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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
板東楽膳・彦三郎・亀蔵襲名、眞秀《まほろ》ちゃん初お目見えの昼席。今回は知り合いのつてがあり、1階席3列目という良席。役者さんの姿も表情もよく見え、お芝居としての迫力満点。

 石切梶原は梶原平三を演じる新彦三郎のお目見えの色が強かった。彦三郎を譲った楽膳の大庭三郎、憎まれ役の俣野五郎とのバランスがよく、また六郎太夫の團蔵と梶原の芝居もよかった。右近ちゃんの梢は、ちょっと芝居が過剰気味で浮いていた気がする。菊之助さんの奴菊平、祝い口上を読み込んだ囚人剣菱呑助を演じた松緑さんとお祝いムードも一段。

 吉野山はひたすら海老蔵と菊之助の見た目にうっとりする。

 芝居として面白かったのは、やはり魚屋宗五郞。菊五郎の宗五郞はこの人のニンに合っているし、妾奉公に出した妹が無実なのに不義の咎を受けて斬り殺されたと知って、金比羅様と約した禁酒を破ってどんどん呑んでいく様子がやっぱり巧い。そして、菊五郎劇団といわれるだけあって、おはまの時蔵さんはじめ前半の配役が素晴らしい。寺嶋しのぶさんの息子、眞秀《まほろ》ちゃん四歳で台詞をあそこまでこなすのは凄い。後半は武士たちに精彩がないように感じた。

歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」 好感度満点の新彦三郎
 今年の團菊祭は、七代目尾上梅幸(おのえばいこう)二十三回忌、十七代目市村羽左衛門(うざえもん)十七回忌追善。羽左衛門長男・八代目坂東彦三郎の初代坂東楽善(らくぜん)、その長男・亀三郎の九代目彦三郎、次男・亀寿(かめとし)の三代目坂東亀蔵の襲名披露に加え、新彦三郎の長男(侑汰(ゆうた)、4歳)が六代目亀三郎で初舞台。梅幸のひ孫で尾上菊五郎の孫、菊之助のおい、寺嶋眞秀(まほろ)(4歳)が「魚屋宗五郎」の酒屋丁稚(でっち)役で初お目見得(めみえ)など盛りだくさんの興行となった。

 昼。「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)」は、名刀の鑑定を依頼された梶原平三(新彦三郎)が、人間を2人重ねて刀の試し切りをする「二つ胴」や、手水鉢(ちょうずばち)を真っ二つに斬る見せ場で立役冥利(みょうり)の役。家伝といえる十五代目羽左衛門型が久しぶりに出た。手水鉢の背後に立ち、客席正面に向かって刀を振り下ろす豪快さに胸がすく。新彦三郎、生真面目過ぎるが、口跡のよさと潔さ、武士の面目かくやで好感度満点。楽善が大庭(おおば)、亀蔵が俣野(またの)で敵役。尾上松緑(しょうろく)が囚人で、常道の酒尽くしを3人への祝いぜりふに変えた。

 次に市川海老蔵の狐忠信、菊之助の静御前が義太夫で踊る「吉野山」。菊五郎の宗五郎、中村時蔵の女房おはまとしみ込んだ熟成コンビで「魚屋宗五郎」。

 夜。劇中で坂東家三代の襲名口上付きの「壽曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」。「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」は「御殿」から「刃傷(にんじょう)」まで。菊之助=政岡の艶(つや)、海老蔵=仁木弾正の悪の華、中村梅玉(ばいぎょく)=細川勝元の優麗さ。松緑、亀蔵による「弥生の花浅草祭」で打ち出し。27日まで、東京・銀座の歌舞伎座。(劇評家 石井啓夫)
(評・舞台)歌舞伎座「団菊祭五月大歌舞伎」 菊之助、強さと優しさ
「魚屋宗五郎」の菊五郎の宗五郎は、江戸の魚屋がそこにいるようだ。禁酒を破って最初の一杯を飲むと「いい酒だなあ」と、思わず酒に気をとられて、他のことは一切忘れてしまう。この表情は誰もかなわない。

 リアルで洗練された味わいは菊五郎劇団の芸風である。今月は同劇団の昭和の名優七代目梅幸と十七代目羽左衛門ログイン前の続きの追善公演。菊五郎のもうひとつの演目「対面」の工藤祐経も、自分を敵と狙う曽我兄弟に、傲慢(ごうまん)ではなく鷹揚(おうよう)に接する時、劇団の歴史がそこに結晶している。

 坂東彦三郎が初代楽善を名乗り、長男の亀三郎が九代目彦三郎を、次男の亀寿(かめとし)が三代目亀蔵を襲名した。新彦三郎は「石切(いしきり)梶原」の梶原と「対面」の曽我五郎を演じて、真っすぐに通る癖のないせりふが快い。

 新亀蔵は「弥生の花浅草祭」で、松緑と連れ舞をして、踊りの名手の腕を披露している。

 「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」が面白い。菊之助の乳人(めのと)政岡は我が子を惨殺されても、びくともせず若君を守る。魁春(かいしゅん)の栄御前は、政岡が我が子を若君と取りかえていたと思い、悪人一味の連判状を渡す。六代目歌右衛門の政岡は花道付け際に座って栄御前を見送り、勝利の笑みを浮かべた。

 菊之助は笑わず、立って花道七三へ進み、栄御前の後ろ姿をしばらく睨(にら)んでいる。この強い姿から一転して、我が子の亡骸(なきがら)を抱き上げる優しさは、祖父七代目梅幸を思わせる。海老蔵の仁木弾正はふてぶてしく、観客の心胆を寒からしめる。

 「吉野山」は義太夫の地で、菊之助の静御前は舞台奥から出る。海老蔵の忠信。梅幸の静は清元と義太夫を使う型で、花道から出た。さりげなくて、しかも馥郁(ふくいく)たる香気があった。今月ばかりはその型が恋しい。

 (天野道映・評論家)
渡辺保の歌舞伎評
2017年5月歌舞伎座追善と襲名の団菊祭
 七代目梅幸二十三回忌、十七代目羽左衛門十七回忌。菊之助時代から見てき
た梅幸、彦三郎の時からの羽左衛門、その二人が逝ってもうこんな月日がたっ
たのかと思うと感無量である。

 今年の五月恒例の団菊祭は、それに彦三郎の楽善、長男亀三郎の彦三郎、弟
亀寿の亀蔵、新彦三郎の長男が初舞台で新亀三郎にという坂東一家三代の襲名、
それに菊五郎の孫、寺嶋しのぶの長男寺嶋真秀の初御目見得まで加わっての一
大イベントである。寺嶋真秀が「魚屋宗五郎」の酒屋の小僧で酒樽をもって花
道を歩いてくると、この日一番の大きな拍手が起こった。まさかこの子を見る
ために超満員の観客が集まったとも思わないが、異様な熱狂ぶりであった。二
月の勘九郎の子供二人の初御目見得といい、大人の役者が子供に食われている
ようで情けない。

 さて、坂東一家の襲名披露狂言は、昼が「石切梶原」、夜が「対面」。その
ほかに新亀蔵が松緑と組んで二人で踊り抜く四段返しの舞踊「弥生の花浅草祭」
がある。

 まず「石切梶原」から。
 新彦三郎の梶原は花道を出たところ祖父十七代目羽左衛門そっくりである。
いろいろな事情があって祖父が羽左衛門を継ぐことになって、この梶原も十五
代目羽左衛門型であった。今度の梶原もそれに従う。しかし芸風だけのことを
いえば祖父もそうだったが、新彦三郎も形容本位で派手な羽左衛門型よりもじ
っくり芝居を見せる吉右衛門型の方が似合っているのではないだろうか。

 新彦三郎のいいところは三つある。

 第一に口跡がいいこと。その深い声が広い歌舞伎座に響き渡っている。名調
子、美声、爽やか、凛凛としているというのではないが、観客の心にしみる深
さが独特である。もっともせりふ廻しは今日でまだ三日目、緊張していて緩急
に乏しく力み過ぎているが、日が立てば余裕が出来てうまさが出るだろう。こ
の深さでせりふ廻しがうまくなれば鬼に金棒である。

 第二にいいのは、型を楷書でキッチリやっていること。教わった通り精一杯、
まだ余裕がないのは是非もないが、後半の物語はまことにキッカリしていい。
次にはこの型がどうしてこうなっているのかをよく考えることである。たとえ
ば石橋山で頼朝を引き起こせばというところで左手を高く上げて下を見込むが、
左手を上げるのは引き上げた瞬間で、下を見る時にはもう左手は下がっていな
ければいけないと思う。違和感があってリアリティを失うからである。あくま
で左手は引き起こす形容、下を見るのは頼朝を覗き込む芝居である。

 第三にいいのは、これは羽左衛門型のいいところだが、たいていの人がカッ
トする物語のなかで後世自分は佞人讒者といわれるかもしれないが、実はそう
ではない、正義の士だという告白があること。この告白こそこの浄瑠璃一段の
いわば性根であって、義経を讒言して滅亡させた悪人梶原景時というイメージ
を逆転させたところに作者苦心の趣向がある。それをキチンとやっているのは
羽左衛門型のいいところである。

 新楽善の大庭はさすがに立派。新亀蔵の俣野はこの人のニンで悪が効かない
のは仕方がない。この役が憎らしく突っ込まないと梶原が引き立たず、芝居も
盛り上がらない。

 団蔵初役の六郎太夫は、世話な芝居のイキがうまく、リアルさがありながら
締めるところは締めて緩急自在、いい六郎太夫である。右近の梢は娘と人妻の
間を行くところがあいまいである。あどけなさを強調し過ぎるからである。性
根は人妻、姿は娘とハッキリ割り切った方がいい。巳之助が梶原方の大名の筆
頭だが、声を張るのはいいが怒鳴り声になるのは注意すべきだ。

 新彦三郎のために松緑が呑助を付き合って、いつもの酒づくしのせりふの替
りに襲名に引っ掛けたせりふで笑わせる。菊之助が伊東入道からの使者の奴を
付き合う。

 もう一本の襲名披露狂言は、夜の部の「対面」。今度は終わりに劇中口上が
付くためか、幕が開くと浅黄幕で、これを振り落とすと全員板付き、すでに菊
五郎の工藤が高座に座っているという変則。むろんこういう形は故人寿海、十
三代目仁左衛門でも見たが、それは二人とも老齢かつ足が悪かったからである。
ことに今度の菊五郎初役の工藤は苦味に加えて色気があって「さてこそ兄弟」
でほのかに笑みを含む当たりいい工藤なので、ぜひとも障子の内の第一声の
「園の梅」から、平舞台へ降りての「高座御免下さりましょう」というところ
が見たかった。それにこうして全員板付きの絵づらだけが揃ってみると「対面」
という芝居が実は異様な恰好をした連中がゾロゾロ動き回る一種のページェン
トに面白さがあることがわかる。それがないと盛り上がらないのである。

 新彦三郎の五郎は、これも「石切」同様キッチリ型を守って手堅いが、緊張
のためか力の表現が足りないのと、五郎らしいふくらみがほしいところである。
 十郎は時蔵で本役。

 新楽善の朝比奈は可笑し味を含んでいい出来。大磯の虎が万次郎、鬼王新左
衛門が権十郎と三人兄弟が揃って坂東、市村、河原崎三家の当主が顔を揃える。
 新亀蔵は近江小藤太、万次郎の長男竹松が秦野、権十郎の鬼王と共に新亀三
郎が友切丸を持ってくる。
 他に松也の八幡、梅枝の化粧坂の少将、家橘と橘太郎の梶原親子。

 工藤の「思い出だせばおおそれよ」で、二重後ろの襖を払うと富士山の書割
になるのは仁左衛門の時にも見たが、これは芝居が終わって最後の口上になる
ときの方がよかった。その口上に菊五郎はじめ主だった役者が平舞台に並ぶた
めに、ここでもいつもの幕切れの富士山と鶴の絵面の見得もないのが残念。

 「石切」と「対面」のほかにもう一本の披露狂言は「弥生の花浅草祭」。実
をいうと今月昼夜を通して一番面白かったのはこの四段返しである。第一段が
常磐津で神功皇后と武内宿祢、第二段がいつもの清元の「三社祭」、第三段が
常磐津で通人と野暮大尽、第四段が長唄で石橋であるが、今まで「三社祭」は
面白くとも他の三段、ことに三段目の通人と野暮大尽がつまらなかった。とこ
ろが今度は四段ともに面白い。第一段は新亀蔵が神功皇后をそれらしく踊って
松緑の宿祢とともにキレイづくめ、居所替わりでの「三社祭」の善玉悪玉の踊
り比べが面白いのはいうまでもなく、また居所替わりでの亀蔵の通人が嫌味の
ない意外の面白さ、これに悪玉が絡んだ上に田舎侍風の野暮大尽に替わった松
緑がニンにピッタリ。二人のイキがあって面白い。最後に石橋の踊り比べの面
白さ。

 感心したのは、亀蔵が今まであまり見たことがなかったが踊りがうまいこと。
松緑がその亀蔵を引き立て引き上げる踊りっぷり。二人が一緒に踊る時には上
手が下手に合わせるのが鉄則だが、その合わせ方がまことにいいばかりか、そ
のコンビのイキの合わせ方がまた踊りを一際面白くしている。力量均等火花を
散らすというのも面白いが、こういうイキの合わせ方、取り合わせの異色さも
面白い。かくてこの一幕の二人、今月第一等の出来である。

 以上三本の他、昼の部は「石切」のあとに、海老蔵、菊之助の舞踊「吉野山」
続いて菊五郎の「魚屋宗五郎」。夜の部は「対面」と「弥生の花」の間に海老
蔵、菊之助の「先代萩」御殿、床下、対決、刃傷である。

 まず「吉野山」は、これまたいつもとは違って清元抜きの竹本だけという演
出。幕が開くと一面桜の書割。「恋と忠義」の置き浄瑠璃が終わるとこれを左
右に割って正面桜の立木の後ろに高二重の桜の山、下手に吉野川だろうか御丁
寧に何の役にも立たぬ滝車までついた川の流れ。菊之助の静御前は高二重の桜
の奥から出てつづら折りの道を下ってくる。「弓手も馬手も」もカットでいき
なり「見渡せば」になって普通は忠信と二人で踊る「天井抜けて据える」も
「徳若にご万歳」も一人で踊り、いつもの「女雛男雛」もここにはない。いか
に本文通りとはいえ、静が未亡人になったようで寂しい。その上清元と違って
竹本の地でのりが悪く踊りにくそうである。やっとそれこそ「遅ればせなる」
忠信が出て二人の「雁と燕」になり、ここで「女雛男雛」の振りがあるのがせ
めてもである。

 海老蔵の忠信は、源氏車を全体に散らした派手な衣裳の割には、狐というこ
とを強調するためか、衣裳の着方のせいか、猫背で、幽霊じみて色気が薄い。
竹本は愛太夫慎治ほか。

 次の「魚屋宗五郎」が芝居としては今月もっともすぐれた出来である。菊五
郎の宗五郎は二月の「四千両」の富蔵とは全く違って余裕たっぷりの傑作。花
道から出たところの愁いの肚から始まって、例の長ぜりふが思わず知らず聞き
入ってしまうよさ。今日の歌舞伎の水準を代表する舞台である。酒を呑んでの
酔態から「矢でも鉄砲でも持ってこい」の引っ込みまで十分の出来である。廻
って玄関先は「喜びありゃあ悲しみと」は普通だが、何度かの笑いがうまい。
奥庭までサラサラ運んで聞かせるところは聞かせて秀逸である。
 今度の菊五郎がいいのはむろん本人の芸のためだが、同時に周囲がいいから
でもある。幕開きに時蔵のおはま、万次郎の菊茶屋の女房、権十郎の三吉のや
り取りを聞いていると七五調が生きて、しかも芝居とは思えぬほど自然な生活
感が漂っている。ことに万次郎の菊茶屋の女房が「お大事に」といって門口を
出たところでフッと向こうを見る、思い入れがたまらぬよさ。
これが世話物の芸である。団蔵の太兵衛もいい。これといい、六郎太夫といい、
今月この人大当たり。梅枝のおなぎは神妙というまで。
 廻って玄関先ではさすがに左団次の浦戸十左衛門、市蔵の岩上典蔵がよく、
以上の役がいずれもサラサラしていながら、自然な芝居の面白さがそれぞれツ
ボにピッタリはまる面白さ。ここらがこの一座のアンサンブルのよさである。
松緑の磯部主計助は一通り。
 さて今月最大の問題は、すでに実験済みでもあり、さぞ進歩していてよかろ
うと思って大いに期待した「先代萩」の意外な期待外れ。

 まず「御殿」から。
 菊之助の政岡は、御簾が上がった立ち姿が思いもかけず空虚である。愁いの
肚もなく、二人の子供への愛情もなく、二人の子供をうまく操る乳母としての
才覚もない。「今、御屋形に悪人はびこり」の聞かせどころもただのせりふに
過ぎず、まことにあっけらかんとした「御殿」である。飯焚き抜きは祖父もそ
うだったから仕方がないが、さらに驚いたのは千松が刺された時に少しも驚か
ないことである。むろんそれらしい芝居はするのだが、それがとても驚いてい
るようには見えない。その上になによりも素早く鶴千代を抱かない。そっちへ
気が行かないから、若君大事という心が見えない。となると「涙一滴目に持た
ぬ」が空虚になるのは当然だろう。これでは栄御前が取り換え子と思うのも当
然であった。
 鶴千代を沖の井に預けないのはある型だが、それもそそくさと上手奥へ連れ
て行って、また平然と出てくるのは問題だろう。大事な若君をどこへ連れて行
ってしまったのかと思ってしまうからである。
 くどきは、悲しみ、狂熱、陶酔なにもなかった。一体どうしたのだろうか。
 歌六の八汐は、憎々しいところ、手強さがいい。魁春の栄御前はいかにも人
が良く、とても毒入りの菓子を持ってくる人には見えなかった。

 梅枝の沖の井、右近の松島。

 床下になる。松緑の男之助は、せり上がったところ合引きにかかった姿が不
安定である。せりふ廻しにも語尾の伸びる悪い癖が出てよくない。

 海老蔵の仁木は、掛け煙硝の白煙のなかにあらわれた顔が期待に反して、普
通の現代人、ただの人にしか見えない。凄味、妖しさがないのである。
 対決になる。海老蔵の仁木は、額の傷もほくろもなく、凄味がない。額の傷
をつけないのは富十郎もそうだったがやはり損である。しかもきわめて無表情
で現代人がそのまま法廷に出てきたようである。観客はボードレールではない
が巨大な「悪の華」を見に来るので、実録の原田甲斐のような仁木では面白く
ない。勝元との芝居もほとんど受けず、それでいて「恐れ入り奉る」で急に右
足を立てガーッと口を開けてのオーバーぶり。白けるだけである。

 気の毒なのは梅玉の勝元。この仁木相手ではどうにもならず、迫れば迫るほ
ど勝元の方が空転してバカに見えてしまう。刃傷ではじめて立派な勝元になった。
 市蔵の渡辺外記、友右衛門の山名宗全、右之助の大江鬼貫、九団次の黒沢官
蔵。右団次が神妙に渡辺民部を勤めている。
 刃傷。前回の海老蔵の仁木はこの場の殺気が凄愴、目を見張らせたが、今回
は余裕が出て却ってその殺気にたるみが見える。やたらに唸る、口を開ける、
というありさまだからである。
 以上、この海老蔵、菊之助、松緑三人の「先代萩」の意外な不出来は、将来
の「団菊祭」を背負う世代だけに不安に駆られる。
Copyright 2017 Tamotsu Watanabe All rights reserved.
『渡辺保の歌舞伎劇評』http://homepage1.nifty.com/tamotu/
長谷部浩の劇評
【劇評75】菊五郎劇団のDNA 音羽屋坂東の襲名と寺嶋眞秀初お目見得。
 歌舞伎劇評 平成二十九年5月 歌舞伎座昼の部

五月の團菊祭は、七世尾上梅幸二十三回忌、十七世市村羽左衛門十七回忌追善の興行である。梅幸はもちろんだが、羽左衛門が亡くなってもう十七年も過ぎたのかと思うと溜息が出る。そのあいだに鬼籍に入った名優は数多く、梅幸、羽左衛門の時代と比較して歌舞伎がいやおうもなく変化しているのはいうまでもない。羽左衛門は自らの藝、一門の藝ばかりではなく、菊五郎劇団の若手たちに対しても厳しい指導を行ったことで知られている。こうした「怖いおじさん」が歌舞伎界にほとんど見当たらなくなってしまったのも、歌舞伎の現状に影響を与えているのだろう。
さて、昼の部は、亀三郎改め九代目彦三郎による『梶原平三誉石切』。もちろん彦三郎の名跡を長男にゆずった初代楽善、亀寿から三代目(坂東)亀蔵が、それぞれ大庭三郎、俣野五郎を勤める。もとより家の藝で、十五代目羽左衛門の型を採り、あくまで颯爽たる武者として演じている。新・彦三郎は、口跡、姿、所作いずれもこの役にふさわしい。生締の分別、思慮よりは、この場を鮮やかに切り抜け、六郎太夫(團蔵)とその娘、梢(尾上右近)の難儀を救う美丈夫としての色が強い。これから回を重ねるうちに、独特の光彩が与えられていくのだろう。囚人の剣菱呑助に松緑、奴菊平に菊之助がつきあう。
それにしてもこの演目、梢が六郎太夫の命により刀の折紙を取りに戻ってから、大庭三郎、俣野五郎が舞台を去るあたりまで、言い方が悪いが意識が遠くなる。もちろん寝ているわけではない。どこか台詞が入ってこない。このあたりの沈鬱な空気があってこそ、手水鉢を二つに割る大団円が生きてくるのだろう。劇作の難しさを思う。
新・彦三郎、亀蔵の世代が大きな役を勤めてこそ、将来の歌舞伎に展望が開ける。それだけの素質と努力がそなわっている。ふたりには楽善が健在なのがありがたいが、菊五郎劇団全体で考えれば、役の伝承にあたって三津五郎が欠けたのがあまりにも痛い。その損失の大きさを改めて考えさせられた。
次は、めずらしく義太夫の地による『吉野山』。いわずと知れた『義経千本桜』の道行だが、桜の満開に静御前(菊之助)と狐忠信(海老藏)が主従ながら道行をする情景を描いた舞踊である。
今日、数多く上演される清元の地と比べると重みがあり丸本物狂言の原型があり、語りといっても竹本と豊後節浄瑠璃の性格の違いを考えさせられる。男雛女雛として決まるときの陶酔感はないが、軍物語の描写に強く引かれる。静御前が舞台中央の大木から出て、狐忠信が花道のスッポンから出るが、義経の愛妾とその持ち物の鼓を慕う狐の関係性よりは、幻想の男女が桜が満開の吉野山、その雲の上で戯れに踊っているかのような気分が横溢していた。
切りは、菊五郎の『魚屋宗五郎』である。もはや名品とよびたくなるアンサンブルの充実がまずある。時蔵のおとく、團蔵の太兵衛、権十郎の三吉、萬次郎のおみつと揃って菊五郎の宗五郎を支えている。また、梅枝のおなぎ、丁稚の与吉の寺嶋眞秀まで菊五郎劇団のDNAが着実に伝えられている。
菊五郎の宗五郎は、飲み始めてから生酔いのあいだが特に自然で酒飲みの特長をよく捉えて自然である。また、磯部屋敷の玄関での悪態から一転して、庭先の場での照れまで、劇作上は荒唐無稽であるにもかかわらず、流れがよく、さらさらとした名人の趣が強くなってきた。
菊五郎孫の寺嶋眞秀は初お目見え。せりふもきちっと強く、なにより姿勢がいい。幼さで受けを取るのではなく、芝居で取ろうとする意志がある。花道の引っ込み、大向こうから「よく出来ました」と声がかかったのはご愛敬。客席のだれもがうなずいた。二十七日まで。
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「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

マルティン・ニーメラー

 今日は「テロ等準備罪を新設する法案」の採決が国会で予定されています。

 政府は東京オリンピックの開催に不可欠だと主張していますが、その前提としているパレルモ条約の批准に新たな法案は必要ありません。新設される法案は、むしろ、パレルモ条約の34条『自国の国内法の基本原則に従って必要な措置を講ずる』という条項、つまり、自国の憲法を尊重し、その範囲内で必要な法整備を行なうに反しています。

 そして何より、数週間のイベントのために国民の基本的人権を恒久的に縛る法律には反対です。

ミシュランガイド北海道2017特別版に函館から34軒掲載!
 担当するライターさんも懐かしや……。

一つ星
鮨処 美な味 寿司 函館市
天ぷら 田ざわ 天ぷら 函館市
冨茂登 日本料理 函館市
鮨 おおね田 寿司 森町
ロワゾー・パー・マツナガ(新) フランス料理 函館市
エノテカ・ラ・リコルマ(新) イタリア料理 函館市

ビブグルマン
華京 中華料理 森町
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鮨処 木はら 寿司 函館市 ☆
蕎麦彩彩 久留葉 蕎麦 函館市 ☆
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その他の掲載店
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くずし割烹和のふ(新) 居酒屋 函館市
バスク(新) スペイン料理 函館市

 すでに来店したことある店に☆打ってあります。自分用のメモとして。
気分は新選組隊士 日野で800人パレード
「ひの新選組まつり」のメインイベント、新選組隊士パレードが十四日、日野市のJR日野駅東側の甲州街道周辺で行われた。隊士や同時代の歴史上の人物らの衣装を身に着けた約八百人が練り歩き、沿道の声援に応えた。
 パレードでは、日野出身の新選組副長・土方歳三役を務めた岡安綾希子(あきこ)さん(35)=埼玉県久喜市=が馬上から「楽しんでるか!」「声が小さいぞ!」などと観客を鼓舞。声援が高まると笑顔を見せた。
 パレード終了後、岡安さんは「土方というヒーローで重圧があったが、皆で盛り上げてくれて心強かった。まつりがずっと続くようにと思っています」と話した。
 第二十回の節目を迎えた今年のまつりのパレードは、昨年までの近隣の小学校の児童だけでなく、市内全小学校から参加するなど裾野も広がった。日野駅のほか高幡不動尊の周辺でも各種イベントが開かれた。
 まつりは実行委員会(三浦盛良委員長)の主催で十三日から開催。土方の命日(五月十一日)に合わせて、毎年この時期に開いている。 (水谷孝司)

東京都日野市で「新選組まつり」参加者約400人が隊士パレード
 新選組ゆかりの地、東京都日野市で13日、14日の両日、恒例の「第20回ひの新選組まつり」が開かれました。メイン行事の新選組隊士パレードでは、公募で集まった参加者約400人が隊士に扮し、市内を練り歩きました。

隊士パレードの幹部役9人を決める隊士コンテスト。熱心なアピールで会場を沸かせた
 13日は、高幡不動尊で隊士パレードの幹部役9人を決める隊士コンテストが行われました。パレード参加者のなかから45人が立候補。1次審査の1分間PRでは、居合いを披露する人や役への思いを語る人など、それぞれ熱意を訴えました。恐竜時代にタイムスリップした沖田総士を演じた男性など、熱心なアピールで会場を沸かせました。
 
 2次審査に進んだ9人は、戊辰戦争での榎本武揚と土方の別れを描いた台本をもとに、土方役を演じました。審査の結果、土方歳三役に選ばれたのは、埼玉県久喜市の会社員・岡安綾希子(あきこ)さん(35)。元気で迫力ある声が特徴の岡安さんは、パレードへの意気込みについて「もう気合ですね。気合いれて、みんなが楽しく笑顔で帰れるように」と話していました。

土方歳三役に選ばれた岡安綾希子さん
 14日朝、新選組の衣装を身にまとったパレード参加者は高幡不動尊内に集結し、出陣式を挙行。土方役の岡安さんとともに威勢良く「エイエイオー」と勝どきの声をあげました。その後、一行は高幡不動尊を出発。市内を通る甲州街道などで隊士パレードを行いました。

 このほか、山車の曳行も行われ、見物客は、焼きそばや日野名物のカレーパンなどを販売する沿道の出店で好みの食べ物を買い求めたり、パレードの撮影に熱を入れたりするなど、思い思いに祭りを楽しんでいました。

 境内でパレードを見送った会社員・古井詩織さん(30)は、友人からこの祭りを知らされ、名古屋市港区から訪れました。歴史好きで、新選組のなかでは近藤のファンだという古井さんは、近藤役の参加者を見て「愛嬌があって良いですね。史実に合っているキャラクターだと思いました」と笑顔で話していました。

 日野市は、新選組の副長・土方歳三や6番隊隊長・井上源三郎の出身地。局長の近藤勇も含め、彼らが若き日に剣術の稽古で集った日野宿本陣など、新選組ゆかりの史跡もあります。この祭りは、こうした新選組の歴史をまちづくりに生かそうと、1998(平成10)年にはじまりました。毎年、土方歳三の命日の5月11日に合わせて、5月第2土曜日・日曜日に開かれています。

(取材・文:具志堅浩二)

新選組「私が土方だ」…日野でまつり
 新選組ゆかりの地・日野市で13日、「ひの新選組まつり」が始まった。同市出身の副長、土方歳三(1835~69年)の命日にあたる5月11日に近い土日に開かれており、今年で20回目。

 初日は、まつりの目玉「隊士パレード」を率いる土方や局長の近藤勇、各隊の隊長などを決める「隊士コンテスト」が、高幡不動尊金剛寺で開かれた。同寺は土方の菩提ぼだい寺で、全国から集まった48人が隊士になりきり、14日に行われるパレードの花形の座を競い合った。

 参加者たちは、おなじみのだんだら模様の羽織などに身を包み、「日野に来るたび隊士が好きになります」「永倉新八にあこがれて剣術を修業しました」などと“新選組愛”を熱く語り、鮮やかな剣舞などを披露。2次審査に進んだ9人は、死を目前にした土方の芝居を演じ、会場を沸かせた。

 審査の結果、今年の土方役は埼玉県久喜市の岡安綾希子さん(35)に決まった。岡安さんが「待たせたな、私が土方だ。あしたは盛り上がれるか」と呼びかけると、観客たちも一緒に勝ちどきを上げた。

 パレードは14日午後1時半にスタートし、JR日野駅近くのコースを練り歩く。
続きです。

北海道
5月11日に合わせ市内で慰霊 箱館戦争
 箱館戦争で新政府軍が旧幕府軍に対し総攻撃を行い、勝利を収めた1869(明治2)年5月11日に合わせ、函館市内では戦没者を慰霊する供養祭が開かれた。

参列者 手合わせ焼香 戦没者供養祭

 〇…五稜郭タワーで開かれた戦没者供養祭には、同社社員や観光業者、近隣住民ら約60人が参列し、箱館戦争に殉じた大勢の戦士たちの冥福を祈った。
 新選組副長だった土方歳三の命日に当たる旧暦の11日に合わせて毎年実施しており、今年で46回目。5月20、21日に開催される「第48回箱館五稜郭祭」の協賛行事。
 祭主の中野恒・同タワー社長が祭文を奏上。観音寺(富岡町)の中村裕康住職らが読経を上げたあと、参列者が焼香し手を合わせた。
 中野社長は「供養祭は毎年戦没者の冥福を祈るとともに、箱館五稜郭祭の成功も祈願している。今年も大勢のお客さまに楽しんでほしい」と話していた。

会津藩士しのぶ 福島県人会

 ○…函館福島県人会(小山直子会長、会員41人)は、函館市船見町の高龍寺を訪れ、境内の「傷心惨目の碑」で碑前祭を行った。箱館戦争で犠牲となった会津藩士をしのんだ。
 1869(明治2)年5月11日、新政府軍が箱館病院の分院だった高龍寺を襲撃し、傷病兵を殺害して寺に放火。碑は、この時命を落とした犠牲者を供養するため、旧会津藩士によって建てられた。
 1980年から続けられている碑前祭には、会員13人が参列。一人一人碑に向かって手を合わせ、母県へ思いを巡らせた。
 小山会長は「東日本大震災から6年が経ったが、避難先でのいじめや復興大臣の発言などが悲しい。福島県民や子どもたちの心の復興が必要なことを忘れないようにしたい」と話していた。

福島
<秋月悌次郎>幕末の会津藩士しのび詩吟
 幕末の会津藩重臣、秋月悌次郎(1824~1900年)が戊辰戦争後に藩の行く末を思って漢詩を詠んだ福島県会津坂下町の束松(たばねまつ)峠で4月29日、悌次郎をしのぶイベントがあった。
 悌次郎は戊辰戦争後、猪苗代に謹慎したが、親交があった長州藩士奥平謙輔に会津藩の善処と優秀な少年の教育を頼むため、ひそかに越後に行った。帰り道に束松峠で焼け跡に立つ鶴ケ城を眺めながら「北越潜行の詩」を詠んだ。少年の1人が、後に東京帝大総長となる山川健次郎だった。
 2013年に会津若松市の秋月悌次郎顕彰会や住民組織「束松峠を護(まも)る会」などが実行委員会を立ち上げ、束松峠に漢詩の碑を建てた。
 イベントは、会津坂下町観光物産協会が来年の会津戦争終結150年のプレイベントとして実施した。約40人が参加し、顕彰会の桑原勇蔵副会長(78)が詩を解説。会津吟詠会の女性会員5人が詩吟を披露した。
 桑原さんは「悌次郎は政府軍と交渉し、一生懸命に敗戦処理に当たった。陰で働いた会津人のことを知ってほしい」と語った。
 悌次郎は戊辰戦争で会津藩の軍事奉行添役を務め、戦後に終身禁固刑を受けたが、特赦となり、教育者として活躍。熊本の第五高等中学で同僚だった文学者小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、悌次郎を「神のような人」と敬った。

戊辰戦争150年ロゴ決定=福島県会津若松市〔地域〕
 福島県会津若松市は、来年が戊辰戦争150周年になるため、その記念事業のロゴマークを決定した。今後、記念ポスターやチラシ、缶バッジなどで使用する予定。
 今年3月から4月上旬まで一般公募した104作品の中から選ばれたのは、東京都千代田区に住む須賀裕明さんのデザイン。「150」の中に会津藩を治めた松平家の家紋と戊辰戦争を戦った白虎隊にあやかって虎が入っている。マークの下部には「SAMURAI CITY AIZU」の文字を表示した。
 キャッチフレーズは、応募点数375の中から福島県本宮市在住の仁井田京子さんの「『義』の想い つなげ未来へ―。戊辰150周年」を選んだ。
 市では、市内外の約140団体で構成された戊辰戦争150周年記念事業委員会を立ち上げている。記念誌作成や特別番組の制作、記念展示事業などを行い、市文化の振興や観光誘客を狙う。 

<戊辰戦争>剣舞奉納 会津藩の女性を慰霊
 戊辰戦争(1868~69年)で犠牲になった会津藩の女性たちの霊を慰める「奈与竹之碑」の碑前祭が1日、福島県会津若松市門田町の善竜寺であった。
 主催する嫋竹(なよたけ)会の会員ら約150人が参列。吉田幸代会長が「戊辰戦争で会津の全ての人々は大きな困難を被ったが、戦後、素晴らしい人材を輩出した。東日本大震災の爪痕で困難を極めている私たちも、強い精神力で頑張らないといけない」と祭文を読み上げた。
 読経、焼香の後、同市の謹教小合唱部の児童9人が学校で歌い継がれている「なよたけの歌」を奉納。葵高の舞踊部となぎなた部の生徒15人が剣舞を披露し、郷土のために戦った女性たちに祈りをささげた。
 戊辰戦争では会津藩士の妻や娘ら233人の女性が犠牲になった。戦争の足手まといになると考えて自刃した女性も少なくなかった。奈与竹之碑の名称は、一族21人が自刃した会津藩家老西郷頼母の妻千恵子が詠んだ辞世の句から取られた。

観光の「列藩同盟」 来年の戊辰150年、本県誘客図る
 国内を二分し歴史の転換点となった「戊辰戦争」から来年で150年を迎える。激戦地となった福島県では会津若松市や白河市が記念事業に向け動きを本格化させている。
 一方、新政府軍として本県に入った薩摩、長州など諸藩のあった西日本では「維新150年」として各県が手を握り、一足先に事業を進めている。
 本県の魅力発信に向け「平成の奥羽越列藩同盟」のような広域観光が実現できるかが鍵を握りそうだ。
 県は6日までに、会津藩のおひざ元・会津若松、白河藩のあった白河、二本松少年隊の悲劇で知られる二本松の3市との情報交換会を初めて開き、3市連携の周遊ツアーの実施を確認した。
 県は「150年を契機に『サムライ』をテーマにした魅力発信を国内外にしていきたい」と昨年度まで展開した大型キャンペーン・ふくしまデスティネーションキャンペーンに代わる観光の軸として期待を寄せる。
 広域連携の中心となるのは会津若松市。同市は昨年10月、市内の約140団体で戊辰150年に向けた実行委員会を設立。同委副会長の渋川恵男さん(70)は県内外の列藩同盟ゆかりの自治体、会津藩士が移住した青森県むつ市など全国ゆかりの地との広域連携を通し「全国への発信力を強めて、注目を集めるようにしたい」と意気込む。
 白河市は歴史の発信を軸にした各種事業を計画。会津若松、二本松両市などとの連携に加え、新政府軍の長州藩ゆかりの山口県萩市に「白河踊り」が伝承されている経緯から、2018年に同市と盆踊り交流を進める。記念事業実行委員会会長の人見光太郎さん(74)は「市民と歴史を共有したい」と語る。
 戊辰戦争で落城まで奮闘した二本松藩の霞ケ城がある二本松市は18年に企画展や記念事業を計画中。新政府軍に降伏した三春藩の本拠・三春町も同年秋、同藩が戊辰戦争で直面した状況などを紹介する企画展を開く予定。
 県内には幕末に計10以上の藩があり、各地に戦場や史跡が点在するため、関連自治体と団体の取り組みや連携の動きが今後活発化しそうだ。

◆「平成の薩長土肥連合」西日本4県   

 新政府軍の中心の藩があった山口、鹿児島、高知、佐賀の4県は広域観光推進のため2015年に「平成の薩長土肥連合」を設立、既に共同キャンペーンを展開している。
 12年から事業を繰り広げる鹿児島市と同じく14年からの萩市は16年1月、薩長同盟150年を契機に盟約を結び、観光PRに取り組んでいる。
 薩摩藩の西郷隆盛の生涯を描く来年の大河ドラマ「西郷どん」の放映や、国の「明治150年」に向けた施策が追い風となり、勢いは増している。

栃木
真岡にも刀剣女子 「さむらい刀剣博物館」来館者が5倍超、8割女性
【真岡】足利市立美術館が今春実施した国重要文化財の刀「山姥(やまんば)切国広(ぎりくにひろ)」に人気ゲーム「刀剣乱舞」の女性ファンらが殺到した“刀剣女子ブーム”の中、大根田の「さむらい刀剣博物館」にも若い女性の来館者が急増している。ゲーム配信が始まった2015、16年の年間来館者は、それまでの5倍以上となる2千人超になったという。柳田律夫(やなぎだりつお)館長は(69)は「8割は女性」とかつてないブームに驚いている。
 同館は1994年、柳田館長が「刀剣の魅力を一般の人にも知ってもらいたい」と自費で設立。主に収集した刀剣約4千点を収蔵している。
 開館から数年の年間来館者は1千人前後で推移していたが、2012~14年は約400人ほどに低迷。そこにブームが起き、新選組の沖田総司(おきたそうじ)も所有したとされる「清光(きよみつ)」、「大和守安定(やまとのかみやすさだ)」などが見られるスポットとして全国からファンが訪れるようになったという。
 このため同館は15年から、普段はガラス越しにしか見られない刀剣数本をケースから出し、スタッフの解説を受けながら実際に触れることができる特別展示の実施に踏み切った。
 午前9時~午後5時。月曜休館。

高知
「志国高知 幕末維新博」が無料アプリ「城巡り」と連動
 「志国高知 幕末維新博」をさまざまな視点から楽しんでもらおうと、志国高知幕末維新博推進協議会は無料ゲームアプリ「発見! ニッポン城巡り」と連動した企画を始めた。スタンプラリー形式のゲームを通じて、愛好者ら新たな客層を呼び込む狙いだ。...
 以降は有料版の記事にて。

佐賀
幕末の絵地図、謎多い山城跡も…武雄鍋島家資料
 佐賀県武雄市が所有する武雄鍋島家資料の中から、唐津藩一帯の様子が描かれた幕末の大型絵地図が見つかった。
 江戸時代以前の姿の記録が残っていない県史跡の山城跡・岸岳きしだけ城跡の姿も記されている。調査した佐賀大の宮武正登教授(日本中世史、城郭史)は「県内の今後の文化財調査で役立つ貴重な史料になる」と指摘している。
 市が9日、市歴史資料館で報道陣に公開した。宮武教授によると、「唐津之図」と名付けられた絵図は縦3・15メートル、横3・91メートル。唐津藩領内の主要道や河川、岸岳城跡を始めとする山城跡などが記載されている。図中に描かれている墓所の記述などから、幕末の1860年代に作製されたとみられている。
 作者は不明。幕末には、時代の変化に対応するために多くの藩が他藩の情報を集めたといい、佐賀鍋島家が実地調査して作った可能性があるという。ただ、宮武教授は「作製の理由は特定できない。これからの研究課題」と話している。
 標高300メートル超の岸岳城跡は唐津市南部にそびえる。戦国時代に肥前北部の代表的な領主となった波多氏が居城としていた。西九州最大級の山城とされ、城郭の全長は約1・3キロ。記録が乏しく謎が多かったが、絵図では「本丸」や「水ノ手矢倉」、地下通路にあたる「穴蔵」などの配列が詳細に記されている。
 武雄鍋島家資料は、江戸時代に佐賀藩主・鍋島家の重臣として武雄地方を治めた武雄鍋島家に伝わる約1万6000点の古文書、絵画などで構成。武雄市に寄贈されており、一部は国重要文化財に指定されている。
 唐津之図は資料の目録リストに入っていたが、詳しい内容はわかっていなかった。同市歴史資料館から「大きな絵図がある」と報告を受けた宮武教授が約4年前から調査を進めていた。
 一般公開については「展示設備を整え、実現する方向で検討したい」としている。(渡辺直樹)

幕末の蒸気車走った 佐野常民記念館、佐賀藩「精煉方」の技術再現 [佐賀県]
 佐賀藩の科学技術研究所「精煉方(せいれんかた)」が製作した「蒸気車ひな型(模型)」のレプリカの走行実演が5日まで、佐野常民記念館(佐賀市川副町早津江)で開かれている。訪れた人は、日本の近代化を支えた佐賀藩の歴史に思いをはせていた。
 記念館によると精煉方の主任だった佐野常民(1822~1902)は、発明家として知られる田中久重(1799~1881)らと1855年頃、模型ながら日本で初めて蒸気車を完成させ、藩主鍋島直正に走行する姿を披露した。レプリカは長さ約42センチで、久留米高専(福岡県久留米市)の教職員が製作。蒸気で車輪を動かす当時の仕組みをほぼ再現した。
 4日の実演では、一周約17メートルのレール上を蒸気車が勢いよく走行。訪れた人は「すごい」と歓声を上げていた。福岡県糸島市の中学2年生(13)は「160年も前にこんな技術力があったなんてすごい」と驚いていた。5日は午前11時と午後2時から走行実演がある。
=2017/05/05付 西日本新聞朝刊=

コラム
街にあふれる行商は、ネット通販より便利? 幕末から明治の買い物事情
森田健司 大阪学院大学経済学部教授(専攻:社会思想史・日本哲学)
 カタログやネット通販の普及も活況ですが、なくなりそうでなくならないのが移動販売です。個人店が営んでいたり、フランチャイズ展開がなされていたり、取扱い商品や形態はさまざまです。そんな移動販売の元祖といえば行商です。

 時代劇でよくみる棒の先についた桶に商品を入れて売り歩く江戸の行商から、明治中期頃は写真のようなより多くの商品を荷車に載せる行商スタイルへは、どのように発展していったのでしょうか? 当時の貴重な資料である彩色古写真から見える、行商人の商売の様子や庶民の暮らしについて、大阪学院大学経済学部教授 森田健司さんが解説します。

【連載】古写真で知る幕末・明治の日本
町に溢れていた行商人

 今の日本は、とにかく便利である。買い物をするにしても、そのほとんどをネットショッピングで済ませることさえできる。スマホやパソコンで画像を見て、欲しいものをクリックすれば、宅配業者が自宅の玄関まで商品を運んでくれるわけである。ものぐさにとって、極上のサービスだ。
 それに対して、江戸時代はどうだったのだろう。きっと、買い物は大変だったに違いない。このように考えてしまいがちだが、実はそうでもないのである。それどころか、もしかしたら今よりもっと「便利」と言ってもよいかも知れない。
 その秘密は、江戸時代に町に溢れていた行商人にある。彼らは魚や野菜などの生鮮食品から、重量のある什器に至るまで、様々な商品を取り扱う専門業者たちだった。だから、毎食の買い物はもちろん、日用品でも家財道具でも、自宅の目の前で購入することができたのである。商品を天秤棒で担ぎ、声を出して売り歩く彼らは、「棒手振り(ぼてふり)」と呼ばれた。棒手振りは許可制で、幕府公認の仕事でもあった。
 この棒手振りたちは、明治に入っても元気に活動していた。ただし、少しずつ見た目が変わっていく。肩に天秤棒を担ぐものから、大きな二輪の荷車「大八車(だいはちぐるま)」に商品を載せるスタイルに移行したのである。大八車自体は江戸時代前期から存在したが、個人の行商人が普通に利用し始めたのは、明治の中期頃からと言われる。この背景には、人力車の普及によって道幅が広げられ、整備されたことがある。
 はじめに掲載した写真は、大八車を利用する行商人の姿を撮影したものである。驚くべきは、その商品の数である。まさに、店ごと移動している感がある。

日本文化に寄り添った素材=竹

 ところで、大八車を引っ張る行商人が扱っている商品は何だろうか。よくよく眺めてみると、笊(ざる)に籠、箒など、木で作られた大小様々な品が確認できる。
明治時代中期の「竹細工行商人」写真・商品部分のアップ(筆者所蔵)
 彼が運んでいる商品が木製であることは間違いないが、それらには、もう一つ指摘できそうな共通点がある。それは、木の中でも、「竹」を主たる材料としたものがほとんどであることだ。笊や籠をはじめ、これら商品のほとんどは、竹細工である。
 現代の日本では、竹細工の需要はそれほど多くない。しかし江戸から明治時代にかけて、家財道具の相当な割合は、竹で作られたものだった。これほど竹が多用されていた理由の一つは、大変軽量なことである。写真の行商人が、これほど多くの商品を持ち運びできているのも、竹製で軽いためだった。また、竹はただ軽いだけではなく、加工しやすい上に、強度が高い素材でもある。

 おそらく、外国人旅行客の目には珍しく映ったのだろう。行商人だけではなく、竹細工を作る職人の手彩色写真も、数多く残されている。それも載せておこう。


明治時代中期の「竹細工職人」写真(筆者所蔵)
 背中を向けている竹細工職人は、地面に座り込んで作業を行っている。彼の手には、驚くことに何も道具が持たれていない。そう、竹細工は基本的に、文字通りの「手作り」だった。この工房の外に置かれているのは、職人が手で編み上げた竹細工の籠だが、どれも溜息が出るほどに美麗な仕上がりである。
 湿気の多い日本という地に適応した竹細工が、各家庭の中で主役の座を追われ始めたのは、それほど昔の話ではない。第2次大戦後、それも昭和30年代以降のことだった。新しい素材であるプラスチックの実用化によって、竹細工は少しずつ姿を消していったのである。

売価は交渉次第

 話を行商人に戻そう。家のすぐ前まで商品を運んでくれる行商人たちは、確かに便利ではあった。しかし、今の売り買いと大きく違うこともある。それは、商品の「定価」が存在しなかったことである。実際の売価は、売り手と買い手の交渉にかかっていた。
 イギリスの旅行作家であるイザベラ・バードは、1878(明治11)年に初めて日本の地を踏んだ。彼女は、当時の鉢石宿(現在の栃木県日光市鉢石)における買い物の経験を、次のように記録している。
 「50銭という言い値があまりに法外だと思って店を出ると、後から女将がちょこちょこと追いかけてきて、20銭でいいですと言ったことがいくつかの店であった」
           ― 金坂清則訳、イザベラ・バード著『日本奥地紀行(1)』(平凡社)、187ページ
 江戸時代以来、日本の小売店では、商品の価格は基本的に掛値(かけね)で提示され、その後、客との交渉の中で売値が決まっていくシステムが採用されていた。つまり、同じ商品であっても、買う人間によって値段が違ったのである。これは、普通の店舗であっても、行商であっても同じである。
 今の日本では(一部地方の小売店を除いて)考えられない話だが、こういった商法は、海外ではまだまだ残っているところがある。特に、観光客が多い地域においては、少しでも多くの利益を得るため、値段を吹っかけてくることは少なくないようだ。
 いくら家の前まで運んでくれるとはいえ、売値が交渉によって決まるのが普通であった時代は、あまり羨ましいと思われないかもしれない。何事においても、今よりずっとコミュニケーション能力が必要とされたのが、江戸、および明治という時代だった。それを「人間らしい」と取るか、「煩わしい」と取るかは、その人の感性次第である。
(大阪学院大学経済学部教授 森田健司)
久しぶりの幕末ニュースです。

歴史
百五十回忌の近藤勇 首は「会津埋葬」最有力? 愛刀のメモ調査、歴史館も支持
 江戸末期に結成された新選組の局長、近藤勇。戊辰戦争で新政府軍に敗れて処刑された後、その首が葬られた場所は京都説が最有力だが、百五十回忌を迎える今年、一般の研究家の調査で福島・会津説が“急浮上”している。幕末史料を多数所蔵する京都の霊山(りょうぜん)歴史館もこの説を支持し、根拠となる近藤の刀を入手、展示している。

 「下僕首を盗み生前の愛刀になりし此(こ)の刀を持ちて会津に走り密かに葬る」

 近藤の愛刀とされる「阿州吉川六郎源祐芳(あしゅうきっかわろくろうみなもとのすけよし)」の鞘(さや)に貼り付けられたメモ書きの文面の一部だ。内容は刀の来歴で、京都の三条河原にさらされた近藤の首を「下僕」が盗み出し、この刀とともに会津に持ち去って首を埋葬したというもの。寺社などから聞いた話といい、書いた主として「陸軍少将 若松市(現会津若松市)長 松江豊寿(とよひさ)」と署名されている。

 新選組の刀剣を約50年研究している東京都品川区の焼き肉店経営、権東品(ごんとうしな)さん(65)は平成27年7月、前の刀の持ち主から依頼され、来歴の事実確認を始めた。松江は地元・会津出身の第9代若松市長。松江自筆の履歴書を入手し、メモの筆跡と比べたところ、特徴が酷似していたという。
 次に「下僕」とは誰か。会津藩の下で雑務に当たっていた上坂仙吉(こうさかせんきち)という侠客(きょうかく)がおり、同藩預かりの新選組とも関わりがあったといい、権さんは、雑務の礼に近藤から愛刀を贈られた上坂が生前の恩義から近藤の首を持ち去り、刀とともに会津へ運んだと考えた。

 上坂は通称「会津小鉄(あいづのこてつ)」として知られ、京都市の西雲(さいうん)院に墓がある。権さんが同院に手掛かりの有無の確認を依頼したところ、子分が書いた伝記「会津小鉄伝」が見つかり、「近藤勇の首級奪取、会津へ運ばす」との記述を発見した。橋本周現(しゅうげん)住職(61)は「本当なのかどうか。歴史のロマンですね」と語る。

 ほかにも元会津藩士らが会津・天寧(てんねい)寺に近藤の首塚が残っていることに言及したとの記録などもあり、公益財団法人が運営する霊山歴史館も調査を実施。木村幸比古(さちひこ)副館長(68)は「京都説は言い伝えられている場所周辺に墓らしきものがない」と指摘した上で、会津説について「一番有力になったのは明確」と話す。

近藤の愛刀とされる「阿州吉川六郎源祐芳」。鞘には来歴が書かれたメモが貼り付けられていた(霊山歴史館提供)

 幕末維新史に詳しい花園大学の松田隆行教授は「歴史学の観点では、近藤の首がどこにあるかは関心が薄く、民間の研究とは史料の評価も異なるので断定的なことは言えない」と冷静な見方だ。ただ、権さんは「日本人特有の『忠義』を表す一つのエピソード。研究家や歴史ファンらは確証高い説を望んでおり、その一角を提示できたのではないか」と話している。

 ■近藤勇 文久3(1863)年に京都で結成された浪士隊に土方歳三、沖田総司らと参加。同隊の一部が京都の治安維持を担う新選組となり、後に近藤が局長に。幕臣として参加した慶応4(1868)年の戊辰戦争で新政府軍に敗北し、東京・板橋で斬首された。首の埋葬地は最有力の京都説、会津説のほか、愛知説、山形説などもある。

徳川埋蔵金:発掘SPで幕末の新資料発見 “黒幕”英国の関与示す 小栗忠順の“新証拠”も
 27年間にわたって「徳川埋蔵金」の謎を追い続けている歴史バラエティーの最新版「林修の歴史ミステリー 徳川家260年最大の謎 3000億円埋蔵金大発掘 最終決戦スペシャル」(TBS系)が6日午後6時55分(一部地域午後7時)から、3時間スペシャルで放送される。今回は、舞台となる“幕末の謎”に焦点を当て、英国と薩摩藩、徳川の関係を示す新資料を英ケンブリッジ大学で発見、埋蔵金の“証拠”につながる古文書の記述も新たに紹介される。成田雅仁プロデューサーに見どころを聞いた。
 「徳川埋蔵金」は1990年、TBSのバラエティー番組で、コピーライターの糸井重里さんを中心に、群馬県の赤城山中で発掘に挑戦。以来、断続的にスペシャル番組が放送されてきた。昨年12月に予備校講師の林修さんをMCとして8年ぶりに新シリーズが放送され、最新機器を駆使した発掘調査では、巨大な長方形の“影”を確認したながら、発掘には至らなかった。
 新シリーズから番組を担当する成田プロデューサーは「協力プロデューサーの那須田淳さんはじめ、発掘の現場スタッフは番組スタートからのベテランぞろいで、みなすごい知識を持っている。少しでも追いつこうと50冊以上の専門書を読みあさりました」と語る。新シリーズのポイントについて「MCの林先生は、みんなの知らないことを分かりやすく解説させたら日本一だと思う。歴史学者の磯田道史さんも明治維新の“敗者”である徳川の歴史の解明に全面協力してくれています」という。
 徳川幕府の大政奉還から150年を機に、今回は“幕末の謎”を追うため、埋蔵金の首謀者とされる幕臣・小栗忠順(おぐり・ただまさ)と対抗した倒幕側の動きを、舞台となった京都を中心に探る。さらに幕府と薩摩、長州藩の黒幕とされる英仏の関係を調査。その過程で、英ケンブリッジ大に残る、英国が薩摩藩と幕府の双方に資金を支援していたことを示すという文書を発見。また、番組収録後に磯田さんが古書店で見つけた古文書の中に、当時勘定奉行だった小栗が横浜での生糸貿易の関税を樽に詰めて送っていたという記述を発見。埋蔵金の資金ではないか、という新事実も紹介される。
 発掘では、番組の大ファンというタレントの佐々木健介、北斗晶夫妻が、現場での作業にも参加。留学を控える長男・健之介さんも出発日をずらして加わるという熱の入れようだった。前回、存在を確認しながら現場の安全のために掘り進めなかった“巨大な影”に迫っていく。
 成田プロデューサーは「埋蔵金を追う過程で、歴史に埋もれた事実が次々と発掘されてくる。今回は、埋蔵金の実行者とされる林鶴梁(はやし・かくりょう)も登場します。林先生の解説で誰にでも見やすい構成にしているので、歴史のロマンにワクワクしてほしい」と話している。

東京
本日5月11日は土方歳三の命日 / 土方歳三資料館では愛刀「和泉守兼定」が期間限定公開中
江戸時代の末期、約260年の歴史と新しい時代の潮流が混ざり合う激動の日本において、時代の波に翻弄された男たち・新選組。田舎のゴロツキから当時の首都「京都」の守護職にまで成り上がった彼らのストーリーと、悲しい最期にロマンを馳せる人は少なくないだろう。

本日2017年5月11日は、そんな新選組の鬼の副長・土方歳三の148年目の命日だ。よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ──。

・新選組に見る破滅的な美
土方歳三と言えば、新選組において1、2を争う有名人。局長の近藤勇の死後も、その意志を貫き瓦解する新選組と心中した姿には、破滅的な美しさがあると言っても過言ではないだろう。

思えば、肺炎で病死したと言われる沖田総司、正義の味方のつもりが悪者の親玉となってしまった近藤勇にも、それぞれに破滅に向かう悲しさや美しさがあって、そこが日本人の琴線に触れるのかもしれない。

・愛刀「和泉守兼定」が期間限定公開中
それはともかく、東京都日野市にある「土方歳三資料館」では、毎年、命日に合わせ愛刀「和泉守兼定」の刀身が期間限定で公開されている。2017年は4月2日から5月21日までの公開となっており、開館日は残り13日、14日、21日の3日間。新選組のファンは、訪れてみるのも良いのではないだろうか。

参照元:土方歳三記念館、wikimedia
執筆:中澤星児

▼今朝、歳三さん時代からのザクロの木の花が咲きました
土方歳三資料館 @toshizoofficial
本日は歳三さんの148年目命日です✨土方家過去帳には「歳進院殿誠山義豊大居士 行年三拾五才 明治二巳年五月十一日 箱館一本木関門に戦死す 俗名土方歳三 土方義諄の末子幼年より剣術を学び近藤勇と共に京師へ至り終に箱館に戦死す」✨今朝、歳三さん時代からのザクロの木の花が咲きました

▼これは妖刀・村正
▼『徳川に祟る』という伝説を持つ村正は幕末志士の間でげんかつぎで使われていたという

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日野で「新選組まつり」 土方歳三の命日に合わせ隊士集結
 日野市内の各所を会場に5月13日・14日、新選組をテーマとした恒例イベント「ひの新選組まつり」が行われる。

 今年で20回目を迎える同祭り。毎年、新選組の副長で、武蔵国多摩郡石田村(現在の日野市石田)で生まれた土方歳三の命日である5月11日に合わせて開催。土方の菩提(ぼだい)寺でもある高幡不動尊(日野市高幡)などを会場に、さまざまなイベントを繰り広げる。

 今回は日野市立第1小学校(日野本町2)に新たなイベントスペース「日野宿だんだら村(新選組日野宿屯所)」を展開。スポンジ製の刀で相手の腕に付いた玉を落とす「新選組チャンバラ合戦」の会場となるほか、市内の飲食店などが出店する「新選組ひのうまいもんストリート」、アロマやブレスレット作りなどを体験できる「だんだら市」なども開催。ステージも設け、さまざまな催しも行う。

 メインイベントともいえる土方歳三や近藤勇、沖田総司など新選組各組の組長などをコンテストで選び、各組の隊士と共に練り歩くパレードのほか、新選組に関わる市町村の連携を目的とした「全国新選組サミット」、土方や近藤の位牌を拝観できる「高幡不動尊新選組隊士慰霊祭」、今回で5回目となる「土方歳三の恋人・高幡不動きものクイーンコンテスト」なども行う。

 開催に伴い、14日は甲州街道・川崎街道入り口~日野駅前東交差点の区間が車両全面通行止めになる。通行止めは10時~16時。

ひの新選組まつり土方役に岡安さん 隊士に扮し甲州街道行進 日野できょう /東京
 新選組の副長を務めた土方歳三の出身地、日野市で14日行われる「第20回ひの新選組まつり」のパレードの幹部役を選ぶ「隊士コンテスト」が13日、同市の高幡不動尊であり、埼玉県久喜市の会社員、岡安綾希子(あきこ)さん(35)が土方役に選ばれた。

 この祭りは土方の命日の5月11日に合わせて、毎年この時期に開かれ、市内外から4万5000人以上が集まる日野市最大の祭り。メインイベント…
 以降は有料版の記事でご参照ください。

日野で新選組まつり 「隊士パレード」配役決定
 「新選組」ゆかりの地の日野市で十三日、恒例の「ひの新選組まつり」が始まった。十四日にJR日野駅周辺などを練り歩くメイン行事「隊士パレード」の配役を決めるコンテストが高幡不動尊金剛寺であり、隊士ファンらが思い思いのパフォーマンスで会場を沸かせた。 (水谷孝司)
 約五十人のコンテストの参加者が、衣装やせりふ回しなどまで隊士になりきり、居合の型や演舞、自作の歌などを披露した。雨で屋外のイベントが中止されたり、場所が変更されたりしたが、コンテスト会場の五重塔内のホールは熱気に包まれた。
 審査の結果、日野市出身の「副長・土方歳三」役に埼玉県久喜市の岡安綾希子(あきこ)さん(35)、「局長・近藤勇」役に杉並区の安田友亮(ゆうすけ)さん(35)などが選ばれた。安田さんは昨年のパレードでも「土方」役で参加した。
 これに先立つ「高幡不動きものコンテスト」では、パレードに土方の恋人「お琴」役で参加するきものクイーンに八王子市の工藤麗加さん(25)が決まった。
 ひの新選組まつりは、五月十一日の土方の命日に合わせて毎年この時期に開かれ、今年は二十回の節目となった。十四日は午前十時~午後四時、パレードなどの会場となる川崎街道入り口から日野駅までの甲州街道は車両通行止めになる。

「屯所」で豚肉と芋…新選組まつりに創作料理
 幕末に活躍した新選組の隊士にふんした人々でにぎわう「ひの新選組まつり」が13、14日、東京都日野市内で開かれる。
 節目の20回目を迎えた今回は、新選組にちなんだ創作料理が登場するなど、全国から集まる新選組ファンのおもてなしに工夫を凝らした。
 ひの新選組まつりは、同市に生まれ、新選組副長だった土方歳三の命日(5月11日)の近くに毎年開催されている。JR日野駅周辺や、土方の菩提ぼだい寺・高幡不動尊などが会場となり、メインイベントの「隊士パレード」をはじめ、様々な行事が楽しめる。
 今年は、日野駅周辺の飲食店12店舗が、新選組にちなんだ「屯所とんしょ料理」を提供する。屯は豚、所は薯しょ(芋)を意味し、隊士が休憩する「屯所」とかけて、豚肉と芋類を使った創作料理が各500円(税込み)で味わえる。
 料理を注文すると、新選組がモチーフとなった人気ゲーム「薄桜鬼はくおうき」のキャラクターが描かれた特製コースターがもらえるといい、ファンには注目のアイテムだ。日野市の担当者は「新選組ゆかりの地として、多くの人々をおもてなしするとともに、街おこしにつなげたい」と語る。
 まつり期間中、飲食店が屯所料理を提供するのは13日のみ。14日は、市立日野第一小学校に開設する交流スペース「日野宿だんだら村」で、豚肉と芋を使った特製の弁当が味わえるという。屯所料理や弁当は、なくなり次第終了。
 14日は午前10時~午後4時、日野駅周辺で交通規制が実施され、午後1時半からは隊士パレードが行われる。会場周辺は幕末を再現したかのような独特の雰囲気と、多くの新選組ファンの熱気に包まれそうだ。

品川ゆかり 幕末、明治の偉人 区がリーフレットで紹介
 坂本龍馬ら幕末、明治維新期に活躍した人物の足跡を紹介するリーフレット「品川ゆかりの幕末・明治の偉人たち」を品川区が作製し、観光客らの人気になっている。
 A4判カラー3枚つづり。12人の人物像のほか、山内豊信(容堂)、伊藤博文、板垣退助らの墓などを記した地図を掲載。東大井に土佐藩の下屋敷があった関係でペリー来航時に江戸警護に当たった龍馬の像や、高杉晋作らによる英国公使館焼き打ち事件の舞台、御殿山の場所も分かる。
 区立品川歴史館の資料を基に、郷土史家の坂本道夫さんと区観光ガイドの渡辺瑞枝さんが執筆した。編集した、しながわ観光協会の大嶋秩佐さんは「品川には幕末、維新期の歴史舞台が詰まっている」と話す。
 区役所や区内の図書館、観光案内所などで無料配布している。問い合わせは同協会=電03(5743)7642=へ。 (梅村武史)

散った若者へ思いはせ 幕末の彰義隊 15日に150回忌法要
 幕末、無血開城後の江戸で徹底抗戦を叫び、新政府軍の猛攻撃に半日で敗れた彰義隊(しょうぎたい)。上野公園(東京都台東区)にある墓を、生き残った隊士の子孫が守り続け、十五日に百五十回忌の法要を迎える。墓の由来を知る人も少なくなる中で、大きな歴史の転換期にはかなく散った若者たちに思いをはせてくれるよう、子孫の一人は願っている。 (神谷円香)
 上野公園のシンボル、西郷隆盛像の裏手にある、樹木に囲まれた墓石。彰義隊の文字や隊士の名前はない。生き残った隊士小川興郷(おきさと)が建てた。「戦死之墓」の文字は、興郷と交流のあった剣術家山岡鉄舟の筆による。
 「子どもの頃は夜が怖くてね」。興郷の孫、東京学芸大名誉教授の小川潔さん(70)は、墓の隣にある家で生まれ育った。小川家は代々、墓守として十四年前までここに住んでいた。
 興郷は最後の将軍徳川慶喜が出た一橋家の家臣で、彰義隊結成の中心人物の一人だった。無残な死に方をした仲間への責任から、隊士の遺体が埋葬された上野に墓を建てようと奔走し、一八七四(明治七)年、新政府から許可を得た。
 だが「賊軍」への冷たい視線が苦境を招く。寄付が集まることを見越し七五年に銅製の墓を建てたものの支援は得られず、墓を借金のかたに取られてしまう。墓が荒れ放題になるのを案じた日蓮宗の支援で九年後、現在の墓を再建。興郷は墓の隣に家を構えた。以来、小川家が墓守をしてきた。戦後にできた都市公園法を機に、曖昧な土地の所有権をはっきりさせることが必要になり、都から立ち退きを求められたこともある。住むことは認められたが、土地は都の所有となった。
 潔さんは三十五歳で家を出た。公園の自然を愛し、大学でタンポポを研究しながら、近代史も独自に学んだ。二〇〇三年、墓守を継いだ長兄の彰さんが体調不良で転居し、家はなくなった。自宅内の資料室に展示していた隊士の遺品や資料は、地元台東区に寄贈。一部は潔さんが保管する。
 彰義隊は小説やドラマでさまざまに描かれる。幕府への忠義を貫いた英雄、あるいは動乱に乗じて一旗揚げようとした「烏合(うごう)の衆」とも見なされる。
 潔さんはどちらにもくみしない。「事実だけを知ってほしい。一方的な評価ではなく、一人一人の隊士や関わった人のことを伝えたい。行動を美化も、否定もしたくない」。ただ、新政府軍の指導者だった西郷の像が、墓に背を向けているのには複雑な感情を抱く。
 隊士の子孫という人からは今も問い合わせを受ける。「記録は残しておく必要がある」と、墓と小川家の歴史を書き残す作業を進めている。
<彰義隊> 徳川慶喜の生家、一橋家の家臣らで1868(慶応4)年2月に結成。慶喜の護衛や江戸の警備を掲げ、隊士は2000人を超えたともいわれる。同年5月15日の上野戦争では1000人前後が戦った。最新鋭の大砲を備えた新政府軍の圧倒的な軍勢を相手に、半日で敗戦。戦場の寛永寺はほぼ焼失し、隊士の遺体は野ざらしにされた。後に266体が埋葬され、その場所に墓が建てられた。

福島
「奥羽越列藩同盟」ゆかり自治体連携へ 若松・戊辰150周年実行委
 来年の戊辰150周年に向け、会津若松市戊辰150周年記念事業実行委員会は、戊辰戦争時に新政府軍に対抗するため東北と越後の諸藩で結成された「奥羽越列藩同盟」にゆかりのある自治体関係者を参集した広域連携事業を展開する。実行委が同市で開いた総会で決めた。
 広域連携事業では、今年11月上旬に講演会を中心としたシンポジウムを開く。さらに今夏に開設する予定の特設ホームページで全国のゆかりの地を紹介する。
 このほか戊辰150周年PRの顔となる「ミスター新選組コンテスト」を開き、新選組の近藤勇や土方歳三、斎藤一などを決める。
 来年度は記念式典を行うほか、同市内を周遊するクイズラリー「戊辰ミステリー宝探し」も実施する。
 また、戊辰150周年記念宣言を策定して多言語で世界に発信していく。室井照平市長は「会津の精神文化を正しく伝え、先人の活躍を顕彰し、次代に引き継いでいく」と語った。

<新撰組>「局長」50回目の慰霊
 幕末に活躍した新選組で局長を務めた近藤勇を慰霊する墓前祭が、近藤の墓がある会津若松市の天寧寺で開かれ、新選組ファンら約20人が参列した。
 墓前祭は近藤の命日に当たる4月25日に執り行われた。会津若松ライオンズクラブが毎年の命日に開き、今回で50回目。同クラブの宮沢吉英第1副会長は「クラブが存続する限り墓前祭を続けていきたい」とあいさつ。読経の後、一人一人が焼香した。
 近藤の兄の子孫である宮川清蔵さん(78)、清志さん(41)=茨城県牛久市=親子も参列。清志さんは「50年も墓前祭を開いていただき、縁者としてありがたく思う。会津の人との絆を感じる」と話した。
 新選組は京都守護職を務めた会津藩主松平容保の配下で、京都の警備に当たった。組のリーダーだった近藤は戊辰戦争の時、江戸で処刑されたが、天寧寺には会津に逃れた副長の土方歳三が建てたと伝わる近藤の墓がある。葬られているのは、遺髪という説や首という説がある。

北海道
【ボクらの維新通信社 連載】なりきりコンテストに迫力のパレード!
■ 戊辰戦争最後の地・五稜郭で開催される 見どころ盛りだくさんのお祭り!
【写真を見る】開城セレモニー。礼砲を担当する額兵隊に扮するのは、函館駐屯地の陸上自衛隊。さすがのリアリティと迫力! 
連載第3回は、土方歳三や榎本武揚、中島三郎助父子、大鳥圭介など戊辰戦争を旧幕府方として戦ったスターが勢ぞろいの五稜郭で、毎年行なわれている有数のお祭りをご紹介!
徳川海軍の気鋭・榎本武揚、伝習隊を育てた男・大鳥圭介、新選組の鬼の副長・土方歳三、額兵隊隊長・星恂太郎など、旧幕諸将と東北諸藩の雄が戊辰戦争を最後まで戦い抜いた地・箱館。現在の函館市では、毎年『箱館五稜郭祭』が開催されています。戊辰戦争で命を落とした旧幕府方の人々を慰霊し、その志と歴史を後世に伝えるため、昭和45年(1970)から始まったこのお祭り。今年は5/20(土)、21(日)に開催予定です。初日の碑前祭では、例年、中島三郎助父子最後之地碑、碧血碑、土方歳三最期之地碑、箱館戦争供養塔を回り、諸将と兵士を弔います。榎本武揚に扮した実行委員の献花や、自衛隊による礼砲、そしてこのお祭りの名物、土方歳三コンテストが開催されるのも初日です。女性も参加どころか優勝することもあるこのコンテストでは、土方になりきった参加者がパフォーマンスを披露してしのぎを削ります。 2日目は、そのコンテスト優勝者も加わる維新パレードに大注目! 旧幕軍や新選組、新政府軍に扮した参加者や、黒船を模した山車が堂々行進する様は一見の価値アリ。アクションパートでは、迫真の殺陣に砲声まで上がる派手なパフォーマンスも。パレードは明治2年(1869)5月の五稜郭明け渡しを再現した、五稜郭公園の開城セレモニーで大団円。規模もにぎやかさも全国有数のこのお祭りは、旧幕府や土方ファンはもちろん、幕末好き全員にオススメです。【東京ウォーカー編集部】

三重
幕末の藤堂藩の活躍知って 市郷土資料館で企画展
 名張藤堂家邸(同市丸之内)に残る古文書などから幕末の藤堂藩の活躍を紹介する企画展「大政奉還150年 名張藤堂家資料から見る幕末の藤堂藩」が名張市安部田の郷土資料館で開かれている。【天誅組の変を描いた絵図を見ながら藤堂藩の活躍を紹介する山口さん=名張市安部田で】
 大政奉還から150年の節目にあわせ、幕末の動乱期の歴史的な出来事に藤堂藩や伊賀地域の人々が関わっているのを知ってもらおうと企画した。
 会場には土佐藩が幕府に大政奉還するよう求めた建白書の写しなどの古文書8点と、家臣宅に残されていた洋式銃「エンフィールド銃」、生き人形師安本亀八が天誅組の変を描いた「和州騒動絵図」の拡大写真も並べた。
 解説パネルでは、天誅組(1863年)の変から戊辰戦争終結(1869年)までの藤堂藩の活躍や、鉄砲隊などで活躍した半農半士の「無足人」と呼ばれる人々について紹介した。新政府軍と旧幕府軍が争った鳥羽伏見の戦い(1868年)では、当初幕府軍側だった藤堂藩が官軍となった新政府軍に翻り鉄砲隊が攻撃したことで旧幕府軍総崩れの要因を作ったことなども解説している。
 資料館職員の山口浩司さんは「展示をきっかけに現地に足を運ぶなど興味を持ってもえたら」と話している。
 企画展は5月28日までの午前9時30分から午後4時30分。月・木休館。
 問い合わせは同館(0595・64・7890)へ。

高知
知っちゅう?高知城歴博「幕末・維新の言葉」展 人情味と愛らしい一面 /高知
 土佐藩十五代藩主の山内豊信(とよしげ)(容堂、1827~72年)は「幕末の四賢候(しけんこう)」に数えられる偉人だが、土佐勤王党を弾圧した歴史などから、坂本龍馬らと比べ「非情な権力者」のイメージが強い。そんな殿様を題材にした「幕末・維新の言葉 山内容堂の主張」展が県立高知城歴史博物館(高知市追手筋)で開かれている。史料からは意外な一面も垣間見え、渡部淳館長は「愉快な男」とさえ語る。その実像に迫った。【岩間理紀】
 以下は有料版記事にて。

神奈川
三宝寺幕末期の住職・弁玉を学ぶ 文化命日ちなみ講演会
 幕末から明治初年にかけて浄土宗三宝寺(樋口芳宏住職)=台町7の1=の第21世住職だった大熊弁玉の命日にちなみ、同寺で4月29日、第2回「ゆらむろ忌」講演会が催された。
 弁玉は雅号を「由良牟呂」といい、長歌集『由良牟呂集』(1879年刊)を残し翌年63歳で他界。その作品は新体詩の先駆けと位置づけられ、変貌する横浜の歴史文学として高く評価された。しかし、時代遅れとなっていた万葉古語を用いていたため、その後語り継がれることはなかった。 
 横浜大空襲で焼けた際、弁玉に関する多くの資料も焼失した。同寺は郷土史家らに協力をあおぎ、収集作業を進め、2014年には弁玉の史料を展示するコーナーを開設。これをきっかけに、シンポジウム開催の機運が高まった。
 同講演会には、区内外から180人が参加。歴史研究家などを講師に招き、激しく変わる世の中の動きや世相、文明開化の事物などを庶民の視点で詠い続けた弁玉の業績を学んだ。2回目の開催にあたり樋口住職は「弁玉を知ってもらうため、ゆらむろ忌を継続していきたい」とあいさつした。
広瀬和生さんプロデュースのシリーズ。ちなみに第1回は「文七元結」だったそうだ。文七と「ある人物」のエピソード……佐野槌の女将だと嬉しいんだけど聴けなかったので残念。

 談笑さんの「居残り佐平次」には思い入れがある。大金がかかるお大尽遊びを一晩ぱっとやって、後で居残りとわかると自分を叩きのめすはずの若い衆《わかいし》になけなしのお金を全部渡して、手心を加えさせる、というプロっぽい手口がまずいい。そして、女郎たちを取り巻くところに化粧の仕方だけでなく新興宗教ちっくな笑顔の大切さが入ってきたり、夜の実技指導をしたり。今日は特に「品川甚句」の踊りの指導をする場面が入ったり、ご内証では複式簿記もつけたり、八面六臂。そして、この女郎屋の全員をたらし込み、旦那を追い出してしまう凄腕ぶり。旦那の捨て台詞が落ちなのもいい。

 今回かけられたのは本編よりだいぶ軽いが、本編が幕末設定となるよう脳内で時間を巻き戻すようアナウンスがあり、そこから御殿場での花見。うん、御殿場の吉宗公お手植えの桜が削られたという幕末設定だね。
 何と佐平次は徳川家側の隠密で、幕府の御用金を盗んだりする不逞の下級幕臣を「お化け白木」(「品川心中」の舞台)の主人として情報収集し、時にはお庭番衆と協力して始末する。店は解散するが、どこまでもついていくと言った女房に明かした次の任務とは……という話。
 幕末大好きな私としてはこれでオチ、はちょっともったいない。もう少し引っ張ったエピソードにできるのに。もう少し練り込めば幕末にあったかも知れない裏話エピソードいいんじゃないかな。

 そして第3回は「井戸の茶碗」。フィーチャーされるのは千代田のご老人の過去か、はたまた高木佐久左衛門と祝言を挙げたご老人の令嬢か、それとも屑屋か。これも楽しみ。
野間みつねさんと毎年恒例、日野の散策。

石田寺 土方さんの墓前で手を合わせる
とうかん森 お稲荷さんにご挨拶
土方歳三資料館 特別公開の和泉守兼定を拝む。ヒジカタ君の限定グッズを購入。
日野館 鴨焼き、天ぷら、蕎麦をいただく。私は升酒とともに。
佐藤彦五郎資料館 特別公開の越前康継ほか展示品を鑑賞。
日野本陣 通過
八坂神社 通過
井上源三郎資料館 グーグルマップさんがとんでもない裏道を指図してくれた。残念、休館
宝泉寺 源さんの墓前で手を合わせる

 かなり直射日光の厳しい一日で日焼けに肌が火照る。

 みつねさん、今年もお付き合いありがとうございました。



ACTシアターの志の輔らくごも5年連続。初日。

第一部 大忠臣蔵〜仮名手本忠臣蔵のすべて

 今回は顔世夫人についての言及はなし。桃井若狭助について強調しておいて、終幕の解説で引き立てる。家老の加古川半蔵については逆にトーンダウンし、山科の段では大石親子とのやり取りも省略され気味。
 後半の五段目を理解するための通し解説といいつつも、本筋のところをしっかり押さえて。討ち入りは武士の敵討ちの話だけど、おかるの父与惣兵衛夫婦に象徴される農民、天川屋利兵衛に象徴される商人を登場させて武士以外の身分の観客にも共感性が持てるようにフィクション部分を膨らませている、というメッセージ。

第二部 落語 中村仲蔵

 五段目の塩冶判官切腹の場にも太棹を鳴らして演出性を高めたところが新演出のようで、とてもよかった。中村仲蔵が演じる斧定九郎の部分も芝居性を高め、ライティングを強調し、志の輔が描写する様子は色彩のコントラストを強調し、あたかも芝居を見ているような。
 芝居の歴史の一ページを刻む、役の革新。血筋や身分など伝統に縛られた制約、名人團十郎や師匠の夫婦とお岸を除いて周囲は敵という苦境からの産みの苦しみ、偶然出会った浪人から得られるセレンディピティ。それが舞台に結びついた時の新しさや洗練。
 いろいろなものを感じたけど、「生きる勇気」をもらった、とまとめたい。
今月はチケットが取りやすかったので千穐楽に昼の部・夜の部を連続で見てきた(腰に悪いが)。

<評>染五郎、はまり役 歌舞伎座・四月大歌舞伎
 歌舞伎座昼の部の「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」は「追駈(おっか)け」から「奥庭」まで。市川染五郎が福岡貢(みつぎ)を片岡仁左衛門の型で演じる。初役だけに手いっぱいだが、柄にぴったりのはまり役で、キリリと引き締まった姿かたちの爽やかさが第一。やはり初役の市川猿之助の仲居万野は憎々しさがやや表層的。いずれも再演に大いに期待したい。片岡秀太郎の今田万次郎が春風駘蕩(たいとう)、独自のおもしろさで秀逸。嵐橘三郎の大蔵、市村橘太郎の丈四郎が現今難しい上方風の喜劇を腕で見せる。
 「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 熊谷陣屋」、松本幸四郎の熊谷はスケールが大きい。市川左団次の弥陀六(みだろく)が、武将の手づよさ、悔恨の情、義経・熊谷への複雑な思いをせりふで明瞭に描き出す。猿之助の相模はぐっと抑えた芝居に母の情がにじみ出す上出来。染五郎の源義経、市川高麗蔵の藤の方はともに品格があっていい。昼の部はほかに「醍醐(だいご)の花見」。
 夜の部「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」の中村吉右衛門の又平は、サラサラと自然に演じているのにその境涯の悲哀の重さがひしひしと伝わってくる。中村歌六、中村東蔵の土佐将監(とさのしょうげん)夫婦が情愛に富み、尾上菊之助初役のおとく、中村又五郎の雅楽之助(うたのすけ)、中村錦之助の修理之助(しゅうりのすけ)まで好演ぞろいの一幕。
 「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ) 帯屋」は坂田藤十郎の長右衛門の、真っ赤な鼻緒の木履を抱いて花道を引っ込む姿がしたたるように官能的。中村壱太郎(かずたろう)がお半と長吉の二役。上村吉弥のおとせは意地悪さの中に程よいおかしみがある。ほかに猿之助の「奴(やつこ)道成寺」。二十六日まで。 (矢内賢二=歌舞伎研究家)
渡辺保の歌舞伎劇評
2017年4月歌舞伎座
円熟の「吃又」
 「吃又」は吉右衛門の当たり芸の一つであるが、今度は前回と違って一変している。むろんやっていることは前回と同じだが、その芸の心境が違うのでま
るで新しいものを見ているようであった。
 どう変わったのだろうか。
 第一に前回まではここぞという仕どころが目立って面白くもあり、よかったのだが、今回は総体に流れる如く自然でリアルでサラサラ運んで、それでいながら前回に倍増して見る者の心を抉る深さを持っている点。
 たとえば花道の出。いつもの型通りだが、そこに深い思いが潜んでいて目が離せない。あるいは将監が修理助に名前をやったというのを聞いてスーッと顔をあげる。そのあとおとくに「こなたを吃りに産み付けた親御をうらみなさんせいな」といわれてのなんとも言えない表情。さらに必死のお願いの吃音もうまいが、その表情たるやいうにいわれぬ思いつめた無限の思いがあって引き込
まれる。あるいはまた「親もない、子もない」の寂しさ、孤独の翳が広がる。あるいは「(吃りでなくば)こうもあるまい」という悲痛さ。「斬らっしゃりませ」と階段を上がる必死の覚悟の姿。いずれもスッと肩の力が抜けていながらはるかに深く強い力が出ている。自分の運命に呆然としている表情が印象的で忘れられない。
 第二にそのために余韻が出ている。
 たとえば筆をもって手水鉢へ歩いて行くところ。なんでもなく歩いていているようで、今までになかった味わいが滲んでいる。芸の光彩である。これを円熟というのだろう。
 第三に、以上の結果、又平という人間の悲劇が私たち現代人の身近な鮮やかさで迫ってくる。それでいていかにも歌舞伎的なのは、型が身体の身内に消化されて、この人が自由になったからである。しかも自然と型の本質にはまっている。手水鉢に絵を描く瞬間の、「名は石魂に止まれと」の必死の形相の凄さでも、力がだれよりも入っていながら軽くて快い。その快さが観客の共感を呼
ぶ芸の艶である。
 たとえば「さりとはつれないお師匠様」や「嚊、抜けた」というところが前回までは多少の型の堅さがあったのに、今回はすんなりして一分の違和感もないのもそのためである。
 以上三点。吉右衛門の芸の心境、長足の進歩である。

 菊之助初役の女房おとくは、しっとりと嫌味の微塵もないいい出来である。吉右衛門を向こうに回して必死に情を出そうと大奮闘である。しかもこのおとくは独特なところがある。たとえば花道の出。普通は七三で本舞台を見て思わず足が止まるところへ又平が突き当たる。大抵はそうである。ところが菊之助は七三で俯いて思案に暮れるから足が止まる。おとくはおとくなりの思いに沈
んでいる。そういうおとく。この女には又平とはまた違った人生があるのだろう。しかしただ一ついけないのは、冒頭のしゃべり。ここは亭主の吃り を庇おうとしてしゃべるのはむろんだが、同時に女形独特のしゃべりの芸でもある。
 女形にしゃべりの芸が生まれたのは、しゃべらずにはいられない女形独特の生理による。そのモチーフが菊之助に全くないのは菊之助が最近立役に手を染めているからだろう。
 歌六の、きびしさと優しさの両面を描いて貫目もあるいい将監。前月の「岡崎」の幸兵衛女房に続く東蔵の北の方が品よく、気配りもいいふくよかさ。役者によってこうも役が膨らむものか。加えて錦之助一代の傑作修理助。前回よりも年を取ったのを考えて、白粉も厚く若返って色気も加味しているが、相変わらずこの役にピッタリ。将監が又平を手討ちにするというのを聞いて恐れて
平伏する芝居のほどよさ、手に入ったものである。
 この三人がいい上に、吉三郎吉五郎以下の百姓までそろって、この連中が引込んで葵太夫寿治郎で「ここに土佐の末弟」とくると、さすがに広い間口の歌舞伎座の大舞台がピーンと一本綱を張ったように引き締まるから恐ろしいものである。これだからこそおとくと又平の出が新鮮になる
 キッパリと歌舞伎味十分の又五郎の雅樂助も含めて、全員のイキがあって水も漏らさぬチームワークの近来稀な舞台。吉右衛門チームの勝利である。

 夜の部はこの後の「帯屋」も見ものである。
藤十郎東京初役の長右衛門。私ははじめて見た。前半いささかたどたどしいところもあり、後半で布団に蹴躓いてハラハラしたが、今日はまだ二日目ゆえ是非もない。しかし長右衛門としてのニンは天下一品。私がかつて見た初代吉右衛門や寿三郎と違って柔らか味と色気のある持ち味は独特の上方風である。ことに幕切れ、死に行くお半を追って表へ出て、木履をもっての引込みは、濃厚
な持ち味で見ものであった。
 扇雀の女房お絹が控えめでしっとりとしていい女房ぶり。ことに百両の金の使い道が自分の弟のためと聞いての驚きがうまい。ただ少し気の強そうに見えるところがあるのが玉にキズ。壱太郎の長吉とお半の二役は、長吉が意外にも舌足らずなところがあって滑稽味が薄い。お半は可愛らしさを出そうとして背を盗むのが丸見えで困る。一月の静御前の大当たりに大いに期待して行ったが
期待外れで残念。染五郎の儀兵衛は、全員大阪役者のなかでたった一人東京役者。ネイティブで
ない不利をなんとか器用にこなしてはいるが、何分ともにニンにないのは如何ともしがたい。ことに悪が効かずゲスっぽさがないのは是非なし。その点、吉弥のおとせはお手の物。手強いうちに滑稽味があって面白い。藤十郎を除けばこの幕第一の出来。壽治郎の隠居繁斎は、気の弱いのはいいが芸も弱いのは困る。
 この後に猿之助の「奴道成寺」。器用に踊ってくどきの三つ面も鮮やかだが、どういうわけか終始不機嫌そうに見えるのは、愛嬌が足りないせいか。右近隼以下の所化、長唄は今藤尚之稀音家祐介、常磐津は兼太夫文字兵衛。

 昼の部は幸四郎の「熊谷陣屋」。
 花道へ出たところ、いつもより顔が赤く濃くニンは立派な熊谷だが、七三で珠数を刀にあててチャリンとさせたり、木戸の外で草履を脱いだりするのは困りものである。
 しかし「妻の相模を尻目にかけ」でハッとする具合のうまさ、「オーイオーイ」の凛凛たる調子、物語の前後のカドカドで細かく相模の反応を伺う細緻さ、「討ち奉る」で二重の肚を効かせるうまさはさすがである。
 二度目の出から制札の見得はスケールが大きいが、三度目の出からは味が急に薄くなり、ことに花道七三で編笠を被った後もう一度笠を揚げて観客に大きく泣き顔を見せるのは過剰な当ッ気。つづいてこらえかねての泣き過ぎのオーバーさはかえって余韻を失い、前半の好演が帳消しになりかねない。
 どうかと思った猿之助の相模は、思いがけなくも神妙で、この人今月の三役中第一の出来。情もあり、色気もあり、「国を隔てて十六年」のくどきまで立派にやってのけた。真女形はだしのうまさである。
 高麗蔵の藤の方は度重なるお勤めでおつとりとした品格が出て来て、猿之助の相模を向こうに回して確かにその女主人と見えたのは大手柄。
 左団次の弥陀六が本役。述懐がさすがに聞かせて飽きさせない。
 染五郎の義経、錦吾の梶原、松江の軍次。
 幕開きの花褒めに高麗五郎の庄屋なる役が出て、梶原が弥陀六を連れて詮議に来ているという筋を売る。一見親切なようだが、そうなれば藤の方、相模の入込みもいわねばならず、結句無駄か。

 この「陣屋」の前に舞踊劇「醍醐の花見」と染五郎初役の「伊勢音頭」。
 役者の都合だろうが、本当は時代物の「陣屋」、世話物のくだけた「伊勢音頭」という狂言建が順当で、観客の生理からいえばこの立て方は疲れるし、役者も損をしている。

 さてその「伊勢音頭」はいきなり追っ駆けから。ない例ではないが観客にはわかりにくい。
 橘三郎の大蔵、橘太郎の丈四郎は今日では最上の配役。リアルで可笑し味があっていいのだが、私が昔見たたしか璃珏と九団次の大蔵丈四郎の上方風追っ駆けの面白さに比べると物足りない。あの時は満員の歌舞伎座の客席が抱腹絶倒で揺れたのである。あの狂熱がほしい。一つは時代が理に詰んで、野放図な喜劇が少なくなって来たせいだろうが、もう一つは下座の合方が東京風で淡泊なのと、役者の体がそれに乗りきっていないために両者一体の相乗効果が出ないためだろう。隼人の奴林平は真面目過ぎて硬い。この役にも実はとぼけた味がいる。
 廻って二見ヶ浦。染五郎初役の福岡貢は、花道から出たところ、黄八丈の着付けがいくらか黒っぽ過ぎるように見えるが、まずは本役。いい貢である。秀太郎の万次郎は体の柔らかみ、仁左衛門や故人団十郎や梅玉の大舞台でも立派に通用する万次郎である。
 さて二人が本舞台へきて丈四郎に突き当たっての、貢の「とんと気違いのようじゃ」は味も素っ気もないが、密書を口咥えた立身の姿はまことにいい味である。

 だんまりになる。これに限ったことではないが、最近のだんまりは誰もが闇の中で人の気配を感じるという感覚がないために味も面白さもない。染五郎の貢も密書を読もうとするだけで、この闇、この人の気配への表現がないためにただの踊りじみた動きになってしまう。むしろ磯辺の白波の光で透かして読もうというキザな演出があった方がいい。したがって「嬉しや日の出、読めた」
が引き立たず、愛嬌不足で見ているこっちはちっとも「嬉しく」ない。まずは部分的に上出来。いい貢だけに再演に期待したい。

 油屋になる。
 染五郎の貢は、仁左衛門に教わったとかで道具がまず仁左衛門型。音羽屋型の上手二階の障子屋体ではなく、平舞台一階の簀戸の屋体である。奥庭の殺しも上手二重に丸窓がある。芝居も仁左衛門型。しかし仁左衛門型にしては大事な性根を覚え損なっている。仁左衛門の貢はあくまで女たちにやさしく、見栄っ張りでもあるところ。だから滅多に怒らない。それをいいことに女たちが付け込む。万野にいじめられた貢が思わずカッとなって立ち上がる、腰の刀を手で探す。ない。そこで菊五郎型ならば癇癪を起して扇を引き裂く。仁左衛門で行けば腰を探った時点でハッと気が付いて照れ隠しに手を後ろへ廻して帯を締め直すふりで胡麻化す。優しさとテレ性で見栄っ張り。仁左衛門の貢はそういう男なのであり、その性根はここにある。染五郎だとそれがあいまい。この人にはおっとりした仁左衛門型よりも本当は癇性の強い菊五郎型があっているのかもしれない。しかしこの点を別にすれば、姿のすっきりしたよさといい、柔らか味といい、いい貢。将来この人の当たり芸になるだろう。万野を斬ってののれんを肩に掛けた形、奥庭の殺しになってカドカドのキマリの形といい、まことに貢ぐらしいよさである。
 猿之助初役の万野は、パッとのれんを揚げると突っ立つて居る姿といい、ものすごい怖い目つき、意地悪そうな唇の歪め方、全て現代風で観客大受けであるが、「伊勢音頭」の芝居らしくない。顔だけの現代式だからであり、主役の染五郎の貢とも釣り合いが取れていないし、芸の面白さになっていないからである。
 万次郎のお鹿は、出て来たところお定まりの古風な拵えでさぞいいだろうと思いの外に面白くない。一つは染五郎、猿之助、梅枝に囲まれては浮いているからである。役者の看板、人気を別にすれば、芝居としてはこの人こそ万野、猿之助がお鹿に廻った方がずっといい舞台になったに違いないし、万次郎も猿之助も得だったに違いない。
 梅枝のお紺はきれいだが、女郎ではなく芸者っぽい。仁左衛門型だから愛想尽かしの後の出はカット。いきなり奥庭の幕切れに出る。米吉のお岸も梅枝同断に芸者。伊勢古市の油屋はどうやら花柳界らしい。
 松也の喜助は無暗に江戸ッ子がっている割には江戸前のすっきりしたところがない。
 秀太郎の万次郎はここでも光っているが、米吉のお岸とはバランスが悪い。
 京妙の千野が客を迎えて「舞の会」の演目は「伊勢音頭」と「保名」だというのは下座で「保名」を使うからだが、要らぬ説明。そんなことをしたら殺しは「山姥」だといわなければならなくなる。第一「保名」をいいたいならば「小袖物狂」というべきだろう。
 桂三、由次郎、錦一の阿波のお客一行。

 「醍醐の花見」は中内蝶二の作詞、吉住小三郎が曲をつけた長唄の人気曲。
これに今度はじめて勘十郎が振りをつけた舞踊劇。今井豊茂補綴。
 鴈治郎の秀吉、扇雀の北の政所、壱太郎の淀殿、右近の三条殿、笑也の松の丸殿、笑三郎の前田利家夫人まつ、歌昇の大野治長、松也の秀次の亡霊、右団次の石田三成、種之助の大野治房、万太郎の曽呂利新左衛門という歴史上の大人物を集めてわずか三十分で全員を裁いたのは器用ともなんとも言いようがない。しかしそれにしても昔の有名人揃いも揃って踊りがうまくなかったらしい。
 もつともその頃は歌舞伎踊りは存在しなかったが。

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『渡辺保の歌舞伎劇評』http://homepage1.nifty.com/tamotu/

 こういうプロの劇評を見ているとやはり重みが違う。誰からどういう芸を引き継いだ型で、どうふう工夫があって、それがニンに合っているのかどうかまできっちり評価している。

 では、拙くも、私も。

 昼は染五郎の福岡貢がまだ荒削りだけどよかった。幸四郎の熊谷直実はちょっと力み過ぎている感じがあった。相模を猿之助がやっていて、この人は女形もいけるのかと感心した。

 夜は上方者が二本続いてちょっと辛かった。吃又は芸的に凄いのだろうけど私的にはちょっとオーバーリアクション気味。菊之助の女房おとくがいい女やった。桂川連理は主人公の長右衛門が姑と小姑の嫌がらせを我慢して我慢して、一回の過ちで隣のお嬢さんを孕ませちゃって、女房がよく出来た人なんだけど養子の悲しさで強く店と家族を仕切ることができない。あぁ見ててストレス溜まる。
 最後のスーパーダンサー猿之助の奴道成寺が華やかで、大向こうも盛り上がって、そうそうこれがいいんだよなと楽しんだ。
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