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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 昨日のドラマ『JIN-仁-』、原作にない設定もまぁまぁ受け容れられ、楽しんで見ることができました。日曜の夜に歴史ドラマを見る楽しみができてよかった(苦笑)です。

明治
明治から昭和30年代の函館知って 郷土新聞の複写製本公開
 明治から昭和30年代に函館や近郊で発行された郷土新聞の複写製本137冊が15日から、函館市五稜郭町の市中央図書館で一般公開される。原本はこれまで未整理のまま原則非公開の扱いをしていた、製本化されていないもの。明治期の旧函館新聞や、戦前に発行されていた函館毎夕新聞など94種類を初めて複写製本した。同図書館の丸山牧子主査は「当時の函館の世相などがわかり楽しい。ぜひ見てほしい」と話している。

 函館郷土新聞の複写製本化は、2007年に廃止された市史編さん室が行って以来2回目。同図書館に保存されていた郷土新聞のリストを作成した際、道立図書館のホームページに掲載された。それを見た利用者から「製本して公開してほしい」との声が多く寄せられ、原本の整理と同時に製本化することとなった。複写製本はA2判とA3判の2種類。ことし3月から約半年の作業を経て完成した。

 このうち、1936(昭和11年)4月14日付の函館毎夕新聞では、市議選に沸く函館を1面で大きく報道。「東西南北オンパレード」と大きな見出しで、展望や立候補者について伝えている。また、同年5月4日付の同紙では、現在も活動する日本最古の社会人野球チーム「函館太洋クラブ」の新陣容を紹介するなど、政治、社会、スポーツなど当時の函館を知ることができる。

 丸山主査は「市史編さん室製作の新聞系統図にも記されていない新聞もあり、新たな発見も多いのでは。また当時の函館に多くの言論者がいたことも知ってほしい」と利用を呼び掛けている。同日9時半から、同館2階公開書庫で利用できる。


岩手
掘り出しニュース:昭和の雰囲気残す 旧釜石鉱山総合事務所
 【岩手】釜石市甲子町大橋の旧釜石鉱山総合事務所が、13日から一般公開される。戦後日本の復興を支えた、昭和の雰囲気を残す産業遺産。TBSのテレビドラマ「官僚たちの夏」のロケにも使われた。
 日鉄鉱業(東京)が1951年、釜石製鉄所向けの鉄鉱石のほか銅も採掘していた釜石鉱業所(当時)の事務所として建てた。鉄筋コンクリート2階建て(延べ床面積1440平方メートル)。高い天井や広い間取り、坑内作業員らが出入りした30メートルもある受け付けカウンターなど機能重視の造りが特徴だ。保存状態は悪くないという。
 釜石鉱業所を引き継いだ現地子会社の釜石鉱山事務所として07年9月まで使われたが、昨年3月、市に寄贈された。寄託された鉱山関係資料約900点のうち、500点とともに公開する。
 公開資料には幕末に盛岡藩士の大島高任(たかとう)が事務所周辺に築き、日本で初めて出銑(しゅっせん)に成功した洋式高炉のレンガをはじめ磁鉄鉱の結晶、削岩機などの工具もある。ドラマで炭鉱事務所に見立てた1階事務所には、古い木製机や応接セットなどがロケ時のままに並べられている。
 公開は12月7日までの原則平日。希望があれば職員が説明する。問い合わせは市教委生涯学習スポーツ課(0193・22・8835)。【鬼山親芳】


栃木
足利氏廟所の変遷学ぶ 樺崎寺跡シンポに150人
 【足利】史跡樺崎寺跡シンポジウム「日本中世史に足利氏が残したもの」(市教委主催)が11日、市民会館で開かれた。県内外から約150人が参加し、発掘調査や専門家の講演を通して樺崎寺について理解を深めた。シンポは12日も開かれる。
 11日は市教委文化課職員が発掘調査の内容を報告した後、奈良市の元興寺文化財研究所部長で中世墓制に詳しい狭川真一氏が「武門の覇者足利氏の廟所」と題し基調講演した。
 狭川氏は「樺崎寺は、初期に浄土庭園の周りに多くの墳墓堂が建てられ、その後に大型石塔を多数持つ廟所に変遷した」と説明。その理由を「一族を意識し、全体を供養する廟所に変えたのでは」と解説した。
 12日は京都造形芸術大の仲隆裕教授が「足利氏の作庭」、鶴見大の河野真知郎教授が「鎌倉の足利氏」と題して講演したり、パネルディスカッションがある。
 樺崎寺は源姓足利氏2代目の足利義兼が1189年に創建したといわれる。足利氏の廟所として浄土庭園や多くの堂塔が整備された。明治維新後の神仏分離令で廃寺となったが、2001年に「樺崎寺跡」として国史跡に指定された。


【いにしえを求めて】西那須野・黒磯編(6)
■「千本松と松方別邸」歴史の舞台に隠された絵画

 栃木県那須塩原市千本松地区は、明治期に進められた那須野が原開拓のなごりを最もとどめていると、訪ねるたびに感じている。

 この一帯は、那須疏水(そすい)の開削を進めた開拓農場「那須開墾社」から土地を譲り受けた松方正義(1835~1924、第4、6代の総理大臣、公爵)が、西洋農具による欧米式の農場を開いた場所で、「千本松」という地名も付近にアカマツが多いことから松方が名づけたといわれている。

 観光牧場として人気の千本松牧場近くの森には、明治36年に建てられた「松方別邸」が往時の姿を残し、文明開化の薫りをいまに伝えている。通称「万歳閣」。大正天皇が皇太子時代にお泊まりになった折、日露戦争の戦勝の知らせがあり、万歳を唱えたことに由来している。

 ところで、松方という人物は薩摩藩出身で下級武士ながら、藩内では異例の出世を遂げた。明治維新後も長崎裁判所参事を経て、日田県(現在の大分県日田市付近)知事に転任。知事時代には偽札の流通を突きとめるなど、その仕事ぶりが大久保利通に認められて中央官僚としての道を歩むことになる。その後、内務卿、大蔵卿を歴任、総理大臣にまで上り詰める。

 また、松方の子供たちも華やかな経歴をたどった。長男の巌は銀行家、次男の正作は外交官、三男の幸次郎は実業家、四男の正雄は大阪タイガース(大阪野球倶楽部)初代取締役会長・オーナーを務めた。

 中でも川崎造船所社長の幸次郎は美術品の収集家としても知られ、大正から昭和初期にかけて欧州滞在中に集めた美術品は「松方コレクション」と呼ばれ、戦後はフランス政府に押収されたが、のちに同政府は、ロダンの「考える人」、モネの「舟遊び」「睡蓮」など一部(絵画や彫刻、版画など計370点)を日本に返還。この受け入れ先として建設されたのが東京・上野の国立西洋美術館だ。

 そんな「松方コレクション」の一部とみられる西洋絵画が戦後、千本松の地に保管されていたという話を先日、那須町在住の元高校美術教師のIさん(78)から聞き驚かされた。

 戦後間もない昭和23年のことで、Iさんは当時、旧制大田原中学(現大田原高校)5年生。美術部に所属し、画家を志していた。同級生の父親が千本松牧場で場長をしており、「うちに来れば、すごい絵を見せてやる」といわれ、牧場を訪ねた。

 広い敷地の片隅に建つ木造倉庫の中に案内されると、西洋の絵画の数々が並んでいた。同級生の父親は「松方コレクションの一部だ」と告げたという。Iさんは「初めて目にする絵画ばかり。まるで宝物のようだった」と振り返り、そのときの光景をいまも鮮明に記憶している。

 千本松牧場を訪ねてみると、「戦後、牧場に多くの西洋絵画が保管されていた」という話はいまも伝わっていた。また、松方正義から4代目当主の松方峰雄さん(78)=神奈川県藤沢市=に問い合わせたところ、「コレクションの一部かもしれない」とのことだった。

 勝手な推測をすれば、コレクションの一部は日本に持ち込まれ、松方ゆかりの千本松の地にあった。その後、どんな運命をたどったかはわからず、知るすべもないが…。ともあれ千本松という地はいまも松方家の華麗なる歴史の舞台になっている。(伊沢利幸)

     ◇

 次回から那須編です。


茨城
おいしいお茶は?「T-1グランプリ」開催 茨城
 「さしま茶」に代表される茨城県南西地域で生産されるお茶のブランド化とイメージアップを図ろうと、坂東市や境町など5市町の生産農家で組織するさしま茶協会(長野元明会長)が、“きき茶”の大会「T(tea)-1グランプリ2009」を開催することになり、小学生の参加者を募集している。
 さしま茶の渡米150周年を記念した催し。さしま茶は幕末の安政6年(1859年)、米国のポール商会に輸出。これが国内のお茶の初交易とされる。
 T-1グランプリは11月29日午前9時半から、古河市駒羽根のネーブルパーク平成館を会場に、小学4~6年生の男女4人1組の団体戦で実施。事前に配布したテキストからお茶に関する筆記試験やお茶の種類の選別、急須を使ったお茶のいれ方などを競い合う。
 参加する25チームを募集。申し込みは境町農政商工課内T-1グランプリ事務局(電)0280・81・1310。締め切りは10月30日。

 

三重
南楠鯨船行事:鯨船の練り勇壮に 四日市・楠の祭り最高潮 /三重
 四日市市楠町南五味塚で10、11の両日、きらびやかな鯨船が繰り出す秋祭り「南楠鯨船行事」(市指定無形民俗文化財)が行われた。金ぱく細工を施した鯨船「龍神丸」による勇壮な練りを見ようと大勢の見物人でにぎわった。
 祭りの起源は幕末のころとされ、1960年に発足した保存会が継承している。全長約8メートルの鯨船が張り子の鯨9頭を追いかけ、船上の踊り子が鯨にモリを打ち込んで仕留めるまでが演じられる。
 今年は法被姿の住民ら約260人が参加。威勢の良いかけ声とともに鯨船を前後左右に激しく揺さぶると、祭りは最高潮に達し、沿道から大きな拍手がわいた。【井上章】


広島
判決が呼び水 鞆の浦に人波 「ポニョブームよりすごい」
 広島県福山市の景勝地・鞆(とも)の浦の埋め立て・架橋事業を巡り、県知事に埋め立て免許の差し止めを命じた1日の広島地裁判決の後、地元に全国から観光客が押し寄せている。判決が歴史的景観を「国民の財産」と認めたのが呼び水となった格好で、観光に携わる人たちは「いい宣伝になった」と歓迎。だが、マイカーでの来訪が増え、町の狭い道路は週末、いっそう混雑し始めた。混雑解消を狙う事業に待ったをかけた判決の影響は、地元にとって「痛しかゆし」となっている。
 3連休の初日となった10日。鞆の港には、家族連れやカップルらが立ち寄り、シンボルとなっている江戸時代の石造りの常夜灯(灯台)の前で記念撮影をしたり、階段状の船着き場・雁木(がんぎ)に腰掛けて海を眺めたり。
 東京都八王子市の会社員七海陽子さん(55)は「裁判で知った景観を見に来た。のんびりしていい所」と言い、千葉県習志野市の会社員西村竜一さん(28)は「都会にはない風景を残してほしい」と話した。港近くの、江戸情緒を残す町並みを散策する人も、日暮れ近くまで絶えなかった。
 1日の判決は、景観保護を理由に公共事業の差し止めを初めて命じた判決として報じられた。鞆でアニメ映画「崖(がけ)の上のポニョ」の構想を練った宮崎駿監督が、判決についてコメントしたこともあって、直後から、県外ナンバーの車が目立つようになった。
 幕末に鞆に滞在した坂本龍馬の足跡を紹介する「いろは丸展示館」には、普段の倍以上が来館。4日は、1989年の開館時に並ぶ約550人に上った。赤松宏記館長は「『埋め立て予定地はどこ?』といった質問をする人も多い」と判決の影響を驚く。
 市の施設・鞆の浦歴史民俗資料館も入館者が通常の2~2・5倍に増え、近くの土産物店は客であふれる。男性店長(46)は「ポニョブームに沸いた昨年の夏よりすごい人。もっと商品を増やさないと」と喜ぶ。
 こうした人気に、埋め立て・架橋事業を推進する市の関係者らには複雑な思いもあるという。だが、市観光協会の平靖行事務局長は「判決はどうあれ、鞆の浦の名前がまた全国に広まった。チャンスを逃さず、魅力を広めたい」と期待する。
 一方で、町の狭い道の混雑は週末にひどくなった。県道沿いに住む女性(66)は「観光客の車が立ち往生しているのをよく見る。景観を守るのもいいけど、何とかならないか」と嘆く。
 訴訟の原告団長、大井幹雄さん(69)は「観光客が増えたのはうれしいが、受け入れの準備不足は否めない。交通整理などが今後の課題だ」と言う。また、推進派住民団体代表の大浜憲司さん(61)は「鞆を観光で活性化したいとの思いはあるが、渋滞や騒音など生活に支障が出始めた状況は行政に訴えたい」と話している。







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