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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 宇都宮に雪が降ったとか、関東にも本格的な冬到来という気がします(関東でも盆地は特に寒いですよね)。

岩手
東北戊辰史
101 平民宰相 雪辱

 大正6(1917)年4月の総選挙で、堂々と第一党に躍進した「立憲政友会」を率いる原敬だが、盛岡に帰れば、常に南部藩の一人だとの自負心をもっていた。彼は、地元の有力者に次のような感想を書き送っている。
 「戊辰戦争殉難者の五十年祭を営みける時、祭文を求められ、余は戊辰戦争は政見の異同のみ、誰か朝廷に弓引く者あらんやと云(い)いてその冤(ぬれぎぬ)を雪(そそ)げり。
焚(た)く香の烟(けむり)のみだれや秋の風」
 原は、俳句をよくしたが、号を「一山」と称した。当時、中央では東北を軽侮して盛んに「白河以北は一山百文」などと称していたが、これをあえて俳号とした。盛岡の自邸も「一山荘」と呼んでいた。薩長派の権力者に対する烈々たる挑戦の心情をあらわすものであろう。
 原敬は「戊辰戦争は政見の異同のみ」と言い切った。これは、奥羽越列藩同盟に加わり最後まで戦った各藩に共通する理念でもあった。
 このことを殉難者祭典の席上で、高らかにうたった原の発言は、薩長寄りの史観を、厳正にかつ真っ向から批判する画期的なものとなったのであった。
 彼自身の数奇な生涯もまた、まさしく薩長藩閥政府に対する戦いであった。本格的政党内閣の首班として登場する1年前のこの時期に、殉難者五十年の祭典という行事を実行したことは、彼にとって、まさに「雪辱」でもあったのである。
 大正7年9月、シベリア出兵にからむ全国的な米騒動で、寺内正毅内閣が倒れると、原敬はついに首相の座に就いた。藩閥政府を破り、「平民宰相」となったのである。
 総理に就任して3年余りのちの大正10年11月4日、原は東京駅頭で凶刃に倒れ、その生涯を閉じた。遺書には、「位階、勲等、授爵は堅く辞退、葬儀は盛岡で母上、兄上の例により、これ以上なすべからず。儀仗(ぎじょう)兵も辞退すること」とある。旧南部人としての意地を貫き通したのである。
 いずれ、原敬の登場によって奥羽列藩同盟の真意が語られ、その収斂(しゅうれん)がなされたのは間違いない。近代史における原敬の存在は、極めて大きいと言わねばなるまい。
( 完 )

 朝日新聞の岩手版に東北戊辰史が連載されていたのですね……「戊辰」キーワードで最終回を見つけるとは(涙)。
 記事一覧にリンク張っておきます。第69回「会津娘子隊」以降でしたら今まだ読めます。

神奈川
開港150年最終章 猿渡紀代子さんに聞く
 開港150年を機に、生糸貿易で財をなした横浜の実業家、原富太郎(三渓)の生涯を取材し、評伝にしたためた幻の原稿「原三渓翁伝」を出版しました。60年以上眠り続けた原稿を、30人の市民の力で整理し、3年かけて発行にこぎつけました。
 三渓園は有名ですが、三渓の実像についてはほとんど知られていません。三渓は美術に造詣(ぞうけい)が深い文化人、パトロンであり、実業家であり、家族愛に富んだ人物です。
 関東大震災で焼け野原になった横浜で、復興会長に就いた三渓は「横浜の外形を焼き尽くしたに過ぎない。横浜の本体はなお存在している。横浜の本体とは市民の精神である。市民の元気です」と述べ、市長と一緒になって横浜の復興に尽くしました。
 三渓は当時の若い美術家を庇護(ひご)しました。活動を支援し、作品を評価し、物心両面から支えた。彼らの勉強のため、古美術コレクションを惜しげもなく見せ、夜を徹して彼らと議論しました。
 横山大観や今村紫紅、速水御舟、前田青邨、小林古径――。日本画家の下村観山も援助を受けた。三渓がいて岡倉天心がいた当時の横浜は近代美術の揺籃(ようらん)の地でした。
 そうした歴史を行政はあまりPRしていない。市民もほとんど知らない。
 美術に限らず、横浜の歴史は、日本の近代史と一体。そのことに気付くべきです。建物などハードだけでなく、もっと横浜に生きた人や業績に注目すべきです。歴史への検証が足りないと思います。
 横浜という街のエネルギーは人と人が出会い生み出されたもの。特に幕末から明治初期にかけての時期に。それが横浜の原点であり、特性であり、面白さだと思います。
 150年のお祭り騒ぎの一方で、市民が歴史に目を向けるきっかけにもなった。小さな種がまかれました。
 美術はまさに人間の営みそのもの。精神と結びついた営みです。市民がそうした文化をもっと共有できたら、横浜の魅力もひと味違ってくると思います。市の街づくりへの姿勢も変化してくるのではないでしょうか。
 それこそが横浜ブランドにつながり、本当の意味のオンリーワンになっていくと思います。
(聞き手・佐藤善一)

 ◆さわたり・きよこ◆ フランス留学、在日仏大使館勤務、フリーの翻訳者などを経て、82年に横浜美術館開設準備室に。横浜市民ギャラリー館長兼横浜美術館学芸員。


神奈川
パン開祖のまち・伊豆の国が“甲子園” 2月本選
 伊豆の国市の「パン祖のパン祭」の一環として来年2月に4回目を開催する全国高校生パンコンテスト(同実行委員会、同市観光協会主催)の書類審査に、全国各地から過去最多の231人の応募があった。主催者は「全国の高校生に浸透しつつあり、レシピの質も向上している」と手応えを感じている。
 同コンテストは近代のパン製造の開祖とされる幕末の韮山代官江川坦庵にちなんだイベント。高校生が個人単位で、同市産のミニトマトやイチゴなど各回のテーマ素材を取り入れたオリジナルのパンを提案する。書類審査の通過者20人が、市内のパン店でオリジナルのパンを作る本選に臨む。
 2007年の第1回は応募者95人のうち県内からの応募がほぼ半数を占めた。今回は近畿・東北地区を中心に県外からの応募者だけで157人に上り、県内の倍以上。応募総数も年々増え続けている。提案内容も充実し、ミニトマト入りのカステラロールやフランスパン、トマトメロンパンなど、高校生ならではの発想も見られた。
 パン店「ダンケ」(同市三福)のパン職人、杉山大一実行委員長は「全国の農業高校が学習の一環としてコンテストを活用している。授業の課題として応募する事例も目立つ」と応募者増加の背景を分析する。
 今回からは、コンテストに合わせて本選出場者がパン祖の江川坦庵にまつわる史跡を見学するツアーも企画した。杉山実行委員長は「高校生のパンコンテストは全国でも例がない。このコンテストをパン作りの甲子園にしたい」と意気込む。


高知
弥太郎の生涯たどる
 来年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を前に、安芸市土居の市立歴史民俗資料館で、三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の企画展「弥太郎の夢」が開かれている。弥太郎の生涯を資料や写真で紹介している=写真。来年1月31日まで。
 弥太郎は同市井ノ口の出身。海運業で成功し、三菱財閥の基礎を築いた。展示されているのは三菱史料館や地元の旧家が保存していた資料など約100点。10代の頃の書や、父弥次郎に代わって地元の豪商須藤家に借金を無心した時の借用書、高知市の山内神社に奉納した銘入りの鈴などのほか、幼少の頃からのライバル岩崎馬之助や師の小牧米山らも紹介されている。
 資料館隣の市立書道美術館では、弥太郎と同時代に活躍した土佐藩主の山内容堂や坂本龍馬の師と言われる河田小龍や幕末の志士の書13点を集めた「岩崎弥太郎と書道の里安芸」展も開かれている。来年5月30日まで。


大分
「広瀬家の人びと」展:日田で開幕 /大分
 日田市民文化会館「パトリア日田」ギャラリーで16日、先哲の生き方に学ぶ「広瀬家の人びと-心高身低」(市、広瀬資料館主催、毎日新聞社後援)が開幕した。日田を彩る先哲32人のうち、広瀬家は儒学者の淡窓や経世家の久兵衛ら8人。展示品は8人をめぐる門外不出や秘蔵の品々も多く、研究者の関心を集めそうだ。1月17日まで。入場無料。
 展示品は淡窓や明治維新の人材を輩出した私塾・咸宜園などの資料が中心。淡窓の万善簿(自己反省録)、真筆「休道之詩」、月旦評(成績表)、漢詩などのほか、久兵衛が府内藩から財政再建のお礼として贈られた青銅製の香炉など盛りだくさん。
 広瀬資料館理事長で淡窓直系の広瀬貞雄さん(76)は「淡窓や久兵衛を支えた人びとにもっと目を向けてほしい」と話す。1月11日午前10時半、貞雄さんの講演が開かれる。【楢原義則】


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(41)東大教授・山内昌之 玉松操

「玉」と「旗」の高い代償

 中国政府の希望をいれて、内政のルールを曲げながら、習近平副主席に天皇陛下との会見の機会を与えた鳩山由紀夫首相と平野博文官房長官の姿勢に、各界から疑問や批判が寄せられている。

 首相官邸は、民主党の小沢一郎幹事長も強調する賓客の重要性に気をとられたせいか、ルールを破った対応が民主主義国家と象徴天皇制の原理にかかわる微妙な問題に波及することを洞察できなかったようだ。

 詳しくは本紙1面コラム「歴史の交差点」(12月15日付)でも触れておいたが、官邸の歴史感覚と政治センスの鈍感さには驚くほかない。国民と全政党の良識がほぼ一致して今回の官邸による措置に疑問を呈する理由は、国民統合の象徴たる天皇を政治の判断によって安直に利用したと解釈されても仕方のない点にある。

 ◆大胆な天皇政治利用

 ここで「玉(ぎょく)」という言葉を思いだした人もいるに違いない。幕末に長州藩の過激派志士たちは尊皇を語りながら、いかに天皇を政治の切り札として自らに有利な具合に使うかを考えていた。そこには天皇に対する真の尊敬心を疑わせるような雰囲気さえあった。

 木戸孝允や大久保利通ら政治工作に巧みだった薩長の人間は、幼少の明治天皇を隠語で「玉」と称して、ひそかに抱え込み、「玉」の威力で官軍を名乗ることに成功したのであった。

 これは最も大胆な天皇の政治利用にほかならない。この時に、錦旗を考案して討幕軍を鼓舞したのが玉松操である。

 東海道や東山道を下る軍の先頭を飾った日月章の錦の御旗と菊花の紅白旗は、そのまま古代から公の旗として格別に使われていたわけでない。下級公家出身の玉松の工夫したデザインは、あたかも朝廷に長く伝えられた由緒ある制式の旗でもあるかのように各地の人びとを心服させる魔法の役割を演じた。

 しかし、岩倉具視という稀代(きたい)の陰謀家の腹心として、倒幕のために天皇を「玉」とし、その手段たる錦旗を考えついた薩長のマキャヴェリアンたちに加担したつけは大きかった。

 ◆新政府の立場と対立

 玉松操は、大国隆正に師事した国学者であったが、幕末維新期の岩倉具視と常に行動をともにし、彼の活動を文才や学識で助けた。

 ことに小御所会議で示された王政復古の勅を起草したとき、彼の書いた格調高い文章は公卿(くぎょう)や大名たちを驚かせている。王政復古の大業にあたって、官職や制度を建武新政でなく、神武創業に基づくことを岩倉に勧めたのも玉松であった。しかし、維新後に大学寮(漢学所)を国学中心の大学官(皇学所)に統合することを求めるなど、「尊内卑外政策」を信奉する保守感覚は、文明開化を国是とする新政府の立場と相いれず、岩倉とも対立するようになった。

 東京では大学中博士兼侍読という「皇国学」を指導する役どころを与えられた。しかし、政府の欧化政策は彼の国学的世界観と合うはずもなく、辞職して京都に帰り、失意の中まもなく病没した。

 明治維新当初の復古精神の一翼を担った玉松としては、新政府の開国主義や洋学採用の方針には憤懣(ふんまん)やるかたない気分であったろう。しかし、鬱勃(うつぼつ)たる心で世を去った彼は、幕末薩長の倒幕リーダーたちが天皇を「玉」と呼ぶなどプラグマチックな活動家だったことを知っていたはずだ。

 そのうえで、「玉」という考えにあたかも象徴的権威を与えるために「旗」を考案したのだから、新政府が倒幕を実現して想像以上の欧化主義を採用したとしても自業自得というところであろう。

 理想家が術策家と手を結んだ代償は、相当に高くつくことだけは現代でも変わらないのだ。(やまうち まさゆき)




【プロフィル】玉松操

 たままつ・みさお 文化7(1810)年、京都生まれ。本名、山本真弘。醍醐寺の僧となり、大僧都法印に任ぜられたが、寺中の綱紀粛正のために唱えた僧律改革が受け入れられず、還俗。山本毅軒(きけん)と号し、さらに玉松操と称した。京都で国学者の大国隆正に学んだ後、私塾を開いて勤王の大義を説いた。門人の紹介で岩倉具視と知り合い、謀議に参画して王政復古の勅を起草。維新後、内国事務局権判事、侍読(じどく)を務めるが、政府の政策と意見が合わず、辞職した。明治5(1872)年、63歳で死去。

 「岩倉具視という稀代の陰謀家の腹心」……確かにその印象が強いです(苦笑)。後年、岩倉とも対立して没落していたとは初めて知りました。


エンターテインメント
CG駆使、現代的に次郎長伝
 テレビ東京系で来年1月13日午後9時から、2時間ドラマ「ジロチョー 清水の次郎長維新伝」が放送される。民放では少なくなった時代劇で、コンピューター・グラフィックス(CG)を駆使した殺陣の場面など現代的な演出が見どころだ。
 幕末の侠客(きょうかく)、清水次郎長とその一家を描いた。次郎長に中村雅俊、森の石松に中村獅童、大政に内藤剛志と豪華な配役だ。
 次郎長の妻・2代目お蝶(ちょう)を演じた黒谷友香は「すごく印象に残る撮影だった」と話す。「『一家』という設定通り、現場も和気あいあいの雰囲気だった」
 次郎長は、前妻の初代お蝶と「もう人殺しはしない」と約束したため、子分を殺されても仕返しできない。その次郎長を2代目お蝶は「亡くなったお蝶さんにキンタマも一緒に持っていかれちまったのかい」と叱咤(しった)する。
 「あなたの苦悩も、弱いところも知っている、と安心させてあげる頭のよい妻。あれくらい言わないと次郎長は動かない」と黒谷。
 森田昇プロデューサーは「義理人情の世界の時代劇を若い人にも見てもらおうと、CGも使った。ハリウッド映画ばりのアクションシーンを楽しんでもらえると思う」と話している。(松田史朗)

 中村雅俊の次郎長って最近見てたような……NHK木曜時代劇『次郎長背負い富士』ですね。って2006年放送だから、もう3年になるんすか^_^;。草刈正雄の大政が印象に残ってます。
 幕末ものでも次郎長は……うーん、沈没した咸臨丸の船員の遺体を収容するとか、山岡鉄舟と親交があったとか、そういうエピソードなら見る気がするけど、妻や配下との絆とか黒駒の勝蔵との勢力争いがメインテーマになりそうな予感(汗)。
 自分は『JIN―仁―』にはまっているので、『新門辰五郎伝』なら喜んで見るだろうなぁ(苦笑)。

 正月時代劇つながりで。12月14日にNHK正月時代劇『陽炎の辻スペシャル』の製作会見が行われたので、リンク張っておきます。
正月の顔・山本耕史、裏話に照れ笑い
山本耕史 “自分の分身”に「ご苦労さま」 NHK時代劇「陽炎の辻」正月SPで完結
山本耕史、水野美紀は「おっさんみたい」
山本耕史が主演正月時代劇をPR
山本耕史 共演者と「ドラクエ」で親交 NHK正月時代劇
陽炎の辻:山本耕史「磐音は分身」 「ドラクエ9」とカラオケで盛り上がり
 ……見だしを並べるだけで、「山本耕史さんらしい……」と爆笑。



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