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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 も~さんの旅ブログにて、土方歳三250キロの旅、昨日無事に踏破されたことを確認しました。

 厳しい天候の中、土方さんが山越えで実際に体験したであろう道のりを乗り越えて江差入りされたとのこと……凄いの一言に尽きます(拍手)。快挙にただただ敬服するばかりです。お疲れ様でした、またいつかお土産話を伺いたいものです。

 北海道新聞サイトにはまだ記事がアップされていませんが、踏破の記事が掲載されたらリンクを貼りたいと思います。


関連リンク:
も~さん、間もなく踏破予定
12月1日~2日の幕末ニュース

出発前の北海道新聞記事
土方隊進攻の道、踏破へ 森から江差へ 16日かけ旧道忠実に
 函館市内で旅人向けの無料の宿「自遊旅」を開設している土方歳三ファンの毛利剛さん(66)が5日から、箱館戦争(1868~69年)で旧幕府軍の土方隊が進攻したルート250キロを歩く一人旅に出る。2年前には国道伝いに踏破したが、今回は土方隊と同じ季節に、できるだけ史実に忠実に16日間かけて旧道をたどる。毛利さんは「どんなに過酷な状態で進攻したか、身をもって感じたい」と話している。
 毛利さんは森町鷲ノ木の榎本軍上陸跡地をスタート、噴火湾沿いに南下し、函館・五稜郭入りする。その後、津軽海峡沿いに進み、20日に江差町でゴールする計画だ。
 この間には道なき川汲峠(函館)や廃道となった白神山道の峠(松前)、急傾斜の小砂子(ちいさご)山道(上ノ国)などの難所もあり、雪に覆われた山道中心の険しい旅になりそうだ。
 毛利さんは5年前から森町史や関係する紀行文、現地調査をもとに土方隊のルートを調べてきた。2年前の4~5月にはこのルートを国道中心に18日間かけて歩いた。
 吹雪の日以外は野営するため、マウンテンバイクのタイヤを利用した自作のキャリアー(押し車)にテント、寝袋、衣類、ガスバーナーなどを積み、計13キロの車体を押しながら歩く。新撰組の名将の名を記した亡母サキさんの形見のはんてんを羽織り、トレードマークのバンダナを身につける。
 毛利さんは「この道の挑戦は最後。当時の状況や地形を想像して歩きたい」と話し、毎朝、日の出前に大森浜を歩いて足腰を鍛えている。一方で「いずれこのルートがフットパス(遊歩道)になり、みんなに歩いてもらえるといい」との夢もある。
 土方歳三率いる400~800人の隊は25日間かけてこのルートを進攻。その後、土方は乙部から上陸した新政府軍との二股(現在の北斗市)での激戦をへて、箱館で銃弾に倒れた。(久保吉史)


☆★☆★

追記。道新に記事アップされました。ゴールの様子が写真画像で見られます。

土方隊の進攻コースを歩き通す 旧道たどり14日間 函館の毛利さん
【江差】箱館戦争で旧幕府軍の土方歳三隊が進攻した渡島管内森町から檜山管内江差町までの約250キロを、函館市の毛利剛さん(66)が1人で歩き通し、18日にゴールの旧檜山爾志(にし)郡役所に到着した。

 出発日は土方隊と同じ12月5日。土方隊の過酷さを体験したいと、寝袋などを自作の押し車に積み込んで、夜はテントで野宿する徹底ぶりだった。

 一番の思い出は3日目の渡島管内鹿部町。猛吹雪に遭遇したが、毛利さんは「文献に伝わる当時の天候と同じで、土方が体験させてくれたのかもしれない」と振り返った。


 も~さん、偉業達成おめでとうございます。本当にお疲れ様でした。









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 「土方歳三 蝦夷の道 250kMウォーク」挑戦中の「も~さん」こと毛利剛さんのブログをチェック。

 12月16日現在、原口まで来ており「明後日江差のゴールが見えてきた」との最新情報です。

 ヘタレな自分はウェブ上で応援するだけですが、無事のご踏破をお祈りしております。

関連リンク:
12月1日~2日の幕末ニュース
も~さん本宅「自遊旅」トップ





 1月21日付記事「『箱館戦争全史』好川之範 (新人物往来社) 」にてご紹介した同書を読み終わりました。



 著者の好川氏は札幌在住の歴史家。会津藩士のご子孫だそうで、箱館旧幕府軍の中でも会津藩士が何人か取り上げられています(開陽丸で榎本武揚と行動を共にした雑賀孫六郎とか)。箱館で田本研三が撮影したと云われている榎本武揚と土方歳三の鶏卵紙写真が、雑賀孫六郎とも縁続きの会津藩士、一瀬家(箱館戦争後も蝦夷地にしばらく住んでいたらしい)に遺っているというエピソードも、紹介されています。

 印象に残るいくつかのエピソードのうち、興味をひかれたひとつは、十九才の時から箱館奉行所の給仕として働いていた伊藤源右衛門の事後の語り遺しでしょうか。榎本政権期も給仕として働き、時の太鼓を叩くことと、榎本さんにお茶を淹れることが日課になっていたそうで。
 戦時下、源右衛門は榎本、松平、大鳥、フランス人ののこした洋食のお下がりを頂戴して、肉はほとんど毎日のように食べていたそうだ。
「一番八釜しい《やかましい》のも元気なのも大鳥さんだった」

 この証言のおかげで、陽性な大鳥圭介のイメージが残ったのですから、ありがたいことです(笑)……ていうか、騒々しいラテン系関西人のイメージが焼き付いてしまいました(爆)。

 しかも播州弁だったりしたら、周りの人たちは結構ビビりそうだというイメージまで(連爆)……関西暮らしの中で、播州弁は河内弁と並んでガラが悪く聞こえると感じてしまったもんで(播州の人たちごめんなさいm(__)m、でもご本人の意図は別として、そう聞こえるんですわ^_^;)。

 そして、降伏寸前、5月16日のエピソードとして、大鳥圭介の人柄を伝えるものがもうひとつありました。
 「確か降伏する二日前のことだった。大鳥さんは『給仕、お前は親があるか……』と訊ねたので、母が一人千代ヶ岱《ちよがだい》に居りますといふと、依によったら戦争が大きくなるから今の内に函館へ出た方がいいだらう。此所を出るなら出てもよし、内々仕度して今の内に云ったらよかろうと、通行の切手(印鑑)を与えられたが、翁は落城まで遂に踏み止まって居た」

 やっぱり、ケースケ、いい奴だよ(:_;)ぐす。

 でも一番面白かった(爆)のは、新選組の七重浜奇襲エピソードです。土方さんが弁天台場を守備していた新選組などに命じたといわれる七重浜襲撃、5月1日から7日にかけて、何度も行われていたそうです。
 『新選組!! 土方歳三最期の一日』冒頭の夜襲シーン、かなり誇張されていたんじゃないかと個人的には思っていたのですが、こうして改めてみると、史実でも結構損害を与えていたんですね(汗)。新政府軍による総攻撃が5月11日未明に行われる直前の、わずかな期間ではありましたが。

 そろそろ未読の『新選組銘々伝』と『箱館戦争銘々伝』も読もうかなと思っています。でも、その前に、読みさした『浦賀与力 中島三郎伝』を読み終えねば……記憶力がますます落ちて、どこまで読んだか記憶が曖昧になってますが(苦笑)。
 今日書店で、偶然見かけて手に取ったら、奥付に「2009年2月10日 第一刷」とありました。どうやら新刊のようです(汗)。



 まだ『箱館戦争銘々伝』を読んでなかったなぁ……入手はしているのですが(汗)。



 とりあえず『全史』から読んでみます……ひとつひとつの章が短く、集中力が続きそうなので(汗)。面白かったら、また改めてご紹介させていただきます。

☆★☆★

追記。新人物往来社サイトの近刊案内によれば、今月から来月にかけて、『箱館戦争全史』以外にも、2冊も新選組関係の新刊が(汗)。



『新選組流山顛末記』松下英治 ISBN978-4-404-03581-3
 楽しみにしていた「48 箱館戦争」号です。

 すでに何度も「文章が明解で全体像がわかりやすい」とか「大小の地図がついていていい」とか「図版が豊富」とか褒めてます。今回もその通りです。

 そして、期待通り、表紙裏の時代劇・ドラマなどからの一枚は『新選組!! 土方歳三最期の一日』より、ラブりん片岡愛之助演じる榎本武揚と山本耕史さん演じる土方歳三が視線を交わす図(笑)でした。

 箱館戦争に関してはあまり新しい発見があるわけではありませんが……それでも、新政府軍が乙部・江差に3回に分けて上陸した後、二股口・木古内口・松前口の他に「安野呂口」という北回りルートも使っていたことは初めて知りました。江差から二股口ルートに入って鶉辺りから北に向かい、内浦湾に面した落部という場所から南下するルートです。小さい地図なのですが、八雲より少し北にあるみたいです……森より北には行ったことがないので、機会があったら落部~箱館ルートも一辺通ってみたいですね。

 あと、湯川(湯ノ川)方面に「海岸線の東方には志海苔《しのり》台場と湯川野戦療養所がある」と書かれてまして、志海苔台場は21ページの箱館戦争史跡地図(函館市内中心)にも出てないので、どの辺にあったっけなーと……後で、他の箱館戦争関係図書を引っ張り出して確認しておこうかと。

 箱館戦争にひとかたならぬ関心を持つ者として、マイナーながら、いくつかツッコミも^_^;。

19ページ・大鳥圭介略歴……「江戸の江川塾で兵学を学び」って(汗)。ケースケは講師として招かれてたんですがっ(爆)。

28ページ・箱館戦争における旧幕府軍編成表、土方歳三に関するコメント……「宮古湾の接舷斬り込み、二股口の阻止戦闘などを指揮した」って、ちょっと違うんじゃ。宮古湾の戦闘を指揮したのは海軍奉行の荒井郁之助さんですよ、陸軍奉行並の土方さんは検分役でした。

 細かいツッコミですみませんm(__)mが。

小学館 週刊 戦乱の日本史
注意: リンク先に飛ぶと音が出てきます……法螺貝を吹く音だったりするので、PC環境にご注意の上で飛んでください。

当サイト関連記事:
週刊戦乱の日本史5 新説新撰組疾風録』……「新説」というタイトルの置き場を誤ったなぁと思う記事名^_^;。「新説」という文字は「戦乱の日本史」の前に持っておくべきでした。
新説戦乱の日本史 44 鳥羽・伏見の戦い
12月16日の幕末ニュース……『新説戦乱の日本史 45 上野戦争』に関する感想を少々、冒頭で語ってます。
『新説戦乱の日本史 47 会津戦争』

☆★☆★

追記。弁天台場砲台に取り付けられていた大砲の来歴を裏表紙裏のクイズで知って、感慨ひとしおです。そうか、あの船に搭載されていた大砲だったんだぁ……。

☆★☆★

追記その2。表紙裏のあの写真の場面を確かめたくて、久しぶりに『新選組!! 土方歳三最期の一日』を見てしまいました……いつ見ても、永井様のあの言葉で涙がこぼれてしまうんですよねぇ……はぁぁ、久々に見たけどやっぱり傑作だわ。
 榎本武揚没後100年記念に、開陽丸子孫の会、咸臨丸子孫の会、幕末史研究会の会員有志らが帆船で東京から石巻・宮古・函館・江差・小樽へと航海するイベントに先立ち、その帆船「あこがれ」の一般公開に行ってきました。

榎本武揚の航路帆船でたどる
「開陽丸」子孫ら小樽への旅企画
 旧幕臣で明治政府でも活躍した榎本武揚(1836~1908年)が亡くなり、今年で100年。この節目の年に、榎本が軍艦で品川沖から脱走し北海道に向かった船路を再現する試みが計画されている。出発は13日で、江東区の有明多目的ふ頭。前日には帆船の一般公開も行われる。帆をはらませる風で、歴史ロマンもふくらみそうだ。(大木隆士)

☆12日に一般公開 
 幕府側の敗色が濃くなった1868年、榎本は軍艦・開陽丸に乗り込み、江戸を離れた。榎本艦隊には北海道まではたどりつけなかったものの、かつて勝海舟が乗り込んで渡米した咸臨(かんりん)丸も加わっていた。五稜郭で最後まで抵抗した榎本だが、明治に入ると新政府に協力、北海道開拓に尽力した後、閣僚を歴任した。
 没後100年の船旅は、開陽丸子孫の会、咸臨丸子孫の会、幕末史研究会の会員有志らが企画した。
 開陽丸は蒸気機関もあったが風を受けて帆走することが多かったので、大阪市が所有している一般向けの体験航海船「あこがれ」を借り、当時の船旅を再現することに。東京を出た後、石巻、函館などに寄港しながら、北海道・小樽まで向かう。
 出発地は江東区の有明多目的ふ頭。新交通システム「ゆりかもめ」の国際展示場正門駅から約400メートル。12日午後1時半ごろからは、「あこがれ」船内が一般公開される。クルーの指導で帆を上げ下げするセイルドリルも行われ、小学4年生以上が体験できる。定員60人。当日参加もでき、午前9時から受け付ける。無料。咸臨丸子孫の会会長の小林賢吾さん(70)は「国造りのため活躍した榎本の業績を知るとともに、幕末のロマンを感じてほしい」と話している。
 東京―石巻の船旅(3泊4日)には一般の人も乗船できる。大人5万4000円(小中学生2万8500円など)。空席がまだある。申し込みや問い合わせは「開陽丸子孫の会」のホームページ(http://kaiyo‐maru.org/)。

 上記記事の拙ブログでの初出は記事「7月9日の幕末ニュース」です。

 一般公開に先立った記念式典でオランダ大使館から広報担当者がご挨拶されましたが、今年から来年にかけて「日本オランダ年2008-2009」というシリーズものの企画を展開しているそうです。今年が日蘭修好通商条約締結150周年、来年が日蘭貿易が開始されてから400周年(さすが、徳川家康が日蘭貿易を許しただけあって、西欧諸国の中でもつきあいの古さは凄いですね)、そして榎本武揚はオランダに留学して「開陽丸」を建造して帰国したという付き合いもあり、今回のイベントに協力しているそうです。

 式典では何人かの方々が挨拶されてましたが、中でも印象に残ったのは榎本武揚曾孫の方です……口ひげを生やされているせいもありますが、眉から目鼻にかけて、榎本さんによく似ておられます。いい感じに枯れておられるところが、晩年の榎本さんもそうだったんだろうなぁと思えました(笑)。
 
 その他に、新選組流山隊による殺陣パフォーマンスもありました。新選組が後に榎本艦隊に合流して箱館に転戦した史実を踏まえての協力だそうです。炎天下の中、日差しをさえぎるものもない埠頭で分厚い剣道着を着てのパフォーマンス、お疲れ様でした。

 なお、午前9時過ぎより一般の希望者に対してセイルドリル(帆を張る作業)の体験実習があり、30人ほどの参加者に対して帆を張るための綱を引く作業の講習がありまして、これも見学しました。



 今日は風が弱かったこともあり、11本の帆が張られました。午前中、約1時間に限って張られた帆の満艦飾な様子です。

 ちなみにあこがれは、大阪市が所有する帆船です。今年で建造15周年で、20年から30年が帆船の一般的な寿命とすると、中年に当たるそうです(苦笑)。

 この日に見聞きしたものについては、画像も含め、後日改めて本宅にエッセイとしてアップする予定です。

☆★☆★

7/14追記。昨日、無事に江戸ならぬ東京港を出港したそうです。
榎本武揚の足跡たどり 北海道へ大型帆船出発 16人乗船 東京港
 箱館戦争で政府軍と戦うなど幕末・明治期に活躍した榎本武揚(一八三六-一九〇八年)の足跡をたどろうと、大型帆船「あこがれ」(三六二トン)が十三日、北海道に向けて東京港有明埠頭(ふとう)を出港した。

 旧幕臣の子孫らでつくる実行委員会(橋本進委員長)が榎本の没後百年にちなみ企画。榎本が一八六八年(明治元年)、軍艦・開陽丸で江戸を出発し、蝦夷(えぞ)を目指した航路をたどることにした。

 東京や大阪など全国から公募した十六人が乗船。新撰組に扮(ふん)した人たちが見送る中、最初の寄港地の宮城県石巻港に向けて出港した。橋本委員長は「航海を通じて蝦夷地を目指した榎本の志と足跡を伝えていきたい」と話した。あこがれは、函館港に二十六日、江差港に八月二日、小樽港に同六日に、それぞれ寄港する。
 知らなかったよ、榎本武揚がデアゴスティーニの『週刊 日本の100人』にランクインしてたなんて^_^;。たまたま本屋で少し時間を潰していたら、これが目に入ったから、即買っちまったいっ(と、榎本さんに敬意を表して江戸弁で)。

『週刊 日本の100人』No.073 榎本武揚

 表紙の言葉は「元より戦争は相好まず候――」。

 扉の言葉は「人が何と言おうともかまはぬ事なれど良く言わるなれば心地よきはありまいなり。」……何だか微笑ましいと思ったら、樺太・千島交換条約の調印に成功し、その功績を時の外務卿・寺島宗則に高く評価されたことを嬉しく思って妻たつへの手紙に書いた言葉なんだそうな。

 土方ファンの中には榎本武揚が嫌いな人もいるらしいが、自分は『新選組!! 土方歳三最期の一日』で片岡愛之助さんがチャーミングな榎本武揚を演じて下さる前から榎本さんが好きだった。たぶん榎本さんの中によき江戸っ子気質を見ているからだろう(同じ江戸っ子なのに、なぜか勝海舟は好きになれない……『組!』の野田秀樹さん演じる勝海舟は好きだけど)。

 この『週刊 日本の100人』で新たに知った榎本さんのエピソードのひとつに、芸事が得意で、謡曲、端唄、都々逸、新内なども達者で、海軍中将を拝命してからあちこちで美声を披露し「長唄中将」と呼ばれたとか。さらに、5代目尾上菊五郎の声真似も得意で、「音羽屋の殿様」とも呼ばれたとか。さらに、榎本さんのお座敷芸は、箱館戦争中に牢仲間になった博徒の親分と仲良くなって、親分に仕込まれたのだという話(笑)で、やっぱしチャーミングな奴だなぁと思ってしまう。

 そういえばケースケこと大鳥圭介も、大坂は緒方洪庵先生の適塾で塾生やっていた時に、歌舞伎役者の声真似で塾生仲間を起こしてやったとかいうエピソードがあったなぁ……榎本さんと大鳥さん、気が合うはずだ(笑)。
 新暦だと季節感が違うと思うので、新暦の5月11日には特に何かする訳ではないのですが……たまたま週末なので、今日はレンタルビデオで『五稜郭』を借りてきました。

 リアルタイムでは見ていないのですが、土方さんのファンになってから見ている作品です……正直『新選組!』『新選組!! 土方歳三最期の一日』を見てしまって以降は……『五稜郭』の主人公である榎本武揚を演じる里見浩太郎の年齢とか……土方さんを演じる渡哲也については……いえ、年齢もさることながら(汗)、どうみても渡哲也にしか見えない演技についてとか、伊庭八郎のキャスティングが舘ひろしってのはどうかなーとか……いろいろと違和感があって(汗)、ここのところ見ていない作品です。

 ただ、藤岡弘演じる松平太郎は、この作品ぐらいしかフィーチャーされていないので(涙)、けっこう好きだったりします。てゆーか、仮面ライダー1号時以来、藤岡弘という俳優が、自分史の中で特別なんですよね(笑)。五稜郭タワーが旧タワーだった当時、1階のエレベーターフロアで『五稜郭』のビデオをよく流していたのでしたが、藤岡さん演じる松平太郎が出てくると、つい足を止めてしまったりして^_^;。

 それでは、作品鑑賞に戻って、しばし『五稜郭』を楽しみたいと思います……。
『箱館戦争』加藤貞仁(無明舎出版 んだんだブックス)



 秋田市の出版社から発行されている本ですが、箱館戦争に興味のある方にお勧めです。私はamazon.co.jpに注文して取り寄せましたが、ついでに何冊か注文したようで、現在、amazon.co.jpにも在庫があります^_^;。

 なぜお勧めかというと、第一に、従来は戊辰戦争の最後の戦争として局地的に捉えられてきた箱館戦争を、一部関係者の出身地である広島や香川といった地の取材を含め、大きな視点で捉えていること。また、戊辰戦争に関する書籍でもあまり扱われていない市川・船橋戦争も紹介されており、江戸城開城の後に江戸を離れた大鳥圭介率いる脱走軍たちだけでなく、複数の脱走軍があったことも説明しています。

 第二に、箱館戦争を通史的に時系列で紹介するのではなく、関係した土地を紹介し、その土地にまつわる出来事について説明していることです。箱館戦争の初心者には時系列が錯綜して読みづらいかも知れませんが(それを補うために、巻末にかなり詳細な年表があります。これも便利)、その土地を訪れる旅行者にとってはガイドブックとして便利だと思います。そして、多くの写真図版があることも、旅行者のガイドブックとして便利です。私も、次回からの函館旅行には持って行くつもりです(^^)。

 第三に、これは個人的な思いが混じっていますが、著者あとがきの内容に共感できたことが挙げられます。「戊辰戦争は避けられなかったのか」という表題で書かれている著者の歴史観は私の歴史観に共通するものがあり、全巻を通してその思いが伝わってきました。また「知られざる人々」という表題のもとで紹介されている人々をはじめ、戊辰戦争の通史で「有名人」として取り上げられることの多い人たちばかりでない無名の人々にもスポットを当てているところも好感が持てました。

 箱館旧幕府脱走軍の幹部であり、箱館戦争を知る人には決して無名でもない松岡四郎二郎さんが挙げられ、前歴や箱館戦争後の後半生が知られていないことが紹介されています……最前線でなかなか有能だった松岡さん、戦いの後はどんな人生を送ったのでしょうか。
 いつもお世話になっている函館のキトラさんのブログ『ブログ 函館のニュースな出来事。とか。』にて知りました。

函館市史通説編第2巻デジタル公開開始!
箱館開港から五稜郭・弁天台場築造、箱館戦争から近代まで、興味深い箇所が満載です。


 キトラさん、お知らせありがとうございます。幕末~箱館戦争に関心のある者には、一番興味の湧く部分ですね……私は函館中央図書館でざっと読んでしまいましたが、ネットで公開されるデジタルデータには、見たい時に見られる、キーワードで検索できる、など、アナログにない良さがありますすね。

『函館市史』デジタル版

 改めて、じっくり読みたいと思います。
 
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