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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 函館の幕末関連ニュース追加です。

榎本武揚の銅像 梁川公園に建立
 旧幕府海軍副総裁で、幕末から明治にかけて活躍した榎本武揚の銅像が函館市梁川町の梁川公園に建立され、9日、銅像の除幕式が行われた。市民有志でつくる榎本武揚を顕彰する会(近江政斗代表)が功績を知ってもらおうと建立を市に提案し、許可を受けた。同会などによると、市内の屋外での設置は初めてという。

 銅像の制作者は、富山県高岡市の彫刻家、田畑功さん(57)。蝦夷共和国の総裁だった30代前半の時をモデルに上半身部分を制作した。高さ約70センチ。榎本の俳号「梁川(りょうせん)」にちなんで同公園に設置を決めた。

 除幕式には、顕彰する会のメンバーら約100人が出席。榎本のひ孫の榎本隆充さん(77)や田畑さん、工藤寿樹市長、能登谷公市議会議長らも参列し、完成を祝った。

 冒頭、近江代表が「若者が銅像を見て活力を感じ、夢を抱いて海外に渡り見聞を広めてほしい。函館の観光や地域の一助になれば」とあいさつ。

 次いで像の除幕が行われ、榎本のりりしい顔が現れると、拍手に包まれた。その後、除幕法要に移り、参列者が順番に焼香した。工藤市長は「2年後には五稜郭築城150年を迎え、榎本武揚公に歴史の光が当てられる。このような時期に立派な像が建立されたことはうれしい」と祝辞を述べた。

 隆充さんは「市民や観光客に注目される像になってほしいですね」と話していた。


榎本武揚像 完成祝う 函館・梁川公園で除幕式 新しい歴史の名所に
 函館・五稜郭を拠点に旧幕府軍として箱館戦争を戦った榎本武揚(1836~1908年)の胸像の除幕式が9日、梁川公園で行われ、関係者ら約80人が完成を祝った。

 梁川町が武揚の号「梁川(りょうせん)」から町名をとったことを縁に、函館市民有志でつくる「榎本武揚を顕彰する会」(近江政斗代表)が同公園内に設置した。

 除幕式で近江代表は「若い人が武揚像を見て生きる活力や海外へ出る意欲を感じてくれればうれしい」とあいさつ。来賓として出席した工藤寿樹市長は「市民や観光客に喜んでもらえる歴史の名所になってもらいたい」と話した。

 武揚のひ孫で、開陽丸子孫の会の榎本隆充会長(東京)は「立派な像で感激した。榎本武揚という人物のことを再認識する機会になると思う」と喜んだ。

 胸像は高さ70センチで「蝦夷(えぞ)共和国」の総裁として箱館戦争を戦った33歳当時の姿をかたどっている。(袖山香織)




田本研造の足跡紹介 没後100年写真展
 幕末から明治期にかけて函館で活躍した写真師・田本研造(1832~1912年)の没後100年を記念した写真展「時代ヲ旅スル写真館~150年後の田本アルバム」が18日まで、函館市中央図書館で開かれている。かつて田本が撮影したのと同じ場所から撮影した現代の写真と比べて、田本の足跡をたどっている。

 田本が開設した田本研造写真場五稜郭店を継承し、市内に写真館を構える谷杉アキラさん(44)が企画した。田本は函館で写真を学び、土方歳三や榎本武揚らの肖像写真を数多く撮影したほか、箱館奉行所復元の決め手となった写真を撮影したとされる。

 田本は明治初期に開拓使の依頼で、札幌や室蘭、余市など各地を歩き、屯田兵が北海道を開拓していく様子を撮影した。写真展では谷杉さんが田本の足どりを訪ね、同じ場所から撮影した写真と比較し、150年間の移り変わりを伝えている。谷杉さんは「北海道の記録写真を家族で見て、時間旅行を楽しんでほしい」と来場を呼び掛けている。

 8日午後2時からは同図書館で、写真展にちなんだ谷杉さんの講演会「北海道写真の父・田本研造」が開かれる。


箱館戦争「終戦協議の地」知って 亀田八幡宮に記念碑
 箱館戦争(1868~69年)で、旧幕府軍が降伏する協議を整えたとされる亀田八幡宮(八幡町)に、市民による記念碑が建立され、11日に除幕式が行われた。建立に尽力した市内上湯川町の松山一郎さん(77)は「子供のころの思い出がある亀田八幡宮への恩を返せた」と感無量の表情だった。

 元市職員の松山さんは宮前町で生まれ、同八幡宮を通り、函館八幡小に通った。「亀田八幡宮は人間形成の原風景。報恩を込めて、お返しをしたかった」と記念碑建設を志した。

 松山さんは同小学校などで1年後輩に当たる、南北海道史研究会会員の近江幸雄さんに建立を相談。「箱館戦争降伏式之地」碑とすることを決め、題字は旧幕府軍(榎本軍)の蝦夷島総裁榎本武揚の曾孫・榎本隆充さん(77)が揮ごうした。説明文は近江さんが制作した。

 完成した碑は高さ2メートル、幅90センチで、除幕式には松山さん、榎本さん、近江さんら約15人が出席。同八幡宮の神職が祝詞を奏上し、松山さんらが玉串をささげた。式後には、武揚と新政府軍の陸軍参謀として会談した黒田清隆が、誓約後に冷酒を交わしたことにならい、社務所内に同様の座を設けた。

 松山さんは「“貧者の一灯”を示すことができたのは、皆さんのご支援のおかげ。心から感謝している」、榎本さんは「五稜郭明け渡しの前に、この地で協議があったことを、市民や観光客に知ってもらえる碑となる」と喜んでいた。

 近江さんによると、12月には梁川公園(梁川町)に、軍服姿の榎本像が建立される。近江さんは「箱館戦争の戦跡めぐりに役立ってくれることを願う」と話していた。



箱館戦争「終戦協議の地」 亀田八幡宮に記念碑【函館】
 箱館戦争(1868~69年)で、旧幕府軍が降伏する協議を整えたとされる亀田八幡宮(八幡町)に、市民による記念碑が建立され、11日に除幕式が行われた。建立に尽力した市内上湯川町の松山一郎さん(77)は「子供のころの思い出がある亀田八幡宮への恩を返せた」と感無量の表情だった。

 元市職員の松山さんは宮前町で生まれ、同八幡宮を通り、函館八幡小に通った。「亀田八幡宮は人間形成の原風景。報恩を込めて、お返しをしたかった」と記念碑建設を志した。

 松山さんは同小学校などで1年後輩に当たる、南北海道史研究会会員の近江幸雄さんに建立を相談。「箱館戦争降伏式之地」碑とすることを決め、題字は旧幕府軍(榎本軍)の蝦夷島総裁榎本武揚の曾孫・榎本隆充さん(77)が揮ごうした。説明文は近江さんが制作した。

 完成した碑は高さ2㍍、幅90㌢で、除幕式には松山さん、榎本さん、近江さんら約15人が出席。同八幡宮の神職が祝詞を奏上し、松山さんらが玉串をささげた。式後には、武揚と新政府軍の陸軍参謀として会談した黒田清隆が、誓約後に冷酒を交わしたことにならい、社務所内に同様の座を設けた。

 松山さんは「“貧者の一灯”を示すことができたのは、皆さんのご支援のおかげ。心から感謝している」、榎本さんは「五稜郭明け渡しの前に、この地で協議があったことを、市民や観光客に知ってもらえる碑となる」と喜んでいた。

 近江さんによると、12月には梁川公園(梁川町)に、軍服姿の榎本像が建立される。近江さんは「箱館戦争の戦跡めぐりに役立ってくれることを願う」と話していた。


 先日の三連休で21回目の函館旅行をし、榎本さん銅像と箱館戦争終結の地碑を見てきました。
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