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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
つぶやけないプライベートでいろいろ……でも幕末ニュースは手薄ながら細々と続けます。このブログも引っ越し前を含めると満10年、10年続けられる人はなかないないと思いますので。

福島
斗南藩の「嘆願書草案」発見 藩成立翌年の記述
 戊辰戦争に敗れて領地を没収された旧会津藩によって再興された斗南(となみ)藩が、明治政府に援助を申し出た嘆願書の草案とみられる古文書が見つかったことが4日、分かった。斗南藩が成立した翌年の1870(明治3)年7月と記され、新天地で苦しい生活を送っていた斗南藩時代の貴重な史料といえる。
 古文書は、幕末・明治維新期が専門の博物館「霊山歴史館」(京都市)が昨年、古書店で発見。縦約18センチ、横約400センチで、斗南藩に移住する家臣団の困窮を理由に、明治政府に援助を願い出ている。文末には「斗南藩知事」と書かれている。
 同館学芸員によると、実際に明治政府に提出された同じ内容の嘆願書が「青森県史」(旧編)に掲載されている。比較すると文言は異なる部分が多いため、明治政府に細心の注意を払って書いたとみている。
 会津歴史考房主宰の野口信一氏は、藩知事は当時1歳だった会津松平家11代容大(かたはる)だったことから、実権を握る権大参事・山川浩の考えが反映されていると強調。「斗南藩の苦しい生活を物語る史料だ」と話した。
 古文書は4日に始まった同館の展示「続・会津の武士道」で公開されている。

埼玉
幕末~昭和 情景浮かべ 県立文書館で企画展 外交関係の地図など50点
 幕末から昭和二十年代までの外交関係の地図などを集めた企画展「地図アラカルト 世界と地域」が、さいたま市浦和区の県立文書(もんじょ)館で開かれている。同館嘱託職員で企画展を担当する増山聖子(ましやままさこ)さんは「地図の描き手がどこを強調したかなど、当時の人々の地理感覚や心の動きが目で見て分かる。気軽に楽しんでほしい」と話している。来月二十三日まで。 (谷岡聖史)
 今回の企画展は、外務省外交史料館(東京都)が地方自治体の公文書館と初めて共催する形で開催。両館が保管している約五十点を展示している。
 一八五三年に米国から浦賀に来航したペリーの艦隊を描いた「嘉永(かえい)六年渡来黒船図」は、当時の川越藩と忍(おし)藩の武士が浦賀で警備に当たったことから県内に残されていた。
 六七年の「江戸在留外国人遊歩規程下調図(したしらべず)」は、築地に居留した外国人が行動できる範囲を幕府が検討した際の地図。現在の川越市、所沢市なども範囲に含まれていた。
 明治後期とみられる「関東地方鉄道路線図」には、現在のJR高崎線や東武鉄道の一部が記されている。大正以降は鉄道が普及し、旅行が一般的に。観光マップの「昭和元年武州松山附近名所図会(ずえ)」(一九二六年)には東松山市などの名所が描かれている。
 このほかフランスから幕府に贈られたパリ万博の会場全図(一八六七年)や、一九四五年八月十五日未明に国内最後の空襲を受けた熊谷市の復興計画図なども、実物を間近に見ることができる。
 入場無料。開館は午前九時~午後五時。月曜、祝日休館。問い合わせは、県立文書館=電048(865)0112=へ。

佐賀
幕末の欧州留学 唐津藩士ら「添え状」携行
 幕末に欧州留学した唐津藩士らが携行していた「添え状」が東京大史料編纂所で見つかった。旅券とは別に、通過各国に保護を求める書状で、押されたスタンプからパリをたってロシア・サンクトペテルブルクまでの足跡を確認できる。同行していた外国奉行がパリで発行しており、専門家は「具体的な旅程と手続きが分かり、非常に興味深い」としている。
 添え状は1867(慶応3)年の発行で、3通あった。唐津藩士・尾崎俊蔵(生没年不詳)と会津藩士2人の合わせて3人が欧州留学に携行していた。東大史料編纂所が外務省から引き継いだ書類に含まれていた。
 表に和文、裏に英文が記されている。外国奉行向山一履(むこうやま・かずふみ)の名で身元を保証し、留学目的であることを説明して道中の安全を求めている。
 さらに、現地で押された「ポーランド鉄道ワルシャワ・ウィーン線」「グランドホテル・ワルシャワ」のスタンプもあった。3人が鉄道でウィーンからワルシャワに向かい、そこで乗り換えてサンクトペテルブルクへと進んだルートが読み取れる。
 3人は、将軍の名代としてパリ万博に参加するために渡欧した徳川昭武に同行する形で横浜港からパリへ向かい、そこから昭武一行と離れ、ロシアやエジプトなど各国を回った。
 3人はこの年の12月に帰国したが、翌春、会津藩士の横山主税(ちから)(1847~68年)と海老名郡治(1843~1914年)は戊辰戦争に参戦し、横山は21歳の若さで戦死する。海老名は後に、若松町長としてふるさとの発展に貢献した。
 一方、唐津藩士の尾崎も戊辰戦争に巻き込まれていった。唐津藩は佐幕派で、旧幕府軍とともに東北へ転戦。『新選組大人名事典』(新人物往来社)などによると、尾崎は江戸屋敷にいた唐津藩の世継ぎの小笠原長行から世話係に命じられ、仙台から蝦夷へと向かった。明治以降の消息ははっきりしない。
 東大史料編纂所の保谷徹教授は「3人がヨーロッパを見て回りたいと、添え状を出してもらった経緯が分かる。地中海を回ってからウィーンへ行ったようだが、具体的な証拠が出てきたのは非常に面白い」と話す。

コラム
隻碗で戦い続けた美剣士 伊庭八郎
モテモテのイケメン剣士
心形刀流八代目・伊庭軍兵衛秀業の長男。
老中・水野忠邦に引き立てられた秀業は、水野が失脚すると、門人の塀和惣太郎秀俊を養子にして伊庭家を継がせて隠居、秀俊は秀業の五人の子をすべて養子にしている。

伊庭八郎イラスト

心形刀流は一七世紀後半、信州出身の伊庭秀明が創始したという。
剣術は「心」「形」「刀」からなる、つまり「心形刀」=「剣術」という理念を持つが、これが流儀名として継承された。
また、宗家の伊庭家は実子の有無にかかわらず、門弟中から最も優れた者を選んで後継者とし、その結果、八代目秀業の「練武館」は、江戸三大道場に次ぐ存在として、四大道場のひとつに数えられるようになった。

八郎は幼時は病弱だったが、剣術の稽古を始めるとたちまち上達、「白皙の美丈夫」に成長する一方、「伊庭の小天狗」とうたわれ、錦絵にも描かれた美男剣士。
腕は立つものの、女にモテるのをいいことに、吉原で浮き名を流す日々が続いた。

幕府が将軍警護役として直臣の子弟を集めて「奥詰衆」を組織すると、八郎もこれに加わり、元治元年(一八六四)に最初の上洛を果たす。
このときの京都の暮らしぶりについては、八郎が記した『征西日記』が残っている。
しかし、内容はウナギやタイ、餅、カステラを食べたり、扇を女の土産に買ったり、嵐山を観光したりと、のちの八郎とは想像もつかないほど物見遊山のグルメ紀行である。

隻碗になっても奮戦
慶応元年(一八六五)、第二次長州征伐で将軍・家茂の護衛として二度目の上洛を果たすが、翌年七月に家茂が急死し、遺体に付き添って江戸へ戻っている。
さらに十月には奥詰衆、講武所剣術方を改組した「遊撃隊」が発足すると、これに加わった八郎の生活も一変した。

慶応三年(一八六七)十月十四日に大政奉還が行われると、遊撃隊士たちにも上洛の命が下り、三度目の上洛となる。
翌慶応四年(一八六八)一月三日、鳥羽・伏見で薩長を主力とした新政府軍と旧幕府軍が衝突。
八郎は伏見で陣頭に立って戦ったが胸に被弾し、その衝撃で昏倒吐血した。
幸いにも甲冑のおかげで怪我を負わなかったが、ことときの吐血というものは労咳を患っていたともいわれる。
ただし、これは池波正太郎の小説『幕末遊撃隊』の記述で、史実かどうかは定かでない。

旧幕府軍が鳥羽・伏見の戦いで敗れると、徳川慶喜は大坂から海路で江戸へ帰還。
その後は恭順の意を示した。
四月十四日、江戸城が開城され、慶喜が水戸へ退くと、遊撃隊の一部は榎本武揚の旧幕府艦隊に合流する。
しかし、榎本が勝海舟の説得に応じて艦隊を官軍に引き渡そうとしたため、八郎と人見勝太郎らの遊撃隊士は船を降り、上総請西藩主(千葉県木更津市)・林忠崇を頼った。

八郎は相模小田原藩(神奈川県小田原市)と協力して新政府軍に対抗しようとしたが、小田原藩が恭順の意を示して交渉は決裂。
五月二十六日、小田原藩を含む新政府軍と箱根三枚橋(神奈川県箱根町)で激突した。
ここで八郎は鏡信一刀流の小田原藩士・高橋藤太郎と斬り結ぶが、再び腰に被弾し、体勢を崩したところ、左手首を深く斬られた。
しかし、八郎は怯むことなく右手に握った剣で高橋の脚を払うと、高橋は早川の流れに消えていった。
八郎は皮一枚でつながり、ぶらぶらしていた左手首を麻酔もなしに切り落として熱海(静岡県熱海市)へ敗走した。

さらに品川沖に停泊する榎本の旧幕府艦隊に合流し、病院船「旭丸」で再手術をして、肘下を切断することになった。
このときも八郎は麻酔を断り、平然と突出した骨を切り落としたというから、その精神力には想像を絶するものがある。

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激戦の果ての安楽死
傷が癒えた八郎は、八月に蝦夷地(北海道)をめざしたが、銚子沖で乗っていた「美加保丸」が座礁した。
なんとか救出されたが、蝦夷地へ渡る術がなく、横浜に三カ月潜伏した。
十一月二十五日、英国商船に乗船費五〇両を支払って、親友の本山小太郎とともに箱館へ向かったが、この大金を工面したのは、昔なじみだった吉原『稲本楼』の芸妓・小稲であった。
小太郎が八郎の書状を小稲に見せると、小稲は泣き崩れ、目を腫らして協力してくれたのである。

八郎が箱館に到着したとき、すでに蝦夷地は旧幕府軍が平定しており、八郎は蝦夷共和国の新政権で歩兵頭並となった。
しかし、翌明治二年(一八六九)四月九日、新政府の追討軍が蝦夷地に上陸。たちまち江差が陥落した。
二十日、八郎は木古内から江差奪回に向かう途中で新政府軍と遭遇、右腕一本で敵を斬りまくった。
だが、ここで生涯三度目の被弾。
胸部を撃たれ、満身創痍の八郎はついに立てなくなった。

八郎は箱館病院に運ばれたが、手の施しようのない重傷だった。
最期を看取った新撰組隊士田村銀之助の談話によれば、体内の弾を抜けば死に至るということで抜くこともできず、そのうち胸部は紫色に変じて腐触していったという。
それでも八郎は二〇日間も生き続けた。

最期は開城を決意した榎本武揚が「すぐあとで行くから」といってモルヒネを差し出した。
八郎は毒薬と知りながら、にっこり笑って飲み干し、まもなく眠るように落命したという。

八郎の最期は流れ弾で戦死した説もあって真相は分からず、貞源寺に眠る墓碑の命日は五月十二日だが、田村銀之助の談によれば五月十六日になる。
この日、榎本は八郎のあとを追って自害しようとしたが、周囲に止められ、生き延びたのも歴史の皮肉であろうか。
 えっ、「榎本は八郎のあとを追って自害しようとした」って初めて聞いた……そ、そんな、ウホッな説……(>_<)。


エンターテインメント
佐藤健
「ここまで愛した役は初めて」映画『るろうに剣心』クランクアップ

映画『るろうに剣心』の続編となる『るろうに剣心 京都大火編』(8月1日公開)と『るろうに剣心 伝説の最後編』(9月13日公開)の2部作が、このほどクランクアップした。

主演に佐藤健、監督に大友啓史を迎えた『るろうに剣心』(2013年8月公開)の続編となる同作は、原作漫画(和田伸宏作)のクライマックスにあたる"京都編"を描く2部作。動乱の幕末が終わり明治を迎えた京都で、主人公・剣心を日本制圧を目論む敵が待ち受ける――という内容で、前作に引き続き出演する佐藤、武井咲、蒼井優、青木崇高、江口洋介らに加え、藤原竜也、神木隆之介、遠藤賢一ら新キャストも登場する。

同作では、撮影期間6カ月、エキストラ延べ5,000人、撮影地は全国1都1府9県に及ぶ大規模なロケを敢行。撮影を終え、「剣心という人物をより深く考えていくうちに、どんどん思い入れが強くなりました。ここまで愛した役は初めて」と語った佐藤は、「どの役に対しても愛情はあるんですが、『ずっと演じていたい』と思えた」と、剣心役に対して特別な感情があった様子。クランクアップ時には、「今回の作品に関しては、確かな手応えを感じています。一生の内で中々できない経験をさせてもらったなという気持ち」と胸の内を明かした。

また、激しいアクションも見どころの同作だが、佐藤は「普通の現場よりもけた違いの集中力で現場にいなければいけないし、常に気を引き締めていないといけなかった」と、クランクアップを迎えて安堵の表情を浮かべていたという。一方、ヒロイン・神谷薫役の武井咲も、薙刀(なぎなた)を使った本格的なアクションシーンに挑戦し、「練習のしがいがありましたし、動いていても自分の中でしっくりくる部分がだんだん分かるようになった」と振り返り、「大友さんにしばかれつつも(笑)、楽しく過ごさせていただきました。仕上がりがとても楽しみ」とコメントを寄せている。
 続編もやってくれると期待しています。

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無題
by イバハチ 2014/01/18 21:28 編集
今日地元名古屋、松坂屋の北海道物産展へ行ってきました。うにむらかみさんが出店されてましたよー。     
うにむらかみ
by 白牡丹 URL 2014/01/18 22:01 編集
イバハチさん、お書き込みありがとうございます。

うにむらかみ、名古屋の物産展ですか。函館と札幌の店を娘さんと息子さんが守っているので女将は全国を走り回っているようです。
    
無題
by イバハチ 2014/01/19 00:16 編集
昨年は白牡丹さんかよく行かれた、木はらが出店してました。大将自ら握ってらっしゃいました。     
木はら〜
by 白牡丹 URL 2014/01/19 07:40 編集
イバハチさん、ありがとうございます。

蕎麦屋通いが多くなって寿司はこのところ食べていませんね……木はらもいい店でしたが、まだ行ったことのない雷門とか梅乃寿司にも行ってみたいです。
    
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