新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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七月大歌舞伎は独立した記事を立てて特集する意味のあるもの。六月に海老蔵さんの妻麻央さんががんで亡くなって早々、4歳の勸玄くんが宙乗りデビューしたのだから。
二代目市川齋入襲名披露
7月の歌舞伎座の昼の部は「矢の根」で始まる。これには海老蔵は出演しないが、この演目は、市川家の「家の藝」たる「歌舞伎十八番」のひとつだ。主役の曽我五郎は1月に襲名したばかりの市川右團次がつとめた。
市川海老蔵(右)と市川齊入を襲名する市川右之助
拡大市川海老蔵さん(右)と市川齊入を襲名した市川右之助さん
次が「加賀鳶(とび)」で、海老蔵は2役。父・十二代目團十郎が何度も演じた役で、海老蔵としては初役だ。この演目は、海老蔵の一門の重鎮で名脇役の市川右之助の二代目市川齋入(さいにゅう)襲名披露でもある。
市川右之助は、二代目右團次の孫にあたる。祖父が1936年に亡くなった後、父が役者を廃業したこと、女形となったことなどの理由で、右團次を襲名していなかった。その名跡を、市川右近に譲ったのが、今年の1月の右近の三代目右團次襲名だった。これは海老蔵が思いつき、父十二代目が存命中に決めたのだという。
こうして右團次は復活したが、そうなると右之助がいつまでも右之助というのもおかしい。「右之助」の名は「右團次」より格下だからだ。そこで初代右團次が晩年に名乗った齊入を二代目として襲名することにしたのだ。
昼の部最後は「連獅子」で、海老蔵が親獅子、坂東巳之助が子獅子。巳之助もまた父・十代目坂東三津五郎を2015年に失くしている。海老蔵は何度か三津五郎とは共演し、新境地を開かせてくれた恩人でもあるので、その恩返しとしての起用だろう。巳之助は夜の部も活躍する。
一門のトップ・海老蔵が推し進めていること
このように昼の部では、1時間前後の、何の関係もないものを3演目並べるという、ここ100年くらいで作られた伝統的な興行形態をとった。
しかし、夜の部ではひとつの作品を最初から最後まで見せるという、他の演劇では当たり前だがいまの歌舞伎では珍しく、あえて「通し狂言」と銘打つ興行とした。もっとも、徳川時代にはこれが当たり前だったので、真の伝統へ回帰したとも言える。
「駄右衛門花御所異聞」。海老蔵の日本駄右衛門 (C)松竹
拡大「駄右衛門花御所異聞」より。市川海老蔵の日本駄右衛門 (c)松竹
夜の部「駄右衛門花御所異聞」は、ここ数年の海老蔵の活動のひとつの集大成となるものだった。
父を失くしてからの海老蔵は、着々と自分の劇団ともいうべき一座をつくるべく布石を打っている。
一門のトップ、そして座頭たる者は、自分の藝を磨くだけではだめなのだ。一門や客演してくれる役者の置かれているポジションを見極め、配慮し、盛り立てていかねばならず、いわゆる「役者バカ」ではつとまらない。
海老蔵が推し進めているひとつは、一門以外の役者を公演ごとに引き入れ、一座として役者の層を厚くしていくことで、右團次、市川中車をはじめとする澤瀉屋一門を組み入れ、今月は巳之助や中村児太郎も入れている。本来は中村獅童も出るはずだったが、病を得て、出られなくなった。
もうひとつは、歌舞伎以外の演劇人とのコラボで新作をつくることでのレパートリーの拡充である。
今年に限っても、2月にEXシアター六本木でリリー・フランキー脚本、三池崇史演出で「座頭市」を作り、寺島しのぶが相手役をつとめた。6月には自主公演ABKAIで樹林伸作、松岡亮脚本、藤間勘十郎演出・振付で「石川五右衛門外伝」をつくっている。
その一方で、3月に歌舞伎座で「助六」をつとめ、5月の歌舞伎座の「伽羅(めいぼく)先代萩」では仁木弾正と、古典の大役もしっかりつとめた。
最大の見せ場、勸玄君の宙乗りを融通無碍に
こうした布石を打った上での、7月の歌舞伎座に集まった役者の層は、大幹部がいない割には厚い。
そのメンバーで昼は古典、夜は新作「駄右衛門花御所異聞」をやる。しかも、その新作は、新進気鋭の劇作家に依頼したのではなく、これまでの新作とは別のアプローチで作るものだった。
タイトルにある駄右衛門は実在した大泥棒、日本駄右衛門のこと。歌舞伎では白浪五人男の「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」でもおなじみだ。
250年前に、それとは別に「秋葉権現廻船語」という駄右衛門を主人公にした芝居があったが、長く上演が途絶えていた。徳川後期に七代目團十郎が演じたことがある。
この芝居の当時の台本をベースに、まったく新しく書き換えて復活させたのが、今月の「駄右衛門花御所異聞」で、実質的には新作だ。
歌舞伎はいまも新作が作られている。十八代目勘三郎が野田秀樹や宮藤官九郎と組んでまったく新しいものを作ったり、串田和美の演出で古典を新解釈していたり、市川猿之助が「ワンピース」を歌舞伎にするなどがその代表だ。先代の猿之助のスーパー歌舞伎も新作路線の代表である。
海老蔵も前述の「座頭市」「石川五右衛門」では歌舞伎外の演劇人と組んでいたが、今回の新作は、歌舞伎専門の補綴・演出家である織田紘二、石川耕士、川崎哲男、と海老蔵の盟友たる藤間勘十郎が協同してつくる。この4人は歌舞伎の熱心なファン以外には、ほとんど知られていないだろう。
複数の座付き作家が協同で作ることが、まず昔ながらの歌舞伎の作り方だ。
基本のストーリーは歌舞伎でおなじみのお家乗っ取りの話で、さまざまな古典の名場面を模した場面でつないでいく。
つまり海老蔵のコンセプトは「昔ながらの歌舞伎」を「昔ながらの方法」で作るというものなのだが、単なる復古調ではない。ストーリーもセリフも古典なのだが、舞台装置や照明には最新技術を使い、テンポもはやくして、飽きさせないようにするというものだ。
海老蔵は一人3役で、そのうちの2役は早替わりで演じる。
市川海老蔵さん(右)と長男・堀越勸玄君の宙乗り=松竹提供
拡大市川海老蔵さん(右)と長男・堀越勸玄君の宙乗り=松竹提供
そして最大の見せ場となるのが宙乗りだ。
勸玄君の出演は当初はなく、チケット発売の直前になって松竹の要請で出ることになったという。だから最初の台本には彼の役はなく、まさに取ってつけたような役なのだ。
ストーリー上は、勸玄君演じる「白狐」はいなくてもいい。しかしそれが結果的に最大の見せ場となってしまう、この融通無碍なところが、歌舞伎らしいといえば歌舞伎らしく、これもまた「昔ながらの歌舞伎」である。
世代交代期の息吹が凝縮された歌舞伎座
「駄右衛門花御所異聞」には人生とは何かとか、家とは何かとか、そういう深刻なテーマは何もない。緻密なストーリーもない。その場その場が面白ければいいという作り方だ。
悪く言えばパッチワークのように、いろいろな歌舞伎の名場面を、つなぎ合わせているので、歌舞伎を見た、という満足感も味わえる。
前述の巳之助に加え、中村児太郎(彼の父・福助も病に倒れてずっと休んでいる)も重要な役に起用され、見事にこなしている。
海老蔵は自分よりも若手に、活躍の場を与えてもいるのだ。
この7月、同世代の市川染五郎(来年、松本幸四郎を襲名)は大阪松竹座、尾上菊之助は国立劇場でそれぞれ主役、大役をつとめている。
平成から新時代に代わるのにあわせるようにして、歌舞伎界は大きな世代交代期に突入した。
その息吹が凝縮されているのが、7月の歌舞伎座だ。
市川海老蔵・座頭「七月大歌舞伎」で起きた大事件祖父、十一代目團十郎も果たせなかった「静かなる革命」
勸玄くんが天に向かって投げキッス 市川海老蔵も驚いたサプライズ
「駄右衛門花御所異聞」は市川海老蔵の集大成「昔ながらの歌舞伎」を「昔ながらの方法」で、かつ新しく中川右介
二代目市川齋入襲名披露
7月の歌舞伎座の昼の部は「矢の根」で始まる。これには海老蔵は出演しないが、この演目は、市川家の「家の藝」たる「歌舞伎十八番」のひとつだ。主役の曽我五郎は1月に襲名したばかりの市川右團次がつとめた。
市川海老蔵(右)と市川齊入を襲名する市川右之助
拡大市川海老蔵さん(右)と市川齊入を襲名した市川右之助さん
次が「加賀鳶(とび)」で、海老蔵は2役。父・十二代目團十郎が何度も演じた役で、海老蔵としては初役だ。この演目は、海老蔵の一門の重鎮で名脇役の市川右之助の二代目市川齋入(さいにゅう)襲名披露でもある。
市川右之助は、二代目右團次の孫にあたる。祖父が1936年に亡くなった後、父が役者を廃業したこと、女形となったことなどの理由で、右團次を襲名していなかった。その名跡を、市川右近に譲ったのが、今年の1月の右近の三代目右團次襲名だった。これは海老蔵が思いつき、父十二代目が存命中に決めたのだという。
こうして右團次は復活したが、そうなると右之助がいつまでも右之助というのもおかしい。「右之助」の名は「右團次」より格下だからだ。そこで初代右團次が晩年に名乗った齊入を二代目として襲名することにしたのだ。
昼の部最後は「連獅子」で、海老蔵が親獅子、坂東巳之助が子獅子。巳之助もまた父・十代目坂東三津五郎を2015年に失くしている。海老蔵は何度か三津五郎とは共演し、新境地を開かせてくれた恩人でもあるので、その恩返しとしての起用だろう。巳之助は夜の部も活躍する。
一門のトップ・海老蔵が推し進めていること
このように昼の部では、1時間前後の、何の関係もないものを3演目並べるという、ここ100年くらいで作られた伝統的な興行形態をとった。
しかし、夜の部ではひとつの作品を最初から最後まで見せるという、他の演劇では当たり前だがいまの歌舞伎では珍しく、あえて「通し狂言」と銘打つ興行とした。もっとも、徳川時代にはこれが当たり前だったので、真の伝統へ回帰したとも言える。
「駄右衛門花御所異聞」。海老蔵の日本駄右衛門 (C)松竹
拡大「駄右衛門花御所異聞」より。市川海老蔵の日本駄右衛門 (c)松竹
夜の部「駄右衛門花御所異聞」は、ここ数年の海老蔵の活動のひとつの集大成となるものだった。
父を失くしてからの海老蔵は、着々と自分の劇団ともいうべき一座をつくるべく布石を打っている。
一門のトップ、そして座頭たる者は、自分の藝を磨くだけではだめなのだ。一門や客演してくれる役者の置かれているポジションを見極め、配慮し、盛り立てていかねばならず、いわゆる「役者バカ」ではつとまらない。
海老蔵が推し進めているひとつは、一門以外の役者を公演ごとに引き入れ、一座として役者の層を厚くしていくことで、右團次、市川中車をはじめとする澤瀉屋一門を組み入れ、今月は巳之助や中村児太郎も入れている。本来は中村獅童も出るはずだったが、病を得て、出られなくなった。
もうひとつは、歌舞伎以外の演劇人とのコラボで新作をつくることでのレパートリーの拡充である。
今年に限っても、2月にEXシアター六本木でリリー・フランキー脚本、三池崇史演出で「座頭市」を作り、寺島しのぶが相手役をつとめた。6月には自主公演ABKAIで樹林伸作、松岡亮脚本、藤間勘十郎演出・振付で「石川五右衛門外伝」をつくっている。
その一方で、3月に歌舞伎座で「助六」をつとめ、5月の歌舞伎座の「伽羅(めいぼく)先代萩」では仁木弾正と、古典の大役もしっかりつとめた。
最大の見せ場、勸玄君の宙乗りを融通無碍に
こうした布石を打った上での、7月の歌舞伎座に集まった役者の層は、大幹部がいない割には厚い。
そのメンバーで昼は古典、夜は新作「駄右衛門花御所異聞」をやる。しかも、その新作は、新進気鋭の劇作家に依頼したのではなく、これまでの新作とは別のアプローチで作るものだった。
タイトルにある駄右衛門は実在した大泥棒、日本駄右衛門のこと。歌舞伎では白浪五人男の「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」でもおなじみだ。
250年前に、それとは別に「秋葉権現廻船語」という駄右衛門を主人公にした芝居があったが、長く上演が途絶えていた。徳川後期に七代目團十郎が演じたことがある。
この芝居の当時の台本をベースに、まったく新しく書き換えて復活させたのが、今月の「駄右衛門花御所異聞」で、実質的には新作だ。
歌舞伎はいまも新作が作られている。十八代目勘三郎が野田秀樹や宮藤官九郎と組んでまったく新しいものを作ったり、串田和美の演出で古典を新解釈していたり、市川猿之助が「ワンピース」を歌舞伎にするなどがその代表だ。先代の猿之助のスーパー歌舞伎も新作路線の代表である。
海老蔵も前述の「座頭市」「石川五右衛門」では歌舞伎外の演劇人と組んでいたが、今回の新作は、歌舞伎専門の補綴・演出家である織田紘二、石川耕士、川崎哲男、と海老蔵の盟友たる藤間勘十郎が協同してつくる。この4人は歌舞伎の熱心なファン以外には、ほとんど知られていないだろう。
複数の座付き作家が協同で作ることが、まず昔ながらの歌舞伎の作り方だ。
基本のストーリーは歌舞伎でおなじみのお家乗っ取りの話で、さまざまな古典の名場面を模した場面でつないでいく。
つまり海老蔵のコンセプトは「昔ながらの歌舞伎」を「昔ながらの方法」で作るというものなのだが、単なる復古調ではない。ストーリーもセリフも古典なのだが、舞台装置や照明には最新技術を使い、テンポもはやくして、飽きさせないようにするというものだ。
海老蔵は一人3役で、そのうちの2役は早替わりで演じる。
市川海老蔵さん(右)と長男・堀越勸玄君の宙乗り=松竹提供
拡大市川海老蔵さん(右)と長男・堀越勸玄君の宙乗り=松竹提供
そして最大の見せ場となるのが宙乗りだ。
勸玄君の出演は当初はなく、チケット発売の直前になって松竹の要請で出ることになったという。だから最初の台本には彼の役はなく、まさに取ってつけたような役なのだ。
ストーリー上は、勸玄君演じる「白狐」はいなくてもいい。しかしそれが結果的に最大の見せ場となってしまう、この融通無碍なところが、歌舞伎らしいといえば歌舞伎らしく、これもまた「昔ながらの歌舞伎」である。
世代交代期の息吹が凝縮された歌舞伎座
「駄右衛門花御所異聞」には人生とは何かとか、家とは何かとか、そういう深刻なテーマは何もない。緻密なストーリーもない。その場その場が面白ければいいという作り方だ。
悪く言えばパッチワークのように、いろいろな歌舞伎の名場面を、つなぎ合わせているので、歌舞伎を見た、という満足感も味わえる。
前述の巳之助に加え、中村児太郎(彼の父・福助も病に倒れてずっと休んでいる)も重要な役に起用され、見事にこなしている。
海老蔵は自分よりも若手に、活躍の場を与えてもいるのだ。
この7月、同世代の市川染五郎(来年、松本幸四郎を襲名)は大阪松竹座、尾上菊之助は国立劇場でそれぞれ主役、大役をつとめている。
平成から新時代に代わるのにあわせるようにして、歌舞伎界は大きな世代交代期に突入した。
その息吹が凝縮されているのが、7月の歌舞伎座だ。
市川海老蔵・座頭「七月大歌舞伎」で起きた大事件祖父、十一代目團十郎も果たせなかった「静かなる革命」
中川右介
幸福感に満ちていた舞台
2017年7月3日、歌舞伎座は「七月大歌舞伎」の初日を迎えた。
舞台の安全を祈願する市川海老蔵さんと長男の堀越勸玄ちゃん=29日午後、東京都中央区20170629
拡大「七月大歌舞伎」の舞台前に、安全を祈願する市川海老蔵さんと長男の堀越勸玄君=2017年6月29日
私はめったに初日には行かないのだが、この月は「市川海老蔵が歌舞伎座で座頭となり、実質的な新作の通し狂言をやる」記念すべき月なので、初日に行くべきだと思い、6月7日のチケット発売日に、夜の部は初日を買っておいた。
そうしたら、6月23日のあの悲報となった。
チケットを買った日とはだいぶ状況が変わり、「市川海老蔵が歌舞伎座で座頭となり、実質的な新作の通し狂言をやる」という歴史的意義よりは、4歳の長男・堀越勸玄君が史上最年少で宙乗りをすることに話題は集中していた。
勸玄君については、すでに洪水のように報じられている。
初日に客席にいた者としては、そこには湿っぽさは微塵もなく、人びとは、何か浄化される思いとなり、幸福感に満ちていたと、伝えておく。
海老蔵と猿之助のクールな「盟友関係」――正統と異端、『柳影澤蛍火』の「悪人」から見えた二人の距離
[3]「開拓」を続ける市川海老蔵、九團次の選択
[1]市川海老蔵が座頭を勤めた理由――戦後70年、「孫たちの時代」はどう展開していくのか
海老蔵の祖父の孤独な闘い
初日が無事におわり、毎日のように公演は続き、12日、日本歌舞伎史上の大事件が起きた。歌舞伎座で「夜の部」がなかったのだ。
と言っても、役者の誰かが急病で倒れたとか、劇場に事故があったわけではない。
最初から、12日は昼の部だけの興行で夜の部はなかったのだ。同様に、このあと19日は昼の部が休演となる。
何かが起こればニュースだが、「何もなかった」のはニュースにはならないので報じられなかったが、これは実は大事件なのだ。
歌舞伎座は、おそらくこの規模の劇場としては世界で最も稼働率の高い劇場だ。
毎日11時から3時頃まで「昼の部」、4時か4時半から9時頃まで「夜の部」が上演され、原則として「25日間」、休むことなく昼夜の公演が続く。昼と夜はまったく別の演目だ。
これは歌舞伎座だけでなく、松竹による歌舞伎公演はみな昼夜・25日間を基本としている。
なかには昼夜とも出ずっぱりの役者もいるから、体力的にも精神的にも負担はかなり重いだろう。裏方のスタッフも、休みはない。
松竹としては休演日を設ければ収入減となるので、休みたくない。昼の部か夜の部のどちらかを休めば、チケット代だけで約3000万円の減収となり、弁当や食堂、お土産屋の売上も減る。そのため、ずっと昼夜2部制・25日間興行が伝統となっていた。
だが半世紀前、この昼夜2部制に異議申し立てをした役者がいた。海老蔵の祖父、十一代目團十郎である。
しかし、他の役者たちは、松竹に気兼ねしたのか十一代目に同調せず、彼は孤独な闘いを強いられ、結局、この体制は維持され、團十郎は1965年に胃ガンとなり56歳で亡くなった。
海老蔵が座頭となった歴史的な月に
以後、誰も昼夜2部制・25日間興行に異を唱える者はいなかった。少なくとも、表にはそういう声は出なかった。
それが十一代目團十郎の死から半世紀が過ぎて、その孫によって、歌舞伎座に休演日を設けるという大改革が実現したのだ。
これは何かを「する」のではなく、「しない」という改革なのでまったく目立たないが、静かなる革命と言える。
海老蔵は7月12日のブログに、
「今日は/歌舞伎座史上初の夜の部お休み。/歴史的快挙と私はおもう。/そして/これが続く事が/未来の歌舞伎役者のためであり/お客様のためでもある。/そうおもいます。」
と綴った。
公にはなっていないが、この休演日が海老蔵の強い要請で実現したことは、このことからわかる。
何よりも、海老蔵が歌舞伎座で座頭となったこの月が最初で、その月で初めて休演日が設けられたのだ。海老蔵の意向以外には考えられない。
そう――長男・堀越勸玄君の出演が話題になっているが、冒頭に記したように、7月の歌舞伎座は「海老蔵が座頭となった」という点で、記念すべき、歴史的な月なのだ。
「働き方改革」も後押し?
歌舞伎座は12か月のうち、8月の納涼歌舞伎は若手だけが出て、5月は團菊祭で現在は團十郎がいないので菊五郎が座頭となり、9月の秀山祭は吉右衛門が座頭となるが、それ以外の月は、菊五郎、幸四郎、吉右衛門、仁左衛門、梅玉という大幹部のうち2人か3人が交互に出ている体制が続いている。
そのなかにあって7月は、長年、猿之助一座が年に一度歌舞伎座に出る月だったが、三代目猿之助(現・猿翁)が病に倒れてからは玉三郎が座頭をつとめ、海老蔵が客演することが多かった。
昨年(2016年)は猿之助が座頭で海老蔵が客演したが、今年は海老蔵が文字通りの座頭として、昼夜に奮闘(たくさん出演するという意味)する、名実ともに「成田屋の月」となった。
澤瀉屋(猿之助)とどのように話し合ってこうなったのか、あるいは何も話し合いはなかったのか、その裏の事情は不明だが、松竹は今年の7月の歌舞伎座を海老蔵に預けたのである。それも、「花形歌舞伎」と銘打つのではなく、「大歌舞伎」として。
座頭となった海老蔵は、公演内容や出演者を決める立場を得ると、昼夜1回の休演を求め、松竹としてもそれを呑まざるをえなかったということだろう。
世の中全体が「働き方改革」の流れにあるのも、後押ししたのかもしれない。
噂では、2020年の東京五輪に海老蔵は團十郎として関わるので、その前に襲名披露興行があるようだ。それへ向けての助走が始まっているとも言える。
歌舞伎座の時代転換が始まった
歌舞伎座は、唯一、1年中、大歌舞伎を上演する劇場であり、歌舞伎役者にとっては、歌舞伎座でその役を演じなければ本当に演じたことにはならないという、絶対的な権威を持つ劇場だ。
さらにその劇場で座頭となるのは、本当に限られた役者しかできない。海老蔵もこれまで他の劇場では何度も座頭となっていたが、歌舞伎座では7月が初めてだ。
いよいよ海老蔵が歌舞伎座で座頭となり、自分で一座を組んだことは、時代転換の歯車がまわりだしたことを意味する。
勸玄君との宙乗りは、それに花を添えるものであり、それは大輪の花ではあるが、興行の芯ではない。
家庭における悲劇と初の座頭とが重なったのは偶然に過ぎないが、そのおかげもあり、6月の悲劇の日から連日報じられたので、勸玄君の出る夜の部は早々と完売し、昼の部もごく僅かしか残っていない。
歌舞伎座は新開場直後の賑わいもなくなり、空席が目立つ月もあったので、興行的成功はありがたいだろう。そうなるとますます、興行サイドとしては休演日があるのはうらめしいところかもしれないが、時代はもう前へ進んでいるのだ。 (つづく)
勸玄くんが天に向かって投げキッス 市川海老蔵も驚いたサプライズ
海老蔵も驚嘆!麻央さん誕生日に勸玄くんが見せたサプライズ海老蔵 勸玄くんとの公演が千秋楽…2000人の観衆に宙から手を振る
7月19日の昼下がり。自宅近くの公園で虫とりに精を出していたのは市川海老蔵(39)と、麗禾ちゃん(5)、勸玄くん(4)のきょうだい。
元気いっぱい虫取り網を振り回していた子どもたちだったが、35度近い猛暑がこたえたのか、1時間ほどで自宅へ。この日は、小林麻央さんの母親の誕生日だった。姉の小林麻耶(38)ら5人でケーキを囲み、麻央さんのお母さんの誕生日を祝ったという。12日の麻耶の誕生会に続くお祝いに、子どもたちは笑顔が耐えなかったようだ。
そして7月21日。麻央さんが生きていたならば、35歳の誕生日を迎えるはずの日だった。海老蔵は、自身のブログにこう綴っている。
《今日は麻央見てる感じします。なんかあったかい。満席の中、ポツンと席が空いているところが、なんとなく感じます。みんな頑張ってます》
7月3日から「七月大歌舞伎」の舞台に立っている勸玄くん。史上最年少で挑戦し、話題を呼んでいる宙乗りは、闘病を続ける麻央さんを元気づけるためのプレゼントだった。勸玄くんの宙乗りを楽しみに、誕生日まで生き抜こうとしていた麻央さん。その願いはかなわなかった。
夜の部第二幕の幕切れ。海老蔵に抱かれた白狐に扮した勸玄くんが3階席まで昇っていく――。
「勸玄くん! 成田屋!」
これまでにない大向の声が、客席に響き渡った。
初日から物怖じせず、高い虚空から手を振る余裕を見せていた勸玄くん。万雷の拍手のなか、暗幕に消え失せようとするそのとき。客席が揺れたのではないかと錯覚するほど、悲鳴にも近い大きな歓声が上がった。
勸玄くんが天に向かい、投げキッスをしたのだ。それは天国から今まさに見守ってくれている麻央さんへの最大限のお祝いだった。
「これには海老蔵さんも驚いたようです。そして、この投げキッスは『ママに』と麗禾ちゃんと勸玄くんが話し合って決めたことだったそうです」(歌舞伎関係者)
ふたりで考えた、とっておきの誕生日プレゼント。きっと、天国の麻央さんにも届いているはずだ。
歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)と、長男の堀越勸玄くん(4)が共演した東京・歌舞伎座の「七月大歌舞伎」が27日、千秋楽を迎えた。勸玄くんは、母・小林麻央さんを6月22日に亡くしたばかりのなか史上最年少で宙乗りに挑んだ。観劇を楽しみにしながら果たせなかった母に姿を見せるように、華麗に宙を舞った。市川海老蔵と勸玄君出演「七月大歌舞伎」が千秋楽
想像を絶する悲しみと不安を乗り越え、4歳の幼子が、父とともに1カ月の長丁場を必死に駆け抜けた。
母を亡くしてわずか11日後の今月3日、初日は波乱の幕開けだった。勸玄くんは当日の朝に突然、舞台出演を渋った。海老蔵は自宅から歌舞伎座までの車中で「ママが見てるよ」と説得。勇気を振り絞って宙乗りを成功させた勸玄くんを、市川中車(51)ら共演陣も絶賛した。
この日は千秋楽とあり、勸玄くんは海老蔵に伴われ、羽織姿で関係者にあいさつ回りを行った。最後となった宙乗りでは、父の懐にしっかりと抱かれながら2000人の大観衆に手を振り、母に届けとばかりに、堂々と高さ10メートルの宙を舞って見せた。
海老蔵はこの日、自身のブログで、歌舞伎座入りする勸玄くんを後ろから撮影した写真とともに「一か月前と比べてみたら デカくなりました 背中」と、たくましさが増した息子の成長を喜んだ。
歌舞伎俳優市川海老蔵(39)と長男勸玄(かんげん)君(4)が出演してきた東京・歌舞伎座「七月大歌舞伎」が27日、千秋楽を迎えた。海老蔵から勸玄くんへ「これから君のドラマが始まる」(スポニチ)
先月22日に海老蔵の妻小林麻央さん(享年34)が乳がんで亡くなり、悲しみ癒えぬまま始まった公演だったが、25日間を走り抜いた。
夜の部は1日休演日があったため、勸玄君は24日間すべて「駄右衛門花御所異聞」に出演、史上最年少の宙乗りをこなした。この日も花道から出て「勸玄白狐、御前(おんまえ)に」と大きな声でせりふを言うと、海老蔵と一緒に宙乗りを見せ、満員の約2000人の観客に手を振った。
東京・歌舞伎座で上演されていた「七月大歌舞伎」が27日、千秋楽を迎え、歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が長男の勸玄(かんげん)くん(4)とともに25日間を完走した。
最愛の妻、小林麻央さん(享年34)が6月22日に他界。わずか11日後の7月3日に開幕した公演。夜の部の通し狂言「駄右衛門花御所異聞」では、この日で最後となった父子での宙乗りを精いっぱい務めた。勸玄くんの宙乗りは歌舞伎史上最年少。神の使い・白狐(びゃっこ)を演じた勸玄くんが宙を舞いながら客席に手を振ると、大きな拍手が巻き起こった。海老蔵はこの日、自身のブログを更新。息子に「これから君のドラマが始まるんだよ。千秋楽は終わりではない始まり」とエールを送った。
終演後は楽屋口に500人近いファンが集まった。海老蔵が車に乗り込む際には、麻央さんが15年11月に歌舞伎座で初お目見えの舞台に立った勸玄くんに送った言葉「えいえいお~」も響いた。海老蔵父子は車の窓を開けて何度もファンに手を振った。
8月には名古屋と大阪で六本木歌舞伎「座頭市」(2~14日)を上演。その後は11月25日まで地方公演が断続的に組まれている。(スポニチ)
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白牡丹
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幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
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