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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
山形
「戊辰」150年の山形/上 悲劇の中老、吉田大八が「奨励」 侍窮乏、天童の駒生む 「コマノミクス」のもとに /山形
 「ギネス世界記録達成です!」--。将棋の同時対局数で世界最多を目指し、天童市で14日に開かれたイベント「二千局盤来」で記録達成が告げられると、参加者や関係者から拍手がわき起こった。

 天童が元気だ。一時、落ち込んでいた将棋駒産業が「ふるさと納税」を生かした振興策で復調し、近年の将棋ブームで追い風も吹く。天童商工会義所などは将棋駒を軸に「コマノミクス」と名付けた地域振興策を展開。縦横6マスの「66将棋」や将棋をモチーフにした新商品などが続々と登場している。この伝統産業は、1868年に始まった戊辰(ぼしん)戦争とも関わりがある。

 江戸時代末期、織田信長の次男・信雄を祖先に持つ織田家が天童を治めていた。天童郷土研究会長の湯村章男…
「戊辰」150年の山形/中 今なお息づく進取の気性 熱意「教育県」の礎に 明治以降、各界に人材輩出 /山形
 「隆盛の精神を残していただいて感謝している。庄内に来るたびに、固い絆に胸が熱くなる」--。西郷隆盛のひ孫、吉太郎さん(71)は9月30日、鶴岡市文化会館での講演で感謝の言葉を述べた。

 1868年に始まった戊辰(ぼしん)戦争で新政府軍と戦った庄内藩に対し、降伏後のきわめて寛大な処分は西郷によるものとされる。以来、庄内藩士が西郷を訪ねるなど絆を深め、西郷の考えや思いを「南洲翁遺訓」にまとめて全国に広めた。庄内藩士が培った精神は脈々と受け継がれ、市教育委員会は2012年発行の冊子「親子で楽しむ庄内論語」を、市内の小学校で入学時に配布している。

 中山町立長崎小学校には10月5日、隆盛の弟・従道の玄孫・真悠子さん(23)の姿があった。同町は西郷…
「戊辰」150年の山形/下 岐路に立つ山形市中心市街地 重層性生かし活性化へ 三島通庸が築いた基本構造 /山形
 山形市霞城町で9月22日、山形城跡「霞城公園」内の国重要文化財「旧済生館本館」の建物見学会が開かれた。1878年に薩摩藩出身の初代県令、三島通庸が山形の近代化を図ろうと、病院として整備した擬洋風建築だ。見学会の講師を務めた歴史研究家、小形利彦さん(71)が「三島県令はこの建物を造るとき、(県内の)各郡で一番良い木を出させた。組み合わせてフロアにしたんですね」と解説すると、参加者から「ほぉー」と感嘆の声が上がった。

 幕末に小規模藩だった山形藩。戊辰(ぼしん)戦争当初は新政府軍に従っていたが、後に東北諸藩とともに新…
 以下は毎日新聞の有料版にて。

福島
武器の差から見る「戊辰戦争」 西軍との圧倒的な戦力差あった
 二本松市戊辰150年事業の二本松戊辰戦争歴史シンポジウムは13日、同市で開かれた。「数学者が見た二本松戦争」の著者渡部由輝さんが基調講演し、兵器の性能を示す数字などを基に二本松における戊辰戦争の模様を解き明かした。

 渡部さんは「二本松戦争では、2時間ほどの戦いで二本松藩は500人の出兵のうち330人以上が戦死した。比べて西軍の戦死者は3000人のうち10人ほどだ」と悲惨な状況を示し、二本松軍と西軍との圧倒的な戦力差はいかんともしがたかったとした。

 武器性能の差を示す事例として渡部さんは、西軍の銃が飛距離で約2倍、1分間の発砲回数でも5倍以上上回っていたと指摘。大砲の砲弾も砲丸のような弾が飛ぶだけの二本松軍に比べ、西軍は着弾後数片に砕け、小銃弾が飛び出すなど殺傷能力が桁違いだったとも語った。

 二本松少年隊について、渡部さんは「主に砲兵隊に配属され、熱を持った砲筒を冷やすため水を掛けるなど補助的な役割を担っていた」と話し、当時使用の有煙火薬により大砲から上がった煙を西軍から狙い撃ちされ、死傷者が出たとした。

 引き続き、「白河・棚倉・三春における戊辰戦争―白河から二本松、それぞれの信義」と題したシンポジウムが行われ、白河市、三春町、二本松市の歴史、文化関係の業務に就く職員、調査審議機関関係者が白河、棚倉、三春、二本松各藩と戊辰戦争との関わりを史実に沿って述べ、討論した。
京都
戊辰戦争勃発時の京都御所 絵が伝える緊迫感と高揚感
 戊辰(ぼしん)戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦いが勃発した慶応4(1868)年正月3日夜の京都御所の様子を描いた絵がみつかり、京都文化博物館(京都市中京区)で展示されている。歴史が転回する緊迫の場面を精細に活写し、専門家によれば、美術的にも資料的にも貴重な作品という。

 作品は、四国・宇和島藩出身で、明治時代に長崎で活動した画家の小波魚青(こなみぎょせい)が描いた「戊辰之役之図(ぼしんのえきのず)」。近代画家の発掘で知られる星野画廊(京都市東山区)の星野桂三社長が入手し、京都大学人文科学研究所の高木博志教授(日本近代史)らと調査し、昨秋に画廊で初公開した。

 縦81・4センチ、横143・2センチの大作。京都御所に公家が参内する公家門=宜秋(ぎしゅう)門=の門前を舞台に、洋式の武装をした宇和島藩の兵士や、頭に白いかぶり物、手に棍棒(こんぼう)を握り、腰に刀を差した本願寺の僧の集団、新政府軍の優勢を伝え聞いてあわてて参内する公家の様子などが描かれる。

 門前には大砲3門が並び、仮小屋の屯所が造営されている。南の方角では、下鳥羽(しもとば)付近の戦闘の炎のためか、空が赤く染まっていく様子や、戦況を知らせる早馬の駆けていく様子も描かれ、見ている者に戦争勃発直後の緊迫感と高揚感が伝わってくる。

 作者の小波魚青は、宇和島藩の砲術指南役の家に生まれた。幕末に京都で四条派の長谷川玉峰(ぎょくほう)に師事して絵を学んでいた際、鳥羽・伏見の戦いが勃発し、現場に居合わせたとみられる。

 星野さんは「戊辰戦争の動向を記録した文書は多いが、そのときの情景を描いた絵画はほとんどない。装束や馬のあぶみまで細かく描き分けられ、四条派に学んだ画家らしく、考証を重ね写実を追究している」と指摘する。

 高木さんによれば、この絵は、明治23(1890)年に東京であった第3回内国勧業博覧会に出品され褒状(ほうじょう)を授与された。前年の明治憲法発布に伴って大赦があり、戊辰戦争で「賊軍」とされた幕府や会津藩、仙台藩などの罪が許された時点で発表されたことになる。「戊辰戦争から20年以上たって、ようやく維新や近い過去の歴史を自由に語ることができるようになったのではないか」

 宇和島藩は幕末、倒幕を推し進める薩摩藩と長州藩に「公議」を無視すると反発しつつ、官軍側として戊辰戦争に参加。だが、維新後は藩閥政府に置き去りにされた。

 高木さんは「維新に乗り遅れながらも、宇和島藩も一貫して勤王の立場で、重要な役割を果たしたと主張する意図も読み取れる。日本に歴史画というジャンルが成立していくなかで、歴史が転回する場面を迫真の描写で描いた優れた歴史画の大作だ」と話す。

 作品は、11月25日まで京都文化博物館(075・222・0888)で開催中の特別展「華ひらく皇室文化―明治宮廷を彩る技と美」で展示される。(久保智祥)

大阪
【維新150年 大阪の痕跡を歩く】くじ引きで選ばれた切腹「堺事件」
 南海堺駅を下り、土居川沿いを堺旧港に向かって歩く。工場だった跡地にはホテルやマンションが建ち、水門の向こうに大浜公園と旧堺燈台(とうだい)が見える。堺魚市場近くの水辺の一角に、「堺事件」の顕彰碑(堺市堺区栄橋町)が建ち、碑文に「明治初年仏人撃攘(げきじょう)処」とある。

 阪堺妙国寺前駅から東に徒歩5分ほどの「妙国寺」(堺市堺区材木町東)。織田信長ゆかりの“夜泣きの蘇鉄(そてつ)”で知られる名刹(めいさつ)に2基の供養塔がある。土佐藩士11人と、藩士に殺害されたフランス兵11人。時代が大きく動いた混乱のなかの悲劇を今に伝えている。

 慶応4(1868)年1月、鳥羽伏見の戦いで敗れた旧幕府軍が瓦解(がかい)し、江戸に潰走(かいそう)した。炎上した大坂城から白煙が漂っていた頃、新政府は“無政府状態”になった大坂に薩長芸3藩の藩兵を置く一方、堺には土佐藩の2個小隊73人が派遣され、治安維持を担った。

 事件は2月15日夕、勃発した。堺港に停泊していた仏軍艦から士官と水兵約30人が無許可で上陸。騒ぎながら市中を歩き回ったため、通報を受けた藩兵が急行した。無断上陸をとがめ、船に帰るよう命じたが、言葉が通じない。そのうち水兵1人が隊旗を奪って逃げたため藩兵が発砲。銃で反撃しながらボートで逃げる仏兵に一斉射撃したのだった。

 この衝突で仏兵11人が死亡したことを受け、仏公使ロッシュは在坂の各国公使とともに賠償金のほか、土佐藩士全員の処罰を要求。新政府は20人を切腹させることで決着を図ろうとしたが、これが第二の悲劇の始まりだった。

 土佐藩士は大坂・西長堀の藩邸で取り調べを受け、29人が発砲を認めた。切腹するのは20人で、くじ引きで決めることに。小隊長ら幹部4人が辞退したため、25人の中から16人が「切腹」のくじを引いた。


 2月23日午後4時、切腹は堺・妙国寺で行われた。境内(けいだい)に敷かれた2枚の畳に白布、赤毛氈(もうせん)がのべられ、三方(さんぽう)の上には短刀が置かれた。仏軍艦艦長らが立ち会う中で次々に切腹していく藩士たち。粛々と続き、やがて12番目の藩士が座についたとき、突然、艦長が中止を申し入れた。

 その理由をめぐり、さまざまな臆測を呼んだ。「ハラキリ」という凄惨(せいさん)な光景に仏側が堪えられなかったこと、暗くなり、不測の事態(帰途の報復)をおそれたこと、死者と処刑者が同数になったこと-。仏側の記録では「処刑によって犯罪者が英雄視されるのを許さなかった」ともある。

 では、薩長土の新政府はなぜ屈したのか。

 新政府は鳥羽伏見の戦いの直後、「外国事務局」を京に置いた。もはや“攘夷”ではなかったのだ。が、「開国」という旧幕府の外交政策を引き継ぐための体制がまだ十分にできていなかった。

 それに、当時は旧幕府側との最終決戦が迫っていた時期。外国、特に旧幕府とも近しいフランスと事を構えれば、新政府が崩壊する危険すらある。

 一方、世情はいまだ「攘夷論」が過熱していた。薩長土は攘夷を盾に幕府を倒したが、それは倒幕の口実にすぎなかった。新政府の旧幕府以上の「腰抜け」ぶりがバレれば、新たな反政府運動につながる恐れもあった。

 新政府はただ狼狽(ろうばい)するしかなかったのである。

   
× × ×

 大阪メトロ西長堀駅を出たところにある鰹座橋(かつおざばし)交差点。その南西側、現在の大阪市立中央図書館を含む広大な敷地に、土佐藩の藩邸と蔵屋敷があった。江戸時代から桜の名所として知られ、満開の頃には市民にも開放されたという。

 藩邸内の土佐稲荷神社(大阪市西区北堀江)だけが今も鎮座する。20人の運命を分けたくじ引きはこの境内で行われたとされる。
 では、薩長土の新政府はなぜ屈したのか。

 新政府は鳥羽伏見の戦いの直後、「外国事務局」を京に置いた。もはや“攘夷”ではなかったのだ。が、「開国」という旧幕府の外交政策を引き継ぐための体制がまだ十分にできていなかった。

 それに、当時は旧幕府側との最終決戦が迫っていた時期。外国、特に旧幕府とも近しいフランスと事を構えれば、新政府が崩壊する危険すらある。

 一方、世情はいまだ「攘夷論」が過熱していた。薩長土は攘夷を盾に幕府を倒したが、それは倒幕の口実にすぎなかった。新政府の旧幕府以上の「腰抜け」ぶりがバレれば、新たな反政府運動につながる恐れもあった。


 新政府はただ狼狽(ろうばい)するしかなかったのである。

   
× × ×

 大阪メトロ西長堀駅を出たところにある鰹座橋(かつおざばし)交差点。その南西側、現在の大阪市立中央図書館を含む広大な敷地に、土佐藩の藩邸と蔵屋敷があった。江戸時代から桜の名所として知られ、満開の頃には市民にも開放されたという。

 藩邸内の土佐稲荷神社(大阪市西区北堀江)だけが今も鎮座する。20人の運命を分けたくじ引きはこの境内で行われたとされる。

 本殿の唐破風(からはふ)をはじめ、賽銭(さいせん)箱や灯籠など、至るところに三菱のシンボル「スリーダイヤ」の紋がある。明治初め、同藩の岩崎弥太郎が藩の借金とともに藩屋敷を払い下げられたのを機に起業したというグループ発祥の地でもある。(今村義明)

   


 ■慶応4年の攘夷事件 慶応4(1868)年1月11日、神戸で備前藩兵の隊列を横切ったフランス兵を槍で制止したことから仏、英、米の警備兵との銃撃戦に発展。2人が軽傷を負い、備前藩の責任者1人が切腹した。2月末、英公使パークスが明治天皇に謁見するため宿舎から御所に向かう途中、攘夷派浪士2人に襲われ、英兵9人が負傷。浪士1人が討たれ、1人は捕縛後処刑された。
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