新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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かなり丁寧に正確に書いていると思う……一点、重要なことが抜けているのだが。
知りたい!:円生襲名、オチはいつ 一門から3人名乗り
抜けている重要なこととは、圓生没後、止め名にする時に先代圓楽が弟子代表として止め名に同意する署名を行っていることだ。
弟子代表として止め名に署名しておいて、その時の関係者(遺族の場合はその継承者)の了解なしに、弟子に圓生の名跡を継げという先代圓楽の理屈が腑に落ちない。なので近々、圓丈の『御乱心』を読む予定にしている。
先代圓生については豊富な音源が残り、また映像も残っている。『落語くらぶ』の圓生特集では、多くの現役落語家がお手本にしているほどで、自分もまた落語入門者として多くの演目に触れさせていただいている。
先代圓生の実績を継ぐにふさわしい人になって欲しい、と願っている。前回もそう書いた。
落語好きという立場には、聴きたくないものは木戸銭払ってまで聴きには行かないという消極的な選択肢しかないからねぇ……(苦笑)。
☆★☆★
25日23時過ぎ、追記。朝日新聞にも記事がでました。
円生襲名、三つどもえの争いに 弟子の円窓も名乗り
うーん、この記事も「止め名」の経緯に触れてないなぁ(嘆息)。
知りたい!:円生襲名、オチはいつ 一門から3人名乗り
◇明確な規則なく、混乱続く
落語界の大名跡「三遊亭円生」の七代目襲名を巡り、一門から弟子と孫弟子の計3人の名前が浮上し、混乱が起きている。来年は六代目円生の三十三回忌。「昭和の名人」は、どんな思いで天国から見守っているのか。【濱田元子】
「円生」は三遊亭の一番大きな名前。六代目(1900~1979年)は持ちネタ数の多さ、完成度の高さを誇り、八代目桂文楽(1892~1971年)、五代目古今亭志ん生(1890~1973年)と並び称される。
◇死後「止め名」に
円生の死後、名跡は夫人の意向などで誰にも継がせない「止め名」とされていた。ところが、円生の筆頭弟子で、昨年10月に亡くなった五代目三遊亭円楽さんらの指名で、筆頭弟子、鳳楽さん(63)が七代目襲名に昨年秋、名乗りを上げた。
これに異議を唱えたのが先代円楽さんの弟弟子の三遊亭円丈さん(65)。「直弟子が継ぐのが筋」などと反発。今年3月には東京・浅草で2人による「円生争奪杯」と銘打った落語会をしゃれで開催。それぞれが円生のおはこで勝負して話題を呼んだ。
◇協会側は静観
さらに5月に入って、円丈さんの兄弟子で、先代円楽さんの弟弟子、三遊亭円窓さん(69)が、5月17日の落語協会(鈴々舎馬風会長)の理事会で、「遺族から襲名を促された」と意欲を見せた。協会側は「一門と遺族で解決してほしい」と静観の構えだ。
事態が複雑なのは、円生一門のこれまでの事情も背景にある。
六代目円生は78年、真打ち大量昇進を打ち出した落語協会に反発し、弟子とともに脱会。落語三遊協会を創設したが、その結果、寄席に出られなくなった。ところが翌79年に円生が急逝すると、円楽一門を除く弟子は落語協会に復帰。そのため同じ円生一門でも、円窓さん、円丈さんは協会復帰組、鳳楽さんは円楽一門と所属が分かれている。
さらに、世襲が一般的な歌舞伎とは異なり、落語界には襲名の明確な規則はないという。一般的に故人の場合は、遺族の意見が重要視され、襲名話は遺族と所属協会、寄席の席亭(責任者)らがそろって推薦することで具体化する。
東西落語界を見ても、大名跡の襲名ケースはさまざまだ。当代の円楽さんのように師匠が生前に指名したり、林家三平さんや桂春蝶さんのように二世の場合は、すんなりと決まりやすい。
一方、上方落語界の大名跡「笑福亭松鶴」のように、六代目松鶴(1918~1986年)の死後、筆頭弟子の仁鶴さんの襲名辞退などで「凍結」されている例もある。
迷走する今回の襲名問題。鳳楽さん側は「周りががたがたやっているだけ。しゃべることはありません」。一方、円丈さんは「円生がどう考えるかという視点が抜けている。フェアな形で選ばれなければ」と現状に疑問を呈する。
◇「しこり残る」
関係者によると、事実上は鳳楽さんと円窓さんの2人の争いとの見方が大勢。演芸コラムニストの渡辺寧久さんは「名前は落語界の共通の財産。家の名前のように止め名にしたことからボタンの掛け違いが起きた。誰が襲名してもしこりが残るのでは」と憂慮する。
抜けている重要なこととは、圓生没後、止め名にする時に先代圓楽が弟子代表として止め名に同意する署名を行っていることだ。
弟子代表として止め名に署名しておいて、その時の関係者(遺族の場合はその継承者)の了解なしに、弟子に圓生の名跡を継げという先代圓楽の理屈が腑に落ちない。なので近々、圓丈の『御乱心』を読む予定にしている。
先代圓生については豊富な音源が残り、また映像も残っている。『落語くらぶ』の圓生特集では、多くの現役落語家がお手本にしているほどで、自分もまた落語入門者として多くの演目に触れさせていただいている。
先代圓生の実績を継ぐにふさわしい人になって欲しい、と願っている。前回もそう書いた。
落語好きという立場には、聴きたくないものは木戸銭払ってまで聴きには行かないという消極的な選択肢しかないからねぇ……(苦笑)。
☆★☆★
25日23時過ぎ、追記。朝日新聞にも記事がでました。
円生襲名、三つどもえの争いに 弟子の円窓も名乗り
昭和の落語の名人、六代目三遊亭円生(えんしょう)の襲名を巡って、弟子の三遊亭円丈(えんじょう)(65)と孫弟子の三遊亭鳳楽(ほうらく)(63)が名乗りを上げている問題で、弟子の三遊亭円窓(えんそう)(69)が後継争いに加わった。円生の遺族の一部から襲名を促され、関係者の間での調整を続けているといい、17日に開かれた落語協会の理事会にも出席して経緯を報告。「調整が済んだらきちんとお話しする」としている。
襲名を巡っては円生の筆頭弟子だった故・五代目円楽が自らの筆頭弟子の鳳楽を七代目円生に指名。これに対して円生の直弟子の円丈も名乗りを上げて、3月には2人で「円生争奪杯」の落語会を開くなどしたが、結論は出ていない。円丈の兄弟子にあたる円窓は当初、鳳楽の襲名には反対していたが自らは立候補せず、争奪落語会にも参加しなかった。
円生への入門は円楽、円窓、円丈の順。だが円窓はもとは春風亭柳枝の門下で、円生一門に移ってきた経緯がある。
うーん、この記事も「止め名」の経緯に触れてないなぁ(嘆息)。
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