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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 つい、カテゴリに「大鳥圭介 史実」を新設して、3件の大鳥圭介ネタ記事を分類し直してしまった。



 勢いで、余りの値段の高さに購入を渋っていた復刊『大鳥圭介伝』の購入ボタンを、ついに、ぽちっと押してもーた……たぶん、一冊の本に払った値段としては段トツ一位になるだろう……。



 なぜに、つい、勢いで。



 ……「これって、恋でしょうか?」(汗)。



 いや、ネタ探しの旅がまだ終わらないだけ、と、思っておきたい。今は、もちっと知りたいのよ、このオモロイ人物について。



 ……散財してしまいましたがorz。



 このブログを訪問される、史実の大鳥圭介ネタを楽しみにしておられる方々と楽しみを共有するためなら、値段の高さにドン引きしていた本の購入ボタンをポチッと押すぐらいにのこと……。



 ……とほほほほ、やっぱし好きなんかなー(苦笑)。
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 『われ徒死せず 明治を生きた大鳥圭介』福本龍(国書刊行会)からの、大鳥圭介に関するエピソードの続きです。



・学習院長退任の理由?

 大鳥さんは明治19年(1886)4月から第三代学習院長になりますが、明治21年(1888)年7月に突然退任。

 退任の背景には、校舎が火事で焼けて後に再建が進まなかったことや、教育方針を巡って宮内庁と対立したと噂されていることなど、いろいろあるようですが、『平民新聞』が紹介した噂が、なかなか。

「紅葉館にて大鳥は侍従武官片岡某と口論し果ては格闘して殴打せしかば……」

 「口論し果ては格闘して殴打」って、この時の大鳥さんはもう56歳なんだがな、ひ〜っ(笑)。いい歳こいて血の気が多いというか、よほど鬱積していたと見るか。

 土方さんがこの場面をあの世から見ていたら、笑い転げていたのではないでしょうか。「大鳥さん、あんた、いい歳こいて何ムキになってんだよ」とか何とか、自分のことは棚に上げて汗



・津田梅子に冷や汗をかかせた(笑)英語通

 明治20年に当時の学習院長だった大鳥圭介は華族女学校の校長も兼任。その頃、アメリカ留学から帰国した津田梅子が英語教授補として赴任。その当時の手紙。

「先日は皇后陛下が私の教えているクラスを御視察に見えましたが、学生たちは全然答えられず、私はどうしていいかわかりませんでした。その時は新しい校長(大鳥圭介)も同行されており、生徒たちの出来の悪いのを校長に見られ、たいへん恥ずかしい思いをいたしました。校長は英語を完全に理解なさるので、お気づきになったと思いますから。校長は私が教えているほかのクラスも視察に見えました。視察されているというのはいわばテストをされているようなもので、たいへん緊張し、胸がどきどきいたします」

 上記のように突然退任した大鳥圭介について、以下のようにも手紙に書いているそう。

「大鳥将軍が辞められたことはたいへん残念です。彼は経験豊かで、たいへん有能な経営者でした。万事に指導力を発揮し、万事に配慮する方でした」

 大鳥さんへの白牡丹の個人的な見方ですが、彼は技術者として、教育者として、経営者としては有能だったんだろうなと思います。一番向いてなかったのが軍人ってところで(汗)。



 その後、清国特命大使となった大鳥さんは得意の漢詩を駆使して外交を展開、李鴻章をして「各国の公使は箋(手紙)でお祝を述べてきたが、君、大鳥公使ただ独り詩を以て祝いとした」との手紙を書かれるほど親交を結んだりしますが、時の日本政府と朝鮮半島に対する政策で意見が合わず、平和的解決を望んだ大鳥さんの気持ちとは逆に日本政府は朝鮮を事実上占領し日清戦争を引き起こす。

 明治27年に大鳥は朝鮮公使を解任され、帰国……この後の東アジアの歴史は、おそらく大鳥さんにとって不本意であったろうと白牡丹は推測。



・国府津の晩年

 明治44年、明治はあと残り1年というところまで大鳥は生きた。晩年を国府津の別荘で過ごし、永眠した時は79才と3ヶ月だった。 大鳥の死を悼んだ大阪朝日新聞「天声人語」より一部を抜粋。

「戊辰の際翁が榎本釜次郎と共に薩長の官軍に抗して奥州から北海道に奮戦したのは歴史上隠れもない勇ましい事績である。其の時分翁は常に猩々緋の陣羽織を着し官賊両軍の撃ち合っている中を馬で駆抜けるが癖であった、其の陣羽織の弾痕を見て舌を巻かぬ者はない、小男の大鳥満身是れ胆との評判であった。国府津の海嘯の時全壊れの別荘の下からノコノコ這い出して来たのも此の胆力の仕業であろう、27年には京城でも少し勇気を見せたが、若い時ならアンな事はお茶の子だ」

 海嘯(かいしょう)とは地震による津波のこと。

 「ノコノコ這い出して来た」ってところが、いかにも大鳥さんっぽくていいですね(笑)。

 榎本武揚ら旧幕臣も、勝海舟も、黒田清隆も、福沢諭吉も、伊東博文も、大鳥より先に死んだ。大鳥さんには失礼ながら、大事な時にババを引いてしまうような人生(爆)だった気もしないではないものの、悲壮なこととか悲惨なことを感じさせない大鳥さん、白牡丹は好きです……えーと、土方さんが一番なんですが(^^ゞ。
 出張先の北京から書いています。飛行機の中で『われ徒死せず 明治を生きた大鳥圭介』福本龍(国書刊行会)を半分読みました。著者は大鳥圭介の妹の曾孫だそうです。



 いくつか目につくエピソードがありましたので、ご紹介します。



1. 話題の身長について

 本文に「のちに五尺の小男でありながら全身これ肝、と言われた」とあります。五尺というと、当時の男性としては小柄ですよね。

 この言葉が出てくるエピソードは、備前の閑谷学校にて学んでいた時に、近所の椿山(椿谷ともいうらしい)という、池田光政公の遺品が納められた御廟所に、よく夜中に肝試しに行った(!)というものです。



2. 按摩がうまかったらしい(笑)

 緒方洪庵先生の日記に「午前不快平臥、大鳥圭介に按摩たのむ。夜浴場」とあるそうです。



3. 「尼崎にすぎたるものは」

 出身は播州ですが尼崎藩の飛び地だったそうで、適塾を出た後、最初に尼崎藩に仕官。しかし、小藩だったために、大鳥さんを使いこなせる人材がいなかったそうで(^_^;。

 それで徳島藩にトレードされたそうですが、この本によると「後年まで、『尼崎に過ぎたるものは、馬術と沓脱石(鉄砲洲屋敷にあった)と大鳥圭介の三つ』」と語り継がれたとか。

 たまたま尼崎市民なのですが、そんな話があったとはなぁ……。



4. 五稜郭で「一番やかましかった」らしい(爆)

 五稜郭で給仕として働いた伊藤伝右衛門の証言では「一番八釜《やかま》しいのも元気なのも大鳥さんだった」。

 期待通りの証言ですね(笑)。小柄ということは、声は少し甲高いのかな……で、播州弁でまくしたてるのを、想像してしまったりしたら、だいぶイメージが違うのですが(汗)。

 大鳥さん、戦局が厳しくなって伝右衛門さんに五稜郭を離れるよう通行手形を用意してくれたそうですが、伝右衛門さんは最後まで五稜郭に居残ったという話です。



5. 獄中でサナダムシを抱えていた

 例の、自分で建てた獄中にいた時の話だそうですが。

 ここからが真骨頂。ザクロの根の皮が効くというので取り寄せて何度か飲んでみたけど全然効かない。後で聞くと、ザクロの根の皮を飲む時は「一昼夜ぐらいは絶食しなければいけない、とのことであった。それも身体に悪いし、条虫は特別の大害も無いのでそのままほうっておいた」(爆)。

 ……一昼夜絶食することとサナダムシと共生することのどちらを選ぶかって時に、サナダムシを選ぶんですか(汗)。「そのままほうっておいた」って、いつまでですか(滝汗)。



6. 欧米視察中のメモ

 晴れて釈放された後に政府の仕事でアメリカとヨーロッパを視察。その時のメモ。

「Nothing is so easy as the discovery of yesterday!

Nothing is so difficult as the discovery of tomorrow.」

 試訳してみました。「昨日(過去)を発見するほど容易きことなく、明日(未来)を発見するほど難きことなし」……日本の工業化を試行錯誤でしなければならない難しさを述べているようです。



7. ラグーザ作大鳥圭介像

 その後、教育界に転じた大鳥圭介は工部大学校と工部美術学校の設立に関わります。日本に初めて西洋の彫刻をもたらしたラグーザは、大鳥圭介が48-9才の時の上半身像をつくっています。

 で、その像について評した評論家(?)の一文に「禿げ上がりたる広き額と大きなる目、横に伸びたる髭は座者の特徴をよく示し、細部の技巧にも苦心の跡がうかがわれる」とあります。

 髪が薄かったのは既に取り上げておりましたが、目が大きかったんですか。

 ……いよいよ爆笑問題・田中説が有力になりますかね(苦笑)。



 今日は、とりあえず、ここまで。また面白いエピソードがあれば、近々ご紹介します。
 Vegaさんのブログ「東京エゴイスト」が大鳥圭介祭りになっている(笑)ので、とても嬉しい。



大鳥圭介に驚愕の事実!(爆)

 今井信郎の大鳥さんの体躯に関わる衝撃的な証言も面白かったけど、さらに将棋では往生際の悪すぎる(汗)大鳥さんの話がもっと面白い。そして、将棋盤を挟んでの土方さんと大鳥さんの攻防(想像図)に爆笑すること間違いなし。

 コメント欄にも史実好きの皆様が集まって賑やかなこと。



 出遅れてしまったので、白牡丹からは新たなネタを提供したい。



 北大のサイトに、明治5年の大鳥圭介の全身が写っている写真を発見しました! しかも、集合写真なので、大鳥さんが南京カボチャ並みだったかどうかを推測できるかも知れません。



 許可なく直リンするのはまずいかも知れないので、Googleで「大鳥圭介 留学生」入れて検索をかけてください。検索トップに件の写真画像(拡大版)に飛べるページが出てきます。



 獄中生活を経験されたためか、頭髪がやや寂しくなっています……(あ、禁句だったかも^_^;)。隣に座っている留学生の少年たちに比べれば流石に大きく見えるのですが、背後に立っている青年達と比べると、少し小柄かも?



 Vegaさんのご感想をぜひ伺いたいと思ってます(笑)。
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