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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 ども、『鞍馬天狗』最終回なんですね……笑い飛ばして見ていた作品ですが、終わりとなればちと名残り惜しいです。

福島
やきとり世界一へ長州に挑戦状/会津若松
「長州と会津の名の下で戦うことは、わが会津にとって今度は絶対負けるわけにはいかない」。
 会津地鶏のPRを目指し4月に会津若松市で開かれる「やきとり長さ世界一イベント」の実行委員会が5日、同市文化センターで開かれた。
 長州どりで世界一の座にある山口県長門市に届ける挑戦状を書き上げた。
 戊辰戦争から140年目の戦いに臨む熱い決意を文にしたためた。


やきとり戊辰対決:焼き鳥の長さ、世界一挑戦 山口・長門市に“宣戦布告”へ /福島
 会津地鶏を使った焼き鳥で「長さ世界一」の座を奪取しようと、会津の養鶏業者らでつくる実行委員会(関沢好春委員長)が4月13日、会津若松市で「やきとり戊辰(ぼしん)対決」と銘打ったイベントを開く。実行委は5日、最長記録を持つ山口県長門市への挑戦状を作成し、10日に同市を訪ね“宣戦布告”する予定だ。
(中略)
 挑戦状では「戊辰の役で敗れた会津の先人の思いは、子孫がそのまま受け継いでいる」と会津人の心情を吐露し、「時が時であれば、大砲、鉄砲、刀を準備して挑むところだが、やむを得ず『やきとりの串(くし)』を武器にして挑む。会津にとって絶対に負けられない運命をかけた戦いである」と意気込みを示した。関沢委員長、武田会長らが裃(かみしも)、陣笠(じんがさ)姿で長門市を訪ね、松林正俊市長らの前で挑戦状を読み上げる。


埼玉
川越城堀跡 市が公園に
 川越市は、川越城の堀で唯一現存する中ノ門堀跡(川越市郭町)を公園として整備保存する方針を決めた。堀跡の土地取得や実施設計などの経費約1億3534万円を2008年度一般会計当初予算案に計上した。
 中ノ門堀跡は、江戸初期の正保年間(1644~48)に始まった川越城の拡張工事によって造られた堀の一部とみられている。明治維新後、ほとんどが埋め立てられたが、郭町の住宅地内の民有地のやぶの中に、幅約20メートル、長さ約46メートルの堀跡が残っているという。



京都
浄福寺通(上京区)
(中略)
 出水通の1本南を東に入った浄土宗松林寺は、聚楽第の南側の外堀跡に立つといわれる。寺院への参道は上がっていくところが多いが、この寺では逆に、門をくぐると階段を下りていく=写真。本堂が堀跡の中に位置するからだという。
 豊臣秀吉は1587年、平安宮の跡に聚楽第を築く。後においの秀次に譲られたが、1595年に秀次が失脚すると破壊された。敷地の正確な範囲はわかっていないが、中核部分は南北が下立売通から一条通まで、東西が大宮通から土屋町通までとみられている。今でも一帯の町名や通り名には、聚楽第の名残がある。松林寺は江戸時代にここに移転してきた。
 「この寺には、いろんな由来があるんですよ」と同寺の月澤京子さん(57)。平安宮内裏の建春門、隠れキリシタンの墓、幕末の見廻組の駐屯所……。寺が立つ場所には、京都の歴史が積み重なっている。「歴史の跡を訪ねていらっしゃった方には『どのお話ですか』と聞くんですよ。自由に見て写真を撮ってもらっています」と笑顔で話す。


島根
なるほど!石見銀山 : 遺跡を歩こう(22)大森に残る維新の面影
 石見銀山の歴史を語るとき、十六-十七世紀の銀山華やかなりし時代が取り上げられることは多い。では、黒船の到来に始まり、尊皇攘夷の機運が日本中を巻き込んだ幕末、続く明治維新のころ、銀山はどのような姿だったのだろう。
 石見地方に幕末の嵐が吹き荒れたのは一八六五(慶応元)年五月。幕府は再度の長州攻めを開始したが、翌六月には長州軍が浜田を手中にし、さらに銀山領へと迫った。驚いた当時の代官・鍋田三郎右衛門は七月二十日、地役人を引き連れ粕淵経由で倉敷へ逃亡。
 ここに約二世紀半、五十七代の奉行・代官による銀山の幕府支配は終息を告げた。長州軍が大森に進軍したのは、わずかその四日後であった。






長﨑
豪華絢爛「屏風」展きょうから 日蘭修好150周年で長崎歴文博
 長崎市立山一丁目の長崎歴史文化博物館で、五日開幕する「屏風(びょうぶ) 将軍からの贈り物」展(長崎新聞社、日本経済新聞社、同館主催)の報道陣向け内覧会が四日あった。江戸時代末期、将軍が威信をかけてオランダ国王へ贈った最高級の金屏風は、いまも色あせない極上の輝きを放っていた。
 同展は日蘭修好百五十周年記念の特別展。オランダ国王特使コープスの来航(一八四四年)など、長崎を舞台にした幕末の日蘭関係を約三十点の資料でたどる。
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