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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
千葉
写真展:幕末から70年代の風景記録--佐倉 /千葉

 佐倉市の国立歴史民俗博物館で、企画展示「風景の記録-写真資料を考える-」が開かれている。幕末から1970年代までの風景を記録した貴重な写真を全国から収集し、街並みの移り変わりを分かりやすく展示している。

 会場入り口には、企画展の目玉となる「愛宕山から見た江戸の街並み」のパノラマ写真を古地図と一緒に立体的に展示。写真は江戸時代末期の1863年8月、愛宕山(東京都港区)から見渡した周囲225度の眺望をイタリア人写真師が撮影したもので、眼下に細長い武家屋敷がぎっしりとひしめき合う様子がいっぱいに広がる。

 来年1月15日まで。入館料は一般830円▽大学・高校生450円▽中学生以下無料。問い合わせは同館(電話043・486・0123)。【西浦久雄】


兵庫
大鳥圭介没後百年記念展 掛け軸など 上郡
 上郡町出身で、明治期の産業育成に奔走した大鳥圭介の没後百年に合わせた特別展「軍人の如楓 文人の如楓」が、同町上郡の町郷土資料館で開かれている。「ダーウィンの進化論を読んだ」と大鳥自身が書いた掛け軸を初めて公開する。
 如楓は大鳥の号。戊辰戦争で旧幕府軍を率い、明治維新後は新政府に登用された。語学が堪能で、清国・朝鮮国公使などとして外交に才能を発揮。1911年に亡くなった。
 特別展では、書など約20点が並ぶ。ダーウィンの進化論についての記述は今年5月、三重県の夫婦が同資料館に寄贈した掛け軸にあり、記述時期や場所は不明。「人類の祖先を研究していくと、人は猿に似ていると分かるものだ」とも記されていた。同資料館によると、大鳥は1872年にイギリスへ産業視察へ行った際、進化論を知ったとみられる。
 同資料館の島田拓学芸員(35)は「日本の近代化に力を発揮した大鳥について、作品を通して深く知ってほしい」と話す。
 12月18日まで(11月22日と12月6日に展示の一部入れ替えあり)。午前9時~午後4時半。月曜休館。無料。展示作品の図録を千円で販売。同資料館TEL0791・52・3737
(田中宏樹) 


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】
(137)東大教授・山内昌之


□吉田松陰・番外編(下)

歴史を学習する政治家

 吉田松陰は、黒船来航を機にめまぐるしく変転する幕末の状況を、世界史における西洋の衝撃(ウエスタン・インパクト)を受けた日本の危機としてとらえた。

 松陰は危機を抽象的な世界観でなく、歴史で人間に示された具体的な行為のなかで理解しようとした。純粋な理屈でなく事実に即して人びとにリアルに訴えるほうが、効果も大きく切実に納得してもらえると信じたからだ。

 哲学的観念論でなく賢人や豪傑の仕事ぶりを実例で学ぶ作業のほうが、危機の説明として分かりやすいという主張は現代にも通じる。

 松陰は代表作『講孟余話(こうもうよわ)』のなかで、いつも歴史書を読んで古人の仕事を学び自分の志を励ますことを勧めながら、「是亦(則)故而已矣の意なり」という有名な言葉を残した。「これまた故(こ)に則(のっと)るのみ」とは、自分の行いもすべて歴史の故事や偉人の振る舞いに学んだという意味にほかならない。しかし行動派でもある松陰は、西欧に侵略された清帝国やオスマン帝国が洋務運動やタンジマート改革の近代化を始めた動機にもまして、日本の行く末にもっと切迫感をもっていた。その結果、彼は守勢一辺倒でなく積極攻勢に出て侵略をはねかえすべきだと信じるにいたった。

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軍事政略と通商航海の結合

 安政5(1858)年に入って修好通商条約の締結が日程に上ると、世上の論議もかまびすしくなるが、条約を拒否する主戦論者の説は古典的な鎖国論にとどまり、平和論者の航海貿易策は欧米諸国に屈従しかねない避戦論であり、一種の“ねじれ”が生じていた。

 この矛盾を解くために松陰は、「雄略」というアイデアで軍事政略と通商航海とを有機的に結合し、大攘夷(じょうい)や開国攘夷と称される遠大な戦略デザインを構想した。

 彼のデザインは、大艦をつくって海軍を伝習調練し国内各地を往来して航海に習熟した後に、朝鮮・満州や清国とも交渉を始め、広東・ジャガタラ(ジャワ)・喜望峰・オーストラリアに居館をつくり将士を置いて、四方の情勢を分析しながら通商貿易で利をあげるというスケールの大きなものだった。吉野誠氏の要約に従えば、この事業を3年ほどで終わらせた後、米国のカリフォルニアに赴いて交渉に入り、日本にやってきたペリーら使節らの努力に酬いて条約を結べば、「国体」を失わずに列強争覇の世界で日本の独立を堅持できるというのが松陰の壮大な構想なのである(『明治維新と征韓論』明石書店)。

 何というスケールの大きさであろうか。全然萎縮したところも卑屈な点もない。この構想は未完に終わったが、松陰独特の開国攘夷論は単純なアジア侵略の第一歩だったとは必ずしも言えない。松陰の未完の言説には少なくとも、明治政府成立から日清戦争や日露戦争に向かう時代の政治感覚との連続性だけで議論できないセンスや志が含まれているからだ。

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 政治外交の懸案解決策として武力攘夷や武力遠征だけに頼る愚をたしなめた松陰にとっては、むしろ東アジアからそれを越える大アジアの国々との連携や同盟さえ見えていた可能性も高いからだ。彼が生き永らえ大好きだった歴史への関心を、中国や朝鮮だけでなく、インドやイスラムの世界にまで視野を広げていたなら、同時代の欧米人とは異なる独特な歴史解釈を発展させていたかもしれない。松陰が欧米によるアジアやアフリカの植民地化の動きに単純に追随し模倣したとは思えないのだ。

 29歳の若さで刑死した吉田松陰は、「空言」(抽象的言辞)よりも「行事(こうじ)」(具体的仕事)で考える歴史的思考法を大事にした孔子の言葉に何度も触れている。松陰は、孔子が歴史の名著『春秋』を作り、孟子も聖人と賢人の業績について事実を挙げながら具体的に称賛した面を高く評価したからである。

「観察者」であり「行為者」に

 政治と歴史を常に結びつけて発想した松陰は、歴史を学習すれば世のために2つの面で役立つと強調した。

 第一は、歴史家が時事をきちんと遠慮せずに書くために、官僚も畏怖して不正をおこさないことだ。第二は、時事のプラスマイナスや施策の善悪をきちんと学べば、別の政策を考える場合にも大いに役立つからである。いまの政治家や官僚には是非に耳を傾けてほしい言葉なのだ。

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 松陰の考えは、歴史的な実例を手本にすれば宗教と世俗のいずれでも有益な効果をあげられると述べたチュニジア生まれのイブン・ハルドゥーンの言説にも似ている。『歴史序説』を書いた14世紀アラブの歴史家と19世紀の吉田松陰が時空を超えて問題関心を天才的に共有していた点は興味をそそられる。いずれにせよ、政治家と歴史家は、事物の観察スタイルにおいて似通った面がある。それは、過去と現在の人間のいずれを重視するかの違いがあるにせよ、人間の行為の「観察者」であると同時に「行為者」でもあることだ。

 政治家は歴史家にもまして、自然科学のような外的な観察でなく、内側から理解する能力がないと務まらない職業なのだ。歴史家に要求されるのは、人びとや物事の動機・態度・意図・出来事を順序だてて整理できる能力である。そして、歴史で重要なポイントを無駄なく指し示せる歴史家の仕事は、政治をできるだけ複雑にせず紛糾させない政治家の営みによく似ている。私が最新著『リーダーシップ』(新潮新書)で強調したように、政治家に過去の偉大な歴史家の古典的書物に接してほしいと願うのはこの点にあるのだ。(やまうち まさゆき)
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