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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 昨日外出していて記事をアップできてませんでしたので、今日朝クリップした分とまとめてご紹介します。

福島
幻の三春索麺『桜めん』 あぐりかる(福島)
 三春索麺(そうめん)とは、江戸時代、三春藩の庇護(ひご)の下に栄え、幕府献上品となった高級そうめん。明治維新を機に衰退したその逸品を、地元の職人が復元し、昭和60年にお披露目。手延べ製法で、じっくり低温熟成・乾燥させた幅広の特徴あるめんは、のどごしも良く、今では全国から注文が集まり、三春の名物としても復活している。
 「桜めん」は同じ三春の名物「滝桜」にちなんだ季節限定品(5月半ばまで)。桜葉を練り込んでほのかな香りを立たせ、見事な桜色には紅花の色素を使用している。160グラム入り一袋420円。



岐阜
鳳凰台お直し完了
「秋の高山祭」屋台

 飾り物を除いて大修理が終わった鳳凰台 高山市の「秋の高山祭」で引き回される屋台「鳳凰台(ほうおうたい)」(国の重要有形民俗文化財)が、飾り物を除いて大規模な修理が終わり、19日、祭り関係者に披露された=写真=。高山祭の屋台は23台あり、国の補助などで、50~100年ごとに修理が行われる。
 初代の鳳凰台は、幕末頃に建造されたと言われ、現在が3代目。名工谷口与鹿作と伝えられる彫刻「谷越獅子」が飾られ、祭屋台の中でも一番大きく、屈指の美しさと気品を誇る。1907年から3年かけて修理が行われたが、それ以来の大規模修理だという。
 高山・祭屋台保存技術協同組合(八野明理事長)が2年かけて屋台の傷んだ部分を取り換えたり、塗り直したりした。飾り物は新年度に修理し、10月9、10の両日開催される「秋の高山祭」で披露される。
 鳳凰台の当番主任、田舎中(たやなか)清さん(70)らは「とてもきれいになった。金具がピカピカにならないようにするなど職人の方に苦労をかけた。祭り本番で見せたい」と喜んでいた。



京都
弥次喜多精神、不況時にこそ
「東海道中」終着から今年200年

弥次喜多精神、不況時にこそ 「東海道中」終着から今年200年
 弥次喜多(やじきた)道中でおなじみの江戸後期の滑稽(こっけい)本「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」で、弥次さん、喜多さんが江戸から大坂までの旅を終えてから、今年で200年になる。2人は京でも騒動を繰り広げたが、決してへこたれない。膝栗毛のガイド本を2年前に出した元京都市立芸術大学長で市立中央図書館長の中西進さん(79)は「不況時こそ、そんな陽気さに学ぼう」と勧める。物語に登場する三条大橋のそばの商店街もまちづくりに生かそうと知恵を絞る。

 ■「陽気さ学ぼう」と中西進さん推奨、商店主らまちづくりへ

 膝栗毛の中で旅の年代は設定されていないが、中西さんは「描写からみて、出版と同時期と考えるのが自然」と話す。大坂に着く8編は、1809年に刊行されている。
 源氏物語に関する著書もある中西さんは「人間の業を浮き彫りにした源氏に対し、膝栗毛は庶民を描いた人間賛歌。今こそ弥次喜多の『ケセラセラ(なるようになる)精神』に光を」と唱える。
 京都に立ち寄った弥次喜多は清水寺や北野天満宮、伏見稲荷大社のほか、芝居小屋や花街も訪れる。遊女を逃がしたとして裸で放り出されたり、小便を酒と間違えて飲んで「のどが裂ける」と騒ぐなどの珍道中だが、めげずに旅を続ける。
 中西さんは「芝居の見方一つとっても、江戸より上方の文化の方が優位という当時の価値観が読み取れる」と指摘し、不況だけでなく、東京一極集中の現況も踏まえて「『関西人よ、膝栗毛を読んで自信を取り戻せ』と言いたい」と訴える。
 物語に宿屋街として出てくる三条大橋かいわいでは、地元の三条小橋商店街が15年前、2人の銅像を大橋の西詰に建立した。毎秋の時代祭の日には、商店主や学生が弥次喜多にふんして観光客を迎えている。
 商店街の大西弘太郎理事長(55)は「歩いて旅した2人にちなみ三条も歩いて楽しい街を目指す」と話す。歩道の拡幅を市に求め、近く橋の清掃活動も始める。「一帯は幕末には池田屋事件の舞台になった。街の歴史をアピールして誘客を進めたい」と意気込む。

 ■東海道中膝栗毛
 弥次郎兵衛、喜多八が江戸から旅する創作の道中記。十返舎一九が江戸後期の享和二(1802)年から8編に分けて記した。京都は6、7編に記され、大坂を描いた文化六(1809)年刊行の「八編」で一段落した。その後、2人の素性を記した「発端」なども出た。


兵庫
<ぶんか探訪>明治の気骨、伝える遺構――玉岡かおるさんと行く生野銀山
 1200年の歴史を持つ生野銀山(兵庫県朝来市)。明治初期からフランスの技術を入れ、港へ至る馬車専用道路「銀の馬車道」も整備されて、日本の繁栄を支えた。作家、玉岡かおるさんの小説「銀のみち一条」では、近代化の大波に揺られながらも銀山とともに歩んだ庶民が描かれている。閉山後の町や遺構を玉岡さんと訪ねた。
(中略)
 座敷には、明治維新前後のものとみられるおひな様がさりげなく飾られていた。ひな祭りが始まった5日にひょっこり見つかったという。「閉山後、時間が止まった生野にはいろいろな物がそのまま残っているんです」と玉岡さん。トロッコの軌道跡や洋館風の旧生野警察署など、銀山の記憶をたどって散策できる。
 銀山は町はずれにある。平安初期の開坑で、1868年に政府直轄となりフランス人技師が近代化を進めた。三菱合資会社に払い下げられて国内有数の鉱山として稼働したが、資源が枯渇し1973年に閉山した。坑道の総延長は350キロメートル以上。深さは1000メートルを超える。三菱マテリアルの関連会社「シルバー生野」が観光施設として坑道の一部を公開している。


徳島
ひな人形の世界:時代の流行を反映--あすから徳島城博物館 /徳島
 毎年恒例の春の企画展「ひな人形の世界」が20日、徳島市立徳島城博物館(同市徳島町城内)で始まる。
 今年は約40点を展示。「立雛(たちびな)」から「享保雛(きょうほうびな)」「有職雛(ゆうそくびな)」「古今雛(こきんびな)」「芥子雛(けしびな)」など、時代々々の文化を反映したひな人形が並ぶ。毎年恒例の展示となっている徳島藩主・蜂須賀家伝来の天児(あまがつ)といった人形や、市民からの寄贈品の「御殿飾り」、五月人形も集められた。
 4月19日まで。会期中、「観桜茶会」(今月22日)や「和太鼓ライブ 花見太鼓」(同29日)、「花の茶会」(最終日)などのイベントが催され、企画展にちなんだ講演会も準備されている。入館料は一般300円、高大生200円、中学生以下無料。問い合わせは同館(088・656・2525)へ。【深尾昭寛】


テーマ展:心打たれ描いた真景図、理想求めた虚構の風景--徳島城博物館 /徳島
◇同館所蔵の作品を展示
 徳島市立徳島城博物館(同市徳島町城内)で17日、テーマ展「風景をめぐる・絵画を旅する」が始まった。同館所蔵の風景画など約20点を展示。徳島ゆかりの画家たちの、実際の風景に心打たれ描いた作品と、理想を追い求め虚構の風景を作り上げた作品を並べた。
 作品の中で最も目を引かれたのが原鵬雲(ほううん)の「気球図」。原は1835年の生まれで、もとは徳島藩の銃卒だった。藩御用絵師の守住貫魚に入門、画家としての道を歩み出すが、一方で、幕末期には幕府の使節に同行して欧州諸国を訪問している。当時の資料をもとに描いたのが「気球図」。鵬雲は、のち図画の教師となり、1879年にコレラの流行で没した。
 徳島藩の御用絵師、渡辺広輝の作品で目を引くのは「四季富士図」と「男山図」だ。「四季富士図」は一つの絵の中に春夏秋冬の風景が集まる虚構の絵で、「男山図」は石清水八幡宮(京都府八幡市)の一帯を描いた真景図。真景図とは実際を見たままに描く手法で、二つの作品は両極に位置するのだが、いずれも広輝の巧みな技術や魅力が引き出されているのでおもしろい。
 このほかにも幕末三筆として知られる貫名菘翁(すうおう)の「山水図」なども並ぶ。4月19日まで。問い合わせは同館(088・656・2525)。【深尾昭寛】




山口
愛と思いやりあふれる街・山口でお宝めぐりを
愛深まる山口お宝展

 山口市内の公共施設、神社仏閣など通常は見る事ができないお宝を一斉公開するイベント。室町の大内氏の時代から西の京と謳われ、維新の史跡が市内各所に残る街、山口。その貴重な歴史的・文化的遺産をはじめ、公共施設・神社仏閣などで通常は見ることができないお宝を一斉公開するイベントが「山口お宝展」だ。
 今年も、大内人形の新作発表や制作者による説明、大内塗体験もできる「平成の大内人形館」、また恒例イベントとして定着した「鷺流狂言」、県内最大級のパイプオルガンを実際に見て弾くことができる「パイプオルガン・メディテーション」など多彩なイベントが目白押しだ。この機会に山口を訪れよう。


長崎
グラバー園を2つ星に格付け 仏ガイドブック・ミシュラン観光版
 フランスで十六日に発売された、訪れるべき観光地を星印で格付けするフランスのガイドブック、ミシュランの観光版(ギード・ベール)日本編に、長崎市のグラバー園が二つ星に格付けされた。最高評価の三つ星には法隆寺や姫路城などが選ばれている。
 編集長によると、三つ星は五十六カ所、二つ星は百八十九カ所、一つ星は三百一カ所。このほか星なしで言及された名勝地も多数ある。県内では二つ星のグラバー園が最高。一つ星は稲佐山、二十六聖人記念碑、崇福寺、出島、浦上地区、県美術館の六カ所で、いずれも長崎市内。
 グラバー園は、幕末から明治期に長崎で活躍した英国人貿易商トーマス・グラバーの邸宅などを中心に洋館を集めて整備した市の観光地。二〇〇七年度は約八十八万五千人が訪れた。市文化観光総務課の外園秀光課長は「日本の代表的な観光地として掲載され、ありがたい。グラバー園そのものだけでなく、園ゆかりの人物の魅力も含め評価されたのではないか」と話している。
 今回、執筆に当たったのは、フランス人と日本人計十二人の混成チーム。数カ月かけて日本全国をくまなく歩き回ったほか、日本政府観光局からも情報提供を受けた。
 ギード・ベールは九カ国語で三百二十五種類、百五十万部が発行される欧州では特に有名なガイドブック。今回発売の日本編はフランス語版だが、今年九月には英語版も刊行される。日本語版の発行は未定という。


ボードイン写真集が国の文化財に 文化審答申、長崎市旧市長公舎も
 国の文化審議会は十八日、登録有形文化財として美術工芸品の「ボードイン収集紙焼付写真528点」、建造物の「長崎市旧市長公舎」(長崎市馬町)を新たに登録するよう、塩谷立文部科学相に答申した。本県に所在する登録有形文化財は美術工芸品は初めてで、建造物は八十五件(三十七カ所)となった。
 「ボードイン収集焼付写真528点」は、幕末から明治時代にかけての写真集。長崎養成所(現長崎大医学部)の二代目教頭を務めたオランダ人医師、アントニウス・ボードインが、弟で駐日オランダ領事だったアルベルト・ボードインと協力して収集した。長崎をはじめ、全国の風景や風俗、要人の肖像写真をとらえている。写真集は二〇〇七年にアントニウスの子孫から長崎大に譲渡された。
 写真集を専門的に研究する同大環境科学部の姫野順一教授は「長崎の持つ歴史の重要さが評価された」と喜び、「まさに坂本龍馬ら志士が見た風景。大河ドラマ『龍馬伝』の放映前でタイミングがよく、一般に公開できるようなイベントも考えたい」と語った。写真集は長崎大のホームページで閲覧できる。
 「長崎市旧市長公舎」は一九二二年に建築。大正時代の洋風邸宅として貴重で、登録基準の「国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当した。
 建物は屋根のこう配が途中で変わるマンサード屋根や、表面を細かく加工したれんが積みの外壁が特徴。一九四八年に長崎市に寄贈され、一九五五年から三十四年間市長公舎として使われた。
 二〇〇七年に市民活動のネットワーク化や活性化を狙い、ボランティアや市民団体の活動拠点として整備し、市民活動センター「ランタナ」としてオープンした。同市市民協働推進室の松本憲明室長は「登録文化財は一つのステータスとしてうれしい。建物を守りながら、市民活動に活用してもらい『市民力』の向上につなげたい」と話した。


「近代」伝える2件に光 「竜馬が見た風景」活写 登録有形文化財に答申
「近代」伝える2件に光 「竜馬が見た風景」活写 登録有形文化財に答申
 文化審議会が19日、文部科学相に答申した登録有形文化財に、県内からは「ボードイン収集紙焼付(やきつけ)写真」(美術工芸品)と「長崎市旧市長公舎」(建造物)がそれぞれ選ばれた。これで86件となる県内の登録有形文化財のうち、美術工芸品は初めて。紙焼き写真の登録は国内でも初となる。所有する長崎大は「長崎の異文化交流の歴史が高く評価された」としている。
 「ボードイン収集紙焼付写真」はオランダ人医師で長崎の養生所(現在の長崎大医学部)の第2代教頭、アントニウス・ボードイン(1820‐85年)が幕末から明治初頭にかけての日本滞在中に撮影、収集。同大が2007年、ボードインの子孫から譲り受けた。
 計528点の写真は1863年に東山手の丘から見た街をはじめとした風景や、日本人の風俗などが写されている。居留地に暮らす外国人のピクニックの写真は一見のどかな様子だが、ライフル銃を手にしたトーマス・グラバーの姿もあり、幕末の緊張した雰囲気が漂う。
 写真の調査に取り組む同大環境科学部の姫野順一教授は「被写体不明の写真も多く、参加型の学術資料といえる。坂本竜馬の長崎滞在と同時期でもあり『竜馬が見た風景』と思うと感慨深く、登録を記念した公開も検討したい」と話している。

■長崎市旧市長公舎 市民活動の拠点
 長崎市旧市長公舎は1922年に完成した木造洋風邸宅で、傾きが途中で変わる「マンサード屋根」や、引っかき模様を施したれんが積みの外壁が特徴。現在は市民活動センターとして活用されている。
 原爆の被害はなく、48年に市へ寄贈後、市長公舎として使われた。同市文化財課は「長崎を語る上で重要な近代史にさらに厚みを持たせる登録だ」としている。



コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】東大教授・山内昌之 長井雅楽
■未来洞察のリアリスト 

 歴史にはどこでも時代の動きや人の理解力と比べて早すぎた思想というものがある。当然、それを主張する人間は世にいれられず、排斥されることも多かった。尊王攘夷(じょうい)が一世を風靡(ふうび)し、排外主義が日本人を狂気と破滅の淵にまで導いた幕末に、開国と通商貿易の利を堂々と説いた人物が事もあろうに長州藩に現れていた。
 毛利家と同根の名流に生まれ、藩の直目付(じきめつけ)を務めた長井雅楽(うた)である。1861(文久元)年に長井が朝廷に説いた航海遠略(深い謀(はかりごと))策は、公武合体とともに、積極的な開国によって通商貿易を展開し、国を富ませる政治経済のリアリズムにあふれていた。
 当然、桂小五郎や久坂玄瑞(げんずい)などの尊王攘夷派と対立する意見にほかならない。テロが日本全国を狂気の海にしようとしていた時期に、正論を吐くのはたやすくない。皇女和宮(かずのみや)の降嫁(こうか)を決定した孝明天皇は航海遠略策を喜び、幕府の老中・安藤信正も桜田門外の変で大老・井伊直弼が暗殺されて幕権も低下していた折、長井の策を頼りにしたのだった。対立する朝幕を接近させた政策としての説得力だけでも、長井の政治リアリズムには切れ味があり、その説もすこぶる論理的で堂々としていた。

◆現代にも通じる常識

 長井は、十分の勝算があって戦をするのが古今の名将であり、一時の血気にはやり、無策の戦いを起こして絶滅する例が歴史に数限りなく多いとまず洞察する。尊王攘夷派のように外国との条約を国体に合わないから拒否するという理屈は、国内政治の勝手を述べているだけだ。これでは外国への説明にならないとは、現代にも通じる常識的な考えなのだ。外国船は何十年もの間、数万里の海を自在に航海し、日本の海路も知っているので、戦になれば日本の要地に出没し、町々をたやすく侵略できる、とまっとうな主張を続ける。
 公武のわだかまりを解き、朝廷からも航海を開き、外夷の脅迫を除くように将軍に命じ、国の進路を決める遠略は朝廷、その実行は幕府がと分担すれば全国が一致団結すると長井は信じたのである。この結果、鎖国をやめ、海軍も整備し、士気を鼓舞するなら、五大陸に飛躍できると航海遠略策のスケールはどこまでも大きい。
 明治の民間歴史家、竹越与三郎が主著『新日本史』で長井を「雄才大略の資」と呼んだのも無理がない。これほど堂々たる正論が排斥されたのは、尊王攘夷という体裁をとれば過激な暴論でも世を押し切れる政治の流れの怖さである。
 やや飛躍するが、小選挙区制に異議を唱えれば政治改革反対であり、郵政民営化に反対すれば抵抗勢力だという単純なレッテルはりで、国民が政治の流れをムードで決めるこわさにも通じる。今となってみれば、100年の計をもつ1960年の日米安保条約改定による日米同盟成立に異を唱える政治家はまず少ないだろう。

◆早すぎた思想の挫折

 しかし、60年当時の反米愛国の熱はさながら尊王攘夷の嵐に匹敵するエネルギーであった。不幸なのは、岸信介首相(当時)がいくら未来への洞察力に富んでいても、戦犯だったという暗い過去が政策の真意を疑わせたことである。
 長井の開国論は吉田松陰の「大攘夷」にも通じ、スケールの大きさで2人には共通点も多い。しかし、「長井こそ松陰を死に追いやった黒幕だ」と誤解した久坂ら松下村塾生の憎悪や、長州人気への薩摩の嫉妬(しっと)心による妨害工作もあって、この早すぎた思想は挫折し、長井も切腹の悲運にあった。
 辞世は「君が為(ため) 捨つる命は惜しからで 只おもはるる国のゆく末」。長井から学ぶべきは、歴史の大きな流れをつかみとり、周囲にへつらわずに、自己の信念を貫く未来直視の政治リアリズムの大切さであろう。(やまうち まさゆき)
                   ◇
【プロフィル】長井雅楽
 ながい・うた 1819(文政2)年~63(文久3)年。幕末の長州藩の武士。藩校の明倫館で学び、秀才として知られる。時の藩主・毛利敬親(たかちか)の信頼を得て藩政の中枢に関与した。だが、坂下門外の変で幕府の公武合体派が失脚したことに加え、藩内の尊王攘夷派の朝廷工作により、長井の公武合体論が朝廷を誹謗(ひぼう)するものとされ、責任を負って45歳で自刃した。

 吉田松陰の門下生たちに足跡を消されてしまっているようなのが残念でなりません。この人が幕末の長州を生き延びていたら、明治維新の歴史はかなり変わっていたんじゃないかと思っています。





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