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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 18時からWOWOWで『志の輔 in PARCO 2010』の放送がありますので、大相撲大阪場所の中継を見ながら待機しているところです。

東京・神奈川
京急で龍馬めぐり、旅行冊子を発行
 京急電鉄は、京急線各駅や沿線の公共施設などで、日帰り旅行冊子「京急で行く 龍馬めぐり」を配布している。今年話題の坂本龍馬にちなみ、京急沿線で坂本龍馬にゆかりのあるスポットが紹介されている。
 冊子には、横浜市の日ノ出町駅近くの井伊直弼像▽生麦駅周辺の生麦事件碑▽三浦市にある京急大津駅の龍馬の妻、お龍の墓▽八景島駅のアメリカン・アンカレッジ記念碑など、坂本龍馬をキーワードに神奈川や東京都内4エリアの幕末歴史スポットが掲載されている。


京都
「陸」の慎太郎、西郷も認めた「節義の士」
 慶応3(1867)年11月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎が襲撃された「近江屋」は今の河原町蛸薬師交差点の近くにあった。京都で一番の繁華街として多くの若者を集める河原町通だが、当時は道も今ほどの広さはなく路地程度。裏は多く寺が並び夜ともなると、ひっそりとしていた。
 当日は、慎太郎が近江屋を訪ね、2人は母屋の2階で火鉢を囲み話し込んでいた。慎太郎が以前住んでいた土佐藩御用達の書店「菊屋」も河原町通沿いにあり、近江屋とは徒歩数分。慎太郎は菊屋に向かい、菊屋近くの土佐藩の谷干城宅をのぞいた後に近江屋を訪ねている。
 午後9時過ぎ、「十津川郷士」を名乗る数人の男が近江屋を訪ねてきた。十津川郷士に知り合いがいることから通したところ、いきなり襲われ、龍馬は翌日未明に死亡。28カ所を切られた慎太郎も17日昼過ぎ、「早く倒幕を実行しなければ敵に逆襲される。同志の奮起を望む」と言い残し、亡くなった。
 今は現場を記した石碑が残るだけだが、雑踏の中で足を止め、カメラに収める若者がいるなど、2人の人気の高さを物語っている。

               ×  ×  ×

 慎太郎は天保9(1838)年、土佐有数の大庄屋の長男として生まれる。武市瑞山らから剣術や学問を習得するが、20歳のとき父が病気で倒れると帰郷し、大庄屋見習いとして農民のために尽力。凶作で困窮する農民に木を切った後の植林の徹底、田畑の開墾、緊急時のための貯蓄などを指導して難局を乗り切る。
 慎太郎は庄屋見習い時代の経験から、「民衆の安定した生活があってこその国」と考えていた。そのため人の能力を結集し、諸外国との対等関係を築くだけの力を持った国づくりを理想としていた。
 文久元(1861)年に土佐勤王党に入り、志士として活動をスタートするが、土佐藩の勤王党への弾圧が始まると脱藩。その後は長州に入り、元治元(1864)年の蛤御門の変、四国連合艦隊の下関攻撃で参加するなど武闘派としての印象が強い。

               ×  ×  ×

 こういった戦いを経て、慎太郎は薩長同盟の必要性をいち早く悟っていく。同年12月には西郷と、翌年の慶応元(1865)年4月には桂小五郎と会談し、同盟実現の可能性を打診。そのほかの両藩の有志とも会合を重ねるなどし、慶応2(1866)年1月、今の同志社大学辺りに(京都市上京区)にあった薩摩藩邸で薩長同盟を成立させた。
 慶応3年6月、京都で薩長に土佐を加えた同盟を締結。7月には、現在の京都大学農学部(京都市左京区)周辺にもあった土佐藩邸内に「陸援隊」を編成。自ら隊長となって新型銃の訓練を行うなど、倒幕の準備を怠らなかった。
 「海」の龍馬に対して「陸」の慎太郎。円山公園内(京都市東山区)に、遠くを見つめる立ち姿の龍馬の横に片ひざを立て、しっかりと前を見据える慎太郎の銅像がある。まさに、この名コンビの関係を的確に表している。

               ×  ×  ×

 慎太郎は、当時としては珍しく笑顔を浮かべた写真を撮影している。武闘派とはいえ実直で誰とでも表裏なく付き合え、西郷隆盛も「節義の士」と評す。さらに弁舌がさわやかで、もめ事を片づける名人だったという。
 八・一八の政変で都落ちした三条実美らのため、度々京都に入っては情報を集めた。近江屋事件前には、公武合体派として三条の政敵で京都の北の外れに隠棲中の岩倉具視を訪ねたさい人間の大きさを知り、三条との和解に尽力もした。
 その岩倉が慎太郎の死を知ったとき、「誰が私の片腕を奪った」と嘆き悲しんだといわれている。
 最後に幕末史に詳しい霊山歴史館の木村幸比古学芸課長に「2人が長生きしていれば」と聞いてみた。木村学芸課長は「龍馬は外国相手の貿易商。慎太郎は総理大臣になっていたかもしれませんね」と答えた。(園田和洋)


幕末、明治彩った志士ら108人 JR京都駅ビル 企画展で紹介
 幕末から明治に活躍した志士たちを紹介する企画展が20日、京都市下京区のJR京都駅ビルで始まった。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、激動の時代への興味や知識を一層深めてもらおうと、京都駅ビル開発が開いた。
 駅ビル・空中径路(けいろ)の会場には、100枚のパネルが並ぶ。黒船来航から戊辰戦争に至る歴史の流れとともに、坂本龍馬や高杉晋作、土方歳三といった時代を彩った108人を紹介している。彼らの残した言葉や時代背景なども分かりやすく説明し、訪れた人たちは熱心に見入っていた。
 また駅前広場には、市内の幕末史跡を紹介する大型マップを飾ったほか、20~22日には山口、長崎、高知といった幕末とゆかり深い地域の観光PRやラジオの公開放送も行い、幕末ムードを盛り上げる。企画展は12月20日まで。無料。

高知
脱藩龍馬 大志思う 高知で祭り
剣道着姿の児童再現

 幕末の志士・坂本龍馬が脱藩の際に立ち寄ったとされる高知市神田の「和霊神社」(藤原健裕宮司)で21日、龍馬脱藩祭が開かれ、尾崎知事や地元の小学生らが、はっぴや剣道着姿で脱藩の様子を再現し、当時は重罪だった脱藩という危険を犯しながらも、変革に挑んだ龍馬の偉業をしのんだ。
 脱藩祭は、龍馬生誕150周年を記念し、神社の氏子や地元住民らが中心となって1985年から毎年開かれており、26回目。和霊神社は龍馬の先祖が建立した坂本家ゆかりの神社で、龍馬が文久2年(1862年)3月24日に脱藩する際、「吉野に花見に行く」と言って立ち寄ったとされる。
 脱藩祭では、境内で市立神田小5年の児童5人が、「自由を愛し、日本を創(つく)り、世界に羽ばたいた龍馬のように大きく飛び立っていくことを誓います」と脱藩を宣言。児童と尾崎知事、岡崎市長らが竹の器で水杯を交わし、たいまつを掲げて約200メートルの石段をふもとまで下り、脱藩シーンを再現した。尾崎知事は満開の桜に「龍馬が脱藩した時も、きっとこんな風に桜が咲いていたんでしょうね」と笑顔。杉本昇大君(11)は「龍馬はきっと、脱藩を成功させ、日本を変えるという強い気持ちを持っていたんじゃないか」と龍馬の大志に思いをはせていた。




佐賀
「佐賀城本丸検定」66人が挑戦  石川、奈良からも
 佐賀県立佐賀城本丸歴史館のボランティアガイドが企画した第1回「佐賀城本丸検定」が22日、10代藩主の居間「御座間(ござのま)」を会場に行われ、佐賀県内外の66人が参加。幕末と維新期を先導した佐賀の人物、城郭の知識を問う50問に挑んだ。
 「幕末・維新期の輝かしい佐賀の歴史を知ってもらおう」と約90人のボランティアガイドが2年がかりで準備し、本番を迎えた。12~83歳の男女が参加、石川県や奈良県などから来た人もいた。
 「幕末佐賀藩の石高は?」など人物、城郭、歴史の3分野を展示物や同館の図録から3択式で出題。参加者は答えの「36万石」にマークするなど、真剣なまなざしで問題に取り組んでいた。
 最年少の佐賀大付属中1年、田村わか菜さん(12)は「事件の名前がちょっと難しかった」と話し、奈良県から訪れた樋口俊夫さん(75)は「旧制佐賀高校出身を卒業し県外で暮らしてきた。ふるさとを離れると、佐賀の良さがよく分かる。こうした検定などで、もっとPRして」と”注文”した。
 7割正解を目安に合格者を決め、11日に同館で発表。合格者には認定証を贈る。

【写真】真剣な表情で問題を解く参加者=佐賀市の佐賀城本丸歴史館


長崎
【動画】幕末歴史検定に龍馬ファンら挑戦 本県では初、295人受験
 幕末の志士、坂本龍馬にまつわる知識を試す第2回坂本龍馬幕末歴史検定(全国龍馬社中主催、長崎新聞社共催、日本出版販売企画・運営)が21日、長崎市文教町の長崎大など全国4カ所であり、全国の“龍馬ファン”が試験に挑んだ。本県での開催は初めて。
 同検定は2008年11月に東京、京都、名古屋で初開催。今回は東京、京都に加え、龍馬ゆかりの地でもある長崎と高知でも実施した。また今回から初級、中級より問題が易しい脱藩(超入門編)も創設された。
 検定には全国で約1500人、長崎会場では10~81歳の295人が受験。全受験者のうち、脱藩は成績上位80%以内、初級は同じく70%以内、中級は同じく30%以内の受験者が合格となる。
 問題は「龍馬の身長は何センチと推定されているか」など龍馬自身やその周辺人物などについて脱藩は60問、初級・中級は100問出題された。
 脱藩、初級、中級すべてを受験した熊本市の会社員、上田孝義さん(50)は「幕末の激動の中を生きた龍馬には何か得るものがあると思い、受験した」。全国での最年長受験者となった東彼川棚町小串郷の中島昭さん(81)は「困難を乗り越えて進む龍馬の生きざまに共感した。合格すればいいなと思う」と話した。


全国
高知をはじめ全国で開催される坂本龍馬イベント!
 NHKの大河ドラマで話題沸騰の坂本龍馬ですが、今年は例年になくさまざまなイベントが行われています。

 まず注目はもちろん地元の高知県です。
 今年の1月16日から2011年1月23日まで「土佐・龍馬であい博(高知市)」が行われ、それに伴って、「高知・龍馬ロマン社中(高知市)」、「安芸・岩崎弥太郎こころざし社中(安芸市)」「土佐清水・ジョン万次郎くろしお社中(土佐清水市)」、「ゆすはら・維新の道中(檮原市)」など高知県内ではさまざまなイベントが行われています。
 このうち、「土佐・龍馬であい博 4社中スタンプラリー」では、高知県内のパビリオンをめぐるスタンプラリーを実施しています。スタンプ台紙を片手に、土佐・龍馬であい博の各社中を回って、スタンプを4つ集めると、5,000円相当分の高知県産品が200名にプレゼントされます。抽選は4月、7月、10月、1月の計4回、各50名に送られます。

■ジョン万次郎くろしお社中イベント
 ジョン万海の元気祭り
 期  間: 2010年5月1日~4日、7月17日~18日(予定)

 土佐清水もてなし隊 ランチバイキング
 期  間: 2010年5月2日、7月18日、10月10日(予定)
 予定内容: 女性4グループによる地産地消の郷土料理、朝捕れ鮮魚の刺身たっぷりバイキング

 あしずり祭り(花火大会)
 期  間: 2010年8月(予定)

 第2回 土佐清水ジョン万祭り
 期  間: 2010年10月頃(予定)
 予定内容: 観月の宴&あしずりみなとぴっかり

 第4回 足摺きらり
 期  間: 2010年11月19日~21日(予定)

 土佐清水市産業祭
 期  間: 2010年12月4日~5日(予定)

 くろしお社中フィナーレイベント
 期  間: 2011年 1月10日(予定)

 また、高知市では「電車一日乗車券で乗るイベント電車」が運行されています。
 この電車は、現存する路面電車で日本一の歴史を誇る「とでん(土電)」。
平成22年1月17日(日)~平成23年1月9日(日)の間、毎日曜日は維新号・外国電車が特別運行しています。

 その他の関連する各地でもさまざまなイベントが行われています。
 たとえば、長崎、「長崎龍馬パスポート」が平成22年1月9日(土)~平成23年1月10日(月・祝)間に龍馬ゆかりの「長崎まちなか龍馬館」、「長崎奉行所・龍馬伝館」、「グラバー園」、「長崎市亀山社中記念館」を1,200円で見ることができます。 購入場所は、長崎駅改札口横と各入場4施設です。
 「長崎奉行所・龍馬伝館」は実際に坂本龍馬が訪れた長崎奉行所跡地にオープンしたドラマ館。大河ドラマ「龍馬伝」で使用された衣装、小道具などの撮影セットの再現展示やハイビジョンシアターでの龍馬伝ストーリーの見どころ紹介、大河ドラマや坂本龍馬関連展示など、魅力あふれる内容となっています。
開館期間は平成22年1月9日(土)~平成23年1月10日(月)です。
 ちょっと先の話になりますが、坂本龍馬の命日の11月15日には、ゆかりの地各地でさまざまなイベントがあります。

■竜馬の命日に開催するイベント
 龍馬ゆかりの道 ツーデーウオークin高知
 開催場所: 高知県高知市

 龍馬まつり
 開催場所: 高知県高知市

 亀山社中幕末祭
 開催場所: 長崎県長崎市

 龍馬墓前祭
 開催場所: 京都府京都市東山区 霊山護国神社

 才谷村龍馬祭
 開催場所: 高知県高知市

 京都酢屋 龍馬追悼展
 開催場所: 京都府京都市

 坂本龍馬誕生祭
 開催場所: 高知市上町

 龍馬祭
 開催場所: 北海道函館市

 このほかにも全国各地にある龍馬会では、花見のイベントや龍馬を学ぶ講演会などさまざまなイベントが行われています。
また大手旅行社でも今年1年は、京都、高知、長崎といった龍馬ゆかりの地へ旅行を計画しています。坂本龍馬に触れるイベントは盛りだくさんです。ぜひチェックして、出かけてみてはいかがでしょう?

>>イベントチェックはこちら「全国龍馬社中」
(三宅 悠)


コラム
講演「現代に通じる経営哲学-幕末の豪商高田屋嘉兵衛」を聴く
熊木秀夫
 3月14日、川崎市教育文化会館田島分館で、高田屋嘉兵衛7代目の高田嘉七さん(1932年生、函館市北方歴史館館長)による嘉兵衛の経営哲学の講演がおこなわれ、聴講した。
 
 嘉兵衛のことは、司馬遼太郎の著書『菜の花の沖』、その後、TVでも放映されて多くの人に知られるようになった。

 淡路島(現兵庫県)に生まれた農家の6兄弟の長男であった嘉兵衛は、18歳の時、大阪廻船問屋で働き始め、1795年(寛政7)に山形県庄内で1700石の辰悦丸を建造した。

 そして、それまでの大阪を拠点として瀬戸内海を通り下関を経て日本海の港を結びながら蝦夷地(北海道)へ至る北前船航路ではなく、大阪から紀州(和歌山県)を通って一挙に蝦夷地へ至る航路を開発した。

 そして、一航海の利益で、廻船一艘を建造できるくらいの莫大な利益を上げたこと。ロシア皇帝艦のゴローニン艦長がクナシリ島で水・食料の補給しようとして松前藩の警備隊に逮捕されると、ロシア側の意図を聞きだし、ロシアとの通商の道を幕府に説明してゴローニンの解放を助けた。
 
 ここまでは小説でも、芝居(秋田わらび座上演)でも演じられているが、講師は、嘉兵衛が江戸時代にどれほどの豪商であり、そのためにどのような経営哲学を持っていたかを2時間半にわたって説明した。
 
 配付された資料には、2代目金兵衛が阿波藩(徳島)にお預けになり、全財産を没収された。そのとき、1834年(天保5年)に幕府の命により、まとめた松浦武四郎の「蝦夷日記」によると、
 一、 米19万8千石(約3千5百64万kg)。当時幕府は天保飢饉で、江戸を中心に米を集める命令をだしていた。詳しい説明がないが嘉兵衛が海外へ売り込みをかけていたというので、唐米と称され、米不足が大問屋の買い占めや輸出によって米不足がおこったと、幕政の責任転嫁をはかっていたのではないか(筆者推測)。
 一、 金は千八百二七万八千五両(時価相場でいくらになるかわからない-筆者)
 一、 大船は千石以上が四百五〇艘、船頭九百八〇人
 一、 家作 間口九七間(約175米)、奥行二七二間(490米)
 一、 土蔵 三〇七箇所(このうち唐物蔵は123箇所)
 一、 有米 三九億と十一万石(4斗俵にして百二億五千二七万五千俵)当時の時価相場で四八億七千五百一三万七千五両
 一、 田畑は海・山共 九万石 ほかに島三カ所
 一、 家内総人数 千六百四六人
 とある。
 1869(明治2)年に冤罪になって家族は自由の身になったが没収された動産は一円ももどってこなかった(後述)




 江戸末期、大阪の廻船問屋の船乗りから身をおこして一代で天下の豪商となるために、嘉兵衛は、どのような経営哲学をもっていたのだろうか。講演の趣旨もそこにあった。

 講師は5つのポイントをあげている。
 いまでいう銀行業と同じく百両、千両の金を預かり為替手形を発行し、利子を付けて返したこと。
 大量輸送には船しかない時代に、延べ数百隻の船団を擁し、廻米、兵員輸送(東北各藩に)、幕府の艦船の運航を一手に引き受けたこと。
 山形に造船所をつくり、自己の所有船ばかりでなく、幕府の艦船も作り、晩年には日本最初の洋式船「函館丸」を造った。
 自己所有の船で各地の物資を買い入れて販売、特に一大消費地である江戸への物資輸送を行った。
 金銀の相場を誰よりも早く見分けて、現物輸送を通して利益をあげたこと、など。
 これらを実行するために、船の安全運行、商品の品質管理、商品に等級をつけ、量目を明確に管理し、商品はすべて高田屋の山高印をつけてブランド化し、検品なしで、流通させることに成功した。

 沖走り航法の確立のために、天測、磁石等を利用し、沖に出て一気に東廻りの航路を開発実行していった。
 安全航路の確立で、根室、クナシリ、エトロフなどの航路に、他の廻船問屋の追随を許さないほどの成果をあげたこと。
 人別台帳の整備と各場所の責任者を明確にして利益の半分は倭人、アイヌ人の区別なく支払いをしたので、誰もが喜んで働き、人集めに苦労しなかったこと。
 病人の管理や北海道の大火に対しては進んで復興用の材木を提供し、飢饉に際しては米の原価販売をして人々を助けて、社会への利益がやがて企業に戻ってくるという信念を貫き、人々の尊敬を勝ち取ったこと、などなど。
 その後、冤罪をうけてから4代目の篤太郎の出願により、明治政府は高田屋を無罪にした。しかし没収財産の返還は一切なかったという。
  最後に講師高田嘉七さんは、「まだまだわからない、未研究なところも多いので、是非函館にある社団法人・北方歴史研究会に来ていただき、研究する人が増えることを願っている」と、講演を結んだ。
 100名を超える聴講者たちは、高田屋嘉兵衛の経営哲学は現代にも通じるものがあると、質問を繰り返していた。.




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