新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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出張先の北京から書いています。飛行機の中で『われ徒死せず 明治を生きた大鳥圭介』福本龍(国書刊行会)を半分読みました。著者は大鳥圭介の妹の曾孫だそうです。
いくつか目につくエピソードがありましたので、ご紹介します。
1. 話題の身長について
本文に「のちに五尺の小男でありながら全身これ肝、と言われた」とあります。五尺というと、当時の男性としては小柄ですよね。
この言葉が出てくるエピソードは、備前の閑谷学校にて学んでいた時に、近所の椿山(椿谷ともいうらしい)という、池田光政公の遺品が納められた御廟所に、よく夜中に肝試しに行った(!)というものです。
2. 按摩がうまかったらしい(笑)
緒方洪庵先生の日記に「午前不快平臥、大鳥圭介に按摩たのむ。夜浴場」とあるそうです。
3. 「尼崎にすぎたるものは」
出身は播州ですが尼崎藩の飛び地だったそうで、適塾を出た後、最初に尼崎藩に仕官。しかし、小藩だったために、大鳥さんを使いこなせる人材がいなかったそうで(^_^;。
それで徳島藩にトレードされたそうですが、この本によると「後年まで、『尼崎に過ぎたるものは、馬術と沓脱石(鉄砲洲屋敷にあった)と大鳥圭介の三つ』」と語り継がれたとか。
たまたま尼崎市民なのですが、そんな話があったとはなぁ……。
4. 五稜郭で「一番やかましかった」らしい(爆)
五稜郭で給仕として働いた伊藤伝右衛門の証言では「一番八釜《やかま》しいのも元気なのも大鳥さんだった」。
期待通りの証言ですね(笑)。小柄ということは、声は少し甲高いのかな……で、播州弁でまくしたてるのを、想像してしまったりしたら、だいぶイメージが違うのですが(汗)。
大鳥さん、戦局が厳しくなって伝右衛門さんに五稜郭を離れるよう通行手形を用意してくれたそうですが、伝右衛門さんは最後まで五稜郭に居残ったという話です。
5. 獄中でサナダムシを抱えていた
例の、自分で建てた獄中にいた時の話だそうですが。
ここからが真骨頂。ザクロの根の皮が効くというので取り寄せて何度か飲んでみたけど全然効かない。後で聞くと、ザクロの根の皮を飲む時は「一昼夜ぐらいは絶食しなければいけない、とのことであった。それも身体に悪いし、条虫は特別の大害も無いのでそのままほうっておいた」(爆)。
……一昼夜絶食することとサナダムシと共生することのどちらを選ぶかって時に、サナダムシを選ぶんですか(汗)。「そのままほうっておいた」って、いつまでですか(滝汗)。
6. 欧米視察中のメモ
晴れて釈放された後に政府の仕事でアメリカとヨーロッパを視察。その時のメモ。
「Nothing is so easy as the discovery of yesterday!
Nothing is so difficult as the discovery of tomorrow.」
試訳してみました。「昨日(過去)を発見するほど容易きことなく、明日(未来)を発見するほど難きことなし」……日本の工業化を試行錯誤でしなければならない難しさを述べているようです。
7. ラグーザ作大鳥圭介像
その後、教育界に転じた大鳥圭介は工部大学校と工部美術学校の設立に関わります。日本に初めて西洋の彫刻をもたらしたラグーザは、大鳥圭介が48-9才の時の上半身像をつくっています。
で、その像について評した評論家(?)の一文に「禿げ上がりたる広き額と大きなる目、横に伸びたる髭は座者の特徴をよく示し、細部の技巧にも苦心の跡がうかがわれる」とあります。
髪が薄かったのは既に取り上げておりましたが、目が大きかったんですか。
……いよいよ爆笑問題・田中説が有力になりますかね(苦笑)。
今日は、とりあえず、ここまで。また面白いエピソードがあれば、近々ご紹介します。
いくつか目につくエピソードがありましたので、ご紹介します。
1. 話題の身長について
本文に「のちに五尺の小男でありながら全身これ肝、と言われた」とあります。五尺というと、当時の男性としては小柄ですよね。
この言葉が出てくるエピソードは、備前の閑谷学校にて学んでいた時に、近所の椿山(椿谷ともいうらしい)という、池田光政公の遺品が納められた御廟所に、よく夜中に肝試しに行った(!)というものです。
2. 按摩がうまかったらしい(笑)
緒方洪庵先生の日記に「午前不快平臥、大鳥圭介に按摩たのむ。夜浴場」とあるそうです。
3. 「尼崎にすぎたるものは」
出身は播州ですが尼崎藩の飛び地だったそうで、適塾を出た後、最初に尼崎藩に仕官。しかし、小藩だったために、大鳥さんを使いこなせる人材がいなかったそうで(^_^;。
それで徳島藩にトレードされたそうですが、この本によると「後年まで、『尼崎に過ぎたるものは、馬術と沓脱石(鉄砲洲屋敷にあった)と大鳥圭介の三つ』」と語り継がれたとか。
たまたま尼崎市民なのですが、そんな話があったとはなぁ……。
4. 五稜郭で「一番やかましかった」らしい(爆)
五稜郭で給仕として働いた伊藤伝右衛門の証言では「一番八釜《やかま》しいのも元気なのも大鳥さんだった」。
期待通りの証言ですね(笑)。小柄ということは、声は少し甲高いのかな……で、播州弁でまくしたてるのを、想像してしまったりしたら、だいぶイメージが違うのですが(汗)。
大鳥さん、戦局が厳しくなって伝右衛門さんに五稜郭を離れるよう通行手形を用意してくれたそうですが、伝右衛門さんは最後まで五稜郭に居残ったという話です。
5. 獄中でサナダムシを抱えていた
例の、自分で建てた獄中にいた時の話だそうですが。
ここからが真骨頂。ザクロの根の皮が効くというので取り寄せて何度か飲んでみたけど全然効かない。後で聞くと、ザクロの根の皮を飲む時は「一昼夜ぐらいは絶食しなければいけない、とのことであった。それも身体に悪いし、条虫は特別の大害も無いのでそのままほうっておいた」(爆)。
……一昼夜絶食することとサナダムシと共生することのどちらを選ぶかって時に、サナダムシを選ぶんですか(汗)。「そのままほうっておいた」って、いつまでですか(滝汗)。
6. 欧米視察中のメモ
晴れて釈放された後に政府の仕事でアメリカとヨーロッパを視察。その時のメモ。
「Nothing is so easy as the discovery of yesterday!
Nothing is so difficult as the discovery of tomorrow.」
試訳してみました。「昨日(過去)を発見するほど容易きことなく、明日(未来)を発見するほど難きことなし」……日本の工業化を試行錯誤でしなければならない難しさを述べているようです。
7. ラグーザ作大鳥圭介像
その後、教育界に転じた大鳥圭介は工部大学校と工部美術学校の設立に関わります。日本に初めて西洋の彫刻をもたらしたラグーザは、大鳥圭介が48-9才の時の上半身像をつくっています。
で、その像について評した評論家(?)の一文に「禿げ上がりたる広き額と大きなる目、横に伸びたる髭は座者の特徴をよく示し、細部の技巧にも苦心の跡がうかがわれる」とあります。
髪が薄かったのは既に取り上げておりましたが、目が大きかったんですか。
……いよいよ爆笑問題・田中説が有力になりますかね(苦笑)。
今日は、とりあえず、ここまで。また面白いエピソードがあれば、近々ご紹介します。
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