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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
野間みつねさんと毎年恒例、日野の散策。

石田寺 土方さんの墓前で手を合わせる
とうかん森 お稲荷さんにご挨拶
土方歳三資料館 特別公開の和泉守兼定を拝む。ヒジカタ君の限定グッズを購入。
日野館 鴨焼き、天ぷら、蕎麦をいただく。私は升酒とともに。
佐藤彦五郎資料館 特別公開の越前康継ほか展示品を鑑賞。
日野本陣 通過
八坂神社 通過
井上源三郎資料館 グーグルマップさんがとんでもない裏道を指図してくれた。残念、休館
宝泉寺 源さんの墓前で手を合わせる

 かなり直射日光の厳しい一日で日焼けに肌が火照る。

 みつねさん、今年もお付き合いありがとうございました。



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GWのこの時期に野間みつねさんと日野巡りするのは2年ぶりでしょうか。

 いつものように立川で待ち合わせ。今年は「とうらぶ」こと刀剣乱舞で資料館が混んでいるという事前情報を得ていたので、いつもより30分近く繰り上げての待ち合わせ。
 まずは石田寺にて、手を合わせるのが私たちの習慣。お墓にはお骨入ってませんが、魂は多摩に戻っているはずですので、日野周辺をうろつく時にはご本人にご挨拶してからでないと。今日は雨が降っているので、11時からの歳三忌の出席者のために墓石前にパラソルが置かれるというハイカラなスタイル……ご本人がハイカラな方だったんで、洒落てると喜んでくれるのではないでしょうか。

 次に土方歳三資料館。この時期恒例の和泉守兼定公開を目当てに混んでいるかと思いきや、資料館の方々が開館予定を1時間繰り上げてくださいました。土方愛館長のご解説に加えて、特別展示の近藤勇佩刀・丹波守藤原照門の所有者様(近藤勇の実家・宮川家の家系)が刀の由来をお話しくださいました。それにしても凄い人だかりです。そして、兼定の関連商品が売れているそうです。

 歳三忌とかひの新選組まつりとか、人出のある行事は避け、モノレールで高幡不動に出てバスに乗り継ぎ、日野市立新選組のふるさと歴史館へ。常設展に加えて、特別展「二十一世紀の新選組~新選組のコンテンツ化とファン層の広がり」を見る。漫画、アニメを中心に近年の新たな歴史系創作、新選組創作の形とそれらの楽しみ方などについて。史実に敬意のない作品の扱いは……。

 久しぶりに日野館で蕎麦を昼食に。当地に移転してくる前は日野宿本陣で蕎麦を供していた。本陣を預かっていた下佐藤家にて幕末期当主をしていたのが佐藤彦五郎で、土方歳三の義兄でもある。その佐藤家に伝わる蕎麦の打ち方の流れだという、細い蕎麦。喉越しがよくてとても美味しい。

 昼食後は石田駅そばの宝泉寺で井上源さんの墓前に手を合わせ、立川駅に出てカラオケ三昧。私は土方さんに敬意を表して基本「幕末Rock」しばりでロック熱唱3時間……はいー、疲れました。

 蕎麦友のみつねさんとなら2食連続蕎麦でも可なので、風林庵立川高島屋にて夕食。生粉打ち十割蕎麦なので歯ごたえがよく、だし巻でお腹膨れた私は蕎麦を征服するには至らず、残念。

 朝、そして夕方は雨に見舞われましたが、久しぶりに日野を満喫しました。みつねさん、ありがとうございました。
 今年も野間みつねさんと兼定を拝んで参りました。ゴールデンウィークからこの週辺りにかけての特別拝観、みつねさんと一緒に日野詣でするようになってかれこれ10年にはなりますか……ほんと、長いお付き合いです。

 今年はバタバタしてて……最終展示日に間に合ってよかったです。今年も朱鞘の兼定を拝見できて、眼福でございました~。

 資料館内は撮影禁止ですので、石田寺の「土方歳三義豊之碑」写真です。


 雨女の白牡丹とスーパー晴れ女のみつねさんのコンビにありがちなバターンで、雨の予報→前日に雨マーク消える→帰宅するまで雨降らず、でした。

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 日野の方から、老齢の木に倒壊の危険があるため、1月早々にも「とうかん森」が伐採されると伺いました。

 元日に日野の石田寺で土方さんにご挨拶することを2001年来習慣にしていますので、とうかん森にも立ち寄ってきました。




 数種類の木がからみあっていますので、まだ青々とした木もあり、枯れた木もあり。

 ご幼少のみぎりの土方さんが上ったりして遊んだかも知れないとうかん森の木々よ、お疲れ様。
 函館旅行で度々お世話になっている「も~さん」こと毛利さんのことが、朝日新聞に掲載されました。

土方の箱館戦争 歩いた
■函館の毛利さん、旅を記録

 箱館戦争で道南に進攻し、戦死した新選組副長・土方歳三。函館市の毛利剛さん(66)は昨冬、その足跡をたどる徒歩旅行を敢行した。土方が本州から海路上陸した森町鷲ノ木から江差町まで約250キロ。行軍したと思われる古道を行き、宿泊地も日程も重ね合わせた。旅を終えて2カ月ほどかけて紀行文「土方歳三 蝦夷を歩く」も完成させた。
(加賀谷直人)

   ◇

■森~江差250キロ、厳冬の2週間

 会社員だった毛利さんは58歳で早期退社後、旅を続けてきた。2003年に車で、翌年には自転車で日本一周した。07年には自転車で熊野古道350キロを9日間で駆け抜けた。

 「旅の楽しみは人との出会い。車より自転車、自転車より徒歩の方が楽しみが大きい」という毛利さんに、箱館戦争特別展を見学する機会があった。土方は鷲ノ木から五稜郭経由で江差まで進攻した。ひらめくものがあり、書店に直行したが、道南の古道に関する資料はなかった。

 進攻ルートの町史や市史にあたり、ルート解明に努めた。江戸時代の紀行家で挿絵も多く残している菅江真澄らの紀行文なども参考にした。現地にも足を運び、地元の人に取材した。07年4月、1回目の踏破に挑戦したが、6割程度のルートしか解明できなかった。土方と同じ時期に歩いてこそ苦労がしのばれると昨年12月5日、厳冬期の一歩を踏み出した。

 独自に開発した野宿用の車輪付きキャリアにテントや寝袋を積みこんだ。食糧はコンビニエンスストアで調達、長い時で1日25キロ歩いた。榎本軍が築いた函館市の台場山では登山中、熊の足跡を見つけた、枝に払われてメガネを紛失するというアクシデントもあった。暴風雪雨の日が多く、木古内町ではテントが水浸しになった。

 目的地の江差町に着いたのは12月18日午後2時半。猛吹雪だった。海沿いの道は荒波が打ち寄せていた。土方が進攻した時も悪天候で、旧幕府軍軍艦「開陽丸」が江差沖で座礁、沈没した。「運良くというか天候が厳しく、土方らのルートを追体験できた」と毛利さんは笑う。

 冊子には道中の出来事のほか、同じ日の土方らの行動を当時の日記から再現している。年内には写真や地図で全ルートの古道を詳述した冊子の制作も予定している。

 冊子は千円。問い合わせは毛利さん(090・1648・1556)へ。


 も~さん、完成おめでとうございます。別途申し込みますね。

 も~さんのサイト
自遊旅ホームページ



 毎年恒例、兼定を拝みに行って参りました。

兼定刀身展示期間はじまります。|土方歳三資料館日記
★6日間のみ土方家伝来古写真展示を行います★|土方歳三資料館日記

 眼福の初公開写真の中でも、土方さん全身写真……土方家が大切に大切に代々伝えてきたものなんですね。セピア色に浮かぶ土方さんの全身像、目に焼き付けておきます。

 兼定、今年も拝見できてありがとうございました。




 お力添えくださいとお願いしてきました。

 こんばんは、白牡丹です。

 今日はずいぶん歩きました。

 撮影した写真から一枚。



 この風景がとても好きです。土方さんが見慣れていた風景は、びっしり住宅が建っていた辺りも雑木林の山だったんだろうな(多摩周辺の山々は高くはありませんが)と脳内補完して眺めています。

 まだ函館旅行記に取りかかっているところです^_^;ので、多摩訪問記に取りかかるのは10月に入ってからでしょうか(汗)。



昨日野間みつねさんと食事をした時、このニュースを見逃しているんじゃないかと指摘されました……すんません、風邪引いてたりして、今週は余り注意力がなかった気がします。

歳三さんと周助さんの木刀を握れます★
この度、刀剣建研師の苅田氏が
刀剣関連の職人さんにお願いして
土方歳三資料館で公開中の
「土方歳三使用 天然理心流 木刀」
と、昨年当館でも5月に展示致しました
「天然理心流三代目宗家
近藤周助使用木刀」(原史料は個人蔵)
のレプリカを作成して下さいました!

(中略)

歳三さんの木刀、
長さは四尺(122センチ)、重さは1.6kですので
女性の方だったら片手で持ち上げるのは
かなり難しいかもしれません。
それぐらい重いし、握りも太いんですよ。

二振りの木刀、次回開館日の3月15日より公開します。


次回に土方歳三資料館を訪問する時に、ぜひ、その重さを腕で実感したいと思っております。





 昨日に引き続き、野間みつねさんと史跡めぐりです。

 下妻・下館は土方さんたちが宇都宮城を攻略する前に立ち寄ったところです。簡単な解説はWikiの「宇都宮城の戦い」の項をどうぞ。

 慶応4年(1868年)4月に下総市川の国府台に幕臣などが集まり、約2000人の旧幕府軍が誕生した。この中には、大鳥圭介、土方歳三、新選組などが集まった。
 4月12日に2軍に分かれて日光を目指した。
 先鋒軍は二手に分かれた。一隊は秋月登之助が率いて下妻に向かい、もう一隊は土方が率いて下館へ向かった。
 4月17日土方は下館城を包囲し大手前に大砲を設置し下館藩を旧幕府軍への参加を要請した。しかし下館藩主石川総管の病気などで参加を拒んだため物的支援の供出だけで飲んだ。
 その後秋月隊は下妻藩から兵を供出させ土方隊と合流し、翌4月18日に宇都宮へ向かった。


 秋葉原からつくばエクスプレスで守谷に出て、そこから関東鉄道の常総線に乗換え、まずは下妻へ。快速なのに、1両しかない^_^;……という列車で、コトコトと揺られながらあちこちで家族総出で田植えをしている風景を見ました。下妻では、次の列車が来るまでの20分しかなかったので、駅のすぐ近くにある城趾が公園になっているところを、駅の歩道橋から眺めるだけでした。

 さらに、下館へ。ここでは時間の関係で昼食をしましたが、下館城の址となっている下館小学校は駅からかなりの距離があったので、ここも結局、史跡には行かず終い(爆)。JRで小山経由、宇都宮には午後2時頃到着。

 宇都宮では、初めてみつねさんと宇都宮を訪問した時にお迎えして下さった、とだきんさんと再会しました。体調の悪い中を、出てきていただきまして、感謝です。

 そして、宇都宮城……以前に訪れた時には、石垣が残るだけで後は原っぱになっていたので、感慨深いです。ただ、一部の城門と櫓が復元された状態なので、裏から見ると、張りぼて状態と言えるかも^_^;。



 意外に市民の方がご家族連れで見学に来られてましたが、あまり歴史好きの方がいないのでしょうか、とだきんさんと、みつねさんと私はそれぞれにボランティアの解説の方につかまり、小一時間お話を聞く羽目に(汗)。

 話は面白かったですよ。みつねさんと私がお話を聞いた方は、ひいお爺さんが、宇都宮城の戦いの時に旧幕府軍と戦った宇都宮藩士だったとか、明治維新の時の藩主より一代前の藩主の戸田様は江戸幕府で山稜奉行を勤めていて京都守護職として京都に赴任した松平容保様が京都の公家さんたちと関係をつくるのに紹介した間柄だったとか、幕末のプチエピソードをいくつも教えてくださいました。あちらも、旧幕府軍に詳しい観光客が来たとあって、ノリノリだったんじゃないでしょうか。

 そして、城壁にエレベーターで上がり、二カ所の望楼も見学したのですが。今の建築法では余りに階段が急なので二階建てと認められず、二階に上がれないのだそうな(爆)。せっかく復元したのに……。

 宇都宮駅ビルで、とだきんさんとみつねさんと三人でお茶して、みつねさんと湘南ライナーで池袋まで戻り、池袋で夕食。とだきんさん、みつねさん、お付き合いのほどありがとうございましたm(__)m。
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