新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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「幕末・明治-激動する浮世絵」展 時代の空気リアルに伝え
平成30年の今年は明治維新から150年となる。幕末から明治へと、社会が大きく変わっていく中で浮世絵も様変わりしていった。その時代の作品に焦点を当てた「幕末・明治-激動する浮世絵」展が、東京の太田記念美術館で開かれている。幕末~明治の「イヌ事情」に迫る 横浜開港資料館で展示
約260年続いた江戸時代が終わり明治時代を迎えると、都市ではモダンな洋風建築が建ち始めた。文明開化の香りを感じさせるのが昇斎一景(しょうさいいっけい)の「東京名所 銀座繁栄之図」だ。ピンクの花を咲かせた華やかな桜並木。人々が歩き、馬車や人力車が行き交う。和装の女性がいれば洋装の紳士の姿もある。桜の背後には煉瓦造りの建物。和洋混交の不思議な光景は活気にあふれ、明治という新しい時代の高揚感を感じさせる。作者の昇斎一景は明治初期、「開化絵」といわれる東京の町並みや風俗を描いていたが、生没年や詳しい来歴もわかっていない。いわば謎の浮世絵師だ。
急速に近代化が進んだ明治。5年には日本初の鉄道路線が新橋-横浜間で開通。明治に活躍した四代歌川広重の「高輪 蒸気車通行全図」はその鉄道をモチーフにした。ただ制作されたのは開通前で、実際に見て描いたわけではなく資料などを基に想像で表現したという。そのため、客車部分は馬車のようでちょっと変。現代の目で見るとユーモラスだが、この絵を見た当時の人たちはまだ見ぬ未知の乗り物にどれだけ心を躍らせていたのだろうか。
浮世絵は絵として純粋に楽しむ一方、明治になると情報をもたらすメディアにもなった。「江戸時代は幕府の批判につながるということで、リアルタイムな事件を浮世絵にすることは禁じられていたが、明治になると制限はなくなり西南戦争なども絵にすることができるようになった。浮世絵は庶民が欲していた情報をもたらすものでもあった」と同館の日野原健司主席学芸員は話す。
小林清親の「明治十四年一月廿六日出火 両国大火浅草橋」は、大火を題材にした。立ち上る赤い炎はすさまじく、天まで昇る勢いだ。明治14年1月26日に起こった大火災を、清親は写生帖を手に、一晩中火の行方を追ってスケッチした。灰燼(かいじん)に帰した焼け跡の絵も残したように、何枚も作品にした。そのため、帰宅したときには自分の家まで焼失していたというエピソードも。画題には、場所や日時が記されていることからジャーナリスティックな目を持っていたことがうかがえる。
清親は明治初期、江戸から東京となった都市を光や影を駆使し情感たっぷりに描いた「光線画」と呼ばれる浮世絵版画で人気があった。「大川岸一之橋遠景」もその一つで明暗のコントラストが鮮やか。「従来の浮世絵は輪郭線があったが、ヨーロッパの絵画は基本的に輪郭線がなく陰影で立体感を表現した。そうした手法を木版画に取り入れようとし、浮世絵らしくない油絵のような世界を生み出した」(日野原主席学芸員)
明治期、近代化によって江戸の面影が失われたものの、新しい名所が各地に誕生していった。展示された約150点の作品からは、時代のリアルな空気を感じることができる。(渋沢和彦)
■りりしい西郷どん
明治維新をなしとげた人物として人気があるのが西郷隆盛だろう。本展には西郷を描いた鈴木年基の「文武高名伝 旧陸軍大将正三位 西郷隆盛」が出品されている。ひげをたくわえ、軍服姿でりりしい姿だ。制作されたのは明治10年。西南戦争がすでに始まり、西郷軍の劣勢が伝えられていた時期で、作者の年基は実際会って描いたわけではない。東京の上野公園にある、犬を連れた親しみのある銅像の姿とはイメージが違う。西郷の絵は数多いが、上半身アップの作品は少ないという。作者の年基は明治初期に活躍し、名所絵などを描いていた浮世絵師で生没年は不明だ。
本展には、西郷関係の浮世絵が前期・後期あわせて8点出品。西郷が自刃して幽霊となった不気味な姿を見せる月岡芳年(よしとし)の「西郷隆盛霊幽冥奉書」(後期)も展示され、さまざまな偉人像に触れることができる。
NHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」も始まり、すでに多くの本が出版されている。ブームが起こっているが浮世絵の「西郷どん」も必見だ。
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【ガイド】「明治維新150年 幕末・明治-激動する浮世絵」展は東京都渋谷区神宮前1の10の10、太田記念美術館。前期1月28日まで、後期2月2~25日(前後期で展示替え)。月曜休。一般700円、大高生500円、中学生以下無料。問い合わせはハローダイヤル(電)03・5777・8600。
二〇一八年の戌(いぬ)年にちなみ、幕末~明治の「イヌ事情」に迫った資料展が、横浜市中区の横浜開港資料館ミニ展示コーナーで開かれている。二月二十八日まで。 (志村彰太)幕末・維新グルメ明治改元150年/5止 武市と玉子とじ 獄舎へ届けた妻の愛 /高知
同館によると、江戸時代は猟犬や狆(ちん)という小型犬を除き、個人がイヌを飼うことはなかった。雑種とみられるイヌが群れをなして地域内で暮らすのが普通で、現在の地域猫のような存在だった。幕末の開港後、海外から品種改良された西洋犬が流入。文明開化の象徴として室内や犬小屋で個人が飼い、散歩に連れて行く生活様式が定着していった。
会場には、横浜を題材にした浮世絵で知られる歌川貞秀(さだひで)(一八〇七年~没年は不明)が、西洋犬を散歩させる外国人を描いた浮世絵や、明治期に横浜で撮影された飼い犬の写真など十点を展示。担当者は「幕末の開港が日本人とイヌの関係を変えたことが伝えられれば」と話している。
入館料は大人二百円、小中学生百円。年末年始と原則月曜休館。問い合わせは同資料館=電045(201)2100=へ。
坂本龍馬の盟友として知られる土佐勤王党の盟主・武市半平太(1829~65)。昨年には俳優・市原隼人さん主演の映画「サムライせんせい」が公開され、新たな資料も見つかるなど、その生涯に改めて注目が集まっている。そんな武市が愛した「幕末維新グルメ」。それは妻・冨との愛情を感じる「玉子(たまご)とじ」だった。巡回展幕末志士らの肖像、湿板写真で伝える 撮影や焼き付け体験 いの /高知
現在の高知市仁井田に当たる吹井村に生まれた武市は、龍馬とは「武市のアギ(あご)」「龍馬のアザ(あばた)」と呼び合う仲だったという。1861(文久元)年に尊王攘夷(じょうい)を進めようと土佐勤王党を結成。土佐勤王党は政敵の吉田東洋の暗殺などを決行するが、武市は1863(文久3)年には入獄を命じられ、過酷な獄舎での生活を余儀なくされる。
本来は許されない冨との手紙だが、ろう役人の計らいもあり、2人のやり取りは現在も残されている。冨は獄内の武市のために毎日、食事を作って夫へと届けさせた。体調を考えての麦飯や鯛飯、牛肉については食べると「のぼせて悪い」という記述が。薄暗い獄舎の中でせめて季節を感じられるようにと、食事の他に桜の花を差し入れたこともある。
そうした食事の中で武市が特に「うまい」と好んだものの一つが、冨の差し入れた玉子とじだ。
松崎淳子・県立大名誉教授(調理学)にアドバイスをもらい、冨が作ったであろう当時の「玉子とじ」の味を再現してみた。だしは、その頃に一般的だったじゃこ(イワシの小魚)でとり、しょうゆで味付けする。煮込んだネギに当時は高級品だった卵を絡めれば、作り方こそ簡単だが、素朴な野菜の甘みにじゃこのうまみが溶け込み、優しい味がする。
「あいたい事はいわいでもしれたこと」と武市は冨に宛てた手紙で書いている。だが、1865(慶応元)年うるう5月11日、武市は切腹。付近には、今も「武市瑞山先生殉節之地」の碑(高知市帯屋町)が残っている。
歴史研究家の松岡司・佐川町立青山文庫名誉館長は「武市が冨のことを思い、冨もまた武市の教えを守ろうとした2人のつながりが手紙のやりとりから見えてくる」と話す。【岩間理紀】=おわり
貴重な幕末のガラス湿板写真を中心に展示する「幕末維新写真展」がいの町幸町のいの町紙の博物館で開かれている。2月18日まで。「志国高知 幕末維新博」の一環で開かれている巡回展で、維新博推進協議会主催。<東京人>明治を支えた幕臣・賊軍人士たち 敵味方なく人材登用
湿板写真は幕末に伝わった写真の技法。ガラス板に硝酸銀溶液を塗り、感光性を持たせることで、ガラス板がフィルムと同じ役割を果たす。現像や定着を、ぬれた状態ですることから湿板写真と名付けられた。
会場では坂本龍馬ら、幕末から明治にかけて活躍した志士らの肖像写真や江戸時代末期に日本各地を撮影したイギリスの写真家フェリーチェ・ベアトが使用したとされる大判カメラなど約160点を展示している。
湿板写真が並ぶ「幕末維新写真展」の会場=高知県いの町幸町のいの町紙の博物館で、柴山雄太撮影
巡回展としては初めて公開された「手彩色写真」は、モノクロの写真に人が手作業で色を付けた写真で、茶摘みや相撲取り、芸妓(げいこ)らの様子が生き生きと浮かび上がってくる。
担当の掛水志歩三さんは「幕末から明治にかけての技術の変遷を見てほしい」と来場を呼び掛けている。期間中には「ガラス湿板写真撮影体験」と「鶏卵紙焼き付け体験」も実施される。入場料は大人500円、小中高生100円。体験参加費は無料。問い合わせは紙の博物館(088・893・0886)。【柴山雄太】
江戸無血開城を成功させた勝海舟、近代資本主義の父と言われる渋沢栄一、第二十代総理大臣を務めた高橋是清、「学問のススメ」で西洋文明を紹介し、慶応義塾大学を創立した福沢諭吉-。幕末に生まれ、明治時代に功績を残した彼らは皆、徳川幕府に仕えた「幕臣」です。湿板写真150年前の京都、発見 写真師・堀内信重のガラス原板 高い技術、屋外でもくっきり /京都
一九六八年に誕生した明治新政府は西欧列強にならい、富国強兵、文明開化を押し進めますが、巨大政府を切り盛りした経験のない薩長土肥は、深刻な人材不足に直面しました。そこで、海外使節などを経験し、幕府の下で行政経験のある幕臣たちが多く登用されました。薩長土肥は、敵味方関係なく、優れた人材を集める寛大さがあったとも言えるでしょう。
東京人2月号では、幕末に生まれ、明治期に活躍した幕臣・賊軍人士たちを、政治、実業、ジャーナリズム、医療、文芸、学問・思想の六つのジャンルに分けて紹介します。作家の中村彰彦氏は「会津籠城四人組」と題し、会津出身の井深梶之助、山川健次郎、大山捨松、新島八重の教育界への貢献などを語ります。医療分野では、順天堂大学創立者の佐藤泰然をはじめ、西洋医学の流れを作った幕臣たちを作家の山崎光夫氏がまとめました。
次週からは幕臣・賊軍人士たちが多く集まった明六社や沼津兵学校、特集のメイン記事である御厨貴氏、関川夏央氏、幸田真音氏による座談会を紹介します。(「東京人」編集部・久崎彩加)
「都市を味わい、都市を批評し、都市を創る」をキャッチコピーに掲げる月刊誌「東京人」の編集部が、2月号の記事をもとに都内各地の情報をお届けします。問い合わせは、「東京人」編集部=電03(3237)1790(平日)=へ。
幕末から明治初期にかけて京都で活躍した写真師、堀内信重(のぶしげ)(1841年ごろ~76年)が、下鴨神社や八坂神社などの名所を撮影した際に使った湿板写真のガラス原板18枚が見つかった。ガラス板は洗って再利用されていたため、撮影したままネガの状態で見つかるのは珍しく、黎明(れいめい)期の写真技術の様子がうかがえる。
湿板写真は江戸時代末期から明治初期に用いられた写真術で、ガラス板に薬剤を塗って感光性を持たせ、フィルムとして利用。ただ、薬剤が乾くまでに撮って現像しなければならない上、屋外で撮影する場合は機材一式を持ち歩く必要があった。
信重は寺侍として知恩院(京都市東山区)の警護に当たる傍ら、写真の技術を習得。来日していたお雇い外国人らに、京都を訪れた記念品として名所旧跡を撮り、売っていたと考えられている。
ガラス原板は2016年夏、知恩院の近くでかつて信重が住んでいた家屋を解体することになり、荷物の整理中に「東山寫(しゃ)真堂」と書かれた木箱から見つかった。内側には等間隔で溝が刻まれ、縦30センチ横24センチの原板が重ならないように1枚ずつ離して保管されていた。
箱には「寫真種板」との張り紙があり、ふたの裏側には明治11(1878)年7月と書かれていた。信重の死後、ゆかりの品を残すために箱を用意したとみられる。
原板に光を当てると、知恩院の三門や、西本願寺の大谷本廟(びょう)にある円通橋がうっすらと浮かび上がった。焼き付けた写真はレトロな雰囲気を帯び、150年も昔に撮影したとは思えないほど建物や人物がくっきりと写っていた。下部にはアルファベットで撮影場所が記されているが、慣れていなかったためか、文字の上下や左右が逆になっているものもあった。
信重を研究している写真家の中川邦昭さん(74)は「条件が一定しない屋外での撮影は難しく、信重は高い技術を持っていたのではないか」と指摘。「写真技術だけでなく、当時の京都の様子を知る上でも大きな手掛かりになる史料だ」と話している。
原板と焼き付けた写真の一部は、京都市上京区の市歴史資料館で17日まで展示中。
〔京都版〕
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