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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は足下が薄ら寒いので暖房を入れました。

栃木
映画「桜田門外ノ変」 大老襲撃 大規模セットで再現
 幕末史に大きな影響を与えた井伊直弼暗殺事件を描く映画「桜田門外ノ変」の撮影が進んでいる。作品のハイライトは、江戸城桜田門外での襲撃シーン。水戸市内に大規模なオープンセットが組まれ、歴史の一ページが大迫力でよみがえった。(堀晃和)
 「よーい、スタート!」。メガホンを通して佐藤純彌監督の声が辺りに響く。そしてカチンコの音。
 彦根藩邸の赤門を出た武士の列が、真っ白な“雪”の上を足早に進んでいく。そこに書状を掲げながら飛び出してきた1人の武士…。安政7(1860)年3月3日、大老の井伊直弼が、水戸の浪士らに暗殺された有名なシーンだ。史実では大雪だったという。現場を訪れた2月上旬のこの日は、あいにくの晴天。雪に見えたのは、地面に敷き詰められた「寒水石」という真っ白な石だ。撮影はテストを数度繰り返して曇りの天候待ちとなった。
 映画は吉村昭の同名小説が原作。今年は事件から150年後に当たり、1月20日にクランクインした。
 セットは、水戸市や茨城県など地元の協力を得て、約2億5千万円かけて1月に完成した。千波(せんば)湖畔の東京ドーム1個分という広大な敷地に、井伊家の彦根藩邸や桜田門、江戸城のお濠(ほり)などが再現されている。セットの端から端までが約120メートル、桜田門の高さが約15メートル、赤門は約9メートルという壮観な眺め。コンピューターグラフィックス(CG)が使える現代では珍しいスケール感だ。
 佐藤監督は「このセットがなければ撮影はできないですよ、と頼んだんです。ここまでのスケールとリアル感のあるものができるとは思わなかった」と喜ぶ。
 主人公の水戸藩士、関鉄之介を演じる大沢たかおは「国を変えようとした男たちの気概とか思いみたいなものを、今の時代は求められているのだと思う。自分の中にあるこの気概を大きく膨らませて、作品にぶつけていきたい」と熱い気持ちをアピールする。
 また水戸藩主の徳川斉昭役の北大路欣也は「日本国を愛し、そこに情熱を爆発させた事件だと思う。それが今のどこかにつながっているのではと感じる」と作品への思いを語った。
 セットはロケの後、一般にも期間限定で公開されている。映画は3月中にクランクアップし、10月に公開される予定だ。



千葉
「子育て善兵衛」の生涯紹介
 幕末から明治時代にかけて貧しい子供たちを預かって養育したことから、「子育て善兵衛」と呼ばれた大高善兵衛(1822~1894)の生涯を紹介するパネル展が山武市殿台の成東文化会館のぎくプラザで開催されている。同市富田で生まれ、間引きは人道に反するとして戒め、私費で恵まれない子供や貧しい人たちを救ったという。28日まで。
 子孫の同所、元会社員大高栄一さん(68)が長年、調べてきた資料をもとに展示しており、栄一さんは「現在はほとんど知られていない郷土の偉人のことを少しでも知って欲しい」と話している。
 パネルには栄一さんの弟の佐瀬政明さん(66)が描いた挿絵がついている。
 パネルや栄一さんが収集した資料によると、善兵衛は広大な田畑、山林を持ち、酒造業も営む名主だった。人道家として知られ、育児が難しい家庭の子供を預かり、乳母を雇って養育し、天然痘対策に多くの子供たちに種痘を無料で実施した。母乳不足には牧場を作って乳牛を飼い、牛乳の普及に努めた。
 村民の生活を安定させるためには、養蚕業を始め、新田作りにも取り組んだ。コメが不作の時は金を村人に与えたという。
 栄一さんは20代のころ、両親から善兵衛の活動を聞いて興味を持ち、関係者から話を聞いたり、文献を調べたりしてきた。その成果を分かりやすくパネルにまとめた。子育て事業は明治時代の県からも高く評価されたという。
 6日午後2時から同文化会館視聴覚室で栄一さんの講演が予定されている。問い合わせは、山武市歴史民俗資料館(0475・82・2842)へ。(高木和男)


奈良
「天誅踊り」存続ピンチ
尊皇攘夷 急進派しのび100年

 五條市の旧大塔村天辻地区で、明治維新の先駆けといわれる天誅(てんちゅう)組の遺徳を偲(しの)び、100年以上にわたって続く「天誅踊り」が存続の危機に立たされている。高齢化や過疎化が進んで後継者不足となり、最盛期に約40人いた舞踊経験者は4人になった。住民たちは「このままでは、伝統ある踊りが途絶えてしまう」と懸念している。
 尊皇攘夷(そんのうじょうい)の急進派集団だった天誅組は、1863年に大和五條(現五條市)で皇軍の先陣として決起。五條代官所を襲撃して気勢を上げたが、政変によって幕府軍に追われ、鷲家口(現東吉野村)で壊滅した。
 市内には天誅組ゆかりの戦跡が残り、天辻地区では、本陣跡が地域のシンボルにもなっている。本陣跡では、毎年夏に盆踊りの恒例行事として、天下国家のために散った若き志士たちを弔う天誅踊りが披露されてきた。
 紋付きはかまで刀を手にした「男踊り」と、扇子を持った着物姿の「女踊り」があり、二重の輪になって「四海太平治る御代に外に不思議はサテ……」と歌に合わせて踊る。
 50年前には40人近い踊り手が集い、大阪市など県外の催しにも参加。保存会もできたが、後継者問題が深刻化した10年程前に自然解散した。
 戦後間もない頃、約150人いた地区住民は現在、約20人に減少。女性4人(65~76歳)の踊り手に加え、歌い手の1人も高齢のため、継承自体が年々難しくなっている。
 結婚後、地区で暮らす踊り手の一人、打集(うちあつめ)スミコさん(76)は「天誅組の義挙にならった勇壮な踊りで、このまま途切れてしまうのは寂しい」と話している。



京都
京都府庁旧本館に「容保桜」
桜守・佐野さん発見、命名

 京都市上京区の京都府庁旧本館で、ヤマザクラとオオシマザクラの両方の性質を持つ珍しい桜が1日までに見つかった。花がやや大ぶりで、表皮がめくれたような独特の木肌が特徴といい、発見者で桜守の佐野藤右衛門さん(81)が、幕末に府庁がある場所に屋敷を構えた京都守護職の松平容保(まつだいらかたもり)にちなみ、「容保桜」と命名した。

■ヤマザクラの突然変異
 きっかけは2008年春のこと。佐野さんが世話を任されている旧本館中庭のシダレザクラの様子を見に来た際、樹齢80年ぐらいとみられる一本の桜が目についた。「あれ、この桜は何やろ」。品種はヤマザクラのようだが、オオシマザクラの特徴である表皮がはがれたような木肌をしていた。
 翌春の開花期に花を持ち帰り、詳しく調べると、通常のヤマザクラよりも花がやや大きく、「花梗(かこう)」と呼ばれる花を支える枝も長目だった。多くの桜を見てきた経験から「これはヤマザクラの突然変異や」と確信した。
 府に旧本館の地の歴史を聞いたところ、幕末に京都守護職の上屋敷があったと知り、容保桜と名付けることを考えた。松平容保の子孫らの了承もこのほど得られ、正式に名前が決まった。
 佐野さんは「これだけ変異したヤマザクラは珍しい。植えられた経緯はよく分かっていないが、京都の歴史と自然のなせる業だろう。大事にしてほしい」と話す。府は近く案内板を設置し、府庁の新たな名物にする考えだ。

 京都に「容保桜」……花見に行きたいですねぇ(うっとり)。

岡山
玉島の歴史の地活写 公民館受講生写真展
 倉敷市玉島地区の歴史や言い伝えにまつわる土地、史跡などをとらえた写真展「玉島伝説の今を撮る」が同市玉島阿賀崎、市玉島支所で開かれている。4日まで。
 玉島北公民館の「やさしい写真講座」受講生と講師計18人が出品。円通寺で修行した禅僧良寛や命を賭して幕末の戦乱から玉島を救った備中松山藩士・熊田恰(あたか)、水島灘を舞台とした源平水島合戦など、それぞれが興味あるテーマに沿い、昨年5月から撮影した。


キャラバン隊が鹿児島観光をPR
 2011年3月に九州新幹線全線開通を控えた鹿児島市から1日、観光PRキャラバン隊が岡山市北区柳町の山陽新聞社を訪れ、食や温泉、歴史などの魅力をアピールした。
 メンバーは、西郷隆盛役の茶屋道秀次さん(39)、篤姫(あつひめ)役の南里佳さん(26)ら鹿児島を代表する幕末の偉人にふんした5人と広報スタッフ2人。
 茶屋道さんが「黒豚のしゃぶしゃぶや地鶏の刺し身と焼酎をぜひ味わって」と食をPRすれば、南さんは「県庁所在地の中で鹿児島市は温泉の源泉数日本一。温泉は銭湯で気軽に楽しめます」。新幹線全通後は、岡山から最短3時間10分と近くなる鹿児島。「かごんま、行っがーっ(鹿児島へ行きましょう)」と声をそろえた。
 一行は2日はJR倉敷駅、3日はJR岡山駅でパンフレットなどを配布し、観光宣伝を行う。

 

長崎
「龍馬が駆けた長崎」が切手に
 郵便局会社九州支社長崎県本部は1日、幕末の志士坂本竜馬とゆかりが深い長崎市内の名所の写真をあしらった記念切手シート「龍馬が駆けた長崎」を発売した。鹿児島県を除く九州の郵便局で、12月30日まで販売する。
 80円切手10枚の1シートで1200円。竜馬が設立した日本初の貿易商社「亀山社中」跡や竜馬の銅像など切手に使った写真は、市内の郵便局長2人が場所の選定から始め、好天を待つなど半年以上かけて撮影した。
 日本各地を旅した竜馬は、数多くの手紙を出した筆まめぶりでも有名。PR担当の村上俊幸・深堀郵便局長は「竜馬のように手紙をたくさん書いてもらえれば」と仲間の“労作”を売り込んでいた。 (長崎)


エンターテインメント
ノンフィクションW 武士の商法 激変の時代に生きる術 WOWOWで放送
3月14日(日) 午後4:30  [HV]

空前絶後の政権交代「明治維新」後、
窮地に立った武士たちは、いかにして成功し社会貢献できたのかを紐解く
 「武士の商法」とは、急に不慣れな商いをして失敗する例えとして使われる言葉である。それは、今まで働かずして食えたシステムが“御一新”と呼ばれた明治維新で跡形もなくなり、窮地に立った武士たちが心機一転挑んだ末の結末に由来している。
 しかし、その「武士の商法」の中には成功を収め、日本を代表する“一大産業”と成ったものも存在する。津軽のリンゴ、庄内の生糸、名古屋のコーチン飼育、静岡のお茶…。そこには自分だけの利益ではなく「中途で挫折するは、武士の道にあらず。斃れて後已む」と公のため仲間たちのために慣れない仕事に一生を捧げた名も無い士族たちの姿があった。彼らは、論語の素読などを通じ身に付けた武士の心を“新しい商い”の中に実現しようとしたのである。
まさに武士ゆえの「起業精神」、現代の“ベンチャー起業”の走りともいうべきものだったのだ。
 明治維新は、日本史上、空前絶後の「政権交代」。それまで最高位の身分で既得権を得ていた者が全てを失って下野したとき、武士たちは新しい暮しを
自ら作り、さらに社会に貢献していった。新しい世の中で、なぜ彼らは成功し社会貢献できたのか…。
この番組は、その答えを明治初期の日本各地に探っていく。 各地の「政権交代」後の武士の姿を、現代と重ね合わせ読み解き、今に繋がるヒントを探す。

ナビゲーター/宮崎哲弥





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