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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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久しぶりに幕末ニュースを拾ってみます。

秋田
<戊辰戦争150年>佐土原藩士を手厚く供養した縁 大仙と宮崎、深まる交流 相互訪問、記念酒造りも
 秋田戊辰戦争の激戦地大仙市と、新政府軍側で参戦した佐土原藩があった宮崎市が交流を深めている。大仙市協和の境地区で戦死した佐土原藩士8人は現地の万松寺に一時葬られ、住民が手厚く供養した。150年前の悲劇を縁にして中学生や市民が相互訪問し、交流を記念した日本酒を造る事業も大仙市で進む。

 戊辰戦争から124年後の1992年、佐土原町(現宮崎市)の墓参団が万松寺を訪れたのをきっかけに交流が始まった。
 2001年に協和町(現大仙市)と佐土原町が有縁交流協定を締結した。市町村合併後は大仙市が人口約8万、宮崎市が約40万と都市の規模こそ異なるが、どちらも協定を引き継いだ。
 両市の物販施設では互いの特産品を販売。10年には佐土原藩士の慰霊碑が万松寺に建立された。今年は大仙市の事業として協和の酒米農家と酒造会社が記念酒を製造し、両市の交流を全国にアピールする予定だ。
 民間や中学生の交流も活発になり、協和には「さどわら会」、佐土原では「きょうわ会」と相手方の町の名を付けた有志団体がそれぞれの地で発足。大仙市の中学生が宮崎市を訪れてサーフィンを体験し、宮崎市の中学生は大仙市でスキーを楽しんだ。
 行政レベルでは、戸敷(とじき)正宮崎市長が今月19日に大仙市で開かれるシンポジウム「近代への道程 戊辰戦争と人びと」に出席。10月下旬には老松博行大仙市長が宮崎神宮大祭を視察する。
 老松大仙市長は「交流協定を友好協定に発展させたい」と意欲を示す。宮崎市佐土原総合支所の高橋通郎地域市民福祉課長も「8人の藩士を供養していただいた恩を忘れず、さまざまな交流を続けたい」と話す。

[佐土原藩]薩摩藩の支藩で藩主は島津氏。戊辰戦争時は2万7000石。宮崎市北部の旧佐土原町に藩庁を置いた。戊辰戦争では新政府軍に加わって伊勢、会津などを転戦。「境の戦い」では藩士約100人が庄内藩を中心とする奥羽越列藩同盟軍と交戦した。

戊辰戦争が縁、佐賀の小学生が秋田市訪問 歴史学び墓参り
 戊辰戦争(1868~69年)で援軍を送った縁で秋田と交流のある佐賀県武雄市の小学生の訪問団が4日来県し、秋田市内に滞在している。5日は、新屋地区にある慰霊碑や藩士の墓に足を運んだほか、開催中の秋田竿燈まつりで妙技大会を見学した。

 武雄市と秋田市の交流は、1986年に新屋日吉地区で武雄領出身者を含む佐賀藩士の墓が見つかったのをきっかけに始まった。今年5月には明治維新150周年にちなみ、武雄市で25年ぶりに竿燈が披露された。

岩手
南部藩主席家老・楢山佐渡の最後の「料理」味わう 幕末に武士道貫いた遺徳しのぶ /岩手
 今年は明治に改元されて150年。日本が近代国家を形成する契機として、明治維新を取り上げるテレビ番組や関連書籍の刊行などが相次いでいる。一方、南部(盛岡)藩は戊辰(ぼしん)戦争で旧幕府側に付いて敗北。白石への転封のほか、長く「朝敵」「賊軍」の汚名を着せられた。首謀者として処刑された主席家老・楢山佐渡(1831~69年)はその象徴的な存在だが、武士道を貫いた生き方は今も多くの市民に親しまれている。その楢山が最後に食した料理を再現し、味わうイベントが20日、盛岡市本町通1の料亭「駒龍」で開かれ、参加者は楢山の人徳に思いをはせた。【佐藤慶】

 代々家老を務めた家系に生まれた楢山は23歳の若さで家老職に就き、藩政改革に奔走。戊辰戦争では、旧幕…
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山形
山形)「荘内大祭」開催 鶴岡で450人の大名行列
城下町・山形県鶴岡市の歴史を伝える「荘内大祭」が15日、市内中心部であり、総勢約450人の大名行列が練り歩いた。

 旧庄内藩主をまつる荘内神社の創建を記念して1877(明治10)年に始まった。大太鼓を先頭に奴(やっこ)振り、甲冑(かっちゅう)武者、女人列などが鶴岡公園を出発し、沿道に陣取った市民らの前をゆっくりと進んだ。

 今年は戊辰戦争から150年。「内地最後の激戦地」とされる関川(旧温海町)での戦いも甲冑劇で再現された。(佐藤孝則)

企画展戊辰戦争150年 絵図、洋式銃など 上山で /山形
戊辰(ぼしん)戦争150年にちなみ、上山市元城内の上山城郷土資料館で、企画展「戊辰戦争と上山」が開かれている。8月19日まで。

 戊辰戦争の戦場絵図や上山藩兵が用いた洋式銃、諸藩の武士たちの名刺、当時の軍服(復元)など計約50点を展示。同資料館は「最近新たに見つかった資料が展示の中心。復元された軍服…
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福島
旧会津藩主・松平容保「助命」に領民奔走 新たな史料など紹介
 戊辰150年を機に「戊辰と明治」について考えるシンポジウムが12日、会津若松市で開かれた。西軍側の史料で「開城後、領民は旧会津藩主松平容保(かたもり)に背を向けて冷ややかだった」とされてきたことを覆す内容の史料が紹介され、来場者が熱心に耳を傾けた。

 シンポジウムは同市の郷土史家ら有志による会津戊辰戦争150周年事業実行委員会(阿部隆一会長)の主催。パネル討論では戊辰戦争後の1868(明治元)年11月に会津から上京した10人の村の世話役「肝煎(きもいり)」が手分けをして阿波徳島、肥後熊本、長州、久留米、土佐各藩などに藩主の助命嘆願をするため奔走した史料などが紹介された。

 進行役を務めた会津幕末史研究会の簗田直幸さんは「領民は平和を願っていた。望んでいない戊辰戦争に巻き込まれ、兵火で村落が焼失したが、藩主を冷ややかな目で見るようなことはなかったはず」と述べた。

 助言者の落合弘樹明治大文学部教授(明治維新史学会理事)は「明治政府が政府に都合のいい声だけを拾い集めて歴史をつくり上げた点は否定できない。肝煎が命懸けで藩主の助命嘆願をしていたとすれば、会津の歴史を考える上で非常に興味深い」と語った。

 老幼婦女子の戦闘にも目を向け、会津の歴史研究をさらに発展させる必要性なども指摘された。

 パネル討論に先立って、歴史研究会の大塚セイ子さんが「戊辰戦争後の塩川の役割」、熱海史談会の佐藤秀雄さんが「石筵(いしむしろ)村のできごとについて」をテーマにそれぞれ語った。また、簗田さんが「兵火による村落の焼失について」と題して発表し、幕末史を見直す会の鈴木ひろみさんが「籠城を戦い抜いた婦女子の心の支え」を題に、照姫についての研究成果を発表した。

戊辰戦争時の会津藩しのぶ 若松城天守閣郷土博物館の収蔵品展
 会津若松市の鶴ケ城天守閣にある若松城天守閣郷土博物館で二十一日、収蔵品展「白虎隊と会津藩士の戦い」が開幕した。
 白虎隊を中心に戊辰戦争時の会津藩ゆかりの品四十五点を展示している。白虎隊士が自刃する様子を描いた複数の絵図、白虎隊士西川勝太郎が自刃する際に使ったと伝わる刀、西軍(新政府軍)の城下進攻を受け急きょ結成された進撃隊の隊旗などを観覧できる。
 四月から展開している「全館幕末特集」の第三弾。九月十一日まで。観覧は午前八時半から午後五時(入場は午後四時半)まで。高校生以上四百十円(茶室麟閣との共通券は五百十円)、小中学生百五十円、未就学児無料。問い合わせは会津若松観光ビューロー 電話0242(27)4005へ。

「会津藩の功績」検証 徳川時代の意義...戊辰戦争で意見交わす
265年に及ぶ平和を築いた徳川時代の歴史的意義を考える「徳川みらい学会in会津」は27日、会津若松市で開かれた。「徳川幕府の始まりと終わり~会津藩の視点から」がテーマで、参加者が会津藩が果たした役割などを学んだ。

 徳川みらい学会(事務局・静岡商工会議所)の主催、会津若松商議所と会津方部商工観光団体協議会の共催。静岡県以外での開催は2016(平成28)年10月の会津若松市、京都市に次ぐ3回目。今回は戊辰150年の節目に合わせて会津若松商議所が誘致し、約350人が聴講した。

 同学会長で戦国時代史研究の第一人者・小和田哲男静岡大名誉教授(74)が「会津藩祖・保科正之」と題して講演。小和田氏は、初期の江戸幕府を支え、文治政治を確立した保科の生い立ちや会津藩主としての功績などを語った。

 作家・歴史評論家原田伊織氏(72)と本紙連載「維新再考」にも登場した社会思想史研究の森田健司大阪学院大教授(43)との対談は、「戊辰150年~会津藩が果たしたもの」がテーマ。原田氏は「戊辰戦争は政権奪取とは別の目的を持った報復戦争と考えられる。鳥羽・伏見の戦いで『朝敵』のレッテルを貼られた長州藩が自ら朝敵処分を解き、会津藩をターゲットにした」と語った。

<戊辰戦争150年>戦死の藩士に心寄せ いわきで追悼法会
 戊辰戦争で戦死した磐城平藩(いわき市)の藩士らの追悼法会が11日、平藩主だった安藤家の菩提寺(ぼだいじ)であるいわき市の良善寺で営まれた。戊辰150年を記念し、共に戦った泉、湯長谷の両隣藩の関係者も初めて参列した。
 平藩士の子孫らでつくる平安会が主催した。16代当主の安藤綾信さん(86)や、呼び掛けに応じた湯長谷藩藩主内藤家17代当主の内藤博さん(82)ら約70人が参列。本堂での法要後、境内にある藩士らの墓前で手を合わせた。
 平安会会長の松村耕三さん(70)は「戊辰戦争がなぜ起き、その後に東北に何が起きたかを考える必要がある。戊辰の記憶を末永く伝えていくことを誓う」と追悼の言葉を述べた。
 11日は新政府軍の攻撃で磐城平城が落城した日(旧暦7月13日)に当たる。平安会は毎年、追悼法会を営んでいる。

戊辰戦争150年「戊辰戦争 白河口の戦い ー激戦と慰霊ー」映像を公開、楽曲制作は野崎良太(Jazztronik)
福島県白河市による「戊辰戦争 白河口の戦い」紹介映像を制作・公開

福島県南端に位置する白河市。古来から「白河の関」が置かれた東北の玄関口。今から150年前、この地で東北戊辰戦争の激戦の一つ「白河口の戦い」があった。


 戊辰戦争・明治維新より150年を迎えた今年、平成30年(2018年)は全国各地で記念イベントや企画展等、関連行事が催されている。
 福島県白河市もこの節目に、白河における戊辰戦争紹介映像「戊辰戦争白河口の戦い-激戦と慰霊-」を制作・公開し、広く情報を発信することで観光誘客につなげる狙いだ。「白河口の戦い」は戊辰戦争において、会津戦争に至る東北各地の戦いの本格的な始まりとなった戦いで、東北戊辰戦争の戦局に大きな影響を与えた。

 江戸時代、白河には白河藩が置かれたが、幕末の藩主・阿部正外が幕府老中として対応した外交問題で失脚し、慶応2年(1866年)白河藩は消滅、藩領は幕府領となった。
 その2年後の慶応4年、京都で旧幕府勢と薩摩・長州藩が激突、鳥羽伏見の戦いが起こり、1年4か月続く戊辰戦争が始まった。その後、幕府領から新政府領に変わった東北の入口・白河は、旧幕府兵と会津藩が占拠。白河は藩主不在だったにも関わらず、交通の要衝であるために意図せず戦争に巻き込まれていった。

 本映像では、進軍の様子を表したCGや、戦いの様子を描いたとされる『白河口合戦絵巻』(白河市歴史民俗資料館蔵)をもとに、戦いの様子を表現したアニメーションで当時の様子を分かりやすく映像化。幕末から戊辰戦争白河口の戦い、そして戦後には地元の人々が墓や供養碑を建て両軍の死者を弔い、今にいたるまで供養が続けられていることを紹介している。

 本映像は、Youtubeで公開し、白河市内では小峰城内にある資料館・白河集古苑や、白河駅併設の観光案内所・市民交流センター(マイタウン)のロビー等で放映、図書館の映像ブースでの視聴も実施する。日本語のほか、英語・中国語(簡体字)・韓国語字幕版も制作され、各言語も収録されたDVDは市内の小中学校等に配付される。

 本映像をご覧いただき戊辰戦争から150年を迎えた今年、ぜひ白河市を訪れていただきたい。


■楽曲制作:野崎良太(Jazztronik)
国内外にファンを有し、自身が率いるプロジェクト“Jazztronik”(ジャズトロニック)名義でオリコン・チャート・イン多数。今井美樹、椎名林檎、ゴスペラーズ、葉加瀬太郎、Mondo Grosso、m-flo、布袋寅泰、クリスタル・ケイ、山崎まさよし等をプロデュース&セッション。今年9月からは自身がサウンドプロデューサーを務める女優で歌手の柴咲コウのライブへの参加が決定している。

■ナレーション:堺正幸
元フジテレビアナウンサー。ニュースやスポーツ番組のアナウンサーを数多く務め、アナウンス室長を歴任。鉄道好きとしても知られ、JR東日本の「新幹線・在来線特急」車内アナウンスの声を担当し、東京から白河へ向かう東北新幹線車内アナウンスも務めることから、「白河へ誘う声」として本映像のナレーター起用に至った。

■戊辰戦争 白河口の戦いー激戦と慰霊ー【本編】

https://youtu.be/MM2RTN8up_E
(13分36秒)

■戊辰戦争 白河口の戦いー激戦と慰霊ー【短編】

https://youtu.be/CnvdETZK9Ys
(3分05秒)

白河市役所公式ホームページ
http://www.city.shirakawa.fukushima.jp/

山川健次郎を語る 若松で孫やひ孫ら鼎談
 会津藩出身で東京帝国大総長などを務めた山川健次郎の孫服部艶子さん(91)=東京都=、ひ孫木下健さん(69)=長崎市=らが山川について語る鼎談(ていだん)が十八日、会津若松市の会津若松ワシントンホテルで催された。四歳の時に山川が亡くなるまで池袋の家で同居していた服部さんが山川の家庭人の側面を語った。
 服部さんによると、晩年の山川は夕方五時ごろから夕飯を食べ、晩酌の際は塩豆、サケのかす漬けなどをさかなにしていた。会津藩の子弟が学んだ什の掟(じゅうのおきて)にある「うそをつかない」ことには厳格だった。
 木下さんは山川と面識はないが、山川の娘である祖母から人となりを聞いていた。「健次郎はシンプルなものを曲げない生き方だった」とした。
 鼎談は山川健次郎顕彰会が戊辰百五十年に際し、山川の実像を記録に残そうと催した。顕彰会の森武久事務局長(74)が服部さん、木下さんと語り合いながら進めた。顕彰会の宗像精会長(85)と、服部さんの付き添いで山川のひ孫の青島温子さん(58)=東京都=が同席した。鼎談の内容は後日、冊子などにまとめ一般に公開する。

「会津武士」逆風に対処 子孫宅から手紙...藩復活時、台所事情示す
150年前の会津藩消滅時に家老などを務め、藩再興に奔走した梶原平馬(かじわらへいま)と山川浩(やまかわひろし)、さらに会津藩士の子で後の陸軍大将、柴五郎(しばごろう)の3人がそれぞれ明治以降、会津在住の元藩士、町野主水(まちのもんど)に出した手紙計3通が、東京都の町野の曽孫宅で見つかった。

 文面を読み解いた直木賞作家の中村彰彦さん(69)によると、旧会津藩が斗南藩として復活する1870(明治3)年ごろの藩士たちの動向や経済事情に触れた梶原の手紙をはじめ、いずれも明治、大正の「会津武士」の生活ぶりや人柄が分かる貴重な史料という。

 手紙の日付は、梶原が4月1日。年は書かれていないが、中村さんによると内容から1870年と判別できる。山川は89(明治22)年9月5日。柴が1919(大正8)年9月14日。毛筆で書かれている。

 会津藩最後の筆頭家老で戊辰戦争直後は東京で謹慎した梶原の手紙は薄紙2枚。1枚目冒頭の「高田脱走惣調(そうしらべ)/東京脱走惣調/無宿者惣調」の3行に続き、戊辰戦争後に旧藩士が収容された越後高田(現新潟県上越市)、東京両謹慎所からの脱走者の調査が終わり、脱走先から戻った者、戻る見込みの者の家にも1日に付き1人当たり4合の玄米を給付し、台所事情が厳しい家には申し出れば対応する―などと記されている。

 中村さんは「平馬は脱走に頭を痛め、また70年4月の斗南藩成立で政府による給付が藩の手に移り、扶持(ふち)高は半分以下にせざるを得なかった。そして会津残留者たちにも同じ扱いをする必要を考え、扶持高改定を町野にも伝えた。東京と会津、越後高田で連絡し合い時代の逆風に対処していた状況が分かる」としている。

元会津藩家老・山川浩が元新選組・斎藤一に贈った「書」初公開
 会津若松市の白虎隊伝承史学館で6日から、元会津藩家老の山川浩が、共に東軍として戦った元新選組の斎藤一(藤田五郎)に贈ったとされる書が初公開される。

 書は斎藤の長男が生まれた1876(明治9)年、名付け親になった山川が「勉」の命名にちなんで和歌をしたためたもので、二人の深い結びつきを物語っている。

 斎藤は戊辰戦争で会津藩と戦いを共にし、戦後も元藩士らと交流を続けた。会津史学会の間島勲会長によると、山川は斎藤が結婚する際には仲人を務めたという。

 書は、所有していた東京都の斎藤の関係者から2004(平成16)年に、鈴木礼子館長の夫で前館長の滋雄さんに託された。

 滋雄さんは「大事な物だから外に出してはいけない」と秘蔵し続け、09年死去した。鈴木館長も書を守り続けていたが、今年が戊辰150年の節目となることから公開を決意したという。

 書の展示は11月30日まで。開館時間は午前8時~午後5時。入館料は大人300円、高校生200円、小・中学生150円。

展覧会福島の名刀、美と技 新選組・土方所用「越前康継」を県内初公開 会津若松の県立博物館 /福島
 刀剣の魅力を紹介した展覧会「美しき刃(やいば)たち-東京富士美術館コレクションと福島の名刀」が、会津若松市城東町の県立博物館で開かれている。戊辰(ぼしん)戦争150年に合わせて新選組副長・土方歳三の所用刀「越前康継(やすつぐ)」を県内初公開。美術品・伝統工芸品としての刀剣の美と技を伝えている。8月19日まで。

 越前康継は戊辰戦争時に土方が姉のぶの嫁ぎ先である東京・日野の佐藤家に贈った刀で、葵(あおい)のご紋…
 ここからは毎日新聞の有料版にて。

新潟
継之助を悼み只見で墓前祭 牧野家当主も参列
 長岡藩家老として戊辰戦争を戦い、逃れた只見で死去した河井継之助の没後百五十年墓前祭は命日の十六日、墓のある只見町の医王寺で行われた。長岡藩主だった牧野家の十七代当主忠昌氏(76)も参列し、継之助をしのんだ。
 地元の塩沢観光協会と塩沢区が毎年営み、今年は町内のほか新潟県などから約八十人が出席した。長岡城の攻防で継之助が和平交渉をした「小千谷談判」の舞台・慈眼寺(新潟県小千谷市)の船岡芳英住職が墓前で読経した。
 田村勝男塩沢観光協会長があいさつし、菅家三雄只見町長が「河井継之助総督の無念さ、武士としての潔さは心を打つ。総督の志を後世に伝え、越後との縁を深めたい」と追悼の言葉を述べた。忠昌氏らが焼香し、長岡市の前田剣豪会が剣舞を奉納した。
 二度目の墓前祭参列となった忠昌氏は「只見の方々に手厚くしていただき、とても感謝している」と語った。
 継之助は長岡城攻防戦で敗れ、現在の新潟、福島県境の峠道「八十里越」を通って只見にたどり着いたが、一八六八(慶応四)年八月十六日、戦傷がもとで只見の医師宅で死去した。

埼玉
「明治150年」で特別展=埼玉県和光市〔地域〕
 埼玉県和光市の税務大学校で、「明治150年」企画として、「明治維新と租税の近代化」をテーマとした特別展が開かれている。幕末の1858年に米国、英国などと結んだ不平等条約「安政5カ国条約」の実物をはじめ約30点の貴重な資料を展示し、明治期の歩みを税制を通じて振り返る。9月27日まで。
 税務大学校の税務情報センターは、10万点を超える税に関する歴史的資料を所蔵。特別展は、明治維新の税にクローズアップし、日本に関税自主権がなく、5カ国に領事裁判権を認めるなどの「安政5カ国条約」をはじめ、福沢諭吉が幕末から数回欧米を歴訪した西洋諸国の様子を紹介したベストセラー「西洋事情」の再販本(1890年)を展示。松方正義が発議し、編さんした税制の沿革史「大日本租税志」(1882年)には、班田収授法や太閤検地などの記録がある。
特別展示されている「安政5カ国条約」=2日午後、埼玉県和光市

 同大学校の松田淳主任教授は「歴史との関連で税に興味を持ってもらえればありがたい」と話している。
 開館時間は平日の午前9時半から午後4時半まで。入場無料。(2018/06/11-10:52)

神奈川
市歴博戊辰戦争時の横浜解説明治元年から150年の節目
 明治元年から150年の節目にあたる今年は、全国各地で「幕末維新」「文明開化」などを題材にした展覧会が行われている。横浜市歴史博物館=都筑区=では明治元年の戊辰戦争に着目し、企画展「戊辰の横浜 名もなき民の慶応四年」を9月9日まで開催している。

 戊辰戦争は薩摩藩や長州藩らを中核とした明治政府軍と旧幕府勢力などによる争いのこと。当時、横浜市域では戦闘はなかったものの、資料を調査したことで横浜が銃の貿易地であることや、明治政府軍が江戸を目指す通り道になっていたことが分かっている。

 企画展は戦争時の横浜市域の村々や人の姿を地元の資料など約120点からひも解く。資料として、村の人の日記を多く展示。明治政府軍からの要求やそれに反発する当時の村人の様子を感じることができる。

【神奈川】戊辰戦争 その時、横浜では 開港資料館などで企画展
明治維新(一八六八年)から百五十年を機に、新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰(ぼしん)戦争(六八~六九年)時の横浜を紹介する企画展「戊辰の横浜」が横浜市中区の横浜開港資料館で開かれている。十月二十八日まで。

 同館によると、英国やフランスなどの外国軍が駐留していた横浜・関内地区では戦闘が発生しないまま、新政府軍に接収された。同展では、現在の京急線日ノ出町駅近くにあった横浜病院で重傷の新政府軍兵士を治療した記録や、接収前に旧幕府軍が横浜港で銃器や蒸気船を購入したことを示す文書など計百点を紹介している。

 吉崎雅規・調査研究員は「横浜港では六七年に十万丁以上の小銃が輸入され、(新政府軍の)薩摩、長州両藩が武器を輸入していた長崎港の一・五倍あった。横浜も戊辰戦争と無関係ではなかった」と解説する。

 同市都筑区の市歴史博物館でも、同名の企画展が九月九日まで開かれている。横浜北部の村などにあった自主防衛組織「農兵隊」が、新政府軍に銃器を強制回収された記録など百二十点を展示している。

 開港資料館の入場料は大人二百円、小中学生百円。歴史博物館は大人五百円、大学・高校生二百円、小中学生百円。両館とも原則月曜休館。問い合わせは開港資料館=電045(201)2100=へ。 (志村彰太)

横浜高島屋金の西郷隆盛像が登場 明治維新150年記念
 明治維新150年を記念し、横浜市の横浜高島屋に黄金の西郷隆盛像(約185センチ)が登場した。純金製ではないが、強化プラスチックの素材に10センチ四方の金箔(きんぱく)2500枚を貼り付けた。

 同店で6月5日まで開催の「大黄金展」に出品された。職人が手作業で金箔を施した像の価格は2700万円。高さ約…
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静岡
静岡市・望嶽亭藤屋 江戸無血開城の立役者を救った茶亭
 幕末の混乱を収め、明治新政府の樹立を決定づけた慶応4(1868)年の江戸城無血開城。新政府側の西郷隆盛と旧幕府側の勝海舟の歴史的会談で実現したが、その偉業をお膳(ぜん)立てした一人の男がいた。山岡鉄舟。徳川15代将軍慶喜の命を受けて老獪(ろうかい)な西郷と事前交渉し、慶喜の安全を確保しつつ幕藩体制を終焉(しゅうえん)させる立役者となった幕臣だ。

 江戸城総攻撃に備えて江戸に向かっていた西郷は、同年3月9日、駿府(現・静岡市)の「松崎屋源兵衛宅」に滞在した。身の危険を顧みずそこに赴いた山岡は、西郷と直談判。江戸城明け渡しや慶喜の処遇といった重大案件について合意を取り付けた。その5日後、山岡が見守る中行われた西郷と勝との会談で、江戸城総攻撃は回避され「歴史上まれに見る無血革命」と語り継がれる江戸開城が実現した。

 近代日本の行く末を左右した会見から150年。舞台となった「松崎屋源兵衛宅」の跡地には現在、雑居ビルが建ち並び、当時の面影は全くない。買い物客でにぎわう通り沿いに、「西郷・山岡会見の史跡」と記された碑が据えられているのみだ。

 実はこの会見が成功した裏には、もう一人の陰の英雄がいた。東海道の難所として知られる薩●(さった)峠(静岡市清水区)にある茶亭「望嶽亭(ぼうがくてい)藤屋」の当主、松永七郎平だ。

 西郷に面会すべく薩●峠越えを目指した山岡は3月7日夜、官軍に追われ、命からがら逃走していた。望嶽亭に逃げ込んだ山岡から事情を聴き、山岡が背負う密命の重さを理解した松永は、からくり屋敷のような茶亭の造りを生かして脱出に全面協力する。

 望嶽亭には母屋から直接通じる蔵があり、蔵の床の隠し階段から浜辺に下りることができた。山岡はこの経路で脱出し、漁師に変装して舟で海道一の大親分とうたわれた清水次郎長の元へ送り届けられたと伝わる。現在松永の子孫が管理する望嶽亭には、当時の蔵や隠し階段が残り、山岡が置き去りにしたとされる銃も展示されている。

 山岡の功績を研究する「静岡・山岡鉄舟会」の若杉昌敬事務局長は、「明治維新は政治体制の大変革でありながら、血で血を洗うことなく話し合いで決着した。旧幕府側と新政府側の戦いが長期化すれば日本は欧米列強に支配されたかもしれないが、そうならなかったのは山岡と西郷の尽力があったから」と強調する。

 維新後の山岡は、静岡藩の要職を務め、清水(現・静岡市清水区)の鉄舟寺を復興するなど、現在の静岡市内に多くの足跡を残した。点在する史跡をたどれば、新しい日本を夢見て奔走した志士の熱い思いに触れられるかもしれない。(静岡支局 吉沢智美、写真も)

企画展三島の礎つくった偉人たち 幕末から明治の10人紹介 /静岡
「明治150年」を記念し三島・沼津・富士にある三つの市立博物館の共同企画展「近代三島をつくった人々」が、三島市一番町の市立公園楽寿園内の郷土資料館で開かれている。前期(政治・教育編)と後期(経済・文化編)の2部構成。前期は9月24日までで、幕末から明治にかけて三島の礎をつくった隠れた偉人約10人を約130点の資料で紹介している。

 会場には、戊辰戦争中に三島宿自衛兵を組織して宿場町内での衝突を回避した三島宿本陣当主、世古六太夫(…
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岐阜
凌霜隊、軍服姿の写真発見 新政府軍と戦った旧郡上藩士
 明治150年、幕末の実像が郡上によみがえる-。旧郡上藩の江戸藩邸にいた藩士でつくり、戊辰戦争(1868~69年)で新政府軍と戦った「凌霜隊」。戊辰開戦から150年の今年、副隊長・坂田林左衛門(りんざえもん)の軍服姿の写真が見つかった。隊員の軍服写真の発見は初めて。生き残った林左衛門の幽閉生活の様子を伝える資料も見つかり、同隊の新たな実像を浮かび上がらせている。

 見つかったのは、陣頭指揮に使う采配を手にする軍服姿の林左衛門の写真。隣に妻の姿があり、江戸を出発する直前に撮ったとみられる。長野県軽井沢町に住む子孫が保存していた。

 子孫から写真の分析を託された地域史家の高橋教雄さん(73)=郡上市八幡町=は「凌霜隊がどういう軍服だったのかが明らかになった貴重な1枚。采配を持っていることから、実質的に隊を指揮していたのは17歳の隊長ではなく(52歳の)林左衛門だったことが読み取れる」と話す。

 また、林左衛門の孫が同家に伝わる史実として書き残した「手記」も見つかった。郡上で幽閉生活を送る中で、若い元隊員が反乱を起こそうとしたときに林左衛門が説得したことなどが記されている。高橋さんによると、戦闘の手記は他の隊員が残したものもあるが、謹慎中の心境などを伝える隊員の資料は初めてという。

 一方、凌霜隊に光を当てようと、郡上八幡産業振興公社(郡上市八幡町)は「凌霜150」プロジェクトを企画。第1弾として、高橋さんが2015年に自費出版した本「郡上 凌霜隊」の再版に向けてクラウドファンディングによる出資を募っている。高橋さんが13~14年に岐阜新聞に寄稿した連載「郡上藩凌霜隊」をもとに執筆。今回の資料についても新たに加筆する。再版は千冊で目標金額は80万円。募集期間は9月28日まで。

 【凌霜隊(りょうそうたい)】 「凌霜」とは霜を凌(しの)いで咲く菊のような不撓(ふとう)不屈の精神を表す言葉。旧郡上藩青山家の家紋である青山葉菊に由来する。朝比奈茂吉を隊長に45人で構成。戊辰戦争で、脱藩し幕府軍として会津若松城で会津藩白虎隊と共に戦い、敗れた。生き残った隊員30余名は郡上に戻ったが、郡上藩は新政府側についており、幽閉された。後に赦免(しゃめん)されたが、多くは郡上を離れた。


三重
展示会桑名藩の戊辰戦争 藩士らの動向追う 市博物館 /三重
 戊辰(ぼしん)戦争と桑名藩との関わりを紹介する展示会が桑名市京町の市博物館で開かれている。旧幕府軍として新政府軍と戦った藩士らの動向を資料で追っている。8月26日まで。

 鳥羽伏見の戦い(1868年)に端を発する戊辰戦争から150年の節目になるのを記念して企画した。

 幕末、京都所司代に就いた桑名藩主、松平…
 ここから先は毎日新聞の有料版にて。

京都
新選組の隊士しのぶ ゆかりの京都・壬生寺で供養祭 池田屋事件にちなみ開催
 幕末の京都で活躍した新選組の隊士らをしのぶ供養祭が16日、ゆかりが深い壬生寺(京都市中京区)で営まれ、局長・近藤勇の子孫や全国から集まったファンらが遺徳をしのんだ。

 新選組が倒幕派の志士を急襲した池田屋事件が元治元(1864)年の祇園祭宵山に起こったことにちなみ、昭和46年から毎年宵山に開催している。

 境内にある近藤像の前で、松浦俊海貫主(83)らが読経し、新選組を顕彰する京都新選組同好会のメンバーらが次々と焼香して手を合わせた。

 千葉県市原市の会社員、増田栄子さん(44)は「隊士の方々が長年にわたって、この寺で大事にされていると感じた。来られてよかった」と話していた。
桂小五郎しのぶ「松菊祭」霊山護国神社で歴史ファンら慰霊
 幕末の志士、桂小五郎(木戸孝允、1833~77年)の命日にあたる26日、桂の墓がある京都霊山護国神社(京都市東山区)で恒例の「松菊祭」が営まれ、全国から集まった歴史ファンら約40人が遺徳をしのんだ。

 松菊祭は桂の雅号「松菊」にちなむ命日祭で、今年は生誕185年にあたる。桂は明治10(1877)年に京都の自宅で病死し、同神社の境内に墓が建立された。

 祭りでは、宮司が祝詞を読み上げた後、参列者が玉串を奉納し、墓前で手を合わせた。名古屋市西区の会社員、鳥谷奈央さん(23)は「桂さんが大好きで、訪れるのは今年で3回目。参列できてうれしい」と話していた。

ブックレビュー
経済評論家・岡田晃氏の新刊「明治日本の産業革命遺産」発売
集英社は5月25日、岡田晃著の『明治日本の産業革命遺産』(税別1,900円)を発売する。

本著は、「日本の奇跡」と呼ばれている明治産業革命に製鉄、製鉄、造船、石炭産業が、発展していく様子を幕末の若きサムライたちや、現場で奮闘した無名の職人たちのドラマを描いている。


岡田晃著『明治日本の産業革命遺産』(税別1900円)
例えば、次のようなエピソードだ。製鉄の基礎を作ったのは、伊豆の反射炉の技術で佐賀藩と伊豆の代官だった江川英龍が協力して研究が始まり、最終的には釜石の洋式高炉に結実。それが現在の新日鉄住金に至るまでや、造船が薩摩藩士の五大友厚がトーマス・グラバーらと共に長崎の小菅修船場から始まり、現在の三菱重工長崎造船所へ発展していく――。日本が技術立国として世界に認められるまでに至った歴史、さらには日本経済の再生のためのヒントも盛り込まれている。

このほか、「明治日本の産業革命遺産」を撮影したカラー口絵や明治時代の貴重な写真や資料が多く掲載されている。なお、著者の岡田晃氏は、大阪経済大学客員教授。テレビコメンテーターとしても活躍している。




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