で軍師らしい奥深さがあり、智恵内との腹の探り合いが、よく表現された。

 最後が「喜撰」。菊之助の喜撰の動きが美しく、時蔵のお梶との取り合わせも良い。

 昼が「雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)」(奈河彰輔演出、藤間勘十郎演出・振り付け)の通し上演。海老蔵が早雲王子、安倍清行、粂寺弾正、鳴神上人、不動明王の5役をつとめるが、やはりおもしろいのは、通常上演される「小野春道館(毛抜(けぬき))」と「北山岩屋(鳴神(なるかみ))」。

 「毛抜」では粂寺弾正がおおらかで、雀右衛門の巻絹に腰元らしい弾んだ風情がある。団蔵の八剣玄蕃、彦三郎の秦民部と周囲もそろう。

 「鳴神」は海老蔵の鳴神上人が前半で堂々とした風情を出し、菊之助の雲の絶間姫の色香に迷っての堕落ぶりとの差異を際立たせた。菊之助は、単身、山奥に乗り込んできた芯の強さを感じさせる造形で、あでやかさもある。

 最後が美とはりのある時蔵の「女伊達(だて)」。【小玉祥子】

東京・歌舞伎座で26日まで
渡辺保
2018年5月歌舞伎座珠玉の「浜松屋」
今夜、私は歌舞伎座の団菊祭で不思議な体験をした。

 江戸の町の呉服屋の店先(黙阿弥の「弁天小僧」では鎌倉雪ノ下になってい

るがむろんこれは江戸の町の話である)。春の日の昼下がり、すでにほの暗い

店の一室で、女装した男の無頼漢の詐欺事件が、いま、私の目の前で起こって

いるという実感がしたのである。「弁天小僧」の浜松屋は、今まで何度見たか

知れない。しかしこの舞台でこんな体験をしたのははじめてだった。いつ見て

もそれは技巧を凝らした「お芝居」であり、役者の「芸」を楽しむものであっ

た。しかし今夜は奇妙なことに、いま、ここで事件が起きている、これは「お

芝居」でも「芸」でもなくて「現実」だという感じがしたのである。こういう

感じは現代劇でも最近は珍しいし、ましてや歌舞伎のような浮世離れした古典

劇では滅多にないことだが、それが演劇の写実の根本であることも事実である。

 どうして「弁天小僧」のような芝居でこんな実感が起きたのか。

 一つは菊五郎の弁天小僧と左団次の南郷力丸が芝居とは思えぬリアリティに

達したいたからであり、もう一つは周囲の役々のアンサンブルが水も洩らさぬ

緊迫感を持っていたからである。菊五郎の目が舞台のスミズミまで行き届いて

いるのがよくわかった。演劇ファン必見の舞台である。

 菊五郎の弁天は、花道へ出たところ、前回の変な化粧が改まって、たよたよ

とおぼつかな 気なところが娘姿にはまって、円熟した老いの艶に輝いている。

しかしそこまでは「お芝居」であり「芸」であった。型を守りながら自由な芸

境も前回に同じ。前回とは違うのは、緋鹿子の半襟をそっと抽斗に混ぜ、後ら

スーッと取るところからである。ここは型どころで難しいところであるが、全

く観客の目にも留まらぬリアルな自然さになる。自由自在というよりも現実な

のである。駄右衛門が出て男と決めつけられるところの微妙なニュアンスも違

っている。ここはギックリしてわざと男の声になるやり方が多いが、今度の菊

五郎は女の声である。その上で「桜の刺青」を指摘されると「シェーッ」と驚

くところもイキ一つで女でありながら男ともとれる微妙な声である。こう書く

となんでもないようであるが、そのイキ、その微妙さが自然でリアルに運んで

いるから、冒頭私がふれたような、いま、ここで事件の現場に立ち会っている

ような現実感になる。それでいて「知らざあ言って聞かせやしょう」はメリハ

リ十分で「悪事はのぼる上の宮」で煙管で下手上の方を指す姿は絵になってい

る。駄右衛門が「生けおく奴ではなけれども」と刀を取るとキッとなって左ひ

ざを立てて手を載せた具合もそのまま絵であった。無言で簪で煙管を通そうと

している姿もリアルな生活感にあふれている。しかもせりふで凄味を聞かせる

無気味さ、いずれもこの事件の中核を描いている。それから花道の引込みまで。

前回の自由さからさらに進んで芝居とは思われぬ、弁天の無頼ぶり目の当たり。

画期的な出来といわなければならない。

 周囲のアンサンブルまた然り。左団次の南郷の、これもまた手慣れて余裕た

っぷりな自在な芝居もいい。団蔵の浜松屋幸兵衛がいかにも大店の主らしく、

市蔵の狼の悪次郎、橘太郎の番頭。この番頭が音頭を取る前後三回の「ヤアヤ

アヤア」がそれぞれその時に応じて不安、驚き、呆然のニュアンスを聞かせて

アンサンブルがとれている。これに交じって種之助の宗之助が柔らか味を出し

ているのは偉い。

 一方海老蔵初役の駄右衛門は、障子を細目に明けて弁天たちのやり取りを聴

いているのはいいが、菊五郎や左団次の間に入るとせりふの輪郭がぼけるのは

期待外れ。松也の鳶頭は動きがもっとキリッと締まるべきだ。

 次が稲瀬川勢揃い。

菊五郎の弁天は花道へ出たところ、逆七三での見得が錦絵の美しさ。しかし舞

台全体は浜松屋の緊密感を失っている。その理由は、この場が浜松屋とは違っ

て様式的だからであり、そうなると菊五郎左団次のベテランに対して、日本駄

右衛門の海老蔵、忠信利平の松緑、赤星十三郎の菊之助の若手三人の、せりふ

廻しの味の格差が大きいからである。

続いて極楽寺大屋根の立腹、山門、滑川の三場。

菊五郎の弁天はさすがに立ち廻りが無理だが、きまった時の姿、顔かたちはや

はり絵である。海老蔵の駄右衛門はこのはなやかな道具の中で意外にも貧相に

見える。睨みもさして効かないのは、こういう形容本位の役が現代の役者には

苦手だからだろう。

最後に青砥藤綱を梅玉が付き合う。脇の侍は秀調と権十郎、捕り手は九団次と

広松。贅沢な大詰である。

夜の部はこの後団蔵、時蔵、松緑の「菊畑」と菊之助、時蔵の舞踊「喜撰」が

あるが、この二本には問題がある。

団蔵初役の鬼一は、その風采がいかにも鬼一らしく、かつはせりふが明晰で客

席に通るが、そのせりふが明晰なのに味がないのは、今日はまだ初日が開いて

二日目のせいもあるだろうが、肚が薄いからであり、言葉の裏の意味、二重三

重の深さが出ていないからである。動きの造形にも深味がない。たとえば「晴

れの草履」などもっと様式的な芝居なはずである。ニンからいえばいい鬼一で

あり、この役は七代目団蔵の当たり芸であり、八代目引退の役でもあって団蔵

家にはゆかりの役。是非練り直してほしいと思う。

時蔵初役の虎蔵は、女形であるためにキッとしようとして、かえって変化に乏

しく色気が薄い。この役はやり過ぎるほど突っ込まないと面白くない。ことに

後半智恵内と二人になってからのノリ地は内輪過ぎてノリが悪く、動きにも義

太夫狂言らしいコクがない

松緑二度目の智恵内は、浅黄幕が振り落とされての第一印象が顔が小さくて引

き立たないのは是非もないが、奴たちの芝居になってからはしっかりして分の

悪さを取り返した。しかし後半はまだ愛嬌が足りず、動きの面白さもやはり義

太夫物らしさが足りない。

児太郎の皆鶴姫は品があるのがいいが、くどきはこれも色気がない。亀蔵の笠

原湛海は憎々しさが足りない。

かくて床の葵太夫、寿治郎の奮闘にもかかわらず水っぽい「菊畑」になってし

まった。現代の歌舞伎役者にとってこういう形容本位の作品が苦手なのはわか

るが、もっと芝居らしい造形を考えなければ折角の名作がつまらなくなってし

まうだろう。

さらに問題なのは菊之助初役の「喜撰」である。藤間勘十郎振付で、いつもと

は居どころが違って喜撰が上手、お梶が下手にいく。お梶が小町のパロディで

あることを考えると逆の方がいいと思うが、それはそれとして菊之助がその居

どころをハッキリ掴んでいないのはよくない。チョボクレになる時の居どころ

が微妙に違ってくるからである。

菊之助の喜撰は、花道へ出たところ、片足男で片足女で踊るという口伝を重く

見たせいか、女流舞踊家が踊っているような、しかも真面目さが出て不思議な

違和感がある。口伝はともかくも喜撰は鼻下に青たいを塗った役である。その

可笑し味、洒脱さがなければならないだろう。こうなるのは、この役がこの人

のニンにないからである。

菊之助は勉強家であるが、この喜撰は振りの意味もよく理解されていないよう

に見える。たとえば花道の振り一つをとっても、「小町桜の眺めに飽かぬ」で

桜の枝を立てて見上げるところは、この桜が小町でありお梶であってただの桜

ではないということが表現されていない。「眺めに飽かぬ」という、その見惚

れる情感がないからである。

時蔵の茶汲み。お迎い坊主は権十郎、歌昇以下若手総出。長唄は勝四郎、巳太

郎、清元は延寿太夫、美治郎。

この夜の部に対して昼の部は十二代目団十郎五年祭の追善とあって海老蔵五役

出ずっぱりという奮闘で「雷神不動北山桜」の通し。

海老蔵の五役はまず口上があって筋が分かり易い。それから登場順に敵役の早

雲王子、白塗りの陰陽師安部清行、裁き役の粂寺弾正、荒事の鳴神上人、最後

が不動明王。なかでは鳴神が図抜けて第一等の出来。その色気といい、線の太

さといい、鷹揚な愛嬌といい、役が手に入って来た余裕といい、いい鳴神であ

る。雲の絶間姫との濡れ場も菊之助の雲の絶間姫との釣り合いもよく、この通

しでは全幕中一番の出来である。

続いて粂寺弾正と行きたいところであるが、鳴神と違ってこっちにはいろいろ

問題がある。まず花道を出たところ、豪放さを出そうとしてか体に締まりがな

い。豪放さと放漫さとは同じではない。この男は荒事の豪快さを含みながら小

野家の悪を一掃する知恵者であり、いわゆる裁き役であって、そこが単なる豪

快さだけではないからである。知性の爽快さがなければならないと思う。

お約束の五つの見得は形がよく出来ているが、手足のスミズミまで力が入って

いなければならないところで多少のスキがある。つい形だけになるのである。

さらに問題なのはせりふ。高音部を引っ張って多用しているが、その高音部が

割れて甘ったるい。鳴神よりも大分成績が下がるのはそのためである。

ユニークなのは安部清行、百歳を生きてなお若々しく美しいという不思議な役

で面白い。海老蔵のニンからいえば白塗り、烏帽子姿の絵から抜け出て来たよ

うな姿がこの人に一番合っている。ただ設定が面白い割には台本上あまり書き

込まれていないために仕どころがなく、かつは早替わりのために印象が散漫に

なった。

不動明王は、原作でも形容だけだからとこういうほどのことはない。

早雲王子は、これも悪の見せ場がないために折角の大目玉を剥いて見せてもあ

まり効かないのは残念である。

周囲の役にふれよう。菊之助の雲の絶間姫は、今月この人三役中一番の当たり。

とかく女形になると冷たく理知的に見える人が、ここでは色気もあり、美しさ

もあり、一切底を割らずに芝居を運んで安定している。ただしこの人の持ち味

で鳴神の寝たあと、お許しなされて下さりませといって、はじめて真情を見せ

る真実味が一番いい。優美で知的なのである。

いいもの。雀右衛門の腰元巻絹。大輪の花といい、前後の気配り、芝居に気が

入っていて、弾正を振っての引込みの「ビビビビビーイ」がうまい。

続いて団蔵の八剱玄蕃。どっしりとして悪が効いてさすがに小野家の御家老職。

次が斎入と市蔵の白雲黒雲。二人のイキの合い方、芝居の自在な運びのうまさ。

これで海老蔵と菊之助がどれだけ引き立ったか。これで花道引込みの「ズボン

ボエエ」がもう一杯派手ならば面白いのに惜しい。

いいものは以上五人。

他に錦之助の関白基経、家橘の小松原中納言、友右衛門の小野春道、市蔵の小

原の万兵衛、彦三郎の秦民部、松也の文屋豊秀、児太郎の秦秀太郎、広松の小

野春風、梅丸の錦の前、九団次の数馬。

この通しのあとに時蔵の舞踊「女伊達」。時蔵がさすがに立女形の格を見せる。

長唄は鳥羽屋里長、栄津三郎。

 


Copyright 2018 Tamotsu Watanabe All rights reserved.

『渡辺保の歌舞伎劇評』http://homepage1.nifty.com/tamotu/
長谷部浩
【劇評107】豊潤にして澄み渡る心境。菊五郎の弁天小僧
歌舞伎劇評 平成三十年五月 歌舞伎座夜の部

五月團菊祭の歌舞伎座。夜の部は、菊五郎の世話物極め付きというべき『弁天娘女男白浪』が出た。
昭和四十年六月、東横ホールで初めて演じてから、五十年あまりの歳月が過ぎた。今回は満を持して、「浜松屋」と「稲瀬川」だけではなく、菊五郎自身が「立腹」で立廻りを見せ、滑川土橋の場まで半通ししたところにも並々ならぬ意欲を感じた。
五代目菊五郎が初演し、六代目、七代目梅幸、当代と続き、また現・菊之助も襲名以来重ねて演じてきた狂言である。音羽屋菊五郎家の家の藝の代表というべき作品である。菊五郎は、豊潤な色気を失わず、不良の魅力を発散している。しかも、春の澄んだ空と通じるようなむなしさ、悲しみさえ感じさせた。
まず、「浜松屋」では、「見顕し」にすぐれている。作為はほとんど感じさせず、嫁入り前の武家の娘から、稚児上がりの小悪党まですらりと変わっておもしろい。「稲瀬川」では、当然のことながら海老蔵の日本駄右衛門を圧する気迫がある。さらに「立腹」では、立廻りの手は短くなっているものの生きることの懸命さをすっと手放してしまった悪党の心がよく伝わってきた。松也の鳶頭、種之助の宗之助、寺嶋眞秀の丁稚長松を見ていると、世代が確実に交替しつつ、菊五郎劇団のDNAが受け継がれていくのを感じた。
團蔵の幸兵衛、橘太郎の番頭、市蔵の狼の悪次郎、梅玉の藤綱。
続いて久しぶりに『菊畑』が出た。
松緑の智恵内、團蔵の法眼、児太郎の皆鶴姫、時蔵の虎蔵。それぞれの心の葛藤を、義太夫に乗せて芝居にしなければならぬ至難な狂言を次ぎに繋げるために健闘している。時蔵は先月から大変な活躍振りで、立女形としての実力を東都に知らしめている。ただし、色若衆となると、出では女方の色が強く違和感を感じさせた。後半はさすがの実力で若衆ならではの身のこなしを見せつける。
いずれは『六歌仙容彩』の通しが期待される菊之助。女方舞踊だけではなく、立役の舞踊も、勘三郎、三津五郎なきあとは、この人が規矩正しく継承していくのだろう。その試金石となるのが、今月の『喜撰』と六月の『文屋』である。
『喜撰』についていえば、茶屋の女にのぼせた高僧ではあるけれど、品格を決して失わないところがいい。ちょぼくれ、ワリミも軽やかにこなしている。ただ、こうした演目は、技巧の確かさを消していくことが必須となる。それには回数を踊って、自然体を獲得する過程を経なければならない。千穐楽近くにもう一度観てみたいと思わされた。二十六日まで。

どこで間違ったか17時開演を19時開演と思い込んで余裕あると東急本店の書籍コーナーをブラブラしていた。コクーン入り口を17時5分過ぎ覗き込んだら何かシーンとしているので確認したらもう開演してた(汗)。すみません、開演してから係員の方に案内してもらって入場する駄目な客です。。

端の方ではありましたが前から3列目で役者さんたちの生の姿が見えるところでしたので強烈でした。演出上かなり客席側に役者さんが登場することも多かったので七之助さんや梅枝さんが近いところで見られて眼福です。

いいところのボンボンで美男子で放蕩癖がある与三郎が木更津に流れてきて、主ある花のお富と出会って恋に落ちたのが運の尽きで、後はひたすら転落する人生。親分と手下に見つかって袋だたきに遭った。拾ってくれた蝙蝠安とともにゆすりたかりで食べていくしかない。その中でお富と再会し、お富を預かっている旦那は立ち直れるようぽんとお金を出してくれるがすぐにお富と金を使い果たし、次は殺人に巻き込まれる。掴まって島送り。島抜けに成功するものの……。

墜ちていくのに内面がどこかピュアな(お育ちがいいということなのか、ラストで明らかになる素性ゆえのピュアさなのか)与三郎が七之助さんに似合う。

お富さんはひたすら美しい。でも妾稼業で収入のある男に頼らないと生きていけない。与三郎を愛していることと世過ぎの手段は別。

笹野さんのじいやと蝙蝠安の二役も強烈。

歌舞伎じゃなくてコクーン歌舞伎だからか、何か喉にひっかかるような異物感がある。与三郎はリアルの江戸じゃなくて心の中の江戸に焦がれて死んだのかな。。


渡辺保
2018年5月コクーン歌舞伎孤独な与三郎
 エピローグの与三郎の姿が目に沁みる。

晴れ渡った青空、白い雲の湧く下で、たった一人七之助の与三郎が舞台に座っ

て、天に向かって「しがねえ恋の情が仇」という名セリフをつぶやく。

 周囲には誰もいない。お富も安も多左衛門も。むろん装置もない。ついさっ

きまで舞台いっぱいにひしめいていた捕り手の無数の提灯も当時は世界第一の

百万都市であった江戸の群衆もここにはいない。与三郎はたった一人である。

たった一人にならざるを得ない運命を生きて来たからである。人間は本来孤独

だというような話ではない。与三郎だけが一人ぽっち。痛切な孤独感である。

それが身に沁みる。

 こういう与三郎をはじめて見た。原作は「与話情浮名横櫛」であるが、こう

いう与三郎の肖像は、原作にも歌舞伎の舞台にもない。串田和美(演出・美術)

木ノ下祐一(補綴)のつくった「異本」である

 もう一つ私が感心したのは、与三郎の「傷」である。今度の本では二幕目嬲

り斬りにあった与三郎が蝙蝠安に助けられてコンビになる。その時、安はこの

与三郎の傷を強調して人を脅かすことを思いつく。どんなに強がっている人間

も与三郎の傷を一目見るとギョッとしてたちまち安の要求をのむ。余りに無惨

な傷跡だからある。原作では与三郎自身が源氏店で「傷がもつけの幸いに」脅

迫強請をしたといっているのと、次の和泉屋の店先で手代たちがおびえる件り

が書かれているだけだが、今度の台本ではこの傷を看板にした脅迫が無言のう

ちにうまく描かれていてその後にいつもの「源氏店」になる。つまりこの傷の

恐ろしさが強調されている。原作を読めばわかるが、この傷こそが与三郎を孤

独にした原因なのである。

 しかし最近は美男の二枚目役者十五代目羽左衛門の与三郎以来、与三郎の傷

は細く小さく美しくさえなっているが、初演の与三郎の八代目団十郎の弟九代

目団十郎の写真を見ると、この傷は不気味でグロテスクで恐ろしいものなので

ある。

 その傷がドラマの根本にあるのが明確になったのは台本の功績である

 以上二点、私が感心したところである。後は順を追って書いて行こう。

 今度の舞台は三幕仕立て(原作は九幕十八場である)。今度の序幕発端は、

扇雀、亀蔵、  笹野高史らが、原作の序幕のいきさつを口上風にまとめて話

すシーン。つづいて木更津見染め、逢引、嬲り斬りの三場。ここは七之助の与

三郎、真那胡敬三の赤間源左衛門、亀蔵の海松杭の松、いずれもさしたること

もない。梅枝のお富は意外に艶っぽさがうすい。有名な「いい景色だねえ」を、

与三郎と二人っきりでいうのが散文的である。あれは与三郎を見て思わず「い

い男だねえ」というところを周囲の人に気づいて「景色」といいまぎらすとこ

ろに色気が出るので、二人っきりでは気が抜ける。しかしこの序幕はテンポよ

く手早く済んで観客大助かりである。

 十分の幕間で、前述の与三郎が蝙蝠安に救われるところがあって源氏店にな

る。

 七之助の与三郎は序幕はともかくも二幕目になるとどう考えても、女形のこ

の人にはムリな配役であるが、それをとにもかくにも与三郎らしく見せたのは

串田和美の功績である。たとえばあの傷の一件を描いてこれはいつもの与三郎

とは違う、一人の青年の運命としてみせる布石もそうだし、源氏店になると「し

がねえ恋」を歌舞伎調でいわせておいて、「命の綱の切れたのを」で音楽を入

れて途端にせりふはリアルにするという工夫もその一つである。この演出で七

之助は大いに助かっている。それとは別に七之助のいいのは、カドカドの見得

で一度きまってもう一度顔を振り込む、その角度のよさである。いずれも絵に

なっていて、この最後の瞬間にいつもの与三郎らしい味わいを見せたのは偉い。

大手柄である。

 梅枝のお富、扇雀の多左衛門、亀蔵の藤八、笹野高史の安、いずれも大過な

く、異本は異本なりに、源氏店らしくなった。

 次が和泉屋の強請で(この場を「和泉屋兄妹の場」というのは、多左衛門と

お富が兄妹だとわかるからだろうが、この場割の名称は違和感がある)、源氏

店からここにかけては原作を膨らませて一日中一番の見どころである。

 しかしそこからがいささか脱線する。会津屋という男が突然出て来て、お富

に惚れ、与三郎はお富を会津屋の妾にする。ところがそれを弟分のつん助がば

らしてしまうので、与三郎はこれを殺す。「与三郎初殺しの場」というのもお

かしいし、そのあと与三郎の実の母小笹(この女の正体も千葉家のお家騒動を

全面カットした以上、観客にはわからない)が病死するのを蝙蝠安に殺しと見

られ、その安を追っているうちに安は橋から落ちて死んでしまう。そこで捕り

手にかこまれて与三郎逮捕。ここまでが二幕目で、その後に十五分の幕間になる。

 源氏店から和泉屋まではいいが、この脱線は無理がある。第一この一件は逢

引の二番煎じめいているし、芝居としても面白くない。思うに与三郎島流しの

原因に殺人四件(会津屋、小笹、つん助、安)をもって来ようとしたのだろう

が、たとえ冤罪でも四人殺せば打ち首獄門で、島へ流されるはずがない。

 三幕目は原作の「島の為朝」をカットして島抜け、元山町伊豆屋、観音久次

の内、そしてエピローグにつながる。

 島抜けはスペクタクルで、与三郎が大浪のなかを脱出するところ、舞台端に

並んだ岩だか捕手だかの人間たち十数人の人間を与三郎が跳び箱のように飛び

越すと拍手がおこる。人間スペクタクルというべきか。

 元山町伊豆屋は、私にはかつて見た十一代目団十郎の与三郎、三代目左団次

の忠助の別れの、哀切きわまりない舞台がよみがえるが、笹野高史の忠助、七

之助の与三郎ともにあっさりしている。伊豆屋喜兵衛は勘之丞。

 最後の「観音久次」の内は、私ははじめて見たが、原作のくどいところを整

理して、扇雀の久次が舞台を締めている。

 こうしてみるとお富は、与三郎に劣らず有為転変の人生を送っていることが

よくわかるが、梅枝のお富はそのかわり目があまり鮮明ではなかった。もっと

もこれは梅枝のせいというよりも台本、演出の問題かもしれない。

 以上、全篇三時間十五分という大長編である。

 

Copyright 2018 Tamotsu Watanabe All rights reserved.

『渡辺保の歌舞伎劇評』http://homepage1.nifty.com/tamotu/
「絵本合法衢」
片岡仁左衛門一世一代、千穐楽。
悪の華がふたつ。
鳴り止まない拍手が続く。
そして、歌舞伎には珍しいカーテンコール。
思わず「松嶋屋!日本一!」と叫んでしまった。
渋谷に福来たるSPEICIAL2018 落語フェスティバル的な
百花繚乱 渋谷春の特撰落語会

道具や/彦星

初天神/生志
 飛行機で喉をやられたとのことで声を張れない師匠。

二階ぞめき/花緑
 久しぶりに拝見。若旦那ネタをさらに発展させ、オーバーアクションなものの大いに笑えました。現代的な話し方が、AKB追っかけてるお坊ちゃまと思えばいいなと。

鶴満寺/雀々
 爆笑派とは知っていたものの、こんなに笑わせるなんて。台湾人のバスツアーで京都から山中湖で通訳付きで小咄や落語をやったという枕もアクションが大きくて爆笑もの。
 そして初めての上方ものながら、愛宕山よろしく桜の花見にハメモノがあり、寺男を酒でぐでんぐでんに酔わせるところは上方言葉が分からなくてもアクションで爆笑できる。

中入り

一眼国/扇辰
 中入り後は両国の見世物小屋と賑わいのある枕からSFチックな、味わい深いネタ。多数派と少数派の違いで見世物を見る側と見られる側が入れ替わる。現実に置き換えるとひやりとする。

武助馬/鯉昇
 芸協所属なのでなかなか機会がないのだけど、この方も爆笑派。初めて聴いたけどやっぱり大笑い。

渋谷に福来たるSPEICIAL2018 落語フェスティバル的な
落語ムーヴ 春一番2018

おしゃべり
 正太郎さんと白酒さんと談笑さん。三三さんは小田原から移動中とのことで(三三師匠のマクラでネタになってた)。
 いきなり時事ネタで相撲の土俵に女性を上げることに会場の賛否を拍手で取られる。伝統芸能好きが集まっているので相撲の伝統としきたりを重視する人が多いかといえば、渋谷に福来たるの会場は否定派多く、途端にステージの空気変わる。まぁ落語家ですから。

権助魚/正太郎
 昨日権助ネタを聴いたばかりなのでちょっと被った感じあり。

幾代餅/白酒
 お得意ネタ。ちょっとカリカチュア部分多いのはじっくり聴かせるよりどっかん笑わせる方を選んだのかな。

中入り

元犬/三三
 白酒師匠が柳家を軽くいじったのをいじり返したり、昼間の小田原での仕事ぶりをちょっと紹介したり。
 笑い多めの元犬。そして、このオチ方は三三さんオリジナルか。笑いつつもよかったねーといいたくなるいいオチ方。

子別れ 昭和編/談笑
 古典ネタが続いたので談笑師匠はどう締めるかと思ったら昭和か。まだまだ進化してるなとは思う。女性目線だと復縁を頭から否定していたおかみさんが最後に翻心するところの心のうちを丁寧に描いて欲しかったな。




4.14国会前にも行きたかったが、昨日下ろしたてのサンダルで左右の足に大きな靴擦れができて帰宅困難なほど大きな皮むけができて長距離歩行が無理だし、渋谷に福来たるの昼夜チケット取ってしまったし。

昼の部「プレミアム大吟醸」

入船亭小辰/子ほめ

柳家権太楼/佃祭

仲入り

五街道雲助/持参金

柳家小菊/粋曲

柳家さん喬/素人義太夫
 ネタ帳は「寝床」だけど宴席のとこでサゲ、定吉が泣かなかったので「素人義太夫」。さん喬さんも最後にそう伝えてました。

夜の部「江戸暦」
 最前列で全身がよく見える。歌舞伎もそうなんだけど落語も空間大事。他の人に遮られない空間で見る芸はいつも以上にインパクトある。

あおもり/まんじゅうこわい

文菊/権助提灯
正妻とお妾さんの演じ訳がすごい。そして権助のインパクト(笑)。

文蔵/笠碁
へぼ碁打ちのご隠居さん二人が子供みたいにムキになるところが可愛い。

お仲入り

馬石/湯屋番
見た目が若旦那っぽい馬石さん、妄想に浸りすぎて可笑しい。

一朝/抜け雀
 本日の大一番。大好きな噺を大好きな江戸弁で聞く嬉しさ。これぞ正統派「抜け雀」。


今年は頑張って通います、毎日新聞主催の「渋谷に福来たる」。初日の夜公演は「春風亭昇太と仲間たちⅡ」。

トーク 昇太、彦いち、白鳥
みんなで白鳥さんいじる 
大ヒットは「ポメラニアンの鉢植え」。お腹痛くてしばらく復帰できなかった。

三遊亭粋歌 銀座なまはげ娘

三遊亭白鳥 落語の仮面第四話
『テレビ仮面舞踏会』
花ちゃん、笑点の座布団運びになる。昇太さんをいじり倒し、ちょっと持ち上げる。

~お仲入り~

林家彦いち つばさ

春風亭昇太 オヤジの王国
国性爺合戦、愛之助は結構ニンに合っていたと思うけど、主人公としてストーリー全体に絡んでないんだよね。芝翫は主役より主人公のライバル役の方が映えるかも知れない。そして、日本人女性代表の渚お母さんと義理の娘錦祥女が男たちの選択のために自殺する必然性がわからず、納得いかない。。
 男女道明寺はいつもの道明寺を男女で踊り分ける。雀右衛門さん(立役を引き立てる女形としては素晴らしいと思う。だからこそ、酷使されないで長生きして欲しい)、松緑さん、気持ちいい踊り。
 芝浜革財布は落語で見知ったストーリーだけに、勘三郎さんで見たかった。。

 於染久松色読販は、色悪の仁左衛門、悪婆の玉三郎がいいだけに、物足りなかった。ちっぽけな悪事が失敗したところで終わって残念、せめて髪結新三ぐらいには活躍して欲しかったんだよな。。
 でも神田祭で仁左玉のラブラブは国宝だなと思った。これ見られただけで今日は満足。
 そして滝の白糸。歌舞伎座でやる意味としては玉三郎が演出で壱太郎と松也という若手が主役級という若手養成の意味はあったし、お芝居としてもかなり熱演だったと思う。
 ストーリー展開上自分が疑問符つけたところは、新派のストーリーがそうなっていたらしく、泉鏡花の原作は納得入ったというのは私が近代人だからかも。滝の白糸がいくら大金を強奪されたからと言って、助けを求めて入り込んだ高利貸しの家で殺人するというのはイマイチ説得力がない。強奪する側と金を貸す側がぐるだったと知って激高する、というストーリーの方が説得力ある。そして、最後の場面の順番も原作の方が納得する。。まぁ歌舞伎という手法はリアリティを必ずしも追求しない、という理屈ではあるのだけど。。

三月大歌舞伎 美、際立つ「莨屋」=評・小玉祥子
 昼の序幕が「国性爺(こくせんや)合戦」。愛之助の和藤内は、声が通り、荒事らしい力強さと稚気があり、芝翫は甘輝にうってつけの容姿で大きさがある。華やかさに加えて情がある扇雀の錦祥女、強さと優しさのある秀太郎の渚、東蔵の老一官とそろう好舞台。

 中幕の「男女(めおと)道成寺」は四世雀右衛門七回忌追善。雀右衛門の花子は体の使い方が美しく、「恋の手習い」など愛らしさにあふれる。松緑の狂言師左近が軽快だ。

 最後が「芝浜革財布」。芝翫の政五郎と孝太郎のおたつが世話物らしい夫婦の機微をおもしろく見せた。

 夜の最初が「於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)」の「莨屋(たばこや)」「油屋」。鬼門の喜兵衛(仁左衛門)と土手のお六(玉三郎)の場面に絞っての上演で、すごみと色気がある喜兵衛と歯切れ良く伝法なお六である。薄汚れた「莨屋」で早桶(はやおけ)や死人を用いるグロテスクさが2人の美を際立たせ、別世界が現出する。「油屋」のゆすりは、2人の息が合ってテンポが出た。橘三郎の久作が好演。

 中幕は舞踊の「神田祭」。仁左衛門の鳶頭が粋で、玉三郎の芸者があでやか。

 最後が「滝の白糸」(泉鏡花原作、高田保脚本、坂東玉三郎演出)。水芸の芸人、滝の白糸(壱太郎)と法律職を志す青年、村越欣弥(松也)の悲恋物語。壱太郎が初々しく、欣弥へのいちずさを表現し、松也は法廷の場面で、セリフに説得力を出し、さわやかだ。歌六の春平、彦三郎の南京寅吉、米吉の桔梗がふさわしい味わい。【小玉祥子】

歌舞伎座で27日まで
<評>歌舞伎座「三月大歌舞伎」 新派の「白糸」上演、刺激に
 昼の部は「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」から。片岡愛之助が初役で和藤内(わとうない)をつとめる。中村芝翫(しかん)の、これも初役の甘輝(かんき)が若々しくも堂々とした将軍でいい。片岡秀太郎の母渚は、情愛と強さとをメリハリの利いた演技で見せる。中村扇雀の錦祥女(きんしょうじょ)、中村東蔵の老一官。

 「男女道成寺(めおとどうじょうじ)」は先代中村雀右衛門の七回忌追善狂言。姫や娘の印象の強かった雀右衛門が厚ぼったい色気をのぞかせる。尾上松緑も安定感のある洒脱(しゃだつ)な踊りで、ともに役者ぶりがぐっと大きくなった。

 他に芝翫、片岡孝太郎の「芝浜革財布(しばはまのかわざいふ)」。

 夜の部「於染(おそめ)久松(ひさまつ)色(うきなの)読販(よみうり)」は「莨屋(たばこや)」「油屋」の二幕。片岡仁左衛門の鬼門の喜兵衛、坂東玉三郎の土手のお六は四十一年ぶりの顔合わせ。喜兵衛の凄味(すごみ)、お六の愛嬌(あいきょう)とも申し分なく、鶴屋南北の描いた江戸の闇が浮かび上がる。

 続く「神田祭」はガラリと趣を変えて、この二人が鳶(とび)頭と芸者に。息の合った濃厚なむつまじさに客席が大いに沸く。

 最後は玉三郎演出による新派の名作「滝の白糸」。中村壱太郎(かずたろう)の白糸はしなやかで美しく、尾上松也の村越欣弥は法廷での長ぜりふを鮮やかに聴かせる。しかし、いずれも刹那的な激しさ、危うさのひと味物足りないのが惜しい。中村歌六の春平は情理を尽くしたせりふが見事で引き込まれる。坂東秀調の太夫元、坂東彦三郎の南京寅吉も好演。他に中村歌女之丞、中村京妙、坂東守若と、ベテランの女形が確かな存在感を発揮した。新派と歌舞伎は単純に連結できるわけではないが、新派の演目を歌舞伎で上演することは双方に良い刺激となる。二十七日まで。(矢内賢二=歌舞伎研究家)
カレンダー
06 2018/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
最新コメント
[06/22 白牡丹@管理人]
[06/21 omachi]
[05/25 長谷川誠二郎]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
[12/31 白牡丹@管理人]
[12/31 本が出たようです]
[12/22 白牡丹@管理人]
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
バーコード
Livedoor BlogRoll
本棚
Copyright ©  -- 白牡丹のつぶやき --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Material by White Board

忍者ブログ  /  [PR]