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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 こんばんは、白牡丹です。幕末歴史ブログから落語鑑賞ブログに変質しかけているので、久しぶりに幕末ニュースねたを掘ってみます。だいぶさぼったので、最後の幕末ニュースから収集しそこねたものがあるかも知れませんが、その点はご容赦ください。

北海道
箱館奉行所開館1年 幕末ブームで33万人
 【函館】函館市が国特別史跡・五稜郭内に復元した箱館奉行所が29日、開館1年を迎える。幕末19 件ブームの追い風もあり、28日までに初年度目標(15万人弱)の2倍を超える33万1368人が入館した。

 箱館奉行所は1864年(元治元年)に幕府が北方警護のため建設。68年(明治元年)には旧幕府脱走軍が占拠して箱館戦争の舞台になり、71年(同4年)、明治政府により解体された。

 昨年7月、市が27億円をかけて139年ぶりに史実に基づき復元した。

 3月の東日本大震災の直後には団体客のキャンセルが相次ぎ、客足が伸び悩む時期もあったが、ゴールデンウイーク期間中の5月3日には、1日で最高の4658人の入場者を記録した。


福島
「白河口の戦い展」 白河・楽蔵で30日〜
 白河市中町の集客施設「楽蔵(らくら)」内の白河見聞館で30日から企画展「戊辰戦争白河口の戦い展」が始まる。
 歴史愛好家でつくる戊辰東北戦争研究会が企画した。
 慶応4(1868)年に約百日間にわたり白河で繰り広げられ、死者約千人を出した激戦がテーマ。
 歴史的な流れを解説、実際の戦いで用いられた砲弾や参戦した新撰組隊士が使ったとされる防具の鉢金、手甲を展示する。
 会津藩主松平容保の直筆の和歌も並ぶ。
 時間は午前9時から午後5時まで。


少年隊慰霊「顕彰祭」で剣舞披露 二本松
戊辰戦争で散った二本松少年隊を慰霊する「二本松少年隊顕彰祭」は28日、二本松市の二本松北小で行われた。
二本松城が落城した1868(慶応4)年7月29日にちなみ毎年この時期に催しているが、放射線量を考慮し、学校内体育館を会場にした。
県内外から約300人が詰め掛けた。
二本松少年隊顕彰会長の三保恵一市長が「少年隊の精神は二本松の誇り」、旧二本松藩主の丹羽家18代当主丹羽長聡氏が「被災を乗り越えることが少年隊の弔いになる」とあいさつした。
福島岳風会二本松吟詠会が「戒石銘」「二本松少年隊を弔う」を吟じた。
二本松北小剣舞クラブの21人は縦じまのはかまに紫色のたすきを掛け、男舞といわれる剣舞「二本松少年隊」を舞った。
岳下小居合道部の12人は居合を披露した。
二本松南小は舞踊部の23人が登場。
紫色のはかまに金銀地の扇子を使う鮮やかな女舞「二本松少年隊」を踊った。
最後に二本松剣友会が日本剣道形を披露した。

京都
京都新選組同好会、祇園祭でパレード
 全国の新選組愛好家たちでつくる京都新選組同好会(本部・京都市中京区)は16日、だんだら模様の羽織に高げたをはいた隊士姿になって祇園祭でにぎわう京都市中心部などを練り歩き、沿道の人たちを楽しませた。

 元治元(1864)年、祇園祭の宵々山から宵山にかけて倒幕派の集まる旅館に新選組が討ち入った「池田屋騒動」にちなみ、毎年行っている。

 36回目の今回は35人が参加。同市中京区の壬生寺で隊士の墓を参った後、「誠」の旗を掲げて東山区の八坂神社までの約3・5キロをパレードし、隊士たちのかつての雄姿をしのんだ。

 また、東日本大震災を受け、今回参加できなかった福島県会津若松市の愛好家たちの思いも込め、同神社では復興を祈願する口上が述べられた。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】
(124)東大教授・山内昌之 井上勝
人命最優先の「鉄道の父」

維新から積み上げた技術

 中国高速鉄道の事故のすさまじさにも驚くが、もっと声を失ったのは、生存者の確認や救出もそこそこに、営業を事故翌々日に再開した手早い措置であろう。

 事故原因の特定や、犠牲者の総数など、利用者を安心させる措置を何ひとつ取っていない点も、日本人の常識では考えられないことだらけだ。なかでも、高架から無残にぶらさがっている車両をこともなげに下に突き落とす乱暴な手法や、破壊された車両を重機で穴のなかに埋め込む作業は、どうみても事故原因の真相を突き止めようとする姿勢から遠いものだ。

 しかも、スポークスマンの言い草がふるっている。下が泥土のために救助作業を促進できないので、車両を穴に埋めてその上に土をまき、足場を固めてから救出するために車両を破壊して埋めたというのだ。

 世界最速を自慢する国らしく事故処理も超特急であるが、事故原因の特定や現場検証のやり方のお粗末さはたとえようもなく恥ずかしい。

 そもそも新幹線や高速鉄道の技術などは一朝一夕に出来上がるはずもない。日本の場合も、明治の新時代から長い年月をかけて積み上げてきた高いテクノロジーがあって初めて成り立ったのだ。

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 日本の鉄道を考えるとき、すぐ脳裏に浮かぶのは、伊藤博文や井上馨(かおる)とともにイギリスに密航した「長州ファイブ」の一人、井上勝である。

 長州藩士の三男に生まれた井上勝は、文久3(1863)年に脱藩して渡英し、明治元(1868)年までロンドンに留学した。そのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で鉱山・鉄道・土木を学んでいる。帰国してから1年後に造幣頭(ぞうへいのかみ)を兼ねて鉱山正(こうざんのかみ)となり、すぐ鉄道建設にとりかかった。

 以後の井上の足跡は、そのまま日本の鉄道の道のりと重なるといってよい。明治7年に鉄道頭(てつどうのかみ)に再任された勝は、自ら大阪に出張して阪神間と京阪間の鉄道敷設工事にあたった。その後も工部少輔や鉄道局長、技監や工部大輔と累進し、鉄道建設の意味を旧友の伊藤博文や井上馨に訴え続け、人や技術面での外国への依存から脱却すべきことを説いた。

 このように、明治の日本でも外国の技術力から離れるには10年以上を閲(けみ)している。こうした慎重な動きを考えると、今回の中国の純国産なる高速鉄道技術の危うさが、ますます見えてくるというものだ。

 井上勝は、明治16年に中山道経由と決定した東京-京都間の鉄道路線を東海道に変更させた。内閣直属となった鉄道局長官として、旧友伊藤を説いての結果である。さらに東京-神戸の全線開通も、先頭に立って工事を督励した勝の功績にほかならない。鉄道事業が内務省なり逓信(ていしん)省なりに移っても、鉄道庁や鉄道局の長官としていつも井上の姿があった。鉄道事業における彼の後継者は、原敬(はらたかし)と後藤新平にほかならない。

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 勝は、熱心な鉄道国有化論者であり、早くも鉄道局長時代の明治14年には、民営鉄道の利益優先主義が日本の鉄道発展の利益にならないと論じた。また、24年の「鉄道政略に関する議」は、幹線鉄道の国有化を主張し、やがて鉄道敷設法や鉄道国有法を生むことになった。

 鉄道敷設法をめぐっては、民営鉄道こそが鉄道の発展を促すという考えも根強く、鉄道各社の株主だった議員たちが法案の成立に抵抗した結果、同法は民営鉄道促進の余地を広げるために修正され、怒った井上は26年に鉄道庁長官を辞職する。

 ともかく風貌から「井上おさる」と渾名(あだな)された勝は、同僚に親しまれただけでなく、民営化論者から蛇蝎(だかつ)のように憎まれたが、「おさる」の鉄道への情熱は誰もが認めるところであった。晩年は機関車の国産化に意を傾け、鉄道院(後の国鉄)顧問として渡欧し、青春の思い出の地ロンドンで客死した。

 

鉄道に生涯を賭ける

 最初から最後まで鉄道一筋の人生だった井上勝からすれば、今回の中国の事故処理は言語道断であろう。いくら鉄道事業に熱意を燃やしたといっても、彼には人命を軽視する発想など微塵(みじん)もなかった。ナショナリズムの熱に浮かれた青春を清算しながら鉄道事業に生涯を賭けた井上勝の延長線上に、人命と安全を重視する現在のわが鉄道技術があることを日本人は誇りに思うべきだろう。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】井上勝

 いのうえ・まさる 天保14(1843)年、長州藩士の三男として生まれる。文久3(1863)年に脱藩し、英国に留学。鉄道・鉱山技術を学び、明治元(1868)年に帰国した。新政府の下で鉄道頭、鉄道庁長官などを歴任し、5年の日本初路線(新橋-横浜)開業など鉄道事業の発展に力を尽くした。43(1910)年、死去。

【幕末から学ぶ現在(いま)】
(123)東大教授・山内昌之 大山捨松

 幕末明治で一二を争う美人ではないかと思う、捨松さん。
元祖・なでしこジャパン

 7月18日の朝はいつもより早く起きた人も多かったのではないか。私も、サッカーの女子ワールドカップ(W杯)の日本代表「なでしこジャパン」とアメリカとの決勝戦を観(み)た1人である。

 19日の帰国早々、初優勝を果たしたなでしこの面々は、首相官邸を訪れた。菅直人氏が祝福したのは当然としても、沢穂希(ほまれ)キャプテンに向かって「今から間に合うか分からないが勉強したい」と、彼女のリーダーシップに学びたいという趣旨の発言をしたのには驚いた。

 もちろん、彼女の素晴らしい人柄と率先垂範の高い統率力は誰の目にも明らかである。しかし一国の首相がこうも簡単に、これからリーダーシップの秘訣(ひけつ)を学びたいと平然と述べるセンスにも驚くほかない。

 ◆運命を変えた米国留学

 幕末から明治にかけて外国人に大和撫子(なでしこ)の存在感を見せつけた女性といえば、何よりも大山捨松であろう。捨松は、会津藩の家老職の家柄に生まれ、長兄が陸軍少将の山川浩、次兄が東京帝国大学総長となる健次郎である。“賊軍”の身内だった捨松の運命を変えたのは、北海道開拓使がアメリカに派遣した5人の女子留学生に選ばれたことだ。後に津田英学塾(現・津田塾大学)をつくる津田うめ(後の梅子)もそのなかにいた。女子の派遣は、アメリカの西部開拓を男子と一緒に担った女性たちのたくましさに感銘を受けた長官・黒田清隆の卓見によるものだ。

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日本初の女子留学生として米国に渡った大山捨松(国立国会図書館蔵)

 捨松は、コネティカット州の高校を経て、ニューヨーク州のヴァッサー大学に進んだ。会津の籠城戦に加わったサムライの娘は、まさに才色兼備の女性であり、2年になると学年会会長に選ばれるほどの人気者であった。捨松は、大和撫子ここにありとの気概や自覚をもって多くの分野を学んだ。なかでも看護学と慈善事業への関心は生涯のものとなる。

 幼くして渡米した捨松の英語は、ほとんど母語となった代わりに、津田うめも苦しむように日本語の力がかなり落ちてしまった。しかし、帰国後異常な努力で日本の文化と社会に再適応し、薩摩の陸軍軍人、大山巌(いわお)の後添(のちぞ)いに迎えられ、明治の日本で独特な輝きを放つことになった。

 ◆語学堪能な社交界の花形

 条約改正など近代国家としての日本を確立するには、外交や政治でも能力のある女性の存在を必要とした。英語をはじめ西洋語の堪能な捨松は、独仏語を自由に駆使した大山の配偶者として、外国人が集う社交界でも花形となり、夫婦ぐるみの付き合いで信頼を得るに至った。

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日本初の女子留学生として米国に渡った大山捨松(国立国会図書館蔵)

 会津若松城に砲弾を撃ち込んだ薩摩の大山との結婚は、兄の反対もあってすんなりとはいかなかった。しかし、いかにも西洋流なデートを重ねることで、日露戦争で将器を評価される巌の人柄にひかれたのである。輝くばかりの知性と社交力を併せもつ一方、“朝敵”に仕立てあげられた会津武士の娘の誇りを失わなかった大山捨松は、まさに統一国家をつくる新政府高官の妻にふさわしい存在であった。

 捨松は、日本初の本格的なチャリティー・バザーを鹿鳴館で開き、最初の看護婦学校になる有志共立病院看護婦教育所を設立している。彼女には何でも日本初という形容詞がつきまとう。日清・日露の両戦争では、主人の巌が第2軍司令官や参謀総長、満州軍総司令官となり、捨松も妻として寄付金集めや婦人会活動を組織した。自ら日本赤十字社で戦傷者の看護にもあたり、政府高官夫人たちにもボランティアとして包帯を作らせた。

 ◆国際世論に日本の主張

 特筆すべきは積極的にアメリカの新聞に投稿し、日本の主張を堂々と国際世論に訴えたことだ。なにしろ派遣軍の総司令官夫人がアメリカの学士だったのだから、明朗闊達(かったつ)な女性を愛するアメリカ人の気風に合わないはずがない。

 西洋かぶれの巌とアメリカ仕込みの捨松との間には、本物の愛情もさることながら、互いへの尊敬心も潜んでいたに相違ない。

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日本初の女子留学生として米国に渡った大山捨松(国立国会図書館蔵)

 アメリカで少女の時から本物と競い合った捨松には、プロのアメリカ人女性の闘争心にくじけずサッカーへの志を貫いた沢さんとも共通する要素がある。それは凛(りん)とした美しさとでもいうべきものだ。大和撫子という言葉が時空を隔てて「なでしこジャパン」という国際語として蘇(よみがえ)ったことをいちばん喜ぶのは、女性として日本とアメリカとの間に最初の橋を懸けた山川改め大山捨松なのかもしれない。(やまうち まさゆき)



【プロフィル】大山捨松

 おおやま・すてまつ 安政7(1860)年、会津藩家老の娘として生まれる。明治4(1871)年、日本初の女子留学生として津田うめら4人と渡米。名門女子大ヴァッサー大を優秀な成績で卒業し15年帰国。翌年陸軍卿の大山巌と結婚し、鹿鳴館時代の社交界で活躍。社会活動や女子教育の分野でも力を尽くした。大正8(1919)年に死去。





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