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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 クリスマスイブにこんなエッセイが読めるなんて、眼福です♪

【幕末から学ぶ現在(いま)】(42)東大教授・山内昌之 土方歳三
■男の成熟と満足

 幕末の新選組の隊員でいちばん人気があるのは誰だろうか。少なくとも、近藤勇や沖田総司と並んで土方歳三は、3本の指に入るはずである。土方の魅力は、年輪を重ねるとともに人生の経験にも深みを増していったことだろう。

 ◆剣術使いから指揮官に

 武蔵多摩郡(現在の日野市)に生まれた豪農の家で売薬商人をしながら、京都で国事に奔走して新選組副長になり、最後は蝦夷(えぞ)地政府の陸軍奉行並に出世して戦死してしまった。おそらく土方を好きな人は、剣に生きた新選組のなかでも江戸、京都、奥州、箱館(はこだて)と各地を転戦して、一介の剣術使いから優秀な指揮官や政治家に成長していくあたりにロマンを感じるのであろう。若い政治家や官僚なら、自らの成熟の証しを土方の軌跡と重ねるかもしれない。

 しかし、京都時代の土方には、どうも陰惨なイメージがつきまとう。副長として局中法度(きょくちゅうはっと)に忠実のあまり隊の粛清をはかりすぎ、同志たちを切腹させたあたりは組織中核としての義務感とはいえ、やりきれない気分がする。

 また、元治元(1864)年の池田屋事件の発端となったのは、枡屋喜右衛門こと古高(ふるたか)俊太郎の自白を引き出したからだった。土方の牢問(ろうもん)(拷問)の手口は陰惨そのものである。

 ◆交友通じ武士の自覚

 しかし、年を重ねるほどに、土方は成熟した幕府軍事官僚としての風格を見せるようになった。一つは交友関係であろう。会津藩の預かりから出発した団体の幹部として、その公用方との折衝や、砲術家・林権助(ごんすけ)のように古武士然とした会津侍との交友は、土方にも武士とは何かという自覚をもたせた可能性が高い。

 箱館に移った頃(ころ)には、温和で慈愛に満ちた人物として部下にも敬愛されたという証言も残っている。死に場所と定めた地で期するものがあったのだろう。

 もっとも、土方の政治性は最初からかなりのものだった。池田屋事件の際も、最初出かけた四国屋には誰もおらず、すぐに池田屋に向かった。その周りを固めて、後から駆けつけた会津藩や桑名藩の兵を池田屋に入れず、新選組の手柄を他人に譲らなかった。

 まるで戦国時代の一番槍のような気概で、新選組の印象を満天下に植え付けたのは、土方の機転であった。分党した伊東甲子太郎(かしたろう)の御陵衛士を陰謀によって壊滅させたのも土方の知恵であった。

 王政復古に続く鳥羽・伏見の戦いに敗れて、江戸に戻った土方らは、甲陽鎮撫(こうようちんぶ)隊と名乗って甲州の制圧に向かったが、失敗、やがて近藤勇は流山で新政府軍に出頭し、土方と袂(たもと)を分かったが、その地で処刑された。

 土方は、宇都宮、会津、仙台と転戦したが、まもなく榎本武揚(たけあき)の幕府海軍に合流して蝦夷地に渡ったのである。土方が鮮明に人びとの記憶に残るのは、五稜郭や福山(松前)城を陥落させた手並みが鮮やかだったからだ。

 ◆「選挙で要職」は本懐

 また、入(い)れ札(ふだ)(選挙)で陸軍奉行並となり、箱館市中取締や陸海軍裁判局頭取も兼ねたのは、政治家・土方として本懐を遂げたというべきだろう。新政府軍の甲鉄艦を奪取しようとした宮古湾海戦にも参加したことは、土方伝説を後世強める一因になった。

 土方人気をつくったのは、壮絶な最期にもまして、洋装軍服に長靴のいで立ちで懐中時計の鎖をしのばせた写真のせいでもあろう。髪をオールバックに撫(な)で付け、微(かす)かに笑みを浮かべる姿は、近づいた死を予感する表情にもなっている。

 もともと色白で彫りの深い顔立ちの土方は、京都でも芸妓(げいぎ)や舞妓(まいこ)らからもてたらしい。土方は俳句などもたしなみ意外と洒落(しゃれ)っ気もあった。

 私事ながら、昨年夏に急死した荊妻(けいさい)と死の3日前に、旅行中の五稜郭の土方像前で最後の写真をとったことを鮮明に思い出す。土方の辞世は、「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ」とも、「たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらん」ともいわれる。

 今では別の感慨をもって、耳朶(じだ)に響くのが悲しくも切ないところである。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】土方歳三

 ひじかた・としぞう 天保6(1835)年生まれ。武蔵多摩郡の農家出身。近藤勇らとともに天然理心流の剣術を学ぶ。文久3(1863)年、将軍徳川家茂の上洛警護に参加。京都での新選組結成に加わり、副長として池田屋事件などで功績をあげる。慶応3年には幕臣に取り立てられる。明治元(1868)年の鳥羽・伏見の戦いでは、近藤勇に代わって隊を指揮するも敗れ、各地を転戦。翌2年5月11日、五稜郭で戦死。35歳だった。


 いつもは時事ネタを皮肉っぽく絡ませるエッセイですが……五稜郭タワーの土方さん像の前で奥様の写真撮影されたのが亡くなる三日前だったとは。奥様のご冥福を心よりお祈り申し上げます(合掌)。





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