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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は外出の道すがら芝増上寺に立ち寄りました。紅葉がきれいでした。

北海道
NHK大河ドラマ次は坂本竜馬 図書館で企画
 苫小牧市立中央図書館で、展示貸し出し企画「坂本竜馬」が開かれている。
 次の年のNHK大河ドラマにちなんで開いている。坂本竜馬に関する小説や明治維新にかかわった人物の本、幕末の風俗や歴史などを紹介する約180冊を集めた。人気の高い人物・時代だけに関連書籍も多い。
 図書館によると、年配の人や普段から歴史小説をよく読んでいる人の関心が高いのはもちろん、当時の写真を集めた本などを若い人が手に取る姿もよく見られるという。24日まで。


東京
上野彦馬賞フォトコンテスト:入賞作品の展示が始まる--都写真美術館 /東京
 写真界の人材発掘と育成を目的とした「第10回上野彦馬賞-九州産業大学フォトコンテスト」(同大、毎日新聞社主催)の入賞作品の展示が5日、目黒区三田の都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス内)で始まった。
 同賞は、幕末から明治にかけて長崎で写真館を開業し「日本の写真の祖」として知られる上野彦馬の名を冠し00年に創設された。
 今回は全国から過去3番目に多い3310点の応募があった。一般部門31人と中高生部門75人が入賞。最高賞の上野彦馬賞を受賞したスペイン・バルセロナ在住の写真家、森本徹さんの「コソボ--虐殺の記憶」をはじめ、紛争地のドキュメンタリーやほのぼのとした日常を切り取った作品など106点のほか、彦馬の作品55点が展示されている。
 13日まで。入場無料。7日は休館。【小泉大士】


滋賀
出版:「井伊直弼と黒船物語」 横浜の豊島さん、ゆかりの地訪れ紀行文 /滋賀
◇ブログ連載をまとめ
 幕末の大老で第十三代彦根藩主、井伊直弼のゆかりの地を訪ね歩いた紀行文をまとめた「井伊直弼と黒船物語 幕末・黎明の光芒を歩く」(A5判、268ページ)を、横浜市港北区の銀行員、豊島昭彦さん(50)がサンライズ出版(彦根市)から出版した。
 豊島さんは02年3月、直弼が不遇の青年期を過ごした「埋木舎(うもれぎのや)」を訪れ、「(直弼の)部屋住み時代15年の忍耐と、可能性がほとんどゼロに近くてもあきらめない闘志」に感銘を受けたという。これをきっかけに彦根や京都、東京などの直弼ゆかりの地を訪ね歩き、紀行文を書いてきた。
 08年11月、長浜市の旅館「須賀谷温泉」の取締役を務めていた知人の依頼で、同旅館のブログで紀行文「直弼の史跡を訪ねて」の連載を開始。09年2月までに、埋木舎や彦根城、桜田門などを題材に13回にわたって掲載した。「ブログを見た」と泊まりに来る人がいたり、出版を勧める声も上がったため、再度現地を訪ねて歴史的事実を確認したり、加筆修正して、本にまとめた。
 同書は2部構成。第1部「夜明け前の桜花」は、直弼と深く関わった女性、村山たか女の肖像画が伝わる高源寺(多賀町)などを収録した彦根編、彦根藩上屋敷跡や墓所がある豪徳寺などの江戸編、たか女の終焉(しゅうえん)の地・京都編--など。第2部「黒船物語」はペリー来航の浦賀、下田や久里浜のほか、アメリカ領事館跡地、神奈川宿などを訪れ、その歴史に迫っている。
 豊島さんは「直弼の人間としての大きさが心にしみ、キラリと輝く人物に出会えた旅だった。幕末の苦悩と混乱の中で彼らがいかに生きたかに思いを馳(は)せ、それが混とんとした今の時代を生きる道標になればうれしい」と書いている。
 1680円(税込み)。問い合わせはサンライズ出版(0749・22・0627)。【松井圀夫】



京都
飲酒運転:根絶訴え、京都府警伏見署員が路上で寸劇
 京都府警伏見署は5日、幕末の志士、坂本龍馬や妻お龍(りょう)に扮(ふん)して飲酒運転根絶を訴える寸劇を、龍馬の定宿だった寺田屋(京都市伏見区)前など3カ所で披露した。
 来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映を前に酒蔵の街・伏見の特色を生かしたPRをと署員が提案。酔っぱらって自転車に乗った新撰組隊士を龍馬が峰打ちで倒した。
 野外撮影と見まがう熱演に観光客らが記念写真を撮る姿も。龍馬役の交通課長は「酒造りの街から飲酒運転根絶を。伏見の夜明けは近いぜよ」と決めゼリフ。【藤田健志】

 「酔っぱらって自転車に乗った新撰組隊士を龍馬が峰打ちで倒した」……酔って暴走する新選組隊士って、どんだけ新選組のイメージ悪いんだか(涙)。

京都・読書之森:春秋 京大和翠紅館-平安から平成まで 京の雅 /京都
(写真・平垣内悠人 文・梅原猛ほか 思文閣出版・2940円)

 京都市街を一望できる立地と、幕末の志士の会合にも使われるなど由緒ある建物が伝わる「翠紅館(すいこうかん)」の四季の移ろいや歴史を、写真と各分野の専門家の文章で紹介する。

 現在は老舗料亭「京大和」として使われている翠紅館は、東山の高台にあり、愛宕山を背景にした八坂の塔、二条城、御所などの眺望が楽しめる。平安時代に最澄によって開山された正法寺の塔中(たっちゅう)の一つ、東光寺が起源とされ、以降、天皇家や足利義満、豊臣秀吉、徳川幕府ともゆかりを深め、江戸時代後期に西本願寺の所有となった。幕末には、公卿の三条実美や土佐藩の武市半平太、長州藩の桂小五郎ら勤王の志士が討幕の会合に使うようになり、歴史上の舞台ともなったという。

 桜や藤棚、紅葉、雪景色など、四季折々の変化をとらえた多数の写真をカラーで掲載。障子の間から八坂の塔が眺められるよう設計された室内からの風景や、さまざまな趣向が凝らされた各間の特長も伝える。また「歴史」「庭」「建物」の各分野について専門家が解説文を寄せ、写真と見比べながら読むと、理解が一層深まるだろう。

 訪れた際は、おいしい料理ばかりでなく、風景や建物も楽しみたい。機会と気持ちの余裕があれば、ですが。【田辺佑介】



和歌山
醤油醸造元「角長」 発祥の地で170年間綿々と
 「さしすせそ」の一つにも数えられ、古くから日本料理に欠かせないうまみ調味料として愛された醤油(しょうゆ)。鎌倉時代に高僧、法燈国師(はっとうこ くし)が中国から伝えた経山寺味噌(みそ)の製造工程で桶(おけ)にたまる液体が源泉で、和歌山県湯浅町で発祥したとされる。同町で昔ながらの手作りを守 り続ける醸造元「角長」(加納長兵衛社長)を訪ねた。(文・池田美緒)

手作り支える熟練

 江戸情緒あふれる古い町家や土蔵が立ち並ぶ重要伝統的建造物群保存地区にある。幕末の慶応2(1866)年に建てられた仕込み蔵を利用した醤油職人蔵と 資料館、そして天保年間の創業以来170年受け継ぐ仕込み蔵や作業場と隣り合わす本店。狭い小路には甘い麹の香りがただよう。「この香りは醪(もろみ)を 持っているからこそ。手作りの証し」と、代表取締役で醤油職人の加納誠さん(60)は胸を張る。

 寒仕込みの真っ最中の作業場に“潜入”した。岡山県産大豆600キロを高圧で1時間かけて蒸し、いって砕いた岐阜県産小麦510キロと種麹を手で混ぜ合 わせていく。100年前から使われる諸蓋(もろぶた)と呼ばれる木枠に入れて寝かせた後、オーストラリア産岩塩を溶かした水を加えていよいよ仕込み蔵に。 麹は蔵で醪に変化する。2日に1度かき混ぜながら1年半から2年以上発酵させ、うまみを凝縮していく。

 熟成した醪は、圧搾所で熟練の作業員の手で絞り出され、「生揚(きあ)げ」と呼ばれる生醤油になる。釜でアクを取り除きながら半日たきあげる「火入れ」 を経て完成。味を左右する火入れは、醤油職人の加納さんにしかできない重要な作業だ。江戸時代とほぼ変わらぬ工程の一つ一つが、熟練の技に支えられてい た。

歴史にふれて

 一般公開されている醤油職人蔵と資料館では、醤油作りの歴史が体感できる。

 職人蔵には、仕込み桶など醤油作りに使われた道具類が製造工程順に並べられている。全国的にも珍しい「足踏み式小麦割砕機」は江戸〜明治中期ごろ、いっ た小麦を割り砕くのに使われた。滑車のあまりの大きさに、当時の手間がしのばれる。てこの原理を利用して生揚げを絞り出した太く長い「締木(しめぎ)」も 圧巻だ。小麦をいり続けて底の抜けた平釜など、使い込まれた道具には職人の汗と苦労が染みこんでいる。

 平成7年にオープンした資料館では、湯浅醤油の由来を示す古文書などを展示する。古文書からは約200年前、92軒もの醤油蔵が並び栄えた湯浅の様子が 思い浮かぶ。日清、日露戦争時の大福帳はとくに分厚く、出征兵士らに祖国の味として親しまれたことが分かる。製造工程を紹介するビデオコーナーなどもあ り、湯浅町見物の休憩所としても重宝できそう。

伝承するプライド

 加納さんが“宝”と呼ぶのが、170年の歴史を誇る仕込み蔵に住み着いた「蔵つき酵母」である。はりや柱に白く浮き出た微生物の底力が、こくの深い味わ いを生み出す。醪を寝かせるゆりかご、深さ約1.8メートルの仕込み桶も「作れる職人はもういない」ほどの貴重品だ。先祖から受け継いだ道具と技が味を 守っている。

 全国に1500ある醤油製造業者のうち、昔ながらの手作りを続けるのは約1割。そんななか、価格よりも醪で勝負してきた。鎌倉時代の味を再現した「濁り 醤(びしお)」は、2年以上熟成した醪を特殊な濾し器で抽出、加熱処理しないことで豊かな香りを残した自信作。「海外へも魅力を伝えていきたい」と意欲を 見せる。

 蔵や資料館には多くの小学生や観光客も訪れる。「醤油発祥地の、伝統を受け継ぐ醤油屋としての責務と誇りを感じる」と加納さん。「もううちだけの商売ではない。湯浅の名に、恥ずかしくないものを作っていきたい」と力を込める。

 自慢の醤油を一口なめれば、甘く優しい香りと深い味わいが広がる。一滴一滴に職人魂が込められているのを感じた。

角長 和歌山県湯浅町湯浅7。醤油発祥の地と伝わる湯浅町で、昔ながらの麹からの手作りを守る唯一の店。天保12(1841)年の創業。資料館は毎週 土曜午前9時から正午、午後1時〜5時開館(入館無料)。その他の曜日は要予約。予約、注文はTEL0737・62・2035。ホームページ http://www.kadocho.co.jp



愛媛
社告:上野彦馬賞-九州産大フォトコン 松山で受賞作品展--22日から /愛媛
 幕末から明治にかけて活躍し、日本の写真術の開祖とされる上野彦馬にちなんだ「第10回上野彦馬賞-九州産業大学フォトコンテスト」の受賞作品展を開催します。一般部門の上位入賞作11点と高校生・中学生部門の入賞作75点を展示します。四国での開催は初めて。入場無料です。

 <会期>22日(火)~27日(日)9時40分~18時=最終日は15時まで<会場>愛媛県美術館=松山市堀之内<問い合わせ>毎日新聞福岡本部事業部092・781・3636

 主催 九州産業大学、毎日新聞社

 後援 文化庁、日本写真芸術学会ほか


高知
にぎわう産業祭
 「第26回土佐清水市産業祭」が5日、同市西町で始まった。メジカのつみれ汁やタルメのすまし汁、豚汁が無料で振る舞われ、大勢の買い物客でにぎわった=写真。6日まで。
 市内の農林水産商工業者らでつくる実行委員会の主催。会場脇の漁港岸壁には漁船が横付けされ、いけすで泳ぐ清水サバ約300匹が格安で販売された。
 メジカやサバなどを使った料理コンテスト(土佐清水青年会議所主催)もあり、5チームが料理の腕を競った。幕末に活躍した同市中浜出身の中浜(ジョン)万次郎の生家復元をめざす募金活動もあり、募金発起人会の田村泰輔さんらが協力を呼びかけた。
 6日は午前9時~午後3時。伊勢エビ汁の振る舞い、鮮魚の競り市、丸太切り競争などがある。


龍馬イヤーへ探訪マップ 志士相関図や歴史も紹介
 来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送を前に、幕末の志士とゆかりの地を紹介するパンフレット「幕末維新の土佐 探訪図会」(A4判、41ページ)が完成し、発行した。今後、数万部を配布予定で、県内各市町村のほか、「土佐・龍馬であい博(龍馬博)」の4か所のパビリオン会場などで配る。土佐・龍馬であい博推進協議会は「幕末維新の史跡を巡るバイブルとして役立て、高知の魅力を再発見してほしい」としている。

 同協議会と県内の博物館や文化施設など約50の機関でつくる「こうちミュージアムネットワーク」が発行。龍馬博のプレイベントとして、県内9会場で実施する巡回講座「幕末ゆめ道場『幕末維新の土佐』」でテキストとして使用するほか、県内4か所のパビリオン会場などで、観光客にも配る。

 坂本龍馬を中心とする幕末維新期の土佐藩の志士の人物相関図のほか、藩に関係する主な史実も略年表を付けて紹介。また、県内を東部、中部、城下、西部の4ブロックに分け、それぞれのエリアに残る志士ゆかりの地や史跡などを地図付きで説明し、藩が戊辰戦争で果たした役割や、維新後の志士の足跡なども紹介されている。無料。問い合わせは、同協議会(088・823・9706)。

(2009年12月6日 読売新聞)
 

山口
維新の志士育てた長州藩校「明倫館」新築時の姿 絵図発見
 高杉晋作や木戸孝允(たかよし)ら幕末から明治維新の志士を育てた長州藩(今の山口県)の藩校「明倫館」が、西日本最大規模に新築された直後の嘉永2(1849)年ごろに描かれたとみられる萩城下町の絵図が、萩市内で見つかった。萩博物館は「明治維新の原動力となった人材育成へ、藩の気概が伝わる貴重な資料」としている。

 絵図は縦1・7メートル、横1・9メートルで、二曲一隻のびょうぶ仕立て。市内の個人住宅の整理中に見つかり、所有者が11月上旬、同博物館に寄贈した。城下町開発の進み具合などから、江戸時代後期の嘉永2年ごろに描かれたという。

 当時は、明倫館が萩城三の丸から城下町のほぼ中央に移り、西日本一の規模を誇る藩校に建て替えられた直後で、その状況が見て取れる。絵図の中央には「明倫館」の文字がはっきりと記され、大きな敷地に築かれた様子も分かる。

 武家屋敷や社寺、農地などをそれぞれ色分けして詳しく示す一方、城の本丸や二の丸付近は雲で隠されていた。博物館では「町人が描かせたため、城についてはおそれ多くて詳しく載せなかったのかもしれない」と推測する。

 現在でも江戸時代の古地図を見て散策できるほど、当時の町割りがよく残っている萩城下町。清水満幸・統括学芸員は「高杉たちが歩いたのと同じ道を踏みしめることができる町並みがあり、この絵図のような資料を大切に守ってきた住民の高い意識がうかがえる」と話す。来年1月28日まで同博物館で公開されている。

      ◇
【用語解説】明倫館

 長州藩の5代藩主・毛利吉元が享保4(1719)年、家臣の子弟教育のため萩城三の丸に創建。「孟子」の「皆人倫を明らかにする所以なり」から命名。13代藩主・敬親が、老朽化と人材育成を理由に嘉永2(1849)年、城下町のほぼ中央に移転新築。敷地が約5万平方メートルに拡張され、剣術場や水練池なども備えた西日本一の規模を誇る藩校となった。現在は、跡地に萩市立明倫小学校が建っている。


佐賀
茶貿易の先駆け 顕彰
 幕末から明治初期にかけて活躍し、嬉野茶の名声を高めた長崎市出身の女性貿易商・大浦慶(おお・うら・けい)(1828~84)の資料展示室の開設を、嬉野市が進めている。4日開会の12月議会に「うれしの茶情報発信事業」として、展示室を「嬉野交流センター」1階に開設する予算案を提案した。「感謝の気持ちを表したかった」と市。可決されれば来年1月には公開する予定だ。(長沢豊)
 「お慶さん」と呼ばれた大浦慶は幕末、長崎・思案橋に近い油屋町にあった「大浦屋」に生まれた。しかし、その後、油屋町を含む526戸が焼失する大火に見舞われ、約250年続いた油商が行き詰まる。そこで考えたのが茶の輸出。1853(嘉永6)年、長崎・出島在留のオランダ人に嬉野茶の見本を手渡して、販路を英国、米国などの貿易商に求めた。
 3年後、見本を見た英国貿易商人・ウィリアム・オールトから1万斤(6トン)の嬉野茶の注文を受ける。この大量の注文に、嬉野茶だけでは応じきれず、九州一円の産地を駆け回って茶を確保。米国へ輸出。これが日本茶の輸出の先駆けとなったといわれる。
 市によると、当時、世界の市場で、お茶は高額商品とされ、長崎にやってきた外国人商人は日本緑茶を買い求めたという。嬉野茶は英国やアラビアにも輸出され、慶は30代にして女性貿易商として巨額な財を得たといわれる。市では「坂本龍馬などとの交流や維新の志士らの援助者という話も残る」という。ただ、明確な史料は残っていない。
 その後、明治の初め、熊本藩士のたばこ輸出売買契約の保証人になったが、たばこは渡されず、このつまずきで財産を失い、細々と茶の輸出を続けていたが、1884(明治17)年4月13日に他界した。市では「大浦慶が、嬉野茶の名声を高めることに、多大な貢献をしてくれた。この感謝の気持ちを表したかった」としている。
 資料展示室に展示するのは慶の生きた時代の年表パネルや坂本龍馬の資料、慶が輸出したとされる釜いり嬉野茶など。現在の嬉野茶の展示も計画している。



鹿児島
北海道展、断トツ1位は鹿児島 百貨店売り上げ9年連続
 全国の百貨店で催されている北海道物産展で、鹿児島市の「山形屋」がダントツの売り上げを記録している。首都圏の有名百貨店などを抑え、9年連続ナンバー1。なぜこれほど北海道展が受けるのか。

 山形屋では、今年も北海道物産展が11月6日から25日まで開かれた。初日は午前10時の開店と同時に買い物客がエスカレーターを駆け上がり、6階特設会場の売り場に向かう姿が見られた。約15分後には長蛇の列ができ、すれ違うのも難しい盛況ぶりだった。

 昨年は20日間で、鹿児島市の人口とほぼ同じ延べ約60万人が来場。過去最高の約7億6千万円を売り上げた。今年はさらに上回り、8億円を超えた。06、07年も期間中の売り上げは6億円超だった。

 北海道貿易物産振興会などによると、売り場面積や期間などで単純比較できないが、昨年、全国36会場で開かれた北海道主催の物産展の中で、1回あたりの売上額は山形屋がトップ。2位は東京の東武百貨店の約5億1千万円。九州の次点は宮崎市の宮崎山形屋が約3億円、長崎市の浜屋百貨店が約2億4500万円、福岡市の岩田屋が約2億1千万円だった。山形屋は08年まで「9年連続トップ」(同振興会)で、10年連続トップも確実な情勢だ。

 山形屋によると、年間のイベントで秋の北海道物産展に次ぐ売り上げは、ゴールデンウイークに8日間催す「初夏の北海道物産展」。以下、石川県の「加賀百万石のれん市」、京都府の「大京都のれん市」が続く。

 ちなみに昨年全国で開催された鹿児島物産展の売上高1、2位は東京と千葉にある東武百貨店で、北海道は上位に入っていない。

 なぜこれほど鹿児島で北海道展が受けるのか。

 「遠さに魅力を感じるのでは」とみるのは鹿児島県特産品協会。6~10月の季節限定で運航されていた北海道直行の航空便は08年に廃止され、北海道は県民にははるかな地となった。山形屋に親子で来ていた女性(46)は「旅費を考えたら、ほかの物産展に比べて断然お得でしょう」。

 「北海道へのあこがれ感」を挙げるのは、鹿児島市出身のタレントはしのえみさん(36)だ。「初めて行ったときは雪があって、別世界のようだった。アイスクリームやバター、ウニやイクラ、シャケといった産品も、キビナゴやカツオ、黒砂糖などになれた県民には新鮮で、聞くとテンションが上がるんだと思います」と語る。

 一方、歴史的な背景を指摘する意見も。

 NHK大河ドラマ「篤姫」の時代考証を担当した鹿児島大の原口泉教授によると、幕末や明治期の北海道開拓には多くの鹿児島の人々がかかわっており、上富良野町には島津氏の神社があるほどゆかりがある。さらに、昔から鹿児島ではコンブなど蝦夷地の産物を収穫祭などの儀式に多く使っており、今でもコンブやカズノコなしでは新年を迎えられないという。「昔から受け継がれてきたものが、広く浸透している。いわば、北海道は(鹿児島県民にとって)第二のふるさととも言える」

     ◇

 人気の陰には山形屋の企業努力もあるようだ。

 商品の味付けに鹿児島ならではのアレンジをしている。

 例えばイクラの醤油(しょうゆ)漬けは、北海道では辛口醤油を使うが、山形屋では鹿児島でなじみ深い甘口醤油にする。

 バイヤーとして出品業者と交渉にあたる日高博昭・食品仕入部長は「慣れ親しんだ味の方がお客様には受け入れやすい」と、業者に希望の味付けを伝え、納得いくまでサンプル品を作らせるという。北海道側の関係者は「ここまで徹底して独自の味付けにするのは珍しい」と感心する。

 仕入れに工夫も。

 物産展では鮮度や売れ残りの問題で少量ずつ仕入れ、補充するのが定石だが、山形屋では担当者が20日間かけて道内を回り、ジャガイモ20トン、カニ12トンと大量に買い付け、コンテナで運ぶ。「仕入れ値や輸送費を抑え、現地と同じ価格を実現した」と同部長。

 戦後間もない1950年に北海道の物産展を初めて開いたとされる福岡の岩田屋では、毎回初登場の商品を多くそろえるなどの工夫をしているが、山形屋の売り上げには舌を巻く。研究のために山形屋へ視察に出向いたこともあるという岩田屋の物産展担当バイヤーは「品ぞろえはピカイチ。地元好みの味付けに変えるなど商品開発力がすごい」と話していた。(白井伸洋)






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