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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
高知
高知県立坂本龍馬記念館が薩長同盟前の桂小五郎の手紙を発見
 江戸幕府による第二次長州征伐が迫る慶応元(1865)年。長州藩の桂小五郎(木戸孝允(たかよし))が、後の薩長同盟につながる薩摩藩・西郷隆盛との会談を待つ様子などを記した手紙が高知県立坂本龍馬記念館(高知市浦戸)の調査で見つかった。薩長同盟に奔走した土佐人の動きが垣間見られる貴重な新史料。高知県立坂本龍馬記念館で11月5日から始まる企画展「再検証・薩長同盟」で初公開される。

 桂小五郎の手紙は3通が1枚の巻物(全長約8メートル)に貼られており、高知県立坂本龍馬記念館が2015年9月に京都の古書店で購入。筆跡と内容から桂の手紙と断定した。


 3通とも未発見の手紙で、1通は昭和初期に書かれた桂の伝記に一部が引用されている。2通が1865年閏(うるう)5月に藩上層部の人物に宛てた手紙、1通が1868年7月の戊辰戦争時に参謀に宛てた手紙だった。

 1865年閏5月は、14代将軍徳川家茂が長州征伐のため江戸を発し、長州下関では中岡慎太郎や坂本龍馬らの仲介で桂小五郎と西郷隆盛の会談が画策されていた時期。

 会談は西郷隆盛が下関を通り過ぎて京都に向かい実現しなかったが、翌1866年1月に坂本龍馬の立ち会いで桂と西郷らが会談して薩長同盟が結ばれたとされる。

 2通の手紙からは西郷が下関に現れず、焦る桂の様子がうかがえる。1通目では「薩蒸気船がいまだに来ない」「会談の期限が遅れて藩内の国論が動揺してもいけない」。2日後の2通目の手紙では、蒸気船の故障による西郷の遅延を「土人」(土佐人)から聞いたと記している。

 高知県立坂本龍馬記念館の亀尾美香学芸員は、「薩長同盟に土佐の志士が仲介役として深く関わったことを裏付ける史料」と2通目の手紙に注目する。

 手紙には坂本龍馬や中岡慎太郎の名前は出てこないが、筑前や長州を行き来していた土佐の志士、土方久元が登場する。桂は土方に「西郷があまりに遅れるようなら、下関から山口へ引き返す」旨を伝えており、土方が薩長の仲介役をしていたことがうかがえる。

 また、2通の手紙には、長州征伐に備える長州藩の内情も細かに書かれている。藩が幕府軍を迎え撃つ布告を藩内に出したことや、後に龍馬らの仲介で長州が長崎のイギリス商人から購入する「小銃」の記述もある。

 亀尾学芸員は「薩長同盟に向かう過程や、長州征伐前の慌ただしい状況を記した当事者の手紙として重要な研究史料になる」と話している。


 桂小五郎(かつら・こごろう) 1833~1877年。山口県の藩医の家に生まれ、吉田松陰に師事。長州藩の倒幕の志士として活躍し、明治新政府では参議として政治の中核を担った。西郷隆盛、大久保利通と並ぶ「維新三傑」の一人。

 土方久元が言及されており、土佐藩が仲介している様子が伺われるそうです。
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