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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 明日は久しぶりにお湿りがあるそうで、唇がかさかさに荒れている自分は雨歓迎です。

栃木
壬生城址公園の2つの巨石 「言い伝え」は事実だった
 壬生町藤井の国指定史跡吾妻古墳の巨大な硬質岩製石室の全容が昨年度から本年度にかけて行われた発掘調査で明らかになった。壬生城址公園にある巨石が同石室の天井石と分かったことで、従来の「言い伝え」が事実と確認され、天井石や同公園に置かれた同石室の入り口の玄門にあらためて注目が集まっている。町教委は「石室や二つの巨石を見れば、その重量感や埋葬された人物の権威をより実感できる」としている。
 「えっ、これが古墳の石なんですか」。城址公園でベビーカーを押していた30代の女性は、いつもの散歩コースにある石を意識してはいなかったという。
 天井石は駐車場脇の芝生の上に置かれている。奥行き約2・4メートル、幅約1・7メートルの石室をちょうど覆う大きさで、厚さ約70センチ。石室の左右と奥の壁に密着させるため溝が刻まれ、材質も同じ青みがかった硬質岩だ。
 吾妻古墳は6世紀後半に造られ、長さ約128メートルの墳丘を持つ県内最大の前方後円墳。古代下野国首長墓とされる。全国でも珍しい硬質の一枚岩を目の当たりにした県内の研究者からは「県内最大の古墳にふさわしい威厳のある石室」と感嘆の声も出た。
 石室の姿が明らかになるまで、研究者には「城址公園の石は本当に天井石なのか」と疑問視する見方も強かった。「地域の古墳は加工しやすい凝灰岩の切り石」が定説だったからだ。
 もう一つの巨石、玄門は、城址公園内の壬生中央公民館南側の木立の中にある。高さ約1・8メートルの石室にぴたりとはまるサイズの凝灰岩で、中央部がくりぬかれている。天井石とともに、幕末の壬生藩主鳥居忠宝が「自分の隠居所の庭石に」と運び出し、隠居所があった上稲葉から1989年に移された。
 地元の藤井小には「吾妻古墳の石」との言い伝えがある横約2メートル、縦約1メートル、厚さ約30センチの凝灰岩も残る。
 現在、石室を見て城址公園を訪れる人が後を絶たない。石室は近く埋め戻されるため、町教委担当者は写真を用意し二つの巨石を見学してもらう考えだ。


茨城
奥原晴湖見つめ直す 画室を移築、復元 茨城・古河
 幕末から明治にかけ活躍した茨城県古河市出身の女流南画家、奥原晴湖(せいこ)=1837~1913年=が埼玉県熊谷市に画室を兼ねて暮らしていた「繍水草堂(しゅうすいそうどう)」が古河歴史博物館(古河市中央)へ移築、2月下旬に一般公開される。これまでも古河市内にありながら、あまり知られていなかった史跡の“復活”。同館では「復元工事で本来の姿を取り戻した画室とともに晴湖の画業を改めて見直してほしい」と期待を込める。(田中千裕)
 晴湖は古河藩重臣の家に生まれ、17歳ごろから絵画を学んで江戸での文人墨客らとの交流を重ねた。水墨画に、詩で絵の情景を表現する南画の代表作家として高く評価されている。
 移築された画室は、明治24(1891)年、熊谷に拠点を移した時代のもの。昭和4(1929)年、晴湖の子孫によって晴湖の実家がある古河市西町に移築されていた。しかし、「住宅地の中に人知れず置かれていた」(同館)状態だったという。
 今回の移築は、所有する子孫から寄贈の申し入れを受けた古河市が国のまちづくり交付金事業を活用。約1年をかけた移築工事では残されていた熊谷時代の図面を基に、当時の姿に近い復元を目指したという。玄関から画室につなぐ廊下を設置。茶道をたしなんでいた晴湖が使用した炉も切られており、伝統的日本家屋の茶室としても使用できるようになった。
 同館では、隣接する鷹見泉石記念館とともに、新たな歴史観光資源として活用したい考えだ。
 2月の一般公開では晴湖の複製作品や残されている写真やパネルなどを画室に展示するが、室内へは入場できず、庭園からの観覧となる。また、隣接の同博物館では3月20日から移築記念の「奥原晴湖展」を開き、博物館所蔵品はじめ、県立歴史館などの協力で約50点に及ぶ作品を並べ晴湖の初期から晩年に至る画業を紹介することになっている。



東京
坂本龍馬のルーツを辿る写真展
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」で人気が再燃中の坂本竜馬のルーツを辿る写真展、写真で辿る『坂本龍馬の生きた時代』が、FUJIFILM SQUARE(東京都港区六本木、東京ミッドタウン内)1Fギャラリー「PHOTO IS」において開催されている。期間は2010年1月16日(土)から2月25日(木)まで。入場無料。


神奈川
元NHKキャスターが「軍港めぐり案内人」に-航海中にニュース伝える!? /神奈川
 横須賀の人気観光スポット「軍港めぐり」で、元NHKキャスターの川原恵美さんが「特別案内人」に起用され話題を呼んでいる。1月22日・23日、同クルーズに乗船した川原さんは日米艦船ガイドの合間に「軍港ニュース」を読み上げるなど、ユニークなガイドぶりが好評。(横須賀経済新聞)
  川原さんは8年前にNHK青森放送局に在籍した元キャスターで、tvkテレビ神奈川などでレポーターとしても活躍。プレゼンジム代表。
 当日のクルーズでは、横須賀本港に停泊する潜水艦や空母など日米艦船の説明途中に「突然ですがここでニュースをお伝えします」とアナウンス。昨年実施された「日米ネイビーフレンドシップデー」「米空母ジョージワシントン一般公開」「引退した旧南極観測船しらせに買い手現る」などのニュース記事を読み上げて紹介。歴史をさかのぼって幕末の黒船騒動や横須賀造船所建設など歴史的事件もニュース風に解説するなど、観客を飽きさせない工夫を凝らした案内を行う。
 同クルーズを運営するトライアングルの鈴木隆裕さんは「案内人の説明が好評なことから社内スタッフ以外の『特別案内人』コーナーを設けた。郷土史家・お笑い芸人など個性的な人材も案内役に起用して不定期に実施している」という。
 川原さんは「毎日停泊する艦船が違うため、当日朝にならないと船舶の種類がわからないことも。事前に用意した原稿に加えて、同乗する専門スタッフのアドバイスも受けながら工夫している」と話す。「原稿にアドリブを加えて伝えるのはニュース現場のレポートに似ている」とほほ笑む。
 軍港めぐりは1日4便。乗船料は、大人=1,200円、小学生=800円。汐入桟橋から出航する。


愛知
埋もれた新撰組隊士に光
【蟹江町 30日に佐野七五三之助検定】

●講演会や墓地案内板設置も

 蟹江町出身の新選組隊士、佐野七五三(しめ)之助(の・すけ)(1834~67)。地元でもあまり知られていない人物に光をあてようという動きが町内で高まっている。30日には研究家を招いた講演会を開く。「佐野七五三之助検定」も初めて催される。町は近く、墓地への案内板を3カ所に設置する。(中村尚徳)
 七五三之助は同町須成にある須成神社神職の長男として生まれた。尊皇攘夷(そん・のう・じょう・い)を志して江戸に行き、新選組が名を上げた1864年の池田屋事件の後、隊士募集に応じ京都へ上った。3年後、全隊士の幕臣取り立てに反発、離脱を画策したが、失敗して自刃した。
 地元ではほとんど埋もれた史実だった。5年ほど前、新選組研究家の清水隆さんから知らされ、「かにえガイドボランティア歴史・文化夢案内人(あないびと)」副代表の山田靖宣さん(67)らが調べ始めた。郷土の歴史を掘り起こすとともに、町おこしや観光につなげようという思いもあった。
 その後、七五三之助の妹の次男が、県内初の首相、加藤高明(1860~1926)だったことが分かり、山田さんらはのめり込んだ。岩崎弥太郎の長女と結婚し、三菱から官界に転じた加藤は、おじが新選組隊士だったことを隠したらしい。死後に発行された伝記でも、母方の家系図から七五三之助の名前は削除されていたという。
 今年は、かにえガイドボランティア組織の発足5年目の節目にあたる。さらに同じ幕末が舞台のテレビドラマ「龍馬伝」が放映されていることも手伝って力が入る。山田さんは「表舞台に登場する人物ばかりが歴史じゃない。郷土に埋もれた歴史があることを知ってもらいたい」と話す。
 講演会は30日午後1時半から町産業文化会館で。講演会の後「佐野七五三之助検定」がある。また、2月7日午前10時には、同町須成の寺院「龍照院」からの約800メートルを新選組の羽織姿で歩く行事もあり、参加隊士を募集している。問い合わせは、講演会が主催の町教委(0567・95・3812)、2月7日の行事は、ボランティア代表の金森伍朗さん(0567・95・0895)へ。

【家康公検定の岡崎市】

●作家招き職員研修

 来年度から「家康公検定」を実施し、観光による活性化を目指す岡崎市で25日、市職員や市議、自治会長らを対象にした講演会があり、歴史家で作家の加来耕三氏が「徳川家康に学ぶリーダーの条件」をテーマに話した。
 加来氏は、テレビドラマなどの歴史上の人物設定で、史実と明らかに異なる点が多いことなどを説明。「未来は過去、現在の延長線上にある。日常生活で歴史から学び、活用するには、固定観念にとらわれず、歴史を疑う姿勢が大事だ」と強調した。
 家康公検定の実施については、「日本人の多くの人がイメージしている家康像も誤解されている面もあり、一から見直すべきだ。中国人の間では家康は一番人気で、中国からの観光客誘致につなげることも可能だ」と助言した。


京都
2階部分を幕末当時の姿に再現 龍馬ゆかりの京都「酢屋」
 幕末の志士、坂本龍馬が海援隊の活動拠点として、暗殺される3日前まで過ごしていたと伝えられる材木商「酢屋」(京都市中京区)の2階部屋などが、当時の様子に再現され公開されている。NHK大河ドラマ「龍馬伝」も好評なだけに、龍馬ゆかりの観光スポットとして注目を集めている。
 酢屋は、江戸時代の享保6(1721)年創業の材木商。高瀬川の木材独占輸送権を得て運送業も行っていた6代目、酢屋嘉兵衛が幕末、取引先の土佐藩で知り合った龍馬と意気投合し、酢屋の2階でかくまったとされる。
 龍馬は、ここに海援隊京都本部を置き、隊士らとともに寝泊まりしていた。慶応3(1867)年6月には長い手紙を書き、姉の乙女に投宿していることを知らせている。
 酢屋の事業は現在、「千本銘木商会」に引き継がれている。半年前に「龍馬が寝泊まりしていた建物の雰囲気を知ってもらおう」と、ふさいでいた2階天井部分を開放。梁などの屋根裏が見えるようにした上、龍馬がピストルの試し打ちを行ったとされる出格子のある方向に、すずりと筆を置いた机を配し、「龍馬の部屋」を再現した。
 建物2階には、龍馬に関する史料も展示されており、早くも大勢の龍馬ファンが訪れているという。
 酢屋10代目で、千本銘木商会社長の中川敦子さんは「龍馬ゆかりの建物が現在も街中に残っているのは大変珍しい。屋根裏の梁は龍馬の声を聞いていたはずです」と話している。


和歌山
友ケ島を国の史跡に、和歌山市と県が協議
 明治時代に築かれたレンガ造りの砲台跡など貴重な遺跡群が残 友ケ島について、所有者の和歌山市が国史跡指定(戦跡)に向けて取り組んでいることが分かった。具体的な史跡の範囲などはまだ確定していない模様だが、4島でなる友ケ島のうち当面は砲台跡のある沖ノ島と虎島の2島の史跡指定化を目指す。指定されれば近代の歴史的遺産では県内初で、和歌山市の観光振興にとってもメリットは大きいと期待されている。
 友ケ島は明治20年代に、外国艦船の侵入を防ぐ目的で沖ノ島に5カ所、虎島に2カ所砲台を建造し、軍用道路を設けて要塞化。第二次世界大戦までは要塞地帯として一般人の立ち入りは禁止されていた。
 終戦時に米軍によって破壊された第2砲台跡以外は軍事施設跡は比較的良好な状態で残存。特に第3砲台跡にあるレンガ造りの倉庫跡は当時の最先端の技術の粋を結集した貴重な文化財で、映画などのロケに使用されたり、観光の人気スポットともなっている。
 近代の要塞跡では、山口県下関市が世界遺産候補の1つ「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産にもなっている幕末期の「前田砲台跡」を中心に、平成22年度中の国史跡指定を目指し取り組んでいる。
 和歌山市では史跡指定に向けて県と協議を開始。市文化振興課は「史跡の範囲などまだ具体的なことは決まっていない」と申請内容などは明らかにしていないが、県によると、今春には文化庁の現地調査が入る予定で、ことし12月の文化審議会の答申を目指したい考え。
 市観光振興課は「国史跡となれば、友ケ島がこれまで以上に着目され、市の観光振興にとってもメリットは大きい」としている。



島根
松江・床几山入口に、案内石碑復元
 松江開府の祖・堀尾吉晴が江戸初期、松江市雑賀町の床几山から眺望し、松江城を築く場所を決めたという逸話にちなんでこのほど、地元住民によって、来訪者を床几山に導く石碑が同町の国道432号線沿いに復元された。
 新たに設けられた案内石碑は「床几山入口」と掘られ、御影石製で高さ約1・8メートル、幅、奥行きともに70センチ。
 元の石碑は、1935年に同町出身で首相を務めた若槻礼次郎の銅像が床几山山頂に造られた際に合わせて、新しい石碑と同じ場所に設置されたが、80年ごろ、道路拡張に伴い、姿を消した。
 それに対し、松江開府400年祭の追い風もあり、相生町通りの住民43人が「松江発祥の地へ導くものを、もう一度作ろう」と寄付をして復元した。
 雑賀地区は、幕末から明治初頭にかけ、寺子屋などが数多く設けられ、学問の町として多くの偉人を生んだ。若槻礼次郎のほかに、近代スポーツの父と呼ばれる岸清一らを輩出した。
 雑賀まちづくり推進協議会の佐々木武男会長(76)は「市民をはじめ、訪れる人々に、歩いて町の歴史を理解してもらうためにも今後も整備を続けていきたい」と抱負を話した。




山口
長府博物館:「龍馬にとっての下関」 長州藩士資料など公開--来月2日から /山口
 下関市長府川端の長府博物館は、2月2日から坂本龍馬の関連資料をそろえた新コーナーを設け「龍馬にとっての下関」を再検証する。幕末の志士だけに、NHK大河ドラマを機に関心は高まるばかり。龍馬と下関の深いかかわりを象徴する4日間を入館無料にしてアピールする。
 無料日は、龍馬が長府藩士、三吉慎蔵の助けで寺田屋での窮地を脱した1866年「1月23日」▽妻お龍と下関の豪商、伊藤九三宅に住み込んだ1867年「2月10日」▽長府藩士、印藤聿(のぶる)に夢を語った同年「3月6日」▽お龍のことを三吉に託す遺言状を残した同年「5月8日」。
 龍馬と三吉、伊藤、印藤らとの親交などを示す資料や、幕末関連の品々、資料を随時公開していく。古城春樹学芸員は「当時の下関の人たちが、薩長同盟など維新に重要な役割を担っていたことを多くの人に知ってほしい」とPR。問い合わせは長府博物館(083・245・0555)へ。【尾垣和幸】



佐賀
龍馬愛用の茶わん、忠実に復刻 佐賀玉屋で展示会
 長崎県佐世保市の藤本岳英さん(52)=五光窯=の「卵殻手(らんかくで)と龍馬が愛した器展」が、31日まで佐賀市の佐賀玉屋で開かれている。幕末の志士、坂本竜馬が愛用した長崎・亀山焼の茶わんの復刻品のほか、極薄の卵殻手の器など約100点を並べている。
 亀山焼は1865年に廃窯し、竜馬がその仕事場跡に「亀山社中」を創立。龍馬は亀山焼の器を愛用したとされる。
 藤本さんは平戸藩御用窯の13代目。亀山焼は三川内焼を手本に始まり、原材料も同じだったことが文献で分かり、亀山焼の再現を試みた。竜馬愛用の茶わんは、山口県下関市立長府博物館に所蔵される亀山焼を忠実に再現し、染付の龍の紋様が力強く躍っている。
 また、藤本さんは三川内焼秘伝の卵殻手の技法を4年前に再興。会場には、厚さ0・9ミリと卵の殻のように薄い器も並び、皇太子殿下やスウェーデン王妃に献上したコーヒーカップなどが目を引いている。


長崎
龍馬らの足跡たどり 長崎の魅力など語る
◇鹿児島大教授招き来月

 「龍馬と幕末の長崎・薩摩」と題した講演会が2月7日午前10時、長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館で開かれる。講師は、原口泉・鹿児島大教授。NHK大河ドラマ「翔(と)ぶが如く」「篤姫」などの時代考証を手がけた経験も踏まえ、坂本龍馬ら幕末の志士の足跡をたどりながら、長崎の歴史や魅力を語る。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせた「長崎さるく英雄編」の一環として、市が主催。入場無料。定員先着140人。長崎さるくのホームページ(http://www.saruku.info/)か電話(095・811・0369)で申し込む。





文化芸能
龍馬だけじゃない!“明治維新の先駆者”吉田松陰の生き様に注目
 NHKの大河ドラマ『龍馬伝』が始まり、坂本龍馬や明治維新に再びスポットが当たっているが、今年生誕180周年、維新思想の先駆者として知られる吉田松陰の存在も忘れてはならない。『獄(ひとや)に咲く花』(4月より全国公開。山口、福岡県のみ2月6日より先行公開)は、30歳で没した吉田松陰の短い生涯をひとりの女囚の目を通して描いた作品だ。
 1830年に長州藩士の家に生まれた松陰は、1853年にペリーが浦賀に来航すると、龍馬と同じく西洋の先進文明に心を打たれる。翌年、再び来航したペリー艦隊に密航を企てるも、計画は失敗し、故郷で幽閉の身に処される。そこで、私塾「松下村塾」を開き、木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文らを育てていた松陰だが、1858年に幕府が日米修好通商条約を締結したことを知るや、討幕を表明。老中首座の暗殺を計画し、野山獄に送られて処刑されてしまう。
 いわゆる志なかばで散った不遇の幕末武士で、その先駆的な思想から、松陰は明治維新の精神的指導者、理論者として多くの人々に影響を与えた。明治維新のスターである坂本龍馬に比べれば随分と地味な印象だが、龍馬の活躍も松陰が作った下地があってのものだったのだ。
 劇中ではそんな松陰が野山獄に収監されていた執念の日々が描かれる。表舞台で輝いた龍馬もいいが、吉田松陰の“陰”での輝きにも注目だ。【トライワークス】


ビジネス
竜馬ビジネス絶好調!写真貸し出し希望殺到
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」の効果もあり、坂本龍馬の肖像写真を商品のパッケージやキャラクターに使いたいと、原板を管理する高知県に貸し出し申請が、県外などから急増している。県立坂本龍馬記念館(高知市)には例年40件程度の申請が約10倍に殺到。過熱する“竜馬ビジネス”に経済効果を期待する一方、トイレットペーパーに使用許可を求められるなど安易な便乗商法には「イメージが損なわれる」などと不安の声も出始めた。
 右手を懐に入れ、革ブーツ姿で立つ坂本龍馬。この有名な写真は1866年、土佐藩の町医師で写真家、井上俊三によって長崎県で撮影されたとされる。商業利用する場合、同記念館(高知市)と歴史民俗資料館(南国市)が、1回5150円でデータなどを貸し出している。
 福山雅治(40)主演の「龍馬伝」が、龍馬を主人公にした大河ドラマとして42年ぶりに撮影されることが決まると、貸し出し申請が急増。同記念館は、2009年度が12月末時点で396件、同資料館も毎年50件だったのが120件以上にはね上がった。龍馬と関係ない大阪、東京の業者も多く、8割以上が高知県外からという。
 使われる商品は出版物や菓子、酒からパチンコの機械までさまざま。何個作っても、いくらもうけてもロイヤルティーを要求されることはない。ただし条件があり、「加工せずそのまま使ってもらう」と記念館の森健志郎館長。以前、貸し出した画像が口を開けて叫んでるようにトリミングされ、公営ギャンブルのポスターに使用されたという。また、トイレットペーパーにも打診があったが断った。
 「龍馬伝」は今月24日放送分まで3週連続で週間視聴率1位を記録しており、過熱一途の龍馬人気に森館長は「県外業者の商売魂は凄い。ファンを増やす千載一遇のチャンス」と期待。日本銀行高知支店の西川正治総務課長は「先行き不透明な世の中だから、幕末の英雄に期待がかかるのだろう。ビジネスチャンスはまだいっぱいある」と分析する。
 一方でファンからは「商売に使うのはおかしい。イメージが損なわれる」と批判的な意見もあり、記念館の前田由紀枝学芸主任は「龍馬の思想や人柄にも関心を持ってくれればいいが」と不安顔。資料館の寺川嗣学芸員も「“バブル”で終わってしまうのではないか心配」と話している。




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