忍者ブログ
新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 ちょっと貯め込んでしまいましたので、いろいろあります。

埼玉
坂戸よさこい:大賞は武州よさこい上總組 123チーム、7000人参加 /埼玉
 20日夜、審査結果が発表され、大賞を武州よさこい上總組が、準大賞を舞坂戸連とひの新選組連が受賞した。

 日野の方々、お疲れ様でした。

神奈川
<雑記帳>生麦事件の追悼式 横浜・外国人墓地で
 幕末に現在の横浜市で起きた生麦事件から144年たった21日、薩摩藩の行列を横切って藩士に切られた英国人3人の追悼式が同市中区の外国人墓地で行われた。
 事件で重傷を負った2人の墓が朽ち果てていたため、地元の歴史ファンらが寄付を募り、殺されたリチャードソンの墓の脇に移設した。


長野
駒ケ根市中沢・竹村家のルーツは紀州武士?
 駒ケ根市中沢に多い竹村家のルーツは紀州(和歌山県)の武士?―同地の竹村利一さんが所蔵する古文書には、宗良親王の時代に生きた武士が「紀州竹村」の地から逃れ、中沢菅沼に隠棲(いんせい)したと記されている。文書の史料的価値は不明だが、当時の状況とも整合性があり、歴史のロマンを感じさせてくれる。
 この古文書は、2人の人物の墓石の背面に刻まれた文書を後世の人が書き取ったと記されている。幕末に書かれたと思われる他の古文書とともに竹村さんが発見し、額装した。

【南信】「下伊那史」第8巻発行 教師ら20人が25年間かけ完成
 飯田市、下伊那町村会、下伊那教育会でつくる下伊那誌編纂(さん)会は、江戸時代中期から幕末にかけての飯伊地方の政治経済、文化などの歴史をまとめた「下伊那史 第8巻」を発行した。

 下伊那史は、飯田の地に生まれ地方史研究で多くの著作を残した市村咸人さん(1878-1963)が1951年から編さんを始め、市村さんの死後は弟子の研究者らが後を継ぎ80年までに第7巻まで刊行された。


兵庫
神戸歴史散歩:坂本龍馬と神戸海軍塾
 少しでも歴史に興味のある人なら、坂本龍馬の名は、たいてい知っている。幕末に活躍した土佐脱藩の志士であり、薩長同盟、大政奉還を成し遂げた。さらに、海援隊という貿易商社兼海軍を創設し、縦横無尽に活躍した人物だ。司馬遼太郎の名作「竜馬がゆく」はじめ、数々のドラマや小説などで取り上げられている。

 龍馬ゆかりの地といえば、故郷である高知県、海援隊の本拠地があった長崎、それに寺田屋事件などで有名な京都といったところであろうか。なのに神戸と龍馬の結び付きというと、地元の人間でも意外と知らないことが多い。しかし、神戸時代は、龍馬にとっても大きな転機となった時機であるし、神戸が現在のような国際観光都市となる礎は、勝海舟と坂本龍馬まで遡るのである。

 神戸海軍操練所は1864年5月、海軍奉行であった勝海舟の提言で設立された。その頃は、まだ攘夷論が盛んで、摂津、播磨の辺りに営所を設けて外国に対抗すべしとなったのである。操練所とは、今で言えば、士官養成所兼海軍工廠であった。前年の1863年に、兵庫(実際は神戸)が開港していたことと、この辺りが京・大阪に至る海上の道の咽喉元にあたっていたために選ばれたのであろう。勝は、攘夷派の公家であった姉小路公知と共に、わざわざ海上から視察して場所を決めている。


文化芸能
落語って、こんなにおもしろい 江戸の娯楽、昼は芝居で夜は寄席
 寛政10(1798)年に産声(うぶごえ)をあげた寄席は時流を生み時流に乗って、続く享和、文化、文政の30年間に庶民の娯楽として定着、発展した。落語も数が増え、ストーリーや構成が豊かに整って、いまにつながる状態に成熟した。

 次の天保期は幕府の改革・緊縮政策が過熱して寄席は冬の時期に入ったが、続く弘化、嘉永の頃――、そう、黒船渡来に始まる幕末の幕開けから明治にかけては、もう誰も寄席、落語の勢いは止められなかった。かの三遊亭圓朝はまさにその時代に活躍して近代落語を確立した歴史的人物ってことになる。

 そういえば、「落語天女おゆい」というアニメに、圓朝師匠が出演されてましたっけね。土方歳三がキャスト表に出てましたが、私はアニメを見てません^_^;。
200年前の歌舞伎復活願う──舞のパワー(3)
 この夏、大阪では上方歌舞伎の大名跡を復活させた坂田藤十郎の襲名披露が話題を呼んだが、上方舞の山村流6世宗家の山村若も江戸期の歌舞伎を熱い思いで見つめていた。200年前に流祖、山村友五郎が振り付けた歌舞伎「覚めてあふ羽翼衾(つばさのふすま)」を復活させたいという思いである。
(中略)
 山村流では、友五郎の振付師デビューのこの芝居(1806年)から流派の歴史が始まったとして、今年5月の3日間、創流200年記念の「舞扇会」を国立文楽劇場(大阪市)で開いた。若自身も舞台に立ち、最終日には歌右衛門が始めたとされる「三ツ面椀久」を、幕末の名優、初代市川右団治が使った面と扇を手に舞った。若は「若い世代も舞台に立ち、創流250年、300年につながる流れができた」と表情を緩める。


コラム
濃緑と連なる滝の二重奏──トレッキング赤目四十八滝
 なぜ赤目のような低山の谷に幽境が残ったのだろう。元来、そこは自然信仰の修験道の道場であった。地元では「見物する」のでなく「お参りする」と言ってきた。それも入り口近くの不動滝までであり、それより奥は人の踏み込まない神秘のベールに包まれた世界だった。幕末の支配者、藤堂藩により、難行苦行の末、踏査記録が作られた。

ジャパン・ブルー千年の色
 幕末から明治初めにかけて来日した欧米人にとって、日本の色は青だった。

 青い着物、青い布団。作家ラフカディオ・ハーンは「青い暖簾(のれん)をさげた店も小さく、青い着物を着て笑っている人も小さいのだった」と記した。

 「ジャパン・ブルー」。それは天然の藍(あい)、植物タデアイから生まれた。


☆★☆★

8月22日追記。関連記事で画像付きがありました。
雑記帳 生麦事件の追悼式 横浜・外国人墓地で
 新たなクリップ記事もないので別稿を起こすほどでもなく、追記とさせていただきます。
PR
この記事にコメントする
           
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
この記事へのトラックバック
トラックバックURL:
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
[11/22 iqos มีกี่รุ่น]
[12/14 白牡丹(管理人)]
[12/14 ゆーじあむ]
[11/08 白牡丹(管理人)]
[11/07 れい]
[01/21 ゆーじあむ]
[11/15 白牡丹@管理人]
[11/15 ゆーじあむ]
[05/25 長谷川誠二郎]
[07/23 白牡丹@管理人]
最新TB
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
バーコード
Livedoor BlogRoll
本棚
Copyright ©  -- 白牡丹のつぶやき --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Material by White Board

忍者ブログ  /  [PR]