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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
短いですが、幕末関係のクリッピング記事紹介です。今日はEテレ『先人たちの底力 知恵泉』で榎本さんが取り上げられます。

福島
【復元促進の出発点に】天守閣再建50周年(1月26日)
 会津若松市の鶴ケ城天守閣は今年、再建50周年を迎えた。4月に内部が改装オープンし、9月予定の記念式典まで行事が続く。成功を願う。
 東日本最大級の城郭であり、歴史の興亡に彩られた名城だ。本県観光の目玉、市民のシンボルとして愛されている。復元整備は道半ばであり、前向きな議論はあまり聞かない。城の将来を語り合う「市民会議」のような場を設けてはどうか。復元促進の機運を熟成し、城の魅力をさらに高める出発の年としたい。
 葦名氏時代の14世紀創建とされる。天正18(1590)年に領主となった蒲生氏郷が天守閣を建て、城下町を整える。現在の市街地の元となった。建造物は戊辰戦争後に壊されたが、天守閣、走り長屋、鉄門は昭和40(1965)年9月に再建された。
 再建を前に「全会津の悲願」と推進論の一方、「文化財の破壊」「復古調」の批判が起こる。市議会で39年7月に可決された再建事業特別会計補正予算は18対16の僅差だった。市民を巻き込む激論が再建のエネルギーを生んだことを思い起こしたい。
 市は天守閣内の改装に約1億2千万円を投じた。1階の企画展示室、2階の常設展示室を整備する。管理運営する会津若松観光ビューローは展示品を充実させる。記念式典は9月19日の予定だ。21日から始まる会津まつりと相乗効果を上げてほしい。
 ただ、再建50周年をお祭りに終わらせてはならない。歴史遺産、観光地としての価値を磨く取り組みを進める契機にすべきだ。市が天守閣再建50周年記念事業方針で掲げた御三階[ごさんかい]の復元は実現していない。天守閣の赤瓦へのふき替えと外壁の塗り替えが完了しただけだ。平成8年度策定の史跡若松城跡総合整備計画で示された干飯櫓[ほしいやぐら]と南走[みなみはしり]長屋復元は13年に実現したものの、裏門、月見櫓、塀などの復元は手付かずだ。
 計画をたなざらしにしないためにも議論を喚起する必要がある。「予算がない」「政策的な優先順位が低い」などの意見がある。しかし、復元は地域活性化に直結するはずだ。賛否を含め意見を出し合えば課題が浮き彫りとなり、解決策を講じる一助となる。議論を尽くし、城の将来展望を描くことに意義がある。
 東日本大震災、東京電力福島第一原発事故で減った観光客を呼び戻すためにも魅力向上は欠かせない。熊本城、名古屋城などは建造物を次々と復元している。増加する外国人観光客の誘客合戦にも負けてしまう。手をこまぬいてはいられない。(鞍田 炎)

神奈川
幕末の偉人しのぶ 中島三郎助まつり/浦賀
 1853年のペリー提督来航時に黒船へ乗船して対応した浦賀奉行所与力、中島三郎助をしのぶ催しが25日、横須賀市浦賀の住友重機械工業機関工場で開かれた。三郎助を描いた垂れ幕の下、多くの家族連れらが幕末の偉人に思いをめぐらせた。

 地元住民らでつくる中島三郎助と遊ぶ会の主催で21回目。

 三郎助は日本初の西洋式軍艦を浦賀で建造し、桂小五郎(木戸孝允)に造船術を教えた。戊辰戦争では箱館(函館)で新政府軍と戦い、息子とともに戦死。終焉(しゅうえん)の地である函館市中島町は「父子の忠節にちなんで名付けられた」とされる。

 会場では三郎助の足跡をたどるパネル展が開かれ、ひ孫の中島恒英さん(69)=海老名市=も来場。展示に見入っていた女性(67)=横須賀市港が丘=は「ペリーとの交渉役を務めたのは有名だが、函館まで行って戦っていたのは初めて知った。勉強になった」と話していた。

 模擬店や市立浦賀中学校による吹奏楽演奏、ゴスペルソングなども会場に花を添えた。遊ぶ会会長の大内透さん(68)は「こうして子どもたちや地域住民が集う場をつくることで、浦賀の町を愛していた三郎助の思いを継ぐことにつながってほしい」としていた。

テレビ
負けても生き残れ!波瀾万丈な人生を送った榎本武揚の思いとは?『先人たちの底力 知恵泉』
人々が組織や社会の中で直面している様々な課題、実はそれらは先人たちが取り組んできたものと通底する。現代人の課題や関心事項を毎月1テーマずつ設定し、解決へのヒントを歴史上の人物の知恵と行動から探っていく番組『先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)』(NHK Eテレ)。

1月27日(火)は、「負けても生き残れ!」をテーマに、「だから、生きる 榎本武揚 敗北からの復活劇」を放送する。今回取り上げる榎本武揚ほど波瀾万丈の人生を送った人物も少ないのでは? 幕府の御家人として、最後まで明治新政府に抵抗した榎本。その後、一転して政府の高官となったことから、後世からの誤解や批判も多い。しかし実は、その博覧強記ぶりから国に多大な貢献をした人物。これまで光が当たりにくかった榎本の業績を掘り起こしていく。

幕府の旗本の家に生まれ、12歳で昌平坂学問所に入り、長崎の海軍伝習所に学び、さらには、幕府に派遣されてオランダに約4年間留学。その間、儒学、砲術、航海術、数学、化学、国際法、経済、蘭・英・仏・独の各国語など、文系・理系をとわず、あらゆる学問を身につけた、まさに博覧強記の人物だ。

ところが、榎本が1867年に帰国したとき、日本は動乱の真っ最中。将軍・徳川慶喜による大政奉還、翌年には戊辰戦争が勃発する。榎本は江戸城の無血開城に抗し、八隻の艦隊を引き連れ、蝦夷地に向かう。しかし新政府軍によって陥落。榎本も自害しようとするが、官軍総参謀・黒田清隆らに必死で止められる。その後、榎本は以後一転、明治政府の高官として外交や殖産興業に尽力する。なぜ黒田は榎本を生かそうとしたのか。榎本はなぜそれを受けたのか……。榎本の生き方から見えてくるものは?

■『先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)』
毎週火曜 23:00~23:24(NHK Eテレ)
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