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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 東京では早朝に霙混じりの雪が降ったそうですが、昼間はずっと雨でした。

愛知
初春祝う芳香 志野流家元「聞香始」始まる
 初春をことほぐ香りの世界に遊ぶ伝統の「聞香(もんこう)始」が8日、名古屋市西区上名古屋の香道志野流家元「松隠軒」で始まった。
(中略)
 志野流は約500年、20代続く香道最大流派。蜂谷家は幕末、京都で戦禍に遭い名古屋に本拠を移して伝統を守っている。

 「幕末、京都で戦禍に遭い」って、禁門の変でしょうか(汗)。

京都
京の「龍馬碑」増やせ
京のファン団体 新たに確認、夏までに3カ所

 幕末の志士・坂本龍馬の熱心なファンらでつくるNPO法人「京都龍馬会」が、近年新たに裏付けの取れた龍馬ゆかりの地に石碑を設ける活動に取り組んでいる。すでに1カ所の設置を終え、今夏までに、さらに2カ所に石碑や案内板を置く予定。来年、NHKの大河ドラマに登場する龍馬。同会は「観光客らが京都の龍馬を身近に感じられる機会になれば」と話している。

 ■妻おりょうの実家など

 1993年に発足した同会の15周年事業として始めた取り組み。2010年のNHK大河ドラマでは、龍馬が主人公となることにあわせ、設置を決めた。
 昨年10月には、龍馬の妻おりょうの実家付近とされる、中京区柳馬場通三条下ルに石碑を設置。監修は「京都の江戸時代をあるく」著者の歴史地理学者中村武生さんが務め、今後は広く募金などを募りながら、「おりょう一家の仮住まいの地」と「龍馬とおりょうの仮祝言の地」の2カ所に石碑と案内板を設ける準備を進めている。
 同会の赤尾博章理事長(56)は「京都は、おりょうと龍馬が愛をはぐくんだ場所。おりょうと過ごした日々からも、龍馬の活躍に関心を持ってほしい」と話している。
 昨年10月に結成した大津市の「近江龍馬会」(柴田與一郎会長)も、滋賀県内のゆかりの地に石碑を設ける方針という。


大阪
「天下の台所」の仕掛け人
 「天下の台所」。経済・物流の中心として繁栄した江戸時代の大阪を表す言葉であり、今も大阪の代名詞になっている。だが、大阪を「天下の台所」とした江戸期の文献はない。あるのは「諸国の台所」「日本の台所」だ。
 大阪市史編纂(へんさん)所の野高宏之氏(50)は、一昨年末に発表した「『天下の台所』と『大大阪』」(大阪の歴史70号)で、大正3(1914)年の「大阪市史2巻」でこの語を使った幸田成友(しげとも)の造語、と断定した。
 成友は東京・神田生まれの歴史学者だ。小説「五重塔」で知られる幸田露伴の実弟で、東京商科大(現・一橋大)や慶大で教鞭(きようべん)をとった。明治43年の自著にも「天下の台所」はあるが、執筆は市史の方が早い。
 過去にも「天下の台所という言葉は江戸時代の文献にない」とする研究者はいた。野高氏が調べると、明治初期の史料にもない。戦前・戦後を通じた大阪学の大家、宮本又次などは長くこの語を避けた形跡さえある。これらから、野高氏は成友の造語と判断した。


わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/105 川口居留地 大阪市西区 /大阪
(中略)
 イギリス人のエドワード・ハンターは、日立造船の前身となる大阪鉄工所を1879(明治12)年に創設し、大阪の造船業の礎を築く。そんな業績よりも、「大阪人物辞典」はラブストーリーに紙幅を割いている。
 居留地のキルビー商会に勤務したハンターは、江之子島にあった取引先の薬種商「平野常助商店」の娘あいに想(おも)いを寄せる。ところが18歳のあいは重い病に取りつかれた。「庭を眺めて死にたい」と縁側で寝ているあいを見たハンターは、西洋の高い薬を片っ端から飲ませ、介抱した。そのかいあって回復したあいと結ばれるのだが、幕末のこととて国際結婚など、らちの外。周囲は猛反対するが、あいは家を飛び出し、ハンターとともに人生を歩む。


兵庫
駕籠:格式高く内装凝る 赤穂の塩田地主・田淵家の駕籠見つかる /兵庫
駕籠:格式高く内装凝る 赤穂の塩田地主・田淵家の駕籠見つかる /兵庫

◇当主が江戸末期に使用?
◇あすから3日間限定公開--市立美術工芸館田淵記念館
 江戸時代の赤穂の塩田地主、田淵家当主が幕末に使っていたとみられる駕籠(かご)が見つかった。保存状態は良好で、豪華な造りは「日本一の塩田王」ともうたわれた田淵家の裕福さを感じさせる。10~12日、赤穂市御崎の市立美術工芸館田淵記念館で展示される。【石川勝己】

 駕籠は昨年2月、市内の田淵家子孫宅の納屋を改修する際に見つかり、記念館に寄贈された。高さ93・5センチ、幅82・5センチ、長さ113・5センチで、外装は黒漆塗りに飾り金具を施してある。町人が個人で所有していた駕籠が残っているのは珍しく、特に乗降口が引き戸式になっているのは町人駕籠でも格式の高い造りで貴重な歴史資料といえる。
 内装も凝った構造だ。ひじ掛けと背もたれにビロード布が張られ、両脇と前面には花鳥図を色鮮やかに描いた板絵が施されている。
 記念館の味呑英和学芸員は「町人が華美な駕籠を持てたのは江戸末期と考えられる。田淵家に残る日記を精査すれば、駕籠に乗ってどんな所に出かけていたのかなど当主の生活ぶりが分かるだろう」と話している。
 駕籠は特別展「江戸時代の源氏物語と蹴鞠(けまり)」(19日まで)と合わせて展示されるが、漆の傷みなどを防ぐため3日間限定とした。11日午後2時から展示品説明会がある。特別展の入館料は大人300円、小中学生150円。問い合わせ先は田淵記念館(0791・42・0520)。


高知
高知県庁で安政南海地震図絵など展示
高知県庁で安政南海地震図絵など展示
 幕末から明治にかけて高知で活躍した絵師「絵金」が描いた安政南海地震の震災絵図のパネルなどを集めた展示が8日、高知県庁玄関ホール(高知市丸ノ内)で始まった。19日まで。
 「防災とボランティア週間」(15~21日)に合わせて展示。今世紀前半にも発生が予想され、高知県内でも大きな被害が懸念される南海地震への備えを多くの県民に改めて考えてもらおうと県が企画。安政元(1854)年12月に発生した安政南海地震の震災絵図をはじめ、昭和21年12月に起きた昭和南海地震の写真パネルなど計約70点が展示されている。
 震災絵図は同県佐川町教委の所蔵で、地震の揺れから津波、避難、復旧と被災状況を時系列順に並べた。絵図に添えられている被災者の体験を詠んだ歌も解説し、被害の大きさなどを伝えている。
 また、昭和南海地震で津波被害を受けた土佐市宇佐町の状況、平成7年の阪神大震災の被害状況なども写真で紹介している。


絵金が描いた安政南海地震 県庁で企画展
地盤沈下の家、悲しみくれる人

 幕末の絵師・金蔵(絵金、1812~76)が安政南海地震(1854年12月24日)の被害を描いた鬼気迫る作品を紹介し、地震の恐ろしさを伝える企画展が8日、県庁ロビーで始まった。地盤沈下で浸水する家や悲しみにくれる人たちなど、昭和南海地震や阪神大震災の様子を写した写真とそっくりな図柄もあり、作品と写真を並べて展示。災害は繰り返しやって来るという教訓を、如実にものがたる。19日まで。
 絵金はおどろおどろしい芝居絵で知られ、震災を表した詠み人知らずの狂歌に挿絵を添えた冊子「絵本大変記」(県立図書館所蔵)と、その原画「安政元年土佐震災図」(佐川町教委所蔵)では、震災をつぶさに描写。発生直後の揺れ、津波、火災、地盤沈下、余震、炊き出しや復旧の様子などを、時を追ってとらえた。
 展示では、それら作品のパネル写真39枚を紹介。焼けた肉親の姿を見つけた男の絵は、悲しむ様が痛々しく描かれる。近くに並べた阪神大震災の写真では、がれきの前でうなだれる人が写され、150年前と同じ被災のつらさが伝わる。
 「大変記」では、百人一首をもじって震災の様子を詠んだ狂歌も興味深く、現代語訳を添えて紹介。「あだ呼びになるともしらず大汐と麓(ふもと)の町へふれる高声」(聞こえやしないのに津波を町に大声で知らせている)、「木に敷(しか)れ焼(やくる)る人こそかなしけれ……」(下敷きになり、火事で焼けた人こそ哀れだ)など、被災者の感情を表現している。
 企画した県地震・防災課の小溝智子さんは「安政南海地震の教訓を伝える教材。同じ不幸を繰り返してきたが、今の私たちには宿命をはねのける知恵があるはず」と話していた。


絵本大変記:安政の南海地震の被災描く 県庁1階ホールで写真パネル展 /高知
絵本大変記:安政の南海地震の被災描く 県庁1階ホールで写真パネル展 /高知
◇津波や火災の教訓残す
 安政の南海地震(1854年)の被災状況などが描かれ、当時の人々の様子を狂歌で詠んだ「絵本大変記」(県立図書館所蔵)の写真パネル展示が8日、県庁1階ホールで始まった。挿絵は芝居絵で知られる幕末の絵師・絵金(1812~76)が描いたとみられ、津波や火災などの様子が現代への教訓を伝えている。19日まで。【服部陽】
 ◇絵図と狂歌で紹介
 今月17日で15年目を迎える阪神大震災を契機に定められた防災とボランティア週間(1月15~21日)の行事として県が企画した。
 安政の南海地震は東海地震の32時間後に発生し、マグニチュード(M)8・4と推定される。死者は約1900人、家屋への被害は約6万3000戸とされる。地震の様子は、絵金が「土佐震災図絵」(佐川町教委所蔵)に残しており、大変記(縦24センチ、横17センチ、96ページ)はその絵図を挿絵として使っており、百人一首を本歌にした狂歌がつづられている。
 展示では絵図と狂歌を合わせて紹介。夫を地震で亡くした女性の夢の中に夫が訪れる絵には、「思ほえば まだ このごろも 恐ろしや うしと見しよの 大地震かな」(思い出せばまだ今でも恐ろしい。憂うつだと感じる、あの夜の大地震のことが)。
 また、津波を予想して高台に逃げたという絵図に「波のおと 絶えて干底に 成りぬれば 津波恐れて 山の間にのく」(波の音がしなくなって海の底が乾いて見える状態になったので、津波を恐れて山の方へ避難した)との狂歌がそれぞれ添えられている。
 このほか、地震から着の身着のまま逃げる様子や、炊き出しの大鍋などが描かれた約40枚の絵図を写真パネルで紹介。昭和南海地震(1946年)や阪神大震災(95年)の被災写真も展示している。
 ◇今できる備えを
 県地震・防災課は「繰り返す地震を先人が絵図などで残しているが、被害や大変さはどうしても忘れられてしまう。絵図や狂歌は現代にも通ずるものがあり、今できる備えから実行に移してもらえれば」と話している。
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