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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
落語ブログ化しているのを自覚しつつ、新年ぐらい幕末関係のニュースとりまとめを。旧幕府側の記事多めなのが当ブログらしいところです。

岩手
宮古港400年、歩み発信へ 「新撰組ゆかり」PRも
 岩手県内で最も歴史の古い港として発展してきた宮古市の宮古港は2015年、開港400周年を迎えた。1611(慶長16)年の慶長津波の被害から復興するため、1615(元和元)年に2代盛岡藩主・南部利直公によって藩港として定められ、漁業や交易を中心に発展してきた。400年後の今、くしくも東日本大震災からの復興に歩む姿と重なる。今春から数々の記念事業を展開し、本県沿岸の拠点都市として、海の恩恵を生かしたまちづくりを全国に発信する。

 宮古港400年の歴史の中には、新たな時代をひらく命がけの戦いがあった。1869(明治2)年、新政府軍と旧幕府軍が激突した「宮古港海戦」。145年余りの時を経て、宮古市では有志団体「宮古海戦組」が宮古の知名度向上や観光振興につなげようと、当時を思わせるいでたちでPR活動を展開している。

 海戦では旧幕府軍が新政府軍の軍艦「甲鉄」奪取を狙ったが敗北した。旧幕府軍には新撰組(しんせんぐみ)の土方歳三が参戦したとされ、全国に根強くいる新撰組ファンにとって同港は名所の一つだ。

 同団体は400周年に合わせ、今年9月19、20の両日、新撰組ゆかりの地で毎年開く「全国新選組サミット」を宮古に誘致。宮古秋まつりのパレードへの参加やミスター土方コンテストなどを企画する。

【写真=宮古港開港400周年をPRする宮古海戦組のメンバー。軍服を着て市内外のイベントに参加している】

福島
記念イベント続々 鶴ヶ城天守閣50周年
 会津若松市のシンボル、鶴ケ城の天守閣がことし、再建から50周年を迎え、市は記念行事の実行委員会を設け、節目の年を祝うイベントを企画、誘客を図る。
 鶴ケ城は戊辰戦争で戦場となり、天守閣は1874年に取り壊された。戦後、市民の要望を受け、1965年9月に再建された。
 市は50周年を記念し、総工費1億2000万円をかけ、内装の一新に取り組む。天守閣内の展示を充実させるほか、夜間照明を発光ダイオード(LED)に替え、4月1日に改装オープンする。
 次世代へ再建の意義を伝えようと、9月19日には市内の幼稚園児らを招いてイベントを企画、記念講演会やトークショーを開催する。
 4月から6月に福島県内で「ディスティネーションキャンペーン」が実施されるのに合わせ、地域団体の多彩なイベントを展開。各種出店が並ぶ「會津十楽(あいづじゅうらく)」を土日祝日に開く。会津青年会議所は5月22日、全国城下町シンポジウムを企画する。
 市観光課は、記念イヤーを盛り上げるため、公募でロゴマークも作成、市民や企業に活用を呼び掛けている。

東京
東京・丸の内で、英国人も愛した幕末明治のスター絵師・暁斎と弟子コンドルの展覧会
2015年6月27日(土)から9月6日(日)までの期間、展覧会「画鬼・暁斎-KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」が、東京・丸の内の三菱一号館美術館にて開催される。

河鍋暁斎(かわなべ きょうさい、1831〜1889年)は、幕末に生まれ、6歳で浮世絵師歌川国芳に入門、9歳で狩野派に転じてその正統的な修業を終え、幕末明治に絶大な人気を博した絵師のひとり。一方、三菱一号館を設計した英国人建築家ジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852〜1920年)は、日本美術愛好家であり、暁斎に弟子入りして絵を学び、師の作品を海外に紹介。本展では、2人の交流やコンドルの業績と、彼の敬愛する暁斎のユーモラスで型破りな画業を、展示替えを行いながら、国内外の名品約120点を通して紹介する。

みどころのひとつは、暁斎とコンドルの師弟愛。2人の交流はとても親密なもので、暁斎の《日光地 取絵巻》をみると、様々な名所旧跡を回り、何度か写生旅行にも出かけるほどだったという。屏風絵《大和美人図屏風》は、弟子のコンドルが自国に持ち帰ることを想定し、暁斎が「およそ6ヶ月もの間精力を集中して描き上げたもの」(コンドル著「河鍋暁斎」)。背景の屏風には、日本の稲作の様子が丁寧に描かれ、漆器や畳など日本独特の文化が余すところなく描き込まれている。

また、狩野派を引き継ぎながら、浮世絵や江戸期の諸派にも取り込み、「画鬼」と称された暁斎の画業を展示。2歳ですでに蛙を写生するなど、絵に早熟な才能を示した周三郎(暁斎の幼名)は、6歳で浮世絵師の歌川国芳に弟子入り。その後2年ほどで国芳の許を離れるが、西洋画に至るまで貪欲にとりこんで旺盛に制作する態度、写生の重視、絵師としての反骨の姿勢などが垣間見れる。
さらに、現在はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている、英国人が愛した暁斎の作品がおよそ100年ぶりに里帰り。58歳で亡くなる2年程前に描かれたものと推定されている作品が展示され、晩年を迎えた暁斎の卓越した筆さばきと大胆な構図をみることができる。


河鍋暁斎《うずくまる猿》明治21(1881)年頃/
メトロポリタン美術館蔵
©Metropolitan Museum of Art
【開催概要】
画鬼・暁斎-KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル
会期:2015年6月27日(土)〜9月6日(日) ※一部展示替えあり。前期は6月27日〜8月2日、後期は8月4日〜9月6日。
開館時間:10:00〜18:00(祝日・振替休日除く金曜のみ20:00まで) ※入館は閉館の30分前まで。
休館日:月曜休館(但し、祝日の場合は開館/8月31日は18時まで開館)
会 場:三菱一号館美術館
住所:東京都千代田区丸の内2-6-2
入 館 料:当日券 一般 1,500円、 高校・大学生 1,000円、小・中学生 500円
前売券 一般 1,300円 ※大学生以下の設定はない。
※前売券以下の期間、以下の場所にて発売する。
・2015年2月7日(土)〜6月26日(金)
ローソンチケット(34200)、チケットぴあ(766-491)、セブンチケット(034-467)、イープラス、ちけっとぽーと 関東各店、三菱一号館美術館チケット購入サイトWEBKET(展覧会ウェブサイトからアクセス)
・2015年2月7日(土)〜5月24日(日)
Store1894(三菱一号館美術館内・休業日は美術館に準ずる)
※ちけっとぽーと、Store1894では絵柄入りのチケットを販売。
※詳細は展覧会サイトにて。


コラム
 この記事、面白かったです。
明治維新の成功を違う角度から見てみよう維新ヒーローの陰に旧幕臣がいた!
 今年の大河ドラマは『花燃ゆ』。吉田松陰の妹・文を主人公に、松蔭はもちろん、久坂玄瑞や高杉晋作など長州の志士たちが、その生き様をたっぷりと魅せてくれるであろう。大河ドラマで幕末物は当たらないなどというジンクスはいつのことやら、『篤姫』『龍馬伝』『八重の桜』、そして今回の『花燃ゆ』と続くのも、近代日本の立ち上がりを振り返り、このところの閉塞感を打破するヒントを得たいという空気があるのだろうか。

ちなみに長州が舞台となるのは1977年の『花神』以来、38年ぶりだそうである。明治維新以来、現総理も含めてもっとも多くの総理大臣を輩出した地である。地元の皆さんはさぞかし期待しているに違いない。

覆される幕末のイメージ

さて、となればまた維新と「志士」の本はたくさん出版されることだろうと思うのだが、今回ご紹介する本は維新と「幕臣」の本である。

旧態依然とした幕府と、保身に汲々(きゅうきゅう)とするのみで時代の流れに取り残された幕臣。それに対して進取の気風に富み時代を読み、日本を近代化すべく戦った薩長をはじめとする西南雄藩と志士たち。しかしこうしたイメージは修正されつつある。

たとえば戊辰戦争における鳥羽・伏見の戦いのイメージはどうだろう。3分の1の兵力しか持たなかった倒幕軍に敗れたことから「幕府軍は数ばかりで、装備は古くさい鎧兜」だったのかと思いきや。実際には洋式装備の歩兵隊が八個連隊・9800人もおり、フランス軍事顧問団の指導を受けた精鋭部隊も擁していたという。

海軍ともなれば幕府軍が圧倒的で、主力艦の「開陽丸」も、当時、世界最大級の軍艦だったし装備も極めて優秀だった。薩長含め、対抗できる戦力は国内には存在しなかったのである。

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幕府も時代の変化には充分に危機感をもち、軍制や税制、そのほかさまざまな改革を少しずつ積み重ねてはいた。そもそも開国・近代化を目指したのは幕府の方が先だったではないか。だが残念ながら幕府はガバナンスに失敗し、蓄えた優秀かつ大切なリソースも生かしきれず、明治維新となる。

維新時に秩序が保たれていたことは、幕府のおかげ

では幕府がそれまでに積み重ねたものはすべて無駄になったのかというと、実はそうではない、というのが本書『明治維新と幕臣』のテーマである。

明治維新は非常に大きな政治変動ゆえに、その変化ばかりに目を奪われがちだが、「いかにして統治したか」という行政の面からみると、江戸から明治への連続性が見えてくるというのである。

“明治維新に際して、戊辰戦争において戦地となった場所は例外として、全国津々浦々が混乱を極め、略奪や暴行が横行したという事態に至っていないということは、少なくとも社会生活を維持できるような秩序が保たれていたということになる。つまり、行政が機能しない状態にはほとんどならなかったということになろう”

たとえば大災害のときなどでも、日本人は秩序正しくふるまうことが折々話題になるが、道徳心もさることながら、行政に対する信頼感が実はとても大きいのである。行政がきっと対応する、援助がくると信じられるからこそ、暴動や略奪にはならない。

天下の体制ががらりと変わっても、幕末の人々が落ち着いていられたのも、日常生活に直結する行政が機能し続けていたからなのである。

新政府による旧幕臣の登用というと、勝海舟や榎本武揚、渋沢栄一などの大物の名前を思い浮かべるが、ここで頑張ったのは旗本や御家人などの幕臣たちであった。今風にいえばノンキャリの官僚たちである。

薩長土肥や越前・尾張などの雄藩は、藩の規模、いわば地方自治の規模での統治の経験しかなく、全国規模の統治は未経験だった。そのノウハウや人材を持っていたのは幕府のみだったのだ。

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明治政府による旧幕臣の登用については「国難にあたり、敵味方の分け隔てなく優秀な人材を登用した明治政府の度量」という見方もあるが、実情は徳川400万石の幕領を統治する行政組織をそのまま活用しなければどうにも事が動かない、というのが実情だったようだ。

“見方によっては皮肉ではあるが、明治政府は、江戸幕府という前政権が有効に機能していたからこそ、全国政権としての体裁を為すことができたともいえよう”

「岩倉使節団」は、欧米の制度や法制を視察・研究するために派遣された専門官のほかに、実務にあたる書記官を多数含んでいたが、書記官の多くが幕末期の外交交渉にあたった旧幕臣であったという。それゆえに彼らは、使節団における地位は低くとも知識や経験は豊富だった。

現実の外交交渉の場ではかれらに頼らざるをえず、岩倉さえも頭が上がらない始末。しまいにはホテルの部屋割りに至るまでバチッと仕切ってしまったという。260年にわたりこの国を平穏に運営してきた幕府の官僚たちの意地を感じるエピソードである。

いつの時代も組織力が重要

変革の時、人々はヒーローを求める。新しいビジョンを示す人物を求める。しかし、どんな優秀な人物がどれほどすばらしいビジョンを描こうとも、それを実現するためには組織が必要であり、最前線で実行していく力をもつ人材が不可欠なのだ。

その人材の層にどれほどの厚みがあるかが、その社会の力、基礎体力ともいうべきものだろう。それがしっかりしていれば、どんな社会変動があっても乗り越えてゆけることを、幕臣たちの働きが教えてくれる。

明治政府の改革を支えた無名の幕臣たちを思いながら、「人」の力の大切さを軽んじるような世の中になりませんようにと願うのである。

【幕末女傑烈伝】要人の愛人となり、密偵活動した中西君尾
 2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑はいる! 今回は、中西君尾の波瀾万丈ヒストリーを追う!!

中西君尾(1844~1918年)は、京都府船井郡八木町に生まれた。京都市街の西側を流れる桂川を20kmほど上流にいったところにある山間の町である。父は武士だったが殺害され、家が没落。彼女は19歳で祇園の芸者となる。

座敷に出ていた「魚品」というお茶屋には、高杉晋作が長州の志士たちを連れてよくやって来た。あるとき、高杉に連れられて来た井上馨は、君尾を見て一目惚れ。やがて、2人は愛人関係になる。

この店には、安政の大獄の際、井伊直弼の指示で多くの志士たちを弾圧した島田左近も飲みに来ていた。島田も君尾を口説いていたが、彼女はなびかなかった。

それを聞いた井上は、長州藩の同志を彼女のもとに行かせ、「島田と肉体関係を結び、密偵になってほしい」と頼んだ。その頼みを聞いた彼女は、島田の愛人となり、その動向を長州藩士に伝達。島田はその後、尊皇攘夷派の過激派で構成されていた天誅組に殺された。

また、新撰組の近藤勇も君尾を口説いた。彼女が「あなたが天子様の味方をされるなら」と答えると、近藤は「それはできぬ」と答え、あっさり引き下がったという。

1863年(文久3)5月、井上馨は伊藤博文ら5人でロンドンに留学。その間、長州藩の志士で松陰の弟子でもある品川弥二郎の愛人になり、子供を生んだ。

彼女は明治時代になっても芸者を続け、明治政府の高官になったかつての志士たちが遊びに来るなどの交流が続いた。もし、島田左近や近藤勇など幕府側の人間の愛人になり、志士たちの情報を幕府側に漏らしていたとしたら、彼女の運命も変わっていたかもしれない。

【幕末女傑烈伝】50歳を過ぎて志士たちの連絡役に…松尾多勢子
2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑はいる! 今回は、松尾多勢子の波瀾万丈ヒストリーを追う!!


信濃伊那谷の豊かな農家に生まれ、豪農に嫁いだ松尾多勢子(1811~1894年)。農家の主婦として4男3女を産み育てるいっぽうで、もともと学問が好きで、和歌や平田学派の国学の勉強も続けた。

国学というのは平田篤胤が提唱したもので、王政復古、つまり天皇を中心とした政治にすべきと主張。尊王の志士たちの考えにも近い。京都では、その志士たちが華々しい働きをしているとの噂が田舎の伊那谷にも聞こえ、彼女も京都に行きたいと願っていた。

子育てを終え、50歳を過ぎた彼女は一大決心、1862年(文久2)に京都の染物店に勤める若者に同行してもらい、京都に上る。そして、平田学派の薩摩藩士や長州藩士と交流するようになった。

吉田松陰門下生の久坂玄瑞(杉文の最初の夫)や、品川弥二郎(のちの明治政府の内相)、楫取素彦(杉文の2番目の夫)などとも親しく交流、志士たちの密談の場にも同席。50歳過ぎの田舎の農婦っぽい彼女は、幕府側にも怪しまれないということで、志士たちの連絡役を務めるようになった。倒幕をひそかに狙う公家の岩倉具視(のち明治の元勲)の知遇も得る。

しかし京都は、日増しに物騒になってきた。彼女も幕府側に目をつけられ、長州藩邸にかくまわれたりしながら生きる日々が続く。文久3年、心配した息子たちが京都に出てきて、彼女を田舎に連れて帰った。

その後、彼女は伊那谷で長寿をまっとうした。彼女は、やる気さえあれば50歳を過ぎた女性でも好きなことができる、という見本ではないだろうか。

【幕末女傑烈伝】高杉晋作の最期を看取った正妻・高杉雅子
2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑はいる! 今回は、高杉雅子の波瀾万丈ヒストリーを追う!!


長州藩士の娘として萩に生まれた高杉雅子(1845~1922年)。父は山口町奉行という、藩内では身分の高い武士である。

1860年、雅子が16歳のとき、20歳の高杉晋作と結婚。新居は萩に構え、4年後には二人の間に息子も生まれた。ところが、高杉は幕末の政治活動に熱中し、家を飛び出したきり、めったに帰ってこない。

じつは、雅子に息子が生まれる頃、高杉は愛人のおうのと下関で暮らしていたのだ。萩から60kmほど離れた下関で、夫が愛人と暮らしていることは雅子の耳にも入っていたが、取り乱したりせず、一人息子を育てながらじっと家を守っていた。

しかし、夫が結核で重病だと聞き、下関まで出かけた。そこで初めて、夫の愛人・おうのと顔を合わせたのである。雅子は、おうのに代わり、自分が高杉の看病をすることにした。そして1867年(慶応3)、高杉の死を看取った。

雅子は1871年(明治4)、息子の教育のため、東京に出て麻布に住んだ。その後は、死ぬまでここで暮らしている。この間も、おうのとの交流は続いていた。おうのは雅子の東京の家を訪ね、泊まったりしたという。

高杉の思い出を語り合ったのだろうか。一人の天才的な男に関わった二人の女性。そのニ人が語り合う姿を、高杉は天国からどんな思いで眺めたのだろうか。

【幕末女傑烈伝】裸のまま飛び出し、坂本龍馬の窮地を救った楢崎龍
2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑たちがいる! 今回は、楢崎龍の波瀾万丈ヒストリーを追う!!


長州藩士の流れを汲む医師の娘として京都に生まれた楢崎龍(ならざき りょう 1841~1906年)。裕福な家庭で、生け花、香道、茶道などを習って育つ。

しかし、父が安政の大獄(1858年)で牢に入れられ、その後、赦免になったものの、牢で受けた拷問のため、1962年に死亡。一家はたちまち困窮した。

母は方広寺大仏殿(東山区)の近くの、土佐尊王攘夷派が集まる隠れ家で炊事の仕事、21歳の龍も七条の旅館で働いた。

その母の縁で、坂本龍馬と龍は知り合う。龍馬に名前を聞かれた龍が自分の名前を告げると、「わしと同じ名だな」と龍馬は微笑んだという。

龍馬は、龍を伏見の寺田屋の女将・登勢に預けた。ある晩、夜中の3時頃、龍が風呂に入っていると、外で物音。刺客が龍馬を殺しに来た、とピンときた龍は、裸のまま2階に駆け上がり、寝ていた龍馬を起こした。龍の機転のおかげで、龍馬は傷を負いつつも逃げのびた。

その後、龍馬と龍は結婚、西郷隆盛の勧めで鹿児島まで船旅をし、温泉につかったりして50日間ほど過ごした。

1867年、京都河原町の近江屋で龍馬が暗殺されると、龍は一時的に高知の龍馬の実家に身を寄せる。

その後、東京に出て、明治8年に横浜で商人と再婚。晩年は酒浸りとなり、酔うと「わたしゃ、龍馬の妻だ」と呂律の回らない口調で言っていたという。強烈な個性を持った龍馬という男に惚れたため、一生忘れられなかったのだろう。これも女の業か。 

【幕末女傑烈伝】拷問されても口を割らず!桂小五郎の妻・木戸松子
2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑たちがいる! 今回は、木戸松子の波瀾万丈ヒストリーを追う!!

木戸松子(1843~1886年)は若狭小浜藩士の家に生まれたが、幼い頃に一家は離散。彼女は9歳で舞妓となり、14歳で京都の花街・三本木の芸者になった。

笛と踊りがうまく、美人で機転もきいた彼女は売れっ子に。彼女が籍を置いていた「吉田屋」には、吉田松陰の門下生・桂小五郎(明治になって木戸孝允に改名)も通い、京都での活動の拠点にするようになる。桂と松子は愛人関係となり、桂の後輩の伊藤博文の働きかけで松子は桂に身請けされた。

ところが、1863年に起きた「8・18の政変」で、長州勢は会津・薩摩連合勢力の手により、京都から追放された。桂は京都に潜伏し、情報収集につとめた。松子は同志に秘密の手紙を届けたり、密会の手引きを引き受けたりした。

それが新撰組にばれ、捕らえられて壬生の屯所に連行された。襦袢1枚にされ、青竹で叩かれ、桂の潜伏先を吐くように責められた。しかし、彼女は口を割らなかった。明治2年、桂は明治政府の高官となり、松子もその夫人として東京で暮らした。こんな女性に惚れられた男は果報者だ。

【幕末女傑烈伝】かの有名な「寺田屋」を切り盛りした寺田屋登勢
2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑たちがいる! 今回は、寺田屋登勢の波瀾万丈ヒストリーを追う!!


寺田屋登勢(てらだやとせ 1829~1877年)は大津の米問屋の娘に生まれ、18歳で京都伏見の船宿「寺田屋」に嫁いだ。20人からの奉公人を抱える船宿だったものの、亭主はおとなしいが、どうしようもない遊び人。おまけに、口うるさい姑や小姑もいて、登勢は苦労を重ねたのである。

船宿の経営は、登勢に任された。彼女は女将としての才能を発揮。姉御肌でテキパキと働き、奉公人にも慕われ、客も増えて繁盛した。

寺田屋は薩摩藩士たちの定宿でもある。1862年(文久2)には、薩摩藩士同士が尊攘派と公武合体派に分裂し、寺田屋で殺傷事件を起こして9人が死亡した(寺田屋騒動)。登勢はその9人の位牌を寺田屋の仏壇に置き、供養した。

1866年(慶応2)には、薩長同盟締結を見届けるべく、京都に来た坂本龍馬が寺田屋に逗留。そこへ、午前3時ごろ、伏見奉行所の役人50人あまりが龍馬を捕らえるため、寺田屋にやってきた。龍馬の愛人・お龍の機転で、龍馬はかろうじて逃げるという事件も起きている。

龍馬は登勢のことを「おかあ」と慕い、勝海舟も彼女を「頭がいい」と褒めていたという。現代にも、こういう女性がいるといいのだが……。

【幕末女傑烈伝】井伊直弼の愛人&スパイとして暗躍・村山たか
2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑たちがいる! 今回は、村山たかの波瀾万丈ヒストリーを追う!!


村山たか(1809~1876年)は彦根の寺の娘に生まれた。幼少より和歌、三味線、茶道、華道を学び、18歳で彦根藩主・井伊直亮の侍女となるが、20歳で京都に出て、祇園で芸妓となった。

金閣寺の僧に身請けされ、男児・帯刀を生んだ。その後、彦根に戻り、6歳下の井伊直弼と知り合い、愛人になる。直弼は部屋住みの身だったが、藩主の跡継ぎに決まっていた兄が1846年に急死したため、直弼が藩主を継ぐことになり、江戸藩邸に呼ばれた。

たかと直弼は別れざるを得なくなったが、今度は直弼の家来・長野主膳の妾となる。

1850年(嘉永3)に直弼は彦根藩主となり、幕政にも参加。世の中は、開国派や尊王攘夷派が入り乱れ争っていた。直弼は長野主膳に命じて、京都の志士たちの動向を探らせた。主膳の手足となって動いたのが、たかだったのである。その情報は直弼に送られ、安政の大獄の判断材料の一つとなった。

1862年に直弼が桜田門外で暗殺されると、主膳と、たかの息子・帯刀は反直弼派に捕まり、斬首。彼女は三条河原で柱に縛りつけられ、3日3晩飲まず食わずの晒し者に。その後、尼僧に助けられ、京都の金福寺で余生を送った。男のためなら危険をかえりみない、しぶとくて強い女性の手本だ。

【幕末女傑烈伝】坂本龍馬や大隈重信も頼りにした大浦慶
2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑はいる! 今回は、大浦慶の波瀾万丈ヒストリーを追う!!

大浦慶(1828~1884年)は、長崎油屋町の油商の家に生まれた。老舗の商家だったが、1843年(天保14)、慶が15歳のとき、近辺の家500戸あまりが焼ける火事があり、慶の家も被害に遭う。慶は傾いた家業を再興させる決心をする。

翌年、長崎に蘭学の勉強に来ていた天草の庄屋の息子と結婚するが、この男が気に入らず、祝言の翌日には追い出してしまう。以後、死ぬまで独身を通す。

慶は1856年(安政3)から、イギリス人の貿易商を通じて日本茶の輸出を始めたところ、これが当たった。以後、10年間は大いに儲けた。

慶より7歳下の坂本龍馬が慶の屋敷を訪れ、300両の資金援助を頼んだこともある。慶は引き受けた。陸奥宗光、大隈重信、松方正義なども、慶の屋敷に居候して世話になったという。


【幕末女傑烈伝】大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公・杉文
2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑たちがいる! 今回は、杉文の波瀾万丈ヒストリーを追う!!

吉田松陰の妹・杉文。2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」(主演:井上真央)のヒロインとしてもクローズアップされている文は、1843年(天保14年)、長州藩主・毛利家に仕える下級武士の家に、6人兄弟の4女として生まれた。

13歳上の兄が吉田松陰。松陰が松下村塾で講義を始めると、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など、のちに活躍する有能な人材が集まった。彼女は塾生たちの世話をして「女幹事」と呼ばれ、親しまれたのである。

そして、塾生のひとりが久坂玄瑞で、松陰は久坂の才能に惚れ込み、文との結婚を勧めた。文15歳、久坂18歳のときだ。

結婚した2人が落ち着いて暮らしたのは、新婚からわずか3カ月ほど。久坂は松陰が唱える尊王攘夷運動にのめり込み、京都や江戸などを飛び回った。

1859年(安政6年)に、兄の松陰が安政の大獄で斬首。5年後には夫の久坂が禁門の変で自決。文は22歳で未亡人となってしまう。その後、毛利家に奉公し、子供の教育係などを勤めた。

1883年(明治16年)、41歳の文は楫取素彦(55)と再婚した。文の姉・寿の夫だった人物で、姉が病死して再婚した形である。楫取は群馬県令(知事)で、のちに貴族院議員や男爵になっている。

文は華族夫人として夫を支えて過ごし、1921年(大正10年)に山口県で没した。そんな彼女はいま、幕末から明治維新に至る激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として、注目を浴びている。

 今年の大河ドラマ『花燃ゆ』はやっぱり「幕末版 花より男子」って印象……たぶん途中で脱落すると思います。。
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