忍者ブログ
新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
ついに教科書から「鎖国」の記述がなくりました。
小中で「鎖国」消える…聖徳太子は「厩戸王」に
「鎖国」が消える――。

 文部科学省が14日に公表した次期学習指導要領の改定案では、小中学校の社会科で「鎖国」の表記をやめ、「幕府の対外政策」に改める。文科省は中学歴史でも、「聖徳太子」が没後100年以上たって付いた呼称だとして、「厩戸王うまやどのおう」に変える。

 文科省によると、江戸幕府は長崎でオランダや中国との交易を許し、薩摩(鹿児島県)、対馬(長崎県)、松前(北海道)でも外交と貿易が行われていた。完全に国を閉ざしていたわけではないため、当時の実態に即して表記する。

 「鎖国」は1801年、ドイツ人医師の著書の一部が和訳され、「鎖国論」と名づけられたことから広まったといい、文科省の担当者は「幕府の政策に関し、鎖国という言葉は使われていなかった」としている。これに対し、「開国」という語は、欧米諸国との関係を表す際に使われていたため、現状のまま残す。
 記事の以降は有料版にて。

福島
古書店で『山川健次郎の新資料』発見! 未確認の講演録収録
 東京帝国大総長を務めた会津藩出身の白虎隊士、山川健次郎(1854~1931年)の死後に近親者らがまとめた遺稿の新資料が14日までに、発見された。戦前に刊行されたものなど種類の違う3点の遺稿資料が確認されており、今回が4点目になる。未確認の「白虎隊」に関する講演録が収録されており、研究者は「白虎隊顕彰に積極的だった山川の活動の一端が垣間見える」と評価する。

 小宮京青山学院大准教授(日本現代史)、中沢俊輔秋田大准教授(日本政治外交史)が昨年12月、古書店で見つけた。新資料は「山川博士遺稿」と題が付けられた上・下巻の2冊で、合わせて約500ページある。書店などに流通させない私家版で、山川の死後においらが編さんした。内容は山川の講演録や新聞への寄稿などで、多くがすでに確認されている遺稿資料3点と重複していた。

 新発見資料に、これまでの遺稿資料では未確認の記事や講演録が5編収録されていた。内容は〈1〉白虎隊について〈2〉戊辰戦争の会津藩の火薬庫爆破の伝承〈3〉会津の刀工(三善長道)〈4〉門司駅員自殺問題(明治44年に起きた駅員自殺への所感)〈5〉畏敬する四偉人(明治期の陸軍大将・乃木希典ら)。白虎隊については1928(昭和3)年、兵庫県の赤穂中(現赤穂高)で行った講演録だった。遺稿に白虎隊に関する講演録が収録されるのは、この新資料が唯一という。

 山川は晩年、戊辰戦争を会津藩側の立場から見た「会津戊辰戦史」(山川の死後の1933年出版)の編さんを進めた。確認される遺稿資料の中には、会津藩や戊辰戦争関連の記事が多数含まれており、中沢准教授は「編さん過程の作業原稿とみられるものもあり、山川が熱心に戊辰戦争の調査をしていたことを裏付けるもの」とみている。

長岡藩・河井継之助に焦点 福島・只見、戊辰戦争150周年
 2018年の戊辰戦争150周年に向け、只見町などは新年度から、同町にゆかりのある幕末の長岡藩(新潟県長岡市)家老を務めた河井継之助らに焦点を当てた記念事業を展開する。

 河井継之助は、戊辰戦争で長岡から会津藩に向かう途中、同町塩沢地区で命を落とした。同町の医王寺に墓があるなどゆかりが深い。

 戊辰戦争150周年を契機に、町などは河井継之助を中心とした同町の歴史について町民に改めて理解を深めてもらい、観光振興にもつなげようと記念事業を行う。

 町や会津只見史談会、町観光まちづくり協会、会津ただみ振興公社などの関係機関は3日、戊辰戦争150周年に向けた実行委員会を設立した。

 町役場で第1回会議を行い、新年度は町内の幕末維新に関する史跡などに案内標柱を設置するほか、ガイドブックを作成するなどの記念事業案を了承。18年度は同町と長岡市の史跡を巡るツアーやシンポジウムの開催に向けて今後、具体的な内容を詰めていく方針を確認した。

宮城
<東北の本棚>仙台藩玉虫の夢と挫折
竜は動かず/上田秀人 著

 「竜」とは、幕末の仙台藩の例え。大藩でありながら、戊辰戦争では大きな働きはできなかった。なぜか? 悲運の最期を遂げた仙台藩士、玉虫左太夫の生涯を追った600ページ超の本作を読み、仙台藩の負の遺産を見た思いだ。
 左太夫は藩鷹匠頭の子として生まれ、俊才と言われた。末子の七男であり、才能を開花させる場がない。だが、江戸へ出て学び、やがて幕府外国奉行に見いだされ、日米修好通商条約の批准書交換の遣米使節の一員として渡米する。
 米国では驚きの連続だった。水夫と士官は役目上のことであって、仕事を離れると友人と同じだった。航海中、水夫が病死すると、葬儀に艦長が出て哀悼の意を表した。ワシントンで大統領に会う。「入れ札(選挙)で選ばれている」。当時の日本では考えられぬ制度だった。
 幕末の動乱は、仙台藩に及んだ。帰国した左太夫は会津藩救済に動き、奥羽越列藩同盟成立の実務を仕切った。しかし作戦会議で、戦略を披露しようにも「分をわきまえよ」と藩幹部に制せられる。身分が低いことから重臣たちの恨みを買い、米国帰りが、煙たがられた。
 江戸時代は、全体が身分制社会であった。中でも仙台藩は、特殊な身分制度を取っていたことを指摘しておく。藩祖伊達政宗は攻略した敵の将兵を次々と自らの陣営に迎え入れた。膨張する家臣団を維持するため、藩は伊達氏の血縁、有力家臣を一門、一家、一族などに分けた厳しい家格制度を敷いた。血筋による序列が何百年と、幕末までも続いた。
 共和制の米国を見た左太夫の描いた夢は、公論に基づく新しい国づくりであったはずだ。しかし藩内の派閥抗争に巻き込まれ、ついには反佐幕派に処刑される。享年47歳。厳しい家格制度の前に、左太夫の夢は葬り去られた。
 著者は1959年大阪府生まれ。時代小説で活躍、著書に「孤闘 立花宗茂」など。
 講談社03(5395)5817=上・下各1728円。

佐賀
庄屋「峯家」文書を公開 朝鮮通信使、桜田門外の変など
 江戸時代から明治にかけて唐津市相知町で庄屋を続けた峯家に残る「峯家文書」から32点を厳選した資料展が、相知図書館で開かれている。朝鮮通信使の絵図や赤穂浪士の足跡を記した書冊など、村里の庄屋の旺盛な好奇心がうかがえる。

 17世紀後半から約200年にわたって収集した峯家文書は約5千点で、市指定文化財になっている。多くは行政関係の文書だが、その中から面白く貴重な資料を選んでおり、ほとんどが初公開という。

 江戸時代に12回来ている朝鮮通信使の絵図は、1811年の最後のもので、朝鮮国の服装や行列の様子が分かる。ベトナムや西洋、インドの男女を描いた絵や黒船図もあり、江戸時代の人々の海外への関心ぶりが垣間見える。赤穂浪士の討ち入り、大老井伊直弼(なおすけ)が殺害された桜田門外の変を記したものもある。

 こうした資料は、峯家が18世紀中頃から開いた私塾「希賢堂」の教材にも使われていたと考えられる。

 虹の松原一揆の指導者冨田才治の漢詩もある。一揆以降、関係が発覚するのを恐れて才治の手紙などが処分される中、唯一残った直筆の書。才治が希賢堂を開いた峯復斎に送ったもので、「私の先生になって」と懇願している。

 昨年の企画展で好評だった新撰組土方歳三の最期を記した「大野右仲(すけなか)君(ぎみ)日記抄」も公開。大野は唐津藩士で後に東松浦郡長になり、初代相知町長の峯〓(きとう)に与えたものと考えられる。

〓は火ヘンに卒

 相知市民センター総務教育課で文化財を担当する黒田裕一係長(49)は「庄屋として教養をつけるものだけでなく、江戸や京都の情報を収集しようとしていたことがうかがえる。粋な趣味、教養深さを楽しんでほしい」と語る。

 3月31日までで月曜、祝日、第1水曜は休館日。入館無料。

インタビュー
大久保利通の曽孫「大久保家と西郷家は婚姻関係が結ばれ、実は親戚です」
 大政奉還から150年を記念して、幕末から明治維新という激動の時代を生きた英雄の子孫たちが先祖の知られざる素顔、偉業を語り尽くす。今回は、大久保利通の曽孫・大久保利ひろさんだ。

*  *  *
 大久保利通は私の曽祖父にあたります。2017年は「大政奉還150年」ということですが、私たち大久保家にとっては翌18年の江戸時代を経ての「明治維新150年」ですね。

 薩摩藩の下級藩士の子として生まれ、西郷隆盛と共に成長し、幕末をくぐり抜けて明治維新を推進していきますが、盟友であった西郷とは征韓論で対立、敗れた西郷は政治の中枢から辞し、このとき二人は決別したとされています。その後、西南戦争では西郷は政府軍の前に敗北を知り、自害してしまいます。利通は西郷が挙兵するはずがないと最後まで信じていましたが、挙兵を知ったときは西郷を説得できなかったと悔やみ、それと同時に永遠の別れを覚悟していたと思います。利通が暗殺される直前に西郷からの手紙を読んでいたとも言われていますしね。ただ、西郷は大久保なら自分ができなかったこと、やり残したことを必ずやってくれるはずだと願っていたと思いますね。また利通は「自分ほど西郷隆盛を知っている者はいない」と言っていたぐらいです。西郷と利通は本来はクルマの両輪のような関係だったのです。

 余談ですが、利通のことでよく聞かれるのは大久保家と西郷家との関係です。利通の妹の孫のところに、西郷家からお嫁さんをもらい、大久保家と西郷家は親戚関係になっています。

 岩倉使節団の副使としてアメリカやイギリス、ドイツ、フランスなどを訪れますが、身長が178センチと当時としては長身だったこともあり、なじみやすかったようです。フランスでは家具のカタログを手に入れましたが、よほど興味があったのでしょう、帰国後に机を作らせています。その他にフランス製の陶器の灰皿やガラスの洗面器なども購入していますが、いわゆる「西洋かぶれ」ではなく、実用を重視して自分に合ったもの、使い心地のよいものを取り入れていたにすぎません。手紙は最後まで筆で書いています。ただ利通が使っていた硯や印鑑は大きな体に似合わず小ぶり、本当に小さなもので驚きました。
 利通は家族、特に子どもに対してはとてもやさしくふれあいを喜び、子煩悩で可愛がってくれた、と祖父・利武が話してくれたことがあります。

 利通は使節団で欧米諸国を訪れて海外の諸事情を間近に見て、国力増強の必要性を強く感じました。そのためには産業に力を入れようと西南戦争の最中に第1回内国勧業博覧会を開催します。また農業の発展も急がなくてはと思っていた矢先、福島県で始まっていた開拓事業を知った利通は、この事業成功に腐心し、郡山市で国直轄の農業水利事業第1号、安積開拓を推進します。そのさなか利通は暗殺されますが、利通の遺志を受け継ぎ、工事の開始から3年後の明治15(1882)年に完成します。夢がかなったと言ってよいのではないでしょうか。

 明治維新において、自分の役目を果たすために仕事に真摯に取り組み、そしてやり遂げた。道を拓き、その道を次の世代に託して旅立った、そう思っています。次男の牧野伸顕、跡を継いだ三男で祖父の利武、学者であった父・利謙は、それぞれ違った形でしたが、利通の子孫としての役目を果たしたと思います。私の役目と言えば、まだ手元に残っていた資料を千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館へ寄贈したことでしょうか。それをきっかけにすでに納めてあったものを含めて15年に「大久保利通とその時代」展を開催していただきましたが、常に側にいる、つまり利通との距離感など考えたことはありません。(本誌・鮎川哲也、太田サトル、松岡かすみ)

PR

東京
新選組150回忌、近藤・土方子孫ら企画 西郷も参加へ
 江戸時代末期に京都で結成された新選組隊士の子孫たちが3月、副長の土方歳三らの出身地、東京都日野市で「百五十回忌総供養祭」を営む。来年は戊辰戦争が始まって150年。関係が深かった会津藩(福島県)藩主の松平家14代当主、激しく争った薩摩藩(鹿児島県)の西郷隆盛の子孫も参加する予定だ。

 発起人は、局長の近藤勇、土方、副長助勤の井上源三郎の兄の子孫、日野宿の名主で新選組を支援した佐藤彦五郎の子孫ら12人。節目を迎え、隊士や関係者の子孫に広く呼びかけ、土方家の菩提(ぼだい)寺でもある高幡不動尊(日野市)で営む。

 子孫は長らく肩身の狭い思いをしてきた。近藤の兄の子孫、宮川清蔵さん(78)=茨城県牛久市=は近藤の出身地の東京都調布市に住んでいた幼少期、「近藤は逆賊と言われた」と振り返る。土方の兄の子孫で土方歳三資料館館長(日野市)の土方愛さん(45)は高校時代に「新選組は人斬り集団」と言われ、苦い思いをした。

 しかし1962年、司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」の連載が始まり、土方人気に火が付いた。NHK大河ドラマ「新選組!」(2004年)やゲームの影響で、今では若いファンも増えているという。愛さんは、幕府側、倒幕勢力側どちらにつくか様子見の藩が多いなか、「隊士は幕府のために尽くし、どっちが得かということでは動かなかった。潔さに今の人たちがひかれているのでは」と話す。井上の兄の子孫で井上源三郎資料館館長(日野市)の井上雅雄さん(62)は「薩摩藩や長州藩(山口県)を含め、戦った全員の供養ができればいい」と呼びかけている。

 総供養祭は3月18日、高幡不動尊の五重塔院ホールで。一般の出席も可。参加費2千円。先着順。往復はがきに住所、氏名、電話番号を書き、〒191・0011 東京都日野市日野本町4の11の12 天然理心流勇武館事務局へ。28日の消印有効。出席の可否は返信はがきで伝える。(大室一也)

岐阜
梁川星巌の刀発見 大垣出身、幕末の志士・漢詩人 関鍛冶伝承館で初公開 /岐阜
 大垣市出身の漢詩人・梁川星巌(やながわせいがん)(1789~1858年)が所持していた刀が、関市で見つかった。星巌ゆかりの大垣市の禅寺「華渓寺」の加藤泰寛住職(58)は「星巌は多くの漢詩を残したが、刀が見つかったのは初めて」と話している。

 関市南春日町の関鍛冶伝承館は企画展「刀に名前を刻んだ男たち~幕末の志士・梁川星巌と日本刀」を開催し、星巌の刀を初公開している。

 星巌は1789(寛政元)年、現在の大垣市曽根町の郷士の家に生まれ、華渓寺の僧に儒教や漢詩を学んだ。幕末には、頼山陽、藤田東湖、佐久間象山、吉田松陰、橋本左内ら尊皇攘夷の思想家と親交があり、自らも憂国の志士として行動。危険思想の人物として幕府からにらまれるが、安政の大獄(1858年)の直前にコレラが原因で死去した。

 公開された刀は、関市が所蔵していた一振りで、茎(なかご)と呼ばれる握り部分に「大義翼皇室」で始まる尊皇攘夷思想を詠んだ5字漢詩が8行と「老龍庵帯」「東湖先生侍禄」の所持銘が刻まれている。同伝承館の江西奈央美学芸員(28)が昨年9月、「老龍庵」を星巌の号と判読し、華渓寺の梁川星巌記念館に問い合わせたところ、星巌の所持刀と確認された。

 太平洋戦争の後、連合国軍総司令部(GHQ)が10万振り近い日本刀を接収したが、サンフランシスコ平和条約を締結後、約1000振りが刀産地の関市へ返還され、その中に星巌の刀が含まれていた。

 華渓寺の加藤住職は「『老龍庵』は星巌の戒名に使われている号の一つ。尊皇攘夷派の水戸藩士・藤田東湖から譲られた刀と思われる」と話している。

 企画展では、漢詩の掛け軸、詩稿、印譜など星巌ゆかりの遺品も展示されている。3月20日まで。火曜休館。入館料は高校生以上200円、小中学生100円。問い合わせは同伝承館(0575・23・3825)。【立松勝】

山口
幕末の志士が学んだ萩藩校明倫館の跡地に「萩・明倫学舎」オープン3月4日オープン、山口県萩市の明治維新150年記念事業
 NPO萩明倫学舎(特定非営利活動法人設立認証中)は3月4日、山口県萩市に「萩・明倫学舎」をオープンする。萩・明倫学舎は萩藩校明倫館の跡地にあり、観光インフォメーションセンターやレストランを備え、萩市の観光の起点施設として機能していく。

萩・明倫学舎
開館日:2017年3月4日
開館時間(予定):9時~17時、レストランは11時~21時
所在地:山口県萩市江向602
入館料:本館無料、2号館大人300円、高校生200円、小中学生100円
Webサイト:萩・明倫学舎
 萩藩校明倫館は、1718年に5代藩主である毛利跨吉元が家巨の子弟教育のために萩城三の丸(堀内)に建てた藩校。その後1849年に現在の江向に移転。約5万m2の敷地内に学舎や武芸修練場、練兵場などがあり、吉田松陰や楫取素彦(小田村伊之助)が教鞭をとったことでも知られている。

 萩藩校明倫館は1867年に廃館となったが、その跡地に1935年10月10日に建築されたものが旧明倫小学校の木造2階建ての校舎で、1996年に国登録有形文化財に登録されている。2018年に明治維新150年を迎えることを記念して、この校舎を萩市の新しい観光の起点となるよう改修整備したものが萩・明倫学舎となる。

 萩・明倫学舎は本館、2号館、周辺の遺構などから構成され、本館には観光インフォメーションセンターや萩の名店「割烹千代」がリーズナブルな価格で料理を提供するレストラン、ジオパークビジターセンター、復元教室、復元校長室などを備える。

 2号館には2015年年7月に世界遺産に登録された萩市の5資産を含む「明治日本の産業革命遺産」を紹介する「世界遺産ビジターセンター」、幕末維新期の歴史・科学技術史の実物資料を展示する「幕末ミュージアム」を開設する。


高知
「JIN」で幕末感じて 高知市のまんが館で原画展
 坂本龍馬らが活躍した幕末期を舞台にした人気漫画「JIN―仁―」で知られる漫画家、村上もとかさん(65)の原画展が、高知市九反田の横山隆一記念まんが館で2月11日から始まる。龍馬、中岡慎太郎、西郷隆盛といった実在の人物や、当時の暮らし、文化を映し出した場面など直筆の原画144ページ分が並ぶ。

 村上さんは東京都出身で、1972年にデビュー。「JIN」は「スーパージャンプ」に2000年から10年間連載され、テレビドラマにもなった。

 脳外科医、南方仁が幕末にタイムスリップし、歴史や運命を変えることに悩みながら、現代医学を実践する物語。親友となる龍馬との出会いや暗殺阻止を目指す近江屋でのシーンなどのほか、山内容堂、勝海舟、沖田総司ら実在した人物たちが登場する場面を紹介。

 「手術」「ラブロマンス」「遊郭」など、テーマ別の展示も。仁が龍馬と連れだって行った遊郭で、華やかさとは裏腹に性病に苦しみ死んでいく女性が多くいたなど、闇の部分を描いたことが分かる。ほかのヒット作「六三四の剣」「龍―RON―」の原画もあり、すべて手作業で作画されている。

 展示を担当した高知県まんが・コンテンツ課の近森雄太主査は「作画技術の高さを見ていただきたい」と期待を込めた。

 横山隆一記念まんが館と「まんが王国・土佐推進協議会」の主催で、3月11、12日に開く「第3回全国漫画家大会議」の一環。3月12日まで。

インタビュー
徳川宗家18代当主の徳川恒孝さん 大政奉還をした理由を推測
 薩長同盟、坂本龍馬の船中八策、土佐藩主の山内容堂が徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜へ出した建白書、そして大政奉還、龍馬暗殺……。2017年で大政奉還から150年。幕末から明治維新という激動の時代を生きた英雄の子孫たちが先祖の知られざる素顔、偉業を語り尽くす。今回は、徳川宗家18代当主・徳川恒孝さんだ。

*  *  *
 大政奉還として徳川家が天皇家に政権をお戻ししたのは、徳川幕府に大きな問題があったり、政権維持に限界があったりしたからではないと考えています。

 当時、日本を取り巻く外国からさまざまな圧力がかかっていました。その流れに任せてそれぞれの藩が圧力をかける国に個別に対応していたら、日本は分断されていたかもしれません。

 そこでそれぞれの藩が領内を支配する幕藩体制ではやっていけないと幕府は判断したのです。

 徳川家は幕府開府以来、長く天皇家を非常に大切にしてきましたので、ここで天皇家に政権をお戻しして、天皇を中心に今一度日本を統一すべきだと考えたのです。

 さらに徳川幕府は常に海外の情報を得ていました。特に幕末にかけては詳細な情報が幕府に入ってきて、世界の情勢は承知していたのです。イギリスの軍艦が近くにいるとか、アメリカの戦艦が日本に向かっているなど把握していました。そこで世界を見て、もう二度と戦乱の世にしてはならないと考え、大政奉還という決断をしました。

 江戸幕府を起こした家康は常に平和を願い、それを実現させた人です。家康の前の時代、豊臣秀吉は朝鮮へ2度も兵を出しました。 しかし、徳川の世になると朝鮮をはじめとした外国を攻めることはなくなりました。それどころか、朝鮮通信使が再開され友好な関係を築きました。幕府の将軍の代替わりや世継ぎが生まれるたびに朝鮮から使節団が江戸城にいる将軍に謁見にやってきていました。

 ただ、これは徳川家からの見方で、向こうの方々に言わせると、今度の将軍がまた秀吉のような人だったら危ないと、警戒のために将軍の顔を見に来ていたというようです。それで今度の将軍は穏やかでこちらに戦争をしかけてくるようなことはないと安心して帰ったそうです。

 そしてその情報は朝鮮から清の都・北京に伝えられ、今度の将軍も大丈夫だと胸をなでおろしたといいます。それだけ諸国との関係はよかったのです。

 ただ幕末から大政奉還にかけて残念なのは井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されたことです。井伊直弼は海外の状況を鑑み、修好通商条約を締結し、日本を開くことを進めていました。だからあのとき直弼が殺されなかったら、徳川幕府が新たな日本をつくっていったでしょうね。

 徳川政権であったら平和一本で、その後の政府がとったような軍国主義政策はとらなかったに違いありません。明治新政府では征韓論が持ち上がり、その後も日清戦争、日露戦争が起きました。明治以降の歴史はご存じのとおりですね。

 明治の世になって諸藩の大名の子息の多くは海外に留学しました。そしてその人たちは海外の情報や知識を身に着け、明治以降の政府に重用されていきます。

 また、宮内省が大名家同士の婚姻を進めていきました。戊辰戦争で敵対した人の子孫を結びつけたり、かつて、あまり関係がよくなかったという同士の婚姻を決めたりしました。そうすることでそれぞれの家が背負ってきた変なわだかまりはなくなりました。

 大政奉還後、徳川幕府の幕臣が明治政府を支えたり、その後、全国にあった藩の大名の子孫の方々が地域のお祭りに参加して祭りを盛り上げたりしています。かつての殿様の子孫は地域活性化に協力しているといえるでしょう。

 そういう意味でも徳川時代が分断され明治時代になったのではなく、その意志を受け継ぎ、継続しているといってもいいかもしれません。(本誌・鮎川哲也、太田サトル、松岡かすみ)
 うーん、そう言われてしまうと旧幕府軍として戦った人々の思いは……大坂城の将兵を残して江戸に逃げ戻った慶喜の行動をどう思われているのか、問うてみたくなる旧幕府方贔屓です。

今日は節分。関西に住んでいたので恵方巻は知っているのですが、甘口系の太巻き寿司は好きじゃないし、東京にはもともとない食習慣なので私はパスします。
 『ちるらん 新選組』アニメ版がにぶんのいちキャラのギャグで5分という長さにちょっと物足りなさを感じていましたが、次は何と舞台化。確かに原作をアニメにするといろいろ残虐シーンが出て来ますので2.5次元の作品の方が合うかも。

高知
幕末の土佐藩重役・吉田東洋の新史料を発見 高知県立歴民館
 幕末の土佐藩重役・吉田東洋(1815~1862年)が、1854年12月に発生した安政地震の体験を詠んだ漢詩が、高知県南国市岡豊町の高知県立歴史民俗資料館の収蔵史料の中から発見された。地震後に火災と津波が高知市の沿岸部を襲った状況や被災した民を思いやる心情をつづっている。高知県立歴史民俗資料館は「生の体験を克明に記した貴重な史料」と注目。高知県立歴史民俗資料館で1月29日から始まる企画展「幕末の土佐 書跡にみる人物群像」で初公開される。

 東洋(本名・正秋)は、15代藩主山内容堂の下、仕置役として海防政策や中級武士の登用など藩政改革に尽力。1862年に土佐勤王党に暗殺される。

 東洋に関する新史料は、漢詩2点のほか教本2点、直筆の手紙6点の計10点。高知県立歴史民俗資料館が2016年、企画展を前に個人などから寄贈された史料を再調査した際に発見された。

 漢詩「大震行(だいしんこう)」(縦125センチ、横55センチ)は、東洋が沿岸部の高知市長浜で地震に遭遇した体験を記した史料。「烈火が家屋を覆い、激浪が大地を掠(かす)めて走った」「圧死者と焼死者が丘のように積み重なっている」「西も東も分からず、じいさんを助け、子どもの手を引いて町の入り口をさまよう」などと、甚大な被害を出した巨大地震と火災、津波の恐ろしさを伝えている。

 当時、東洋は江戸で山内氏の親族を殴打する事件を起こし、閉居中で、「土佐罪人 吉田秋」と記述。被災して土地を失った民の暮らしや藩政の在り方にも言及している。

 地震後、東洋は私塾を開いて人材育成に尽力、復職後に再び藩政改革にまい進することから、高知県立歴史民俗資料館の野本亮学芸課長は「衝撃的な地震の体験を通して、東洋は考え方を変え、人間として一皮むけたのではないか」と推測している。


山内容堂に対する愚痴などをこぼした吉田東洋の手紙(高知県南国市の高知県立歴史民俗資料館)
山内容堂に対する愚痴などをこぼした吉田東洋の手紙(高知県南国市の高知県立歴史民俗資料館)
吉田東洋 切れ者だが純粋  新史料に垣間見える素顔

 土佐藩政を牛耳った辣腕(らつわん)政治家というイメージが強い吉田東洋。南国市の高知県立歴史民俗資料館で見つかった教本や直筆の手紙を読み解くと、江戸の学者から学問を学ぶ勉強熱心な一面や、15代藩主・山内容堂に対する愚痴をこぼす弱気な一面、婚礼前の娘を思いやる父親としての一面など、東洋の素顔が垣間見える。

 東洋は船奉行などを務めた30代前半に、江戸で名をはせた朱子学者・安積艮斎(あさかごんさい)に入門。新史料の教本には、安積の添削の跡があり、東洋が当時の最高水準の思想に触れていたことがうかがえる。

 江戸の漢学の師匠、塩谷宕陰(とういん)に宛てた手紙(草稿)は、暴行事件で閉居中の40代前半に書いたもの。漢詩の添削を頼む一方で、藩の重役を担った時のことを回顧し、「家臣に命令するたびに、容堂の心が不安定なことを思って涙を流した」などと愚痴をこぼしている。手紙の最後には「悪口と誤解されるので読み終わったら手紙を焼いてほしい」といった趣旨の文言もある。

 また、46歳で暗殺される1年前に書いたと推測される手紙では、娘の婚礼前に自宅を建て直すため、友人に木材調達を依頼。新しい家で婚礼の準備をさせてあげたいという父親の心情が読み取れる。

 高知県立歴史民俗資料館の野本亮学芸課長は「企画展ではこれらの史料も初公開する。切れ者だが純粋さも持つ東洋の人柄に触れてほしい」と呼び掛けている。
 吉田東洋の再評価につながって欲しい発見です。

京都
春の特別展幕末群像、無名志士に光当て 初公開の自画賛や短刀含む100点 霊山歴史館 /京都
 春の特別展「幕末志士群像 新収蔵品展」が、霊山(りょうぜん)歴史館(京都市東山区)で開かれている。知名度のある新選組や坂本龍馬の資料だけでなく、倒幕のため挙兵しながら失敗に終わった天誅(てんちゅう)組の一人、松本奎堂(けいどう)の自画賛(じがさん)(自作の画の横に詩も書き入れたもの)など、初公開の32点を含む約100点(期間中入れ替えあり)を陳列している。5月7日まで。

 治安維持のため幕府が組織した京都見廻組(みまわりぐみ)に属し、坂本龍馬暗殺に関わったとの説もある桂早之助(はやのすけ)所有の短刀なども初公開する。将軍が約230年ぶりに上洛(じょうらく)した際に街道に立てられ、浪人を取り締まるための高札(こうさつ)など、当時の世情がわかる資料も並ぶ。

 大政奉還から150年を迎え、現在はあまり名を知られていない人物にも注目した構成にしている。木村幸比古(さちひこ)副館長(68)は「歴史資料は勝者のものが多数残るが、維新で破れた幕府側の資料も均等にそろえた。近代日本を作った人たちの精神を知ってほしい」と話した。

 第1期は3月20日まで、第2期は3月22日~5月7日。午前10時~午後5時半。月曜休み。祝日の場合は翌日休館(ただし3月6、13、27日、5月1日は開館)。一般700円、高校生400円、小中学生300円。問い合わせは霊山歴史館(075・531・3773)。【国本ようこ】

東京
戊辰戦争の戦没者を総供養 百五十回忌 新選組子孫らが呼び掛け
 新政府軍と旧徳川幕府軍が争った戊辰(ぼしん)戦争(一八六八~六九年)で亡くなったすべての人々を慰霊しようと、新選組隊士の子孫らの呼び掛けで、百五十回忌総供養祭が三月十八日に日野市の高幡不動尊金剛寺で営まれることになった。 (水谷孝司)
 幕末に京都で討幕派の取り締まりに当たった新選組の隊士の多くは、戊辰戦争では旧幕府軍に加わって戦った。
 これまでは、それぞれの隊士の命日に身内のみで供養をしたり、一部の子孫が集まって定期的なイベントを催したりしてきたが、百五十回忌の節目を迎える今回は、かつての敵味方にこだわらず、戦闘に巻き込まれた市井の人たちも含めた「総供養」の場とすることにした。
 新選組六番隊長井上源三郎の子孫で、日野市の井上雅雄さん(62)によると、戊辰戦争で亡くなったすべての人々の供養祭が実現するのは初めて。新政府軍側の子孫の参列も決まっているといい、「無事に盛大に行いたい」と話している。
 法要は金剛寺五重塔院ホールで行われ、川澄祐勝貫主が大導師を務める。午後一時半からの読経に続いて、会津松平家十四代当主の松平保久さんによる講演「会津藩と新選組」のほか、子孫の紹介、あいさつなどがある。
 井上さんらとともに発起人に名前を連ねる新選組局長近藤勇の子孫宮川清蔵さん(78)は「歴史に埋もれた隊士らもいる。倒幕と佐幕に国論が二分する中、大義のために戦った人たちを供養したい」、副長土方歳三の子孫土方愛さん(45)は「すべての亡くなった人に光が当たるのは意義深いこと」と話した。
 ホールの定員は二百五十人で、招待の縁者や研究家らのほかに、一般の参列希望者も募っている。参加費二千円。
 希望者は往復はがきに住所、氏名、電話番号を記入し、二十八日(消印有効)までに〒191 0011日野市日野本町四の一一の一二、天然理心流勇武館事務局に郵送する。入場できなくても焼香などはできるようにしたいという。問い合わせは井上さん=電042(581)3957。
 敵味方に関わらず、また巻き込まれた市井の人も含めてすべての戦没者を供養するというスタンスに共感できます。

グッズ
戦国武将フレグランスに新作『大谷吉継』『織田信長』・・・そして幕末志士『土方歳三』『沖田総司』が女性向け歴史雑貨ブランド「れもん-歴紋-」より、primaniacs各店にて発売開始!
人気の戦国武将フレグランスに新たに『大谷吉継』『織田信長』が、そしてさらに幕末志士フレグランスとして『土方歳三』『沖田総司』が参戦です。 「歴史に恋をする」をテーマに、戦国武将をモチーフにしたアイテムを提供しつづけている「れもん-歴紋-」の新商品が2月3日よりprimaniacs銀座本店・原宿店にて発売開始です。
人気の戦国武将フレグランスに新たに『大谷吉継』『織田信長』が、そしてさらに幕末志士フレグランスとして『土方歳三』『沖田総司』が参戦です。

「歴史に恋をする」をテーマに、戦国武将をモチーフにしたアイテムを提供しつづけている「れもん-歴紋-」の新商品が2月3日よりprimaniacs銀座本店・原宿店にて発売開始です。
20~30代の女性をターゲットにした、これまでの「れもん」商品と同じく女性目線を強く意識し、「戦国武将フレグランス」からは『伊達政宗』『真田幸村』『石田三成』が発売されています。
primaniacs店内ではフレグランスのテスターが常備されており、香りをお試しいただくことができます。
なおprimaniacsオンラインショップでも商品の購入が可能です。
れもん HP:http://re-mon.com/
primaniacs オンラインショップ:http://shop.primaniacs.com/


【商品概要】
商品ページ:http://primaniacs.com/fragrance_sengoku_2nd/index.html
商品名:primaniacs 戦国武将・幕末志士フレグランス
発売日 : 2017年2月3日より、primaniacs銀座本店・原宿店にて販売開始(オンラインショップでは2月25日以降お届け)
内容量 : 30ml
希望小売価格 : ¥5417(税抜)

【primaniacsとは】
アニメ、コミック、ゲーム、歴史、文学などサブカルチャーにフォーカスしたコンセプトショップ。
20~30代の女性をターゲットに、フレグランス、アクセサリーなどのファッション雑貨を展開。
人気アニメ「おそ松さん」のキャラクターをイメージしたフレグランスが大反響を呼び、日本の香水市場でも異例となる2万本を製造した。
WEBサイト:http://primaniacs.com

【本件に関するお問合わせ先】
株式会社まさめや
土方歳三の香りは
硬質な静けさと強さ 冷たい北の海に広がる紺碧の輝き。

ハーバル調の冷たさとフゼアの色気が混じりあった、力強くも静けさのある香り。
しっとりと広がるマリンのウォータリー感とは裏腹に、
ひんやりと落ち着いた雰囲気が印象的。
己の想いと信念を貫き通した土方歳三にふさわしい、芯の強さを感じる香りです。

TOP:Lemon, Lime
MIDDLE:Jasmine , Lavender , Marine, Rose , Cardamom
LAST:Musk, Raspberry, Amber, Vetiver

沖田総司の香りは
純粋な白さと儚さ 春の訪れを告げる鈴蘭の花。

フレッシュさの中に甘さを潜ませたグリーンフローラルの、ピュアでイノセントな香り。
ほろ苦いグリーン系の香りから、徐々にほのかな甘みが漂い、野に咲く花々を想わせる 香りに変わります。
沖田総司の純粋な人柄と、志半ばで病に倒れた儚さを感じる、透明感のある香りです。

TOP:Green Tea, Lemon
MIDDLE:Jasmine, Muguet, Basil, Rose, Gardenia
LAST:Musk, Amber, Raspberry, Sandalwood
 どちらも好きな系統かも。どこかで試しに嗅いでみたいです。


息抜きに『幕末グルメ ブシメシ!』を見て楽しんでいるこの頃です。殿様の御膳に鰺の干物が上がることはないはず、とか、史実に照らすといろいろ言いたくなる気持ちを抑えて、フィクションとして楽しむようにしています。

京都ほか全国各地
京都市、大政奉還150周年記念プロジェクト「幕末維新スタンプラリー」を年末まで実施コンプリートの賞品は「二条城二の丸御殿大広間」で記念撮影
 京都市は2017年に大政奉還150周年を迎えるにあたり、「大政奉還150周年記念プロジェクト」の一環として、「幕末維新スタンプラリー」を12月31日まで実施する。これは京都市を含めた全国21都市の幕末維新ゆかりの観光資源、22カ所を巡るスタンプラリーで、「全制覇特別賞」として徳川慶喜が大政奉還を諮問した「二条城二の丸御殿大広間」での記念撮影ができるほか、スタンプ数によって抽選で旅行券などの賞品が用意されている。

大政奉還150周年記念プロジェクト「幕末維新スタンプラリー」
実施期間:2017年1月22日~12月31日
賞品:「全制覇特別賞」徳川慶喜が大政奉還を諮問した「二条城二の丸御殿大広間」で記念撮影、「名人コース」(7スタンプ以上)旅行券5万円分を1名、「達人コース」(5スタンプ以上)旅行券1万円分を3名、「手習いコース」(3スタンプ以上)旅行券3000円分を20名 ※5月以降「名産品コース」などが新設される予定
Webサイト:大政奉還150周年記念プロジェクト「幕末維新スタンプラリー」

スタンプ設置施設
福島県会津若松市:会津若松城(鶴ヶ城)
東京都千代田区:日比谷図書文化館
東京都品川区:品川区立品川歴史館
東京都調布市:調布市郷土博物館
東京都日野市:日野市立新選組のふるさと歴史館
長野県上田市:上田市立博物館
静岡県静岡市:静岡市文化財資料館
福井県福井市:福井市立郷土歴史博物館
三重県桑名市:桑名市博物館
和歌山県和歌山市:わかやま歴史館
岡山県高梁市:備中松山城
広島県福山市:福山城博物館
山口県萩市:萩・世界遺産ビジターセンター(1月22日~2月12日)/萩博物館(2月13日~3月3日)/萩・明倫学舎(3月4日)
山口県下関市:下関市立歴史博物館
愛媛県宇和島市:宇和島市立伊達博物館
高知県高知市:高知市立龍馬の生まれたまち記念館
長崎県長崎市:長崎市亀山社中記念館
熊本県熊本市:熊本市田原坂西南戦争資料館
鹿児島県霧島市:塩浸温泉龍馬公園
鹿児島県鹿児島市:鹿児島市維新ふるさと館
京都府京都市:元離宮二条城
京都府京都市:幕末維新ミュージアム 霊山歴史館

 スタンプラリーの台紙付きの「幕末維新ガイドブック」は5万部が用意され、スタンプ設置などで配布される。また、大政奉還150周年プロジェクトのWebサイトからPDFを入手して印刷もできる。

静岡県
「下田幕末開港」通史に ペリー来航など 市教委
 下田市教委はこのほど、「下田市史別編幕末開港」を刊行した。記述式の通史は初めて。編さん委員会の原秀三郎委員長(静岡大名誉教授)は「下田市史の目玉中の目玉は幕末開港。1854年の開港から59年の鎖港まで、下田が世界史の舞台に躍り出た6年間を中心にまとめた」と話す。
 編さん委員会は1978年に発足し、これまで資料編6巻と図説2巻を発行したが、幕末開港を通史編として独立させた。三島市出身で国立歴史民俗博物館の樋口雄彦教授が執筆を担当。資料編を基に、約2年間かけてまとめたという。
 A5判の本文355ページ。カラー写真10点、白黒写真110点、図表10点を挿入した。序章と1~6章、終章の構成でペリー来航や吉田松陰の密航未遂事件、ハリスの駐在と通商条約、唐人お吉などの開国史を詳述。下田奉行所を掘り下げ、「役人関係を具体的に明らかにした」といい、突如現れた“異人”と民衆の交流も一つの章として取り上げた。
 500部発行し、1部3800円で販売している。問い合わせは下田市教委生涯学習課<電0558(23)5055>へ。

北海道
「北海道」名付け親の業績発信へ幕末の探検家・松浦武四郎
 幕末に北海道を調査しアイヌ民族の姿を伝え、「北海道」の名付け親となった三重県松阪市出身の探検家、松浦武四郎(1818~88年)の業績を全国に発信しようと、北海道と三重県が連携することが17日、決まった。高橋はるみ北海道知事が津市を訪れ、鈴木英敬三重県知事と合意した。

 2018年は北海道命名から150年目。道は記念事業の一つとして、松阪市に保存されている調査記録や出版物などの展示会を北海道で開催するほか、テレビドラマなどを通じて全国に武四郎の業績を伝えたいとしている。

 松浦は1845年から6回にわたり北方領土や樺太まで探検、多数の旅行記を出版した。

福井
橋本左内の足跡を紹介 福井市郷土歴史博物館で企画展
 福井市郷土歴史博物館で二十五日、幕末の福井藩士・橋本左内を紹介する企画展が始まった。昨年十一月にポプラ社から発刊された「コミック版 日本の歴史54 幕末維新人物伝 橋本左内」の一部を、関係資料とともにパネルで展示。誕生から刑死までを漫画と資料で分かりやすく紹介している。三月二十一日まで。

 初公開の資料として、福井市出身の日本画家島田墨仙(ぼくせん)の「橋本左内像」を展示した。左内の没後五十年を機に市が立像の制作を計画した際、描いたとみられる下絵の一つ。一昨年秋にネットオークションで有志が落札し、同館に昨年、寄贈した。

 担当学芸員の藤川明宏さんは「立志式の時期に合わせて開催したので、若い人にぜひ見てほしい」と話していた。

 (藤共生)

京都
新撰組ゆかりの寺で開幕、京都冬観光
今年で51回目を迎えるJR西日本による京都デスティネーションキャンペーン『京の冬の旅』。その開催にあたり1月13日、冬晴れのなか「壬生寺」(京都市中京区)でオープニングイベントがおこなわれた。

毎年恒例となった京都市、JR、京都市観光協会の共同により実施されるこの観光キャンペーン。今年のテーマは「大政奉還150年記念」で、幕末ゆかりの寺院を中心に、14カ所で普段は見ることができない庭園や仏像、襖絵、建築など様々な文化財が期間限定で特別公開される。

新撰組ゆかりの寺院でもあり、今回、本堂と狂言堂が特別公開となる「壬生寺」で主催者らが挨拶。門川大作京都市長は、地蔵盆をおこなう壬生寺の歴史や地域社会との関わりに触れながら「暮らしのなかの文化を大事にしてきた京都において、(キャンペーンが)京都観光の大きな役割を果たしてくれると思う」と期待を込めた。また、京都市観光協会の柏原康夫会長は「長い歴史ある京都は訪れるたびに、毎年毎年新しい発見がある。京都の文化財産を大切に守りながら今後も世界中に伝えていきたい」と決意を新たにした。

キャンペーンは3月20日まで。期間中は食を交えた特別コースを運行する観光バスが登場するほか、京の伝統工芸体験ワークショップやウォーキングツアーなどのイベントも企画されている。詳細は公式サイトにて。
年末から坂本龍馬の暗殺前5日の書状発見のニュースを取り上げましたが、それ以外のニュースを拾います。

大政奉還150年ラリー 21都市きょうスタート
 江戸幕府が朝廷に政権を返上した大政奉還(1867年)から今年で150年となるのを記念し、京都市など幕末維新にゆかりのある全国の都市が22日から、歴史の舞台となった名所を巡るスタンプラリーを実施する。12月31日まで。

 参加するのは、多くの維新志士を生んだ山口県萩市や鹿児島市、戊辰ぼしん戦争の激戦地だった福島県会津若松市など21都市。スタンプの意匠は、「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」が坂本龍馬、「静岡市文化財資料館」は江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜。京都市では「二条城」(中京区)が二条城唐門、「霊山歴史館」(東山区)は新選組の「誠」の旗となっている。

 台紙があるガイドブック=写真=は、スタンプの設置場所で配布される。スタンプをすべてそろえると大政奉還の舞台となった二条城二の丸御殿大広間で記念撮影ができるほか、集めた数に応じて旅行券が抽選で当たる。問い合わせは市文化芸術企画課(075・366・0033)。
京都
大政奉還150年、ゆかりの地でスタンプラリー 22日から
 大政奉還(1867年)から今年で150年となるのに合わせ、ゆかりの深い京都市や福島県会津若松市、山口県萩市など21市区が、活躍した先人らを模したスタンプを集めるイベント「幕末維新スタンプラリー」を22日に始める。参加者が観光を楽しめるよう、台帳付きのガイドブックで各地の歴史的な舞台や博物館を紹介する。

 江戸幕府15代将軍の徳川慶喜が朝廷に政権を返上した大政奉還の舞台となった二条城(中京区)がある京都市が呼び掛け、22日から約1年間、各地で関連事業が予定されている。

 スタンプは22種あり、各地の博物館や歴史館で押せる。デザインは高知市の坂本龍馬や、鹿児島市の西郷隆盛ら明治維新の立役者の顔が多いが、会津藩主で京都守護職の松平容保が治めた会津若松市は「藩主の顔を使うのはおそれ多い」と藩の旗印にした。京都市内では二条城で「唐門」、霊山歴史館(東山区)で新選組旗印「誠」の2種を押せる。

 スタンプ台帳付きのガイドブックはA5判24ページで5万部を作成。京都市内では22日から、両施設などで無料配布する。市文化芸術企画課は「佐幕派や倒幕派というかつての敵対関係にとらわれず、幕末・維新を切り口に、都市の連携で地方が元気になる取り組みにしたい」としている。
新撰組ゆかりの寺で開幕、京都冬観光
今年で51回目を迎えるJR西日本による京都デスティネーションキャンペーン『京の冬の旅』。その開催にあたり1月13日、冬晴れのなか「壬生寺」(京都市中京区)でオープニングイベントがおこなわれた。

毎年恒例となった京都市、JR、京都市観光協会の共同により実施されるこの観光キャンペーン。今年のテーマは「大政奉還150年記念」で、幕末ゆかりの寺院を中心に、14カ所で普段は見ることができない庭園や仏像、襖絵、建築など様々な文化財が期間限定で特別公開される。

新撰組ゆかりの寺院でもあり、今回、本堂と狂言堂が特別公開となる「壬生寺」で主催者らが挨拶。門川大作京都市長は、地蔵盆をおこなう壬生寺の歴史や地域社会との関わりに触れながら「暮らしのなかの文化を大事にしてきた京都において、(キャンペーンが)京都観光の大きな役割を果たしてくれると思う」と期待を込めた。また、京都市観光協会の柏原康夫会長は「長い歴史ある京都は訪れるたびに、毎年毎年新しい発見がある。京都の文化財産を大切に守りながら今後も世界中に伝えていきたい」と決意を新たにした。

キャンペーンは3月20日まで。期間中は食を交えた特別コースを運行する観光バスが登場するほか、京の伝統工芸体験ワークショップやウォーキングツアーなどのイベントも企画されている。詳細は公式サイトにて。

取材・文・写真/ヤマザキムツミ
和歌山
幕末維新巡り 和歌山市もスタンプラリー
慶応3年(1867)の大政奉還から150周年の節目を迎えるのを記念し、京都市を中心に、幕末維新に活躍した先人とゆかりを持つ都市が相互に交流や連携を図る「大政奉還150周年記念プロジェクト」の第1弾となる「幕末維新スタンプラリー」が22日に始まる。和歌山市を含む参画21都市をPRし、観光誘客を図る。

スタンプラリー台紙付きの「幕末維新ガイドブック」は5万部を発行。和歌山市は、わかやま歴史館2階に500部を設置し、同市のシンボルである和歌山城のスタンプを押すことができる。

ガイドブックはA5判カラー、24㌻。大政奉還についての解説をはじめ、黒船来航から戊辰戦争に至る幕末維新の歴史、参画都市の幕末維新関連史跡やミュージアムの紹介などを掲載。同プロジェクトの公式ホームページ(http://www.taiseihokan150.jp/)からダウンロードもできる。

和歌山市以外の各地のスタンプは、高知市が坂本龍馬、鹿児島市が西郷隆盛、下関市が高杉晋作など幕末維新で活躍した人物をはじめ、長崎市は亀山社中記念館、京都市は新選組の「誠」の旗、千代田区は江戸城、高梁市は備中松山城などとなっている。

集めたスタンプの数に応じて、最高5万円分の旅行券などが当たるプレゼント企画もある。また、全制覇すると特別賞として、徳川慶喜が大政奉還を諮問した「二条城二の丸御殿大広間」で記念撮影ができる。

和歌山市政策調整課は「京都市以外の近畿での参画は和歌山市のみなので、多くの方にスタンプラリーを契機に訪問していただきたい」と話している。
静岡
下田の歴史紹介 「幕末開港」刊行
◆来月5日、記念講演会

 幕末の開港の歴史を紹介した下田市史別編「幕末開港」が刊行された。ペリー来航などで知られる幕末の下田にスポットを当てた通史の市史は初めてで、資料編(6巻)、図説(2巻)に次いで通算9冊目となる。

 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の樋口雄彦たけひこ教授(日本近代史・幕末維新史)が、資料編や独自の研究をもとに2年がかりで執筆した。

 1854年の日米和親条約の締結から60年の下田奉行所の廃止までの6年間を中心に、ペリー率いる黒船の来航、下田に往来した勝海舟や吉田松陰、上陸した外国人と日本人との交流、唐人お吉をめぐる論争などについて、写真や図表をふんだんに使って、分かりやすくまとめた。

 また、下田を含めた南伊豆の地域的視点から、南伊豆出身で、新撰組に加わった加納通広などゆかりの人物も紹介した。下田市史編さん委員会の原秀三郎委員長(静岡大名誉教授)は、「高齢者にも読みやすく、親しみやすい本になるようにしたので、座右の書として置いてほしい」と話した。

 A5判、355ページで500部発行、3800円(税込み)。2月5日午後1時半から下田市民文化会館で刊行記念講演会が開かれ、樋口教授が「幕末開港と下田奉行所の幕臣たち」をテーマに講演する。入場無料。購入などの問い合わせは、下田市教育委員会生涯学習課(0558・23・5055)へ。

コラム
あんパンはなぜ売れ続ける? 意外と知らない「ロングセラー菓子パン」のトリビア
わたしは「あんパン」をよく食べます。そのまま食べるのもおいしいですが、マーガリンを塗って食べるのも好きです。バターではいけません。乳臭すぎるからです。つぶあんマーガリンは日本人が誇れるすばらしい食文化だと思います。

マイ・フェイバリット・あんパンは、「高級つぶあん栗入り」(山崎製パン株式会社)です。マーケットやコンビニに行けば100円前後で買えます。わたしは「高級つぶあん栗入り」にマーガリンを塗りながら食べます。最高の組み合わせです。お試しください。

あんパン誕生前夜

あんパンは明治時代に発明されたものです。すでに江戸時代には「まんじゅう」がありましたが、新元号「明治」に変わった直後の日本人に「あんぱん」を受け入れてもらうためには苦労があったようです。おなじ「小麦生地であんこを包んだ食べ物」なのに、なぜでしょうか?

理由は「パンの風味」でした。『その時歴史が動いた26』(KTC中央出版・刊)所収の「明治天皇あんパンを食す/リストラ武士・木村安兵衛の挑戦」によれば、当時はパン発酵のために「ビール酵母」を使っていたので、仕上がりは硬くて酸っぱかったそうです。

あんパンは武士が作った

「まんじゅう生地」をヒントにして、日本人好みのパンを作ることを思いついたのは、木村安兵衛(きむら・やすべえ)という士族でした。あんパンで有名な「木村屋總本店(文英堂)」の創業者です。もともと武士だった木村安兵衛は、1869年(明治2年)の版籍奉還が実施されるのを知って、いままでの封建制度に見切りをつけて、東京の新橋にパン屋を開業しています。

歴史年表に照らし合わせれば、江戸城無血開城の1年後であり、なんと戊辰戦争の末期ごろです。木村安兵衛がパン屋を開業したのは、明治2年3月。箱館の五稜郭防衛戦で土方歳三が戦死したのは、同年5月。封建社会に属していた武士ふたりの運命が大きく分かれた瞬間です。

当時の酸っぱくて硬いパンを改良するために、安兵衛は「ビール酵母」ではなく「日本酒の酵母(酒種)」を使うことにしました。つまり「酒まんじゅう」の応用です。その後「あんこ」をパンに詰めるという発想の元にもなりました。

パンは健康食品だった!?

明治期にあんパンが普及した理由としては「栄養価」と「画期的なマーケティング」を挙げられます。まず「栄養」について説明します。

幕末から明治にかけて、東京では「脚気(かっけ)」患者が増えていました。ビタミンB1が欠乏することによって、末梢神経障害や心不全を発症します。明治期には、「脚気衝心」による年間2万人の死者が記録されています。

ビタミンB1欠乏症である脚気に「パン食が効果的である」と説いたのは、明治時代に来日していたドイツ人医師ホフマンでした。パンの材料である小麦粉の胚芽には、鉄分や食物繊維やビタミンB1などが多く含まれるからです。脚気を改善したり予防したい人々が買い求めることで、木村安兵衛のパン屋は繁盛しました。

究極の販売促進マーケティング「皇室御用達」

明治時代といえば「文明開化」というキーワードが挙げられます。しかし、元号が「明治」になったからといって、日本人全員がすぐに西洋文明を受け入れたわけではありませんでした。

「あんパン史観」を採用するならば、真の文明開化は明治8年と言えるかもしれません。この年に「新政府側」と「旧幕府側」による歴史的和解がおこなわれたからです。その席上には「あんパン」がありました。

『あんぱんはなぜ売れ続けるのか』(井上昭正・著/清流出版・刊)は、すぐれたマーケティング事例を解説したビジネス書です。一例として「木村屋總本店の桜あんぱん」の歴史が紹介されています。

1875年(明治8年)に、明治天皇と皇后両陛下による花見行幸がおこなわれました。桜が咲きほこる隅田川へ向かう途中に、一行は「旧・水戸徳川藩邸」に立ち寄りました。

行幸を出迎えたのは徳川昭武(とくがわ・あきたけ)でした。十五代将軍・徳川慶喜の実弟です。慶喜は、水戸藩の第9代藩主である徳川斉昭の実子です。水戸徳川家から一橋家に養子に出たあと、将軍になっています。

つまり、明治8年4月4日の花見行幸のために旧・水戸徳川藩邸へ立ち寄ったのは、新時代を象徴する明治天皇が、旧時代を象徴する一族の住まいをおとずれるという歴史的イベントだったのです。


その席上に、木村安兵衛の作った「桜あんぱん」が献上されました。あんパンも新時代を象徴するものでした。

こうして「桜あんぱん」は、水戸屋敷に届けられ、明治天皇のお気に召し、ことのほか皇后陛下(昭憲皇太后)のお口にあったと、大変喜ばれました。
そして「引き続き納めるように」という両陛下のお言葉があり、宮中御用達に加わることになったのです。

(『あんぱんはなぜ売れ続けるのか』から引用)

天皇陛下や皇后陛下が「おいしい」と言ったことは、またたくまに全国へと伝わりました。「文明開化の味」として、あんパンは日本中に広まったというわけです。

(文:忌川タツヤ)
発見資料としては超一級だと思います。

福井新聞(東洋経済オンライン)
発見された坂本龍馬書状に暗殺の黒幕示唆か朱書きの付箋を貼り極秘扱いに
 幕末の志士坂本龍馬が1867年、京都で暗殺される5日前に、福井藩重臣の中根雪江(せっこう)に宛てた直筆の書状が見つかった。高知県が13日に発表した。

龍馬の書状は折りたたまれ、封紙に入った状態で見つかった。封紙には「坂本先生遭難(暗殺)直前ノ書状ニテ他見ヲ憚(はばか)ルモノ也」と朱書きの付箋が貼られ、“トップシークレット”の扱いになっていた。

付箋をいつ、だれが書いたのかは不明だが、福井市立郷土歴史博物館の角鹿尚計館長は中根雪江の書体に似ているという。もし中根だとすると「暗殺の黒幕を示唆する史料となるかもしれない」と話す。

付箋が貼られた理由は?


龍馬暗殺の実行犯は京都警護に当たっていた見廻(みまわり)組説が有力だが、黒幕は幕府説、薩摩藩説、土佐藩説、紀州藩説などがあり謎となっている。

角鹿館長が書状で注目するのは、龍馬が幕臣永井玄蕃(げんば)(尚志(なおゆき))と明日(11月11日)に会う予定で、中根に同行してほしいと記している点。永井は徳川慶喜の側近で大政奉還を推進した。龍馬は幕府側の実力者として永井を頼り、度々面談。暗殺前日にも会っていた。幕府上層部が暗殺に関与したとみる角鹿館長は「中根は永井周辺が指示したと考え、暗殺直前の手紙に自分の名前が書かれていることから嫌疑が及ぶことを恐れ、封印したのでは」と推測する。

一方、京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「中根は三岡八郎の新政府への出仕に非協力的だったため、三岡に手紙が見られると具合が悪いと思い付箋をしたのでは」と話している。

坂本龍馬、福井藩を頼る書状発見 暗殺5日前、由利公正の出仕懇願(2017年1月13日午後5時55分)
 幕末の志士坂本龍馬が1867年、京都で暗殺される5日前に、福井藩重臣の中根雪江(せっこう)に宛てた直筆の書状が見つかった。高知県が13日に発表した。大政奉還後の新政府樹立に向け奔走する中、財政手腕を高く評価していた同藩士三岡八郎(後の由利公正)を一日も早く出仕させるよう、「新国家」という言葉を使いながら懇願した内容。専門家は「龍馬の活躍や幕末における福井藩の役割の大きさが分かり、幕末史や龍馬研究の進展が期待できる重要な史料」と評価している。

 書状は縦約16センチ、横約92センチの和紙に毛筆書き。書状を包んでいた封紙に龍馬が偽名として使った「才谷楳太郎」と記され、本文中は「龍馬」の書名があった。

 140点以上あるとされる龍馬の書状の中で、「新国家」という言葉が確認されたのは初めて。

 日付は11月10日。10月14日の徳川慶喜による朝廷への大政奉還を受けて、坂本や土佐藩重臣の後藤象二郎らは朝廷中心の新政府樹立に向けた活動を活発化させていた。

 こうした中、前福井藩主松平春嶽が11月8日、京都の福井藩邸に到着。書状は同じく上京し同藩邸にいた中根に出され、「(春嶽の)上京は千万の兵を得たような心持ち」とし、中根の尽力に感謝している。

 その一方、福井藩の内部事情で「急を要する」三岡の上京、出仕が進まないため、「三岡の上京が一日先になると、新国家の家計(財政)の成立が一日先になる」とまで記し、中根に三岡の上京を藩として早急に許可するよう訴えている。

 龍馬は新政府に財源がないことを憂い、福井藩の財政再建を成し遂げた三岡を新政府の財政担当者にと構想。10月下旬から福井を訪れ、藩の政治問題に絡んだ処分で幽閉中の三岡と同月30日に面会した。11月5日に京都へ戻り、会談の様子や三岡への高い評価を記した後藤象二郎宛ての「越行の記」を執筆。3年前に草稿が発見され、今回はこれに続く書状とみられる。

 三岡は一月あまり後の12月半ばになって新政府に出仕。太政官札を発行するなど財政責任者として活躍した。

 今回の書状を分析した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「龍馬の他の手紙にはない、『新国家』という言葉が使われているのが貴重。龍馬が死の直前まで新国家建設に専心していた様子をよく示している」と話している。

 書状は昨年8月、東京の企画会社isanaが京都国立博物館に持ち込み、複数の専門家が筆跡などから真筆と判断した。入手経緯やこれまでの保管状況は明らかにしていない。

 今年は龍馬暗殺や大政奉還から150年。書状は高知県で開かれる「志国高知幕末維新博」に合わせ、3月4日から県立高知城歴史博物館(高知市)で一般公開される。


 ■龍馬の書状 読み下し

 一筆啓上差し上げます。

 このたび越前の老侯(松平春嶽)がご上京に成られたことは千万の兵を得たような心持ちでございます。

 先生(中根雪江)にも諸事ご尽力くださったこととお察し申し上げます。

 しかしながら先頃直接申し上げておきました三岡八郎兄の上京、出仕の一件は急を要することと思っておりますので、なにとぞ早々に(福井藩の)ご裁可が下りますよう願い奉ります。三岡兄の上京が一日先になったならば新国家の家計(財政)の成立が一日先になってしまうと考えられます。

 ただ、ここの所にひたすらご尽力をお願いいたします。

 誠恐謹言

 十一月十日 

 龍馬

 中根先生

 左右

 追白 今日永井玄蕃頭方へ尋ねていったのですが御面会はかないませんでした。

 (永井殿と)談じたい天下の議論が数々あり、明日また訪ねたいと考えているところですので、大兄もご同行がかないますならば実に大幸に存じます。

 再拝

■福井藩と坂本龍馬の関係は

>>坂本龍馬の書状、暗殺の黒幕示唆か

>>福井藩、坂本龍馬を「表舞台」導く

>>坂本龍馬、福井藩を頼る書状発見

>>由利と龍馬の関係はドラマチック

福井藩、坂本龍馬を「表舞台」導く 第3極としての存在感背景に
 幕末の志士坂本龍馬が1867年、京都で暗殺される5日前に、福井藩重臣の中根雪江(せっこう)に宛てた直筆の書状が見つかった。高知県が13日に発表した。

 新たに発見された龍馬の書状からは、激動の幕末維新期に福井藩の果たした役割の大きさがみえてくる。その背後に、ともに平和路線を目指した龍馬と福井藩の強い結びつきがあった。

 書状で龍馬は、前福井藩主松平春嶽の上京について「千万の兵を得た」と記した。当時、大政奉還は決まったが、薩長の武力討幕派と幕府側が激しく対立していた。

 福井市立郷土歴史博物館の角鹿尚計館長は「政事総裁職も務めた春嶽の動きを周囲は注目していた。流血を避けたかった龍馬は、中立的で(雄藩連合を主張する)公儀政体派の春嶽の上洛(じょうらく)によって、武力討幕派と幕府を支持する佐幕派が一つにまとまると期待したのだろう」とみる。

 幕末史は討幕と佐幕の2極で語られがちだが、「福井藩のように、平和的に朝廷と幕府の共存共栄を目指した第3極の存在の重要さがよく分かる書状」と角鹿館長。

 一方、こうした動きに呼応した龍馬が、政治の“表舞台”に立つきっかけをつくったのが福井藩だった。

 土佐藩脱藩の年、江戸の福井藩邸で龍馬は春嶽と面会した。通常、一介の浪人が藩主に面会することはありえない。両者を取り持ったとみられるのが、今回の書状の宛名、春嶽の近臣中根雪江(せっこう)だ。角鹿館長は「面会させる人物は中根が吟味していたはず。頭角を表し始めた志士らの情報に、常にアンテナを張っていたのだろう」と推測する。

 勝海舟の門下となった龍馬は1863年、勝の使者として福井へ春嶽を訪ね、海軍操練所建設資金の支援を求めた。これに対して、福井藩は5千両(千両説も)もの大金を工面。龍馬に対しても同年、活動資金として15両が中根から渡された。姉への手紙で龍馬は「一大藩(福井藩)に頼みにされ、金が必要なら10両20両くらいはなんでもない」と記している。

 龍馬は少なくとも2回は福井を訪問。暗殺される約2週間前には、莨屋(たばこや)旅館で三岡八郎と長時間にわたり新政府の富国策を論じあった。「龍馬の歴史舞台の活躍は、福井で始まり、福井行きの旅が最後だった」と角鹿館長。今回の書状を確認した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「中根の存在を含め、龍馬と福井藩との関わりに関する研究が一層進展するはず」と期待していた。

坂本龍馬との関係はドラマチック 由利公正の大河化「題材面白い」(2016年8月1日午前7時20分)
 「幕末明治を福井から描く」をテーマに、時代考証の専門家、ドラマ制作者、地元の歴史家が語り合うシンポジウムが31日、福井市のハピリンで開かれた。激動の中で福井藩主松平春嶽、藩士由利公正らが果たした役割や作り手の視点で見たドラマ性を紹介した。「当時の福井の先進性には現代に通じるテーマがある」と、集まった歴史ファンら約200人に呼び掛けた。

 由利を主人公にしたNHK大河ドラマの実現を目指す福井県と、官民でつくる県誘致推進協議会が企画した。

 鯖江市ゆかりの人形浄瑠璃作家、近松門左衛門を題材にしたドラマ「ちかえもん」を手掛けたNHKドラマ番組部の梶原登城チーフ・ディレクターが、2010年の大河ドラマ「龍馬伝」のシーンを紹介しながら俳優のせりふや動き、カメラワークに込めた意味を解説した。「史実だけでは成り立たないが、事実から外れすぎれば興味を持ってもらえない。そのあんばいが(時代劇の)面白さであり難しさ」と語った。

 主人公としての由利について「(坂本)龍馬との信頼関係はドラマチックで、東京の初代知事を務めて銀座の礎を築いた男でもある。五輪の時期の題材として面白い。1年間を貫く(ドラマの)大きな幹をどうつくるかが大切」とアドバイスした。

 多くの大河ドラマに携わっている時代考証学会長の大石学・東京学芸大副学長は「幕末明治は福井の人材抜きでは描けない。レベルの高い思想が広がった福井や(明治維新後の)日常の平和を築くことに苦心した由利らの姿は、英雄でなくても物語になる」と期待を寄せた。

 福井市立郷土歴史博物館の角鹿尚計館長は「幕末明治は幕府派、倒幕派の両極端で描かれることが多いが、福井はどちらでもなく(朝廷と幕府を一つにする)公武合体を目指した。中間派の視点から明治維新の本当の姿が分かる」と強調した。その上で、大野の内山兄弟や小浜の梅田雲浜ら県内のさまざまな偉人を取り上げることで、物語に厚みが出せると提案した。

毎日
坂本龍馬「新国家」専心 暗殺5日前の書簡発見
 幕末の志士、坂本龍馬が慶応3(1867)年に京都で暗殺される5日前に記した直筆の書簡が見つかった。高知県が13日午後、発表した。約1カ月前に将軍、徳川慶喜が大政奉還したことを受けて福井藩の重臣に宛てた書簡で、文中には「新国家の御家計(財政)」という言葉が使われ、同藩士の新政府の財政担当者への出仕を懇願している。龍馬研究の進展が期待できる一級の史料といえ、研究者は「龍馬が新しい国家の樹立を目指して活動していたことが明確になり、歴史的価値は極めて高い」と評価している。【錦織祐一、最上聡】

福井藩重臣宛て 財政担当者への出仕懇願
 書簡は縦16センチ、横92センチで、11月10日の日付。京都の福井藩邸に滞在していた同藩重臣、中根雪江宛てで、本文中には「龍馬」の署名があった。

 大政奉還を受け、徳川家の親藩だった福井藩の前藩主、松平春嶽の京都入りを「千万の兵を得たる心中」と歓迎。龍馬は同藩士の三岡八郎(後の由利公正)を新政府の財政担当者に推挙していたが、三岡は幕府に強硬な姿勢だったため謹慎処分中だった。そのため、書簡で「三岡兄の御上京が一日先に相成候得ハ新国家の御家計御成立が一日先に相成候(三岡の京都入りが1日遅れれば、新国家の財政成立が1日遅れてしまう)」と訴えている。

 三岡は龍馬暗殺の翌月に京都に入り、新政府の五箇条の御誓文の起草に関わったほか、初期の財政も担当した。

 龍馬の書簡で「新国家」という言葉が確認されたのは初めて。鑑定した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「龍馬が死の直前まで新政府の樹立、新国家の建設に専心していたことをよく示す、貴重な史料だ。龍馬と福井藩との関係の研究も進展する」と話す。

 書簡は、大政奉還と明治維新から150年を記念して高知県が開催する歴史博覧会「志国高知・幕末維新博」のため、全国の史料を調査する中で発見された。どのように保管されていたかや発見の詳しい経緯は明らかになっていない。3月4日から県立高知城歴史博物館(高知市)で公開される。龍馬の書簡は、暗殺される2日前の11月13日の日付で海援隊士だった陸奥宗光に宛てたものが現存では最後とされる。

考え色濃く
 三浦夏樹・高知県立坂本龍馬記念館学芸員の話 「新国家」建設に向け、龍馬が尽力していたことを示すものだ。龍馬の文字の特徴は出ているが、数ある書状の中でもきれいで丁寧に書かれており、松平春嶽に見られることも意識したのでは。何よりも国家建設には財政・経済が重要で、その任を担えるのが三岡だという、龍馬の考えが色濃く出ている。

時事通信
暗殺直前の龍馬の手紙新たに発見=「新国家」財政担当の出仕を要請
 土佐藩出身の幕末の志士、坂本龍馬が150年前の1867年に京都で暗殺される直前に書いた書状が新たに見つかったと13日、高知県が発表した。
〔写真特集〕幕末人物帳

 龍馬研究の第一人者である京都国立博物館の宮川禎一上席研究員らが鑑定し、筆跡、内容とも本人のものと判断されたという。暗殺される5日前の日付が記され、福井藩の重役に宛て、同藩士の三岡八郎(後に「五か条の御誓文」を起案した由利公正)を新政府の財政担当として出仕させるよう懇願する文が書かれていた。龍馬はこの直前に福井を訪ね、三岡と会談していた。
 龍馬の他の手紙にはない「新国家」という言葉が使われており、大政奉還を受け、設立が急がれていた新政府の財政問題の解決に龍馬が奔走していたことを裏付ける歴史的価値の高い史料だという。
 3年前にも、龍馬が暗殺される直前に土佐藩の重臣・後藤象二郎に宛てた書状「越行の記」の草稿が見つかっており、三岡を強く推挙することなどが書かれていた。今回の書状はこれに続くものとみられる。
 書状は個人が所蔵し、「他見をはばかるものなり」と書かれた付箋が付いた封紙に折り畳まれて入っていたため、150年も出てこなかったのではないかという。
 書状は3月4日から高知市で開かれる「志国高知 幕末維新博」で公開される。(2017/01/13-13:05)



時代劇チャンネルで「陽炎の辻3」を見ながらアップ中です。

高知
2017年「幕末維新博」へ向け高知城をすす払い 迎春準備整う
 高知城懐徳館で12月26日、年末恒例の「すす払い」が行われた。観光キャンペーン「志国高知 幕末維新博」の開幕などで多くの入場者が予想される2017年に向け、迎春準備が整った。

 高知城管理事務所の職員や土佐観光ガイドボランティア協会のメンバーら約40人が参加し、床や写真パネルを水拭きしたり欄間のほこりを落としたり。天守閣では長さ2メートルほどの唐竹を使って、ほこりやクモの巣を丁寧に取り除いた。

 普段、城内の園庭整備などをしている金子英省(えいせい)さん(67)はこの日は天守閣の掃除を担当し「遠くからお客さまが大勢来てくれるき、きれいにしとかんとね」と念入りに竹を揺すっていた。

 2016年の懐徳館の入場者は2015年より約7100人多い約27万2100人。2017年は3月に幕末維新博が開幕し高知県立高知城歴史博物館も開館することもあり、より多くの人でにぎわいそう。

 懐徳館は12月26~31日は休館し、元日は無料で特別開館する。

幕末の世情克明に 高知市の男性が真覚寺日記を現代文で紹介
 土佐観光ガイドボランティア協会顧問で高知市の秦史談会長の岩崎義郎さん(89)=高知市薊野北町3丁目=が、現存する幕末期の日記の記述を丁寧に紹介した「安政地震と幕末の世相」(リーブル出版)を出版した。安政地震の揺れや津波の様子が克明に描かれているほか、当時の世情も分かる記録本に仕上がっている。

 土佐市宇佐町にある真覚寺の住職、井上静照(じょうしょう)が1854(安政元)年から68(明治元)年にかけて記した「真覚寺日記」。住職が高知城下や宇佐で見たこと、聞いたうわさ話などが記録されている。...
 ここから先は有料で購読となります。

アート
幕末の天才絵師・暁斎の海外コレクション作品を一挙公開!
幕末から明治にかけて活躍した絵師・河鍋暁斎(かわなべきょうさい)。圧倒的な画力と独特のユーモアセンスで、幅広い題材を自由に描き分けた天才絵師の作品を、世界屈指の暁斎コレクションによって紹介する展覧会がやってくる。その多彩な技に注目を!

◆世界屈指の暁斎コレクション!あらゆる技法を駆使して自在に描き分けた作品がずらり

2017年2月23日(木)から2017年4月16日(日)まで、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力」展が開催される。

幕末から明治にかけて活躍した天才絵師・河鍋暁斎。幼い頃から歌川国芳に浮世絵を学び、狩野派の修行を終えたのが19歳だというから驚きの早熟ぶり。その後は、流派にとらわれないさまざまな画法を駆使して、仏画から戯画まで幅広いテーマを描き分けたそう。

そんな暁斎の絵を35年以上に渡って集め、世界屈指の暁斎コレクションで知られるイギリス在住の画商イスラエル・ゴールドマン氏が所蔵する作品を一挙公開。

暁斎といえば、明治時代を代表する西洋建築の「鹿鳴館」などを設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルが弟子入りしていたり、当時さかんに行われた国内外の博覧会に出品したりと、世界に画力を認められた日本人絵師のひとり。

躍動感あふれる動物画、ユーモラスな妖怪画、荘厳さ漂う宗教画など、一気に仕上げたような大胆な筆づかいから緻密で繊細な表現まで、あらゆる技で描き分けた作品群は見どころたっぷり。

この機会に、天才絵師のバラエティ豊かな作品をお見逃しなく。

問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
東京都渋谷区道玄坂2-24-1 Bunkamura ザ・ミュージアム
アクセス:JR線「渋谷駅」ハチ公口より徒歩7分、東京メトロ銀座線、京王井の頭線「渋谷駅」より徒歩7分、東急東横線ほか「渋谷駅」3a出口より徒歩5分
※渋谷駅・宮益坂口より無料シャトルバスあり

開催期間:2017年2月23日(木)~4月16日(日)
 ※会期中無休
開館時間:10:00~19:00(入館は18:30まで)
 ※毎週金・土曜~21:00(入館は20:30まで)
入館料:一般1400円、大学・高校生1000円、中学・小学生700円


コラム
幕末の力士が参戦した、日本初の「異種格闘技戦」とは?
年末がやってきました。大晦日には「紅白」を観ますか? それとも「RIZIN」を観ますか? いつの日からか日本では大晦日に格闘技が行われ、テレビでも観られるようになりました。ちなみに「RIZIN」は今年で2回目。ミルコ・クロコップやキング・モーなどの有名選手も参加します。そんなわけで、今回は格闘技のお話をご紹介します。

幕末の力士が参戦した、日本初の「異種格闘技戦」とは?

世界のあらゆる国にある「格闘技」。
アメリカならプロレス。韓国ならテコンドー。そして日本はなんといっても相撲です。
国によってルールはさまざまですが、その枠を超えて「誰が強いのか」を純粋に争うのが「異種格闘技戦」。
実はこの異種格闘技戦が日本で初めて行われたのは、江戸時代。幕末のことなんです。

きっかけは、あのペリー来航。
アメリカの東インド艦隊が浦賀に来航した際、幕府は日本の威厳を示すため、江戸の力士たち30人を集め、贈り物の米二百俵を運ばせたのです。
そのとき、アメリカの格闘たちとの異種格闘技戦が行われたと記録されています。

参戦したのは、江戸末期に活躍した力士、小柳常吉。
背は170cmと小柄なものの、体重は150kgとなかなかの体格。
対するアメリカの選手は、レスリングのウィリアムスとブライアン、そしてボクシングのチャンピオンであるキャノンの3人!
小柳は「1人2人は面倒だ。3人いっぺんに来い」と、なんと3対1の勝負を受けて立ったのです。
キャノンの鋭い右ストレートをかわし、小手投げではたきこむ小柳。
するとすかさず2人がかりでタックルをかますウィリアムスとブライアン。
しかし小柳はひるまず、ブライアンを脇に抱え込み、ウィリアムスを足払いで倒した後、ベルトをつかんでつるし上げます。
脚の下には、はたきこんだキャノンの無惨な姿が。
まさに完全勝利! 小柳の強さに、その場にいたすべてのアメリカ人が震え上がったとか。

この様子は、日本の見聞録「黒船談義」に書かれているもの。
ですが、アメリカの「日本遠征日記」にはこの事実は全く載っていません。
あまりの完敗っぷりを、ペリーが公にしたくなかったのかもしれませんね。

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎週月~木曜にお送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は、12月26日放送「日本初の、異種格闘技戦!!」よりお届けしました。
2003年の暮れから大河ドラマ『新選組!』と幕末関係のブログとして始まって、かれこれ13年。幕末ニュースは見落としもあるかも知れませんが、月1回程度、史実や史跡を中心に拾っています。

東京
幕末の天才絵師・暁斎の海外コレクション作品を一挙公開!
 幕末から明治にかけて活躍した絵師・河鍋暁斎(かわなべきょうさい)。圧倒的な画力と独特のユーモアセンスで、幅広い題材を自由に描き分けた天才絵師の作品を、世界屈指の暁斎コレクションによって紹介する展覧会がやってくる。その多彩な技に注目を!

◆世界屈指の暁斎コレクション!あらゆる技法を駆使して自在に描き分けた作品がずらり

2017年2月23日(木)から2017年4月16日(日)まで、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力」展が開催される。

幕末から明治にかけて活躍した天才絵師・河鍋暁斎。幼い頃から歌川国芳に浮世絵を学び、狩野派の修行を終えたのが19歳だというから驚きの早熟ぶり。その後は、流派にとらわれないさまざまな画法を駆使して、仏画から戯画まで幅広いテーマを描き分けたそう。

そんな暁斎の絵を35年以上に渡って集め、世界屈指の暁斎コレクションで知られるイギリス在住の画商イスラエル・ゴールドマン氏が所蔵する作品を一挙公開。

暁斎といえば、明治時代を代表する西洋建築の「鹿鳴館」などを設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルが弟子入りしていたり、当時さかんに行われた国内外の博覧会に出品したりと、世界に画力を認められた日本人絵師のひとり。

躍動感あふれる動物画、ユーモラスな妖怪画、荘厳さ漂う宗教画など、一気に仕上げたような大胆な筆づかいから緻密で繊細な表現まで、あらゆる技で描き分けた作品群は見どころたっぷり。

この機会に、天才絵師のバラエティ豊かな作品をお見逃しなく。
問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
東京都渋谷区道玄坂2-24-1 Bunkamura ザ・ミュージアム
アクセス:JR線「渋谷駅」ハチ公口より徒歩7分、東京メトロ銀座線、京王井の頭線「渋谷駅」より徒歩7分、東急東横線ほか「渋谷駅」3a出口より徒歩5分
※渋谷駅・宮益坂口より無料シャトルバスあり

開催期間:2017年2月23日(木)~4月16日(日)
 ※会期中無休
開館時間:10:00~19:00(入館は18:30まで)
 ※毎週金・土曜~21:00(入館は20:30まで)
入館料:一般1400円、大学・高校生1000円、中学・小学生700円

高知
自衛隊が高知城を初清掃 幕末維新博に先立ち高知県が依頼
 高知城の石垣や堀など清掃が行き届きにくい場所をきれいにしようと12月19日午前、陸上自衛隊高知駐屯地第50普通科連隊(高知県香南市香我美町)がボートなどを使って清掃した。

 2017年3月に開幕する「志国高知 幕末維新博」に先立ち、高知県が依頼した。陸上自衛隊高知駐屯地第50普通科連隊が駐屯地以外で清掃活動を行うのは初めてで、レンジャー資格を持つ隊員約70人が参加した。

 午前8時すぎから迷彩服にヘルメット姿の隊員が集まり、高所から下りる時に使う「スタティックロープ」で石垣を下りながら草取り。堀には「偵察用ボート」を浮かべ、水面の落ち葉をすくった。

 紛争地などで使う「軽装甲機動車」や「高機動車」なども自衛隊活動のPR展示用に乗り付けた。道行く観光客もものものしい空気に思わず足を止め携帯電話のカメラでパシャリ。自転車で通勤中のスーツ姿のサラリーマンも“二度見、三度見”していた。

北海道
北の至宝道内の文化財を訪ねて 白老仙台藩陣屋跡 “北辺の防人”の拠点 /北海道
 白老町の国の史跡「白老仙台藩陣屋跡」は今から160年前、外国からの侵略に備えて白老から襟裳(えりも)岬、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島に至る沿岸の警備を担った仙台藩が拠点とした元陣屋の遺構だ。幕末から明治維新にかけての激動の時代、“北辺の防人”として異郷の地で任務を果たした藩士たちの苦難に満ちた歴史が刻まれている。【文・写真、坂本智尚】

 仙台藩陣屋は、海岸から約2・5キロ離れた白老川とウトカンベツ川にはさまれた平地に設けられた。海から…
 以下は有料サイトになります。


『真田丸』再放送見ながら、まとめています。前回の信伊叔父上・昌相さま再登場含めた充実したドラマ、今週は堺さんの『あさイチ』出演と、充実しておりました。

北海道
「日本初」幕末の国産ストーブに火入れ 北海道 函館
北海道函館市の資料館で復元された、日本で最初につくられたとされる国産ストーブに火をともす恒例のイベントが行われました。
国産初のストーブは、今から160年前の江戸時代末期に、五稜郭の築城で知られる武田斐三郎が、函館に停泊していたイギリス船のストーブを参考に設計したと言われています。

11月25日は、そのストーブに火がともされた日で、函館市内の資料館では、まず小学生や市民が火打ち石を使って火花を飛ばし、江戸時代の火のつけ方を体験しました。そして、復元された、日本で最初に作られたとされる国産ストーブに資料館の館長が火をともしました。

ストーブは高さおよそ90センチ、直径およそ50センチの筒型で、当時と同じく鋳物で作るなど、忠実に再現されています。参加した人たちはストーブに手をかざしながら幕末の当時に思いをはせていました。

参加した小学生は、「火がぼうぼう燃えていて、とても温かくてすごかったです」と話していました。このストーブは函館市の箱館高田屋嘉兵衛資料館で展示されています。

福島
丹羽家当主ら戊辰戦争語る 『奥州三大名』歴史座談会、福島・二本松
 二本松藩の歴史を広く知ってもらおうと、丹羽家をはじめ、親交のある米沢藩上杉家、盛岡藩南部家の当主らによる歴史座談会が23日までに、二本松市の安達文化ホールで開かれた。震災復興支援事業で市教委の主催。

 「奥州三大名の維新前後」をテーマに、二本松藩丹羽家18代当主丹羽長聰氏、米沢藩上杉家17代当主上杉邦憲氏、盛岡藩南部家46代当主南部利文氏が東北の悲劇となった戊辰戦争などに思いをはせた。

 座談会では、各家の家訓やしつけに関する話題にも及んだ。丹羽氏は二本松を訪れ「殿様だったら愚直であってほしい」と言われたことに触れ「最近はこの言葉が(自分に)合うような気がする。東北の大名には通じるものがあるのでは」などと述べた。

「喜多方」ゆっくり楽しんで 県外サイクリストに向け自転車観光推進
 東京電力福島第1原発事故で離れた観光客を呼び戻そうと、福島県喜多方市は、自転車で訪れた観光客にゆっくりと名所を回ってもらう取り組みを進めている。名物の喜多方ラーメンが全国的な知名度を誇る一方、観光客の滞在時間が短いことが悩み。市は駐輪所やサイクリングコースの地図を作り「自転車でじっくり回り、魅力を体感してほしい」としている。

集客増へ「しまなみ海道」手本

 市によると、訪れる観光客数は原発事故後の平成23年度で157万人と前年度より30万人近く落ち込んだ。27年度は182万人とほぼ震災前に戻ったが、観光関係者には事故で観光客が依然として訪問を敬遠しているとの声もある。

 約110のラーメン店がひしめくが、同市での観光客の平均滞在時間は1日約4時間で、人口規模が近い都市と比べ約1時間短い。鮮やかな水の色を楽しめる五色沼(北塩原村)や、戊辰戦争の舞台となった鶴ケ城(会津若松市)など著名な観光地が近隣市町村にあり、ラーメンを食べた後は市外へ出てしまう観光客が多いとみられる。

 こうした現状を打開するため、市は、起伏のある山間部や高台から景色が楽しめる盆地の特徴を生かして自転車で訪れる観光客を増やそうと考えた。

 愛媛県と広島県をつなぐ瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)での自転車観光モデルに着目し、27年春には専用の駐輪機を市内の観光施設など約50カ所に設置。さらに、サイクリングに適した観光コースをまとめた地図も製作し、県外の自転車関連店舗に配った。

 主に東京や神奈川、埼玉など首都圏からの観光客をターゲットに、秋の紅葉や、レトロな形状で鉄道ファンに人気の一ノ戸川鉄橋も楽しんでもらう考えだ。

 市内の愛好家らでつくる任意団体「サイクルシティ喜多方協議会」もコースの選定などで協力。同団体の会長で、旅館を営む原重範さんは「喜多方を存分に楽しんでもらうきっかけにしたい」と期待をのぞかせた。
(共同通信)

茨城
日記で読み解く幕末~昭和初期 古河市で資料展
 江戸時代末から昭和の初めにかけ、書かれた日記を紹介する資料展「日記の世界」が古河市の市三和資料館で開かれている。約140点の資料から、時代の流れによる、当時の習慣や様子などが分かり、興味深い。12月25日まで。 (原田拓哉)
 江戸時代、日光東街道の宿場町だった市内の諸川地区で、代々組頭を務めていた舘野家の重左衛門の日記には、幕末から明治初期にかけての暮らしぶりが克明に記録されている。天気や奉公人たちの行動など、一年間の出来事を一冊にまとめ、十八年間書きつづった。
 正月の一日はうどん、二日はそばなどを食べ、三が日の食卓に、もちが上らなかった当時の習わしが分かる。また、戊辰戦争の際に、江戸から北上した多くの旧幕府軍の軍勢が諸川宿に宿泊したことも記されている。
 当時の庶民の娯楽だった伊勢参りの様子が分かる「道中記」も展示されている。数人連れで東海道をたどって鎌倉、京都などを巡り、帰路は中山道で善光寺を参拝した。一~三月にかけて五十三日間の長旅だったようだ。
 大正から昭和初期、子どもたちが夏休みの宿題として付けたと思われる「夏季休暇日誌」には、教師が添削した跡が赤字で残っている。女子学生の日記には、夜空に天の川がかかったり、ホタルが舞ったりする様子が描かれている。
 学芸員の小林靖さんは「子どもの日記は、思いのまま自由に書かれていて興味深い。誰でも一度は付けた日記を見直す機会にしてもらいたい」と話している。入場無料。

静岡
女子高生ガイド好評 反射炉の魅力、私の言葉で 伊豆の国
 世界遺産の韮山反射炉をはじめとした伊豆の国市内の史跡で、ベテランガイドに交じって1人の女子高校生がガイドを務め、来場者の注目を集めている。「伊豆の国歴史ガイドの会」に所属する橋塲(はしば)南美さん(18)=韮山高3年=。「全国各地から訪れる観光客に歴史的価値をしっかり伝えたい」と、平均年齢68歳のメンバーの中で奮闘する。
 「想像と違うね、地味だね、と感じるかもしれませんが、すごいものだということをこれから説明します」。10月下旬の日曜日。韮山反射炉で、橋塲さんが30人ほどの団体客を前に声を張り上げて案内を始めた。反射炉を1周しながら、炉の仕組みや時代背景、築造を手掛けた江川太郎左衛門英龍(坦庵)について解説。約15分の案内を終えると、団体客から「聞きやすくて良かったよ」「頑張って」と声を掛けられ、笑みをこぼした。
 ガイドの会に入会したのは4月。進路に悩む中、歴史が好きだったこともあり、ガイドになることを思いついた。必要な知識を身に付け、独り立ちしたのが6月。以降、土日を中心に月2~3日、韮山反射炉や国指定重要文化財「江川邸」、国宝の仏像がある「願成就院」などに立つ。
 韮山地区で生まれ育った橋塲さんにとって、ガイドの経験は近代化の礎になった韮山反射炉など、身近な史跡に対する見方を変えるきっかけになった。年間数十万人もの観光客が訪れる中で、「ガイドの力でどれだけ伊豆の国市を楽しんでもらい、滞在時間を増やせるか」という使命感も生まれた。
 年明けには大学受験を控えるが、年内はガイドを続ける予定。大学に進学しても、定期的に地元に戻り、活動に参加するつもりだ。「伊豆の国歴史ガイドの会」の小松逸夫会長(80)は「評判も良く、大事な戦力。若い視点で活動してくれれば」と期待する。

 <メモ>韮山反射炉のガイド態勢は、平日は「伊豆の国歴史ガイドの会」の会員5人が対応。休日は同会のガイド3人に加え、「伊豆の国外国語ガイドの会」の会員1~2人が常駐する。外国語での案内の要望がない時には日本語でもガイドを行う。外国語ガイドの会には中学生1人、高校生4人が所属し、活動に加わる。

愛知
幕末ネタ帳204冊の解読進む 尾張藩家老の家来が筆
 江戸時代後期、尾張藩の家老の家来が半世紀にわたり藩内外の出来事を個人的に書き留めた「青窓紀聞(せいそうきぶん)」(全204冊)の解読作業が大詰めを迎えている。幕末の動乱からうわさ話まで収録しており、解読に当たる蓬左(ほうさ)文庫(名古屋市)の木村慎平学芸員は「1人でニュースを集め、新聞を作っていたようなもの。当時の世相を知る第一級の史料だ」と話している。

 筆者は、尾張藩の家老を務める大道寺家に文書係として仕えていた水野正信(1805~68年)。青窓紀聞…
 以降は有料記事にて。

三重
伊賀市史通史編「近世」来月発売 江戸期の営み一冊に 藤堂藩治世の暮らしを描く /三重
 伊賀市は「伊賀市史」の通史編で最後に残っていた第2巻「近世」を12月1日に発売する。江戸時代の伊賀の人々の営みを一冊に凝縮した。これで古代から現代までの通史編(1~3巻)と資料編(4~6巻)の計6冊がそろう。未刊は「年表・索引」だけになる。11月中に予約すると通常価格(5000円)より安い4000円で購入できる。【大西康裕】

 通史編の「近世」も他巻と同じA5判。「伊賀市史」の題字も伊賀出身の松尾芭蕉が書いた文書から一文字ず…
 以降は有料記事にて。

兵庫
幕末の儒学者が食したカステラ 生野高生が再現
 幕末の儒学者池田草庵が兵庫県朝来市・生野に滞在した際、振る舞われたとされる「か寿(す)てら(カステラ)」にちなんだ商品開発に生野高校家庭科部が取り組んでいる。当時、カステラは武士や豪商など上流階級だけが享受できた高級品。江戸期の鉱山町の豊かさを物語るエピソードで、生野の歴史に興味を持ってもらう目的もある。

 草庵は同県養父市出身で、1866年3月3~14日、生野に滞在。生野代官は生野銀山町の南隣にあった森垣村の地主・石川家にもてなし役を命じた。

 同家の古文書には、草庵に振る舞った献立が記録されており、草庵は滞在中に2回「か寿てら」を食べている。3月7日夕の献立からは、吸い物と一緒に食べたことがうかがえる。

 6月の料理教室で草庵の好物「とうふめし」を再現した生野公民館が、献立再現の第2弾としてカステラ作りを企画。「生野の歴史の面白さに加え、商品化を通じたビジネスの基本も学んでもらいたかった」と同公民館の田中通代さん。

 当時の作り方までは分からないため、明治時代のカステラ店のレシピも参考に、市内の公民館で菓子作りを教える東育子さん(68)=朝来市和田山町=が製法を考案し、指導。高級品だった砂糖や卵、蜂蜜、小麦粉を混ぜ合わせ、オーブンでふっくら焼き上げる。

 商品は「江戸幕府直轄 生野代官おもてなしシリーズ か寿てら」と名付け、今後イベントなどで販売予定。26日、JR生野駅前で開かれる「生野うめぇもんフェア」にも出品する。2年の女子生徒2人は「生野の歴史を知ってもらうきっかけになれば」と話している。税込み200円。

宮崎
島津発祥まつり武者行列など多彩に きょう都城で /宮崎
 都城の歴史絵巻を思わせる「島津発祥まつり」のパレードが23日、都城市中心部である。市を代表する一大行事。約250人が連なる武者行列のほか、伝統芸能披露など多彩なイベントがある。

 観光協会などで構成する実行委主催。地元の歴史や文化を伝える華やかな「明道館パレード」は、都城島津邸-神柱宮間約1.5キロ…
 以降は有料記事にて。

昨日BS11の「尾上松也の古地図で謎解き」で老中阿部正弘と第36代江川太郎左衛門(英龍、坦庵)と林述斎が取り上げられていました。

第55回 黒船来航~ペリーに立ち向かった3人の武士
今回のテーマは、「黒船来航」

▼ひも解く歴史の謎
①1年前に知っていた「ペリー来航」その時、幕府は・・・
②「江戸湾の砲台」黒船に向けられたものではなかった!?
③ペリーの脅しと対等に渡り合った男とは

今から約160年前、ペリー率いる巨大な蒸気船の艦隊が日本の海に現れました。いわゆる「黒船来航」は、日本を大きく揺るがし、江戸時代の「終わりの始まり」となりました。「突然やってきた」と思われている黒船ですが、実は幕府は来航の情報を1年前にはつかんでいました。事前にペリー来航を知った幕府がとった作戦とは。
2度目の来航に備え、江戸湾に砲台を作り始めた幕府。しかし、それは黒船に向けられたものではありませんでした。砲台の本当の目的とは。
そして、ペリーの強烈な脅しに屈せず、対等に渡り合い交渉をまとめた人物とは?
「黒船」に立ち向かった3人の活躍を、歌舞伎俳優・尾上松也と中村隼人が古地図でひも解きます。

古地図案内人:西川武臣(横浜市開港資料館)

 BSなので視聴率は低いかも知れませんが余り脚色せずに歴史を紹介する番組です。

 坦庵公関連で新聞記事もクリップ。

お台場生みの親「坦庵」PR 伊豆の国の小学生、都内で
 伊豆の国市立韮山小の6年生104人がこのほど、修学旅行先の東京都内で地元を紹介する手作りのパンフレットを配布した。江戸時代の韮山代官江川太郎左衛門英龍(坦庵)が現在の東京都港区に「台場」を築いた縁などをまとめ、韮山を広くPRした。
 児童は総合学習の時間で4月から地域の歴史を学んできた。世界遺産の韮山反射炉や江川英龍などについて調べ、7月にまとめた内容をパンフレットにして韮山反射炉と三島駅で配布。「韮山の宝を全国に広めたい」という思いから修学旅行先での活動を決めた。
 東京の人たちに興味を持ってもらうため、台場と韮山の関係を盛り込んだ内容で新たに製作。韮山にゆかりの深い北条政子も取り上げるなど関心を高める工夫を凝らした。5~6人の班ごとにB4判の紙の両面に説明文や絵などを手書きし、3クラスで計18種類のパンフレットを完成させた。
 配布活動はゆりかもめの台場や新橋など4駅で実施。児童は声を掛けながら駅を行き交う人たちに配り、約30分で用意した660部をほぼ配り終えた。受け取った人たちからは学校に電話やメールがあり、「新しいことを知る機会をくれてありがとう」「自分も高校時代に反射炉と江川英龍をテーマに作品を制作した」などの感想が寄せられたという。
 児童は今後、地元の魅力を直接伝える試みとして、市内の史跡でのボランティアガイドに挑戦する。担当の駒坂俊夫教諭は「活動をきっかけに子どもたちが地元に愛着を持ってくれたら」と話した。

偉人、武将隊姿でパレード 伊豆の国時代まつり
 伊豆の国市の歴史や文化を発信するイベント「伊豆の国時代まつり」(同実行委員会主催、静岡新聞社・静岡放送後援)が6日、同市の韮山時代劇場周辺で開かれた。仮装行列「時代パレード」やステージイベントが繰り広げられ、盛り上がりを見せた。
 パレードには団体や学校などの単位で市内外から約千人が参加。江川太郎左衛門英龍、源頼朝、北条政子などの市ゆかりの偉人や、武将隊、鉄砲隊などに扮(ふん)し、時代順に約850メートルのコースを練り歩いた。江川英龍が普及を図った高島流砲術の研究組織「西洋流火術鉄砲隊保存会」(東京都)など、他県からのゆかりの参加者も加わった。
 ステージでは、市内外の団体が伝統芸能や音楽演奏を披露。特産品などを販売するコーナー「楽市楽座」も設けられ、多くの来場者でにぎわった。
 まつりは市民の一体感や郷土愛を高める目的で2015年に初開催され、今年が2回目。
カレンダー
03 2017/04 05
S M T W T F S
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14
16 17 18 19 20 21
23 24 27 28 29
30
最新コメント
[11/13 白牡丹@管理人]
[11/13 橋本のどか]
[11/13 白牡丹@管理人]
[11/13 橋本のどか]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
[12/31 白牡丹@管理人]
[12/31 本が出たようです]
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
バーコード
Livedoor BlogRoll
本棚
Copyright ©  -- 白牡丹のつぶやき --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Material by White Board

忍者ブログ  /  [PR]