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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 東京では午後から雨になりました。明日午前中は吹き降りという予報です。ゴールデンウィークはまずまず天気がもつようで、あと少しの辛抱というところでしょうか。

山形
近藤勇と雲井龍雄法要で思いはせる/米沢市
 新選組局長近藤勇と幕末の志士雲井龍雄の法要がそれぞれ25日、米沢市で営まれ、参列者は歴史に思いをはせた。
 同市鍛冶町の高国寺では、「近藤勇のロマンを語る会」(大友久太郎会長)が143回忌法要を開いた。近藤は江戸で処刑され、首が京都の三条河原にさらされたというのが定説だが、同会によると、米沢の織物業者だった近藤のいとこが偶然江戸にいて処刑を知り、首を盗んで持ち帰ったという。命日のこの日、近藤家ゆかりの人など約40人が参列した。29日の「米沢上杉まつり」の時代行列に、同寺で出発式を開いて送り出す。
 雲井をしのぶ墓前祭は同市城南5丁目の常安寺であり、約20人が参列した。読経後、薩長と戦う決意を詠んだ雲井作の漢詩「客舎の壁に題す」を合吟した。米沢藩士だった雲井は戊辰戦争後、「朝敵」とされた会津救済に奔走したが、政府の転覆を企てたとして処刑された。藤沢周平が小説「雲奔(はし)る 小説・雲井龍雄」を描いている。


茨城
「幕末ブーム」新たな名所に 「桜田門外ノ変」記念展示館29日オープン 茨城
 千波公園(水戸市千波町)の千波湖畔に造られた映画「桜田門外ノ変」のオープンセットの一部が29日、同映画の記念展示館として開館する。映画撮影後、一般公開されているセットは公開期間を予定より延長するなど好評で、急ピッチで工事が進められている記念展示館も水戸観光の新たな名所となりそうだ。(城野崇)

 江戸城の桜田門周辺などを再現したオープンセットは2月20日から、ほぼ撮影に使用した状態のまま公開され、4月25日までに延べ7万3千人が見学した。ピークの3月20~22日の連休には1日4千人近くが訪れたという。
 当初、セットの公開は展示館準備のため今月4日以降は休止する予定だったが、公開継続を求める声が多く、展示館に改築する部分を除いて25日まで公開を延長していた。
 セットのうち江戸城内部を再現した建物を記念展示館に改築。館内には水戸東照宮や弘道館、徳川博物館などから借り受けた資料、撮影に使用した小物、パネルなどを多数展示。目玉は水戸藩主、徳川斉昭(なりあき)が造らせた装甲車「安神車(あんじんしゃ)」や大砲「太極砲」の複製品など「桜田門外の変」当時を思わせる資料だ。
 「桜田門外ノ変 映画化支援の会」の谷田部智章事務局次長は「スペースの都合もあり全部は見せられないが、市内には貴重な資料がたくさんある」と強調。「映画を通じて水戸の歴史に関心を持ってもらいたい」として、観光客が記念展示館に訪れた足で資料を提供した施設へも向かう相乗効果を期待している。
 実際、セット公開の効果で客足が伸びている施設もある。同市三の丸の弘道館では毎年来館者数がピークとなる「水戸の梅まつり」期間中、2万6369人が来館。昨年の2万2770人から約3600人増えた。弘道館事務所では「幕末ブームの中で、オープンセットと弘道館を見ようという人がいるようだ」と説明している。
 記念展示館は中学生以上800円、小学生500円。午前9時~午後5時。29日の展示館オープン以降もセットは見学できる。

                   ◇

【用語解説】「桜田門外ノ変」

 1860(安政7)年、水戸浪士らが大老、井伊直弼を暗殺した「桜田門外の変」をテーマにした吉村昭氏の同名小説を水戸市の有志が映画化を企画。県内各地でロケを行い、オープンセットでは大老襲撃シーンなどを撮影。10月16日公開。佐藤純彌監督。出演は大沢たかお、北大路欣也、長谷川京子ら。


東京
きょうから東京で特別展「龍馬伝」 手紙や遺品公開、長崎展は10月
 幕末の志士、坂本龍馬の直筆の手紙や遺品などを一堂に集めたNHK大河ドラマ特別展「龍馬伝」の開会式と内覧会が26日、東京・両国の江戸東京博物館であり、報道陣や関係者ら約720人(主催者発表)が参加した。27日から一般公開される。
 東京都歴史文化財団と同館、NHKなど主催。放映中の「龍馬伝」と連動して、高知や京都、長崎などに伝わる龍馬関係の歴史資料約170点を展示し、龍馬の波乱に満ちた生涯を浮き彫りにする。
 会場には、唯一現存するとされる龍馬像ガラス板写真(27日から3日間限定公開)をはじめ、姉の乙女にあてた手紙、龍馬暗殺の現場である「近江屋」の部屋にあった血痕が残るびょうぶなど貴重な資料がずらり。「近江屋」の部屋も実物大で復元している。
 同館の市川寛明学芸員は「全国から集めた資料で、龍馬の生涯を追えるまたとないチャンス。龍馬の魅力の奥深さを発見してほしい」などと話した。
 開会式にはドラマで龍馬の妻「お龍」役を務める女優の真木よう子さんも参加し、役への思い入れなどを語った。
 東京展は6月6日まで。その後、京都、高知、長崎と巡回し、長崎では特別展「実録 坂本龍馬展」(仮称)として10月2日から11月3日まで、長崎歴史文化博物館で開催する予定。


長野
高遠町歴史博物館特別展「高遠城~城郭の歴史と日常~」
 高遠城の当時の構造や生活の様子を知ることができる特別展「高遠城~城郭の歴史と日常~」が、伊那市立高遠町歴史博物館で開かれている。
 特別展では高遠城の歴史や、古文書、城内の発掘調査により出土した陶磁器など約200点が展示されている。
 このうち陣太鼓は、織田軍による高遠城攻めの際に遠照寺に寄進された物といわれ、伊那市有形民俗民族文化財に指定されている。 
 城内の発掘調査で出土した陶磁器類は生産地が瀬戸美濃産、肥前産の物が多く、流通が盛んに行われていたことが分かる。 
 「信州高遠絵図」は、1931(昭和6)年に旧藩士の実話に基づいて作成された高遠城一帯の絵図で幕末の城内の様子が描かれている。
 特別展は6月20日まで。


新潟
順動丸:龍馬や勝海舟も乗った幕末の輸送船、シャフト展示 29日から長岡で /新潟
◇「観光客呼び込みたい」
 坂本龍馬や勝海舟を乗せて活躍した幕末の輸送船「順動丸」のシャフトが29日から、長岡市寺泊荒町の旧寺泊町役場荒町車庫で展示される。順動丸はNHKの大河ドラマ「龍馬伝」にも登場する船。昨年、「天地人」で全国にアピールした長岡市は「龍馬伝でも観光客を呼び込みたい」と意気込んでいる。
 順動丸は1862年に徳川幕府が英国から15万ドルで購入した当時の最新鋭蒸気外輪船。鉄製で長さ77メートル、幅8・6メートル、高さ5・1メートル。排水量は405トン。
 龍馬や勝のほか、徳川十四代将軍家茂も乗船。戊辰戦争で大量の武器などを運んだが、1868年に寺泊沖で停泊中、新政府軍の急襲を受け、逃げ場を失い自爆した。
 公開されるシャフトは船の外輪を回すため動力を伝える回転軸で、後に、海底から引き揚げられたもの。2本あり、いずれも全長4・3メートル、直径30センチ。明治時代には寺泊海岸の堤防の先端にランドマークのように立てられていたという。寺泊水族博物館脇に展示されていたが、腐食を防ぐため今年に入り、旧寺泊中学校内に移されていた。市の文化財に指定されている。
 展示は11年1月末まで。無料。問い合わせは同市観光課(0258・39・2221)。【岡村昌彦】

 順動丸といえば永倉信八っつぁんたちがとば伏見の戦いの後に大坂から江戸に帰還した時の船ですね。シャフトが残っているんですね。

大阪
近代建築で食事や音楽鑑賞「大大阪レトロナイト」50回…大阪市など企画
 大阪市内の近代建築で、食事や音楽鑑賞などを楽しむイベント「大大阪レトロナイト」が好評だ。夜の大阪観光を満喫してもらおうと、2007年度から同市や大阪商工会議所などが進めてきた事業。「優雅なひとときを過ごせる」などと口コミで評判が広がり、5月28日に50回目を迎える。市の担当者は「夜の観光の一つとして定着させたい」という。

 「レトロナイトへようこそ」

 大阪市西区のイタリアンレストラン「オピューム」で今月7日に開かれたコンサート。オーナーの西本順三さん(58)のあいさつが終わると、ドレス姿のオペラ歌手2人が現れた。20席ほどの店内は満席。おしゃれをした夫婦や親子が、ワインや食事を楽しみながら、美しい声で歌い上げられるイタリアの恋の歌に酔いしれた。

 オピュームが店を構える「崎山ビル」は、鉄筋コンクリート造りの地下1階、地上4階の西洋風建築で、大正2年(1913年)にギャラリーとして建てられたという。室内は、細工が施されたしっくいの天井や壁に囲まれ、大きな大理石を土台にした柱や、アメ色の木製階段とロフト席が重厚感を醸し出す。

 親子で訪れた大阪市城東区の主婦釜谷清子さん(62)は「独特の落ち着いた雰囲気がすてき」と喜び、娘の直子さん(31)も「近代建築に興味があったので、こういう機会があると親しみが増す」と満足そうだった。オピュームでは、これまで2回、オペラの鑑賞会を開催。西本さんは「どちらも満席に近い人気。近代建築の良さを知ってもらうきっかけになる」と話す。

 大阪市内には、幕末から戦後間もない頃までに建てられた西洋風建築が100棟以上あるという。「大大阪レトロナイト」は、そんな近代建築に目をつけて企画された。崎山ビルのほか、1931年に旧銀行を改装した「堺筋倶楽部 アンブロシア」(中央区)、12年に建てられた本格的な英国風会員制社交倶楽部「大阪倶楽部」(同)など約10か所で、音楽会や演劇などを開いてきた。

 50回目は、26年に建てられた大林組旧本店ビルに入るレストラン「ルポンドシエル」(同)で、生演奏を聴きながらフランス料理のコースを楽しめる「記念感謝祭」を開く予定。

 同市担当者は「最終的には365日、市内のどこかでイベントができるようにしたい」と話す。問い合わせは市観光施策担当(06・6615・0696)。



山口
高杉晋作の遺品返還訴訟:東行庵と萩市・高杉家、全面的争う姿勢 /山口
 幕末の志士、高杉晋作の墓がある下関市吉田の曹洞宗東行庵(松野實應代表役員)が、萩市と晋作のひ孫の高杉勝さん(77)に晋作の遺品69点の返還などを求めた訴訟の第1回口頭弁論が26日、地裁下関支部(曳野久男裁判長)であり、萩市側と高杉家は全面的に争う姿勢を示した。第2回口頭弁論は6月21日。
 訴状によると、東行庵は産着や書簡など晋作の遺品約240点を東行記念館で保管していたが、高杉家側が03年2月に遺品の大半を引き揚げ、萩博物館に寄託した。その後、下関市と東行庵は全遺品を戻すよう求めた。08年、萩市と高杉家は返還に応じたが、東行庵は「69点が返還されていない」としている。
 冒頭陳述で原告側の弁護士は「遺品は寺に寄贈された公共財であり、1カ所での管理がふさわしい」と主張。これに対し、被告側の弁護士は「今後、当方の主張をまとめて述べていきたい」とした。

  ◇  ◇

 閉廷後、原告側の弁護士が記者会見。「遺品の修繕をしてきたなど東行庵が遺品を所有している『間接事実』がある」と話した。
 一方、被告側の弁護士は取材に「遺品が寄贈されたという記録はなく、高杉家のもの」と反論。勝さんは電話取材に「晋作には下関と萩での歴史があり、遺品は両市で管理してほしい」とコメントした。【尾垣和幸】
〔下関版〕





長崎
三川内焼はまぜん祭り:景品盛りだくさん--来月1~5日 /長崎
◇ウオークラリーなど楽しんで
 「第25回三川内焼はまぜん祭り」が5月1~5日、佐世保市三川内町の三川内山一帯で開かれる。25周年を記念し、25人に土鍋とそばちょこ、五島うどんのセットを贈呈。また、恒例のオークションにはNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、幕末の志士坂本龍馬をイメージした器が出品される。
 窯元でつくる実行委主催。作品を焼く際の土台「はまぜん」の供養を兼ねた祭りで、三川内焼の知名度アップを目的に毎年開催している。
 今回は18の窯元が出品。1日午前11時からはまぜん供養式典。オークションは1~5日の午前11時、午後1時と3時の1日3回、三川内山公民館である。祭り本部でアンケートに答えた人の中から抽選で25人に25種類の土鍋セットを贈る。期間中、「楽市楽茶」と名付けた抹茶サービスなどもある。窯元巡りウオークラリーで10カ所以上訪問した人には抽選(空くじなし)でさまざまな三川内焼が当たる。
 昨年は約1万8000人が訪れた。今年は2割増を見込む。【山下誠吾】



歴史
龍馬大男説に1つの異論…169cm62kg
 山梨県甲州市塩山上井尻の郷土史研究家、矢崎勝巳さんが写真から体格を測定する方法を考案し、幕末の志士・坂本龍馬(1835~67年)の身長を169センチ、体重を62・1キロと算出した。
 平均身長が150センチ台だった幕末当時、龍馬の身長は5尺7寸(173センチ)とも6尺(182センチ)とも伝えられ、長い間大男だったとされてきたが、一石を投じそうだ。
 矢崎さんは、当時の着物の襟幅が6センチか6・5センチの2種類しかないことに着目した。6センチとすると背が低くなりすぎるため、6・5センチとして龍馬の立位の肖像写真で算出した。
 2007年10月の日本人類学会で、龍馬の身長は170センチに満たなかったとの試算を紹介したのに続き、昨年10月の同学会では体格指数BMIで体重を試算する方法も発表した。
 このほど、龍馬のBMI指数を標準体形の「18・5以上25未満」と仮定し、標準値の平均21・75を基に体重も試算した。矢崎さんはより精度を高めるため、京都国立博物館の考古室長・宮川禎一さんからのアドバイスを受け、看護師や医療関係者らにも龍馬の写真を示して体重を尋ねたところ、55キロ~62キロと答えたという。
 高知市の高知県立坂本龍馬記念館では、龍馬の身長を173センチと紹介している。歴史研究家・平尾道雄の著書「龍馬のすべて」の中で、土佐藩出身で宮内大臣を務めた田中光顕が龍馬を「5尺7寸」と説明した記述が根拠だ。
 長崎市の亀山社中記念館は昨年7月、京都国立博物館に保存されている龍馬の着物を元に、宮川さんと協力して龍馬の着物のレプリカを作製した。着物の丈は147・7センチで、175センチの男性が着用しても大きかったという。
 同市文化観光総務課は「龍馬は170センチ以上あったのでは」としているが、矢崎さんが呉服店に尋ねたところ、男性も女性のように着物を5センチほどたくし上げて着ることがあるという。
 宮川さんは「龍馬の身長に統一した見解はない。研究の余地がある面白いテーマだ」と話す。
 矢崎さんはこの試算の誤差を身長でプラスマイナス4センチ程度、体重はプラスマイナス4キロ程度と指摘し、「体重や身長が分かれば、歴史上の人物を身近に感じるためのひとつのヒントになると思う。これをきっかけにもっといい案が出てくればいい」と話している。(山田佳代)

 従来の説よりは低いといっても、平均身長が150センチ台だった当時、十分に高いと思います。土方さんより髷半分くらい高い感じ?
 当時の着物の襟幅が6センチか6.5センチの二種類しかないという点も、着物を着ない自分には新鮮でした。





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