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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
続きです。

北海道
5月11日に合わせ市内で慰霊 箱館戦争
 箱館戦争で新政府軍が旧幕府軍に対し総攻撃を行い、勝利を収めた1869(明治2)年5月11日に合わせ、函館市内では戦没者を慰霊する供養祭が開かれた。

参列者 手合わせ焼香 戦没者供養祭

 〇…五稜郭タワーで開かれた戦没者供養祭には、同社社員や観光業者、近隣住民ら約60人が参列し、箱館戦争に殉じた大勢の戦士たちの冥福を祈った。
 新選組副長だった土方歳三の命日に当たる旧暦の11日に合わせて毎年実施しており、今年で46回目。5月20、21日に開催される「第48回箱館五稜郭祭」の協賛行事。
 祭主の中野恒・同タワー社長が祭文を奏上。観音寺(富岡町)の中村裕康住職らが読経を上げたあと、参列者が焼香し手を合わせた。
 中野社長は「供養祭は毎年戦没者の冥福を祈るとともに、箱館五稜郭祭の成功も祈願している。今年も大勢のお客さまに楽しんでほしい」と話していた。

会津藩士しのぶ 福島県人会

 ○…函館福島県人会(小山直子会長、会員41人)は、函館市船見町の高龍寺を訪れ、境内の「傷心惨目の碑」で碑前祭を行った。箱館戦争で犠牲となった会津藩士をしのんだ。
 1869(明治2)年5月11日、新政府軍が箱館病院の分院だった高龍寺を襲撃し、傷病兵を殺害して寺に放火。碑は、この時命を落とした犠牲者を供養するため、旧会津藩士によって建てられた。
 1980年から続けられている碑前祭には、会員13人が参列。一人一人碑に向かって手を合わせ、母県へ思いを巡らせた。
 小山会長は「東日本大震災から6年が経ったが、避難先でのいじめや復興大臣の発言などが悲しい。福島県民や子どもたちの心の復興が必要なことを忘れないようにしたい」と話していた。

福島
<秋月悌次郎>幕末の会津藩士しのび詩吟
 幕末の会津藩重臣、秋月悌次郎(1824~1900年)が戊辰戦争後に藩の行く末を思って漢詩を詠んだ福島県会津坂下町の束松(たばねまつ)峠で4月29日、悌次郎をしのぶイベントがあった。
 悌次郎は戊辰戦争後、猪苗代に謹慎したが、親交があった長州藩士奥平謙輔に会津藩の善処と優秀な少年の教育を頼むため、ひそかに越後に行った。帰り道に束松峠で焼け跡に立つ鶴ケ城を眺めながら「北越潜行の詩」を詠んだ。少年の1人が、後に東京帝大総長となる山川健次郎だった。
 2013年に会津若松市の秋月悌次郎顕彰会や住民組織「束松峠を護(まも)る会」などが実行委員会を立ち上げ、束松峠に漢詩の碑を建てた。
 イベントは、会津坂下町観光物産協会が来年の会津戦争終結150年のプレイベントとして実施した。約40人が参加し、顕彰会の桑原勇蔵副会長(78)が詩を解説。会津吟詠会の女性会員5人が詩吟を披露した。
 桑原さんは「悌次郎は政府軍と交渉し、一生懸命に敗戦処理に当たった。陰で働いた会津人のことを知ってほしい」と語った。
 悌次郎は戊辰戦争で会津藩の軍事奉行添役を務め、戦後に終身禁固刑を受けたが、特赦となり、教育者として活躍。熊本の第五高等中学で同僚だった文学者小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、悌次郎を「神のような人」と敬った。

戊辰戦争150年ロゴ決定=福島県会津若松市〔地域〕
 福島県会津若松市は、来年が戊辰戦争150周年になるため、その記念事業のロゴマークを決定した。今後、記念ポスターやチラシ、缶バッジなどで使用する予定。
 今年3月から4月上旬まで一般公募した104作品の中から選ばれたのは、東京都千代田区に住む須賀裕明さんのデザイン。「150」の中に会津藩を治めた松平家の家紋と戊辰戦争を戦った白虎隊にあやかって虎が入っている。マークの下部には「SAMURAI CITY AIZU」の文字を表示した。
 キャッチフレーズは、応募点数375の中から福島県本宮市在住の仁井田京子さんの「『義』の想い つなげ未来へ―。戊辰150周年」を選んだ。
 市では、市内外の約140団体で構成された戊辰戦争150周年記念事業委員会を立ち上げている。記念誌作成や特別番組の制作、記念展示事業などを行い、市文化の振興や観光誘客を狙う。 

<戊辰戦争>剣舞奉納 会津藩の女性を慰霊
 戊辰戦争(1868~69年)で犠牲になった会津藩の女性たちの霊を慰める「奈与竹之碑」の碑前祭が1日、福島県会津若松市門田町の善竜寺であった。
 主催する嫋竹(なよたけ)会の会員ら約150人が参列。吉田幸代会長が「戊辰戦争で会津の全ての人々は大きな困難を被ったが、戦後、素晴らしい人材を輩出した。東日本大震災の爪痕で困難を極めている私たちも、強い精神力で頑張らないといけない」と祭文を読み上げた。
 読経、焼香の後、同市の謹教小合唱部の児童9人が学校で歌い継がれている「なよたけの歌」を奉納。葵高の舞踊部となぎなた部の生徒15人が剣舞を披露し、郷土のために戦った女性たちに祈りをささげた。
 戊辰戦争では会津藩士の妻や娘ら233人の女性が犠牲になった。戦争の足手まといになると考えて自刃した女性も少なくなかった。奈与竹之碑の名称は、一族21人が自刃した会津藩家老西郷頼母の妻千恵子が詠んだ辞世の句から取られた。

観光の「列藩同盟」 来年の戊辰150年、本県誘客図る
 国内を二分し歴史の転換点となった「戊辰戦争」から来年で150年を迎える。激戦地となった福島県では会津若松市や白河市が記念事業に向け動きを本格化させている。
 一方、新政府軍として本県に入った薩摩、長州など諸藩のあった西日本では「維新150年」として各県が手を握り、一足先に事業を進めている。
 本県の魅力発信に向け「平成の奥羽越列藩同盟」のような広域観光が実現できるかが鍵を握りそうだ。
 県は6日までに、会津藩のおひざ元・会津若松、白河藩のあった白河、二本松少年隊の悲劇で知られる二本松の3市との情報交換会を初めて開き、3市連携の周遊ツアーの実施を確認した。
 県は「150年を契機に『サムライ』をテーマにした魅力発信を国内外にしていきたい」と昨年度まで展開した大型キャンペーン・ふくしまデスティネーションキャンペーンに代わる観光の軸として期待を寄せる。
 広域連携の中心となるのは会津若松市。同市は昨年10月、市内の約140団体で戊辰150年に向けた実行委員会を設立。同委副会長の渋川恵男さん(70)は県内外の列藩同盟ゆかりの自治体、会津藩士が移住した青森県むつ市など全国ゆかりの地との広域連携を通し「全国への発信力を強めて、注目を集めるようにしたい」と意気込む。
 白河市は歴史の発信を軸にした各種事業を計画。会津若松、二本松両市などとの連携に加え、新政府軍の長州藩ゆかりの山口県萩市に「白河踊り」が伝承されている経緯から、2018年に同市と盆踊り交流を進める。記念事業実行委員会会長の人見光太郎さん(74)は「市民と歴史を共有したい」と語る。
 戊辰戦争で落城まで奮闘した二本松藩の霞ケ城がある二本松市は18年に企画展や記念事業を計画中。新政府軍に降伏した三春藩の本拠・三春町も同年秋、同藩が戊辰戦争で直面した状況などを紹介する企画展を開く予定。
 県内には幕末に計10以上の藩があり、各地に戦場や史跡が点在するため、関連自治体と団体の取り組みや連携の動きが今後活発化しそうだ。

◆「平成の薩長土肥連合」西日本4県   

 新政府軍の中心の藩があった山口、鹿児島、高知、佐賀の4県は広域観光推進のため2015年に「平成の薩長土肥連合」を設立、既に共同キャンペーンを展開している。
 12年から事業を繰り広げる鹿児島市と同じく14年からの萩市は16年1月、薩長同盟150年を契機に盟約を結び、観光PRに取り組んでいる。
 薩摩藩の西郷隆盛の生涯を描く来年の大河ドラマ「西郷どん」の放映や、国の「明治150年」に向けた施策が追い風となり、勢いは増している。

栃木
真岡にも刀剣女子 「さむらい刀剣博物館」来館者が5倍超、8割女性
【真岡】足利市立美術館が今春実施した国重要文化財の刀「山姥(やまんば)切国広(ぎりくにひろ)」に人気ゲーム「刀剣乱舞」の女性ファンらが殺到した“刀剣女子ブーム”の中、大根田の「さむらい刀剣博物館」にも若い女性の来館者が急増している。ゲーム配信が始まった2015、16年の年間来館者は、それまでの5倍以上となる2千人超になったという。柳田律夫(やなぎだりつお)館長は(69)は「8割は女性」とかつてないブームに驚いている。
 同館は1994年、柳田館長が「刀剣の魅力を一般の人にも知ってもらいたい」と自費で設立。主に収集した刀剣約4千点を収蔵している。
 開館から数年の年間来館者は1千人前後で推移していたが、2012~14年は約400人ほどに低迷。そこにブームが起き、新選組の沖田総司(おきたそうじ)も所有したとされる「清光(きよみつ)」、「大和守安定(やまとのかみやすさだ)」などが見られるスポットとして全国からファンが訪れるようになったという。
 このため同館は15年から、普段はガラス越しにしか見られない刀剣数本をケースから出し、スタッフの解説を受けながら実際に触れることができる特別展示の実施に踏み切った。
 午前9時~午後5時。月曜休館。

高知
「志国高知 幕末維新博」が無料アプリ「城巡り」と連動
 「志国高知 幕末維新博」をさまざまな視点から楽しんでもらおうと、志国高知幕末維新博推進協議会は無料ゲームアプリ「発見! ニッポン城巡り」と連動した企画を始めた。スタンプラリー形式のゲームを通じて、愛好者ら新たな客層を呼び込む狙いだ。...
 以降は有料版の記事にて。

佐賀
幕末の絵地図、謎多い山城跡も…武雄鍋島家資料
 佐賀県武雄市が所有する武雄鍋島家資料の中から、唐津藩一帯の様子が描かれた幕末の大型絵地図が見つかった。
 江戸時代以前の姿の記録が残っていない県史跡の山城跡・岸岳きしだけ城跡の姿も記されている。調査した佐賀大の宮武正登教授(日本中世史、城郭史)は「県内の今後の文化財調査で役立つ貴重な史料になる」と指摘している。
 市が9日、市歴史資料館で報道陣に公開した。宮武教授によると、「唐津之図」と名付けられた絵図は縦3・15メートル、横3・91メートル。唐津藩領内の主要道や河川、岸岳城跡を始めとする山城跡などが記載されている。図中に描かれている墓所の記述などから、幕末の1860年代に作製されたとみられている。
 作者は不明。幕末には、時代の変化に対応するために多くの藩が他藩の情報を集めたといい、佐賀鍋島家が実地調査して作った可能性があるという。ただ、宮武教授は「作製の理由は特定できない。これからの研究課題」と話している。
 標高300メートル超の岸岳城跡は唐津市南部にそびえる。戦国時代に肥前北部の代表的な領主となった波多氏が居城としていた。西九州最大級の山城とされ、城郭の全長は約1・3キロ。記録が乏しく謎が多かったが、絵図では「本丸」や「水ノ手矢倉」、地下通路にあたる「穴蔵」などの配列が詳細に記されている。
 武雄鍋島家資料は、江戸時代に佐賀藩主・鍋島家の重臣として武雄地方を治めた武雄鍋島家に伝わる約1万6000点の古文書、絵画などで構成。武雄市に寄贈されており、一部は国重要文化財に指定されている。
 唐津之図は資料の目録リストに入っていたが、詳しい内容はわかっていなかった。同市歴史資料館から「大きな絵図がある」と報告を受けた宮武教授が約4年前から調査を進めていた。
 一般公開については「展示設備を整え、実現する方向で検討したい」としている。(渡辺直樹)

幕末の蒸気車走った 佐野常民記念館、佐賀藩「精煉方」の技術再現 [佐賀県]
 佐賀藩の科学技術研究所「精煉方(せいれんかた)」が製作した「蒸気車ひな型(模型)」のレプリカの走行実演が5日まで、佐野常民記念館(佐賀市川副町早津江)で開かれている。訪れた人は、日本の近代化を支えた佐賀藩の歴史に思いをはせていた。
 記念館によると精煉方の主任だった佐野常民(1822~1902)は、発明家として知られる田中久重(1799~1881)らと1855年頃、模型ながら日本で初めて蒸気車を完成させ、藩主鍋島直正に走行する姿を披露した。レプリカは長さ約42センチで、久留米高専(福岡県久留米市)の教職員が製作。蒸気で車輪を動かす当時の仕組みをほぼ再現した。
 4日の実演では、一周約17メートルのレール上を蒸気車が勢いよく走行。訪れた人は「すごい」と歓声を上げていた。福岡県糸島市の中学2年生(13)は「160年も前にこんな技術力があったなんてすごい」と驚いていた。5日は午前11時と午後2時から走行実演がある。
=2017/05/05付 西日本新聞朝刊=

コラム
街にあふれる行商は、ネット通販より便利? 幕末から明治の買い物事情
森田健司 大阪学院大学経済学部教授(専攻:社会思想史・日本哲学)
 カタログやネット通販の普及も活況ですが、なくなりそうでなくならないのが移動販売です。個人店が営んでいたり、フランチャイズ展開がなされていたり、取扱い商品や形態はさまざまです。そんな移動販売の元祖といえば行商です。

 時代劇でよくみる棒の先についた桶に商品を入れて売り歩く江戸の行商から、明治中期頃は写真のようなより多くの商品を荷車に載せる行商スタイルへは、どのように発展していったのでしょうか? 当時の貴重な資料である彩色古写真から見える、行商人の商売の様子や庶民の暮らしについて、大阪学院大学経済学部教授 森田健司さんが解説します。

【連載】古写真で知る幕末・明治の日本
町に溢れていた行商人

 今の日本は、とにかく便利である。買い物をするにしても、そのほとんどをネットショッピングで済ませることさえできる。スマホやパソコンで画像を見て、欲しいものをクリックすれば、宅配業者が自宅の玄関まで商品を運んでくれるわけである。ものぐさにとって、極上のサービスだ。
 それに対して、江戸時代はどうだったのだろう。きっと、買い物は大変だったに違いない。このように考えてしまいがちだが、実はそうでもないのである。それどころか、もしかしたら今よりもっと「便利」と言ってもよいかも知れない。
 その秘密は、江戸時代に町に溢れていた行商人にある。彼らは魚や野菜などの生鮮食品から、重量のある什器に至るまで、様々な商品を取り扱う専門業者たちだった。だから、毎食の買い物はもちろん、日用品でも家財道具でも、自宅の目の前で購入することができたのである。商品を天秤棒で担ぎ、声を出して売り歩く彼らは、「棒手振り(ぼてふり)」と呼ばれた。棒手振りは許可制で、幕府公認の仕事でもあった。
 この棒手振りたちは、明治に入っても元気に活動していた。ただし、少しずつ見た目が変わっていく。肩に天秤棒を担ぐものから、大きな二輪の荷車「大八車(だいはちぐるま)」に商品を載せるスタイルに移行したのである。大八車自体は江戸時代前期から存在したが、個人の行商人が普通に利用し始めたのは、明治の中期頃からと言われる。この背景には、人力車の普及によって道幅が広げられ、整備されたことがある。
 はじめに掲載した写真は、大八車を利用する行商人の姿を撮影したものである。驚くべきは、その商品の数である。まさに、店ごと移動している感がある。

日本文化に寄り添った素材=竹

 ところで、大八車を引っ張る行商人が扱っている商品は何だろうか。よくよく眺めてみると、笊(ざる)に籠、箒など、木で作られた大小様々な品が確認できる。
明治時代中期の「竹細工行商人」写真・商品部分のアップ(筆者所蔵)
 彼が運んでいる商品が木製であることは間違いないが、それらには、もう一つ指摘できそうな共通点がある。それは、木の中でも、「竹」を主たる材料としたものがほとんどであることだ。笊や籠をはじめ、これら商品のほとんどは、竹細工である。
 現代の日本では、竹細工の需要はそれほど多くない。しかし江戸から明治時代にかけて、家財道具の相当な割合は、竹で作られたものだった。これほど竹が多用されていた理由の一つは、大変軽量なことである。写真の行商人が、これほど多くの商品を持ち運びできているのも、竹製で軽いためだった。また、竹はただ軽いだけではなく、加工しやすい上に、強度が高い素材でもある。

 おそらく、外国人旅行客の目には珍しく映ったのだろう。行商人だけではなく、竹細工を作る職人の手彩色写真も、数多く残されている。それも載せておこう。


明治時代中期の「竹細工職人」写真(筆者所蔵)
 背中を向けている竹細工職人は、地面に座り込んで作業を行っている。彼の手には、驚くことに何も道具が持たれていない。そう、竹細工は基本的に、文字通りの「手作り」だった。この工房の外に置かれているのは、職人が手で編み上げた竹細工の籠だが、どれも溜息が出るほどに美麗な仕上がりである。
 湿気の多い日本という地に適応した竹細工が、各家庭の中で主役の座を追われ始めたのは、それほど昔の話ではない。第2次大戦後、それも昭和30年代以降のことだった。新しい素材であるプラスチックの実用化によって、竹細工は少しずつ姿を消していったのである。

売価は交渉次第

 話を行商人に戻そう。家のすぐ前まで商品を運んでくれる行商人たちは、確かに便利ではあった。しかし、今の売り買いと大きく違うこともある。それは、商品の「定価」が存在しなかったことである。実際の売価は、売り手と買い手の交渉にかかっていた。
 イギリスの旅行作家であるイザベラ・バードは、1878(明治11)年に初めて日本の地を踏んだ。彼女は、当時の鉢石宿(現在の栃木県日光市鉢石)における買い物の経験を、次のように記録している。
 「50銭という言い値があまりに法外だと思って店を出ると、後から女将がちょこちょこと追いかけてきて、20銭でいいですと言ったことがいくつかの店であった」
           ― 金坂清則訳、イザベラ・バード著『日本奥地紀行(1)』(平凡社)、187ページ
 江戸時代以来、日本の小売店では、商品の価格は基本的に掛値(かけね)で提示され、その後、客との交渉の中で売値が決まっていくシステムが採用されていた。つまり、同じ商品であっても、買う人間によって値段が違ったのである。これは、普通の店舗であっても、行商であっても同じである。
 今の日本では(一部地方の小売店を除いて)考えられない話だが、こういった商法は、海外ではまだまだ残っているところがある。特に、観光客が多い地域においては、少しでも多くの利益を得るため、値段を吹っかけてくることは少なくないようだ。
 いくら家の前まで運んでくれるとはいえ、売値が交渉によって決まるのが普通であった時代は、あまり羨ましいと思われないかもしれない。何事においても、今よりずっとコミュニケーション能力が必要とされたのが、江戸、および明治という時代だった。それを「人間らしい」と取るか、「煩わしい」と取るかは、その人の感性次第である。
(大阪学院大学経済学部教授 森田健司)
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