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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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あけましておめでとうございます。2003年末から始めた当ブログ、干支で一回りを超えましたが、これからも細々と続けていきたく存じます。よろしくお願いします。

静岡
鉄の大砲 今どこに? 韮山反射炉で鋳造
◆靖国所蔵品 可能性あり

靖国神社に展示してある韮山反射炉製とされる大砲=東京都千代田区で
写真
 世界文化遺産に昨年登録された韮山反射炉(伊豆の国市)をめぐる謎がある。青銅製大砲が主流だった幕末、鉄製大砲を造るために建造されたが、韮山で鋳造した大砲と確認された現物が一つもない。反射炉を出発点に、韮山の鋳造と伝わる鉄製大砲を所蔵する靖国神社(東京都千代田区)、韮山の大砲設置を予定した東京湾の品川台場周辺を訪ね、韮山製大砲のありかを探した。 

 江戸幕府の韮山代官・江川坦庵(たんなん)(一八〇一~五五年)が中心となって建てた韮山反射炉の北側に大砲が設置してある。地元の木村鋳造所(清水町)が一九九八年に造った鉄製大砲の復元品だ。伊豆の国市によると、韮山反射炉では鉄製が少なくとも四門造られた記録がある。

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 反射炉から車で北へ五分の代官屋敷「江川邸」。韮山代官を代々務めた江川家の資料十万点以上を所蔵する。土間に展示している大砲も復元品だった。資料を研究する江川文庫の橋本敬之学芸員(63)は「多くの資料があるものの、大砲の実物はない」と打ち明ける。

 靖国神社の遊就館(ゆうしゅうかん)は、武器や美術品など十万点を所蔵する。幕末から戊辰(ぼしん)戦争(一八六八~六九年)の資料が並ぶ二階の展示室に、韮山製とされる大砲があった。茶褐色にさびており、全長一三二センチ、口径六・七センチと想像より小ぶり。砲口につけた六つの線で砲弾を回転させるライフルカノン砲だ。「三百匁玉旋條砲(もんめだませんじょうほう)」と表示し、解説に「幕末に韮山の反射炉で鋳造された前装火縄式のカノン砲」とある。遊就館の担当者は「大砲は鉄製で、一八八一年に旧日本陸軍の砲兵第一方面(東京)から奉納された」と説明する。

世界文化遺産登録から半年を迎える韮山反射炉=伊豆の国市で
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 韮山製大砲は海上砲台・品川台場設置のために造られた。大砲を江戸に送った記録はあるものの、品川歴史館(東京都品川区)の富川武史学芸員(36)は「台場にあった大砲の実物は見つかっていない」という。「明治期に台場を管轄していた軍が大砲を保管していて、靖国神社に奉納した可能性はある」と推測した。

 靖国神社所蔵の大砲は、韮山製なのか。伊豆の国市の工藤雄一郎学芸員(47)は「現段階では青銅製のライフル砲を造った資料しかない」と指摘する。一方で、江川文庫の橋本学芸員は「韮山で鉄製ライフル砲の製造を試みたと言う研究者もいる」と話す。富川学芸員は「伊豆の国市と江川文庫、靖国神社が協力して調査できれば成果が出るのでは」と期待した。

(山田晃史、写真も)

 <韮山反射炉> 1853(嘉永6)年のペリー来航を受け、江戸幕府が江戸湾(東京湾)の防備を固める目的で大砲を鋳造した溶解炉。54年に着工し、57年に完成。炉の天井がアーチ状になっており、熱を反射して一点に集中させる構造から反射炉と呼ばれる。炉は全部で4つあり、煙突を合わせた高さは15・7メートル。稼働は7年間だったが、実際に稼働したもので国内で唯一完全な形で現存している。2015年7月、「明治日本の産業革命遺産」の23施設のひとつとして世界文化遺産に登録された。
 靖国神社は、江川英龍の親友であり江川家の相談役でもあった斎藤弥九郎が練兵館を開いていた場所でもあるのですが、大砲の来歴とは繋がらないですよね……研究が進むといいなぁと思います。

東京
巣枝翁見聞夜話福生・酒蔵当主先祖、「幕末」生き生きと 飢饉、大地震を記述 研究会が読みやすく /東京
 福生市の老舗の酒蔵、田村酒造場の当主の先祖、田村金右衛門(俳名・巣枝(そうし))が1869(明治2)年に書いた「巣枝翁見聞夜話」を、中高生でも読めるよう書き改めた本が完成した。天保の飢饉(ききん)、安政の大地震と江戸城修復などの史実が金右衛門の目を通して描かれ、幕末の多摩の人々の息づかいが伝わってくる。【柴田朗】
 金右衛門は1809(文化6)年、福生村(現在の福生市)生まれ。名主の田村勘次郎の次男で、勘次郎の義弟の養子に。その後、勘次郎が所有する酒蔵の一つで、宮沢村(昭島市)にあった酒蔵を譲り受けた。
 酒蔵経営や酒の価格など、酒関連の記述が多いが、当時の人気の酒は「甘口」で、「からき酒は不造物(ふぞうもの)とて、う(売)れ申さず」など、江戸の人々の好みにも触れている。
 33(天保4)年から36(同7)年にかけての天保の飢饉は金右衛門が20代の頃。熱病が流行して「家内残らず死去いたし候者多し」「高石に爪(つま)づきころぶと、死すなり」などの記述も。
 55(安政2)年の安政の大地震では発生直後に江戸を訪ねて「人何万人とも無く死す」「御城石垣皆くずれ」などの状況を報告。しかし翌年にほぼ修復され、「公儀の御勢い、此(こ)の頃大そう成ることなり」と感心している。八王子市に落ちた隕石(いんせき)、竜巻なども詳細に記した。
 夜話の最終話は「打ち壊し」。押しかけた人々が66(慶応2)年6月16日に家屋や酒蔵を破壊し、その後、金右衛門はついに酒蔵経営を断念した。
 解読した福生古文書研究会会長の峰岸秀雄さん(80)は「夜話に記されているキツネに化かされた話などは、私が子供の頃、祖母から聞かされた。福生の民衆史としても興味深い」と話している。
 同書は全88ページ。問い合わせは同研究会会員の日野さよ子さん(042・552・7566)。
〔都内版〕

富山
国泰寺救った筆さばき 山岡鉄舟の千双屏風を展示
高岡市博物館
 高岡市博物館は、「幕末三舟」の一人、山岡鉄舟(一八三六~八八年)の筆で、同市太田の臨済宗国泰寺派大本山「国泰寺」に奉納された「千双屏風(びょうぶ)」と呼ばれる漢詩屏風(六曲一双)を展示している。二月二十八日まで。(武田寛史)
 屏風は二隻あり、一隻が縦百七十三センチ、横三百四十七センチ。右隻を展示しており、来年一月二十六日から左隻に展示替えする。
 鉄舟が、明治初期に国泰寺五十四世の越叟義格(えっそうぎかく)と親しくなり、廃仏毀釈(きしゃく)による寺の窮状を訴える越叟のために揮毫(きごう)し、奉納した千二百双の屏風が千双屏風。
 その後、同寺院五十五世、雪門玄松(せつもんげんしょう)が屏風を売り歩き、同寺の天皇殿や禅堂を再建。山門も改築して寺院の再興を遂げたと伝えられる。所有していた同市内の高林礼一氏が、同博物館に寄贈した。
 鉄舟は剣、禅、書の達人として知られ、戊辰戦争では勝海舟の使者として西郷隆盛に面会。六八(慶応四)年の江戸無血開城の道を開いた人物。書に優れた鉄舟の力強い筆さばき、洒脱(しゃだつ)な書体が見どころ。
 同博物館の仁ケ竹(にがたけ)亮介主査学芸員(40)は「高岡にとっては歴史的な価値がある。一歩踏み込んで、鉄舟や国泰寺の深い歴史を読み取れる資料なので、ぜひ見てほしい」と話している。年末年始の休館は二十八日~一月四日。一月五日から開館する。開館時間午前九時~午後五時。入館は無料。 

福岡
「幕末の山笠」伝える墨絵 博多・櫛田神社に奉納 安政5年、幻の舁き山の下絵か
 博多祇園山笠で知られる福岡市博多区上川端町の櫛田神社(阿部憲之介宮司)に、幕末の1858(安政5)年の作とみられる墨で描かれた山笠の絵2枚が奉納された。担いで走る舁(か)き山笠と飾り山笠の区別のなかった時代の山笠らしく、そびえ立つような威容。絵に残された筆書きから現在は無くなった「福神流」の山笠とみられる。山笠を作る人形師が関係者に構想を示すために描いた下絵とみられ、山笠の歴史を知る上で貴重な資料となりそうだ。
 奉納したのは、福岡県太宰府市観世音寺の高瀬利明さん(81)。かつて同区上呉服町で家具店を営んでいた高瀬さんの実家に伝わっていた品で、傷みが激しいため秋ごろから専門業者の元で修復が進められていた。
 歴代の山笠の記録を収録した「博多祇園山笠史談」によると、安政5年の福神流の山笠の題は「万貨一国富」で、当番町は現在の上呉服町の一角(山笠の運営単位では上魚町)に当たる「魚町上」。一方、2枚の絵にも「魚町上」の文字が記されており、片方には「中央榎木鉢蓬茂生 韓人王 安政五年四番見送り使用」と読める文字もある。
 2枚は、同じ山笠の「表」と「見送り(後方)」とみられ、その姿は、現在の飾り山笠のように高く、楼閣や橋が立体的に配置された典型的な江戸期の様式。中国風の衣装を着た男性の人形が表に2体、見送りに1体飾られ、宝物を満載した荷車が置かれるなど豪華な雰囲気を演出している。
 福岡市博物館の宮野弘樹学芸員によると、当時は山笠の飾り付けなどを決めるには藩の許可が必要で、藩に提出する正式な絵は鮮やかに彩色され「表」だけ描かれたケースが多いという。宮野学芸員は墨絵について「正式な許可申請の前に町内で打ち合わせた段階の絵だろう。当時の山笠の制作過程を明らかにする上で興味深い」と話す。上魚町の元町総代吉井利雄さん(85)は「こうした古い山笠の絵が残り、保存されるのはうれしいことだ」と話した。
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