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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 昨日の夜、帰宅した時には気温が3度と表示されてました。うう、寒かったです。

茨城
「桜田門外の変」で井伊直弼襲撃の拳銃か?
 桜田門外の変(1860年)で大老、井伊直弼(なおすけ)を撃った可能性がある拳銃(けんじゅう)が15日、水戸市の茨城県庁で公開された。古い銃器を収集し、「堺鉄砲研究会」を主宰する沢田平さん(74)=大阪市東成区=が所有している拳銃で、沢田さんは水戸藩で造られたものとみており、銃身に刻まれている製作者の名前が水戸藩に関係があるかなど、情報を求めている。(城野崇)
 拳銃は米コルト社で1851年から製造された「51ネイビー」という銃を、日本で複製したものとみられる。
 量産された鉄製の純正品とは違い、純銀、シタンなどの高級素材で造られている。銃全体に桜の文様が彫り込まれており、安政年間など江戸時代後期に関東で活躍した彫工、鎌田壽次の銘があった。古い銃器類に詳しい沢田さんは「桜を好んだ徳川斉昭公が作らせたのではないか」と推測している。
 銃身の裏には、「中澤晃敬」という製作者と思われる銘が刻まれているが、沢田さんの調査では、その正体は不明。沢田さんは「水戸で仕事をしていた銃工なら水戸藩で造られた物である可能性が高まる」と話し、「中澤晃敬」に関する情報などを求めている。
 沢田さんによると、拳銃は米国の古銃研究家が所有していたもので、十数年前に入手した。箱には「森五六郎義士」「直弼公天誅の短筒」の記述があった。
 森は桜田門外の変に参加した水戸浪士の一人。最初に拳銃を発砲したという説もある。ただ、発砲したのは、ほかの浪士という説もある。
 桜田門外の変では、かごに向けて発射された弾丸が井伊直弼に命中。井伊直弼は動けなくなったところを浪士らに襲撃され、暗殺された。
 沢田さんは「確証はない」としながらも、「水戸・徳川家が造らせた拳銃が襲撃に使われても矛盾はない」としている。
 沢田さんは今回、公表した理由について、「歴史的事件の凶器である可能性を考え、これまでは明かしていなかった。映画化で機運が高まる中、自らの年齢を考え、銃の素性を知りたくなった」と話している。

 ■桜田門外の変 1860(安政7)年3月3日、江戸城桜田門近くで登城中の大老・井伊直弼が水戸・薩摩の浪士に暗殺された事件。直弼は朝廷の許可を得ぬまま日米修好通商条約を結び、安政の大獄で吉田松蔭や橋本左内ら尊皇攘夷論者ら反対勢力を一斉に処罰したことで尊皇派の志士に狙われた。事件は倒幕運動のきっかけになり、時代は明治維新へと突き進んでいく。


埼玉
坂戸の大宮住吉神楽 記録すべき文化財に
 国の文化審議会(西原鈴子会長)は15日、「須佐宝泉寺・黄帝社奉納船絵馬」(山口県萩市)など3件を重要有形民俗文化財に、富山県入善町の火祭り「邑町のサイノカミ」など2件を重要民俗無形文化財にそれぞれ指定するよう川端達夫文部科学相に答申した。また、坂戸市の「坂戸の大宮住吉神楽」を記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(通称・選択無形民俗文化財)に選ぶよう玉井日出夫文化庁長官に答申した。
 近く答申通り指定される予定で、重要有形民俗文化財は210件、重要無形民俗文化財は266件になる。
 船絵馬は、幕末から明治期の船乗りが海上安全を願って宝泉寺境内に奉納したもので、当時を知る貴重な資料となっている。邑町のサイノカミは毎年1月中旬に無病息災などを祈願して開かれる。
 坂戸の大宮住吉神楽は、同市塚越地区で伝承される神楽。年3回の大宮住吉神社祭日に境内神楽殿で演じられている。鈴や幣束などを手に持つ舞や、神話を題材にした黙劇で構成される。一演目中に、儀礼的な所作と演劇的な要素を併せ持つ点が特徴。地域芸能の変遷過程を示すことなどが評価された。現在22演目が伝えられており、このうち神話を題材とする12演目が「十二神楽」と称される。
 選択無形民俗文化財は、重要無形民俗文化財以外の無形民俗文化財のうち、消滅の恐れがある記録や保存、公開に際して国の経費補助を受けられるもの。県内ではこれまで、鶴ケ島市の「脚折の雨乞行事」や秩父市の「中津川の鉄砲堰製作技術」など13件が選択されている。


東京
坂本龍馬の生きた時代展:乙女姉への手紙など展示、大河ドラマ「龍馬伝」の小道具や衣装も
 福山雅治さん主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で注目が集まる幕末の志士、坂本龍馬を貴重な写真と資料で振り返る企画展「写真で辿る『坂本龍馬の生きた時代』」が16日から東京ミッドタウンの「フジフイルムスクエア」(東京都港区)で始まる。一般公開に先駆け15日、報道向けの内覧会が行われた。
 同展は、高知県立坂本龍馬記念館などの協力で、龍馬が生前に遺した姉・乙女にあてた書簡や所持品などのコレクション(複製品)も展示。幕末の志士や龍馬とその仲間たちなど写真パネルがずらりと並んでおり、激動の時代に生き、33歳の若さでこの世を去った龍馬の生涯を振り返ることができる。
 また、ドラマ「龍馬伝」の撮影風景を収めた写真や小道具などを展示する「NHK大河ドラマ『龍馬伝』展」(財団法人NHKサービスセンター主催)も同時開催。出演者とそのコメントなどが書かれたパネルのほか、福山さんがドラマで使用したものと同じ衣装や刀、小道具などがずらりと並んでおり、ドラマの世界を堪能できる。
 同展は2月25日まで、入場無料。午前10時~午後7時。2月6日午後2時からは歴史アイドル(歴ドル)の美甘子さんが登場する「歴ドル美甘子と学ぶ!『坂本龍馬幕末検定』事前対策講座」も開催。定員50人で事前予約制。問い合わせは(03・6271・3350)。美甘子さんが歴史の面白エピソードなどを交えて龍馬の魅力をたっぷりと語ってくれる。【栗原拓郎】



神奈川
龍馬 お龍 やっと会えた…
 幕末の志士・坂本龍馬と妻・お龍(りょう)が100年以上の歳月を越えて“再会”する法要が15日、お龍の墓がある信楽寺(しんぎょうじ)(横須賀市大津町)で行われた。
 龍馬の墓がある京都霊山(りょうぜん)護国神社(京都市東山区)の木村隆比古宮司が持参した龍馬の霊を分霊した神具「霊璽(れいじ)」を、お龍の法要に同席させる形で、神仏の垣根を越えた再会が実現した。
 木村宮司は6年前に宮司になった時から、「日本の将来や愛する人への思いを抱えたまま、志半ばで凶刃に倒れた龍馬の無念を軽くしたい」と、龍馬とお龍との再会を考えていた。先週、その思いを信楽寺の新原千春(にいはらせんしゅん)住職に伝えたところ、住職から快諾を得たという。
 木村宮司は「法要の最中、仏前に飾られた龍馬とお龍さんの写真の表情がだんだん和らぐように見え、胸がいっぱいになった」。新原住職は「お龍さんはやっと龍馬が来てくれたと思っているだろう」と話していた。
 法要にはテレビドラマ「龍馬伝」のお龍役、女優の真木よう子さんも参列。終了後、お龍の墓前に花を供え、手を合わせていた。


坂本龍馬:妻お龍と初の合同法要…真木よう子さんも出席
 幕末の志士・坂本龍馬の妻お龍(りょう)(1841~1906年)の命日の15日、お龍の墓がある神奈川県横須賀市大津町の信楽(しんぎょう)寺=新原千春住職=に龍馬の魂を分霊した「霊璽(れいじ)」が運ばれ、初の合同法要が営まれた。NHK大河ドラマ「龍馬伝」でお龍を演じる女優、真木よう子さんも法要に出席し、墓前で手を合わせた。
 龍馬の墓がある京都霊山護国神社(京都市東山区)が寺に呼びかけた。夫妻は龍馬暗殺(1867年)後、143年ぶりに再会を果たした形。龍馬の霊璽を持参した同神社の木村隆比古宮司は「龍馬は『お龍、待たせたな』と言っているでしょう」と感慨深げ。真木さんは「この機会に立ち会えたことは光栄です。少しでもお龍さんに近づけるように演じたい」と話した。
 お龍は龍馬の没後、再婚して横須賀に移り住んだことから信楽寺に墓がある。【吉田勝】



山梨
春待つ雛人形 華やかに 
ミニサイズや木目込み500点 
甲府・ライブ工房ホサカ 

 甲府市飯田5丁目のライブ工房ホサカ(保坂紀夫代表)は、3月3日まで「ちいさな雛(ひな)人形展」を開いている。今年で21回目で、本格的な節句飾りから指先ほどの小さな雛人形まで約500点を展示、販売している。
 木目込み人形の多くは、明治時代から昭和初期に作られた古ちりめんや、幕末に作られた江戸ちりめんなど、希少価値の高い布で作った着物を着ているのが特徴で、独特の風合いや質感が人気を集めているという。
 北海道や京都など、全国各地の職人が手掛けたミニチュアサイズの雛人形やつるし雛、タペストリー、オルゴールも来場者の目を引いている。
 娘の維乃ちゃん(2カ月半)が初節句を迎える☆(功の力が刀)刀南里さん(31)は「昔ながらの風合いだがモダンな感じがする。小さく飾りやすいものを選びたい」と話していた。展示は午前10時~午後6時半。


長野
駒ケ根の旧木下家住宅でロケ 井月の映画「ほかいびと」
 駒ケ根市中沢の市指定有形文化財「旧木下家住宅」で15日、幕末から明治期にかけて伊那谷を放浪した俳人、井上井月(せいげつ)(1822~87年)の映画「ほかいびと~伊那の井月~」が撮影された。井月が民家で正月料理を振る舞われ、そのお礼に句を詠む場面を、舞踊家の田中泯(みん)さん(64)が熱演。映画を製作する「井上井月顕彰会」会員も、井月をもてなす夫婦役で出演した。
 幕末の1850年代ころに建てられたとされる旧木下家住宅は、かやぶき屋根が特徴。顕彰会側が市教委に依頼し、映画撮影が実現した。この日、顕彰会員を含む計約20人のロケ隊は住宅内でいろりの火をおこし、雑煮や日本酒を用意して撮影に臨んだ。
 井月をもてなす夫の役を務めた顕彰会員の下島大輔さん(71)=駒ケ根市中沢=は戸をたたいた田中さんを民家に招き入れ、「久しぶりだねえ」と声を掛ける場面を落ち着いた様子で演じた。監督で映像作家の北村皆雄さん(67)=伊那市美篶(みすず)出身=は「自然な感じでいいですよ」と声を掛けていた。
 「ほかいびと」は伊那谷の四季や当時の人々の暮らしを織り交ぜながら井月を描く。撮影は2011年3月に終了、同年8月に完成する予定だ。



静岡
もちつきや竹馬… 懐かしい正月遊び満喫 駿河区
 「静岡民家の会」は16日、静岡市駿河区の「登呂もちの家・陣屋」前で、もちつきと竹馬、たこ揚げ、羽子板、めんこなど正月遊びを楽しんだ。
 静岡民家の会は、県内の古民家好きが2002年に結成し、定期的に県内の古民家を訪ねている。会員は約120人。
 「登呂もちの家・陣屋」は、幕末の戊辰戦争時に官軍の宿舎としても使用された福島県の旧庄屋宅で、1979年に現在地に移築された。室内のはりには、江戸時代の百姓一揆の際、おのやなたで付けられたという傷が残っている。
 会員の松永和広さん(56)は「昔の住居見学や遊びを通じて日本人の古き良き心を思い出したい」と話した。


龍馬ブームに下田も乗るぜよ
 幕末の志士、坂本龍馬ブームにあやかろうと、ゆかりの下田市で、多彩な行事や地域通貨の発行で誘客やまちの活性化を目指す動きが強まっている。龍馬ファンの会はあったが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映開始を機に、観光・産業団体が加わって「下田龍馬伝志援隊」を結成した。龍馬のシンボル石像の制作なども計画している。(阪本昇司)
 土佐藩を脱藩した龍馬は、1863(文久3)年1月、勝海舟とともに下田港に入港したとの説がある。このとき海舟は、下田市の宝福寺で前土佐藩主の山内容堂と会い、龍馬の脱藩の許しを得たとされる。翌年には、同じく下田で、龍馬が海舟に蝦夷開拓の夢を語ったといわれる。
 志援隊は、下田が龍馬ゆかりの地であることを市民や観光客にアピールしようと、今月11日に結成された。下田での吉田松陰の密航の場面が大河ドラマで放映される予定の2月7日に、高知県の東京事務所から高さ約3メートルの「龍馬像」を借りてイベントを開き、活動を本格化させる。
 発行する地域通貨は、千円の硬貨と3千円の小判の2種類を作り、単位は千円を「1龍(りょう)」とする。龍馬ファンが一昨年設立した「伊豆龍馬会」のシンボルキャラクター「龍馬くん」を硬貨の表に、裏は龍馬の家紋を元にした同会のシンボルマークをあしらう。硬貨は5万枚、小判は2千枚作り、4月から9月末にかけて、協賛する旅館や商店などで使えるようにする。
 このほか、龍馬ゆかりの地を紹介する観光マップや、のぼり旗を製作し、龍馬のシンボル石像も立てる予定だ。
 これに先立ち、伊豆龍馬会が17日、2回目の「龍馬飛翔(ひ・しょう)祭」を下田市民文化会館で開く。坂本家9代目当主の坂本登さん、海舟のひ孫で咸臨丸子孫の会の五味澄子さん、龍馬が学んだ北辰一刀流の始祖千葉周作の子孫・熊木慶忠さんの3人が対談する。北辰一刀流の演武もある。
 伊豆龍馬会の活動に呼応し、河津町浜のログハウス建築会社社長の土屋宗一郎さん(67)が、樹齢300年のレッドシダー(米杉)をチェーンソーだけで高さ約3メートルの龍馬像に仕上げた。写真などを参考に正月休みを利用して約10日間で制作。顔は、ドラマで龍馬を演じる福山雅治さんに似せたという。同会に寄贈し、17日の龍馬飛翔祭でお披露目される。
 伊豆龍馬会会長で、志援隊の隊長に就任した宝福寺住職の竹岡幸徳さんは「下田は龍馬が羽ばたいた原点。龍馬の力を借りて、きずなと夢をテーマに下田の元気を取り戻したい」と話している。


福井
歴史資料紹介展:天狗党資料などを紹介--敦賀市立博物館 /福井
 敦賀市に残る約60点の歴史資料を展示した「歴史資料紹介展」が14日、市立博物館(同市相生町)で始まった。2月末まで。
 水戸藩士が結成した幕末の尊皇攘夷(じょうい)派で、1865年に敦賀で幕府に約350人が処刑された「水戸天狗党」にまつわる資料がメーン。首領の武田耕雲斎が使ったとされ、後に松原神社に寄進された陣羽織や軍扇、短刀(いずれも市指定文化財)などをそろえた。反乱軍とされながら、後に尊敬された水戸天狗(てんぐ)党の姿が詳しく分かる。
 また、17日に市内で開かれる国指定重要無形民俗文化財「敦賀西町の綱引き」で、江戸末期から使われた古衣装「恵比須(えびす)大黒衣装」も、同日まで特別に展示している。午前10時~午後5時、月曜休館。一般200円、小中高校生50円。問い合わせは同館(0770・25・7033)。【酒造唯】



広島
【龍馬ゆかりの地を行く】海援隊知らしめた沈没事件 鞆の浦
 最近の景観論争で一躍、脚光を浴びている「鞆の浦」(広島県福山市)。しかし、実は歴史上の大事件の舞台でもあった。幕末の志士、坂本龍馬とのかかわりで知られる、慶応3(1867)年に起きた「いろは丸沈没事件」である。国内初の蒸気船同士の衝突事故で、沈没した船に乗っていた龍馬ら海援隊一行は鞆の浦の中心部にあたる鞆に上陸。事故の相手方の紀州・徳川家と賠償交渉で堂々とわたり合い、海援隊の名を世間に知らしめた。
 事件の概要は、次のようなものだ。慶応3年4月23日夜、宇治島(現広島県福山市)沖で、龍馬率いる海援隊が乗り込んだ蒸気船「いろは丸」(160トン)が、徳川御三家のひとつだった紀州の蒸気船「明光丸」(870トン)と衝突、沈没した。龍馬ら海援隊一行は明光丸に乗り移って鞆の浦に寄港、紀州側と4日間にわたって賠償交渉を行った。その後、舞台は長崎に移り、交渉は難航したが、最終的に龍馬側が紀州側から多額の賠償金を勝ち取った。
 舞台は、護岸に石を階段状に据えた「雁木(がんぎ)」や、港のシンボルである石灯篭(とうろう)の常夜灯、国重要文化財の「太田家住宅」など、江戸時代から残る数少ない港湾遺産にも近い。
 「当然、龍馬や海援隊の一行も、この雁木を踏みしめて行き来したはず。雁木は歴史を伝える生き証人であると思います」
 江戸期の蔵を利用して近くに開設された「いろは丸展示館」館長の赤松宏記さん(67)は、こう語る。
 沈没現場の過去の潜水調査結果や、龍馬と鞆の関係など、貴重な資料が並ぶいろは丸展示館。引き上げられた帆船の滑車や索具、船室の蛇口やドアノブ、燃料の石炭。さらに、龍馬が鞆で滞在中に泊まった商家内で、用心のため使ったとされる隠れ部屋も再現、龍馬の息吹が伝わってくる。
 「龍馬は、ファンの年齢層が幅広いことが特徴。リピーターを期待して、龍馬には町おこしに一役買ってもらったわけですが、人気は期待以上」と、赤松さんは話す。
 鞆に残る龍馬ゆかりの地は多い。港から古い民家が軒を連ねる町並みをしばらく行くと、「御舟宿いろは」がある。事件で、龍馬らが紀州徳川家との賠償交渉で使った町役人の亀屋万蔵の旧宅を修復、改装した宿屋だ。
 「家は歴史的に貴重な史跡。周辺の古い家屋もなくなりそうな危機感もあって、購入、運営を決断しました」と、NPO法人「鞆まちづくり工房」代表理事の松居秀子さん(58)。
 白壁と格子に、色とりどりのギヤマンの窓が組み合わさった外観。入り口近くに喫茶室があり、奥には交渉の場となった部屋が再現されている。龍馬が残した走り書きをしたためた掛け軸や写真も飾られている。
 松居さんは、鞆の浦の景観保全活動にも取り組み、鞆港の埋め立て架橋計画をめぐって反対住民が起こした訴訟では、原告団の中心的存在だ。
 「紀州相手に談判する龍馬は、裁判を闘う私たちと、ある意味、似ており、その自在な活動は市民運動につながる面もあります。今考えてみれば、ご縁があったのかも」
 自身の境遇をいろは丸沈没事件と重ね合わせ、松居さんは龍馬の雄姿に思いをはせた。
 「鞆ならではの史料は、いろは丸しかない。原本を探し出して展示したい」
 鞆港や瀬戸内の島々を一望できる地に建つ「鞆の浦歴史民俗資料館」。平成20年秋、特別展「坂本龍馬といろは丸事件」が開かれた際、同館学芸員の園尾裕さん(56)は、史料探しに奔走した。
 園尾さんが求めたのは、昭和63年出版の「龍馬全集」(宮地佐一郎編、光風社)に収録された「いろは丸航海日誌・付録草稿」。研究家数人に尋ねても分からず、博物館などに調査を依頼するなど手を尽くした。
 それでも見つからず、あきらめかけたころ、NHK新潟放送局が20年前に放映した番組で、この史料を使っていたことを知った。
 所有者はすでに故人となっており、遺族から「原本は不明だがコピーがある」と返事があった。原本ではないが探し続けていた史料に、ようやくたどりついたのである。
 「コピーは全部で32枚。最初の表紙は(海援隊士の)長岡謙吉以外の筆で『坂本龍馬手記イロハ丸航海日誌』とありました。史料は展示が終わって撤収すれば何も残らない。だから記録集を残すんです」
 龍馬が鞆の浦にもたらした夢のような話をもうひとつ。鞆と対岸の仙酔島を結ぶ市営乗船場の前にある古刹(こさつ)「浄泉寺」。境内には観音像と並んで龍馬の立像が建っている。
 高さ約1メートルの「龍馬観音」。後方には、海援隊と紀州徳川家との別の交渉場所になったという対潮楼があり、龍馬の指差すかなたは、いろは丸沈没地点だという。
 住職の大仲伸隆さん(60)によると、夢枕に龍馬が現れ、観音を拝み、くるっと回って右手でいろは丸を指差した。平成21年夏に完成した龍馬観音は、その夢を具現化したもの。「龍馬観音を中心に町おこしがしたい」と、大仲さんは張り切る。
 龍馬の足跡は、いまなお鞆の浦の住民らの記憶にとどまり、勇気や夢を与え続けている。
 「鞆の浦歴史民俗資料館」 鞆港や瀬戸内の島々を眺望できる高台にあり、瀬戸内海中央部の歴史や文化資料を収集・展示している市の施設。七首の万葉歌、源平史跡、史跡「朝鮮通信使遺跡・鞆福禅寺境内」などの資料や県史跡「鞆七卿落遺跡」関連資料などがある。開館時間は午前9~午後5時。月曜休館。入館料150円。福山市鞆町後地536の1。(電)0849・82・1121
 (竹室輝之、豊田大祐)



高知
龍馬で観光維新、「土佐・であい博」開幕
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送にちなみ、高知で「土佐・龍馬であい博」(龍馬博)が16日、開幕した。
 JR高知駅前のメーン会場で開かれたオープニングセレモニーには、開幕を待ちわびた約1200人の観光客らが詰めかけた。2011年1月までの期間中、県内4会場を中心に幕末の志士・坂本龍馬らをテーマにした展示や体験型イベントが目白押し。06年の大河ドラマ「功名が辻」に合わせて開かれた「土佐二十四万石博」では、メーン会場に約86万人が訪れており、大河効果の再来を期待するとともに、〈観光維新元年に〉との機運も高まっている。
 メーン会場「高知・龍馬ろまん社中」前で行われたオープニングセレモニーには、尾崎知事や岡崎誠也高知市長のほか、ドラマに岩崎弥太郎役で出演する香川照之さんや、平井加尾役の広末涼子さんらが出席。
 尾崎知事は「幕末の志士を生んだ高知を、全国の人に知って、見て、触れて頂きたい」とあいさつ。広末さんは「龍馬の魅力は、無垢(むく)で自由な発想ができるところ」と多くの人を魅了し続ける龍馬に思いをはせた。
 パビリオンでは、龍馬と取り巻く人々を紹介。龍馬の生家を再現したジオラマや、床に大きく描かれた当時の城下町の地図などが展示され、案内役の地元ボランティアガイドも常駐。航海を疑似体験できるシアターや、龍馬の格好で記念撮影できるコーナーもあり、開幕直後は入場を待つ人の行列ができた。
 また、高知市の帯屋町筋商店街に設けられた特設ステージでは、学生らがよさこい鳴子踊りやストリートダンスなどを披露。サテライト会場でも、鏡開きなどで開幕を祝った。
 高知市宝町、会社員岡崎勝介さん(66)は、「龍馬は高知の切り札。県内全域が大勢の観光客で活気づく年になれば」と期待。徳島県東みよし市の作詞家井上功一さん(33)は「龍馬は私利私欲にとらわれず、国のために命を捨てた人。どんなに勉強しても新しい発見がある」と、楽しそうだった。


島根
藍板締め染めを民俗文化財に
 国の登録有形民俗文化財に、出雲の藍(あい)板締め染め用具及び製品を登録するよう、文化審議会が15日、答申した。江戸時代末から明治初めに行われた藍板締め染めの用具が確認されているのは出雲だけで、登録を機に研究が深まることが期待されている。
 出雲市大津町で代々村役人を務めた板倉家に保管されていた版木2557点、締め具56点、製品4点の計2617点。1999年、島根県に寄贈され、現在は一部が古代出雲歴史博物館(出雲市)で展示されている。
 版木は縦約46センチ、横約33センチで、トラやウサギなどの動物、松竹梅などの吉祥文様などを彫り込んでいる。版木40枚または20枚を積み上げ、その間に一反の木綿布を挟んで締め具で締め上げ、藍甕に浸したとみられる。文様が彫られたところに藍が染み込み染色される仕組み。技術伝承が途絶えているため詳細な技法は不明という。
 板倉家は1829年に藍板締め染めを始め、広く九州にまで販売した。幕末には売り上げが落ち、1870年に紺屋を廃業したという。出雲歴博交流普及グループの浅沼政誌課長は「全国に普及した技術。登録を機にもっと情報が出てくることを期待したい」と話している。



福岡
琴奨菊関の故郷 柳川市「雲龍相撲甚句会」 郷土力士を歌で応援
 直方市出身の大関魁皇関の幕内最多勝更新に沸く大相撲初場所。魁皇関の次代を担う琴奨菊関の故郷・柳川市に、七五調に思いを乗せ、歌声で郷土力士を後押しするグループがある。地元出身の横綱の名を冠した「雲龍相撲甚句会」だ。
 相撲甚句は、相撲や地域の名所などを題材にした七五調の歌詞を、「ドスコイ」や「ホイ」の合いの手を入れながら、独特の節で歌い上げる民謡。地方巡業などで余興として披露されるほか、全国各地にそれぞれの甚句が伝わり、宴席や結婚披露宴でも歌われる。
 雲龍相撲甚句会は1995年に発足。現在のメンバーは13人。市内の大和公民館で月2回の練習を重ね、地域の敬老会や文化祭などに参加している。雲龍は大和町出身の幕末の10代横綱で、横綱土俵入り「雲竜型」の創始者として知られる。
 琴奨菊関が十両に昇進した2004年ごろからは、九州場所の前後に市内で開かれるパーティーに毎年招かれ、本人や佐渡ケ嶽親方を前に、武末十治男会長(74)が作詞した「琴奨菊関甚句」を披露。歌詞には、琴奨菊関が進学した明徳義塾での活躍や十両優勝、得意のがぶり寄りなどを織り交ぜ、雲龍に続く横綱誕生の願いを込めた。
 昨年は、九州場所で市内の三柱神社に宿舎を構える桐山部屋の徳瀬川関=モンゴル出身=が十両に昇進。11月に開かれた桐山部屋の千秋楽パーティーでは、副会長の真崎康博さん(73)が桐山親方や徳瀬川関の活躍をつづった甚句を歌い上げた。「琴奨菊に徳瀬川もいて応援しがいがあります」と真崎さん。初場所に幕内昇進がかかる徳瀬川関からも目が離せない。
 武末会長は「誰でも歌えて、歌詞を自由に創作できる面白さがある」と甚句の魅力を語る。何より、大声を出すと健康に良いという。北原白秋や中山の大藤、有明海のノリ養殖など、郷土自慢を盛り込んだ「柳川名所名物甚句」もある。

 甚句会は会員を募集中。問い合わせは大和公民館=0944(76)1111。

■琴奨菊関甚句

筑後柳川 歴史の町で
アー 腕白相撲で 名をあげて
相撲の名門 明徳で
中学高校と 日本一
佐渡ケ嶽部屋に 入門し
2004年に 十両に
二けた勝ち越す その力
翌年春場所 初優勝
幕内以後も 好成績
2005年の 7月に
前頭での 筆頭と
負けん気根性で がんばって
この柳川の 名をあげた
雲龍に続けよ ヨーホ ホイ
アー 琴奨菊関ヨー

 (注・後半には最新番付を盛り込み歌う)


佐賀
「世界遺産目指せ」研究者講演
 「九州・山口の近代化産業遺産群の世界遺産登録推進講演会」(県主催)が16日、佐賀市の県立美術館ホールで開かれた。佐賀市のほか、鹿児島市や山口県萩市の近代化産業遺産群を知ってもらおうという取り組み。当時、重工業の近代化を進める日本で、3都市が先進的立場にあったという研究者らの話に、約150人が熱心に耳を傾けた。
 同遺産群は、近代日本の重工業の基礎を築いた九州・山口地域の炭鉱や製鉄、港湾などで構成され、2008年9月、世界遺産登録の前提となる暫定リスト入り。09年10月、遺産群の候補リストに海洋技術訓練所の遺構「三重津海軍所跡」も追加された。
 講演では、当時の反射炉の技術水準や、佐賀藩や薩摩藩から他藩へ技術者が派遣されたことなどが紹介された。当時の各地の先進性について、鹿児島市の尚古集成館の松尾千歳副館長は「世界的に見たら、(重工業で)むしろ東京の方が田舎だった」と指摘。世界遺産登録の意義については、「登録されることが目的じゃない。世界遺産になる価値があることを知って、心のよりどころにしてほしい」と強調していた。
 今後、世界遺産への登録に向けて、萩(はぎ)博物館の研究員は「各都市を旅して遺産を見られるツーリズムの調査が必要」。佐賀市教委の前田達男・世界遺産調査室長は「発掘が主体で地上の遺産が少ない佐賀は、考古学や文献で世界遺産的な価値付けをしっかりやりたい」と話していた。




長崎
龍馬も食べた?幕末の洋食ランチ 長崎歴文博「銀嶺」で販売
 長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)のレストラン「銀嶺」は、幕末の洋食をアレンジしたランチメニュー「龍馬伝館ランチ」の販売を始めた。
 9日に館内にオープンした「長崎奉行所・龍馬伝館」にちなみ「龍馬が生きた時代を感じながら食事を楽しんでほしい」と企画した。
 坂本龍馬が設立した貿易結社「亀山社中」の近所では日本最初の西洋料理店「良林亭(自由亭)」が営業していた。龍馬も洋食を楽しんだ可能性は高い。
 良林亭の経営者・草野丈吉は長崎の出島オランダ商館で修業。「龍馬伝館ランチ」は、オランダ商館員が食べていた「出島料理」と良林亭のメニューを参考にした。
 メニューの内容は▽鳥そぼろと春雨のパイ包み焼き▽カツオと野菜のサラダ仕立て▽牛ローストとポテトの重ね盛り・ジャポネソース-の3種に、スープ、パン(ライス)付き。価格は1200円。
 「鳥そぼろ-」は出島料理のパイ料理「パスティ」が基礎。「牛ロースト-」は良林亭で出されていた食材の牛肉とジャガイモを使った。いずれも砂糖、塩、しょうゆを中心にシンプルな味付けにしている。
 ランチタイムは午前11時半~午後3時。問い合わせは銀嶺(電095・818・8406)。


幕末の西洋料理学ぼう 長崎市・歴史民俗資料館で教室
 幕末の西洋料理や長崎の伝統料理について学ぶ教室が16日、長崎市平野町の歴史民俗資料館であり約70人が参加した。
 地産地消を推奨する長崎市や長崎西彼農協などが主催。幕末の資料を元に当時の西洋料理の復元に取り組む料理人の坂本洋司さんが講師を務め、レシピや調理方法などを説明し、長崎西彼農協の女性部が伝統野菜の唐人菜(長崎白菜)を使った長崎雑煮を紹介した。
 会場には坂本さんが再現した「ロースチキン(若鶏のあぶり煮)」「スートアップル(リンゴの赤ワイン煮)」など12品が並び、参加者たちは試食しながら「味付けはどうしているのか」など興味深そうに尋ねていた。同市梁川町の女性(50)は「長崎の食は奥が深い。普通の料理教室では学べないメニューで、とても勉強になる」と笑顔で話した。


タウンたうん:大半が初公開「幕末展」--長崎 /長崎
 長崎市シーボルト記念館(同市鳴滝、大石幸雄館長)で、第56回企画展「シーボルトや龍馬が生きた幕末展1」が開かれている。NHK大河ドラマ「龍馬伝」で幕末の長崎が注目されているのを受けて企画。24日まで。
 ドイツ人医師フランツ・シーボルトの護身用短銃(国指定重要文化財)や、著書「日本」初版など同館所蔵品に加え、長崎の砲術家・高島秋帆が洋式銃に合わせて開発した銃陣笠「トンキョ帽」など長崎ゆかりの貴重な史料を紹介。幕末の志士の自筆短冊や陣羽織など大半が初公開の80点を展示している。同館は「幕末の実物が持つ雰囲気を味わって」。入館料一般100円、小中学生50円。「同展2」も2月5日~3月22日に開催する。【錦織祐一】


「龍馬観光案内所」オープン JR長崎駅、ゆかりの地紹介
 JR長崎駅(長崎市尾上町)にこのほど、幕末の志士、坂本龍馬ゆかりのスポットを紹介する「龍馬観光案内所」がオープンし、観光客らの人気を集めている。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映に合わせ、市が設置。市や地元商店会などでつくる実行委が運営している。スタッフ2人が常駐し、市内の「長崎まちなか龍馬館」や亀山社中記念館など観光施設を紹介している。市によると、15日現在で1日当たり200~300人が訪れているという。
 案内所を訪れた諫早市長田町の会社員、木野村咲さん(20)は「龍馬についてまだ知らないことばかり。龍馬ゆかりの地を巡ってみたい」と笑顔で話した。
 市の担当者は「(案内所は)長崎の玄関口にあり、気軽に立ち寄ってほしい」とPRしている。営業時間は午前9時~午後5時(年中無休)。設置期間は2011年2月28日まで。


本県の「龍馬伝」視聴率34・1% 高知は38・8%
 10日に放送されたNHK大河ドラマ「龍馬伝」第2回の本県の平均世帯視聴率が34・1%だったことが15日、ビデオリサーチの調べで分かった。全国でも坂本龍馬の古里、高知の38・8%に次ぐ高視聴率となり、龍馬人気を裏付けた。
 関東地区は21・0%、関西地区は21・4%、北部九州地区は22・9%だった。番組中の最高視聴率は、高知が午後8時44分に44・7%、本県が同8時42分、43分に37・9%を記録した。
 視聴率調査は、本県では年に24週実施。龍馬伝については、第2回が初めての調査となる。
 本県での大河ドラマの初回調査時の視聴率は、2009年の「天地人」が21・6%、08年の「篤姫」が19・8%。龍馬伝はいずれも10ポイント以上上回っており、県民の期待や注目度の高さを示している。
 長崎龍馬会の馬渡善裕会長(45)は「昨年から市民力で盛り上げてきたものが、一つの形となって現れたと思う。龍馬が活躍した長崎を、県内外にさらにアピールしたい」と話した。



文化芸能
ワイド視聴室:新撰組PEACEMAKER
◆新撰組PEACEMAKER TBS=20日深夜0:34

◇主眼は若者のいちずさや情熱
 政治も経済も行き詰まり、抜本的構造改革が求められていた時代が今と似ているからなのか。幕末をテーマにしたドラマが相次ぎ、人気を集めている。その流れを意識したのか、水曜深夜ドラマの新シリーズで描いたのは新撰組。といっても主人公は近藤勇でも沖田総司でもなく、入隊したばかりの15歳の少年だ。
 1864年の京都。新撰組会計方、市村辰之助(古川雄大)の元に一人の少年がやってきた。名は鉄之助(須賀健太)。辰之助の弟で「新撰組に入って、強くなりたい」と兄を追ってきたのだが、“人切り稼業”はさせたくないと門前払いをされる。そんなある日、市中で火事が発生、鉄之助は逃げ遅れた女の子を救うため、炎の中に飛び込む。
 原作は黒乃奈々絵のベストセラーコミック。いきなり倒幕派との戦闘シーンから始まるドラマは意表をつかれる。キャストの多くが10代の若手俳優で、たわいもない会話が飛び交うさまは時代劇というより学園青春ドラマ。奥深い心理描写やリアリティーより、若者のいちずさや情熱に主眼を置いたテイストはフジテレビ「月9」に近いものがある。それだけに深夜ドラマというのはいささかもったいない。【北林靖彦】


注目ドラマ紹介:「新撰組 PEACE MAKER」 イケメン続々、ポップな幕末青春活劇
 須賀健太さんが連続ドラマ初主演となる「新撰組 PEACE MAKER」の放送が15日、MBS系でスタートする。須賀さん演じる少年隊士・市村鉄之助を中心に、史実をアレンジしたポップな幕末活劇が繰り広げられる。 
 原作は、累計500万部を発行している黒乃奈々絵さんのマンガ「新撰組異聞PEACE MAKER」(マッグガーデン)。史実では、土方歳三とともに戊辰戦争を戦い、遺品を故郷まで届けた鉄之助の成長を中心に、沖田総司や山崎烝ら若き隊士と長州藩士の吉田稔麿ら敵味方が入り交じった青春群像を描いている。若手イケメン俳優集団「D-BOYS」の柳下大さんが沖田総司、荒木宏文さんが吉田稔麿を演じ、島田紳助さんがプロデュースするユニット「新選組リアン」の榊原徹士さんが山崎烝役で出演。土方はダンスユニット「Lead」の谷内伸也さん、近藤勇は、お笑いコンビ「ココリコ」の遠藤章造さんが演じる。
 第1話は、洋学者の父と母を目の前で長州人に殺された鉄之助が、敵討ちををするために新撰組に入隊しようとするが、見た目と態度の悪さから子供扱いされてしまう。京都市中では不審火が続き、幕府の転覆を図る長州藩の暗躍がうわさされていたが、鉄之助は火事に居合わせ、逃げ遅れた女の子・沙夜(滝澤史)を救うために炎の中に飛び込む……というストーリー。
 大橋孝史プロデューサーは制作発表会見で「時代劇を若い人たちに見てもらいたいと思っていた。若い人にも見やすい話で時代背景もなぞっているのが面白い」と話している。放送は、MBSで毎週金曜日深夜0時29分(初回0時44分)、TBSで20日から毎週水曜日深夜0時34分など。【服部美央】


<坂本龍馬の生きた時代展>乙女姉への手紙など展示、大河ドラマ「龍馬伝」の小道具や衣装も
 福山雅治さん主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で注目が集まる幕末の志士、坂本龍馬を貴重な写真と資料で振り返る企画展「写真で辿る『坂本龍馬の生きた時代』」が16日から東京ミッドタウンの「フジフイルムスクエア」(東京都港区)で始まる。一般公開に先駆け15日、報道向けの内覧会が行われた。
 同展は、高知県立坂本龍馬記念館などの協力で、龍馬が生前に遺した姉・乙女にあてた書簡や所持品などのコレクション(複製品)も展示。幕末の志士や龍馬とその仲間たちなど写真パネルがずらりと並んでおり、激動の時代に生き、33歳の若さでこの世を去った龍馬の生涯を振り返ることができる。
 また、ドラマ「龍馬伝」の撮影風景を収めた写真や小道具などを展示する「NHK大河ドラマ『龍馬伝』展」(財団法人NHKサービスセンター主催)も同時開催。出演者とそのコメントなどが書かれたパネルのほか、福山さんがドラマで使用したものと同じ衣装や刀、小道具などがずらりと並んでおり、ドラマの世界を堪能できる。
 同展は2月25日まで、入場無料。午前10時~午後7時。2月6日午後2時からは歴史アイドル(歴ドル)の美甘子さんが登場する「歴ドル美甘子と学ぶ!『坂本龍馬幕末検定』事前対策講座」も開催。定員50人で事前予約制。問い合わせは(03・6271・3350)。美甘子さんが歴史の面白エピソードなどを交えて龍馬の魅力をたっぷりと語ってくれる。【栗原拓郎】



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