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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 アニメ『銀魂』を見終えると、もう週末だなぁと思います……今回はあまり面白くなかったのですが(苦笑)。

栃木
出版:前澤さん「足利の歴史」改訂新版を /栃木
 足利の歴史について詳細に解説した「足利の歴史」の改訂新版を、県文化財調査委員などを歴任した市内在住の前澤輝政さん(83)が随想舎から出版(A5判319ページ、1500部発行)した。
 「足利の歴史」は70年に初版を出版。83年に加筆した新編から、さらに今回はこれまでの調査研究の成果を踏まえた改訂新版となった。
 内容は、人類の起源から幕末までについて、写真や図を多用し15章で構成している。特に「足利学校の起源と変遷」(6章)、「足利高氏(尊氏)のこと」(11章)はこれまでの調査研究の成果を盛り込んでいるという。
 前澤さんは「一般の方向けに書いた本で、足利氏の歴史などについて正しい理解を深めてほしい」と話している。本購入の希望は前澤さん(電話0284・21・2565)へ。【古賀三男】


神奈川
横浜港に集まった船、船、船
 今年は横浜開港150周年、横浜は盛り上がってます!

 以下、帆船の写真がとてもきれいです。幕末がらみは以下。
 長崎はハウステンボスからやってきた「観光丸」。
幕末の頃の帆船を'89年にオランダの造船所で復元、建造した船だそうです。


新潟
魅力紹介、凧合戦パンフ作製
 7・13水害から5年目を迎える見附市今町と長岡市中之島の両地区で、水害で決壊した刈谷田川を挟み、6日に開幕する大凧合戦に合わせ、地元のまちづくり団体が観戦用のパンフレットを製作した。凧合戦会場でも配る予定で、見物に訪れた人たちに楽しみ方や街の魅力をPRし、被災地域の復興を後押しする。
 同水害では、同川決壊によって、中之島地区で尊い人命、家屋などが失われた。今町地区でも浸水などの被害があった。
 製作したのは、今町地区のまちづくり団体「地域復興調査研究協議会」(飯塚勝義会長)に所属する8人。同協議会は、刈谷田川の改修に伴う土地利用計画を中心に、地域おこしに向けた調査活動を続けている。
 これまでもパンフレットはあったが、初めて合戦を見る観光客にも、より分かりやすく、地域をPRしようと企画した。
 凧合戦の歴史やルールなどをイラスト入りで分かりやすく解説したほか、「100枚張り」と呼ばれる大きな六角凧の製作過程を凧作り職人へのミニインタビューを交えて紹介。また、観光客に地元の味や名産品を知ってもらおうと、食堂や酒店、銘菓「凧もなか」を製造する菓子店のほか、戊辰戦争や大河ドラマ「天地人」にまつわる旧跡を紹介したガイドマップも掲載した。
 編集に当たった同協議会メンバーで、同市今町1、調剤薬局経営佐藤菜穂子さん(43)は「凧合戦で訪れた人に商店や食堂に立ち寄ってもらうことで、街の復興や活性化につなげたい」と期待している。






滋賀
ひこにゃん、ハワイへ初渡航 “国際交流”に一役/滋賀
【滋賀】彦根市の人気キャラクター「ひこにゃん」が7、8の両日、米オアフ島のホノルル市で行われる「第30回まつり イン ハワイ」に参加したり、同市関係者と会って“国際交流”に一役買う。国内では、癒やし系のゆるキャラとして絶大な人気だが、初めての海外進出に関係者は「人気も国際級に」と期待を募らせている。
 彦根市は「井伊直弼と開国150年祭」の関連行事で昨年7月、幕末期に開国を求めて来航した黒船のマシュー・C・ペリー提督の遠戚(えんせき)でホノルル市在住のドナルド・E・ソフ・ディヴァニーさんを招待した。これが縁で両市の交流が深まり、今回はホノルル市から招待状が届き、同祭実行委の北村昌造会長とひこにゃんが出席することになった。
 6日夜にホノルル入りし、7日に日本や世界各地から約2300人が参加するパレードに参加する。暑さ対策もあり、ひこにゃんらはオープンカーに乗って行進する。実行委は「勇猛果敢に駆け抜けた“井伊の赤備え”(井伊家の部隊の赤い武具)にちなみ、真っ赤なオープンカーがレンタルできれば最高」としている。
 8日はホノルル市関係者らと歓談し、10日に帰国する。市や実行委は「世界に彦根を売り込むチャンス。ひこにゃん人気で世界中から観光客が増えれば」とし、期待が高まる。【松井圀夫】


岡山
びょうぶ:友禅作家・あだち幸さん、鑑真をイメージ 唐招提寺にあす奉納 /岡山
 幻想的な「白い仏」を描くことで知られる井原市美星町の手描き友禅作家、あだち幸(さち)さんのびょうぶ「同天の讃--讃仰鑑真和上(さんぎょうがんじんわじょう)」が鑑真(688~763)創建の奈良市・唐招提寺に奉納される。5日に同寺の書院で奉納式がある。【松倉展人】
 あだちさんは京都伝統の手描き友禅に独自の技術を加え、絹の質感と光沢を生かしながら、独特のぼかし技法を20年あまり磨き続けている。作品群は「ほとけ」「コクーン(まゆ玉)」「鬼」「羅刹(らせつ)女伝」「サロメ」など幅広く、人の心の中の鬼と仏、宇宙の生命と神秘を仏たちの姿に描いてきた。
 新選組と壬生(みぶ)狂言で知られる京都・壬生寺本堂の障壁画(高さ2・7メートル、全長30メートル)も「地獄から極楽への浄土絵巻」をモチーフにあだちさんが4年がかりで完成させ、一昨年にお披露目。その縁から壬生寺と同じ律宗の総本山・唐招提寺に奉納することになった。
 今回の作品は高さ145センチ、幅180センチの三曲びょうぶ。画面の二仏は梵天(ぼんてん)と帝釈天(たいしゃくてん)でもあり、日光仏と月光仏でもあり、鑑真に渡日を請う二人の入唐僧でもあるという。画面の外、二仏に対する位置に鑑真をイメージして描いた。
 「山川異域、風月同天(山河は異なれど、吹く風や世を照らす月は同じ天にある)」。鑑真に渡日を決意させたという漢詩を基にした作品に、あだちさんは「心の荒廃が言われますが、鑑真和上のご生涯は人間の中に眠る尊く永遠なるものを思い起こさせます。改めて感動と感謝をささげたく思います」と話す。
 奉納式は鑑真の命日(6月6日)にちなんで徳をしのぶ唐招提寺の開山忌舎利会(かいざんきしゃりえ)初日に行われる。


高知
漫画展:高知を元気にするぞー 今年のテーマは「龍馬」、出展作品募集中 /高知
漫画展:高知を元気にするぞー 今年のテーマは「龍馬」、出展作品募集中 /高知
◇「マンガ時評」連載の澤本さん呼びかけ--プロ・アマ不問
 「“漫画力”で高知を元気にする会」=代表、澤本英世さん(69)=は、龍馬の生まれたまち記念館(高知市上町2)で今年10月24日~11月3日に開く「“漫画力”で高知を元気にする漫画展」への出展作品を募集している。今年のテーマは「龍馬」。澤本さんは「若い漫画家の育成にもつなげたい」と話している。
 同展は、毎日新聞高知面に「マンガ時評」を連載する澤本さんが「疲弊した高知を漫画力で元気づけたい」と昨年から始め、今年で2回目。「高知」がテーマだった前回は高知出身・在住のプロやアマチュア漫画家20人から60点の作品が集まり、昨年11月に同市文化プラザ「かるぽーと」であった「まんさい-こうちまんがフェスティバル」で展示された。
 今年のテーマは坂本龍馬だが、土佐の幕末維新に活躍した人物なら誰でも可。高知に何らかのゆかりがあるプロ・アマ漫画家なら誰でも応募できる。B4判のコマ漫画で。応募作品は同会(〒783-0082 南国市里改田78の2)へ。締め切りは今月30日必着。
 澤本さんは「高知を元気にすると共に、漫画王国の伝統を守り、育てていきたい。同展がその起爆剤になれば」と意欲をみせている。【千脇康平】


山口
下関戦争で英接収の長州砲、萩博物館が製造手法調査
 萩市の萩博物館でイギリスから「里帰り展示」されていた青銅製の和式大砲「長州砲」について、砲身に製造時の継ぎ目跡が約10か所見つかるなど、同市で見つかっている洋式砲と同様の手法で製造されていたことが、同市などでつくる同砲・萩里帰り実行委員会の調査で分かった。
 実行委は3次元レーザー計測なども実施しており、今後、同砲の複製作りにも役立てるという。
 長州砲は、萩城下で藩命を受けて銃砲製造所を営んでいた郡司喜平治が製造した約130門のうちの一つで1844年の製造。1864年、関門海峡で長州藩とイギリスなど4か国との間で起きた下関戦争でイギリスに戦利品として接収された。
 実行委によると、砲身は長さ183・9センチで、継ぎ目跡は鋳型を継ぎ足しながら製造したとみられる。同市椿東の郡司鋳造所跡から出土した洋式カノン砲の鋳型も同じ手法がとられていたという。
 また、イギリスに接収された際に砲身部分に記された番号「29」も確認されており、接収された54門のうちイギリス側のリストに載っている「29番砲」の寸法などのデータともほぼ一致するという。
 現在はロンドン郊外の王立大砲博物館に展示されているが、昨年、明治維新140年と日英国交開設150年を記念して里帰りが実現した。昨年8月から今年5月、萩博物館で展示され、期間中、約7万2000人が訪れた。7月中にイギリスに返される。



佐賀
【連載】唐津7島点描 ①加唐島
【連載】唐津7島点描 ①加唐島
海と山の“味”ぎっしり

 真っ青の玄界灘に、三角の帆を立てた漁船の白い航跡がすっと伸びる。最盛期のイカ漁に向かう船だ。遠くに壱岐、対馬を望む佐賀県最北端の唐津市鎮西町加唐島。古くは朝鮮半島との交通の要衝だった。奈良時代に成立した日本書紀に「各羅嶋」と掲載されている。
 漁業を営む西健司さん(48)は、唐津藩が幕末、黒船の見張り役として派遣した西家の11代目。今はタイの一本釣りや定置網、遊漁船など幅広くを手掛ける。「漁は自然相手。いろいろやらんと、島だけに生きていくのは厳しかとよ」
 港内のいけすでは、約1万5千個の一口アワビを養殖する。えさはワカメやコンブの海藻だけ。「食べてみらんね」。差し出された海から揚げたばかりのアワビは、絶妙の歯ごたえと甘み、ほのかなコンブの風味が口いっぱいに広がった。
 西さんが住む島北部の大泊地区には、幹の直径が20センチ以上もあるツバキが群生する。行政の支援を受け2008年に試作品を作ったつばき油は、島をあげて特産化を目指している。
 南西部のオビヤ浦。日本書紀によると、ここは百済25代・武寧王の生誕地とされる。これを縁に7日には、韓国の市民を招いた生誕祭がある。会場ではつばき油で揚げたイモやイカなどの天ぷらを味わえる。
 加唐島には歴史ロマンに、海と山の“味”がぎっしり詰まっている。


長崎
アジサイ:眼鏡橋に映える--長崎 /長崎
アジサイ:眼鏡橋に映える--長崎 /長崎
 長崎市の花アジサイにちなんだ「長崎あじさいまつり」が始まった。21日まで、長崎市内の眼鏡橋周辺やシーボルト記念館、出島、グラバー園などで10種以上のアジサイが飾られる。
 アジサイは日本原産で、幕末に長崎に滞在した医師シーボルトが、ハイドランゼア・オタクサという学名をつけた。「オタクサ」は、シーボルトが愛した長崎の女性「お滝さん」にちなんだという。
 眼鏡橋周辺では、青や赤など色鮮やかなアジサイが、訪れた市民や観光客の目を楽しませている。アジサイと眼鏡橋を背景に記念撮影した栃木県の70代女性は「眼鏡橋もきれいですが、アジサイはもっときれい」と花を見つめていた。
 まつり期間中の金、土、日曜には「あじさいさるく」も開催。参加者にはあじさいの鉢がプレゼントされる。問い合わせは長崎市のさるく観光課(095・829・1314)。【阿部弘賢】




コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】東大教授・山内昌之 後藤象二郎
■“大風呂敷”の効用

◆“クソ度胸”持ち合わす

 政治家に大事な資質は、ここ一番の大勝負に命を懸ける度胸であろう。自らの政治信念を実現するために伸(の)るか反(そ)るかの勝負に出る気概をもってこそ宰相の器というものだ。

 近年では何といっても、小泉純一郎元首相の郵政解散への賭けと圧勝が印象に残る。それと比べるなら、麻生太郎首相の解散総選挙への姿勢は受け身がちで弱々しい印象を与える。陽気な麻生首相には些事(さじ)にこだわらない美質もあるのだから、勝負を嫌いなはずもあるまい。豪放磊落(らいらく)かつ陽気で“クソ度胸”のある幕末明治の政治家といえば、まず後藤象二郎であろう。

 後藤は、“大風呂敷”といわれたほどの雄弁で人を煙(けむ)にまくのが達者だったが、徳川300年の歴史に引導を渡す度胸を持ち合わせていた。

 土佐藩の執政など重役に昇りつめながら、後藤には坂本竜馬のように勝負勘の鋭い志士気分にも恵まれていた。英国公使パークスが刺客に襲われると、即座に斬り返す勇気さえもっていた。ビクトリア女王から勲剣を下賜(かし)されたのは生涯の得意というべきだろう。

 ◆大雑把さがアダに

 しかし、細事を詰めない大雑把(ざっぱ)な面は時に大魚を逸する失策にもつながり、穴の開いた大風呂敷の印象も強めることになった。もともと坂本のアイデアだった大政奉還を徳川慶喜に受け入れさせ、土佐藩を明治維新のリーダーに辛うじて押し上げたまではよい。しかし、その後がよくない。岩倉具視や大久保利通の陰謀にはめられ、倒幕に舵(かじ)を切らざるをえなくなったからだ。


 余人には及ばない大きなスケールは、時に無節操とみられても仕方がなく、一貫性の無さと表裏一体でもあった。新政府では参議などの要職に就くが、明治6(1873)年の征韓論をめぐる政争に敗れ、下野した。高島炭鉱の起業に参画したり、民撰議院(国会)設立の建白書を出して板垣退助と一緒に自由党を結成する一方、政府の懐柔に応じ、欧州外遊に出かけるあたりは常人ではない。自由民権運動の指導者でありながら、政府に買収されて平気の平左でいられる辺りが、豪快とも無節操ともいわれたゆえんだろう。

 それでいて外遊から帰国すると、朝鮮の志士、金玉均の民族運動を助ける一方、国内では同20(1887)年に藩閥政府を打倒する旧民権派の“大同団結の大運動”を唱えて、保安条例の発布を招いたのである。

 ところが、その2年後に黒田清隆内閣へ逓信大臣として入閣するのだから、彼の政治軌跡はとにかく分かりづらい。新議会では、経済界との癒着や公私混同を攻撃され、同27(1894)年には第2次伊藤博文内閣の農商務大臣を辞任してしまった。これでさすがの後藤も政治生命は絶たれたといってよい。

 ◆時代に合わなかった気風

 彼については、“清濁併せのむ東洋豪傑の風格あり”という評がついてまわった。大風呂敷と揶揄(やゆ)された雄大な着想や幅広い行動範囲は、確かに宰相になっても不思議はなかったが、明治の創業よりも幕末の風雲のほうが向いていた。

 日清戦争当時の外相の陸奥宗光は後藤を指して、「明治世界の産物でなく、中国で混乱を極めた晋末・六朝か、唐末・五代あたりで成功すべき“怪傑”がたまたま日本に現れたのだ」と評したことがあるが、うまいことを言うものだ。後藤の豪快さは、死が近づくと、白楽天の長恨歌を朗々と吟じたあたりにも発揮される。

 有権者の力が強い普通選挙の現在、後藤のようなタイプの政治家は市民にどう迎えられるだろうか。金に身奇麗(みぎれい)なら、政界再編の顔になる資格は十分にあるほどのスターである。テレビ関係者や芸能タレントが政界に出るご時世である。後藤なら相当な好感度と支持を得られるかもしれない。

 しかし、“冗談を言うな。定見もない素人連と我輩を一緒にするな”と厳しい声が泉下から聞こえてきそうな気もする。

 大風呂敷が似合う政治家が現代に少ないのは、なぜか。政治家が小粒になったせいか、それともメディアや有権者が細事にこだわるからなのか。大風呂敷の効用というのも一考の余地があるかもしれない。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】後藤象二郎

 ごとう・しょうじろう 天保9(1838)年、高知藩士、後藤助右衛門の長男として生まれる。幼少のころ、義叔父吉田東洋の少林塾で学び、開国論に影響を受けた。同門に長い付き合いとなる岩崎弥太郎がいた。文久2(1862)年、東洋が尊攘派に暗殺され、翌年江戸の開成所で航海術を学ぶ。2年後、高知に戻り、殖産興業の機関・開成館を設立した。明治元(1868)年、新政権が発足すると、参与になる。同6(1873)年、参議となり、西郷隆盛、板垣退助らと征韓論を唱えるが、大久保利通らの反対で辞任。藩閥政府打倒の大同団結運動の中心となるが、同士を見捨て、黒田内閣の逓信大臣に就く。第2次伊藤内閣で農商務相となるが、業者との癒着などにより辞任。同30(1897)年、60歳で死去した。

 後藤象二郎って、やっぱり面白い人物ですねぇ(@_@)。




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